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コノテガシワは、枝が直立している様子が、手のひらを立てているようだからという。また、その葉は、どちらが表でどちらが裏なのか区別がつかないところから、二様または両面あることのたとえにされている。
漢名は、柏、側柏で、葉守の神が宿る柏木は、コノテガシワである。
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柏木と楓とが、ほかの木よりも若々しい葉色で枝を交差しているのをごらんになって、
「どういう前世の宿縁なのか、枝先が一つになっているのは将来の望みが持てる(いわゆる連理の枝)」
などとおっしゃって、そっと近寄って、
「ことならば ならしの枝に ならさなむ 葉守の神の ゆるしありきと
(同じことなら この連理の枝のように 親しくしていただきたい 葉守の神〔亡くなった人〕の許しがあったと思われて)
御簾の外のよそよそしい扱いが、恨めしい」
とおっしゃって、長押に寄りかかっていらっしゃる。
「艶っぽい姿もまた、とても上品でいらっしゃる」
と女房たちが互いにつつき合っている。この相手をしている少将の君という女房に取次がせて、女二の宮が、
柏木に 葉守の神は まさずとも 人ならすべき 宿の梢か
(柏木に葉守の神〔亡くなった夫〕はいらっしゃらなくても 他の人を近づけてよい宿の梢でしょうか)
突然にそんなことをおっしゃると、浅はかな方のように思われます」
とおっしゃるので、大将は、
〈もっともだ〉
と思われて少し苦笑なさる。 |
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[柏木] |
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三澤憲治訳『真訳 源氏物語』から抜粋 |
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奈良山の 児手柏の 両面に かにもかくにも 佞人が伴
(奈良山の 児手柏の葉のように 心が両面になっていて あっちこっちにいい顔を して 媚びへつらう人たちだ)
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消奈行文(巻十六―三八三六) |
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千葉の野の 児手柏の 含まれど あやにかなしみ 置きて高来ぬ
(千葉の野の 児手柏のように 若くてあどけないが なんとも痛々しくて 手も触れ ないではるばるやって来た) |
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大田部足人(巻二十―四三八七) |
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