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万葉集で、浜木綿を詠んでいるのは、右の柿本人麻呂の一首だけである。現代名はハマオモトが正式の名だが、この歌が有名なことから一般的にはハマユウの名で通用している。浜木綿の「木綿」とは、カジノキ、コウゾなどの樹木の皮で作られた布だが、これが白色であることから、これを天日で乾かしている光景と、ハマユウの白い花が浜辺で群生している姿がよく似ていることから、「浜の木綿」の「の」を省略して、「浜木綿」と名づけられたのである。
平安末期、後白河法皇は、熊野詣でを34回も行い、浜木綿を特に愛したという。
正式名のハマオモトは、肉厚で長い葉がオモト(万年青)に似ているからである。
M.A.C Gardenでは、2015年から栽培しているが、まだ花は咲かない。 |
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若君は、花散里を几帳や御簾の隙間からちらっとごらんになると、
〈顔立ちはそれほどきれいではないな。こういう人でも父君は見捨てられなかったんだ〉
などと思い、
〈わたしにむやみにつれない人(雲居の雁)の面影を心にかけて恋しがっているのもつまらないな。この方のように気だてのやさしい人と愛し合いたいな〉
とも思う。だが、そうは思うものの、
〈向かい合って見たときに甲斐がない不器量なのも辛いな。父君はこうして長年この方と連れ添っていてらっしゃるが、こういう器量や気性を納得した上で、み熊野の 浦の浜木綿(み熊野の 浦の浜木綿 百重なる 心は思へど ただに逢わぬかも[拾遺集柿本人麿])ではないが、几帳や屏風などで幾重にも隔てて直接顔を見ないように気を使っていらっしゃるのももっともだな〉
と思う若君の心の中は大人顔負けである。 |
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[少女] |
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三澤憲治訳『真訳 源氏物語』から抜粋 |
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み熊野の 浦の浜木綿 百重なす 心は思へど 直に逢はぬかも
(み熊野の 浦の浜木綿のように 百重にも 心では思っているが 直接には逢えな いものだ)
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柿本人麻呂(巻四―四九六) |
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