THE WORLD OF THE DRAMA 演劇の世界
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三島由紀夫 『卒塔婆小町』(そとばこまち)

 オペレッタ風の極めて俗悪且つ常套的な舞台。
 と作者がト書きで指定してるように、現実は俗悪と規定される。公園、ベンチ、恋人同士、街燈は、現実の俗悪な材料でしかない。劇の登場人物も俗悪の象徴で、老婆は煙草の吸い殻を吸う見るもいまわしき乞食であり、詩人は酔っ払いだ。
 原典での老婆と高僧との〈卒塔婆〉問答(形と心、善と悪、煩悩と菩提、仏と衆生)は、つぎのように改変される。

詩人 だからよ、僕はいつもこのベンチを侵略しない。お婆さんや僕がこいつを占領しているあいだ、このベンチはつまらない木の椅子さ。あの人たち(筆者註・恋人たち)が坐れば、このベンチは思い出にもなる、火花を散らして人が生きている温かみで、ソファーよりもっと温かくなる。このベンチが生きてくるんだ。・・・・・・お婆さんがそうして坐ってると、こいつはお墓みたいに冷たくなる。卒塔婆で作ったベンチみたいだ。それが僕にはたまらないんだ。
老婆 ふん、あんたは若くて、能なしで、まだ物を見る目がないんだね。あいつらの、あの鼻垂れ小僧とおきゃん共の坐っているベンチが生きている? よしとくれ。あいつらこそお墓の上で乳繰り合っていやがるんだよ。ごらん、青葉のかげを透かす燈りで、あいつらの顔がまっ蒼にみえる。男も女も目をつぶっている。そら、あいつらは死人に見えやしないかい。ああやってるあいだ、あいつらは死んでるんだ。 (クンクンあたりを嗅ぎながら) なるほど花の匂いがするね。夜は花壇の花がよく匂う。まるでお棺の中みたいだ。花の匂いに埋まって、とんとあいつらは仏さまだよ。・・・・・・生きてるのは、あんた、こちらさまだよ。
詩人 (笑う) 冗談いうない。お婆さんがあいつらより生きがいいって?
老婆 そうともさ、九十九年生きていて、まだこのとおりぴんしゃんしてるんだもの。
詩人 九十九年?
老婆 (街燈の明りに顔を向けて) よく見てごらん。
詩人 ああ、おそろしい皺だ。

 詩人は、九十九才の老婆に素性を問いかける。

老婆 むかし小町といわれた女さ。
詩人 え?
老婆 私を美しいと云った男はみんな死んじまった。だから、今じゃ私はこう考える、私を美しいと云う男は、みんなきっと死ぬんだと。

 詩人は老婆に、八十年前の話をしてくれと頼む。 ここで作者は原典と同じように、小野小町と深草の少将の伝説(少将は九十九夜で病に倒れ、百夜通いを実行せず死んだ)を現代化し、俗悪なる現実から、美と愛に溢れた幻想の世界へメタモルフォーズさせる。夜の公園は、明治時代の鹿鳴館の美しい庭に変身する。 老婆はかつての美しい小町となって、詩人と一緒にワルツを踊る。詩人は次第に不思議な恍惚にとらわれていき、

詩人 きいて下さい、何時間かのちに、いや、何分かのちに、この世にありえないような一瞬間が来る。そのとき、真夜中にお天道さまがかがやきだす。大きな船が帆にいっぱい風をはらんで、街のまんなかへ上って来る。僕は子供のころ、どういうものか、よくそんな夢を見たことがあるんです。大き帆船が庭の中へ入って来る。庭樹が海のようにざわめき出す。帆桁には小鳥たちがいっぱいとまる。・・・・・・僕は夢の中でこう思った、うれしくて、心臓が今とまりそうだ・・・・・・。

 と告げる。そして、詩人はとうとう老婆の制止を振り切って、禁断の言葉を吐いてしまう。
詩人 さあ、僕は言うよ。
老婆 言わないで。おねがいだから。
詩人 今その瞬間が来たんだ、九十九夜、九十九年、僕たちが待っていた瞬間が。
老婆 ああ、あなたの目がきらきらしてきた。およしなさい、およしなさい。
詩人 言うよ。・・・・・・小町、(小町手をとられて慄えている) 君は美しい。世界中でいちばん美しい。一万年たったって、君の美しさは衰えやしない。
老婆 そんなことを言って後悔しないの。
詩人 後悔しない。
老婆 ああ、あなたは莫迦だ。眉のあいだに死相がもう浮んできた。
詩人 僕だって、死にたくない。
老婆 あんなに止めたのに・・・・・・。
詩人 手足が冷たくなった。・・・・・・僕は又きっと君に会うだろう、百年もすれば、おんなじところで・・・・・・。
老婆 もう百年!

 詩人は、たった一瞬の至福のために、恍惚と歓喜のうちに死んでゆく。じぶんの命と引き換えにしか得られない官能。いかにも三島的な選択である。 最後は、原典の老婆が仏道に入るのに対し、三島の小町は、百年待つ運命である。
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