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●紫式部の心の深さ |
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「源氏物語」の作者である紫式部は、とても心の深い人である。
なのに現代語訳を間違えると、心の深い人が心の浅い人になってまう。
そうならないように現代語訳には細心の注意を払わなければならない。
総角の巻に次のような文章がある。宇治の中の君と結婚した兵部卿宮が紅葉狩りを表向きの理由にして中の君に逢いに来て、宮は中の君にすぐにも逢いたいのに、臣下の手前そうもいかず仕方なく管弦の遊びを川向こうでしているが、それを川のこちら側の宇治の邸から見ているところである。
原文はこうなっている。
正身の御ありさまはそれと見わかねども、紅葉を葺きたる舟の飾りの錦と見ゆるに、声々吹き出づる物の音ども、風につきておどろおどろしきまでおぼゆ。世人のなびきかしづきたてまつるさま、かく忍びたまへる道にも、いとことにいつくしきを
見たまふにも、げに七夕ばかりにても、かかる彦星の光をこそ待ち出でめとおぼえたり。
源氏物語の特徴で主語は書いてない。この箇所を、瀬戸内寂聴は次のように訳している。
匂宮御本人のお姿は、それとははっきりわかりませんけれど、御座船の屋根の飾りには、まるで錦かと思われる紅葉を葺いてあり、思い思いに吹き立てる笛の音色が、風に乗って渡ってくるのが、騒々しいほど賑やかです。世間の人々が匂宮に靡き寄り、お仕えする様子が、こんなお忍びの道中にも、格別威厳があって、辺りを払う御威勢なのを御覧になるにつけても、姫君たちは、ほんとうに年に一度の七夕の逢瀬でもいいから、こんなすばらしい彦星の光こそお待ち申し上げたいものだとお思いになります。(瀬戸内訳)
原文と瀬戸内の訳で問題となるのは、太字の文章の主語である。瀬戸内は、
「姫君たちは」
と、主語を大君と中の君の二人にしている。つまり大君と中の君二人ともが、川向こうで遊んでいる(兵部卿)宮の威勢を見て、
「ほんとうに年に一度の七夕の逢瀬でもいいから、こんなすばらしい彦星の光こそお待ち申し上げたいものだ」
と思っていると訳している。
瀬戸内同様、新潮日本古典集成も、
「宮の訪れの間遠さを怨む気持ちも忘れ去った様子」
と解釈して、主語を姫君たちにしている。ちくま文庫の大塚ひかりもしかりである。
ほんとうに主語は姫君たちなのだろうか?
わたしは次のように訳した。
(兵部卿宮)ご本人のお姿ははっきり見分けられないが、紅葉で屋根をおおった(屋形)舟の飾りが錦のように見える上、思い思いに吹きたてている楽の音が、風に乗って聞こえてくるのは騒々しいほど賑やかである。世の人が(宮のご威勢に)服し大切にお世話している様子が、こういうお忍びの時にも、格別豪勢なのを見ると、(若い女房たちは)
〈七夕のように年に一度の逢瀬でもいいから、あの彦星のように光り輝く方を待っていたいわ〉
と思っている。(三澤訳)
わたしの訳の場合、主語は「若い女房たち」である。
この若い女房たちは、紫式部がすでに前に書いてるように、宇治の邸の凋落とともに暇をとって京に移り住んでいたが、中の君が兵部卿宮と結婚すると、また宇治の邸に舞い戻ってきた権力におもねる女たちである。
わたしは紫式部はここでも、宮が近くに来ていてもすぐに来ないのでいらいらしている中の君や大君の気持ちも理解しないで、若い女房たちが宮の威勢にはしゃいでいる浮ついた心を書いたのだと思う。中の君や、まして大君が、
〈七夕のように年に一度の逢瀬でもいいから、あの彦星のように光り輝く方を待っていたいわ〉
などと絶対に思うはずがない。二人をそんな蓮っ葉な女にしてはいけない。いや、紫式部はそんなことは書かなかった。
ではなぜ瀬戸内やほかの訳者は、主語を姫君たちにしたのだろう?
おそらく原文の「見たまふにも」の敬語によって、
「敬語になっているから姫君たちだ」
と安易に考えたのだと思う。
兵部卿宮が宇治に来る前に、かれのよき理解者である中納言(薫)は宇治の姫君たちにこんなことを言っている。
「(宮が)きっとそちらで中休みに宿泊なさるでしょうから、そのつもりでいてください。去年の春も、花見にやって来た連中が、こういう機会をよいことに、時雨の雨宿りに紛れてあなたがたのお姿を覗くかもしれません(三澤訳)」
と。
この文章から推察すれば、姫君たちは中納言の言ったことを守り、誰にも見られないように奥の部屋に閉じこもって、密かに宮が来るのを今か今かと待っていると思う。
中の君の恋慕と大君の苦悩とを、若い女房たちの蓮っ葉な気持ちと照らし合わせて暗に表現する。 紫式部とはなんと心の深い人だろう。 |
三澤憲治 |
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