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2008年6月9日(月)
「源氏物語の面白さ」その1―原文を読む面白さ―
『源氏物語』の明石の巻につぎのような文章がある。
そのころは夜離れなく語らひたまふ。六月ばかりより心苦しき気色ありて悩みけり。かく別れたまふべきほどなれば、あやにくなるにやありけむ、ありしよりもあはれに思して、あやしうもの思ふべき身にもありけるかなと思し乱る。(小学館古典文学全集『源氏物語』)
このように『源氏物語』の原文を途中から引っ張りだしてみると、主語が省略されているから、さっぱり意味はわからないが、小学館の句読点表記に従えば、つぎのように三つの文章で構成されていることだけはわかる。
@そのころは夜離れなく語らひたまふ。
A六月ばかりより心苦しき気色ありて悩みけり。
Bかく別れたまふべきほどなれば、あやにくなるにやありけむ、ありしよりもあはれに思して、あやしうもの思ふべき身にもありけるかなと思し乱る。
まず@の文章を訳してみる。これはさらに、
Aそのころは
B夜離れなく
C語らひたまふ。
というABC三つの文に分割される。
では、この文章を訳してみよう。
Aの「そのころは」は、誰が訳しても「その頃は」となるはずだ。
Bの「夜離れなく」は、訳すのに厄介である。なぜなら「夜離れなく」という言葉は現代人には死語であり、現在使わないからだ。仕方がないから古語辞典を引くことになる。
※夜離れ(よがれ:男性が女性のもとへ通ってこなくなること。男女の仲が絶えること)
意味はわかったが、訳すのに苦労しそうだ。
Cの「語らひたまふ。」も、「語らひ」を辞書で引かなければ正確な訳にならない。
※かたらひ(●親しく話すこと。また説得すること●夫婦の契りを結ぶこと。男女の仲)
それでは、「たまふ」という敬語に気をつけて、ABCをつなげて訳してみよう。
その頃は、男女の仲が絶えることなく、親しく話していらっしゃる。
直訳をしてみたが、まったく実感の伴わない悪文である。
だが、このようにして訳していくのが、『源氏物語』を訳すときの基本である。そして、この悪文をいかにこの場面にふさわしい実感のある文章にするかが必要になってくる。
前置きがずいぶん長くなった。それでは@ABすべての先行の訳をまず読んでもらって、きょうの本題である『源氏物語』の原文を読む面白さについて説明することにする。
◇その頃は、一夜も欠かさず源氏の君は明石の君とお逢いになります。六月頃から、女君は痛々しく懐妊の様子で、気分がすぐれず悪阻で苦しんでいらっしゃいました。こうしてお別れなさらなければならない時になると、源氏の君は皮肉なことに愛情がいや増されるのでしょうか、以前よりも女君をいとしくお思いになって、自分はどうして不思議にも、物思いの絶えぬ身の上なのだろうかと、悩まれ、お心をお乱しになります。(瀬戸内寂聴訳)
◇そのころは、一夜も欠かさずに明石の君とお逢いになる。女君は六月ごろからいたわしく懐妊の兆しが見えて苦しんでいたのだった。こうしてお別れも迫る時期なので、あいにくとご執心もまさるのだろうか、以前よりもいとしくお思いになって、この自分はなんと不思議に物思いばかりしなければならぬ身の上ではあった、と悩ましいお気持ちである。(小学館訳)
文章が長いので二者の訳だけで勘弁してもらいたいが、他の人の訳も引用した訳と意味自体は変わらない。
この二者の訳でわたしが奇異に思ったのは、下線で示した所の意味である。二者とも原文の「あやにくなるにやありけむ」を、源氏の君が明石の君との別れが迫っているので、「愛情が増す」とか「執心もまさる」というように、源氏の君の心境というように解釈して訳している。
だがこの訳でいくと、最後の源氏の君の「あやしうもの思ふべき身にもありけるかな」という自分自身への問いかけに読み手としては実感として結びつかないのだ。これらの訳だと、
「読み手の意識の流れが遮断する。どうもこの訳は違うのじゃないか? ほんとうに紫式部はこんなことを書きたかったのだろうか?」
と、演劇人の感でそう思った。
わたしは俳優の経験もあるからはっきりと言えるが、俳優というものは、台詞と台詞の間の意識の流れがわからなければ役を演じることができない。演出もそうだ。登場人物の台詞と台詞の間の意識の流れがわからなければ良い演出はできない。
そんなわけで、この意識の流れを考慮して、原文を何度も何度も読んでみた。
その結果、前述の文章構成そのものに無理があることに気づいた。
つまり前述の原文は、
@そのころは夜離れなく語らひたまふ。
A六月ばかりより心苦しき気色ありて悩みけり。
Bかく別れたまふべきほどなれば、あやにくなるにやありけむ、
Cありしよりもあはれに思して、あやしうもの思ふべき身にもありけるかなと思し乱る。
という四つの文章構成ではないかと。
わたしの訳ではこうなった。
@その頃は一夜も欠かさず(明石の女君と)逢われる。
A(女君は)六月頃から懐妊の兆しがあって苦しまれる。
Bこのように別れが迫っていた時なので、皮肉なことである、
C(源氏の君は)以前よりもしみじみと愛しく思われて、〈じぶんは不思議にも物思いが絶えないな〉と悩んでいらっしゃる。
このようにわたしはBの箇所を、源氏の君の心境を語り手が語るというようには訳さず、明石の君がわが子を身ごもっているのに別れなければならない運命の無常さを語り手が語るというように訳した。この訳でいけば、源氏の君の〈じぶんは不思議にも物思いが絶えないな〉という懊悩に読み手の意識はすんなり流れていくと思う。
このように『源氏物語』の原文を読めば、否が応でも登場人物の意識の流れを考えることになる。そして、この意識の流れを決定したときの痛快さはたまらない! これがわたしが言う『源氏物語』の原文を読む面白さである。
蛇足だが、この場面に関係する事件をあげておく。
●源氏、三月下旬に須磨
●翌年三月暴風雨
●源氏、三月十三日に故桐壺院の夢を見る
●源氏、須磨から明石に移動
●源氏、四月入道と語る
●源氏、八月十三日明石の君と契る
●翌年宣旨
●六月頃明石の君懐妊の兆し
●七月二十日頃重ねて宣旨
●源氏、八月十五日帝と対面
●翌年三月中旬明石の君に女児誕生
『源氏物語』は春夏秋冬、季節の移り変わりとともに物語は進展していく。そして、この物語の進展の速度とともに、主人公光源氏も人間的に成長していく。きょう紹介した場面は、光源氏が対女性関係で少し成長したことがはじめてうかがえる箇所である。
2008年6月6日(金)
もし、中学生や高校生から、
「源氏物語って、なにが面白いですか? どこが面白いですか?」
と問われたのなら、それに明確に答えるのが知識人の役目である。
かつて折口信夫は、『 反省の文学源氏物語』などの源氏物語論で、この問いに真摯に答えた。かれの説いた「源氏物語論」は今でも色褪せないし、将来の思考のためにさまざまな指針を与えている。
そして今、折口信夫の直系の国文学者である國學院大學名誉教授の岡野弘彦氏が折口信夫の理論をさらにわかりやすくわたしたちに提供してくださっている。ありがたいことだ。
折口信夫を知ったのは、わたしが尊敬している吉本隆明氏の『言語にとって美とはなにか』を読んでからだ。高校時代の教科書で釈迢空(しゃくちょうくう)という詩人は知っていたが、その人が折口信夫だとその時にはじめて知り、氏の物語における「貴種流離譚(きしゅりゅうりたん)」という学説を知った。この学説のおかげで、わたしはシェイクスピアの『リア王』という物語の本質がわかり演出することができた。
今にして思えば、吉本隆明氏の『言語にとって美とはなにか』と折口信夫氏の「貴種流離譚」は、わたしの人生を変えたと言っても過言ではない。
このように書物というものは、時としてその人の人生を変える。『源氏物語』が中学生や高校生の人生を変えてもちっともおかしくない。いや、『源氏物語』には、若い読者の人生をも変える、魂を揺さぶるほどのエネルギーが満ち満ちている。
そんなわけで、「源氏物語って、なにが面白いですか? どこが面白いですか?」という問いに、わたしもこの演出日記で答えていきたいと思う。国文学者とは違う演劇人の眼で! |
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