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2008年4月1日(火)
『源氏物語』も10巻の賢木まで読んでくると、紫式部がいったい何を書きたかったのかが、場面に応じて点々とわかってくる。
この賢木の巻では、主人公の光源氏が伊勢の斎宮や、賀茂の斎院という神域の女性たちに興味を示す、いわゆる禁制の場面が所々にある。
文学は言うまでもなく芸術のすべては、作家の選択によって展開されるものだから、紫式部がここで禁制の場面を書いたのには理由がある。紫式部は読者の関心を引くために面白半分にそんな場面を書いたのではない。作家としての純然たる気持ちで主人公光源氏の心の奥底を表現したいために書いたのである。
今日はそんな箇所を抜き出してみる。
最愛の藤壺に拒絶された光源氏は、世の中がすっかり嫌になって雲林院という寺にこもり、天台六十巻の経典を読み出家を考えるところに、つぎのような文章がある。
[原文]
しめやかにて世の中を思ほしつづくるに、帰らむこともものうかりぬべけれど、 人ひとりの御事思しやるが絆なれば、久しうもえおはしまさで、寺にも
御誦経いかめしうせさせたまふ。
[私訳]
(源氏の君は)心を静めて世の中のことを考え続けられると、(都に)帰るのも億劫になられるが、ただあの人一人のことを考えられると それが(仏道修行の)妨げとなって、長くは滞在することもできず、寺にも誦経の布施を丁重にされる。
ここで問題になるのは、原文の「人ひとり」とはだれか? ということである。ほとんどの注釈書は、光源氏が二条院で育てている対の姫君(紫の上)だとしている。与謝野晶子しかり、瀬戸内寂聴しかり、小学館しかり、新潮社しかりだ。
なるほど、源氏が寺にこもっている間、一人寂しく暮している紫の上が気になって源氏が都に帰ろうとしてもおかしくはない。それはそれで意味は通じる。
しかし、ほんとうにそうなのだろうか?
わたしは違うと思う。
ここの「人ひとり」は藤壺だと思う。紫の上では物語があまりに浅薄なものになってしまうし、その前に紫式部が書いた神域の女性たちとのやりとりの意味が解けない。
平安朝の恋は、じぶんの魂が肉体から離れて相手に乗り移ることを言う。ここまでの源氏は、恋において真の意味で魂を放出するのは、亡き母の面影が宿る藤壺だけである。六条の御息所と恋をしても、朧月夜と恋をしても、大勢の女と恋をしても、真の意味で魂が放出することはないと思う。源氏が紫の上をじぶんの家に引き取って教育するのは、紫の上が藤壺に生き写しだからだ。つまり、藤壺あっての紫の上でしかなく、ここまでの時点では、紫の上はあくまでも藤壺の代償でしかないのだ。
(源氏の君は)心を静めて世の中のことを考え続けられると、(都に)帰るのも億劫になられるが、ただあの人(藤壺の中宮)一人のことを考えられると それが(仏道修行の)妨げとなって、長くは滞在することもできず、寺にも誦経の布施を丁重にされる。
このように「人ひとり」を藤壺だと解釈すると、光源氏の底知れぬ魂の広大さが見えてくる。この魂の広大さこそ、古事記から連綿と受け継がれる日本人の特質である。
紫式部は何度も何度も念を押すように、光源氏の危険なものにほど情熱を傾ける性癖を書いている。
神域を犯す。
伊勢の斎宮や賀茂の斎院に心を揺り動かされるのも、ひとえに藤壺への叶わぬ恋の代償だとわたしは思う。つまり、光源氏が禁制の愛を遂げたいと思うのは、そこに死への欲求があるからである。
「愛しても愛しても遂げられない愛、その終着は死(出家)しかない」
と光源氏は思うが、藤壺のことを思うと・・・・・・・
まだ決着はついていない。だからもう一度俗界に戻るのである。 |
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