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近松門左衛門 『曽根崎心中』(そねざきしんじゅう)
近松の優れている点は、人間の些細な行為を普遍性としてとらえ、これが近世の人間関係にとって本質的で重要だということを描ききった点にある。
『曽根崎心中』でも、徳兵衛が金を主人に返しさえすれば、気にいらない養子縁組をやめて、馴染みの遊女お初と別れなくてもすむのに、その金を友人の九平次に泣きつかれて貸し、踏みたおされるという些細なことが発端で、それがお初との心中にまで発展する。取り返しのきかないことは、ただ友人だとおもって金を貸した相手の九平次が、紛失届をすんだ印で証文をつくり、それをたてにして返済しようとしなかった、という点だけにある。
この些細なきっかけを心中という頂点まで引っ張ってゆく劇作法は、近松の専売特許である。
さて、『曽根崎心中』は、遊女お初が天満屋に忍んできた徳兵衛をうちかけの裾に隠し、徳兵衛がお初の足先に死の覚悟を伝えるシーンが圧巻である。原文は台詞も語りもつなげて書いてあるが、わかりやすいように登場人物のセリフと語りに書き換えた。
語り かゝる所へ九平次は、悪口(わるくち)仲間二、三人・座頭まじくら、どつと来り・
悪口仲間 ヤア娼(よね)様(さま)たち、淋しさうにござる・
九平次 なにと客になつてやらうかい・なんと亭主、久しいの
語り と・のさばり上がれば、「それ煙草盆、」「お杯(さかづき)」と・ありべかゝりに立ち騒ぐ・
九平次 イヤ酒はおきや、飲んできた・さて話すことがある・これのはつが一客(いちきやく)、平野屋の徳兵衛めが・身が落した印判拾ひ・二貫目の偽手形で騙(かた)らうとしたれども・理屈に詰つて・挙句には・死なずがひな目にあうて・一分(いちぶん)はすたつた・向後(きやうこう)こゝらへ来(きた)るとも、油断しやるな・皆にかう語るのも、徳兵衛めがうせ、まつかいさまに言ふとても・かならずまことにしやるなや・寄せることもいらぬもの。どうで野(の)江(え)か飛田(とびた)もの
語り と、まことしやかに言ひちらす・ 縁の下には歯を食ひしばり、身を震はして腹を立つるを・はつはこれを知らせじと、足の先にて押し鎮め・押へ鎮めし神妙(しんべう)
さ。
亭主は久しい客のこと・善し悪しの返答なく・
亭主 さらばなんぞお吸ひ物
語り と、まぎらかしてぞ立ちにける・
はつは涙にくれながら、
初 さのみ利根(りこん)に言はぬもの・徳様の御(おん) 事(こと)、幾年(いくとし)馴染み、心根を明かし明かせし仲なるが・それはそれはいとしぼげに、微塵(みじん)訳は悪うなし・頼もしだてが身のひしで、
騙されさんしたものなれども・証拠なければ、理も立たず・この上は、徳様も死なねばならぬしななるが・死ぬる覚悟が聞きたい
語り と、独り言になぞらへて・足で問へば、うちうなづき・足首取つて、喉(のど)笛(ぶえ)なで・自害するとぞ知らせける・
初 オヽ、そのはずそのはず・いつまで生きても同じこと・死んで恥 をすゝがいでは
語り と言へば、九平次ぎよつとして・
九平次 おはつは何を 言はるゝぞ・なんの徳兵衛が死ぬるものぞ・もしまた死んだら、 その後(あと)は・おれがねんごろしてやらう・そなたもおれに惚れて ぢやげな
語り と言へば・
初 こりや忝(かたじけな)かろわいの・わしとねんごろさあんすと、こなたも殺すが、合点(がつてん)か・徳様に離れて、片時も生きてゐようか・そこな九平次のどうずりめ・阿呆(あはう)口(ぐち)をたゝいて、人が聞いても不審(ふしん)が立つ・どうで徳様、一所に死ぬる、わしも一所に死ぬるぞやいの
語り と・足にて突けば、縁の下には涙を流し・足を取つて、おしいたゞき・膝に抱き付き、焦がれ泣き。女も色に包みかね・互ひに物は言はねども・肝(きも)と肝とにこたへつゝ、しめり・泣きにぞ泣きゐたる・
さて、近松の作品を場面を支えているのが官能的な美しさがある語りの名文である。この近松の名文を無意識の領域にまで取り込む(つまり、近松の言葉を何度も何度も復唱し、この韻律を身体に染み込ませる)ことが、現在を演じる俳優にとっても必要である。それでは、『曽根崎心中』の名文を・・・。
語り この世のなごり・夜もなごり・死にに行く身をたとふれば、あだしが原の道の霜・一足づゝに消えてゆく・夢の夢こそあはれなれ・あれ数ふれば、暁の・七つの時が六つ鳴りて、残る一つが今生の・鐘の響きの聞き納め・寂滅為楽と響くなり・鐘ばかりかは・草も木も・空もなごりと見上ぐれば・雲心なき、水の音、北斗は冴えて影映る、星の妹背の天の川・梅田の橋を鵠の橋と契りて、いつまでも・我とそなたは女夫星・かならずさうと縋り寄り・二人がなかに降る涙、川の水嵩も増さるべし・
(中略)
初 いつまで言うて詮もなし・はやはや、殺して殺して
語り と、最期を急げば、
徳兵衛 心得たり
語り と・脇差するりと抜き放し・
徳兵衛 サアたゞ今ぞ・南無阿弥陀 南無阿弥陀
語り と・言へども、さすがこの年月、いとし、かはいと締めて寝し・肌に刃が当てられうかと・眼もくらみ、手も震ひ、弱る心を引き直し・取り直してもなほ震ひ、突くとはすれど、切先は・あなたへはづれ、こなたへそれ・二、三度ひらめく剣の刃・あつとばかりに喉笛に・ぐつと通るが、
徳兵衛 南無阿弥陀・南無阿弥陀、南無阿弥陀仏
語り と・刳(えぐ)り通し、刳り通す腕先も・弱るを見れば、両手を伸ベ・断末魔の四苦八苦・あはれと 言ふもあまりあり・
徳兵衛 我とても遅れうか、息は一度に引き取らん
語り と・剃刀取つて喉 に突き立て・柄(つか)も折れよ、刃も砕けと、抉(ゑぐ)り・くりくり目もく るめき・苦しむ息も暁の、知(ち)死期(しご)につれて絶えはてたり・ |
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