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三澤憲治の演出日記
◇俳優歴13年、演出歴23年の広島で活動する演出家、三澤憲治の演出日記 三澤憲治プロフィール
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2010年9月16日(木)
 
 「源氏物語」という物語の世界の話だが、紫の上は陰暦の8月14日に亡くなった。ちょうど今頃の季節だから、彼女の追悼をかねて岡山の後楽園に行ってきた。
 先月に行ったとき、萩の花がぽつりと咲いていたから、
〈もう満開だろう〉
 と思って行ったのだが、残念ながら三分咲き。いや二分咲きくらいだった。きっと今夏の猛暑のために咲くのが遅れているのだろう。
 紫の上は、源氏が女三の宮ところへ泊まりに行ったときに、胸の激痛に襲われる。

 紫の上は、いつものように(源氏の君が)来られない夜は、遅くまで起きていて、女房たちに物語などを読ませて聞いていらっしゃる。
〈こんなふうに、世間によくある例として書き集めてある昔物語にも、浮気な男や、色好みの男、二股をかけた男に関わった女、のことなどが書いてあっても、結局は頼れる男に落ち着いているのに、(わたしは)どういうわけか浮草のように過ごしてきた。たしかに(わたしは)、(源氏の君が)おっしゃるように、人とは違う宿縁に恵まれいるけれど、女なら耐え難い悩みから逃れられないまま死んでしまうのか、なんてつまらない〉    
 などと思い続けて、夜が更けてからおやすみになった その明け方から、胸を苦しまれる。女房たちが介抱するのに困って、
「(源氏の君に)お知らせしましょう」    
 と言うと、(紫の上は)
「それはしないで」    
 と止められて、耐え難い苦しみをこらえながら夜を明かされた。(若菜下 私訳)

 紫の上は、この発作をきっかけに病気をつのらせ、一度は絶息するが蘇生する。しかし、しだいに衰弱して現世の執着をなくしてゆく。紫の上は、じぶんの死期が近いのを感じたある日、可愛がっている孫の三の宮にひそかに別れを告げる。

 (紫の)上は、(中宮の)若宮たち(皇子・皇女)をご覧になるにつけても、
「お一人お一人の将来を拝見したいと思っていましたのは、このようにはかない命で それを惜しむ気持ちがどこかにあったからでしょうか」    
 と涙ぐまれる、そのお顔の艶やかさは、なんともいえない美しさである。中宮は
〈どうしてこういうことばかりお考えになるのだろう〉  
 と思われると、突然泣いてしまわれる。(紫の上は)不吉な遺言のような言い方はされず、お話のついでなどに、長年親しく仕えてきた女房たちで、これという身寄りもないかわいそうな人たちのことを、
「わたしが亡くなりましたら、お心にとどめてお目をかけてやってください」    
 などとだけおっしゃる。季の御読経(春秋二季百僧を招き大般若経を購読する法会)などが始まるというので、(紫の上は)いつものごじぶんの部屋にお帰りになる。  
 (紫の上が引き取って育てていらっしゃる)三の宮が、大勢の皇子たちの中でも、とても可愛らしく歩きまわっていらっしゃるのを、(紫の上は)ご気分のよいときには、前に座らせて、人の聞いていないときに、
「わたしがいなくなったら、思い出してくれますか」    
 とお尋ねになると、
「とても恋しくてならないでしょう。わたしは、(父の)帝よりも母宮よりも、おばあさまがずっと好きだから、いらっしゃらなくなったらきっと機嫌が悪くなります」    
 とおっしゃって、目をこすって涙をまぎらわしていらっしゃる様子が可愛らしいので、(紫の上は)微笑みながらも涙を落とされた。
「(あなたが)大人になられたら、ここ(二条院)にお住みになって、この(西の)対の前の紅梅と桜とは、花の咲くときには心をとめて楽しんでください。なにかの時には、仏さまにもあげてくださいね」
 とおっしゃると、(三の宮は)うなずいて、(紫の上の)顔をみつめて、涙が落ちそうになったので立って行かれた。(御法 私訳)

 ここはとてもすぐれた場面だ。紫式部は、春の芽生え(三の宮)と病(紫の上)を対比させて、紫の上にしみとおっている生命の凋落を見事に描いている。
 そして庭の紅梅と桜の世話を三の宮にたくした紫の上が最後に見るのが萩の花。

 風がもの寂しく吹きはじめた夕暮れに、前庭の草木をご覧になろうと、(紫の上が)脇息に寄りかかっていらっしゃると、(源氏の)院がいらっしゃってご覧になり、
「今日は、よく起きていらっしゃる。中宮の前では、気分もすっかり晴れ晴れするようだね」
 とおっしゃる。この程度の小康でさえとても喜ばれる(院の)お顔をご覧になるのも心苦しく、
〈いよいよわたしが死ぬときにはどんなに心を乱されるのだろう〉  
 と思うと、しみじみと悲しいので、

おくと見る ほどぞはかなき ともすれば 風にみだるる 萩のうは露
(わたしが起きているとご覧になっても それも束の間 どうかすると萩にかかった露のよう風に乱れて散ってしまいます)

歌のとおり、(庭先の萩は風に)折れて露がこぼれ落ちそうで、(紫の上のはかない命に)なぞらえられる季節でもあるので、(院は)庭先をご覧になるとたまらなくなって、

ややもせば 消えをあらそふ 露の世に おくれ先だつ ほど経ずもがな
(どうかすると先を争って消える露のようなこの世の命だが 死ぬときは一緒に)

とおっしゃって、涙をぬぐいきれないほど泣かれる。(御法 私訳)


 生命の凋落が確実に死に結びついてる紫の上の歌はなんとも悲しくせつない。源氏が涙をぬぐえないほど泣いたって、紫の上の死の認識には到底到達できない。
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