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2007年5月24日(木)
「紫式部集」の131首の歌を読み終えた。あまりにせつなく悲しい歌ばっかりだったので、途中で気が乗らず時間がかなりかかってしまった。 先人たちの現代語訳はあまりわたしの役にはたたなかった。読めば読むほど迷路にはまってしまう。そこでわたしは、古典学者のようにこれでもかこれでもかと、原歌には書かれていない言葉を使って意味を説明するより、紫式部が書いた言葉だけを現代語になおせばいいのではないかということに気づいた。だから訳すとき、「紫式部よ、おまえはいったいなにが言いたいのだ?」という疑問を投げかけ、現代語訳も和歌本来が持っている<含み>を持たせることに徹した。 訳していて、戸惑ったのはつぎの箇所だ。新潮社版の注にあるように番号をつけて下線を引いてみると、
@池の水の、ただこの下に、かがり火にみあかしの光りあひて、昼よりもさやかなるを見、A思ふこと少なくは、をかしうもありぬべきをりかなと、Bかたはしうち思ひめぐらしすにも、まづぞ涙ぐまれける
注では@ABはこう訳されている。
@池の水が迫っている、御堂の丁度この下において、篝火と御灯明が光りあって。 A物思いが少なかったら、風情もありそうな折だな。 Bわずかにわが身のことを考えるにつけても
この注を使って訳してみたところで、まったくなんの意味かわからない。わたしが考えたのは、紫式部は池の水を見たから、「池の水の」とはじめたということだ。「池の水が迫っている」では、主体は池の水でなく御堂になってしまう。「池の水の」に本来続く言葉は、「昼よりもさやかなるを見」のはずだ。つまり、「池の水の昼よりもさやかなるを見」となるはずだが、彼女はそんなにすんなり言葉を運ばない。なぜ昼よりもさやかなるか、その理由をつけ加えるのが特徴だ。そこで、「ただこの下に、かがり火にみあかしの光りあひ」を「池の水の」と「昼よりもさやかなるを見」の中にいれたのだと思う。 こう解釈すると全体の意味は自ずから解ってくる。 わたしはこう訳した。
池の水が、御堂の下で、篝火と御灯明とが光りあって、昼よりも鮮明なのを見て、物思いが少なければ、風情もありそうなときなのにと、ちょっとじぶんのことを思っただけで、つい涙ぐんでしまった。
この訳を学校のテストで書いたらおそらく及第点はもらえないだろう。だが演劇人にとっては、こう訳さなければ演劇にならないのだ。こう訳してこそ、人物と物との関係性が成立するし、紫式部の心の悩みも表出できるのだ。 最後に『紫式部集』を読み終えた感想は・・・・・・
平安の昔も平成の今も、人間の精神は変わらないということだ。
2007年5月17日(木)
「紫式部日記」を読み終えて、今「紫式部集」の和歌を60首ほど読んでホームページにアップした。60首ほど読んだが、紫式部の和歌にはあまり感動しない。日記のすさまじい肉迫力と、骨身をけずるような描写力には感動したが、和歌はいただけない。琴線に触れてこないのだ。ところが式部の和歌でも、源氏物語の中の和歌は優れたものが多い。 この違いはなにか? きっと式部は生まれつきの物語作家なのだろう。つまり、自分自身を表現することは苦手で、どうしてもじぶんのことを歌うとなるとお定まりの言葉を使ってしまうが、物語という幻想の世界ではたとえ自分のことを書いたとしても、じぶんは虚構というベールで隠すことができるので、ためらいはなく、自由に創造の翼を広げて容赦なく核心に迫ることができたのだ。 物語でしか生きられない女、紫式部。 これが「紫式部考」創作で、わたしなりにわかってきたひとつのコンセプトである。 創作の外堀はだんだん出来上がってきつつある。だが、まだ読みこなしていないものがある。それは折口信夫の源氏物語論だ。「人間としての光源氏」や「反省の文学源氏物語」など、ざっと目を通しただけだが、折口の論考には寝ているところを水でぶっかけられたようなショッキングな驚きが詰まってる。これを解読せずして先には進めない。 |
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