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Stellaria media (L.) Villars |
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Brassica rapa L. var. rapa、Brassica rapa L. var. glabra |
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Raphanus sativus var. longipinnatus |
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古代中国に、正月子の日に山に登り四方を望むと憂いを除くという信仰があり、日本でも聖武天皇のときから始まった。
これに、やはり中国から伝わった、野に出て小松を引き、若菜を摘む風習が加わった。子の日は「根延び」を意味してめでたいとするのである。人々は正月の最初の子の日に野に出て小松を引いたり、若菜を摘んだりした。
その後、正月七日に七種の菜(セリ・ナズナ・ハコベラ・ゴギョウ・スズナ・スズシロ・ホトケノザ)を食べる風習が唐から入ってきた。 |
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正月二十三日は、子の日なので、左大将の北の方(玉鬘)が、若菜を献上なさる。前もってそういう様子は見せないで、ごく内密に準備なさったので、源氏の君としても突然のことで、辞退することができない。内々ではあるが、玉鬘は太政大臣の娘で左大将の妻という威勢があるから、六条院に訪問なさる儀式などは、格別に盛大である。
若葉さす 野辺の小松を ひきつれて もとの岩根を いのる今日かな
(若葉の萌え出る野辺の小松〔幼い子供たち〕を引き連れて わたしを育ててくださったあなたの繁栄を祈りに今日やって来たのです)
と尚侍の君はあえて母親らしくおっしゃる。沈の折敷(角盆)を四つ並べて、源氏の君は若菜を形ばかりお召し上がりになる。盃を取られて、
小松原 末のよはひに 引かれてや 野辺の若菜も 年をつむべき
(小松原〔孫たち〕の行く末長い年齢にひかれて 野辺の若菜〔わたし〕も長生きするでしょう) |
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[若菜上] |
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三澤憲治訳『真訳 源氏物語』から抜粋 |
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阿闍梨の僧坊から、
「雪の晴れ間に摘んだものです」
といって、沢の芹(せり)、蕨(わらび)などが贈られてきた。それを仏前の精進の食膳にさし上げる、
「山里は山里なりに、こういう草木の様子によって季節の移り変わりがはっきりわかって面白いわね」
などと女房たちが言うのを、姫君たちは、
〈そんなことのなにが面白いのかしら〉
と聞いていらっしゃる。大君は、
君がをる 峰の蕨と 見ましかば 知られやせまし 春のしるしも
(父君が折ってくださった峰の蕨なら 春がやって来たのだと嬉しく思われるのに)
中の君は、
雪ふかき 汀の小芹 誰がために 摘みかはやさん 親なしにして
(雪深い水際の小芹を 誰のために摘み取って楽しもうというのでしょうか 親もないわたした ちなのに) |
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[椎本] |
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三澤憲治訳『真訳 源氏物語』から抜粋 |
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籠もよ み籠持ち ふくしもよ みぶくし持ち この岡に 菜摘
ます児 家告らせ 名告らさね そらみつ 大和の国は おしな
べて我こそ居れ しきなべて 我こそ座せ 我こそば 告らめ
家をも名をも
(籠も 良い籠を持って へらも 良いへらを持って この岡で菜を積んでいる娘よ ご身分は 名前を明かしなさい この大和の国は すべてわたしが君臨している
すべてわたしが治めている わたしのほうから告げよう 身分も名前も)
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雄略天皇(巻一ー一) |
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