THE WORLD OF THE DRAMA 演劇の世界
「演劇の世界」コンテンツ
トップ 公演履歴 深層の劇 劇音楽 小道具 夢見る本 演出日記 台本 戯曲解釈 俳優育成 DVD
深層の劇(戯曲に内在する真の意味を理解し、それを飛躍的なイメージに転化。)
深層の劇 戯曲に内在する真の意味を理解し、それを飛躍的なイメージに転化する。
吉本隆明氏との出会い
シェイクスピアの物語とは?
シェイクスピアは言語の劇
観客の心を饒舌にする台詞
幕開きをつくる
アナクロニズムを解決する
言葉の意味を探る
リア王の狂気
道化の知恵
気ちがい乞食
あえて無にして本質を写す
嵐は来ない(16世紀の自然観の差異)
排除の門
リア王の貧乏観
ケントの忠義(忠臣は二君に事えず)
見せしめの身体刑
騎士の生活
中世の〈類似〉という概念
盗み聞きの場
ふたつの劇中劇
『リア王』の演劇表現

排除の門

 
 かつて黒沢明は、「リア王」を翻案した「乱」で、老いた父が息子から追い出されて城から出て行くとき、巨大な門とその門が閉まる大音響によって、老人の〈孤独感〉と息子の〈排除感〉を表現した。黒沢ならではの見事な映像表現で、まさに圧巻だったが、こうした表現が可能なのは映画だけの特性であり、演劇で同様な表現をしても失敗することは目に見えている。演劇は、映画とはまったくちがう方法で、この〈孤独感〉と〈排除感〉を表現しなればならない。  
 それでは、わたしの台本で、リア王がふたりの娘(ゴネリルとリーガン)に追い出される場面をみてみよう。少し長くなるが、父と会うのを嫌がっていたリーガンが、リア王の家臣グロスターの説得で、やっと重い腰をあげて現れるところからだ。

リア おお夜なのに、もう起きてきたのか。
コーンウォール(リーガンの夫) ようこそ。
リーガン 嬉しいですわ、お目にかかれて。
リア そうだろうリーガン、嬉しくなければ、おまえは不義の子だ。死んだ母親を離縁してやる。(足枷をはずされたケントに)おお、自由になったか。おまえのことは後で話そう。リーガン、おまえの姉(ゴネリル)はひどいやつだ。親不孝にも禿鷹のようにわしを噛みおった。
リーガン どうか落ち着いて。それは誤解です。
リア なんだと?
リーガン お姉さまは子としての務めをはたしています。お付きに厳しいのは、それだけの理由があります。
リア 呪い殺してやる、あんなやつ。
リーガン あなたはもうお年です。若い者の言うことを聞いてください。さあ、お姉さまのところにもどって、謝ってください。
リア あれに謝れだと? ばかを言え。あいつはお付きを半分に減らした。悪魔のような目で睨み、蝮のような舌でこの心臓を突き刺したのだ。天に貯えられたありとあらゆる復讐よ、あいつの恩知らずの頭にふりかかれ!
コーンウォール なんということを。
リア 空を走る稲妻よ、盲にする電光をあいつの嘲笑う目にたたきこめ!燃える太陽よ、あいつの顔をただれさせ、高慢の鼻をへしおるのだ!
リーガン こわい人! 私にもその呪いを。
リア いや、おまえは別だ。おまえはお付きを減らしたり、わしを捨てたりはしない。財産の半分も与えたのだからな。
リーガン それよりご用件を。
リア  足枷だ。だれがかけた? リーガン、まさかおまえではあるまいな。    

 ゴネリル、オズワルド、従者たちが登場する。ゴネリルの従者たちもみな、なぜか角棒を持っている。

リーガン まあ、お姉さま!    

 リーガンはゴネリルに駆け寄る。

リア (ゴネリルをみとめて)なんだ、おまえは。よくもぬけぬけとわしの前に、恥ずかしくないのか? リーガン、そいつの手を取るな。
ゴネリル なぜ取ってはいけないの? わたしが罪を犯したとでも? もうろくした人が何を言うのよ。
リア おお、この胸はまだ張り裂けぬか。だれだ、だれが足枷をかけた?
コーンウォール 私です。もっと重い罰にすればよかったのですが。
リア おまえが?
リーガン お父さま、もっとお年を考えて。今日のところはお姉さまと帰り、来月お付きを半分にしてお越しください。
リア あいつのところへ帰れ? お付きを半分にしろ? そんなことをするぐらいなら、家を捨てたほうがましだ。山野に住んで、自然の猛威と戦ってみせるわ。
ゴネリル お好きなように。
リア なんだと? わしを狂わせる気か。わかった。もうおまえの世話にはならぬ。二度と会わぬ。だが、おまえもわしの娘だ。おまえを非情な女にした責任は、親であるわしにもある。だからもう咎めぬ。心を入れ替えて真人間になれ。わしは100人のお付きをつれてリーガンと暮らす。
リーガン それは困ります。私はまだ用意もしていません。お姉さまと帰ってください。
リア それは本気か?
リーガン 50人のお付きで、どうして足りないのです? 大人数では経費もかさみ、とかくもめごとが。一軒の家に、主人のお付きのほかに、別のお付きがいるなんて無理な話しです。
ゴネリル お付きなんかいなくても、私たちの召使いがお世話を。
リーガン 行き届かなければ、私たちが叱ります。私のところへ来るときは、お付きは25人。それ以上はおことわりです。
リア わしはすべてを譲り。
リーガン いいときにお譲りになったわ。
リア おまえたちを代理人にしたが、それは100人が条件だった。それをなんだと? 25人だと?
リーガン ええ、それ以上はだめです。
リア 悪いやつも、もっと悪いやつが現れるとよく見えるものだな。(ゴネリルに)おまえのところへ行こう。おまえは倍の50人だ。愛情も倍だろう。
ゴネリル 25人も、いえ10人だって、5人だって必要でしょうか。私にはその倍の召使いがいますのに。
リーガン 一人だって必要ありません。
リア ええい、必要を言うな。(角棒を投げ捨てる)必要なものしか持ってはならぬなら、人間の生活は動物と同じだ。衣服が体を包むだけのものなら、おまえのその、派手な、贅沢な服はなんだ?必要ないはずだ。(天に)天よ、忍耐を。私に必要なのは忍耐です。天よ、私は悲しみを重ねた哀れな老人です。だが、たとえ娘らの親不孝があなたのご意志でも、私は従いたくありません。(娘たちに)いいか、親不孝者!わしはおまえたち二人に必ず復讐するぞ。世界中が恐怖におののくようなことをやってみせるからな。わしが泣くと思っておるな。ええい、泣くものか。泣かねばならぬ理由はいくらでもある。だが、たとえこの心臓が張り裂けても泣かぬぞ。おお道化、わしは気が狂いそうだ。   

 リアは道化のところへ行く。道化はリアに駆け寄って抱きつく。リア、道化、ケント、グロスターは退場する。

コーンウォール さあ、中へ入ろう。(従者たちに)門を閉めろ!  

 ME(非情の門)。ゴネリルとリーガンの従者たちは、持っていた角棒を交差して、すばやく門をつくっていく。

リーガン (その光景を見ていたが、振り返って) 狭い家です。お付きまで泊めるわけには。
ゴネリル 自分が悪いのよ。自分でやすらぎを捨たのだから。愚かさをたっぷり味わうがいてい。     
リーガン 本人はともかく、お付きはぜったいいや!
ゴネリル 私も!  

 グロスターふたたび登場する。

グロスター たいへんなお怒りです。
コーンウォール どこへ行った?
グロスター 馬をお命じでしたが、どこへ行かれたかは。
コーンウォール 勝手にさせておけ!
ゴネリル 絶対に引き止めないで!
グロスター だが夜です。これではあまりにもひどすぎます。
リーガン 苦しめばいいの! 門を閉めて!    

 リーガンは、リアが投げ捨てていった角棒を拾い、グロスターにさしだす。だがグロスターは王を哀れんで受けとろうとしない。

コーンウォール なにをしておる?
グロスター ・・・
コーンウォール 早く門を閉めろ!
姉娘ふたり 門を閉めなさい!    

 グロスターはしかたなく角棒を受けとり、従者たちと同じように、それで門をつくる。

コーンウォール さあ、中へ入ろう。    

 ゴネリルとリーガンとコーンウォールの三人だけが退場する。あとには、人間が角棒でつくった無惨で無情な門があるだけだ。照明は、この酸鼻な光景をひときわてらしてから、ゆっくりゆっくり暗くなる。緞帳は降りてこない。  

 このようにわたしたちの「リア王」では、黒沢が巨大な門とその門が閉まる大音響によって表現した〈排除感〉を、登場人物たちが持っていた角棒を交差させて、象徴の門をつくることによって表現し、リア王の〈孤独感〉は、この酸鼻な光景から観客が想像をめぐらすというようにした。  
 なぜわたしたちが、門を人間のつくる門で象徴させたかというと、門とはそもそも、じぶんのまわりに境界線を引き、入ってくるものを選りわけるものだからである。門の中にいる者たちは、じぶんたちこそ正常、正当、理想とばかりに、排除したものを嫌悪し、侮蔑し、虐殺することも辞さない。そして、それはいつのまにか最初の理想とはちがって、水のかよわない池、溜まり場になってしまう。門の中にいる当人たちは、その池の澱みが発する悪臭に気づかないで、後生大事に使い古された理想を唱えつづけるだけである。  
 門をつくり、鍵をかけて、人の出入りを規制する思想は、いつかは破産するものだ。だれでもが入ったり、出たりすることが自由にできる〈ひろば〉、これがわたしたちの理想である。
MACトップへ