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三澤憲治の演出日記
◇俳優歴13年、演出歴20年の広島で活動する演出家、三澤憲治の演出日記 三澤憲治プロフィール
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2007年2月17日(土)

 N・A・C(本社、東京、大阪、仙台)のホームページベースの作成を終えた。これからは各地区の情報をリアルタイムにアップしていくのみだ。
 やっと自由な時間が持てて、広島の仕事に集中できるようになり、今大忙しで1997年に上演した「はてしない物語」のテキスト化をしている。「なにをいまさら」という半畳が入るかもしれないが、ずいぶん昔のことだから、その頃はマイクロソフトのワードは使っていなくて、データが残っていなかったからだ。わたしとしては、「演劇の世界」の台本サイトは、過去の作品をすんなりアップして、このサイトですぐにも新作「源氏物語」の書き下ろしに入っていくつもりだった。ところがデータが保存されていなく、台本しか残っていない。仕方なく手打ちとなり、わたしの新作への取り組みはしばらくおあずけとなった。
 およそ10年ぶりに「はてしない物語」を読んでゆくと、この物語は現在も色褪せていないことに気づく。10年前は、演出ばかりが社会の深刻な現状に憂え、一般の人はそれほど切実に考えてはいなかったかもしれない。ところが、10年も経つと、日本の現状は「はてしない物語」という物語の現実に近づいてしまい、いやそればかりか完全に合致してしまい、それこそ物語のテーマである〈無〉が日本中を蔓延してしまってるのだ。ミヒャエル・エンデは先見の明があったのだ。
 今こそ「はてしない物語」を上演しなければいけない。
 温故知新。こんな意味もこめて、復刻連載をしている。それと、過去を清算しないと、つぎの新作に取りかかれないという自分の性癖もあるが・・・・・・。これは自分で言うのもおかしいが、つまらない性癖である。天才はけっしてこんなことはしない。凡才ゆえの性癖である。思えば、「ガラスの家族」「リア王」「はてしない物語」「十二夜」と、それぞれの作品において、何度も何度も過去を清算したな・・・・・・いや待てよ、ごく最近ではホームページ制作においても繰り返し過去を清算したな・・・・・・・いやはや、われながらこの性癖には厭きれてしまう。

2007年2月6日(火)

 日曜のレッスンのとき、イキのいいレッスン生が写真を撮ってきたから、ホームページに載せてくれという。見ると、野球のグローブを片手にして、斜に構えて睨みつけている。理由をきくと、「高校時代に野球をやっていて、このグローブにはとても愛着があり、自分の相棒といえるものなんだから」という。思わず笑ってしまったが、「こんな写真は載せられない」とつっかえした。
 タレントのホームページ上の写真は、まず顔を覚えてもらうことが先決だ。正々堂々と正面から自分のありのままの姿を撮ってくればいい。売れてもいないのに斜に構えて撮った写真などだれも注目してくれないし、失笑を買うばかりだ。
 タレントや俳優はよく勘違いをする。昔、ある女の子に広島のホームページ上の公式サイトをつくってあげようと、プロフィールを持ってくるように言ったところ、持ってきたプロフィールはまるでスター気取りのものだった。特技や趣味はがまんできるが、好きな食べ物は・・・・・・・・、嫌いな食べ物は・・・・・・ときた。どこのだれが売れてもいないタレントや俳優の嗜好など問題にするのだ。いや、たとえ売れていても、「あっ、そう!」で終わってしまう。
 例えば、ある人が「わたしの嫌いな食べ物はアボガドです(注:筆者は大好きです)」と公で言ったとしよう。すると、アボガドが好きな人、アボガドを作っている人、アボガドを生産している国はいうまでもなく、アボガドを扱っているスーパーや寿司屋さんまで顰蹙を買ってしまうだろう。つまり、世界全体を敵にまわしてしまうのだ。
 今、国会で、「女は産む機械」だと言ってある大臣が世間を敵にまわしている。テレビのいろんな見識者がさまざまなことを言っているが、わたしのような演劇人が言えることはただひと言。
 「この大臣は一度も女性を愛さなかったんだな」と、それだけだ。後は罷免しようが辞任しようが、好きにやってよ、だ。芸能家が政治に口出しするわけにはいかない。
 口出しで思い出したが、わたしがかなり気に入っていたあるお笑いタレントが、最近かれの持ち芸を越えて、政治にチョッカイを出している。よせばいいのに・・・・・・それはもう聞くにたえられない声でがなり立て、首に青筋を立て、口を尖らせてしゃべっている。よせばいいのに・・・・・・そんなことをしていたら、それこそ厚労大臣のように、「この人は一度も芸を愛さなかったんだな」と言われてしまうよ。
 寄り道にそれた。さっきの写真のことだが、正月にテレビのある番組で、プロとアマのカメラマンが撮った写真を芸能人に見せて、どっちがプロが撮った写真かを判定させる番組があった。南海キャンディーズのしずちゃんが被写体になっていたが、たしかだれも当らなかったと思う。おそらくプロが撮った写真が当たり前の写真のように見えたからであろう。唖然とする芸能人にプロのカメラマンは、はっきりこう言った。
 「しずちゃんは売れていません。売れていな人は、構図に凝ったりした奇をてらった写真ではなく、だれが見ても顔や体型がはっきりわかる写真でないといけません」
 まさしく的を得ている。
 このことでまた思い出すのが、演出家の蜷川幸雄のホームページだ。かれは日本を代表する超売れっ子の演出家だ。かれのトップページは、かれが後ろ向きで寝ころがっている写真が使われている。後ろ向きでも演劇関係者ならそれが蜷川幸雄だとすぐにわかる。なぜならかれは名前と顔が一致する日本の数少ない演出家の一人だからだ。かれなら後ろ向きでも許される。蛇足だが、この後ろ向きにはかれの演劇ポリシーが隠されていると思う。想像するとこうだ。
 「おれのホームページ? 必要ねえよ。演劇は観てきてもらってなんぼの世界だよ。過去のおれの仕事なんてゴミだよ。おれは未来にしか興味ねえよ。どうしても作る? なら、勝手に作れば! おれは知らないよ」
 演劇人特有の逸脱が過ぎたようだ。きょうはこのぐらいにしておこう。 

2007年2月5日(月)

 「インターネットはテキストが要である」ということは十分承知していたがビジュアル重視のホームページを作ってしまった。広告会社の先輩から「検索エンジンにひっかからないよ」と忠告を受け、調べてみたところ、ひっかかりが悪い。「これではいけない」と急遽修正ということになった。
 なぜこんなビジュアル重視のホームページを作ったかというと、それは私自身の演劇的な習性による。いうまでもなく、演出をする場合、舞台上のビジュアル性を重視する。縦横、高低の空間性を考え、登場人物を配置する。この習性によって、ついつい見た目のビジュアル性にこだわってしまい、SEO(検索エンジンの最適化)にかなわないホームページになってしまっていたのだ。
 そこで、とにかくウェブ本来のテキストを重視する、という視点に立ち戻り、広島のホームページから改造することにした。
 まず、ウェブページのHTMLコーデイングやサイト構造の見直しを行い、各ページに新たなテキストを書き加え、不必要な画像はテキストに変え、どうしても必要な画像には代替テキストをつけてアクセシビリティを万全にし、サイトマップも検索エンジンにわかりやすいように構築しなおした。
 思えば数百回の、いや数千回かな? コピー&ペーストの連続!
 やっときょう広島のホームページは完成した。
 これで、ある程度のビジュアル性を保持しながら、なおかつテキストを重視しているというホームページになったので、わたしとしては満足している。たとえGoogleのページランクがあがらなくても、やるだけのことはやったのだから・・・・・・。
 嗚呼、つぎは大阪と仙台と東京だ! 
 当分この作業に費やされてしまい、演劇創作はおあずけだ、
 だが、このホームページの修練が、きっと後になって、わたしに多大な演劇的効果を与えてくれるだろう!
 心の中はすでに着火した!
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