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三澤憲治の演出日記
◇俳優歴13年、演出歴20年の広島で活動する演出家、三澤憲治の演出日記 三澤憲治プロフィール
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2007年4月20日(金)

 「噂を論理で色あげした判断は駄目だ」。吉本隆明氏がいうように、酒色に身をもち崩したという慣用句があるように噂に身をもち崩した思想というものはある。
 これを『源氏物語』に照らしてみると、噂、つまり『源氏物語』関連の膨大な書物を鵜呑みにするのではなく、紫式部自身の原著にあたれということだ。

 とにかく紫式部の原作をじぶんで読んで、確かめて、判断をくだすこと。それ以外の他人の言説は一切を疑うことだ。
 そうは言っても、紫式部の文章は難解で、頻繁に主語が変わってゆく。原文を読んでわからないので、古典学者の現代語訳を読むとよけいに意味がわからなくなったりして、こちらの疑問の解答を見出せないことがしばしばだ。
 うーん、これは実に困る。
 もうこうなったら、じぶんの実感を頼りにして読んでゆくより仕方がないな、というのが正直な感想だ! 

2007年4月20日(金)

 「源氏物語」の劇作のためにかなりの書物を紐解いて読んでみた。例えば、角田文衛「紫式部伝」、大野晋「古典を読む 源氏物語」、河合隼雄「紫マンダラ」、橋本治「源氏供養」などだ。どれもそれなりに面白かったが、どういうわけかわたしのハートに突き刺さってこない。なぜならそれは、それぞれの著作者自身の「源氏物語」像でしかないと思ったからだ。現在、「源氏物語」の現代語訳といえば、瀬戸内寂聴さんの名をあげる人が多いが、この瀬戸内さんの「源氏物語」だって、瀬戸内源氏といえるもので、彼女の思想に引きつけられている感があり、自分自身との隔絶を感じてしまう。
 こんなことをしていたら、いつまでたっても「源氏物語」の劇作はできないぞ!
 そう思ってきょうは、源氏関連の読みかけの書物をすべて図書館に返した。
 今、わたしの手元にあるのは、
 紫式部の「源氏物語」「紫式部日記」「紫式部集」、それに「大鏡」と「栄花物語」だけだ。
 この五つの書物だけを参考にして劇作をすすめる。
 物語の骨格はできあがっている。全部で3部作で、1部がホワイト編、2部がグレー編、3部がブラック編だ。1部のホワイト編は「母なる物語―藤壺物語」と題名も決まっているが、それをどのような形式で書いていくかがまだ決まらない。
 人間の思考というものは、順序よくいかないもので、1部を考えているのに、3部のブラック編の幕開きを思いついたりする。
 ・・・・・・まあ、この5冊の参考図書を手垢で汚れるほど、いや擦り切れるほど読むことだな。それ以外の打開策はないのだから。そう、フーコーのいうように、夢見るほどに読むことだ。 

2007年4月9日(月)

 桜の花が咲くと、精神を入れ替えて新たな出発をしようという気持ちが湧く。大学時代の杉並の桜並木がそうで、今なおこの気持ちが変わらないことに幸せを感じる。
 3月末からウェブで書き下ろし劇場『紫式部考』をはじめて順調にすべりだしたと思っていたら、福岡支社のホームページもリニューアルすることになり、またその仕事に今追われている。演劇人の性で、新しいものを創造することにはなんの苦痛も感じないが、流れ作業の機械的な仕事はどうも苦手だ。福岡の250名におよぶタレントのプロフィールを、送られてきたエクセルデータからコピー&ペーストするだけの仕事だが、この作業をしていると、「この4月から広島のテレビ局の番組でレギュラー出演をする俳優のオフィシャルサイトを作ってやろう」とか「源氏物語を十二単を着させないで演じさせるにはどうすればいいのだろう?」とか、「源氏物語はホワイト・グレー・ブラックの三部作にしよう」とか、さまざまな想念が駆け巡る。困ったもんだ。
 とにかく今、紫式部にはまっている。彼女、そう私にとっては紫式部はすでに彼女になっていて、彼女と対話しない日はない。
 いったい彼女のなににはまっているのかって?
 それは文体だ。紫式部の文体は、清少納言のように簡単明瞭ではない。現象を怜悧なメスでさっと切り取るのではなく、Aという現象を示したと思うと、必ずマイナスAという現象も示すのが特徴だ。
 例えば今盛りの桜なら・・・・・・・
 桜の花は美しいよね、だけど、すぐに散ってしまうのね、でも来年にはまた咲くのだからいいわよ、でも、このわたしときたら老いていくだけ・・・・・・(ああ、早く死にたい!)
 なんて文章を書く。言うまでもなく紫式部は日記で「早く死にたい」なんては書いていないけど、わたしが読むと、「つねに彼女は死を意識しているな」と思えてしまう。
 この紫式部の「死」の謎を解けば、日本の女性の未来像が浮かび上がってくるかも。
 これはわたしの勝手な思い込みだが、「源氏物語」には未来にまで引き伸ばせる魂(スピリット)がある。 
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