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深層の劇 戯曲に内在する真の意味を理解し、それを飛躍的なイメージに転化する。 |
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『リア王』の演劇表現
リア王の貧乏観
原作では、娘たちに家を追い出されたリア王は、嵐によってその豪華な衣裳はずぶ濡れになり、その虚飾が剥がされてゆく。老人はこの自然の威力によって、じぶんの過失を知り、フランス王がコーディーリアにいったことばを想いだす。「あなたにはなにもない、それが一番の持参金です」この言葉が老人にはいまや痛いほどよくわかる。老人に弱い者を気づかう気持ちが芽生える。老人は道化をいたわりながらいう。
「貧乏には不思議な魔力があるな。卑しい者を貴い者に変えてしまう」
わたしがここで気になるのは、リア王の貧乏観である。これは、シェイクスピアの思想の背景をなしているとおもうが、はたしてシェイクスピアがリア王に言わせているように、貧乏には不思議な魔力があり、卑しい者を貴い者に変えることができるのだろうか?
わたしにはそうは思えない。貧乏は精神を矮小化するという以外の魔力などどこにももっていない。また、貧乏に卑しい者を貴い者に変える力などあるはずがない。ただ不幸だというだけである。
リア王が悲惨な境遇のあまり、これまでの物質的な豊かさを否定して貧乏をたたえるように、現在も生活に飽満したとたんに、「貧乏にかえれ」と窮乏の歌をうたいだす。どちらも一面の真理ではあるが、倒錯した心理にかわりない。物質的な富は精神を豊かにすることはあっても、精神を貧しくすることはありえない。
「真の意味での文明」は、経済現象の核までいけば、自然現象とおなじ意味で「需要を増加する」方向にいく。熱力学の第二法則とおなじように、この方向性が逆行することはありえない。せいぜい停滞の一時性と進行の遅速を司ることができるだけだ。歴史ははっきりとこれを実証している。誰でも草ぶき屋根が石造の建物になり、高層ビルになるところは見ているが、この逆になるところを歴史は一度も体験していない。(吉本隆明「現在はどこにあるか」)
昔は別にいい時代ではなかった。過去は常に美しく見える。わたしの子ども時代には確かに存在して、今消えてしまっているものは、子どもたちのタフネスでもないし、父親の威厳でも、母の優しさでもない。貧しい時代だからこそ残っていた日本人固有の豊かな心、などという欺瞞的な嘘でもない。その時代にあったのは、近代化という国家的な大目標、それだけだ。だから、あの時代には絶対戻ることはできない。あの時代にあったものを取り戻すことも不可能だし、あの時代を基準にして今を考えるのは、卑怯だ。(村上龍「寂しい国の殺人」
ふたりが言うように、文明は進歩する一方で、後戻りさせることはできない。吉本流にいえば消費資本主義のまっただ中にいる、あるいは村上流にいえば近代化という国家的な大目標を失ったわたしたちは、貧乏や欠乏や単純などに後戻りしないで、世界最先端の進歩と豊かさを享受しながら、人類未踏の領域(未知の世界)を歩いてゆくしかない。これは自明のことである。
だからわたしたちの上演では、このリア王の「貧乏には不思議な魔力があるな。卑しい者を貴い者に変えてしまう」という台詞は削除し、原作にはない俳優という登場人物を新たに設定して、俳優たちがリア王の前を本を読みながら通り過ぎるときに、リア王がこの俳優たちを貧しい人々の群と錯覚する、というようにした。つまり、リア王の貧乏観を現在の視点から批判するという表現に変えたのである。
リア おお、貧しい人々よ、おまえたちはいったいどこへ行く?教えてくれ、家もなく、満足に食べる物もなく、ぼろを着る身で、どうやってしのいでいるのだ?
俳優たちはリアの言葉に本を読むのをやめて振り返る。ME(錯乱)止む。だが貧乏の原因はリアの悪政にあるとばかりに無言で通りすぎていく。ME(錯乱)。
リア ああ、わしは今日まで気づかなかった。貧しい人々の苦しみなど、気にもかけなかった。奢れる者よ、貧しい人々の苦痛を味わい、余分なものを分け与えるがいい。そうすれば、富は公平になり、天の正義を示すことになるだろう。
リア王がじぶんの不幸な境遇から生まれてはじめて貧しい人々に目を向け、その窮乏の苦しみを思いやることはとてもいいことだ。だがリア王は貧しい人々の苦しみを察知すると突然に、「奢れる者よ、貧しい人々の苦痛を味わい、余分なものを分け与えるがいい。そうすれば、富は公平になり、天の正義を示すことになるだろう」と叫ぶ。これはリア王の偽善でしかなく、飢えを倫理や道徳の問題にしてしまったことであり、あまりにも空想的で実現不可能なことだ。
貧しさの原因はリア王の政治にある。だからこのばあいの貧しさの救済は、リア王自身が、じぶんの愚かな政治が貧しさを生みだしたことを反省し、救貧のための有効的な政策を施すよりほかにない。いうまでもなく貧しさは、王国の責任に帰すべき問題で、なんら倫理や道徳の問題ではない。
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