THE WORLD OF THE DRAMA 演劇の世界
「演劇の世界」コンテンツ
トップ 公演履歴 深層の劇 劇音楽 小道具 夢見る本 演出日記 台本 戯曲解釈 俳優育成 DVD
三澤憲治の演出日記
◇俳優歴13年、演出歴23年の広島で活動する演出家、三澤憲治の演出日記 三澤憲治プロフィール
2017年
2015年
2014年
2013年
2012年
2011年
2010年
12月
11月
10月
9月
4月
3月
2月
1月
2009年
2008年
2007年
2006年
2010年11月23日(祝)

 
今年の3月頃から「源氏物語」の花木をビデオで撮り続けているが、今日の樒(しきみ)で51の花木をアップしたことになる。
 撮影のために、京都、岡山、島根、山口と他県まで足を伸ばしたが、
「灯台下暗し」
 先日、広島で絶好のロケーションを発見した。
〈ええっ、こんなところに・・・得したな〉
 というのが正直な感想で、これからはここで撮ろうと思っている。
 「源氏物語」で花とだけ記してある場合は、梅か桜を意味する。
 だがわたしは、梅は花の咲いているのをまだ撮っていないし、桜にいたっては撮影もしていない。
 なぜなら、梅は梅の開花時期にはまだビデオがなかったし、桜は事務所の近くの川辺にたくさん咲いていても染井吉野(ソメイヨシノ)だからである。
 周知のように、ソメイヨシノはコマツオトメとオオシマザクラの交配で生まれた園芸品種で、「源氏物語」の時代には存在しない。
 「源氏物語」で桜といえば、山桜か里桜であり、それを撮らなければ意味がない。
 先日の撮影で、やっとこの恋しき山桜と里桜にめぐり合った。
 「源氏物語」の若紫の巻に、

宮人に 行きてかたらむ 山桜 風よりさきに 来ても見るべく
(大宮人に 帰って話そう、この美しい山桜を 風が吹き散らす前に 来て見るように)
 
 という歌があり、まさにそんな心境だが、桜の開花をこのサイトでアップするまでは場所は差し控えさせていただく。悪しからず。
 花木を撮影していると、だんだん紫式部の気持ちを理解できるようになってきて、少しずつわたしの体内で実感として感じるようになってきた。
〈ああ!紫式部は、花木の「もののあわれ」 をよく知っていたな〉
 と、一人涙した。

2011年11月16日(火)

 
1999年にN・A・C広島のホームページを創設した時に、参考にしたのは藤原紀香さんのオフィシャルサイトだった。当時このサイトはとても人気で、アクセス数は優に30万人を超えていた。
〈凄いな、ああ、藤原さんのような万を超えるホームページを作らなきゃ〉
 と、藤原さんのホームページを目標にさせていただいた。
 
あれかれ11年経った昨日、N・A・C広島の一日の訪問者数がはじめて千名を越えた。
〈来年こそは千名超えを〉
 と思っていただけに、年内の到達にただただ驚くばかりである。
 サーバーを変えたから、今年の4月6日からの数字でしかないが、この日から昨日までに当N・A・C広島のホームページを閲覧した人は、12万6808名。
 この場をかりて心からお礼を申し上げます。
 これから
「女たちのシェイクスピア(仮題)」
「黒髪主義(仮題)」
「名子役○○の歌(仮題)」
 など、皆さまにもっともっと楽しんでいけるホームページにしていきますので、今後ともご支援のほど、よろしくお願い申し上げます。

2011年11月13日(土)

 
ロッテの西岡選手が優勝の祝賀パーティでこんな面白いことを話していた。

『西岡は何か持っている』
 と言われてきました。今日、何を持っているのか確信しました」
 と、この日記で俎上にあげたアマチュア野球選手の言葉をそのまま使っておいて、

「それは・・・ロッテガムです」
 とオチをつけた。
 わたしはこの西岡選手のユーモアに思わず笑ってしまった。
 言うまでもなく、これはまさに芸能である。
 そもそも芸能は、

「この世界で法律や道徳や国家が巾を利かしているというなら、認めもするし、従いもしよう。だが、精一杯、笑ったり、茶化したり、すねたり、遊んだりさしてもらいましょう」

 というところで成り立っている。西岡選手はまさにそれを具現したのである。西岡選手はプロ野球の名ショートだが、タレントとしても成功するだろう。
 このように芸能はこんなスタンスで成り立っているが、芸術はどうなのか?
 
 芸術は、ある意味で善悪を超えたところで咲く「花」である。

 
悪、反道徳、脱道徳、これらをすべて包摂することなしに、芸術が開花することはありえない。
 つまり、
 
 この世界に法律や道徳や国家があるのは、人間の自由を妨げる欠陥が、この社会にあることの象徴である


 というのが、芸術のほんとうの立場である。
 俳優はこの「表現」のスタンスから決してぶれてはいけない。そうでないと俳優が演じるものが、道徳や政治になってしまう。 
 
2011年11月8日(月)

 
今年の2月に完訳のはずだった「源氏物語」の現代語訳は遅れに遅れているが、来年の春か夏には完成し、いよいよ劇作にとりかかるので、今俳優専科の人たちにシェイクスピアを教えている。なぜ源氏物語をいきなり教えないでシェイクスピアかというと、

〈シェイクスピアを知らずして源氏物語は演じられない〉

 というわたしの確固たるこだわりがあるからである。そして、このこだわりとはなにかと言うと、このウェブですでに紹介しているように、シェイクスピアには、
 @〈とりかえばや物語〉
 A〈貴種流離譚〉
 B〈生と死の逆転のドラマ〉
 という3つのパターンがあり、俳優がこの3つのパターンを知らなければ、とても「源氏物語」の物語を理解して演じることはできないと思うからである。わたしだってシェイクスピアを知らなかったら、とても「源氏物語」は訳せなかったと思う。
 昨日のレッスンは「ハムレット」だった。
〈数回読み合わせをしたからもう立ち稽古をしてもいいだろう〉
 と、俳優に動いてもらったが、まだ時期尚早。本格的に読み合わせをすることにした。
 ところがこの逆戻りには意外なメリットがふたつあった。
 一つは、中学生のある俳優に思わぬ俳優魂を発見したこと。
 もう一つは、レッスンしたシェイクスピアの作品のダイジェスト版を来年にビデオで撮影しホームペーシ゜にアップするつもりだが、そのダイジェストシーンを発見したことだ。
 その箇所は言えないが、
〈これはいい。これなら2011年の「ハムレット」になる〉
 と、わたしは一人悦にいっている。
 
2011年の動画版「女たちのシェイクスピア(仮題)」にこうご期待! 

2011年11月5日(金)

 
11月3日、「源氏物語」をなんとか訳せたので、昼に早慶戦を、夜は中日対ロッテの日本シリーズを見たが、その視聴率は早慶戦に軍配が上がったようである。
〈視聴率と野球の質は比例しないな〉
 というのがわたしの率直な感想である。
 言うまでもなく早慶戦はアマチュアの戦いであり、中日対ロッテ戦はプロの戦いである。
 プロがアマチュアに視聴率で負けたって恥じることはない。
 現にわたしは早慶戦を見ていて稚拙なプレーが多く飽きてしまったが、中日対ロッテ戦は行き詰るような熱戦で我を忘れて没頭した。特に延長10回裏の攻防は凄かった。
 ○ロッテ2番の清田が見送り四球。
 ○続く3番井口がヒットして無死二、三塁。
 ○4番サブローに中日バッテリーは勝負。浅いレフトフライ。清田は三塁から動けない。
 ここで中日は守備を変更。ファーストに森野、サードに堂上直、ブランコはベンチに下がる。
 
○5番今江は敬遠の四球。
 ここで中日は浅尾から高橋に投手をかえる。
 ○6番福浦、1死満塁。フルカウントからの8球目を打ってサードライナー。サード堂上直が捕球した場所はサードベース上。清田は戻れずゲッツー成立。
 この福浦の不運としかいえないサードライナ併殺打までの両軍の攻防は、まさに見る価値があるものだった。
 こんなプロの死闘に感動していたとき、ニュースでアマチュアのある選手がこんなことを言っていた。

「いろんな人から
『○○は何か持っている』
 と言われてきました。今日、何を持っているのか確信しました。
 それは仲間です」
 
  この言葉を聞いてわたしは思わず笑ってしまった。いや笑うどころか憤りを感じた。
〈なんて嫌らしいことを言う奴だろう〉
 と思った。
 嫌らしさの要因の一つには、言葉の組み立て方にある。
 まず、このアマチュア選手は、
「なにか持っている」
 と問題提起して、聴衆に、
〈ええっ!〉
 と関心を持たせ、
「確信しました」
 で、
〈なんだ、なんだ、それはなんだ?〉
 と期待させておいて、おもむろに
「仲間」
 と答える組み立てをしている。本人は
「仲間」
 で、
〈してやったり〉
 と思っているだろうが、、わたしたち演劇人から言わせてもらうと、このアマチュア選手の演説を芝居にたとえると、絶対にやってはいけないお涙頂戴の臭い芝居である。
『○○は何か持っている』
 冗談じゃない! この言葉には微塵の慎ましさもない。じぶんが優位であることを肯定しているだけだ。これを聞いた人はわたしだけなく、きっと嫌な思いをしたことだろう。
 そして、嫌らしさのとどめはキーワードの「仲間」。
 アマチュアであろうと、野球選手からこんな腑抜けな、偽善的な言葉を聞かせられるとは思わなかった。落語のオチにもならない。

「ここは『仲間』でなく、『孤独』か『死』でしょ」
 
 というのが、わたしの言語感覚である。
 言うまでもなく硬式野球とは死と隣り合わせのスポーツだからである。 
MACトップへ