|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
●紫式部の表現の深さ |
|
『源氏物語』の原文を読んできて、わたしの琴線に特に触れてきた人物は若紫である。この少女が登場するシーンを作者の紫式部はとても丁寧に描きこんでいるので面白いし、演劇化してみたいという興味をそそられる。 若紫の名場面を紹介しよう。
灯りをともして、絵などをご覧になっていると、外出すると言っていたので、供たちが咳払いをして、
「雨が降りそうです」
などと言うので、姫君は、いつものように、心細くなってふさぎこんでしまわれる。絵を見るのもやめて、うつ伏していらっしゃるので、(源氏の君は)とてもいじらしくなって、ふさふさとこぼれかかっている髪を撫でられて、
「(わたしが)いないと寂しい?」
と言われると、(姫君は)うなずいていらっしゃる。
「わたしも、一日だって会えないのはとっても苦しいよ。だけど、(あなたが)小さいうちは安心できるから、とりあえずひねくれた嫉妬深い人の機嫌を損ねないように、面倒くさいけどしばらくはこうして出歩くしかないんだよ。(あなたが)大人になったら、よそへは絶対に行かない。人に恨まれないようにしてるのも、長生きして、(あなたと一緒に)気ままに暮らしたいからだよ」
などと、こまごまと話して聞かされると、(姫君は)さすがに恥ずかしくなってなんともおっしゃれない。そのまま(源氏の君の)膝に寄りかかって眠ってしまわれたので、(源氏の君は)ひどく心苦しくなって、
「今夜は出かけない]
と言われると、(女房たちは)みな座を立って、お膳などを運んできた。(源氏の君は)姫君を起こされて、
「出かけないことにした」
と言われると、(姫君は)機嫌を直してお起きになる。一緒に食事をされる。(姫君は)ほんの少し箸をつけられただけで、
「じゃあ おやすみなさい」
と まだ安心できないようなので、(源氏の君は)
〈こんな可愛い人を見捨てては、たとえ死出の旅路でも出かけられない〉
と思われる。
この場面で若紫は、少女から大人の女の領域へと移行しつつある。それを作者である紫式部は、若紫に
「じゃあ おやすみなさい(原文は「さらば寝たまひねかし」)」
と、ひと言言わせるだけで表現した。これがまさに演劇的であり、作者の人間心理を知悉した表現の深さといっていい。 |
三澤憲治 |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|