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2007年10月26日(金)
土井くんが出演した『おいしいごはん』も無事撮影が終わったようだ。昨夜は第一回目の放送ということで、自宅でじっくり見た。 見終わってから、「おもしろかったよ!」というメールを土井くんに送った。
土井くん、見たよ。なかなか面白いところがあったよ。いいプロデューサーや監督さんや俳優さんたちに出会えてよかったね。この調子で頑張れ! これからは、もっともっと演技を豊かにしたらいいと思うよ。演技を豊かにするには、日頃の観察力。好き嫌いをいわず、なんでも好奇心を持って観察することだよ。とにかくよく頑張った。お疲れさまでした。
これに対し土井くんの返信は、
先生、メールありがとう!! 先生が、なんて言ってくれるか、いちばんしんぱいだったよ。見てくれて うれしかったよ。まだナレーションが のこっているから、がんばるよ! ひろしまに帰ったら、会いに行くね! ひろきより
小学校2年生の一生懸命の俳優に幸あれ!
2007年10月4日(木)
『源氏物語』の劇化を思い立ったのが、今年の3月20日。 そのとき6ヶ月をひとつのスパンとして創作を開始したのだが、その6ヶ月もあっという間に過ぎてしまった。 この6ヶ月でやったことといえば、
@『紫式部集』の解読 A『紫式部日記』の解読 B『源氏物語』の現代語訳
である。 『源氏物語』の現代語訳はまだ<若紫>の途中までしかいっていない。わが演劇人生の心血を注ぐと公約したのに、この体たらくだ。ほんとに恥ずかしい。 遅筆の原因のひとつには、 『源氏物語』の原文を現代化することが極めて困難であることだ。 若紫まで読んでくると、訳文を読むより原文のほうがスラスラと読めるようになり、よく理解できるのだが、それを現代語にするのに手間取るのだ。 きのうは休日だったので、遅れを取り戻そうと朝からパソコンに向かった。ところが、つぎの文章で、はたと止まってしまった。以下のような文章だ。 「あやしきことなれど、幼き御後見に思すべく聞こえたまひてんや。思ふ心ありて、行きかかづらふ方もはべりながら、世に心のしまぬにやあらん、独り住みにてのみなむ。まだ似げなきほどと、常の人に思しなずらへて、はしたなくや」
この箇所は、美しい女の子(若紫)を見初めた光源氏が、この子を引き取って教育し、ゆくゆくは妻にしようと、僧都に女の子の後見人をかってでるところだが、書いてある意味は、 ●わたしを幼い子の後見役にと、あなたの妹の尼君に話してもらえませんか? ●わたしは結婚して葵上という妻がいるのですが、どうも馴染めなくて、独りで暮らしているような状態です。 ●「まだ結婚するような年齢ではない」
と、ここまでは現代語訳できるのだが、その後の、「常の人に思しなずらへて、はしたなくや」を現代語訳にするところで、二進も三進もいかなくなった。「はしたなくや」をどう訳したらいいのか思いつかないのだ。 そこで、先行の現代語訳を紐解いてみた。
「まだ姫君はお小さくてそんなお年頃でもないのにとお考えになって、わたしを世間の好色な男並みにお思いになられますと、実に心外なのですが」(瀬戸内寂聴訳)
「まだふさわしからぬ年ごろなのにと、この私を世の常の男と同列にお考えになっては、きまりわるいことにもなりましょうが」(小学館版訳)
「まだ不似合いな年頃だと、世間並みの男と同様にお考えになっては、(私は)間の悪い思いをしなくてはならないでしょう」(新潮社版訳)
三者の訳では、源氏が権力を傘にして僧都を脅しているような印象を受ける。これを読むと、わたしなんか「源氏ってとんでもなくイヤな男だな」と思ってしまう。 ほんとうに源氏はこんなことを言っているのか? 紫式部は、ほんとうに源氏にこんなことを言わせたかったのか? なかなかいい考えが思い浮かばないので、パソコンの前でため息をつき、ベランダに出て一服しては考えるのだが、いっこうにいい訳が思いつかない。脳は充血していくばかりだ。 こんなことを何度も繰り返したとき、ふとある考えが浮かんだ。 「そうだ、原文の文章を入れかえればいい」 と。つまり、「まだ似げなきほどと」と、「常の人に思しなずらへて」を逆にして訳せばいいのだ。 わたしの訳はこうなった。
「突然ですが、(わたしを)その幼い方の後見役にと(尼君に)話していただけませんか? (実は)思うところがあって、通っていく所がありながら、どうも馴染めなくて、独り暮らしも同然なのです。世間一般の考え方からすると、『まだそんな年頃でもないのに』と、変な申し出と思われるもしれませんが」
嗚呼、早く54帖全部を訳さなければ。平安の血よ、わたしの動脈を駆け巡れ! |
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