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秋浜悟史『ほらんばか』
主人公の充年は、十年前、大学の知識をよりどころに、故郷に帰って集団農場で酪農を指導した。陰口もさんざん浴びせられたが、酪農は一応成功していた。しかし、出張中に伝染病で牛が全滅して失敗し、挫折した。今では、春になると発病する「白痴」の病でぶらぶらしている。そんな充年を村の娘のさちは愛している・・・・・・。
秋浜悟史の出身である岩手県中部には、戦後、開拓農場が推進されたが、昔からの在地農家としっくりせず、脱落者も出て、中には自衛隊の演習地に買収されたりして、理想どおりにはいかなかったようである。『ほらんばか』の内容としての発想は、この問題が中心だ。しかし、『ほらんばか』の素晴らしさは、官能の極みにある。官能のどろりとした濃い情念、カオスの混沌を歌い上げるのに人口方言がうまく使われている。
なち それがええ、それがええ、体中花飾りの色男にすべえ、あげくに下の部落さ楽隊入りでねりこむべ。「今年も春がやってきた」と、「ようやく工藤充年様もほらんばか本来さたちかえった」と、一軒一軒ふれてまわるべえ。 (花を、ぼろの穴や、つぎあてのあいだに、さしこんだり、まきこんだりして飾りはじめる)
充年 (なすにまかせたまま) どうせだら、この面も、花でうずめてたもれ。両の眼さも、鼻の穴さも、口さも、花さしてたもれ。この面を、人前からかくしてたもれ。・・・・・・どうせだら、このシャッポにも、花一本さしてたもれ。工藤充年、気位いだけはあるのだと、花高くかざしてたもれ。
官能の昇華は、カオスの混沌にまで高められる。
秋浜悟史は、早稲田大学で学生劇団「早大自由舞台」に参加。「劇団三十人会」を主宰し、後に「兵庫県立ピッコロ劇団」の代表をした、東北方言を自在に使いこなした作家で、田中千禾夫先生は〈心やさしき歌詠み〉と評価している。ここで取り上げた『ほらんばか』は、1969年に第一回紀伊国屋演劇賞を受賞した作品である。
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