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2010年1月25日(月)
「源氏物語」は、季節の移り変わりと同じ速さで物語は進行する。この世に生み出されたものが、春と夏を通過し、やがて生命の凋落を感じると、季節の秋みたいに衰弱し、そして冬のようにひとりでに死ぬ。この自然と同調した速度がこの「物語」の特徴といっていい。
去年の秋から、「源氏物語」をより深く理解するには季節の花々を知らなければならないと思い立ち、まず宮島の紅葉狩りに出かけたのだが、先週の土曜日には、
「もう梅が咲いていることだろう」
と、縮景園に出かけた。
冬のことなので、このように万両や南天、そして椿の赤がぽつりぽつりと、緑の庭園に彩りを添えているだけだったが、梅もわずかに咲いていた。
ひと枝にひと花といったように咲いている梅を撮影していると、梅とは違って今が盛りの黄色い花を撮影している初老の二人がいる。
「これも梅なんですか?」
と聞くと、
「ろうばい」
と教えてくれた。後で会社で調べてみると、梅ではない。ロウバイ科ロウバイ属の落葉低木であり、唐の国から渡来したので唐梅とも呼ばれているらしい。ロウバイはとてもいい香がする。
二人がとても楽しそうに撮影しているので、しばらくその撮影を眺めていると、一人が近づいてきて、
「今日の梅の傑作は、あそこに咲いている梅だよ、撮っておけば」
と親切に教えてくれた。その花がこれ!
なるほどとても可憐で美しい。
さて、梅といえばわたしは真っ先に菅原道真の歌を思い浮かべる。
こち吹かば 匂いおこせよ 梅の花 あるじなしとて 春をわするな
道真が左遷され大宰府に行く時に詠んだとされる歌だが、なぜかわたしはこの哀切極まりない歌に惹かれる。そんなわたしだから、今日の主役の「梅」ばかりか、名前も知らないこんな植物にもなんともいえない感慨をおぼえた。
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2010年1月22日(金)
去年のことか一昨年のことか忘れたが、行きつけの広島駅前の本屋に揃えてあった小学館の古典文学全集の「源氏物語」が消えていた。店員に
「どうしてないの? 今まで置いてあったのに」
と尋ねたが、
「さあ、わかりません」
としか答えてくれない。それ以来しかたなく小学館版の「源氏物語」はネットで購入しているが、今日「柏木」を訳していて、その謎が解けた。
この書籍には校正ミスがあるのだ。「源氏物語」第4巻の326ページの注釈の三には、
以下も、八行後「ことなりかし」まで柏木の心内。
となっているが、実はこれは柏木の心内ではなく、源氏の子息の大将の心内である。
そして注釈十二にも大将でなければならないのに柏木となっている校正ミスがあった。最初の校正ミスは、
「天下の小学館も校正ミスをするのか」
としか思わなかったが、二度目の校正ミスで、
「そうか、校正ミスがあったから、小学館は源氏全巻を書店から引き上げたのか」
と気づき、「源氏物語」が一斉に本屋から姿を消していた時のことを思い出した。わたしのこの推測は演出家特有の誇大妄想で、当っているかどうかわからないから、真実は出版社に聞くしかないが、わたしとしては謎が解けたと思っている。
きょうなぜこんなことを日記を認めたのか?
実はわたしも今までに数々の校正ミスをして、酷い目にあっているからだ。
その最たるものはN・A・Cで俳優をしていた時。N・A・Cに入ったばかりで、
「演技の実力は芝居をして見てもらおう」
ということで、芝居をするだけでなく、俳優紹介のパンフレットを作ることになった。わたしともう一人の俳優が担当し、稽古に忙しく、校正は印刷会社まかせにしたものだから、出来上がってきたものには文字の間違いが多数ある。情けないことに広告主の名前も間違っている。演出家の文章にも間違いがある。しかたなく本番直前まで泣く泣く手書きで直したことを、今でも鮮明に思い出す。でもあの当時は、そんな酷いミスをしても広告主にも演出家にもそんなに怒られなかった。それで若かったわたしたちはずいぶん救われたことも思い出す。
だから、
「人間は間違いあるのだから、『源氏物語』の校正ミスくらい気にしないで、本屋にずっと置いといてくれればいいのに」
というのが、わたしの本音である。ちよっとした欠点をとことん追求するせちがらい世の中、このことが言いたかったから、あえて認めた。
2010年1月19日(火)
一週間前に「源氏物語」の現代語訳を再開したにもかかわらず、とても長い段で、しかも死を直前にひかえた衛門督と源氏の子息である大将との会話の場面であったので、すんなりとは訳せず、やっと昨日アップした。
いつも思うことだが、「源氏物語」の会話はとても難しい。
なぜなら、紫式部はじぶんの現実の女房という立場から、登場人物の会話においても敬語を多用するからである。先行の訳でもこの場面は、誰もが作者の著したとおりに忠実に敬語を訳している。
だがわたしは、あえて敬語を無視した。
衛門督と大将は親友同士だから、本音で語らせたかったし、病人の衛門督が必要以上に敬語を使ったのでは病人のリアリティが欠落してしまうと思ったからである。
2010年1月12日(火)
やっと広島の俳優&タレントのカタログが完成した。
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@カタログトップ |
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Aカタログ裏表紙 |
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Bカタログ表紙 |
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@ご覧のように、今年のN・A・C広島のトップを飾るのは、深田ちひろである。
深田さんは4歳の時にN・A・C広島に入所して、今は高校1年生だから、13 年もN・A・C広島に所属していることになる。小学校の時から日本のトップ女優に育てようと思っていたので、感無量の感がある。
周知のように芸能界は実力の世界である。実力が備わったから、広島のトップを飾ることができたのである。彼女はけっして驕らない、なんともいえない素直な可憐な性格である。わたしは密かに「源氏物語」でいえば、若紫と思っている。若紫から紫の上へ。このまま素直に育ってもらいたいものだ。
A小林由芽には、わたしの芝居のノウハウを徹底的に教えた。「ガラスの家族」で演技開眼し、「劇変・十二夜」でヴァイオラとセバスチャンの兄妹を同一の舞台上で演じるという難役をこなし見事に演じたので、高校生から絶大な拍手を頂戴した。わたしも俳優を経験したからわかるが、この拍手は俳優としての一つの財産である。今小林さんは、あるテレビ局の大型ドラマの一次面接に合格している。このドラマの一次面接に合格したのは、わたしが教えた俳優の中では彼女一人だけである。今年はテレビドラマで花咲いてほしいものだ。
Bカタログの表紙を飾るのは、中島千鶴である。中島さんには去年の撮影時に、
「そんな服を着て写真撮影をするようではダメだ! 年を考えろ!」
と一喝した。そこで彼女はアルバイトをしながら、コツコツと貯金をして、その貯金のすべてをはたいて今回の撮影の衣裳を購入した。こんなプロ根性のある子は今までのN・A・C広島にはいなかった。その心意気を買ったのである。彼女にはもう一つ裏話がある。N・A・C広島に入ってきたとき、彼女は太っていた。そこでわたしは、
「おまえは女優の体をしていない。女優になりたいなら痩せろ! 」
と、これまた一喝した。普通の人はここでつぶれて陰でわたしの悪口を言うようになるが、彼女は素直な性格で実に向上心のある人なので、あくる日から昼食をぬき、暖房着を身にまとい本川の川べりを歩いたそうである。まだ発展途上の彼女であるが、痩せたおかげで彼女が本来持っている端正な顔が引き立つようになった。まったく経歴のない彼女を表紙に持ってきたのは、彼女の向上心のある堅実さを買ったからである。
三人に幸あれ!
2010年1月7日(木)
パソコンの寿命は2年。2年以上使っていると、どうしても動きが悪くなり仕事がなかなかはかどらない。これはパソコンの宿命といっていい。今日もカタログ制作に没頭したが、フォトショップのスクリーン解像度をうっかりセンチにしていたものだからフリーズしてしまい、朝目標にしたカタログの半分も制作できなかった。出来たのは10ページ。残る26ページは明日だ。土曜日までには完成し、来週の月曜日からは気持ちよく「源氏物語」の現代語訳を再開したいものだ。
2010年1月6日(水)
丸1年も演出日記をアップしなかった。まさしく光陰矢のごとし。
例年のごとく去年の暮れから、N・A・C広島のホームページ用のプロフィール制作に追われ、年が明けてから今度は「俳優・タレントカタログ」の制作に取り掛かっている。撮影は去年の12月にしたが、出来のいいのが多かったし、前年のデザインと同じものにはしたくないので、写真の選択と趣向にかなりの時間をとられてしまった。12月31日にかろうじて、ホームページをアップした次第である。
さて今年の正月は、家のパソコンが使えないので、珍しいことに正月三が日は一切の仕事をしないで、英気を養った。人並みに初売りにも行って求めた品は次の通り。
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欲しかった堺秀一謹製の料理小包丁と赤絵の丼である。包丁のほうはわたしの行きつけのパルコの真向かいの専門店で購入したが、丼は一つは本通りで、もう一つは「そごう」で購入した。本通りの店には、この丼が一つしかなく、あきらめて「そごう」に行き、違うものを求めようと思っていたが、どういうわけか同じ丼が、「そごう」にもあり、それも一つしかなかった。しかたなく「そごう」で購入し、また本通りに戻って購入したわけだが、たくさんの丼を見て気に入ったのはこの一点だけだったので、正月早々とても得をした気分になった。
「俳優・タレントカタログ」のほうは、昨日から考え続け、今やっと表紙と裏表紙が完成した。
今年わたしは還暦を迎える。生涯一度の60年目の幸運は、N・A・C広島の俳優・タレントが一人でも多くテレビに出演してくれることに尽きる。
中島千鶴、深田ちひろ、小林由芽、落付早耶をはじめ、タイプの違う輝きと個性にあふれた人が広島にはたくさん育っているのだから。 |
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