|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
●千年の命の源 |
|
「花宴」は、巻名にふさわしい女主人公が登場する。朧月夜である。
「朧月夜に似るものぞなき」
と口ずさんで登場したと思ったら、あっという間に源氏の君と関係してしまう。
この作者の筆の速さはなんとも言えず素晴らしい。紫式部は余分なことは書かない。若い二人の芳醇なひとときを簡潔明瞭な言葉を駆使して喚起させる。それが素晴らしいのだ。
こんなところは現代語訳なんかしないで原文を味わうのがいちばんだ。
人は寝静まっている。朧月夜が登場する。
いと若うをかしげなる声の、なべての人とは聞こえぬ、
「朧月夜に似るものぞなき」
とうち誦じて、こなたざまには来るものか。いとうれしくて、ふと袖をとらへたまふ。女、恐ろしと思へる気色にて、
「あな、むくつけ。こは、誰そ」
とのたまへど、
「何か、うとましき」
とて、
深き夜の あはれを知るも 入る月の おぼろけならぬ 契りとぞ思ふ
とて、やをら抱き降ろして、戸は押し立てつ。あさましきにあきれたるさま、いとなつかしうをかしげなり。わななくわななく、
「 ここに、人」
と、のたまへど、
「 まろは、皆人にゆるされたれば、召し寄せたりとも、なんでふことかあらん。ただ、忍びてこそ」
とのたまふ声に、この君なりけりと聞き定めて、いささか慰めけり。
わびしと思へるものから、 情けなくこはごはしうは見えじと思へり。 酔ひ心地や例ならざりけむ、ゆるさむことは口惜しきに、女も若うたをやぎて、強き心も知らぬなるべし。らうたしと見たまふに、ほどなく明けゆけば、心あわたたし。 女は、まして、さまざまに思ひ乱れたる気色なり。
以上、これですべて、「うまい!」のひと言だ。こんな名文は現代語訳をすると恥をかくだけだが、それを承知で載せておく。
とても若くて美しい声が、(それは)ありきたりの人の声とも聞こえない、
「朧月夜に似るものぞなき」
と口ずさんで、こっちのほうに近づいてくるではないか。(源氏の君は)すっかり嬉しくなって、さっと袖を取られる。女は、恐がっている様子で、
「まあイヤだ、だれ?」
と言うが、(源氏の君は)
「そんなに恐がらなくても」
と言われて、
深き夜の あはれを知るも 入る月の おぼろけならぬ 契りとぞ思ふ
(美しい朧月夜を感じあったのも おぼろげでない前世からの約束だと思う)
と詠んで、そっと細殿に抱き下ろして、戸を閉めてしまった。驚き呆れている様子が、とても可憐で美しい。(女は)わなわなとふるえながら、
「ここに、人が」
と言うが、(源氏の君は)
「わたしは、誰もなんとも言わないから、人を呼んでも、なんにもならないよ。静かにして」
とおっしゃる声に、(女は)
〈源氏の君なんだ〉
とわかって、ちょっと安心する。
(女は)困ったものだと思うものの、無愛想な強情な女だとは思われたくない。(源氏の君は)いつになく深酔いされていたのだろうか、このまま(女を)放してしまうのも残念だし、女も初々しくなよやかで、強く拒むことも知らないのだろう、たまらなく可愛いと思って愛しているうちに、間もなく夜が明けてゆくので、心がせかれる。女は、まして、さまざまに思い乱れている様子である。
『源氏物語』が千年持っている理由は、こんな文章にもある。 |
三澤憲治 |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|