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世阿弥 『清経』(きよつね)
シテ 清経
ツレ 清経の妻
ワキ 清経の遺臣、粟津の三郎
@まず、狂言とおなじように、ワキである粟津の三郎が名乗りをあげ、主君左中将清経の形見の髪の毛をもって都へ上るところから、劇がはじまる。
いうまでもなく狂言とちがって〈道行〉が挿入されるが、この〈道行き〉は〈地〉とともに、劇的な言語帯のなかにはいってきている日記文学の遺制を語っている。劇的言語帯にはいってくる物語性は、日記物語と説話物語のほかにはない。
A続いて、ツレとして清経の妻が登場し、形見をまえにしてワキとのやりとりがはじまる。
Bそして、ツレの嘆きのなかの夢に、シテ清経があらわれる。この段階にある能では、シテは亡霊、夢幻としてかならず登場する。おそらく『清経』は、この段階の能としては原初的な構成をしめしているので、おおくは〈間〉の場面として、別個の人物が登場してワキとの問答の形で清経の亡死の由来をかたるのだが、このばあいシテ自身が、合戦の由来を、〈地〉との掛け合いのうちに行う。
C終幕でツレとシテとの問答のうちに、水底に投身して死亡した清経が仏果を得て成仏している次第が語られ、劇は終わる。
この『清経』にあらわれた劇の構成は、狂言からの上昇としては、いちばん初原的なものである。
@まずワキの名乗りからはじまり
Aツレとの問答があり
Bツレの夢想のうちにシテの亡霊があらわれて、死までの由来を語り
Cそののちに終幕のシテの成仏の次第がくる。
この形が、さらに能の構成としてととのっていくと、
@ワキがまず登場して道行の次第をかたり
A前シテ (じつは後シテの化身である現実的人間) と出会い、問答のすえに
B〈間〉の場面があってワキまたは別人の掛け合いの形で、由緒譚が語られ
Cつぎに後シテの亡霊が、現実的人間のようにあらわれて物語りし、いまは成仏している次第が語られて劇は終わる
この段階で注目すべきなのは、シテが、前シテと後シテとに分裂し、そのあいだに〈間〉の場面が由緒譚としてはさまれることである。そして、前シテはふつうの人物の形で登場するが、じつはシテの化身であり、後シテは、シテの現存していた時代の現実的人間 (その時代に逆行した) としてあらわれるが、じつはシテの化身ではなく亡霊をそのまま登場させることである。
このような構成が、シテの逆立した転換としてあらわれてはじめて、劇的時間が物語的時間と異質なものとして成立することになる。
それは、〈言語としての劇〉という規定のうえでは、けっして逆行することができない時間だが、劇が〈演じられる劇〉をもふくむ総体性をもつことによってはじめて成り立つ逆行可能な時間である。しかしそのためには、ふつうの人間としてシテが登場するときは、過去のシテの化身であり、逆行したシテ自身として登場するときは亡霊であるという逆立した矛盾をさけることができなかったのである。 |
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