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田中千禾夫 『マリアの首』(まりあのくび)
天主堂の残骸を、保存するか否かで物議をかもしていた昭和二十年後半。
ケロイドを包帯で隠し、昼間は看護婦、夜は娼婦の「鹿」。
同じ場所でポン引きまがいの薬の立売りをして、原爆症の夫を支える「忍」。
そして献身的な看護婦の「静」。
この三人の生き方を中心に、神との対話、平和の祈りを描いたのが、『マリアの首』である。
場ごとの内容を簡単に記すと、
@ 春を売る鹿。
A 薬売りの忍。彼女に好意を寄せる初老の男。二階の黒人の男。
B マリアの像の片腕。
C 忍は夜の女たちにいたぶられる。
D 盲腸手術後の学生と看護婦鹿との原爆論争。鹿に思いを寄せる男。
E 銃弾摘出の麻薬ボスの次五郎と忍の持つ短刀の秘密。
F 白血病で臥っている忍の夫。
G 平和を願う女の声。植字工の活字拾い。
H 雪降る夜、マリアの首の盗み出し。
ということになる。
そして、場を連結させ、劇を盛り立てていくのが、「忍」の以下の言葉(傍線部分)である。
忍 おうちに内密に頼みのあります。
第二の男 わしに、このわしに。
忍 はい。・・・・・・ね、もし、雪の降って積もる夜のあったら、
第二の男 雪の? めったに雪は降らんところ、ここは。長崎は。
忍 それでん、もし、雪の降って積もる夜のあったら。
第二の男 あったら?
忍 浦上に来てくれまっせ。
第二の男 浦上に。・・・・・・おうちの家に。
忍 うんね。浦上の天主堂に。
第二の男 天主堂! 耶蘇のお寺。
忍 はい。火の風に焼けただれ、崩れて落ちた天主堂の玄関に。マリアの首のおいてある玄関に。
第二の男 何ばしに。
忍 うちと一緒に・・・・・・祈りに。
第二の男 何ば祈りに。
忍 いのちのゆくえば祈りに。
第二の男 いのちのゆくえ? 誰の?
忍 うちの、ああたの、そして女の、男の、皆の。
第二の男 ああ!
忍 もし、ああたの感謝がほんもんなら。
第二の男 よか、わしにも一つの夢の生まれるかもしれん。約束します。もし、雪の降って、
忍 白う積もった夜のきたら、
この下線の言葉は、作者によって絶妙に配置され、忍や鹿や第三の男たちはこの言葉を合言葉にして、とうとう雪降る夜に天守堂に集まって、マリアの首を盗み出すことに踏み切るのである。
さて、田中千禾夫の劇作に流れる主調音は、〈女性崇拝〉と〈女性憎悪〉である。このふたつは、どちらも愛であることにかわりなく、永遠の平行線をたどるので、田中は「愛(かな)しい」といっている。『マリアの首』では、この主調音は変調していて、女主人公である忍(しのぶ)、鹿(しか)、静(しず)の三人の女は、一人の女のそれぞれの分身として描かれる。三人は、表と裏とそのまた裏であり、あらわれは異っても源はひとつであると暗示される。つまり、忍は純粋そのもの、鹿は生活そのもの、静は献身そのものを意味し、それらすべての融合体が女性そのものだと作者は示しているのである。
劇構造としては、『マリアの首』は現実と幻想を対比させて劇が展開されてゆく。
愛児を戦死させた印刷屋、遊客、パンパン(娼婦)、酔漢、原水爆反対運動の男、与太者、悪徳医師など、当時の世相の象徴ともいえる者どもの出没する現実世界。
自由への脱出を夢みて、神との格闘の果てに遂にマリアの首の前にひれふす、鹿、忍、義足の男の幻想の世界。
この両者の明滅する交錯のなかを、美しい詩が奏でられ、自由が論じられ、哲学が語られ・・・・・・人々は魂の奥底に入り込んでゆく・・・・・・・そして、最後には神との対話に到達する。
終幕の雪の夜、看護婦で、娼婦でもある「鹿」は、神(マリアの首)に語りかける。
鹿 ばってん、やっぱ、うちはお恵みにふさわしゅうなか。世の中から愛されんじゃった私は、私自身に復讐しましたと・・・・・・その外道の歓喜のなかで、あなた様ばお慕いしておりました。ひいてはその復讐は世の中へ向かってゆきました。そのためには、あなた様ば、かどわかす仲間ば作ったとです。そるが今夜です、雪の降る今夜です。マリア様。哀れな私たちのこの企てば、お救け下さいまっせ、お願いです。
この鹿のように、田中はさまざまな妄執を抱いて、しかし純粋に生きる人々を、持ち前のおおらかな愛情を持って描く。
「人は、生まれつきの尊い善意によって、更にまた意志力による恒常的な善意によって、平安な精神生活を営むことができる」
と田中が言っているように、『マリアの首』は神との対話による人間の尊厳の維持にあるといえる。 |
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