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●主語はだれか? |
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『源氏物語』を訳す場合、主語はだれかということが問題になる。この問題をわかってもらうためには、原文は欠かせないので、原文と私訳とを交互に紹介して述べていくことにする。
〔原文〕 春宮も、一たびにと思しめしけれど、もの騒がしきにより、日をかへて渡らせたまへり。
ここの主語はもちろん春宮(東宮)である。だから訳では、
東宮も、(帝と)一緒にと思われたが、大変な騒ぎになるので、日を変えて出かけられた。(私訳)
となる。次の、
御年のほどよりは、おとなびうつくしき御さまにて、恋しと思ひきこえさせたまひける積もりに、何心もなくうれしと思して見たてまつりたまふ御気色いとあはれなり。
も、主語は東宮である。だから訳では、
(東宮は)実際の年齢(五歳)よりは、大人びた可愛らしい感じで、ふだんから(院に)会いたいと思っていらっしゃったので、嬉しくてたまらず(死期が近づいているのも知らないで)無邪気に(院を)ご覧になっている様子はほんとにいじらしい。(私訳)
となる。
さて次の文章が問題の箇所である。
原文はこうなっている。
中宮は、涙に沈みたまへるを、見たてまつらせたまふも、さまざま御心乱れて思し召さる。
中宮は、とあるのだから主語は中宮のはずだが、古典学者の訳ではほとんどが主語を院にしている。 例えばこんなぐあいだ。
院は、中宮が涙に沈んでいらっしゃるのを拝見あそばすにつけても、あれこれお心も千々(ちぢ)に乱れておいでになる。(小学館訳)
ほんとうに古典学者が言うように主語は院なのだろうか?
わたしには、院を主語にした場合の、「さまざま御心乱れて思し召さる」という気持ちがどうしても実感としてわかない。古典学者たちはおそらく、
「見たてまつらせたまふも」
という超敬語表現を安易に受け入れて、主語を院にしたのだろう。
わたしはちがう。主語はあくまでも中宮である。
なぜなら、 藤壺中宮にとって東宮はじぶんと源氏との間にできた、いわゆる不義の子である。この事実は決して院に知られてはならないし、もちろん東宮に明かすわけにもいかない。それに藤壺中宮は今なお源氏との関係に悩まされている。院はこのことをまったく知らないし、東宮にいたってはなにもわからず、ひたすら院を父親だと思って慕っている。ここには書かれてはいないが、この席には源氏も同席しているのが後の文章でわかる。
つまり中宮は、わが子の出生に悩み、院への隠し事に悩み、源氏との関係に悩むばかりか、死が迫っている桐壺院の病状に悩み、院という大きな後ろ盾をなくした後の東宮の将来について悩むので、
「さまざま御心乱れて思し召さる」
のだと思う。
わたしの訳では次のようになった。
(藤壺の)中宮は(そんな東宮をご覧になって)涙に沈んでいらっしゃるが、(その様子を帝が)ご覧になってると思うと、さまざまに心が乱れてしまわれる。(私訳)
高校生にもわかるように原文にない言葉を()で補足しているが、論理の整合性はあると思う。 |
三澤憲治 |
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