|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
2012年2月4日(土)
「源氏物語」わからなければ音読
早いもので今年も2月になった。3ヵ月あまりも演出日記を認めなかったのは、大幅に遅れている「源氏物語」の現代語訳に没頭していたからだ。この遅れにわたしはあせっていて、
「日記を書く暇があったら、一行でも多く訳せ!」
とじぶんに言い聞かせていたからだ。それに
「演出日記だから演出に関わることしか書けない」
という制約があるからでもあるが・・・。
さて「源氏物語」の現代語訳の話をしよう。
この日記で何度も言っているように、「源氏物語」は平安の言葉で書かれているから訳すのはとても難しい。今日は宿木03の以下の文章を訳すのにかなりの時間を要した。
宿木03では、帝の女御である藤壺女御が亡くなったので、帝は女御の一人娘の女二の宮を中納言と結婚させようと思い、帝は中納言にそれとなくほのめかす。
霜にあへず 枯れにし園の 菊なれど のこりの色は あせずもあるかな
(霜に耐えきれなくなって枯れてしまった園の菊[藤壺女御]だが 残された花の色[女二の宮]は色もあせず美しく咲いている)
というようにだ。この帝の歌に続く以下の文章が今日の問題の箇所。
かやうに、をりをりほのめかさせたまふ御気色を人づてならず、うけたまはりながら、例の心の癖なれば、急がしくしもおぼえず。いでや、本意にもあらず、さまざまにいとほしき人々の御事どもをも、よく聞き過ぐしつつ年経ぬるを、今さらに聖よのものの、世に還り出でん心地すべきこと、と思ふも、かつはあやしや、ことさらに心を尽くす人だにこそあなれとは思ひながら、后腹におはせばしもとおぼゆる心の中ぞ、あまりおほけなかりける。
(小学館古典文学全集)
「かやうに、をりをりほのめかさせたまふ御気色を人づてならず、うけたまはりながら、例の心の癖なれば、急がしくしもおぼえず」
は、
「このように、(帝が)(女二の宮との縁談を)時々ほのめかされるのを直接、聞いていながら、(中納言は)例によって変わった性格なので、急いで受ける気にもならない」
とすぐに訳せたのだが、太字の「いでや」からがなかなか訳せない。
訳せないときは、先行のいろいろな訳を読んではみるが、それで今まで問題が解決したことがないから、わたしは原文をひたすら声に出して読むことにしている。
紫式部の気持ちになってひたすら読む。
そうするとだいたい意味がわかってくるから不思議だ。
では読んでみよう。
「いでや」
は、感慨や詠嘆を表す言葉だから、ここからは中納言の心の中であるはずだ。「いでや」から中納言の気持ちとして読んでいくと、
「世に還り出でん心地すべきこと、と思ふも、」
の「と思ふも」で語り手が顔を出したことがわかる。
次の「かつは」だが、小学館の原文では「かつはあやしや」となっているので、ここからがまた中納言の心の中と思いがちだが、わたしは違うふうに読んだ。
つまり「かつはあやしや」ではなく、「と思ふも、かつは」と「かつは」で区切って読むべきで、「あやしや、」から中納言の心の中だと。中納言の心の中は、
「あやしや、ことさらに心を尽くす人だにこそあなれ」
と続き、「思ひながら」でまた語り手が顔を出し、
「后腹におはせばしも」
とまたまた中納言の心の中になり、
「おぼゆる心の中ぞ、あまりおほけなかりける。」
という語り手の批評の言葉で終わる。わたしの訳では以下のようになった。
〈いやもう、(女二の宮なんて)望んでもいない、いろいろと心苦しい人たち(中の君や六の君)との縁談も、うまく断って過ごしてきたのに、今さら(妻を持つなんて)世を捨てた聖(ひじり)が還俗するようなものだ〉
と思うも、一方では
〈おかしな性分だ、(世間には女二の宮に)恋焦がれて悩んでいる人もいるのに〉
と思いながら、
〈(女二の宮が)中宮がお生みになった女宮ならまだしも〉
と思われるのは、身分不相応な望みといえる。
〈〉内が中納言が心の中で思っていることである。 |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|