|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
2007年7月26日(木)
日記を認めるひまもなく、せっせと『源氏物語』の現代語訳に取り組んでいるが、遅々として進まない。 進まない理由は、既存の現代語訳は参考になる程度で、すべてを新たに訳していかなければならないからだ。人口に膾炙している既存の現代語訳は、その訳者の思想を反映したものでしかなく、名訳といわれる文学者の訳も、いわゆる「与謝野源氏」であり「瀬戸内源氏」でしかなく、原作を忠実に訳しているとはいえない。わたしの興味は原作そのものにあるから、じぶんで訳すしか道はないのだ。 訳で難しいのは、古語をどんな現代語にするかにある。 例えば「をかし」という古語を例にすると、旺文社の『全訳古語辞典』にはその意味がつぎのように記されている。
@おもしろい。趣がある。風情がある。 A賞すべきである。すばらしい。すぐれている。 Bかわいらしい。愛らしい。 C滑稽だ。おかしい。
現代のわたしたちは、「をかし」をCの意味でしか使わないが、紫式部は「をかし」をさまざまな意味で使っている。なら、その古語を@ABで当てはめればよいではないかということになるが、ことはそう簡単にはいかない。 例えばBの「かわいらしい。愛らしい」から派生してくる現代語は膨大にある。「可愛い」「素敵だ」「いける」「キュンとくる」「いいね」「グー」などあげればきりがない。だから、原文で「をかし」が使われていたなら、その文章に最も適した現代語を使わなければならない。そのたったひとつの言葉を思いつくにもかなりの時間がかかってしまうのだ。 もうひとつ、『源氏物語』には、「さるべき」という言葉が頻繁に出てくる。どの訳者も「しかるべき」と訳すが、「しかるべき」なんて言葉は、若い子が古風ぶって言ったりするくらいで、今時使わない。わたしなんて日常会話で「しかるべき」なんて言葉は絶対に使わない。つまり、現代語訳自体が現代語になっていないのだ。「おいおい、もっとましな現代語にしてくれよ」といつも思ってしまう。 こんなわけで、『源氏物語』の現代語訳は難しく時間はかかるが、喜びもある。パソコンに向かっていて、満足な言葉が出てこなくて、イライラして家のベランダで一服しているときや、寝起きなどに、思わず「あっ!」といい言葉が思いついたりするときなどだ。 今、三の巻の「空蝉」を訳しているところだが、ここの紫式部の心理描写は絶妙なので面白い。 源氏と空蝉、源氏と小君(空蝉の弟)、空蝉と小君との関係性と、源氏が若い美人の軒端荻ではなく、不細工な空蝉に心惹かれるところは、ぜひとも演劇にしたい。 |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|