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深層の劇 戯曲に内在する真の意味を理解し、それを飛躍的なイメージに転化する。 |
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『リア王』の演劇表現
道化の知恵
「リア王」の道化は、原作では第1幕第4場ではじめて登場する。この場までリア王の愚かさをだれも正すものがいないので、いささか欲求不満を感じていたわたしたちは、ここで溜飲を下げることになる。道化は、零落の王をかばうケントをからかい、リア王に言いたい放題のことをいう。たくみに言葉をあやつるばかりか、図にのって歌までうたい、リア王の愛憎の読みちがいを鋭く衝く。わたしの台本でいえば「お父さま、若くても真実はあります」。「財産すべてをことばを売ったやつにやっただろう。残ったのはその体だけだ」なのだ。道化はここで、じぶんのことを「甘いばか」というが、甘いばかというより、まことに辛辣な苦いばかだ。いや、ばかのかくれみのにかくれて真実を語る〈賢い道化(wise
fool)〉といえる。
道化が現れる前に、リア王はしきりに「道化をよんでこい」というが、これは、道化が王といっしょに食事をする〈伴食者〉でもあるからである。
「道化」の著者、ウェルズフォードによると、〈伴食者〉のもっとも古い記述は、2世紀のアテナイオスが書いた『晩餐するソフィスト達』のなかにみられるという。そこには、ギリシアの裕福な家に勝手におしかけてきて食事の供をする〈伴食者〉が描かれている。この〈伴食者〉は、もともとは僧侶や行政官などの公式の晩餐に招かれる者のことをいったが、ギリシア中期以後は、ただの食事にありつくために、ものまねや頓知をいって笑いをふりまく〈おどけもの〉に用いられるようになった。それ以後おどけものは、君主の宮廷にかかえられ、かなり安定した地位をえるようになるが、おどけものが社会生活に大きな役割をはたしたのは中世後期とルネサンスにおいてであった。 おどけものはいまや、宮廷道化師といわれ、ばかばかしいほどの大食を誇り、ものまねをし、アクロバットの離れ業を演じ、卑猥な逸話を語り、冗談をいったり嘲笑したりした。
宮廷道化師がギリシアのおどけものとちがうところは、こうした笑いのほかに、精神的な欠陥や肉体的な奇形によってもおかしみを引き起こすことにある。どうして人間が、このような狂人や白痴や不具者をかかえるようになったのか、その起源は定かではないが、古来人間はこうした白痴や不具者を魔除けにしたり、祭儀において病気や罪をふりはらう贖罪の山羊の役割を担わせている。ローマでは、頭のたりない奇形の奴隷を家においておく慣習があった。ローマ人は美少年や美少女の奴隷より、恐ろしい奇形や異形のものに特別に興味を示し、値も高かったという。たとえばこんな逸話がある。「白痴だから二万セーステルティウスもだして買ったんだ。金をかえしてくれ。ちっとも頭がおかしくないじゃないか」。ローマ人のこうした異常なものへの嗜好は、わたしたちには倒錯としか思えないが、ローマ人には罪の意識はなかった。中世の宮廷道化師は、ローマ時代の遺産といえる。ローマ時代の彫刻には、中世そっくりの耳つき頭巾をかぶったものが残っているという。
イギリスで宮廷道化師の制度が確立したのは十四・十五世紀であるが、ヨーロッパのそれぞれの国王は、道化の愚行や奇形がじぶんの幻想をくすぶるために、多数の道化を所持することを誇り、給料と衣服を支給し、医療も受けさせた。道化は赤と緑のまだら服を着て、耳つきの頭巾をかぶり、立派な笏杖とよく鳴る鈴をもち、王だろうとだれであろうと、言いたい放題のことをいってもとがめられることはなかった。 この道化の寵愛ぶりを、シェイクスピア一座の道化役者であったロバート・アーミングは、つぎのように伝えている。
シュロップシャー生まれのウィル・サマーズは、或る安息日にグリニッジに連れて行かれ王の前に出されたそうな。この愚者は馬鹿にして握手を断ったか、恐縮したのか。何はともあれ、古老の言うところでは、ごたごたしてやっとその日握手に漕ぎつけた、やせていて眼はくぼみと人皆言う、おまけに背が丸かった。だが宮廷でこの愚者より愛された者の数はすくなく、その陽気なおしゃべりは王に対して力があった。王は悲しいと彼と詩を作りウィルが悲しみを追放したことは多い。他の者のようにウィルを描くこともできようがそれが最善とは思われない。理由はこうだ、どう私が描いたにせよ、彼を知る人は多く、私はいつわることになる、だから一人一人皆の気に入るためには、そういうことはしないのが最善と思う、ただこれだけ、彼は貧しい人の味方で終わりにその未亡人をよく助けた。王はウィルの望むものはいつも与えた、ウィルは欲張りでない事をよく知ってたから。それに王に善行を積むよう望んだので宮廷はウィルを益々愛した。(ウェルズフォード「道化」内藤健二訳)
このように人気のあった道化も、ピューリタンや科学の台頭によって王の神聖が喪失すると、その存在理由を失うことになる。なぜなら、ウェルズフォードのいうように「鈴のついた帽子をかぶった愚者は、秘蹟を持ち、道具だけでなく象徴を重んじる人々の間においてのみ栄え」るものだからである。しかし、道化の消滅を悲しんだり、残念がることはない。道化の歴史は、人間の愛好の裏に隠された、残酷さの例証にほかならないからだ。『リア王』の道化は、シェイクスピアの恣意的な空想の産物ではない。おそらくロバート・アーミングから知識をえて、それをベースに批評精神あふれる道化を創造したのだろう。『リア王』の道化には、人間の残酷さを知りつくした絶望が宿っている。だから笑いより、沈黙を駆り立てる。シモーヌ・ヴェイユは一九四三年、ロンドン滞在中に『リア王』を観劇して、両親につぎのような手紙を書いている。
こちらで、『リア王』を見ましたときに、わたしは、こういう阿呆たちの堪えられないほど悲劇悲劇的な性格が、どうしてまた、ずっとむかしから、(わたしの目をも含めて)人々の目にあからさまに見えていなかったのだろうかと思ったことでした。その悲劇性は、ときとして、かれらに関して言われているように感情的な面には決してなく、次のような点にあるのです。この世においては、辱しめの最後の段階におちこんだ人々、乞食の境涯よりもはるか以下におちこみ、社会的に重んじられないばかりか、人間の尊厳をなす第一のものである理性を欠いているとすべての人たちから見られている人々、―こういう人々だけが、まさしく、真実を告げることができるのです。ほかの者はみな、うそをついているのです。『リア王』においては、この点はとくにはっきりしています。ケント公やコーデリアですらも、真実をおしちぢめ、軽くし、やわらげ、つつみかくし、真実を言わずにすむかぎり、もしくは、はっきりとうそを言わずにすむかぎり、真実に対してはいつもふらふらした態度でいるのです。ほかの作品は(『十二夜』をのぞいて)、こちらでは見ませんでしたし、また再読もしませんでしたので、同じように言えるかどうかはわかりません。お母さん、もしこのような考えをいだいて、シェイクスピアを少しでもお読みになれば、たぶんそこにあたらしい面をおみとめになれるでしょう。悲劇の最たることは阿呆たちが大学教授の肩書ももたず、司教の僧帽もかぶっていず、また、かれらのしゃべっている言葉の意味にいくらかでも注意を向けねばならないと予め知らされている人はだれもいず、―それどころか、かれらは阿呆であるがゆえに、だれもみな、はじめから以上のようなこととは反対のことだけを確信しているので―かれらが真実を言いあらわしても、聞いてさえもらえないということです。四世紀このかた、シェイクスピアの読者や観客も含めて、かれらが真実を言っているのを知っている人はだれもいないのです。それは、諷刺としての真実、また、ユーモアとしての真実ではなく、端的に真実そのものなのです。純粋な、まぜもののない、光りにみちた、 深い、本質的な真実なのです。ベラスケスの阿呆の秘密もまた、そこにあるのではないでしようか。かれらの目に見られる悲しみは、真実を所有しているゆえの苦悩、なんとも名づけようのない境遇に身をおとすことを代償として、真実を言うことができるようにされたという苦悩、(ベラスケスその人は別として)だれひとりとして耳をかたむけてくれる人がいないという苦悩ではないでしょう
か。このような問題をいだいて、もう一度、この阿呆たちを見てみるねうちがあると思います。
お母さん、この阿呆たちとわたしとのあいだには、つながりが、本質的な似寄りがあるとお感じになりませんか、高等師範学校を出て、教授資格をもち、自分の「知性」を人からほめてもらってはいるのですが。このことはまた、「わたしの与えなければならないもの」についての答えにもなることでしょう。学校とかなんとかは、わたしの場合には皮肉(イロニイ)というより以上のものです。すぐれた知性というものは、往々一ぷうかわったところがあり、どうかするととっぴな行動に走りがちだということは、よく知られていることですし・・・・・・わたしの知性をほめ上げたりするのは、「彼女は真実を語っているのか、そうでないのか」という問いをさけて通ろうというねらい、、、があるのです。わたしの知性が評判になったりするのは、この阿呆たちに「阿呆」というレッテルがはりつけられているのと実際上は同じことです。ああ、このわたしも「阿呆」というレッテルをはりつけてもらう方がどんなにいいでしょうか。(シモーヌ・ヴェイユ「ロンドン論集とさいごの手紙」田辺保・杉山毅訳)
ヴェイユにかぎらず、ヨーロッパの優れた思想家や芸術家は、かならず道化に目を向け、そこからじぶんの思索を展開している。フーコーがそうであり、ベラスケスがそうである。ベラスケスの最高傑作といえば『宮廷の侍女たち』だが、『ドン・セバスティアン・デ・モーラ』では、ヴェイユのいう真実を所有するものだけがもつ〈苦悩のまなざし〉を永遠化している。
道化は真実をいっても、聞いてももらえない。人々はユーモアや諷刺だとおもって笑うだけで、その内実を知ろうとしない。ヴェイユも同じだ。人は知性をほめてくれるが、真実を見ようとしない。ヴェイユの思索の中心には入ってこないで、知性というレッテルをはって逃避するだけだ。ヴェイユが思想家として優れているのは、このような観劇という小さな出来事から重要な問題を導いてくる、その
〈気づき方〉にあるといっていい。けっして自尊心が強いわけでも、他人を見おろしているわけでもない。その逆にヴェイユは、じぶんの知性に罪を感じ、知性のない人のところまでおりていき、自己の知性を徹底的に追いつめている。この手紙は、亡くなる二十日前のものなので、ヴェイユの苦悩がよく読みとれる。まさに思考がみずからの生を削っているようである。道化は、リア王にいう。「年寄りになるには、知恵がついてからじゃないといけないんだよ」と。道化の知恵も、ヴェイユの知性も、知識におきかえることができる。知識とはなんだろう。ほんとうにヴェイユのように、知識とはそれを持っている人が持っていない人に罪を感じなければならないものだろうか。吉本隆明はヴェイユの誤謬を指摘している。
〈知識〉というものは、それ自体が富です。〈知識〉はそれだけで所有者を救うことがあります。つまりある事がらを知っているとか、教養を持っているとかということは、それ自体が救済の所有です。〈知識〉のなかにいるときは、ごく普通のことだから当たり前のことだとおもっていますが、そのこと自体が救済なんです。(中略)〈知識〉にとってもっとも重要なことは、現在にあってかんがえられるかぎり無限大に感じ、無限大に想像力を働かせ、無限大にかんがえるという義務をもっていることです。(中略)しかし、可能な最大限のことを感じたり、かんがえたりできなかったとすれば、そこで〈知識〉の怠慢ということが問われるのです。だから、同時代の人間が感じている自由の範囲というものがあるとすれば、その範囲よりもはるかに多くの自由の範囲を感じ、かんがえなければならないことが、〈知識〉にとって第一義的なことです。
(吉本隆明「言葉という思想」)
道化は、老いたリア王にこの〈知識〉の怠慢を責めている。だが、「知識は富とおなじようにあっても決して恥ではないが、誇るべきほどのものでもない」。吉本隆明はさらに論を進めて、つぎのように結んでいる。
〈知識〉にとって最後の課題は、頂きを極め、その頂に人々を誘って蒙をひらくことではない。頂きを極め、その頂きから世界を見おろすことでもない。頂きを極め、そのまま寂かに〈非知〉に向って着地することができればというのが、おおよそ、どんな種類の〈知〉にとっても最後の課題である。(中略)どんな自力の計いをもすてよ、〈知〉よりも〈愚〉の方が、〈善〉よりも〈悪〉の方が弥陀の本願に近づきやすいのだ、と説いた親鸞にとって、じぶんがかぎりなく〈愚〉 に近づくことは願いであった。愚者にとって〈愚〉はそれ自体であるが、知者にとって〈愚〉は、近づくのが不可能なほど遠くにある最後の課題である。
(吉本隆明「最後の親鸞」)
〈無知〉から〈知〉へ、そして〈知〉からふたたび〈無知〉へ。ひとめぐりしてやっと手に入れることのできる、ほんとうの〈無知〉。これが道化のいう知恵であると、わたしは解釈している。
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