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2007年6月4日(月)
今、『源氏物語』の現代語訳にとりかかっている。大それたことに着手したものだが・・・・・・その理由を説明すると、 平安の権力者藤原道長は紫式部につぎのような和歌を贈った。 夜もすがら 水鶏(くいな)よりけに なくなくぞ まきの戸ぐちに たたきわびつる 意味は、「昨夜は水鶏以上に泣く泣く槙の戸口で、夜通したたき続けたよ」であるが、これに対して紫式部はつぎのように返答した。
ただならじ とばかりたたく 水鶏ゆゑ あけてはいかに くやしからまし
「熱心に戸をたたかれたあなただから、戸を開けたらどんなに後悔したことでしょう」と。
ここでわかるのは、藤原道長が夜更けに戸を叩いて紫式部と一夜を共にしようとする老醜の男でもあったということだが、もうひとつ考えなければならないのは、道長が戸を叩いたのはこれが一回限りのことかということだ。 瀬戸内寂聴さんは、道長は何度も訪れて戸を叩き、おそらく5度目の夜くらいに紫式部も根負けして戸を開けたのではないかと推察されている。 わたしは、この瀬戸内さんの推察をどうしても肯定できなかった。紫式部は道長が何度訪れて戸を叩いても絶対に戸を開けなかったというのがわたしの考えだ。もちろん道長は式部にとって尊敬できる人間味にあふれた殿であったのは、本人もそう記しているから確かだが、こと恋愛となると話は別だ。身分の差があまりにも違いすぎる時の権力者との泥沼の恋愛に突き進むほど、彼女の精神状態は健康ではなかった、というのが理由である。 このように、『紫式部日記』の一節をとってみても、瀬戸内さんとわたしとでは理解の仕方がちがうのだから、現在出版されている『源氏物語』の現代語訳をそのまま鵜呑みすることは危険だと思って、わたし自身で現代語訳をしてみようと思ったわけである。
わたしの現代語訳の特徴はつぎの通り。
@できるだけ原文と同じ長さの現代語にする。つまり、できあがったものが、「なんだ、源氏物語ってこんなに短かったの」と言われるようなものになるのが理想である。
A敬語を忠実に訳さない。つまり、極力少なくする。 B平安時代に紫式部が使った言葉が、平成の今でも通じるなら、できるだけその言葉はそのまま使用する。 などだ。『源氏物語』の書き出しを例にするとつぎのとおり。
いづれの御時にか、女御、更衣あまたさぶらひたまひける中に、いとやむごとなき際にはあらぬが、すぐれて時めきたまふありけり。はじめより我はと思ひあがりたまえる御方々、めざましきものにおとしめそねみたまふ。(原文100字)
どなたの治世であったか、女御や更衣が大勢仕えていた中に、最高の身分ではないが、とりわけ帝の寵愛をえている方があった。はじめからじぶんこそはと思いあがっている女御たちは、目ざわりだとさげすみ嫉む。(訳文96字)
原文より訳文が4字少ない。まったく同数にすることはできるが、ここではあえてしない。 |
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