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ヤマブキは曲線を描きながら枝垂れ、風が吹くとしなやかに揺れるので、昔の人々はこれを山が振れると見たのだろうか、「山振」と書いて、それが転訛して「ヤマブキ」となったという説がある。
また、山に生えて、花色が黄金色で蕗(ふき)に似て美しいことから、「ヤマブキ」の名に転訛したという説もある。
かはべなる 所はさらに 多かるを 井手にしも咲く 山吹の花
(川辺はどこにだってあるのに この井手だけで美しく咲く山吹の花)
和泉式部が詠っている井手の里(山城国相楽郡)は、ヤマブキの名勝地だが、その歴史は古く、奈良時代の聖武天皇に仕えた左大臣・橘諸兄(たちばなのもろえ)が山吹を愛し、氏寺の井堤寺(いでじ)の庭だけでなく、玉川の堤にもヤマブキを植えたのがはじまりといわれている。 |
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渡り廊下のまわりの藤の花も紫の色濃く咲きはじめている。まして池の水に影を映している山吹は、岸から咲きこぼれて真っ盛りである。水鳥が、つがいで遊びながら、細い枝などをくわえて飛び交っているのや、鴛鴦が泳いでいるその波紋が模様を織り出しているのは、なにかの図案として写し取っておきたいほどで、まさに中国の故事の斧の柄も腐るほど時のたつのを忘れて一日を過ごす。
風吹けば 波の花さへ いろ見えて こや名にたてる 山ぶきの崎
(風が吹くと 波の上まで花の色が見えて これこそ評判の山吹の崎というべきだろう)
春の池や 井手のかはせに かよふらん 岸の山吹 そこもにほへり
(春の御殿の池は 井手の川瀬に通じているのだろうか 岸の山吹は水底まで咲き匂っている) |
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[胡蝶] |
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三澤憲治訳『真訳 源氏物語』から抜粋 |
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うぐひすの 来鳴く山吹 うたがたも 君が手触れず 花散らめやも
(うぐいすが来て鳴く 山吹ですが まさかあなたの手に触れないで 散ることがあ るでしょうか)
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大伴池主(巻十一―二八三四) |
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山吹は 日に日に咲きぬ 愛しと我が 思ふ君は しくしく思ほゆ
(山吹は日ごとに咲いている 素晴らしい人だと わたしが思うあなたのことが しきりに思われます) |
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大伴池主(巻十七―三九七四)) |
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花咲きて 実は成らねども 長き日に 思ほゆるかも 山吹の花
(花だけ咲いて 実はならないのに 長い間待つことだ 山吹の花は) |
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読人しらず(巻十―一八六〇) |
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