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近松門左衛門 『出世景清』(しゅっせかげきよ)
『出世景清』の中心的な思想は、ふたつある。
@ 景清の儒教的な思想
六波羅が景清を捕えるために、景清にとって恩義のある小野の大宮司父娘をとらえて酷いあつかいをして景清をおびき出そうとする。
これに対し景清は、恩義ある大宮司を犠牲にして落ちのびることはできない、と自分から名乗り出て捕らえられる。この人間関係と景清の心におこる葛藤は、あくまでも儒教的なものである。
A 阿古屋の近世的倫理
景清の馴染んだ遊女阿古屋は、小野の姫から景清へきた手紙をみて、嫉妬にかられて動揺し、兄の十蔵からそそのかされて景清を訴人する。この阿古屋の〈嫉妬〉は、〈心中立て〉の裏面にある倫理(反倫理)であり、近世下層町民社会の現実的な煉獄の逆立した宗教倫理のすがたである。
こういう景清と阿古屋の思想の対立を、近松は極限の状況にまで劇を引っ張ってゆく。
阿古屋は自首して入牢した景清に詫びても詫びても許されないので、景清の面前で、じぶんが生んだ景清の子を殺し、じぶんも自害してしまう。
なう、もはや長らへて何方(いづかた)へ帰らうぞ・やれ子供よ、母が誤りたればこそ、かく詫(わ)び言(こと)いたせども・つれなき父御(ちちご)の言葉を聞いたか・親や夫(をつと)に敵と思はれ、おぬしらとても生き甲斐(がひ)なし・このうへは父親(てておや)持つたと思ふな。母ばかりが子なるぞや・自らも長らへて非道のうき名流さんこと、未来をかけて情けなや・いざもろともに死出(しで)の山にて言訳せよ・いかに景清殿・わらはが心底(しんてい)これまでなり
と・弥石を引き寄せ、守り刀をずはと抜き・
南無阿弥陀仏
と刺し通せば、弥若驚き、声を立て・
いやいや我は母さまの子ではなし・父上、助け給へや
と・牢の格子へ顔をさし入れさし入れ逃げ歩(あり)く・
エゝ卑怯なり
と引き寄すれば、
わつ
と言うて手を合せ・
許してたべ。堪(こら)へてたべ・明日からはおとなしう月代(さかやき)も剃(そ)り申さん・灸(やいと)をもすゑませう・さても邪見(じやけん)の母上さまや・助けてたべ、父上さま
と、スヱテ息をはかりに泣きわめく・
オオ理りよ。さりながら・殺す母は殺さいで、助くる父御(ちちご) の殺さるゝぞ・あれ見よ。兄もおとなしう死したれば・おことや母も死なでは父への言訳なし・いとしい者よ、よう聞け
と・勧め給へば、聞き入れて、
あ、それならば死にませう・父上さらば
と言ひ捨てて・兄が死骸(しがい)に寄りかゝり、打ち仰(あふ)のきし顔を見て、いづくに刀を立つべきぞと・阿古屋は目もくれ、手もなえて、フシまろび・伏して嘆きしが・
エヽ今はかなふまじ。必ず前世(ぜんぜ)の約束と思ひ、母ばし恨むるな・おつつけ行(ゆ)くぞ。南無阿弥陀
と、心もとを刺し通し・
さあ今は恨みを晴らし給へ。迎へ給へ。御仏(みほとけ)
と・刀を咽(のど)に押し当て、兄弟が死骸の上にかつばと伏し・共に空しくなり給ふ、フシさても是非なき風情なり・ 景清は身をもだえ、泣けど叫べど甲斐ぞなき・
神や仏はなき世かの。さりとては許してくれよ・やれ兄弟よ、我が妻よ
と、鬼をあざむく景清も・スヱテ声を上げてぞ泣きゐたり・
このように阿古屋は、壮大な悲劇の思想を背負って死ぬのではない。儒教的な倫理を背負って動かない景清の理念に追いつめられて、いわば仕方なしに子供を殺して死ぬ。景清の持っている倫理を認めてそれに服従して死ぬのではなく、
「殺す母は殺さいで、助くる父御の殺さるゝぞ」
と卑小に恨みがましく死んでゆくが、この卑小さは景清の儒教的倫理と葛藤して勝利している、というふうに描かれている。
近松の優れている点は、まさにこの卑小さの倫理を普遍性としてとらえ、これが近世の人間関係にとって本質的であり重要なのだということを描ききった点にある。
世阿弥の謡曲から近松の浄瑠璃を読み進めてゆくと、ある変化に気づく。それは世阿弥の謡曲にくらべ近松の浄瑠璃がずいぶん読みやすくなったということだ。近松の浄瑠璃は、演じられる姿や、謡い、俗謡、鳴り物の音曲を想定しないでも、劇としてちゃんと読めるのだ。
例えば最終場面の景清が自らの眼をえぐって盲目となるところなど、登場人物たちの息づかいまでが伝わってくる。
かくて我が君御座を立たせ給ひければ・大名小名続いて座をぞ立ち給ふ・景清君の御後ろ姿をつくづくと見て・腰の刀するりと抜き、一文字に飛びかゝる・各々これはと気色を変へ、太刀の柄に手をかくれば・景清しさつて刀を捨て・五体を投げうち、涙を流し・
ハツア南無三宝、あさましや・いづれも聞いて給はれ・かくありがたき御恩賞を受けながら・凡夫心の悲しさは昔に返る恨みの一念・御姿を見申せば、主君の敵なるものをと・当座の御恩ははや忘れ、尾籠の振舞、面目なや・まつぴら御免を蒙らん・まことに人の習ひにて心にまかせぬ人心・今より後も我と我が身をいさむるとも・君を拝む度毎に、よもこの所存は止み申さず・かへつて仇とやなり申さん・とかくこの両眼のある故なれば、今より君を見ぬやうに
と・言ひもあへず差し添へ抜き、両の目玉をくり出だし・御前に差し上げて、スヱテ頭をうなたれゐたりけり・
これを現在の台本形式にしてみると・・・・・・
源頼朝席を立つ。大名小名も続いて席を立つ。景清深々と下げていた頭を上げ、頼朝の後姿をつくづくと見る。突然、景清は刀を抜き、頼朝に飛びかかる。一同は顔色を変え、太刀の柄をつかんで身構える。間。景清は刀を捨て、体を投げ出す。景清は涙ながらに
景清 おお、なんというあさましさ、過分の恩賞を受けながら、悲しいのは・・・消しても消しても・・・消えない昔の恨み・・・お姿を見れば主君の敵と思い出し・・・さっきのご恩を忘れて・・・無礼なことを・・・お許しください・・・まことにままならないのが人の心・・・今後も頼朝様を見るたび、恨みの気持おさまらず、かえって仇となってしまう・・・それもこの目があるため・・・なら、二度と見えないように・・・
景清はそういうやいなや、脇差を抜いて両の目玉をえぐる。一同、景清の挙動を唖然として見る。景清は両眼を頼朝に差し出す。
近松の浄瑠璃は人形劇だ。今ここでわたしが試みた台本は、人間が演じることを想定している。近松の浄瑠璃にはこういう「人間の劇にしたい」という意欲をそそるところがある。 |
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