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秋元松代 『常陸坊海尊』(ひたちぼうかいそん)
戯曲というものは、登場人物の台詞に劇作家の文体が反映されているものだが、特にこの『常陸坊海尊』は東北方言が使用されているので、重要な台詞はそのまま踏襲し、場ごとの梗概を記しながら解釈していくことにする。
第一幕
(その一)
まっ暗な山の中。十月の夜。 戦時下、先生と旅籠(寿屋)の主人が、学童疎開児の伊藤豊と安田啓太を探しにやってくるが見つからない。 二人が去った後、当の本人たちが出てくる。豊が反対の方向に逃げようとすると、啓太は
「伊藤君。、ぼく、腹がいたい―。ぼく、東京へかえりたい―お母さあん―」
と言って泣き出す。二人が途方にくれていると、十四、五歳の美しい雪乃が現れ、
「腹が減ってるなら、海尊さまを呼べばいい」
と言う。二人が言われたとおりに、
「かいそんさまあ!」
と念じると、雪乃は笑って、
「よす。それでよす。ならばおらが、にぎりめすをば持ってきてやるけえ、待ってろや。そのくらがりさ、へえって待つんじゃ。ふん! おとなすく待っとれや―」
と言って走り去る。 ほう! ほう! とふくろうが啼く声にあわせて、いたこのおばばがくる。 いたことは霊の口寄せをする霊媒師で青森県恐山のいたこが有名である。
おばばは海尊さまにはじめて会った時の神秘体験を語る。
「さても武蔵坊弁慶がその日の装束(そうぞく)は、黒革縅(くろかわおどす)のよろいに黄なる蝶を二つ三つ打ちつけたるを著(き)て、大薙刀の真ん中にぎり、片岡の八郎、鈴木の兄弟、鷲尾(わすお)の三郎、増尾(ましお)の十郎、伊勢の三郎、備前の平四郎、以上の七騎を従えたり。すかるに常陸坊海尊を初めとすて残り十一人の者ども、判官(ほうがん)義経公を見限り奉りて」
このおばばの声に山伏修験道の登仙坊が声を合わせてやってくる。
「平泉の御館(おんやかた)を見捨て、いずくともなく逃げ失せにけり、いずくともなく逃げ失せにけり」
登仙坊はおばばの肌が忘れられないで冬の間泊めてもらうためにやってきたのだが、おばばは銭を払わないものは泊めてやらないと言って去って行く。 登仙坊は、
「海尊さま! どうすたもんでがんしょう。わすに智慧をば授けてもれえてえす」
と泣きながら途方にくれるが、豊と啓太は運悪くこの登仙坊に見つかってしまう。登仙坊は豊と啓太を麓の温泉宿を送り届けてやろうとすると、豊と啓太が、
「いやだ! かいそんさまを待ってるんだ」
「かいそんさまあ!」
と言うので、不審に思って問いただすと、二人が言う「かいそんさま」とは雪乃であることがわかる。登仙坊は
「ならばのう、銭んこを持ってこいや。すたらいつでも会わるるど」
と言って二人をおばばの家に連れて行く。
(その二)
山陰のおばばの家。 戦闘帽の若い工員がおばはの占いが当らなかったから銭を返せと文句を言う。おばばは悠然と、
「占いというもんはのう、頼むほうも頼まれるほうも、心のまことが一つにならねば、神様はお下りなさらんのじゃ。当る占いがすてもれえてえならば、もう一度はあ、心を入れけえて来なせえ」
と言って工員たちを体よく追い返してしまう。
豊と啓太が現れる。啓太は登仙坊に言われたように雪乃にお守袋に入っている十円を渡す。豊も上着の裾を噛み切って十円札を渡す。雪乃は二人が
「かいそんさま―」
とじぶんのことを呼ぶので、ほんとうの「海尊さま」を見せてやる気になる。 雪乃は押入れから三尺四方ぐらいの黒びかりのする古い木箱を引き出す。箱の中には、枯木色の猿のようなミイラが坐っている。金欄色の帽子と袈裟をかけている。少年たち不思議そうにのぞく。
そこへ「雪乃―」とおばばの声がするので、雪乃は慌てて箱を戸棚に押しこみ、少年たちを押入れに隠す。
登仙坊とおばばが登場する。登仙坊はなおもおばばに宿泊を懇願するがおばばはせせら笑い、
「だめじゃわ。あんたをば養うておっては、わすと雪乃が餓(かつ)えて死にすよ。わすの血筋が絶えてしもうたら、海尊さまに申すわけが立ち申さんでのう。わすは海尊さまの家内で、雪乃は孫じゃ。なんとすても餓えて死ぬわけには行かんすけえ、どうでもあんたがこごさ、おりてえとなら、ミイラ行についてもらうほかねえす」
と登仙坊にミイラ行につくことをすすめ、海尊がミイラ行についた実際を語る。
「あれはなあ、この東北一帯が、ひどおい凶作をば蒙った年じゃった。冬中はぬくぬくと温(ぬく)とうて、春からは急に寒うなった。五月になっても、まんだ綿入れをば着ておったす。六月には霜がおり、みぞれが降ったぞえ。七月からは長雨じゃ。降って降って、天の底が抜けよったかと思うたわ。六十六日があいだ降り続けてのう、米麦はおろか、ヒエもアワも立ちぐされじゃ。百姓は娘をば色街へ売って、ようやっと食いつないだ。その時よ、海尊さまの言わすにはのう、
『わすは衆生済度のため、、ミイラにならねばなり申さん、えっく見守ってくれい』
と言わすてのう。足をばこう組んで、ずいっと西の方をば眺めたまま、念仏を唱えなされて、水一滴も口にはせられず、八十八日目にミイラとなられ申すたのじゃ」
登仙坊は
「ミイラになるよりゃ、旅に出た方がますじゃわい。あんたはその手にかけて、何人の男をば、ミイラにすたんじゃ。おそろす女(おなご)じゃよう」
と悪態をついて泣きながら去る。
おばばは脱ぎ捨ててある運動靴を不審に思い押入れをあけると、雪乃と少年たちを見つける。雪乃が二人からお金をもらったことを言うと、
「雪乃! お前は常陸坊海尊さまの孫娘でないがえ! 女というもんはのう、かかわりのある男衆から、銭んこ取るのはかまわねども、恵んでもろうは乞食の境涯じゃ。まんだわすらは乞食でねえわ」
と雪乃を叱り、お金は海尊さまの拝観料ということにする。雪乃はさつきの木箱を引き出し錫杖(しゃくじょう)をとる。おばばは少年たちにミイラの海尊を見せて、
「そもそも常陸坊海尊さまというお方は、源の九郎判官義経公のおん供をばすて、遥る遥る都からこの奥州へまいられたお人じや。さても判官義経公は、驕る平家を亡ぼし給い、今は頼朝義経ご兄弟のおん仲、日月(じつげつ)の如くご座あるべきを、言いかいなき者のざん言により、おん仲たがわせ給う。頃は文治の初めつ方、判官殿には武蔵坊弁慶を先達として、おのおの山伏の姿にさまを変え、いくかんなんを凌ぎつつ、この奥州路へくだられたのじゃ。志すところは平泉の、藤原秀衡がもとであった。そのおん供の中に、海尊さまもおわせられたのじゃ」
と常陸坊海尊のことを説明し、
「悲すいことや苦すいことがあったら、海導さまを心に念ずるんじゃ」
と諭す。豊が、
「でもどうして、海尊さまのミイラがおばあさんの家にあるの。源の義経はずうっと昔の人でしょう?」
と尋ねると、おばばは平然として、
「そうじゃ。ずうっと昔の人じゃ。今からざっと七百五十年ほど昔になろうわい。けど、なんの不思議があるというのじゃ。海尊さまは七百五十年があいだ、この世に生きてきたお方で、言うならば仙人じゃった。このわすが、この目でしかと見たのじゃ。あの頃わすは十八歳の若けえ娘であった。心も体も軽うて火のごと燃えておった。月の明るい、木の実の落ちる晩であったがのう、わすは月の光に誘い出されて、森の中をば歩いていた。するとあのお方が、黒い木立の奥から、すっくとわすの前へ姿をば現わすなされてのう」
と実体験を語り、場面は一瞬にして海尊との出会いのシーンに転換する。
海尊 (壮重に) それ本朝の昔を尋ぬれば、武勇といえども名をのみ聞きて目には見ず。 (琵琶) まのあたりに芸を世にほどこし、目をおどろかせ給いしは、下野(しもつけ)の左馬頭(さまのかみ)義朝が末の子、九郎義経とて、わが朝にならびなき名将軍にておわしけり。 (琵琶)
おばば (十八歳) あなたさまは、どなたすな。
海尊 おお。わすの名か。わすは常陸坊海尊が成れの果てじゃ。おばば ええっ! ならばあの名高けえ海尊さまとは、あなたのことすか。
海尊 おお。わすの名をば知っておるすか。
おばば へえ。おかかの寝物語にえっぐきいておったす。けどお顔をば見るは今が初めて―。
海尊 それはそれは―。いや、面目もねえ身の果てじゃ。まんず聞いて下されえ。この常陸坊海尊は、臆病至極の卑怯者じゃった。衣川の合戦の折り、このわすは主君義経公をば見捨て、わが身の命が惜すいばっかりに、戦場をば逃げ出すてすもうたのす。戦がおそろすうてかなわん。死ぬことがおそろすうてかなわん。それでわすは義経公を裏切り、命からがら逃げ失せたのじゃ。
おばば やあれ、恥ず知らずのことをばのう。そらアこの上もねえ卑怯未練というもんす。
海尊 んだす。じゃけえ、わすは、逃げ失せはすたものの、ああ! 済まねえことをばすた、わりいことをばすたと、われとわが身を悔んでおるすが、どうにもならねえのは、われとわが罪深え心のありようじゃ。わすはそん時から七百五十年、おのれが罪に涙をば流すつづけ、かように罪をば懺悔すながら、町々村々をさまようておるす。
おばば えっく分るす。人というは、誰れも彼もはあ生れる前(めえ)から、罪深けえ心をば持って生るるもんじゃと聞いておるす。わすらはみいんな罪ば作らねば、生きておられんもんじゃと聞いたす。
海尊 んだす。その通りだす。けどこの海尊の罪に比ぶれば、世の人々は、清い清い心をば持っておるす。わすは罪人のみせすめに、わが身にこの世の罪科をば、残らず引きうけたす。みて下されい、今ではもう、目も見えん。
おばば はあれ。いだわすいお人じゃ。めくらにまでなったすか。罪の報いじゃとは言うもんの、哀れな身の上になったもんよ。さぞやつらかろうなあ。
海尊 なんのなんの。この苦すみはみな一切衆生のためす。村の衆、町の衆の現世安穏後生善処を祈り申すじゃ。さらばす。―。 (行きかける)
おばば 待ってけえされ。ともがくも、わすの家さ来なさるがええ、おかかとわすの二人きりの暮すじゃけえ、気安うにしなさるがええす。―さ、海尊さま。わすがお手をばひいていごう。
海尊 これはこれは―。 おばば なんとまあ、ひるのごと明るい夜道かのう。お月さまがまんまるじゃ。 (笑う)
海尊 さても武蔵坊弁慶がその日の装束は、黒革縅の鎧に黄なる蝶を二つ三つ打ちつけたるを著て、大薙刀の真ん中にぎり・・・・・・。
二人、闇に消える。
秋元松代は『常陸坊海尊』について、初版本のあとがきでつぎのように述べている。
東北地方には古くから常陸坊海尊という仙人が実在したという伝説がある。それは仙人海尊に現実に対面したという形で、久しい時代に亘って語り継がれてきたのである。
こうした仙人実在説話は、東北地方と限らず、日本のいたるところに存在し語り継がれてきたのである。巡遊する和泉式部、俊寛と有王丸、曽我兄弟の母と妻たちなど、流浪の「貴人」たちは民衆の家々を訪ね歩いたらしい。それを支えたものは何かと言えば、素朴な民衆の、生活の喘ぎと、寄る辺ない魂の哀しみと、日本人の優しさと浪漫性ではないだろうか。私はそのことに思いが至ると、不思議なほど心があたためられ安らぐのだった。
このテーマはもう四年ほど前から、しきりに私に働きかけてやまなかった。二度、東北を旅行して、ますますこのテーマに愛着し、そのあいだに、海尊は私の中で徐々に成長して行った。そして海尊は時と共に変貌しながら、存在をつづけて行くものだと考えるようになった。私もどうやら海尊に対面したらしい。
ここまで読んでくると、秋元松代が私たちのよく知っている歴史的な時間軸に、伝説の時間軸をさり気なく入れ込んでいるのがわかる。しかも、この常陸坊海尊はいわゆる〈英雄〉ではなく、〈裏切り者〉である。
さて梗概にもどろう。
時間が現実にもどって、おばばの家。寿屋が豊と啓太を発見する。先生は、
「非国民だ。そんなことで、日本が戦争に勝てるか!」
と怒って起こそうとするが、寿屋は、
「こらア天狗さまに魂ば抜かれたにちげえねえすよ、無理に呼び戻すたらへえ、魂の入えり場所が狂うす」
と先生をたしなめる。先生は
「非科学的なことを」
と信じないが、寿屋はこういう例が村で実際にあり、
「天狗かくしというは、科学とは違うすよ」
と言い張る。先生は生徒がこうなったのも、いたこの呪術のせいで警察へ届けるべきだと言うと、寿屋は、
「とんでもねえすよ! ここのばばさんは海尊さまの血筋じゃけえ、とんでもねえ!」
とじぶんも海尊伝説を信じていることを明かす。二人は仕方なく豊と啓太をそれぞれ背負って去る。
第二幕
(その一)
吹雪のふき荒れる三月の夜。旅館寿屋の帳場。 先生が豊、啓太、ほかに三人の少年に、
「お前たちの東京の家は、敵のために焼かれてしまった。学校も焼けてしまった。お前たちのお父さんお母さん達に、万一のことがあっても、それこそ、日本人として本望である。大義のために喜んで死ぬ、それが大和魂だ。お前たちは、これくらいのことを悲しんだり、将来を悲観したりしてはいけない。今日よりは、かえりみなくて大君の、醜(しこ)の御楯(みたて)と出でたつわれは。―お前たちも、東京へかえりたいだとか、腹いっぱいご飯を食べたいだとか、そんな卑怯な心を起こしてはならん。お前たちのお兄さんたちは、あるいは学徒出陣、あるいは特攻隊の勇士となって、大陸に、空に、海に、勇敢に戦っているのである。すべては天皇陛下のおんため、国家のためである」
と、親兄弟を一人残らず失くしたにもかかわらず、さらなる忠勇なる皇国精神を説く。生徒たちは「海ゆかば」を合唱し、
「天皇陛下、皇后陛下、お父さん、お母さん、おやすみなさい。」
と言う。寿屋は不憫に思って五人に甘酒を振舞う。少年たちは茶碗を手に黙々と去る。
先生は冬ごもりの生活に嫌気がさし、過酷な自然を平然と受け入れている朴訥な寿屋に八つ当たりをする。寿屋はそんな先生に、
「先生、ちいと外さ出掛けねばいけねえすな。雪国におってへえ、背骨さ真っすぐにすてると、ぽきっと折れよることあっじゃ」
と大磯の虎御前と少将とを紹介する。先生は、
「ばかなことを言っちゃいかんよ、君。そりゃ曽我兄弟の話だろう、仇討をした。それはね、いつかの常陸坊海尊と同じ手のやつさ。荒唐無稽もはなはだしいじゃないか。下らない!」
と取り合わない。
先生は去り、寿屋も灯を消して去る。
暗闇から啓太と豊が忍び込んできて鍋に残っている甘酒を飲む。二人は先生から伝えられた家族の死を信じていなく、山で出会った雪乃が忘れられずに会いたくなる。二人は盗み食いを寿屋に見つかると、豊はしくしく泣くが、啓太が、
「かいそんさまあ! かいそん! かいそん、かいそん、かいそん、かいそん、お母さあん! 」
と大声で泣くので先生にも見つかってしまうが、寿屋がかばい二人を連れて去る。
先生が一人でむしゃくしゃしていると、
「おばんですう―おばんですう―」
と風に乗って女の声がする。先生は怯え慌てて寿屋を呼ぶ。寿屋はすぐに理解し、
「先生もはあ、やっぱこの土地の者になったでがすな。ありゃ雪こがしゃべってるす。雪こも言葉さ語るもんらすいでや。虎御前か少将か、あの女(じょ)らも寂(さぶ)しがってるべっしゃ。訪ねてやんなされ」
とうながす。先生は寿屋の言われるままに吹雪の中を出かけてゆく。
(その二)
おばばの家。春。
豊は啓太が空襲で死んだお母さんが生きていると言うのが信じられない。 豊に嘘つきよばわりされた啓太は、おはばと雪乃に問いただす。おばばは、
「まこと生きていなさるとも」
と答え、雪乃も、
「啓太さはもう何度も母っちゃに会ってらなア」
と言うので啓太はおかあさんが生きているのはほんとうだけど、
「僕と雪乃ちゃんとおばあさんと、三人の秘密なんだ」
と自慢する。豊は、
「僕はそんなこと信じないよ。みんな死んじゃったんだ。手紙だってこないじゃないか。会いにもこないじゃないか。 (泣きそうになる) 嘘なんか言うのやめろ。安田君の嘘つき。三人の秘密なんて・・・・・・僕は知らないよ」
と言って去る。雪乃はこの山里の暮らしに飽きて旅に出たいが、おばばはそれを許さず啓太と山菜を摘んでくるように言う。おはばは密かに雪乃と啓太の関係を考えている。
遊芸者の虎御前と少将が旅仕度の格好でおばばを訪ねてくる。虎御前はあの吹雪の夜の先生のことが忘れられないらしいが、少将は前世の約束事だといって取り合わない。
おばばは二人の訪問を喜ぶが、二人は警察から人非人呼ばわりされ、曽我屋敷を閉めて逃げる途中におばばにお別れを告げに来たのである。おばばは、
「えがさま役場も警察も、物の道理をばわきまえね衆じゃ」
と怒り、
「あんだらがいねぐなったら、こごらあだりの祐成時致だちはどうなるベア。哀れなことになるでや。あんだらを恋いこがれて、思いが狂うべっしゃ。その方がよっぽど心をかき乱すでねえが」
と嘆く。登仙坊が血相を変えてやってくる。虎御前と少将は登仙坊から役場が捜していることを聞くと慌てて逃げる。 登仙坊は、今後いたこは神おろしも口寄せも占い、山伏のまじないも祈祷も禁止され、それを守らないと軍需工場に徴用にいかされると嘆く。
おばばは、
「海尊さまの家内ともあろうわすが、いたこでねぐなるほどなら、命の終りさ来たも同様じゃ」
とミイラ行につくことを決意する。おばばは登仙坊にミイラづぐりの方法を逐一教えるが、登仙坊は現世の性欲が忘れられず断る。
工員たちがやってきて戦争終結を占ったおばばに悪態をつく。
おばばは啓太が恋しくなりミイラ行につくのを取りやめる。登仙坊は若い啓太に嫉妬し、
「あんたに可愛いがられた男は、一生うかばれん者になり果つるんじゃ。その啓太とやらいう男も、まんずわすのような、すたれ者にされよるわさ」
と、また悪態をついて泣きながら去ってゆく。
啓太と雪乃戻ってくる。雪乃は啓太の弱虫に辟易しているが、啓太は
「ぼく、お母さんに会いたい。会わせてよ、すぐ会わせてよ」
とおばばに頼む。おばばは神おろしをして啓太に母と会わせることにする。
「海尊さま、海尊さま、海尊さま。なにとぞ安田啓太が母をばおつれ下され。願わくは啓太の母をば使アさしめ」 と、おばばは苦悶の体で叫び声をあげる。啓太の母がおばばに乗り移り、おばばは母となって啓太と対話する。神おろしの母は啓太が
「東京へ帰りたい」
と言うと、
「いまの東京ははあ、アメリカの兵隊が、鉄砲ば持って攻めよせておるけえ、お前のようなわらしが来たら、何されっか分んねえど。寂すいだべども、田舎におれや」
と答え、
「ぼくの家はどうなったの? お父さんは帰ってきた?」
と尋ねると、
「お父(ど)うはのう、まんだ戦争から帰えってこねえ。家はへえ焼げてしもうたわ。けど、うだでがって力落すたらえぐねえど。お父うは死にやアせん。啓太に会いに帰ってくらア。家ば焼けても、いつかお前が建てりゃええだべさ。この世のこたア、いっとき姿をば変えるだけじゃ。なんにもなぐなったわけでねえわ。もとのまんまと変りねえわ」
と答える。そして
「母っちゃに会いてぐなったら、雪乃ちやのおばばに頼めや。おばばは母っちゃの代りに啓太をいどしがってくれべす。おばばのそぼさ離れんじゃねえど」
と答える。母と会って気持ちがさっぱりした啓太は、安心して帰ってゆく。
豊はこの神おろしの一部始終を見ていたが、驚きと怖れで声も出ない。 おばばはむくむくと起き上がり、庭の桃を眺めながら、
「海尊さま。ここには男っ切(ぎ)れが一人もねえけえ、まこと行く末が心許ねぐてならなかったす。けど、まこと海尊さまのお引き合せじゃ。わしゃ、あの啓太が気に入りすた。わすの思い通りになる男っ切れが入用なんす。あの啓太をば今がら仕立てあげて、海尊さまのお守りばさせ申すでや」
と静かに合掌する。
(その三)
寿屋の帳場。
戦争は終わった。 だが、いまだに引き取り手のない戦争孤児の豊、正男、勇一の三人。
役場に案内されて、あっぱ(農家の主婦)、だんな(製材所)、親方(漁師の網元)が三人を引き取りにくる。
だが、だれがどの子を引き取るのかなかなか決まらず、酒宴の場での話し合いになるらしい。先生も無責任にも行方知れずになったらしい。
大人たちがいなくなって、勇一は、
「ぼく、漁師の子供になるのなんかいやだ!」
と本音をもらして泣くが、子どもたちはいなくなった啓太が心配だ。探しに行っていた寿屋が帰ってきたのでたずねると、
「いねがった。どごさ行ったか、皆目分らねえ。山のおばばのどごまで行ってみたがのう。おばばの家は、人っ子ひとりおらんど。誰も住まっておらんじゃった」
と言う。豊は雪乃のことが気になり、
「雪乃ちゃんも?」
と尋ねると、寿屋は、
「あれもおらんじゃった。啓太はへえ、神がくしに逢うたんかも知れんど」
と答え、
「なあ豊、正男、勇一、お前ら、役場の言う通り、おとなすぐよその家さもらわれていげや。啓太のように神がくしに逢うよりはええぞ。よっぽどええぞ。―お前らも六年生になったんじゃ。自分の口は自分で稼げや。な! 分ったべ」
とすすめる。少年たちは先行きの不安と孤独に耐え切れず、思い思いに
「かいそんさま」
を呼ぶ。 すると、中年の男が入ってくる。
「ごめんけえ―。どなたさまもごめんけえ。いまわすの名を呼ばって下されたで、推参ながら門(かど)をばくぐり申すた。わすは九郎判官義経公のおん供をばすて、遥る遥る都から、この奥州路へ下ってまいった常陸坊海尊が成れの果てでござりす。(琵琶をうつ) さてもこのたびの合戦は、進め一億火の玉となり申すたにもかかわらず、あえなぐ敗け戦とは是非もなす。 (琵琶) 主君義経公を初めとすて、みんなみの島々支那満洲さうち渡りたる軍勢も、武勇つたなぐ討死総崩れ。 (琵琶) さるほどにこの海尊は、義経公を裏切り奉り、寄る辺なき女だちわらしだちを見限りて、戦場をば逃げ出し申すた卑怯者でござりす。ああ! 済まねえことをばすた、わりいことをばすたと、われとわが身を悔んでおるすが、どうにもならねえのは、われとわが罪深え心のありようじゃ。 (琵琶)
―わが身の罪に涙を流し、身の懺悔をばいたすために、かように村々町々をさまよい歩いて七百五十年。思えば思えば、この海尊が罪のおそろしさを、なにとぞ聞いて下されえ」
少年たちと寿屋は身じろぎもしないで耳を傾けている。
戦争孤児の前に現れた海尊は、日本の敗戦を懺悔する海尊に転化し、主君義経は天皇陛下に置き換えられる。歴史の転換期になると必ずこの〈裏切り者〉の名が呼びさまされ、それがわが身をなげきながら村々を巡るというのが、作者のひとつのモチーフである。
さてこの劇の醍醐味は三幕に凝縮しているので、三幕は詳細に見ていくことにする。重要な箇所には下線をつけて、それぞれを解釈することにする。
第三幕
(その一)
秋の晴れたひるさがり。(昭和三十六年)
前場から十六年が経過している。
岬に近い神社の奥庭。
場の設定は神の社(やしろ)である。
格式のある神社とみえ、庭も蒼古の趣きがあり、奥まって神楽堂と本殿を結ぶ渡廊下がある。
遠景に白く一級燈台がみえる。
古式の神楽の奏楽が聞えている。 ・・・・・・
奏楽が終ると、宮司補の秀光がくる。少し遅れて観光バス会社の女ガイドに引率された観光客。観光客たちは東京方面からの旅行者で、勤め人の小グループや商店主らしい男づれ、主帰の仲間同士の集まりで、みんな疲れて無感動にのろのろと動いている。一人残らず写真機をさげている。
観光客が一人残らず写真機をさげていることなど現実にはありえないが、作者はあえてこう指定している。写真機は神社(後世)と対比する現世の俗悪の象徴である。この対比を作者はつぎのように、
秀光 ・・・・・・ここは奥庭です。当社は平泉の中尊寺とほぼ同時代に建てられたものです。従って神社建築の様式においても、仙台以北ではもっとも重要な文化財として指定されております。―文治五年、一一九〇年頃ですが、衣川の合戦に敗れた源義経は、あの岬から蝦夷地、今でいう北海道へ渡ったという伝説が残っております。―なお、御本殿と奥の院には重美に指定された彫刻、古文書(こもんじょ)、土器などがあります。ご希望の方は御参観下さい。
女ガイド (暗誦したままを機械的に) みなさま。東京をあとにして、はや五日。ここは本州さいはての地でございます。明日は一路なつかしの東京へ―。みちのくの旅の最後の日を、あるいは傷心の英雄義経を偲んで歴史を回顧し、あるいは心ゆくばかり風景を観賞して、しみじみとした旅情にひたろうではありませんか。
と、その対比を宮司補の秀光と女ガイドのセリフでも示しておいてから、
巫女舞の装束をつけた雪乃、渡廊下を静かにさがってくる。それに吸いよせられるように瞳をすえた下男姿の啓太、庭づたいについてくる。
というように神域の衣裳と俗界の、しかも最低の衣裳とに対比させ、それをさらに以下のような二人のやりとりで際立たせる。
雪乃 (冷たく) 早う掃除ばするんじゃ。
啓太 ・・・・・・。
雪乃 お客さんだちが見えとる。
啓太 なあ―。 (雪乃の袴の裾に触れる)
雪乃 なんじゃ。 啓太 おらア・・・・・・。
雪乃、蝿でも打つように扇で啓太の手を打って、ゆっくりと去る。啓太、打たれた手を痴呆のようにみつめる。
啓太は神域の装束に触れたのだから、雪乃から扇で打たれるのは当然である。そして俗界の啓太が神域を犯したいと思うのも当然である。
ここでわたしたちは、十六年という歳月の流れは啓太と雪乃との間にはてしない距離をつくっていることも知らされる。
巫女の少女が、伊藤豊を連れてくる。
豊、二、三歩近づくが、異様な感じに立ちどまってしまう。
啓太、執拗にわが手をみつめている。突然その手を憎しみをこめてでもいるようにがぶりと噛み、呻き声をあげて去る。
豊、おどろいて見送り、急いで後を追う。
この啓太のマゾヒスティックな行為と呻き声は現世の懊悩を意味している。
女ガイドに指揮されて観光客たちが、だらだらと戻ってくる。客たちは小声でぼそぼそ話したりしながら、だらだらと去って行く。
作者が、女ガイドと観光客たちをふたたび登場させるのは、劇の経過としては当然であるが、つぎの場面で観客の意識を豊と啓太の二人に集中させたいからである。つまり作者はここで演劇におけるズームアップの手法を使っている。
豊 まさか忘れたわけじゃないと思うけど・・・・・・伊藤だよ、伊藤豊。―五年生から六年生の秋まで、学童疎開で湯の沢温泉の寿屋という宿屋で暮したじゃないか。あの時の伊藤だよ。東京にいた時はほら、君の家は表通りの洋服屋で、僕の家は丁度、君んところと背中合わせになった電気屋でさ。―しかし、僕はそんなに変ったかな、自分では分らないけど―。
啓太 ―憶えてるす。
豊 そう。忘れるわけはないものね。
啓太 あんまり思いがけねがったから―。わしに何んか用でもあるすか。
豊 いや―。別に用というわけじゃないけど―。僕は君のことをよく思い出したもんだからね。君の居所が分ったら、一度逢ってみたいと思っていたんだ。
啓太 ―そうすか。
啓太はまったく無表情である。豊は期待に反した思いで、やや戸惑いを感じている。 秀光が通りかかり、豊に泊まっていくようにすすめる。豊は泊まることにする。
豊には気になることがある。
豊 あのおぼあさんはどうした? 君、知ってるんだろう?
啓太 ・・・・・・
豊 あのおばばだよ、神降しをしてくれた。
啓太 ・・・・・・寿屋できかねがったすか。
豊 いいや。
啓太 ・・・・・・とうに死んだす。
豊 そうか。―安田君。君は神隠しに逢って行方が分らなくなったことになっていたが、あのおばばのところへ行ったんだろう?
啓太 ・・・・・・んだす。けど、どっちも同じことでがす。
豊 同じこと―? じゃ、やっぱり僕が思っていた通りだ。僕はあの頃から、君はおばばのところへ行ったんだと信じていた。僕はあのおばあさんのことも、よく思い出したものだよ。どうしてだか、よく思い出すんだ。
啓太 ・・・・・・。
豊 おばばのところへ行ったことと、神隠しに逢ったことは、同じだというのは、どういうことなんだ? 面白いことを言うんだね、君は。
啓太 ・・・・・・。
豊 じゃ、君はあの―。 (言いかけた言葉が跡切れる)
啓太 ・・・・・・。(ゆっくり眼をあげて豊をみる)
豊 (ふと、啓太の視線にたじろぐ)・・・・・・。
啓太は豊の問いにはあえて答えずに、わらし(赤ん坊)に乳を飲ませに行くという。わらしは雪乃の子である。
豊は啓太が雪乃とずっと一緒だったのに驚く。てっきり啓太と雪乃が結婚したと思って祝福する。
啓太は豊が雪乃に会いたがってると感じて、うつろな暗い眼で豊を見る。
雪乃、滑るような軽い歩幅で来る。
この作者はとても親切にト書きを書いている。雪乃が滑るようにやってくるのは、十五年ぶりに出会う豊に興味があるからだ。だから、
雪乃 啓太、なにをしていたんじゃ。わらしが乳ば欲しがっとるでないがえ。早ういがねば。
と啓太を叱るが、豊と二人きりになりたい魂胆があるので語気は強くはない。
啓太は豊が雪乃と二人きりになるのが心配だが、しかたなく赤ん坊に乳を飲ませに行く。
雪乃は婉然と笑って、媚ともみえる徴笑で(下線は作者のト書き)豊に本殿の参詣をすすめるが、豊は、
豊 僕は―。(@眩しげに視線をそらす) 安田君に会いに来たので・・・・・・見物にきたのではないんですから―。
雪乃 啓太に?
豊 ええ。あなたのご主人にです。
雪乃 主人?―。 (笑う)
豊 僕はご主人の旧い友達なんです。
雪乃 啓太がなにを申しましたやら。 (笑う) A私は主人というものは持ちませぬ。今までもこれがらさぎも、主人を持たぬ心でござります。ひとりが好きでござりますけえの。
豊 僕は、何か思いちがいをしたのかなア。安田君はあなたの―。
雪乃 あれは下男だす。
豊 下男―。
雪乃 はい。
豊 からかうのはやめて下さい! 安田君は子供があると言いましたよ! あなたの子供だと言いました。
雪乃 あなたはまこと剽軽なお方すな。Bわらしを産みましたは、私でござります。けどあれは啓太の子ではござりません。とんと早合点をなさりすたなア。 (笑う)
@豊は三十歳に成熟した雪乃の美しさに圧倒されてまともに見ることができない。
A雪乃が主人を持たないというのは現世での主人を持たないという意味である。
B雪乃は正直にわらしはじぶんが産んだと答える。わらしは雪乃と啓太の間に生まれた子であるが、雪乃にとってはわらしはあくまでも〈神の子〉なので啓太の子ではないと断言するのである。
このように雪乃はここで決然と自己の主体性を主張する。誇り高き女である。
豊 雪乃さん――。
雪乃 私を御存知――。どこぞでお目にかかりますたかなす。よう憶えがござりませんが。 (笑う。瑞々しく艶色があふれる) ならあなたのお名前は?
豊 僕は・・・・・・伊藤、豊。
雪乃 ふうむ (じっと見つめる) ――。
雪乃が豊を知らないわけがない。豊の気を引くために弄(もてあそ)んでいるだけである。この遊び心が瑞々しい艶色となってあらわれる。
豊 @いいんです。思い出してくれなくてもいいんだ。僕はあなたに思い出してなんかもらいたくない。僕はそんなことのために来たんじゃないんです。
雪乃 どうなされすた。おかしいお方じゃ。 (低く笑う)
豊 (われにもなく感情を乱されて) そう。おかしいでしょうね、きっと。A僕は知りたかったんだ、安田君が、神隠しに逢った安田君が、どうなったか知りたいと思いました。なぜそんなに知りたいのか、僕にも分らない。ただ無性に、この何年間か、僕は知りたくてならなかったんです―。それだけのことです。
雪乃 (楽しげに豊を眺める) 東京では何をしておられすか。会社のようなとごへお勤めをばなされすか。
豊 ええ、その通りです。ごたごたした、賑かといえば賑かな、多少はさっぱりと片付いてもいるけど、よくあるでしょう、そんな町に住んでます。B朝、七時四十五分に下宿を出て、駅から五十五分で会社へつきます。僕はカード室の係ですから、伝票と計算機とカードで一日暮すんです。もっとも健康体操というのを、休憩時問にやります、十二分間。
雪乃 それがら? 豊 あとは同じですよ。もう一度五十五分間電車に乗って帰るんです。駅から下宿まで約八分歩く。菓子屋の手前を左へ曲って、五、六、七軒目。
雪乃 (笑いころげる)
@豊は雪乃がじぶんのことを覚えてないと思い、心とは裏腹なことを言い自虐的になる。
Aこのセリフは安田君を雪乃に置き換えてみると豊の心情がよくわかる。豊は雪乃のことが知りたくてしょうがなかったのだ。もちろん勘のいい雪乃はじぶんのことだと思って聞いてる。だから楽しげに豊を眺めるのである。
Bこういうのを問わず語りというが、豊が聞かれてもいないのにじぶんから話し出すのは雪乃の魅惑に圧倒されているからだが、ここでも作者は神聖な雪乃に豊の俗界での緩慢な生活を対比させている。
雪乃 豊さんと言われたなす。―御本殿の方へおいでなされませえ。(そばへ近づく) ミイラもありますがのう。
豊 ・・・・・・(少し身を退く) ええ、憶えています。よく億えています。
雪乃 なら、もう一度拝まれたら、あなたさまのお望みは何んなりと叶えてもらわれす。めったなお方にはお見せはせんのすが、あなたさまなら、お連れすてもええすなす。
豊 ・・・・・・。(ためらう)
雪乃 おそろしうなられすたか。
豊 いや―。僕は前に見たといったでしよう。もうたくさんですね。
雪乃 ミイラは二つありますがな。
豊 二つ――。
雪乃 おばばのミイラだす。男体(なんたい)と女体(にょたい)とでござりますがのう。
ここで雪乃が豊に執拗にミイラを見せたがるのは、豊がじぶんの魅力に幻惑され現実逃避を告白したからである。そして、下線部分でわかるように豊の現世欲(セックスの欲情)を暗に挑発する。豊は雪乃の美しさの中に悪が潜んでいるのを改めて知らされる。そこで豊は、
「なぜ僕に、それを見せたいんです」
と問う。雪乃は決然と、
「あなたは啓太に逢いにこられたのではのうて、雪乃に逢いに来られたのじゃ。」
と断定する。
「雪乃に逢われたいのじゃったら、のちほど御本殿の方へおいでなさりませえ」
図星をつかれた豊は思わず、
「いつ――。いつだ!」
と言ってしまう。雪乃はにっと笑って渡廊下を去る。
物蔭にひそんでいた秀光、耐え切れずに祈りの声をあげる。
秀光 南無! 金剛蔵王菩薩よ! わだくしのために、憂ぎ悩みのないとごろをばお説き下されえ。わだくしはそごさ参りたいと願うておるす。この現世(げんぜ)の濁り果でたとごろは、耐え難うござりす。この汚らわしぎとごろは、地獄と餓鬼と畜生とに充ぢ充ぢで、不善のあつまりでござりす。ひとえに願うとごろは、金剛蔵王菩薩よ、わだくしに浄土をばお示し下されえ! (転び出て地に伏す)
秀光の祈りの本尊である「金剛蔵王菩薩」とは、役小角(えんのおづの)・通称役行者(えんのぎょうじゃ)が金峯山において衆生救済のために感得したという魔障降伏の菩提である。
豊が不審に思って問いただすと、秀光は
「雪乃は魔性の女す。そしてわしは畜生に堕ちた男す」
と告白する。
ここで秀光が口にする「魔性の女」という言葉には、ある違和感を感じる。なぜなら、「魔性の女」などこの世には存在しないからだ。秀光が持っている雪乃の魔性のイメージなど雪乃の過去を丹念に遡ってゆけばすぐに解体できるものである。さっきの「金剛蔵王菩薩」という祈りもこの「魔性の女」という言葉も秀光の他力本願を示していて、心の弱さを象徴している。
豊は啓太と秀光が雪乃の呪縛から逃れられないのを目の当たりにして、
「あの女の言った通りだ。僕はあの女に逢いにきたんだ。僕も神隠しに逢いたくなったんだ」
と自覚し、本殿で舞っている雪乃に会いにいこうとする。秀光は必死に止めるが、豊は
「宮司補さん。あなたが啜り泣こうと、呻き声をあげようと、身悶えしようと金剛蔵王菩薩を呼ぼうと、僕はあの女に逢いに行きます。あの神楽が終り次第、僕は行きます」
と決然と言う。秀光はしかたなく、
「なら、そうなさるがええす。 (震えがとまらず) も早、とめ立ては無力とえっぐ知っておるす。わすも男じゃけえ、分らん筈はない。行ぎなさるがええ。雪乃の舞うとごろをあなたの眼(まなご)で見なさるがええ。雪乃は二体のミイラどもの前で美しう舞うておるす。あの女は本朝の衣通(そとおり)、天竺の韋提希(いだいけ)のごと美しい女す。けど、あの女こそは、色(しき)、声(しょう)、香(こう)、味(み)、触(しょぐ)、五欲五毒の頭首(かしら)でござりす」
と言って、なおも雪乃の魔性を披瀝する。
仏教では、人間には108の煩悩があるという。煩悩とは、愛着・執着のことで、じぶんにとって捨てがたい色・声・香・味・触・法といった6つの感情(六塵)と眼・耳・鼻・舌・身・意といった6つ感覚(六根)のことである。六塵にはそれぞれ楽・苦・捨の三受(楽しい・苦しい・どちらでもない)があり、六根にはそれぞれが物事に対し好・嫌・平の三種(良い・悪い・どちらでもない)がある。これらの感情と感覚すべてをあわせると、六塵×三受+六根×三種で36の煩悩となる。そして、この36の煩悩が、過去・現在・未来にわたって生じるという考えから、36かける3で108の煩悩になる。除夜の鐘を108回打つのはこういう理由だが、秀光は下線部分で、六塵の中の色・声・香・味・触の煩悩のことを言っている。
豊が秀光の話に辟易すると、秀光はおはばのミイラは啓太が作ったと暴露する。豊が唖然としていると、二人の若い男がやってきて、しきりに密航をうながす。どうやら秀光は雪乃の呪縛から逃れるために沿海州(ソ連)へ渡るらしい。秀光は、
「源ノ九郎判官義経公も、丁度いまの時節にあの海峡さ渡ったす」
と、英雄義経にじぶんを重ねて、覚悟の舞を舞う。いうまでもなく作者はここでも義経が蝦夷地から海を越えて大陸へ渡り、成吉思汗(ジンギスカン)になったという義経伝説を踏襲している。
秀光 舞う「さてもこの時、判官義経公の思えらく、破鏡ふたたび照らさず、落花また枝に帰らず、われとわが身を苦しめて、修羅の巷に寄り来る波の、月にしらむは剣の光、潮(うしお)に映るは兜の星影、水や空、空行くもまた雲の波、弥猛心(やたけごころ)の梓弓、身を捨ててこそ名をとどむべき」
この秀光の謡いは、作者が謡曲『八島』から換骨奪胎したものである。
啓太が来る。啓太は小さな赤児を抱き、血走った眼で豊と秀光に尋ねる。
啓太 豊さ―。豊さ。あんた御本殿へは行がねえだべす。―行ぐだがや。
豊 行かない。絶対に行かない!
啓太 宮司補さ。あんだは?
秀光 行かんど。絶対いかんど!
啓太 ほがに誰か男のお客さんおるすか。
秀光 誰もおらん。だアれもおらんわ。
啓太 ―そうすか。そんだばええ。そんだぼええ―。
秀光は去る。啓太は豊を監視しながら赤ん坊を寝かせつける。低く子守唄を唄う。
啓太 ひとつ咲いても、桜こは桜こ ふたつ咲いても、桜こは桜こ みっつ咲いても、桜こは桜こ・・・
豊は啓太の固いガードに耐え切れなくなって、東京に帰ることを決意する。啓太は感極まって、
啓太 豊さ。おらア、ほんとは・・・・・・ (涙を流す) おらア、あんたに逢えてうれしがった。思いがけねがった。
豊 うん―。
啓太 うれしがったけど、切(せつ)ねがったす。
豊 もういいよ。僕だって同じさ。 啓太 豊さ、おらア、懲役にやられたんじゃ。
豊 懲役?
啓太 おらの十八の時だった。おらア、何んにも悪いこたアしねがった。おばばが死ぬ時、おらに言うたんじゃ。おばばが死んでも、墓の下さ埋めねえでけれと、おらに頼むんじゃ。焼いだり埋めだりしねえで、こうこう、しかじかにすろって、おらに言い残したんでがす。 おらア、おばばに教えられだ通りにすただげだ。けど、裁判さかけられたんだ。おらア、懲役にいがされた。 (啜り泣く)
啓太のこの告白に豊は怒りが爆発し、啓太を罵倒する。啓太が雪乃の呪縛から逃れられないことを訴えても聞く耳を持たず、
「いっそ君なんか死んでしまうがいいんだ! 虫けらのように踏みつぶされてしまえばいいんだ! なんだって僕は君を訪ねて来たりしたんだ。君に逢ってみたいなんて、馬鹿な気紛れを起こしたんだろう。これからさき、僕は君のことを思い出すたびに吐き気がするに違いないよ!」
とまで言ってしまう。
啓太 ・・・・・・おらア、いづかきっと、あんたが訪ねてくるだべすと思っていた。一度は来るにちげえねえと思ったす。
豊 どうして。 (注目する) なぜだ。
啓太 ・・・・・・おらだちは、めいめい、ひとりぼっちだではア。―根こそぎ、なんもかんも、失くした仲間でねえすか。田舎で疎開わらしになったまま、おらだちは世間がら置きざりにされた迷子だベア。―普通の迷子だら、親さ呼んで泣ぐだべが、おらだちには親もねがった。おらだちは、みんながら忘れられてしもうたんじゃ。
この啓太の言葉に、さすがに豊も啓太を許す気になる。あの戦時中の過酷で極貧の生活でありながら、心を通わせあえたのは啓太にほかならないからである。
そこへ雪乃がやってくる。
雪乃 啓太。わらしをこっちゃへよこすのじゃ。―お前には抱かせてやらんのじゃ。
啓太 雪乃―。
雪乃 早う!
啓太 (おずおずと赤児を渡す)
雪乃 ―お前が豊さんを邪魔だてしたことはえっぐ分ったど。啓太の腐れ者!
啓太 ゆるしてけえ。ゆるしてけえ。おらアそんだばこたアしねがった。
雪乃 啓太は犬のようじゃなア。下男の役もお前にはつとまらん。豊さん。早う帰りなさるがええす。あんたのような臆病なお人は、雪乃もきらいじゃ。もう二度とここへは来なさらぬがええすなす。
豊は、
「あなたは、五欲五毒の頭首だ」
と雪乃を罵りながらその魅惑から逃れようともがく。雪乃は平然と笑って受け流し、啓太との間に生れた赤子を抱きながら、子守歌を歌う。
以下は、台詞よりもト書が重要なところである。
豊、魅入られ、われを忘れ、渡廊下の雪乃の足許へ手を差し伸ばす。雪乃、その手を踏む。交互に踏みつけながら唄う。
雪乃が豊の手を踏むのは、彼女が因習的常識のこの世の俗世の中で、純粋に自分自身であろうとする至難を敢行するための手段として必要だからである。
雪乃 みっつ咲いても、桜こは桜こ―(低く笑う) ―よっつ咲いても、桜こは桜こ―。
豊 (虚脱したように雪乃を見あげている)
豊かにとって巫女として神に仕える雪乃の白装束は魔的な美しさである。
雪乃 (笑う) いつつ咲いても、桜こは桜こ―。ななつ咲いても・・・・・・。
啓太、突然地面に身を投げ出す。
啓太 かいそんさまあ! かいそんさまあ! かいそんさまあ!
啓太、胸をかきむしり、地面を転がりまわりながら、なお海尊の名を呼ぶ。 豊、激しく衝撃をうけて啓太をみつめる。
・・・・・・
雪乃、二人の男の姿を快げに眺めながら、驕慢に無邪気に笑いつづける。
(暗転)
作者はここで女性が男性の上に君臨する姿を描いている。
この雪乃のイメージは、『正法念処経』の「観天品第六之六」で繰り返し語られる経文からの引用といっていい。
受クル所ノ楽シミ乃至愛善業尽キ、命終リテ還退スルトキハ、業ニ随ヒテ流転シ、地獄・餓鬼・畜生ニ堕ツ
天人でも命終(みょうじゅう)の後、その間の業因により輪廻を免れないで、三悪道(地獄・餓鬼・畜生)に堕ちる、という意味だが、雪乃はまさにこの経文を実践している。衆生のために自分の身を汚し、それが浄められて再び美しい女にもどるという、才ある女の悲しくも妖しい魅力を謳歌しているといえる。
雪乃が求めているのは、〈絶対の自由〉である。 〈絶対の自由〉を勝ち得てこそ、彼女の人間不信は解消される。しかし、彼女の純粋にこたえることができる者は、俗世の知恵に汚されていない者である。啓太はもはや地に堕してしまった。雪乃は豊を官能にかきたてながら、突き放す。好きだと言わせるだけでは足りなく、男が死まで覚悟してこそはじめて彼女は満たされるのである。
以下つづく。 |
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