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ヤエヤマブキは、ヤマブキの雄しべがすべて花びらに変化したもので、雄しべがないから受粉できない。だから、実が実らない。このことを、兼明親王(かねあきらしんのう)が、
七重八重 花は咲けども 山吹の 実の一つだに 無きぞ悲しき[後拾遺集19]
と歌に詠んでいる。この歌から、室町時代の武将で歌人でもある太田道灌を奮起させた逸話がある。
道灌が鷹狩に出かけ雨に降られたので、近くの農家に 雨具の「蓑(みの)」を借りようとしたところ、その農家の娘は盆の上に一枝の山吹の花をのせて差し出した。
道灌は意味がわからないで怒って帰るが、後で、娘が山吹を差し出したのは、前出の兼明親王の歌を踏まえて、貧しくて、実の(蓑)一つさえないから、貸すことができないことをヤマブキの枝で表現したのだとわかり、道灌はじぶんの学のなさを恥じて、それ以来和歌を勉強し、当代一
の歌詠みに なったという。
ちなみに兼明親王の歌は、右の万葉集の三番目の歌から想を得ている。
※ヤエヤマブキは実がつかないが、ヤマブキには黒っぽい実がつく。 |
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渡り廊下のまわりの藤の花も紫の色濃く咲きはじめている。まして池の水に影を映している山吹は、岸から咲きこぼれて真っ盛りである。水鳥が、つがいで遊びながら、細い枝などをくわえて飛び交っているのや、鴛鴦が泳いでいるその波紋が模様を織り出しているのは、なにかの図案として写し取っておきたいほどで、まさに中国の故事の斧の柄も腐るほど時のたつのを忘れて一日を過ごす。
風吹けば 波の花さへ いろ見えて こや名にたてる 山ぶきの崎
(風が吹くと 波の上まで花の色が見えて これこそ評判の山吹の崎というべきだろう)
春の池や 井手のかはせに かよふらん 岸の山吹 そこもにほへり
(春の御殿の池は 井手の川瀬に通じているのだろうか 岸の山吹は水底まで咲き匂っている) |
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[胡蝶] |
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三澤憲治訳『真訳 源氏物語』から抜粋 |
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うぐひすの 来鳴く山吹 うたがたも 君が手触れず 花散らめやも
(うぐいすが来て鳴く 山吹ですが まさかあなたの手に触れないで 散ることがあ るでしょうか)
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大伴池主(巻十一―二八三四) |
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山吹は 日に日に咲きぬ 愛しと我が 思ふ君は しくしく思ほゆ
(山吹は日ごとに咲いている 素晴らしい人だと わたしが思うあなたのことが しきりに思われます) |
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大伴池主(巻十七―三九七四)) |
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花咲きて 実は成らねども 長き日に 思ほゆるかも 山吹の花
(花だけ咲いて 実はならないのに 長い間待つことだ 山吹の花は) |
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読人しらず(巻十―一八六〇) |
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