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深層の劇 戯曲に内在する真の意味を理解し、それを飛躍的なイメージに転化する。 |
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『リア王』の演劇表現
気ちがい乞食
「リア王」で、エドガーは義理の弟に罪を着せられて、命を狙われる身となり、追っ手をくらますために、気ちがい乞食に変装することを決意する。
エドガー だめだ。港は封鎖され、どこに行っても監視の目が光っている。だが逃げるぞ。生きのびてやる。こんな服など脱ぎ捨て、顔には泥を塗りたくり、髪はぼさぼさにして、困難に立ち向かうのだ。「旦那さま、あわれな乞食におめぐみを」。きょうからおれは、あの伝説の気ちがい乞食、トムだ。それしかない。エドガーでは生きられない。
港の封鎖も、気ちがい乞食も、エリザベス朝時代の社会情況を反映している。病弱でからだの不自由な乞食が街路や街道でたむろするのは、エリザベス朝時代では日常的な光景だった。A・L・バイアーの『浮浪者たちの世界(佐藤隆訳)』によると、ピューリタンの聖職者ウィリアム・パーキンズ(1555〜1602年)は、乞食について「職業にもつかず、どんな法人にも教会にも国家にも所属していない浮浪者や悪漢や落伍者のうってつけの温床」だと攻撃している。だが当時の人々は、貧困者がほんとうに困窮して物乞いをするなら、拒否はしなかった。なぜなら拒否すると、じぶんの魂が危険にさらされ、神の怒りをまねくと考えたからだ。一五九六年に出版された説教集にも、「われわれは、みな神の乞食である。それゆえに、神がその乞食を認めるように、われわれも自分の乞食を軽蔑しないようにしよう」と記されている。
エドガーがいう「あの伝説の気ちがい乞食、トム」は、原作ではBedlam beggarsとなっているが、このBedlamはBethlehem
Hospitalからきている。ベツレヘム・ホスピタルは、中世後期から近代におけるイギリスの中心的な精神異常者の施設であり、ここからトム・オベドラムという言葉が生まれた。ところがベツレヘム・ホスピタルは、わずか三十人ぐらいしか収容できない小規模な施設であったために、収容されない者は各地を放浪して物乞いをしたので、いつのまにか放浪の精神異常者のことをトム・オベドラムというようになったらしい。16世紀の文筆家ジョン・オードレイは、この放浪の精神異常者を、「素肌のまま、素足で歩き、みずからを精神異常者とよそおい、羊毛の包みかベーコンのついた杖か、その種のがらくたを持ち歩き、みずからを貧しいトムとよぶ」とのべている。またべつの記録によると、偽の放浪乞食たちは、じぶんたちがベツレヘム・ホスピタルに収容されたことを証拠だてるために、「焼いた紙、尿、火薬」で腕にあざをつけ、「ある者はひどい物音を立て、ある者はわあーと叫び声をあげ、・・・・・・ある者は一種の野蛮でとり乱した醜い顔だけをし、・・・・・・ある者は際限なく踊り、ほかの者たちはどこででも跳びはねた」という。
火事にあったと偽り、病気だと偽り、足が不自由だと偽り、口がきけないと偽って物乞いをする。バイアーは、十六世紀から十七世紀にかけての、にせの物乞いの物語や記録を多数収集している。なぜ、生活に困窮した人々はにせの物乞いをしたのだろうか。その理由は四つあげられる。
@ 乞食を虐待すると、神の怒りをまねくという共同の幻想があった。
A 貧困者は救貧法で保護され、公認の物乞い許可書を与えられていた。
B 物乞い許可書によって、ほんものの乞食というカテゴリーをつくったことによって、にせの物乞いを発生させる土壌をつくった。
C 物乞いをすれば短期間の生活費がえられた。1622年には、1日に3シリングも稼いだものがいたという。
にせの物乞いたちは、ひといちばい惨めなふりをして、偽りの涙を流して報酬をえると、「神のお恵みがありますように」といって立ち去る。
シェイクスピアが、エドガーを気ちがい乞食に変装させたのも、時代の現実を避けてとおれない、まさに作者の必然であったといっていいだろう。
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