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Lagenaria siceraria var. hispida |
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ユウガオは、アフリカ・アジア原産の一年生蔓草で、夏の暮れ方に香気がある花を咲かせる。雌花に雄花を切り取って人工授粉すると、球形の大きな実ができる。その実を煮て食用とするほか、果肉でかんぴょうを作ったり、皮でお面などを制作する。
M.A.C gardenでは、パイタンスープを使って鶏肉やほかの野菜と煮込んで食べたら、とてもおいしかった。
このウリ科の夕顔を俗に夜顔といい、ヒルガオ科の夜顔のことを俗に夕顔とも言うが、ヒルガオ科の夕顔は、熱帯アメリカ原産で江戸時代に日本に渡来したものだから、『源氏物語』の夕顔は、ここで紹介しているウリ科の夕顔である。 |
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惟光に紙燭(しそく)を持って来させて、さっきの扇をごらんになると、使いならした人の移り香が深くしみついていてるのが魅力的で、美しく歌が書き流してある。
心あてに それかとぞ見る 白露の 光そへたる 夕顔の花
(もしかして源氏の君ではないかしら 白露がやどってひときわ光り輝くあの夕顔の花は)
中略
懐紙(ふところがみ)にじぶんだと気づかれないように筆跡を変えて書かれて、
寄りてこそ それかとも見め たそかれに ほのぼの見つる 花の夕顔
(近寄ってはっきり見たら? 黄昏にぼんやり見た夕顔の花を)
さっきの随身に届けさせた。 |
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[夕顔] |
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三澤憲治訳『真訳 源氏物語』から抜粋 |
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子供の頃、父親がどこからか、大きな鉢植えをかかえて帰ってきた。夕顔の花である。子供心に鮮明にこの記憶があったので、『源氏物語』で、光源氏が随身に、
「これはなんの花だ」
と尋ねるところで、
〈作者はどうしてこんなありきたりの花を源氏に尋ねさせるのだろう〉
と、奇異に思った。
ところが、夕顔という花を調べてみると、平安時代の夕顔は、父親が持って帰ってきた、わたしたちがよく目にするヒルガオ科の夕顔ではなく、ウリ科の夕顔であることがわかった。
なるほど、ヒルガオ科の夕顔の絢爛とした艶艶した白い美しさではなく、ウリ科の夕顔の、透き通る白さの、今にも破れそうなはかなさこそ、『源氏物語』の夕顔にはぴったりだと思い、作者が源氏に言わせたのに納得した。
京都のある神社に、夕顔を栽培していると聞いて、さっそく撮影に出かけた。ところが、こんな張り紙がしてあった。
「三脚を立てての撮影はお断りします」
と、その上、ご丁寧に、二脚も、一脚も使用してはならないとダメ押ししてある。
〈惜しみなく愛を与える、というのが、神道にかぎらず、仏教、キリスト教、イスラム教などの宗教の基本理念だろうが〉
と、無性に腹が立って、庭内をざっとみまわして早々と退散した。
〈もうこうなったら、じぶんで育てて撮影するしかないな〉
と、新幹線の中で思いたち、広島の懇意にしている園芸店で種を取り寄せてもらって蒔いた。栃木のかんぴょう農家よりかなり遅い5月下旬のことである。
はじめは小さなプランターに種を蒔いて、夜はビニールシートをかぶせて発芽を待ったが、なかなか芽がでてこない。やっと芽が出てきたのが、種を蒔いて3週間後である。
ウリ科の夕顔とは、「かんぴょう」のことである。ウリ科ならではの特性で、どんどんつるを伸ばし、プランターからはみ出そうなので、左官が使う舟プラを購入して植え替え、花が咲くのを待ったが、花が咲くどころか、つるはさらにどんどん伸びて、4メートルにも達し、ベランダの3分の1を占領してしまった。
7月18日、待望の雄花が咲いた。白洲正子は、花が開くのを見られなかったと述懐しているが、わたしは運良く花の咲き始めから満開になるまで見ることができ、ビデオにも収録することができた。
夕顔の特性で、雌花は雄花が咲いてから咲く。しばらくして雌花が咲いて撮影出来たので、当初の目標は達成できたから敷いていた藁を取り除いて片付けようと思ったが、
「もう二度と、夕顔を育てることはない。かんぴょうを実らせてみよう」
と、新たな目標ができ、人工授粉して実るのを待った。
栃木がかんぴょう栽培に適しているのは、夕立が降るからと知ると、夜に家へ帰ると、ざあざあとジョウロで水をかけた。すくすくと育ってくれて、下の写真のように実った。
「あの今にも死にそうな可憐な白い花が、こんな実を実らせるなんて」
というのが正直な感想だが、別のことをはたと思った。
「待てよ、紫式部は、夕顔がこんな大きな実を実らせるのを知っていて、夕顔の遺児の玉鬘を髭黒と結婚させて、子をたくさん設けるアイデアを思いついたかもしれない」
と。 |
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