『源氏物語』参考文献
『長恨歌』現代語訳
『古事記』現代語訳
『源氏物語玉の小櫛』現代語訳
『和泉式部日記』現代語訳
『和泉式部集〔正集〕』現代語訳
『和泉式部集〔続集〕』現代語訳
『赤染衛門集』現代語訳
『清少納言集』現代語訳
『藤三位集』現代語訳
『蜻蛉日記』現代語訳
『枕草子』現代語訳
『和泉式部集』
続集
 久しう昔せぬ人の、山吹につけて、「日頃の罪は、許せ」とておこせたれば
(長らく便りをくれない人が、山吹をつけて、「この何日かの罪を許してください」と言ってきたので)

1 とへとしも 思はぬ八重の 山吹を 許すと言はば 折りに来むとや[正集一五八・後拾遺集雑二]
(八重山吹を十重だんて 来てくださいなんて思ってもいないのに 許 すと言ったら来るつもりなのかしら)


 「かたらふ人の、ゐなかより来たり」と聞くに
 (「親しくしている人が、田舎から上京している」と聞いたので)

2 あ行人(ゆくひと)も とまるもいかにりやとも 問はば答へむ たれ故に憂き世の中に あるもある身ぞ[続集二一四]
(「生きているか」とでも聞かれたら答えよう「誰に逢いたいためにこの辛い世の中に生きているわたしだと思っているの」と)


 つねに憂き人の、「憂きを知らぬにや」など言ひたるに
 (いつもわたしに冷淡な人が、「じぶんの冷たさがわからないのか」などと言ってきたので)

3 憂き身をし 知らぬ心の限りして たびたび人を 怨みつるかな
 (じぶんの惨めさもわからないわたしが 心のありったけを尽くして 何度もあなたを恨んだわ だってあなたを失いたくないから)

 雨の降る日、「涙の雨の、袖に」など言ひたる人に
 (雨の降る日、「涙の雨が、袖に」などと言ってきた人に)

4 見し人に 忘られてふる 袖にこそ 身を知る雨は いつもをやまね[正集六三三・後拾遺集恋二]
(あなたに忘れられて淋しく暮らしているわたしの袖にこそ わたしの不運を思い知らせてくれる雨がいつも降っています)


 同じ人の「人やりならず、かうては、生きたる心地もせず」など言ひたれば
(同じ男が、「誰のせいでもないが、これでは生きた心地もしない」と言ったので)

5 ありとても 今は頼まぬ 仲なれど ひたすらなくは なるなとぞ思ふ[正集六三四]
(生きていらっしゃっても 今はもう逢えない仲だけれど あなたがこれっきりこの世からいなくなるのは厭です)


 八月十余日のほどに、夜半ばかりに
 (八月十日過ぎの夜、夜中頃に)

6 まどろめば 吹きおどろかす 風の音の いとど夜寒に なるをこそ思へ[正集六四〇]
(うとうとするとすぐに目を覚まさせる風の音に これからいっそう夜が寒くなっていくのを思う)


 九月ばかりに、ものに詣でて泊りたるに、かたはらの局に、少し人の声のすれば、しきみの葉に書きて置かす
 (九月頃に、お寺に参詣して、夜泊まったところ、そばの部屋で、少し人の声がするので、しきみの葉に書いて置かせた)

7 憂き世には あらしの風に 誘はれて こし山川に 袖も濡ららしつ[正集六四一]
(辛い世の中にはいたくないと 嵐の風に誘われて来た山の水に袖を濡らしてしまった)


 陸奥国へ言ひやる(陸奥国へ送った)

8 高かりし 波によそへて その国に ありてふ山を いかに見るらむ
(都での浮気になぞらえて そちらの国にあるという末の松山を どんな気持ちで見ていらっしゃるのでしょう)
 ※「君をおきて あだし心を わがもたば 末の松山 浪もこえなむ/あなたをさしおいて ほかの人を思う気持ちをわたしが持つなら あの末の松山を波も越えてしまうでしょう[古今集東歌・読人しらず]」をふまえる。


 二月ばかりに、返り事せぬ女に、男の、やるとて、詠ませし
 (二月頃、返事をくれない女に送るのだと言って、男がわたしに代作させた)

9 あとをだに 草のはつかに 見てしかな 結ぶばかりの 程ならずとも[新古今集恋一]
(あなたの筆跡だけでも わずかでいいから見てみたい 契りを結ぶ〔結婚する〕というほどでなくても)


 通ひける人の、少し間遠なる頃、その人に名立つ人のもとに、生海松(なまみる)やるとて
 (通ってきていた人が、多少疎遠になる頃、その人との間に浮名が立っている人に、生海松を送るときに)

10 かりに来し あまもかれなで うらさびて ただみるままに おのがしわざぞ[正集二六六・続集二五三]
(一時的にあなたのところへ来ていたあの人と疎遠になって 淋しそう ですが わたしの見るところ これもみなあなたのせいです)


 いといたう荒れたる所に、ながめて
 (あまりにもひどく荒れはてた所で、ぼんやり庭を眺めて)

11 語らはむ 人声もせず しげれども 蓬のもとは 訪ふ人もなし
(話し合う人の声もしない 蓬の茂る家には訪ねる人があるというのに いくら蓬が茂っていても わたしの家を訪ねる人もいない)
 ※「我もふ り 蓬も宿に 茂りにし 門に音する 人は誰ぞも[古今六帖]」をふま える。


 「久しう有らずやあらむ」と思ふ人の、もの言ひ初めて、絶えて逢はぬに
 (「長続きはしないのでは」とわたしが思っている人で、つきあい始めて、契りはまだ結ばないときに)

12 つらからむ 後の心を 思はずは あるにまかせて あるべきものを[続集二六五・玉葉集恋三・万代集恋二]
(契りを結んだら どんなに辛い思いをするか それを思わないなら 成り行きにまかせておけばいいのだけれど)


 「今、この廿余日ほどに」と頼むるを、「いかで、さまでは」といふをば
 (「今月の二十日過ぎに」と逢瀬を約束すると、「そんなに待てない」と言うので)

13 君はまだ 知らざりけりな 秋の夜の 木の間の月は はつかにぞ見る[続集二六六・後拾遺集雑二]
(あなたはまだ知らないのね 秋の夜の木の間がくれの月は二十日頃が見頃だし 恋しくなってから わずかに逢うのがいいのよ)


 人と物語してゐたるほどに、また人の来たるを、たれもたれも帰りたるつとめて
 (人と話をしているときに、また別の人が来たのだが、二人共帰ってしまった翌朝)

14 なかぞらに ひとりあり明の 月を見て 残るくまなく 身をぞ知りぬる[玉葉集恋二・続詞花集恋中]
(中空にぽつんと浮かぶ有明の月を見て あの月のように身を寄せるところもない 中途半端なじぶんを思い知らされた)


 田舎なる人のもとより、「かやうには思ふ事」言ひたるに
 (田舎にいる人のところから、「こんなに思っている」と言ってきたので)

15 我ばかり たれか歎かむ 都にも そこにも人は 多からめども[続集二八五]
(わたしのようにあなたに逢えないのを誰が歎くでしょう 都にもそこにもあなたの知り合いは多いでしょうけれど)


 雨降る夜来て、急ぎ帰る人に
 (雨が降る夜にやって来て、急いで帰る人に)

16 待つ人の なき夜なりせば 聞かずとも 雨降るめりと 言はましものを[続集二八七]
(あなたを待っている人がいない夜なら 雨の音を聞かないでも 「雨が降っているようだ」と言って 泊まってくださったのに)


 「とまらぬものと、涙にて知りにけむ」と、言ひたるに
 (「いくら引き止めても、わたしが泊まらないことは、あなたが流す涙でわかっていただろう」と、言ってきたので)

17 とどまれと 思ふといかで 知りにけむ 惜しげなくなく 落つる涙を[続集二八八]
(あなたが泊まってくればいい〔涙がとまればいい〕とわたしが思っていると どうしてわかったの あなたが帰っていくのなんて名残惜しくないと惜しげもなく落とした涙なのに)


 ある宮仕への持たる扇に、萩など画きたる所に
 (ある宮仕えの人が持っている扇に、萩などが描いてあるところに)

18 露払ふ 風もやあると 宮城野に 生ふる小萩の 下葉ともがな
(露を吹き払う風が吹くかもしれないから 宮城野に生える小萩の下葉にでもなってしまいたい〔あなたが来るかもしれないと あなたを待ちわびていつも泣いているの〕)
 ※「宮城野の もとあらの小萩 露を重み 風を待つごと 君をこそ待て(宮城野の根元の葉がまばらな萩が 露を風が払ってくれるのを待つように あなたを待っています)[古今集・読人しらず]をふまえる。
 ※紫式部は『源氏物語』で、「宮城野の 露吹きむすぶ 風の音に 小萩がもとを 思ひこそやれ(宮城野に吹きつけて露を結ばせる秋の風の音を聞くと 小萩がある場所を思いやることです)」というふうに使っている。


 あやしき事を思ふ頃(変な噂が立って苦労している頃)

19 脱ぎ棄てむ かたなきものは 唐衣(からごろも)  たちとたちぬる 名にこそありけれ[続集二九四・玉葉集恋一]
(脱ぎ捨てる方法がないものは 唐衣〔濡れ衣〕の立ってしまった評判 意訳―一度変な噂が立ってしまうと それから逃れる方法もない)

 「頼めたるほど、え待たじ。死ぬべし」と言ひたる男に
 (「約束してくれた日まで、とても待てそうにない。死ぬだろう」と言ってきた男に)

20 逢ふ事を ありやなしやも 見も果てで 絶えなむ玉の 緒をいかにせむ[続集二六一・続後撰集恋二・万代集恋二]
(逢うことがあるのかないのかも見届けもしないで 死んでしまう人の命なんかどうしようもないわ)   


 待つ人ある頃、門の前より、夜更けつつ、人の行くを聞きて
(来てほしい人がいる頃、門の前を、夜更けになってから、男が通って行くのを聞いて)

21 わが宿を 離(か)れやしなまし 人の待つ 人は夜ごとに 過ぎて行くなり[続集二三九・四三七]
(家を引っ越そうかしら ほかの女が待っている人は 毎晩ここを通りすぎて通って行くから 家が変われば男が来てくれるかもしれない)


 もの心憂く覚ゆる頃、ものに詣でて、しばしありて帰る日、居たる柱に書きつく
 (なにかと辛く感じている頃、寺へ参詣して、しばらく籠って帰る日に、寄りかかっていた柱に書く)

22 捨ててまし 憂き身ながらに いきたらば ふるさと人も いかに待ち見む
(この身を捨ててしまおうかしら 辛い身の身の上のまま生きて帰ったら 家の人たちも待ち受けてどんな目で見るだろう)

 「音せう」と言ひたる人の、音せねば
 (「便りをする」と言った人が、便りをよこさないので)

23 わが言(こと)に 違(たが)はざりける 心かな 忘るなとこそ 言ふべかりけれ
(「最初逢った時に「すぐに忘れるでしょう」と言ったけれど あなたはわたしの言葉を裏切らない方ね こういうことならあの時 「忘れないで」と言えばよかった)

 二月晦日がたに、風のいみじう吹くに
 (二月末頃、風がひどく吹くので)

24 花散らす 春の嵐は 秋風の 身にしむよりも わびしかりけり[続集二一八]
(花を散らしてしまう春の嵐は 秋風が身にしみるよりも わびしい)


 春ごろ、蟬のからの、ものの中にあるを
 (春頃、蝉の抜け殻が、なにかの中にあるのを)

25 煙(けぶ)りなむ 事ぞ悲しき うつせみの 空しきからも あればこそあれ[続集二二一]
(死ねば煙となってしまうのが悲しい 蝉の抜け殻でさえ虚しいながらも残っているのに)
 ※うつせみ―「空蝉」に「現身」をかける。 旅なる所にて、月を見て (よそにいて、月を見て)


26 春の夜の 月は所(ところ)も わかねども なほすみなれの 宿ぞ恋しき[続集三一〇・新続古今集旅・万代集雑四]
(春の夜の月はどこも同じように照らしているけれど やはり住みなれた家で見た月が恋しい)


 夫、六月ばかり、女のもとへ、「わが袖干めや」と言ひにやるを見て
 (六月頃、夫が女のところへ、「わが袖干めや」と言って送る手紙を見て)
 ※「六月の 地さへ割けて 照る日にも わが袖乾めや 君に逢はずして(六月の 地面が割けるくらいに照らす太陽にも 涙に濡れたわたしの袖が乾くことがあるだろうか あなたに逢わないで)[万葉集・読人しらず]


27 わが為は 掛けても言はず 夏衣 無げのあはれも 言はずやあるらむ[続集三八六]
(わたしのためにはかりにも言ってくれない うわべだけの優しい言葉も)


 宮に初めて参りたりしに、祭主(さいす)輔(すけ)親(ちか)が女(むすめ)、大輔(たいふ)と言ふ人を出ださせ給ひたりしと、物語などして、局に下りて、大輔のもとに
(宮さまのところに初めて出仕して、伊勢神宮の祭主輔親の娘の大輔と言ふ人を応対にだされたのと話などして、部屋に下がってから、大輔のところへ)

28 思はむと 思ひし人と 思ひしに 思ひし如も 思ほゆるかな[伊勢大輔集]
(思おうと思っていた人だと思っていましたが 思っていた通りの人だと思いました)


 かへし(返歌)

29 君をわが 思はざりせば 我を君 思はむとしも 思はましやは[伊勢大輔集]
(あなたをわたしが思っていなかったら あなたはわたしを思おうなんて思わなかったでしょう)

 月明き夜、人の来て、消息言はせたるに
 (月の明るい夜、人が訪ねて来て、取次の女房を通して言われたので)

30 よそにのみ くもゐの月に 誘はれて 待つと言はぬか 来たるたれなり[続集四三〇]
(ほかの女の所ばかりいらっしゃって 今夜の月に誘われて 待っているとは言わないのに来ていらっしゃるのは誰ですか)


 もの思ひ侍りける頃(物思いに沈んでいる頃)

31 刈草(かるも)かき 臥(ふす)(い)の床の 睡(い)をやすみ さこそ寝ざらめ かからずもがな[正集二三二・後拾遺集恋四・後撰集六六]
(猪は枯れ草をかき集めて寝床を作り 居心地がいいので何日も寝るというが わたしはそんなふうに眠れなくても ほんの少しでも眠れたらと思う)


 関寺の牛仏(うしぼとけ)に 
 ※関寺―大津市関寺町長安寺がその跡。

32 聞きしより 牛に心を かけながら まだこそ越えね 逢坂の関[栄花物語峯の月]
(牛仏出現を聞いてからというもの お参りしようと思いながら それもできないでまだ逢坂の関を越えていません)
 ※栄花物語・峯の月「この頃聞けば、逢坂のあなたに、関寺といふ所に、牛仏現れ給ひて、よろづの人詣り見奉る。年頃この寺に、大きなる御堂立てて、弥勒を造り据ゑ奉りける。榑、えもいはぬ大木どもを、ただこの牛一つして運び上ぐる事をしけり。あはれなる牛とのみ、御寺の聖思ひわたりける程に、寺のあたりに住む人借りて、明日使はむとて置きたりける夜の夢に、
『われは迦葉仏なり。この寺の仏を造り、堂を建てさせむとて、年頃するにこそあれ。ただ人はいかでか使ふべき』
 と見たりければ、起きて、
『かうかう夢を見つる』
 といひて、拝み騒ぐなりけり。牛もさやにて黒くて、ささやかにをかしげにぞありける。つながねど行き去る事もなく、例の牛の心ざまにも似ざりけり。入道殿をはじめ奉りて、世の中におはしける人、参らぬなく参りこみ、よろづの物をぞ奉りける。ただ、帝、東宮、宮々ぞ、えおはしまさざりける。この牛仏、何となく心地悩ましげにおはしければ、疾く失せ給ふべきとて、かく人詣りこみて、この聖は御影像を書かむとて急ぎけり。かかる程に、西の京にいと尊く行う聖の夢に見えけり。
『迦葉仏当入涅槃のだむなり。智者当徳結縁せよ』
 とぞ見えたりければ、いとど人いとど人参りこむ程に、歌よむ人もあり。和泉、

聞きしより 牛に心を かけながら まだこそ越えね 逢坂の関


 人々あまた聞ゆれど、同じ事なれば書かず。日頃、この御像画かせて、六月二日ぞ御眼入れむとしける程に、その日になりて、この御堂をこの牛見巡りありきて、もとの所に帰り来てやがて死にけり。これあはれにめでたきことなりかし。御像に眼入れける折ぞ果て給ひにける。聖いみじく泣きて、やがてそこに埋みて、念仏して、七月七日に経・仏・供養しけり。後にこの画きし御像を、内にも宮にも拝ませ給ひける。かかる事こそありけれ。まことの迦葉仏、この同じ日ぞかくれ給ひける。今はこの寺の弥勒供養せられ給ふ。この聖も急ぎけり。草をたれもたれも取りて牛仏に参りける中に、参らぬ人などぞありければ、それは
『罪深きにや』
 などぞ定めける  現代語訳―近頃聞いたところでは、逢坂山の先にある関寺という所に、牛仏が現れて、世の人の多くが参詣して拝見している。ここ数年、この寺では、大きな御堂を建てて、弥勒菩薩を造り安置していた。丸太や、なんともいえない大木などを、ただこの牛一頭で運びあげていた。
〈殊勝な牛だ〉
 とばかり、お寺の聖はいつも思っていたが、ある時、寺の付近に住む人がこの牛を借りて、
〈明日使おう〉  

 と思って連れ帰ったその夜の夢に、
〈わたしは迦葉仏である。この寺の仏を造り、堂を建てさせようと考えて、ここ数年、牛仏となって働いている。普通の人が使っていいのか〉
 と語る場面を見たので、起きてから、
『こういう夢を見た』
 と言って、拝んで騒いだ。牛もさっぱりとして黒く、小柄で可愛らしかった。繋がなくても去ることもなく、普通の牛の性質とは違っていた。入道殿〔藤原道長〕をはじめ、この世にいらっしゃる方はみんなお参りになり、いろいろなものを献納した。ただ、帝、東宮、宮たちはお参りにならなかった。この牛仏は、なんとなく病気のようであったから、
『まもなくお亡くなりになるだろう』  
 と言って、このように人々がお参りに出かけ、この聖は牛仏の肖像を急いで描こうとした。  こうしているうちに、西の京で誠に尊く修行している聖の夢に現れた。
〈迦葉仏がまさに入滅する時を迎えた。道心のある者は仏道に入る縁を得るべきである〉  
 と見えたので、いっそう人々がお参りに行くが、その時歌を詠む人もいる。和泉式部、 牛仏出現を聞いてからというもの お参りしようと思いながら それもできないでまだ逢坂の関を越えていません 多くの人たちの歌を伝え聞いているが、同じような歌ばかりなので書かない。 数日かかって、この肖像を描かせ、六月二日に眼を入れようと思っていたところ、その日になって、この牛はこの御堂を見ながら巡り歩いて元に戻ってきたときに死んだ。これは感慨深く賛嘆されることである。肖像に眼を入れたときにお亡くなりになったのである。聖はひどく泣いて、そのままそこに埋めて、念仏を唱え、七日七日に経仏供養を行った。後になってこの描いた肖像を、帝も宮〔威子〕も拝見なさった。こんなこともあるものだ。真の迦葉仏もこの同じ日にお亡くなりになったのだ。今は、この寺の弥勒菩薩をご供養していらっしゃる。そのためにこの聖も支度する。どなたも草をとって参詣したが、中には参詣しない人もいたので、
『それは罪深い者だろう』  
 と評した」
 とあって、後一条天皇の万寿二年五、六月頃の京の話題となった事件をふまえる。


 入道殿、法師にならせ給ひての、衣替への物の具奉らせ給ふとて
(入道殿〔藤原道長〕が出家なさった後に、衣替えの衣裳を大宮さまに差し上げるときに)

33 唐衣 花のたもとに たちかへよ 我こそ春の 色はたちつれ[栄花物語疑・新古今集雑上]
(あなたは春の色の美しい衣に着替えなさい わたしは出家して春の色は断っていますけれど)


 と、ありけるを聞きて、和泉式部、大宮に奉りける
 (とあったのを聞いて、和泉式部が大宮さまにさし上げた歌)

34 脱ぎかへむ 事ぞ悲しき 春の色を 君がたちける 心と思へば[栄花物語疑]
(春の衣に脱ぎかえるのが悲しくてなりません 春の色をお断ちになった入道殿のお心を思うと)


 大宮の宣旨の返り事(大宮の宣旨からの返事)

35 たちかふる 憂き世の中は 夏衣 袖に涙も とまらざりけり[栄花物語疑]
(移り変わる辛いこの世の中を思うと 着替えたばかりの夏衣の袖に 涙がとめどもなく流れます)


 常の事とは言ひながら、いとはかなう見ゆる頃、三月晦日頃に
 (よくあることだと言うものの、人の命があっけなく思われる頃、三月末頃に)

36 世の中は 暮れ行く春の 末なれや 昨日は花の 盛りとか見し
(世の中はもう春の終りなのだなあ 昨日は桜の鼻の盛りだと見ていたのに〔こんなに急に死んでしまうなんて 昨日はあんなに元気にしていたのに〕)

 心地、いと悪しう覚ゆる頃(気分がひどく悪く思われる頃)

37 我にたれ あはれを掛けむ 思ひ出の なからむ後ぞ 悲しかりける
(誰がわたしをかわいそうだと思ってくれるだろう 誰一人思い出してくれそうもない死後が悲しくてならない)

 宮の御四十九日、誦経の御衣物打たする所に、「これを見るが悲しきこと」など言ひたるに
 (宮さまの四十九日に、誦経の布施にするお召し物を打たせている所にあてて。「このお召し物を見るのが悲しくてならない」などと言ってきたので)
 ※太宰帥敦道親王。寛弘四年十月二日没。二十七歳。


38 うちかへし 思へば悲し 煙にも たちおくれたる あまの羽衣
(思えば思うほど悲しい わたしは死におくれ 尼にもなれないでいる)

 また、人のもとより、「思ひやるらむ、いみじき」など言ひたるに
(また、ある人から、「宮さまのことをいろいろ思い出していらっしゃるでしょう。それを思うとお気の毒で」などと言ってきたので)

39 ふぢ衣(ごろも) きしより高き 涙川 くめる心の ほどぞかなしき
(喪服を着て 岸からあふれるほどのわたしの涙の川を 汲んでくださるお気持ちを思うのも悲しくてなりません)

 同じ所の人の御もとより「御手習ひのありけるを見よ」とて、おこせたるに
 (前の歌の人と同じ所にいらっしゃる方から「宮さまのすさび書きがありましたから、ごらんなさい」と言って、送ってくれたので)

40 ながれ寄る 泡となりなで 涙川 はやくの事を 見るぞ悲しき
(流れ寄る泡がすぐ消えるように この世から消えてなくなることもなく 昔のすさび書きを見るのは悲しい)

 師走の晦日の夜(大晦日の夜に)

41 亡き人の 来る夜と聞けど 君もなし わが住む里や 魂(たま)無きの里[後拾遺集哀・夫木抄十八]
(亡くなった人が今夜訪れると聞くが 宮さまはいらっしゃらない わたしの住む所は 「魂のない里」だろうか)


 一日、人のもとに (元日、ある人のところへ)

42 聞く人や 言はばゆゆしと 思ふとて 霞む雲居(くもい)を 見にのみぞ見る
(〈亡くなった宮さまのことを口にしたら 聞く人が《正月早々縁起でもない》と思うかしら〉と遠慮して 霞んだ空をただ見つめるばかり)

 また、同じやうなる事、思ふ人に
 (また、同じのような嘆きに沈んでいる人に)

43 よそながら 心の中の 通はぬに 思ひやらるる 人の上かな
(離れていては 心の中の思いが通わないのですが あなたの悲しい身の上が思いやられます)

 七日、雪のいみじう降るに、つれづれと覚ゆれば
 (正月七日、雪がひどく降るのが、もの寂しく感じられるので)

44 君が為 若菜摘むとて 春日野の 雪間(ま)をいかに 今日は分けまし
(もし宮さまが生きていらっしゃったら 宮さまの長寿を祈って若菜を摘むために 春日野の雪の間をどんなにか掻き分けていたでしょうに)

45 君をまた かく見てしかな はかなくて 去年(こぞ)は消えにし 雪も降るめり
(亡くなった宮さまにこの雪のようにまた逢いたい 去年あっけなく消えていった雪も降っているようです)

 三月、つれづれなる人のもとに、あはれなる御事など言ひて
 (三月、淋しく暮らしている人のところへ、身にしみるような宮さまの思い出などを言って)

46 菅(すが)の根の 長き春日も あるものを 短かかりける 君ぞ悲しき
(こんなに長い春の一日もあるのに あんなに若くして亡くなられた宮さまのことが悲しくてならない)
 ※「菅の根」は「長き」の枕詞。


 同じわたりの人のもとに
 (前の歌を送った人と同じ所にいらっしゃる人のところへ)

47 数ならぬ 身をばさこそは 問はざらめ 君とはなどか かけて偲ばぬ
(人数にも入らないわたしにはお便りをくださらなくてもいいけれど 宮さまのことはどうして心をかけてお偲びにならないのですか)

 南院の梅の花を、人のもとより「これ見て、慰めよ」とあるに
 (南院の梅の花を、ある人から「これを見て慰めなさい」と言ってきたので)
 ※南院―敦道親王邸。


48 世に経(ふ)れど 君におくれて をる花は 匂ひて見えず 墨染めにして
 (生きているものの 宮さまに後れているわたしが折る花は 黒染めのようでなんし色香も感じられない)

 尽きせぬ事を歎くに (悲しみが尽きないのを歎くので)

49 かひなくて さすがに絶(た)えぬ 命かな 心をたまの 緒にし縒(よ)らねば[続拾遺集雑下・万代集恋三]
(生きていてもしかたないのに さすがに絶えない命 あの切れやすい玉をつなぐ糸で縒っているなら とっくに死んでいたのに)


 雨のいみじう降る日「いかに」と問ひたるに
 (雨がひどく降る日、「いかがお過ごしですか」と聞いてきたので)

50 いつとても 涙の雨は をやまねど 今日は心の 雲間だになし
(いつだって涙の雨はやむことはないのですが 今日は空ばかりか わたしの気持ちも雲に閉ざされて その雲の切れ間さえありません)

 「なほ、尼にやなりなまし」と、思ひ立つにも
 (「やはり、尼にでもなろうかしら」と決心しても)

 「なほ、尼にやなりなまし」と、思ひ立つにも
 
(「やはり、尼にでもなろうかしら」と決心しても)

51 捨て果てむと 思ふさへこそ 悲しけれ 君に馴れにし わが身と思へば
[後拾遺集哀]
(尼になって世を捨てようと思うことさえ悲しい 宮さまに慣れてきた わたしだと思うと)


52 思ひきや 在
(あ)りて忘れぬ おのが身を 君がかたみに なさむものとは
(思っていただろうか 生きていて宮さまを忘れないでいる私自身の身を 宮さまを偲ぶ形見にしようとは)

53 今はただ そよその事と 思ひ出て 忘るばかりの 憂きふしもなし
[後拾遺集哀]
(今となっては 〈そうよ あのことだわ〉と思い出して 宮さまを忘れることができるほどの嫌なこともない)


54 かたらひし 声ぞ恋しき 面影は ありしそながら ものも言はねば
[万代集恋四]
(あの時語り合った声が恋しくてならない 面影は生前そのままに浮かんでくるが なにもおっしゃらないから)


55 目に見えて 悲しきものは かたらひし その人ならぬ 涙なりけり
(目に見えて悲しいものは 語り合ったその人ではなく 思い出して泣く涙)

 袖のいたう濡れたるを見て
(袖が涙でひどく濡れているのを見て)

56 惜しきかな かたみに着たる 藤衣 ただこの頃に  朽ち果てぬべし
[千載集哀]
(惜しいことだ 宮さまの形見として着ている喪服も すぐに朽ち果ててしまうでしょう)


 月日に添へて、行方も知らぬ心地のすれば
 
(月日が経つにつれて、どうかなってしまいそうな気がするので)

57 死ぬばかり 行きて尋ねむ ほのかにも そこにありてふ 事を聞かばや
(死ぬほどの思いをしても探しに行きたい ほんのかすかでも宮さまがそこにいらっしゃることを聞きたいから)

 また、程経て、おはしましし所を、ものの便りに見て
 
(また、しばらく経って、宮さまが住んでいらっしゃる所を、よそへ行くついでに見て)

58 思ひきや 塵も居
(い)りし 床(とこ)の上を 荒れたる宿と なして見むとは
(思いもしなかった 塵一つなく宮さまと一緒に寝た床の上を 荒れ果てた家だと思って見ようとは)

 冬の夜、寝覚めして
(冬の夜、目覚めて)

59 片敷
(かたしき)の 袖は鏡と 氷(こお)れども 影にも似たる ものだにぞなき
(独り寝の袖は涙で凍って鏡のようだけれど 宮さまの面影ばかりか それに似たものさえ映らない)

 火桶に、ひとり居て
(火桶のそばに、一人いて)

60 向ひゐて 見るにも悲し 煙りにし 人を桶火
(おけび)にの 灰によそへて[夫木抄三十六]
(火桶に向かって座って 煙になって立ち昇ったあの人を 火桶の火の灰になぞらえて見るのも悲しい)


 つくづく、ただ惚れてのみ 覚ゆれば
 
(ぼんやりと、ぼけたような気ばかりするので)

61 はかなしと まさしく見つる 夢のよを おどろかで寝る 我は人かは
[万代集雑五]
(はかないものとまさにじぶんの目で見た夢のような世の中なのに 目を覚まさないで〔仏心を起こさないで〕眠り続けているわたしは人間なのだろうか)


62 ひたすらに 別れし人の いかなれば 胸に留まれる 心地のみする
(永遠に別れてしまったあの人が どういうわけなのだろう いつまでも胸にとどまっている気持ちばかりがする)

 「いかにせむ」とのみ覚ゆるままに
 
(「どうしよう」とばかりいつも思うので そう思うままに)

63 数ならぬ 身をもなげきの 繁ければ 高き山とや 人の見るらむ
(人数にも入らないわたしでも 嘆き〔ため息・木〕が多いので 高い山だと人は見るかもしれない)
 ※なげき―「嘆き〔ため息〕」に「木」をかける。


64 慰めに みづから行きて 語らはむ 憂き世の外に 知る人もがな
(心を慰めるために じぶんから出かけて行って語り合いたい 憂き世のほかにもののあわれを知る人がいたら)

65 なぞやこは 石や巌(いわお)の 身ともがな 憂き世の中を 歎かでも経(へ)む
(どうしてこんなに悲しいのだろう いっそ石や岩にでもなってしまえばいいのに そうしてこの辛い世の中を嘆かないで過ごしたい)

66 あさましの 世は山川の 水なれや 心細くも 思ほゆるかな
(あきれるばかりのこの世は 山川の水なのだろうか 心細くてならない)

67 身は一つ 心は千々
(ちぢ)に 砕くれば さまざまものの 歎かしきかな
(わたしの身は一つなのに 心はさまざまに砕けるので あれこれ悲しくてならない)

 山吹の咲きたるを見て
(山吹の咲いているのを見て)

68 我がなほ をらまほしきは 白雲の 八重に重なる 山吹の花
(わたしがやはり折りたいのは 白雲が八重に重なっているような山吹の花〔わたしが住んでみたいと思うのは 白雲が幾重にもたなびいている山の中〕)

  雨の、つれづれなる日
(雨が降る、物思いに沈む日に)

69 天照らす 神も心ある ものならば もの思ふ春は 雨な降らせそ
(大空を支配している神さまも もし思いやりがあるなら もの思いに沈んでいる春には 涙を誘う雨は降らせないでください)

70 わが袖は くものいがきに あらねども うちはへて露の 宿りとぞ思ふ
[夫木抄二十七]
(わたしの袖は蜘蛛の張る巣ではないけれど ずっと泣いてばかりいるので 蜘蛛の巣が露を宿すように 涙の露の宿る所のように思われる)


 月日のはかなう過ぐるを思ふに
 
(月日があっけなく過ぎてゆくのを名残惜しく思うので)

71 すくすくと 過ぐる月日の 惜しきかな 君があり経
(へ)し 方ぞと思ふに
(どんどん過ぎてゆく月日が惜しくてならない あの時は宮さまがまだ生きていらっしゃったかと思うと)

 頭
(かしら)をいと久しう梳(けず)らで、髪の乱れたるにも
 
(髪を長い間手入れしないで、髪が乱れているにつけても)

72 ものをのみ 乱れてぞ思ふ たれにかは 今は歎かむ むばたまの筋
(心が乱れて物思いばかりしています あの人がいない今は 誰に向かって歎いたらいいのでしょう 黒髪が乱れているのを)

 慣らはぬ里の、つれづれなるに
 
(住み慣れない里で、することもないので)  

73 悲しきは 後れて歎く 身なりけり 涙の先に 立ちなましかば
(悲しいのは 宮さまに死におくれて歎くこと すぐに涙がこぼれめるように わたしが先に死ねばよかったのに)

74 いづこにと 君を知らねば 思ひやる 方なくものぞ 悲しかりける
[万代集雑五]
(宮さまがどこにいらっしゃるのかも知らないので 今の様子を思いをめぐらす方法もないので 悲しくてならない)

75 身よりかく なみだはいかが ながるべき 海てふ海は 潮や干ぬらむ
[万代集恋三]
(わたしの身からこんなに涙があふれていると 海という海の潮は干上がってしまうだろう)
 ※「速須佐之男命は、命せらえし国を治めずして、八拳須心前に至るまで、啼きいさちき。其の泣く状は、青山を枯山の如く泣き枯し、河海は悉く泣き乾しき。(タケハヤスサノオの命だけは、任された国を治めないで、長い顎鬚が胸に垂れ下がる年頃になるまで泣き続け、泣きわめいていた。その泣く様子は、青々とした山が枯山になるほどで、川や海も干上がってしまほどだった)」をふまえる。


76 絶えし時 心にかなふものならば わがたまのをに 縒
(よ)りかへてまし
(宮さまのお命が絶えた時 心のままになるなら わたしの命を差し上げて 宮さまのお命をつなぎとめたのに)

77 おぼつかな わが身は田子の 浦なれや 袖うち濡らす 波の間もなし
(どういうことだろう わたしは田子の浦だろうか 打ち寄せる波が袖を濡らすように 涙が乾くひまもない)

78 君とまた みるめ生ひせば 四方
(よも)の海の 底の限りは かづき見てまし
(宮さまとまたみるめ〔逢う機会〕という海松布が生えているのなら 四方にある海の底の底まで潜って探してみるのに)

79 思へども 悲しきものは 知りながら 人の尋ねて 入らぬ淵かな
(死にたいと思っていても 悲しいのは淵に身を投げること そことわかっていながら 人が探して入ることができないから)

80 身を分けて なみだの川の ながるれば こなたかなたの 岸とこそなれ
(わたしの体を真っ二つにして涙の川が流れるので 宮さまとわたしは この世とあの世の別れ別れになったのですね)

81 飽(あ)かざりし 君を忘れむ ものなれや あれなれ川の 石は尽くとも
[夫木抄二十四]
(いくら逢っても飽き足りなかった宮さまを どうして忘れることができるでしょう あれなれ川の石がすべてなくなってしまっても)
 ※あれなれ川―朝鮮と中国の国境を流れる鴨緑江の古名。


82 明けたてば むなしき空を ながむれど それぞとしるき 雲だにもなし
(夜明けになると虚しい空を眺めるが あれが宮さまのお姿だと はっきりわかる雲さえない)

83 忘れ草 我かく摘めば 住吉の 岸の所は 荒れやしぬらむ
(宮さまを忘れようと わたしがこんなに忘れ草を摘むから 住吉の岸辺はすっかり荒れ果ててしまっているでしょう)

 使はせ給ひし御硯を、同じ所にて見し人の乞ひたる、やるとて
 (宮さまがお使いになっていた硯を、同じ所で付き合っていた人が欲しがったので、送るときに)

84 飽かざりし 昔の事を 書きつくる 硯の水は 涙なりけり
(飽きることのなかった宮さまのご在世中のことを書いていますが 硯の水はわたしの涙なのです)

 御服脱ぎて
(喪服を脱いで)

85 限りあれば 藤の衣は 脱ぎ棄てて 涙のいろを 染めてこそ着れ
(期限の決まりがあるので 喪服は脱ぎ捨てて 今日からは普通の着物に涙を染めて着ることになります)

 御文どものあるを破りて、経紙に漉かすとて
 
(宮さまからのお手紙があるのを破って、写経用の紙に漉(す)き直させるときに)

86 やる文に わが思ふことし 書かれねば 思ふ心の 尽くるよもなし
(人に送る手紙と違って 破る手紙には わたしの思うことを書けないので 胸の思いが晴れる時がない)

 御果てに 経など供養して
 (一周忌の法事に、お経などを供養して)

87 今もなほ 尽きせぬものは 涙かな 蓮の露に なしはすれども
(今もなお尽きないのは涙 ご霊前を飾る蓮の上に置く露にして もう泣かないとおもうけれども)

 御忌日に
(ご命日に)

88 目の前に 涙に朽ちし 衣手は こぞの今日まで あらむとや見し
(見ている間に涙で朽ちてしまったわたしの袖は 一年後の今日まであるとは思わなかった〔生きていようとは思わなかった〕)

 何心もなき人の御有様を見るも、あはれにて
(なにもわからない幼い子の様子を見るのも、悲しくて)

89 わりなくも 慰めがたき 心かな 子こそは君が 同じ事なれ
(宮さまを恋しい思いは紛らせようがない この子こそは亡き宮さまの忘れ形見 宮さまと同様のはずだけれど)
 ※子こそは―和泉式部と帥宮の子で、後の石藏宮。


 正月一日、人々の言忌して、もの言ふを聞きて
 
(正月一日、人々が不吉な言葉を避けて、話し合っているのを聞いて)

90 聞く人の 忌
(い)めばかけても 言はで思ふ 心のうちは 今日も忘れず
(宮さまのことを言うと 聞く人が嫌がるので 言わないで思っています 心の中では 正月の今日だって 宮さまのことを忘れない)

 七日

91 思ひきや 今日の若菜も 知らずして 偲ぶの草を 摘まむものとは
(思ってもいなかった 今日の若菜も忘れていて 亡き宮さまを偲ぶ忍草を摘むことになるとは)

 子の日の松を、人の持て来たるを見て
 (子の日の松を、人が持ってきたのを見て)

92 手も触れで 見るのみぞ見る 万代
(よろずよ)を まづ引きかけし 君しなければ
(手も触れないで ただ見るだけ 万年の長寿をお祈りした宮さまが居らっしゃらないので)

 「鶯の鳴きつるは、聞きつや」と、人の問ひたるに
 
(「うぐいすが鳴いたのを、聞きましたか」と、人が尋ねてきたので)

93 いつしかと 待たれしものを 鶯の 声聞かま憂き 春もありけり
[万代集雑一]
(早く鳴いてくれと あんなに待たれたうぐいすの初音なのに 聞くのが辛い春もある)


 梅の花を見て  

94 梅の香を 君によそへて 見るからに 花のをり知る 身ともなるかな
(梅の香りをあなたの袖になぞらえて見ただけで 人並みに花の季節を知る身ともなる)

95手折
(たお)れども なに物思ひも 慰さまず 花は心の みなしなりけり
(手折ってみても 少しも悲しみは紛れない 花は心の持ちようで楽しくも悲しくも見える)

 二月晦日がたに
(二月末頃に)

96たれにかは 折りても見せむ なかなかに 桜咲きぬと 我に聞かすな
[続千載集春上・万代集春上]
(どなたに折って見せることがあるだろう かえって桜が咲いたなどとわたしに聞かせてくれないほうがいい)

 桜のいとおもしろきを見て
 
(桜がとても美しいのを見て)

97 花見るに かばかりものの 悲しきは 野辺に心を たれかやらまし
(花を見てさえこんなに悲しいなら 花盛りの野辺に出て心を慰める人もいないだろう)

 四月一日

98 かの山の 事や語ると ほととぎす 急ぎ待たるる 年
(とし)の夏かな
(恋しい人のいる死出の山のことを語ってくれはしないかと ほととぎすの訪れが待たれてならない今年の夏)

 草のいと青う生ひたるを見て
 
(草がたいそう青々と生えているのを見て)

99 わが心 夏の野辺にも あらなくに しげくも恋の なりまさるかな
(わたしの心は夏の野辺でもないのに 生い茂る夏草のように 恋しい思いが繁くなるばかり)

 世の中を、ひたすらにえ思ひ離れぬやすらひに
 
(世の中を一途に捨てられないで、ためらっていて)

100 われ住まば またうき雲も かかりなむ よし野の山も 名のみこそあらめ
(わたしが住んだら また煩悩の雲がかかり 吉野山はただ名前だけの ものになるだろう)
 ※「み吉野の 山のあなたに 宿もがな 世の憂き 時の 隠れがにせむ/吉野の山の向こう側に家があったら 世の中が嫌 になった時の隠れ家にするのに[古今集雑下・読人しらず]」をふむ。
 ※吉野山は当時出家の修行の地。


 また、独り言に

101 命あらば いかさまにせむ よを知らぬ 虫だに秋は なきにこそなけ
(このまま命があったら どうしたらいいのだろう 男女の情を知らない虫でさえ 秋はあんなに悲しそうにひたすら鳴いている)

 また

102 侘(わ)びぬれば ゆゆしと聞きし 山鳥の ありと聞くこそ 羨(うら)やまれぬれ
(思い悩んでいるので 不吉だと聞いた山鳥の夫婦の 夜は別々だが それでも生きているというのが なんだか羨ましい)
 ※昼は来て 夜は別るる 山鳥の 影見ぬ時ぞ 音は泣かれける(昼は来て 夜は別れて寝る山鳥のように 夜が来て あの人の姿を見ないで寝るときは 声を出して泣いてしまう)[新古今集恋歌五]」をふまえる。


 また

103 なけやなけ わがもろ声に 呼子鳥 呼ばば答へて 帰り来(く)ばかり
(鳴きに鳴いてくれ わたしの泣く声に合わせて 呼子鳥よ その呼び声に答えて宮さまの魂が帰っていらっしゃるくらい)

 「御襪(おおんしたうず)のありし、見合はすべき事なむあり」とて、人の乞ひたる、やらむとて求むるに、無ければ
 (「宮さまの御襪があなたの所にあったのを、見比べたいことがあります」と、ある人が頼んできたので、送ろうと探したが、なかったので)
 ※御襪〔下沓〕―沓をはくときにつける靴下に似たはきもの。


104 求むれど あとかたもなし あしたづは 雲の行方に まじりにしかば
(探しましたけれど 影も形もありません なにしろ芦鶴〔宮さま〕は雲の彼方に飛んで行ってしまいましたので)

 見出(で)て、やるとて
 (御襪を見つけて、送るときに)

105 ねも絶えず あしの生(お)ふらむ かたを見 〔以下欠文〕
(いつまでも涙が絶えない 宮さまの足の形を伝える御襪を見ると〔以下欠文のため解釈不能〕)


 世の中を思ひ離れぬべき様を聞きて、ことなる事なき男の、「我にを、捨てよ」と言ひたるに
(わたしが出家遁世しそうな様子を聞いて、なんの取り柄もない男が、「どうせ捨てるなら、わたしに捨ててくれ」と言ったので)

0 白雲の 知らぬ山路を 尋ぬとも 谷のそこには 捨てじとぞ思ふ
(白雲のたなびく知らない山路をたずねることになっても 谷の底〔あなたのような男〕には身は捨てないと思う)
 ※伝行成筆和泉式部集にこの歌があり、「和泉式部集全釈[続集篇]佐伯梅友・村上治・小松登美著」が、この和歌の番号を0番としているのにならった。


106 たぐひあらば とはむと思ひし 事なれど ただ言ふ方も なくぞ悲しき
(同じ心の人がいたら 訪ねようと思うのですが 今はただ言いようもなく悲しいばかりです)
 ※詞書がないので直訳した。


 かたらふ人の、音もせぬに、同じ御思ひの頃
 (親しくしている人が、便りをくれないので、その人もわたしと同じ宮さまの服喪の頃)

107 慰めむ 方(かた)のなければ 思はずに 生きたりけりと 知られぬるかな
(淋しさを慰める方法もないので こんなお便りをして やむをえず わたしがまだ生きていると あなたに知られてしまったことです)

 また、人に(また、ある人に)

108 さる目見て 生(い)けらじとこそ 思ふらめ あはれ知るべき 人も問(と)はぬは[正集二三四]
(あんな悲しい目にあって この世にいないと思っていらっしゃるのでしょう 悲しみを知っている人がお便りもくださらないのは)


 ゐなかなる人に、かく、もの思ふ由(よし)など、言ひやりて
 (田舎にいる人に、このように思い嘆いていることなど、言ってやって)

109 いかでかは 便りをただに 過ぐすべき 憂き目を見ても 死なずとならば
(どうして都へのつてがあるときに なにも言ってくださらないのでしょう 辛い目にあいながらも 死なないでいると聞いたなら)

 二月ばかりに、前なる橘を、人の乞ひたるに、ただ一つやるとて
 (二月頃、部屋の前の橘を人が欲しがったので、たった一つ与えるときに)

110 取るも憂し 昔の人の 香に似たる 花橘に なるやと思へば
(取るのも辛い 昔の人の袖の香りに似た花橘になるのかと思うと)
 ※ 「五月待つ 花橘の 香をかげば 昔の人の 袖の香ぞする/五月を待 って咲く花橘の香りをかぐと 昔の愛しかった人の袖の香りがする[古 今集夏・読人しらず]」をふまえる。


 御服(おおんぶく)になりし頃、「月の明きは、見きや」と、あるに
 (宮さまの服喪をはじめた頃、「月の美しいのは、見ましたか」と言ってきたので)

111 慰めむ 事ぞ悲しき 墨染めの 袖には月の 影もとまらで
(月を見て心を慰めようとすることこそ悲しい わたしの喪服の袖には月の光も留まらないから)

 つれづれの尽きせぬままに、覚ゆる事を書き集めたる、歌にこそ似たれ。昼偲ぶ、夕べのながめ、宵の思ひ、夜中の目覚め、暁の恋、これを書き分けたる
 (物思いが尽きないままに、思い浮かぶことを書き集めると、歌のようなものになった。昼偲ぶ、夕べのながめ、宵の思ひ、夜中の目覚め、暁の恋、これを書き分けたのが、以下の連作である)

 昼偲ぶ(昼に、宮さまを偲んで)

112 昼偲ぶ ことだにことは なかりせば 日を経(へ)てものは 思はざらまし (昼に宮さまを偲ぶことだけでもなかったなら こんなふうに何日も恋しい思いをしないですむのに)

113 限るらむ 命いつとも 知らずかし あはれいつまで 君を偲ばむ
(限りのある命でも わたしの命がいつまでとはわからない ああ わたしはいつまで宮さまを偲ぶことでしょう)

114 君を見で あはれ幾日に なりぬらむ 涙の玉は 数も知られず
(宮さまを見ないで ああ 何日になるのでしょう 涙の玉は数もわからないほど)

115 闇にのみ まどふ身なれば 墨染の 袖はひるとも 知られざりけり
(ただもう闇の中 悲しみに乱れている身なので いつが昼ともわからず 喪服の袖は乾く間もない)

116 もろともに いかでひるまに なりぬれど さすがに死なぬ 身をいかにせむ
(宮さまと一緒に冥土にも行かないで 明るい昼間に嘆いているけれど それでも死なないでいる身をどうしたらいいのだろう)

117 日を経(ふ)れど 君を忘れぬ 心こそ しのぶの草の 種となりけれ
(何日経っても宮さまを忘れない心こそ 忍ぶ草の種となるだろう)
 ※「忘れ草 何をか種と 思ひしは つれなき人の 心なりけり(忘れ草は何を種にしているかと思っていたら つれない人の心だった)[古今集・素性法師]」をふまえる。


118 君を思ふ 心はつゆに あらねども 日に当てつつも 消えかへるかな
(宮さまを思う気持ちは露〔わずか〕ではないのに 昼間の光にあたりながら 露のように消えてしまうような気がする)

119 君なくて いくかいくかと 思ふ間に 影だに見えで 日をのみぞ経る
(宮さまがいなくて 生き返ってくださらないか お亡くなりになってから何日になるのかと思ううちに 面影さえ見えないで ただ日数ばかりが過ぎてゆく)

120 かくしあらば 死ににを死なむ 一度(ひとたび)も 悲しきものは 別れなりけり
(こんなに苦しむなら いっそのこと死んでしまいたい たった一度の体験で 耐え難く悲しいものは死別なのだ)

 夕べのながめ(夕方、物思いに沈んで)

121 山の端(は)に 入る日を見ても 思ひいづる 涙にいとど くらさるるかな
(山の端に沈んでゆく日を見ても 亡き宮さまを思い出して涙を流し ますます暗い気持ちになる)

122 今の間の 命にかへて 今日のごと 明日の夕べを 歎かずもがな[玉葉集恋二]
(耐え難い悲しみを 今の瞬間の命にひきかえて〔今すぐ死んでしまって〕明日の夕方を今日のように嘆かないですませたい)

123 夕暮れは いかなる時ぞ 目に見えぬ 風の音さへ あはれなるかな[万代集雑二]
(夕暮れとはどういう時刻なのだろうか 目に見えない風の音さえ しみじみと悲しい)

124 類(たぐ)ひなく 悲しきものは 今はとて 待たぬ夕べの ながめなりけり[続後撰集恋五・万代集恋五]
(比べようがないほど悲しいことは 今はもうこれまでとあきらめて 恋しい人の訪れを待たなくなった夕方に物思いをすること)

125 おのがじし 日だに暮るれば とぶ鳥の いづかたにかは 君をたづねむ
(日が暮れれば 鳥はそれぞれ恋しい相手を求めて飛んでゆくが わたしは宮さまを探しにどこに行けばいいのだろう)

126 夕暮れは 君が通ひし 道もなく 巣がける蜘蛛の いとぞ悲しき[万代集恋五]
(夕暮れに宮さまが通ってきた道もないほど蜘蛛が巣をかけているのは宮さまのお越しを待った夕暮れが思い出されてたまらなく悲しい)

127 日の役(やく)と 歎く中にも いとせめて もの侘(わび)しきは 夕まぐれかな
(一日の仕事のように一日中嘆いているけれど その中でもひどくもの侘しいのは夕暮れ)

128 忘れずは 思ひおこせよ 夕暮に 見ゆれば凄(すご)き 遠の山影
(あの世で わたしを忘れないでいてくださるなら 思いやってください 夕暮れに見ると 身にしみて淋しく感じる あの遠山の姿を)

129 夕暮れは 雲のけしきを 見るからに ながめじと思ふ 心こそつけ[新古今集雑下]
(夕暮れは 雲の様子を見ただけで 恋しさがこみあげてきて 〈もう眺めたりはしない〉という気になる)

 宵の思ひ(宵の思い)

130 さやかにも 人は見るらむ わが目には 涙に曇る 宵の月かげ
(きれいだとなんの苦労もない人は見ているだろう わたしの目には 涙に曇ってしか見えない今夜の月を)

131 富士の嶺(ね)に あらぬわが身の 燃ゆるをば よひよひとこそ 言ふべかりけれ
(富士の峯でもないのに わたしの体が 宮さま恋しさに燃えているのは 毎夜のことだと言うべきだった)

132 来(こ)ぬ人を 待たましよりも 佗しきは もの思ふ頃の 宵居(よいい)なりけり
(来ない人を待つよりも侘びしいのは 亡き人の喪に服している頃の 夜 眠れないで起きていること)

133 宵ごとに もの思ふ人の 涙こそ 千々(ちぢ)の草葉の 露と置くらめ
(宵のたびに 故人を思う人の涙が さまざまな草葉の露となって置いているだろう)

134 厭へども 消えぬ身ぞ憂き 羨まし 風の前なる 宵のともし火
(嫌だと思っても死ねないのが辛い 風が吹いて消えていく宵の灯火が羨ましい)

135 月にこそ 物思ふ事は 慰むれ 見まほしからぬ 宵の空かな
(月を見ている時だけ 悲しい気持ちが慰められる 月のまだ出ていない宵の空なんか見たくもない)

136 人知れず 耳にあはれと 聞ゆるは もの思ふ宵の 鐘の音かな
(ひそかにわたしの耳に聞こえてくるのは 物思いに沈む宵の鐘の音)

137 悲しきは ただ宵のまの 夢の世に 苦しくものを 思ふなりけり
(悲しいのは 宵の間に見る夢のようなはかない世なのに こんなにも苦しく思い悩むこと)

138 慰めて 光の間(ま)にも あるべきを 見えては見えぬ 宵の稲妻[万代集恋四]
(光が瞬くわずかな間でも宮さまを見ることができるなら 心を慰めることができるのに 見ようとしても見えない宵の稲妻)
 ※「秋の田の 穂のうへをてらす 稲妻の 光の間にも 我やわするる(秋の田の穂の上を照らす稲妻の光が 瞬くほどの短い間も わたしがあなたのことを忘れることがあるでしょうか)[古今集・読人しらず]」をふまえる。

139 起きゐつつ もの思ふ人の 宵の間に ぬるとは袖の 事にぞありける[万代集恋一]
(物思いをして起きている人にとって 宵の間にぬるとは「寝(ぬ)る」ことではなく 袖が「濡(ぬ)れる」ことなのだ)

 
夜中の寝覚め(深夜に目が覚めて)

140 わが袖は 暗き夜中の 寝覚にも 探るもしるく 濡れにけるかな
(わたしの袖は 暗い夜中に目が覚めたときでも 手で探ってもわかるほど 涙で濡れている)

141 ものをのみ 思ひ寝覚めの 床の上に わが手枕ぞ ありてかひなき
(思い悩んで寝ては ふっと目覚める床の上 わたしの腕を枕にする人もいないのでは あっても無駄)

142 恋ひて泣く ねにだに寝(ね)ばや 夢ならで いつかは君を または見るべき
(恋し続けて泣きながらでもいいから なんとかして眠りたい 夢でなくては宮さまをもうお目にかかることはできないもの)

143 いかにして 雲となりにし ひと声に 聞かばや夜半(よわ)の かくばかりだに
(どうして雲〔煙〕になってしまったのですか 一声でもいいからお聞きしたい 夜中に こんなに恋しく思っている時にでも)

144 夢にても 見るべきものを まれにても もの思ふ人の 睡(い)を寝ましかば
(夢の中でも見ることはできるでしょうに 物思いに沈んでいる人が時々でも眠れたなら)

145 寝覚めする 身を吹き通す 風の音(おと)を 昔は耳の よそに聞きけむ[新古今集哀・続詞花集恋下]
(寝覚めしている身を吹き抜ける寒々とした風の音を 幸せだった昔は 気にもしないで聞き流していたのだろう)


146 まどろまで 明し果つるを 寝(ぬ)る人の 夢にあはれと 見るもあらなむ
(物思いのせいで 少しも寝ないで夜を明かしてしまったけれど 眠っている人が 夢の中でもこんなわたしを不憫だと見てくれたらと思う)

147 睡(い)をし寝(ね)ば 夜の間(ま)もものは 思ふまじ うちはへ覚(さ)むる 目こそつらけれ
(せめて眠ることができたら 夜の間だけでも 苦しまないですむだろう ずっと目が覚めているのは辛くてならない)

148 なかなかに 慰めかねつ 唐衣(からごろも) かへして着るに 目のみ覚めつつ
(衣を裏返しに着ているのに 目が冴えるばかりで かえって恋しい気持ちを紛らわすことができない)
 ※「いとせめて 恋しき時は むば玉の 夜の衣を 返してぞ着る(もう恋しくて恋しくてならない時は 「夜の衣」を裏返しに着て寝ます そうすれば夢で逢えるから)[古今集恋二・小野小町]」をふまえる。
 ※「夜の衣」を裏返しに着て寝ると、恋しい人に夢で逢えるという、この頃の俗信。


 暁の恋(夜明け前の恋の思い)

149 すみよしの 有明の月を 眺むれば 遠ざかりにし 人ぞ恋しき[新勅撰集雑四]
(住吉の浦の澄みわたる有明の月を眺めていると 遠ざかってしまった〔亡くなってしまった〕人が恋しくてならない)


150 恋ふる身は 異物(こともの)なれや 鳥の音(ね)に 驚かされし 時(とき)は何時(なにどき)
(亡き人を恋い慕って眠れないでいるわたしは 昔とは別人なのだろうか 夜明け前の小鳥に目を覚まさせられたのは いつのことだったろうか)


151 夢にだに 見で明しつる 暁の 恋こそ恋の 限りなりけれ[新勅撰集恋三・続詞花集恋中]
(現実はもちろん 夢でさえ恋人の姿を見ることができないで明かしてしまった暁 この恋こそ 悲しい恋の極みだろう)
 ※和泉式部畢生の名歌だと思う。初句から三句まではゆったりと運び、四句から結句まで、コイコソコイノカギリナリケリ、とカ行音を駆使して、たたみかけるようなリズムは、彼女の直情的、情熱的な心情をあますところなく表現し、しかも結句「限りなりけれ」で急転直下、修復不能な嘆きに変わる。まさに秀歌といえる。


152 夜もすがら 恋ひて明かせる 暁は 烏(からす)の前(さき)に 我ぞなきぬる
(一晩中 あの人を恋して明かした暁には 烏より早く わたしが声を立てて泣いてしまった)

153 わが胸の あくべき時や いつならむ 聞けば羽(はね)(か)く 鴫(しぎ)もなくなり
(わたしの胸が開く〔晴れ晴れする〕ときはいつなのだろうか 聞けば羽をばたつかせて夜明けを知らせる鴫も鳴いている)

154 玉すだれ 垂れ籠めてのみ 寝し時は あくてふ事も 知られやはせし
(御殿の奥深くで 亡くなった宮さまの寵愛を受けて寝た時は 夜が明けることなど気づきもしなかった)

155 暁は 我にて知りぬ 山人も 恋しきにより 急ぐなりけり
(暁は人恋しいのがじぶんの経験でわかった きこりも木が恋しいから朝早くから急いで出かけるのだ)

156 明けぬやと 今こそ見つれ 暁の 空は恋しき 人ならねども[万代集恋一]
(〈夜が明けたのかしら〉と今になってじっと見る なにも暁の空が恋しいあの人ではないけれど)


157 わが恋ふる 人は来たりと いかがせむ おぼつかなしや あけぐれの空
(わたしの恋する人が来てくださったとしてもどうしようもない 心細いことだ この夜明け前の仄暗い空は)

 宮の御服にて、もの見ぬ年、禊(みそぎ)の日、「『人の車にそれぞ』と聞くは、まことか」と問ひたる君達のありけるを、後に聞きて、言ひやる
 (宮さまの喪に服していて、賀茂祭は見物しない年の、その禊の日に、 「『あの人の車にあの女〔和泉〕が乗っていた』と聞いたが、本当か」と噂していた君達がいたのを、後になってから聞いて、送った)

158 それながら つれなきものは ありもせよ あらじと思はで 問ひけるぞ憂き
(あのような悲しみに会いながら 平気でいられる女なら そういうこともあるかも知れませんが わたしがそんなことをするはずがないとも思われないで 人にお聞きになったのはひどいではないですか)

 みあれの日、葵を、人のおこせたるに
 (みあれの日、葵をある人が贈ってきたので)
 ※みあれ〔御生れ〕―陰暦四月午の日に賀茂祭に先立って行われた神を招く神事。


159 あふひ草 つみだに入れず ゆふだすき かけ離れたる 今日の袂(たもと)
(袂につける葵草を摘む気さえしません 喪中で神事から離れていますので)
 ※木綿襷―木綿で作った襷。「かけ」の枕詞。

 月の明き夜、螢をおこせたる人のもとに。またの日、雨のいみじう降るに
 (月の明るい夜、螢を贈ってくれた人に。翌日、雨がひどく降るときに)

160 思ひあらば 今宵の空を とびてまし 見えしは月の 光なりけり[新古今集雑上]
(蛍のように身を焦がす愛があるなら 今夜の雨の空を飛ぶ蛍のように 訪れてくださったでしょうに 昨夜見えたのは蛍の火ではなく 冷たい月の光だったのですね)


 また、雨降りし夜、螢を見て
 (また、雨の降った夜、螢を見て)

161 かくばかり 螢(ほたる)(ひかり)の 明ければ 雨夜の月も 待たれざりけり 
(こんなに蛍の光が明るいなら あっても見えない雨夜の月〔来てくれるはずもない人〕を待つ気になれない)

 松の木に蜘蛛の巣かきたるに、露の置きたるを見て
 (松の木に雲が巣をかけていて、そこに露が置いているのを見て)

162 ささがにの いとどはかなき 露といへど まつにかかれば 久しかりけり
(蜘蛛の巣の上にあるので いっそうはかない露といっても 巣は長寿の松にかかっているので 長く保っている)
 ※ささがに―雲の異名。ささがにの―「くも」「いと」「いづく」「いかに」「いのち」などにかかる。


 と見ゆるほどに、消ゆれば
 (と見ているうちに、消えてしまったので)

163 はかなしや 朝日まつ間の 露を見て 蜘蛛手(くもで)に貫(ぬ)ける 玉と見けるよ[夫木抄二十七]
(わたしってばかね 朝日を待って消えるまでの間 松の枝の間の露を見て 蜘蛛の巣にあるから 四方八方に貫いた玉と見ていたなんて)

 大和撫子、唐のなどを見て
 (大和撫子や、唐撫子〔石竹〕などを見て)

164 見るになほ この世のものと 覚えぬは 唐撫子の  花にぞありける[千載集夏]
(見れば見るほど この世のものとは思えないのは 唐撫子の花)


165 かくばかり そぼつるものは いづこにか 唐にもあらむ 大和撫子
(これほど潤いのあるものがどこにあるだろう 唐にだってないだろう 大和撫子)

 宮にて早う見し人の、物語などして、帰りて、扇を落したる、やるとて
 (中宮さまのところで以前逢った人が来て、話などをして帰ったが、その人が落としていった扇を送るときに)

166 浦さびて 鳥だに見えぬ 島なれば このかはほりぞ 嬉しかりける[夫木抄二十七]
(寂しく 人はもちろん鳥さえ訪れない家なので この蝙蝠〔かはほり扇〕は訪れてくだったしるしだと 嬉しかったです)


 正月一日、人のもとに (正月一日、ある人のところへ)

167 とふひとぞ 今日はゆかしき 老いぬれば 若菜摘まむの 心ならねど
(訪ねてくる人が今日くらいいてくれたら 年を取ったから若菜を摘んではしゃぐ気にはならないけれど)

 賀茂の道に詣であひて、「かたらはむ」など言ふ。女の「たれぞ」と問ふに、他人の名のりをしたれば、この人もまた、さやうに言ひしを、かたみに「それ」と聞きて、後に遣りし
(賀茂神社に参詣する道で出会って、「付きあおう」などと言う。女が「どなた」と聞くと、男が他人の名を名乗ったので、この女もまた、偽名を名乗ったのを、お互いに「あの人だ」と実名を人から聞いて、その後、女は男に送った)

168 我に君 劣らじとせし 偽りを 糺の神も 名のみなりけり
(あなたったら わたしに劣らないように嘘を言ったのね これでは偽りを糺す糺の神〔下鴨神社の祭神〕も名前ばかりね)

 梅の花のあるを見て(梅の花が咲いているのを見て)

169 霞立つ 春来にけりと この花を 見るにぞ鳥の 声も待たるる[万代集]
(〈霞がたなびく春が来た〉と梅の花を見ると 小鳥の鳴く声も待ち遠しくなる)


  かたらふ人の、日頃山寺に籠りて還りて、「いかが」と言ひたるに
 (親しい人が、しばらく山寺に籠っていて帰ってきてから、「どうしてる」と言ってきたので)

170 慰むる 方もなかりつ ながめやる 山も霞に 隔てられつつ
(心の慰めようもなかったわ あなたがに籠っている山を眺めても 霞に閉ざされていて見えなかったから)

 月の明き夜、梅の花を人に遣るとて
 (月の明るい夜、梅の花を人に贈るときに)

171 いづれとも わかれざりけり 春の夜は 月こそ花の 匂ひなりけれ[新勅撰集春下]
(月の光なのか 梅の花なのか どちらとも見分けがつかない 春の夜は月の光こそ白梅の花の色艶だと感じられる)


 独り言に

172 命だに 心なりせば 人つらく 人怨めしき 世に経ましやは[玉葉集恋四・万代集雑六]
(せめて命だけでも思い通りになるなら 人が冷たく 人が恨めしいこの世に いつまでも生きていないですむでしょうに)

 ただの梅、紅梅など、多かるを見て
 (ふつうの梅〔白梅〕や、紅梅など、たくさんあるのを見て)

173 梅の花 香はことごとに 匂へども 色は色にも 匂ひぬるかな
 (梅の花は 白梅 紅梅 それぞれ独特に匂うけれど 紅梅はやはり一段と華やかな色合いで美しい)

 説経すとて、「そなたの岸になむ、心は寄せたる」と言ひたりしに
 (ある僧がわたしに説法するといって、「わたしは彼岸に〔あなたに〕心を寄せています」と言ったので)

174 遙かなる 岸をこそ見れ あま舟に のりに出でずは 漕ぎ出でざらまし
(遥かかなたに彼岸を見ているものの わたしが海人舟に乗らなければ〔尼にならなければ〕漕ぎ出せないでしょう〔実現できないでしょう〕)

 十二月ばかり、もの染めさせて、「花やある」と人に乞ひたりし、二月二十日あまりばかりに、おこすとて、「花、乏しき春かな」と言ひたるに
 (十二月頃、織物を染めさせて、「染料の花〔露草〕がありますか」と人に頼んで、二月二十日過ぎに先方が、「花の少ない春です」と言って送ってきたので)

175 咲けど散る 花はかひなし 桜色に 衣染め着て 春は過ぐさむ
(咲いても散る花は甲斐がありません それよりも桜色に衣を染めて着て 春をすごしましょう)

 「心のつらきに、山へも入りぬべし」と言ひたる人に
 (「あなたが冷たいから、出家しそうだよ」と言ってきた人に)

176 かくばかり 憂き世を厭ふ 我にだに 誘ふ心は なきとこそ見れ
(これほど憂き世を嫌がっているわたしなのに 誘ってもくれる気もないなんて どちらが冷たいのかしら)

 五月雨降る夕暮に(五月雨が降る夕暮れに)

177 あしひきの 山ほととぎす 我ならば 今なきぬべき 心地こそすれ[万代集夏]
(ほととぎすはどうして鳴かないの わたしがほととぎすだったら 今泣いてしまいそうな気がするのに)


 同じ月の十余日に、月のいと明きに
 (同じ五月の十日過ぎに、月がとても明るいので)

178 みな月は 木(こ)の下闇(したやみ)と 聞きしかど さつきも明き ものにぞありける
(五月はずっと真っ暗な夜が続くと聞くけれど こんなに明るいときもあるのね)

  心地の悩ましう覚ゆる頃、時鳥の鳴くを聞きて
 (気分のすぐれない頃、ほととぎすの鳴くのを聞いて)

179 時鳥 語らひ置きて 死出の山 越えばこの世の 知る人にせむ
(ほととぎす仲良くしておいて 死出の山を越えてあの世に行ったら この世での知人にしよう)

 祭の帰さ見るに、斎院の御車の中に、知りたる人のもとに、葵に書きて
 (賀茂祭の翌日、斎院がお帰りになる行列を見物するときに、斎院一行の車の中にいる、知り合いに、葵に書いて)

180 昨日今日 行きあふひとは 多かれど 見まく欲しきは 君一人かな
(昨日今日 出会う人は多いけれど わたしがお逢いしたいのはあなた一人です)
 ※斎院―大斎院選子内親王〔村上天皇の第十皇女〕。和歌をたしなみ、優秀な女房を多く集め、斎院御所は当時の有力なサロンを形成した。
 ※紫式部は日記で、「『和歌などの趣のあるものは、わが斎院さま(村上天皇の第十皇女選子内親王四十六歳)よりほかに、だれが見わける人がいるでしょうか。世の中に情趣豊かな人が出現するとすれば、わが斎院さましか見わけることができないでしょう』などと書いてある。なるほどそれももっともだけれど、じぶんの方のことをそれほど誇って言うのなら、斎院方から作り出された歌はどうかというと、『優れて良い』と思えるものは特にない。ただ斎院はとても趣があり、風情がある生活をなさっている所のようだ」と批判している。


 祭の日、ある君達の、的の形(かた)を車の輪に作りたるを見て
 (賀茂祭の日、ある君達が、的の形を車輪に作ったのを見て)

181十列(とおつら)の 馬ならねども 君が乗る 車もまとに 見ゆるなりけり
(十列の馬上でする騎射のそれではないけれど あなたの乗っている車も 的に見えます)
 ※近衛府の官人が、十騎一組になって、上賀茂神社の馬場で、騎射の競技をするのをいう。


 「いかで逢はむ」と思ひつつ、年頃・・・。からうじて、四月、宵の程に来て、程なく明けぬれば
 (「なんとかして逢いたい」と思いながら、何年も経って・・・。やっと四月に、宵の頃に訪ねてきてくれて、すぐに夜が明けたので)

182 年月も ありつるものを 時鳥 語らひあへぬ 夏の夜にしも
(長い年月 お逢いしたいと思い続けてきたのに よりによって十分にお話しすることもできない夏の短夜にお越しになるなんて まるでほととぎすみたい)

 五月五日に、ある人に
 
183 隠れ沼(ぬ)に 生ふるあやめの 残らぬに 人のふるねぞ 悲しかりける
(人目につかない沼に生えている菖蒲も引き抜かれて残っていないのに 誰も引く人もいない旧根〔誰にも顧みられないわたし〕は悲しくてならない)

 二月ばかり、味噌を人がり遣るとて
 (二月頃、味噌を人に贈るときに)

184 花に逢へば みぞつゆばかり 惜しからぬ 飽かで春にも かはりにしかば
(花に出会うと じぶんなんて少しも惜しくない 物足りない思いでずっと待っていて 春になったのだから〔あなたにさし上げるのだと思うと この味噌少しも惜しくありません〕)

 また、尼のもとに、多羅(たら)といふもの、蕨(わらび)など、やるとて
 (また、尼のところに、多羅というもの、蕨などを贈るときに)
 ※多羅〔タラノキ〕―ウコギ科の落葉高木。新芽を食用とした)


185 見せたらば あはれとも言へ 君が為 花を見捨てて 手折(たお)る蕨を
(これをごらんになったら 可愛いとでも思ってください あなたのために 桜の花に見向きもしないで せっせと摘んだ多羅や蕨を)

 花のいとおもしろきを見て (桜がとても美しいのを見て)

186 あぢきなく 春は生命(いのち)の 惜しきかな 花ぞこの世の ほだしなりける[風雅集雑上]
(早く死にたいのに 春になると どうしようもなく命が惜しくなる 桜の花こそこの世から逃れられない妨げ〔障害〕なのだ)


 一重山吹を見て(一重の山吹を見て)

187 さもこそは 深き谷には 咲かざらめ 色さへ浅き 一重山吹[夫木抄六]
(一重山吹は さすがに深い谷には咲かないだろう でも色までも浅いなんて つまらない花)
 ※静謐な白梅よりも絢爛たる紅梅に惹かれる和泉式部にとって、一重山吹は美の対象にならないようだ。こういう美的感覚も紫式部と対極にあるといえる。


 夜、睡(い)も寝(ね)ぬに、障子を急ぎ開けて眺むるに
 (夜、まったく眠らないで、夜が明けると襖を急いで開けて、外を眺めると)

188 恋しさも 秋の夕べに 劣らぬは 霞たなびく 春のあけぼの
(眺めの美しさだけでなく 人恋しい点でも秋の夕暮れに劣らないのは  霞がたなびく春の曙)
 ※「いつとても 恋しからずは あらねども 秋 の夕べは あやしかりけり/いつといって恋しくないときはありません が 秋の夕暮は不思議と人恋しいのです[古今集・読人しらず]」をふま える。
 ※清少納言の「春は曙」とも関係する。 妖花(よみはな)の咲きたるを見て (狂い咲きの花を見て)


189 帰らぬは 齢(よわい)なりけり 年の内(うち)に いかなる花か ふたたびは咲く
(もうあの女盛りの年齢には戻れない あれはなんの花だろう 一年のうちにまた咲いている)

 庭柳の、いと白う咲きたるを見て
 (庭柳がとても白く咲いているのを見て)

190 庭柳 をり違へるは 長月の 菊の花とも 見ゆる春かな[夫木抄三]
(庭柳を見て 春なのに秋かと思った だって菊の花のように見えたもの)
 ※庭柳―河柳〔ネコヤナギの別称〕ヤナギ科の落葉低木。

 花の中に 柳のあるを見て (桜の花の中に柳がまじっているのを見て)

191 いかにして 花のあたりを 揺り捨てむ 月のよりくる 青柳の糸
(どうしてこの美しい花のあたりを見捨てることができるでしょう 月明かりの中で 花にからみついている青柳の糸)

 春の夜、曇りて月の見えぬに  (春の夜、曇って月が見えないので)

192 曇らずは 月に見てまし 折る人も 花は夜の間も うしろめたさに
(曇らなかったら 月明かりの中で見ているでしょうに 夜の間に風が吹いて散るかもしれないと 気がかりなあまり折った人も)

 絵に、野辺に雉の立てる所 (絵で、野原に雉が飛び立っている所)

193 かりの世と 思ふなるべし 花の間に 朝立つ雉の ほろろとぞなく
(この世を仮の世と思っているのだろう〔狩られてしまう辛い世と思っているのだろう〕朝早く花の間を飛び立つ雉がほろわろ鳴いているのは)
 ※「春の野の しげき草葉の 妻恋ひに 飛び立つきじの ほろろとぞ鳴く(春の野の生い茂った草のように 妻恋しさに飛び立つ雉のようにわたしもあなた恋しさに「ほろろ」と泣いています)[古今集・平貞文]」をふまえる。


 亡くなりたりける人の持たりける物の中に、朝顔を折り枯らしてありけるを見て
(亡くなった人の遺品の中に、朝顔を折って枯らしてしまったのがあるのを見て)

194 朝顔を 折りて見むとや 思ひけむ 露より先に 消えにける身を
(朝顔を折ってずっと見ようと思ったのでしょうか はかない朝顔の露よりも早くこの世から消えてしまったあの人なのに)

 ある人の返り事に(ある人への返事に)

195 早からば なほせきとめよ 涙川 ながれての名に なりもこそすれ
(流れが早いなら やはり堰き止めてください 涙川 そんなふうに泣かれると 後々までも浮名が伝わってしまいます)

 「語らひし人の、春の頃、田舎より来たり」と聞きしに、言ひやる
(「わたしの夫だった人が、春の頃、田舎から上京した」と聞いたので、送った)

196 あぢきなく 思ひこそやれ つくづくと 旅にやゐでの 山吹の花
(どうしようもなく 遠くから心配しているのよ いつまでもそんな仮住まいにひとりぼっちでいるのですか)

 二月晦がたに、ものに詣づる道なる法住寺の桜見むとて入りたれば、花もまだ咲かざりけり。知りたりし僧のありし、問はするも、無し
(二月末頃に、お寺に参詣する同じ道にある法住寺の桜を見ようと思っ て入ったら、桜はまだ咲いていない。知っていた僧がここにいたのを思 い出し、尋ねさせたところ、亡くなっていたので)

197 咲きぬらむ 桜がりとて来つれども この木のもとは 主(ぬし)だにもなし[正集一五四]
(咲いているにちがいないと桜を見に来たけれど 咲いてないばかりか この桜の木の下には主人さえいない)


 同じ道なりし所に入りて見れば、そこのもまだしかりければ、柱に書きつく
(同じ道にある所に入って見ると、そこのもまだ咲いていないので、柱に書く)

198 それまでの 命堪へたる ものならば 必ず花の 折にまた来む[正集一五四]
(花が咲くまで命があるなら 必ず花が咲くときにまた来て見よう)


 逢坂の関にて、いと苦しければ、休むとて、つくづくとゐて
 (逢坂の関で、ひどく苦しいので、休むことにして、じっと座っていて)

199 雲居まで 心は行けど 逢坂の 関にゐぬべき 心地こそすれ
(空の彼方まで気持ちは行くけれど 逢坂の関を超えられられそうにない気がする)

 もろともなる人の「帰りなむ」と言ふに
 (一緒に行った人が「帰ろう」と言うので)

200 留(と)まれとも 行けとも言はで 試みむ 何の為なる 逢坂の関
(「留まろう」とも「行こう」とも言わないで あなたがどうするか見てるわ 逢坂の関って なんのためにある関なのでしょう)

201 帰るさを 待ち試みよ かくながら よも訪ねでは やましなの里[後拾遺集雑五]
(わたしの帰りを待っていてください このまま山科の里を訪ねないことはありませんから)

 かくて詣で着きて、「花、咲かざりけり」など、もろともなる人の、つれづれがりければ
 (こうして石山寺に着いて、「花が咲いてない」などと、一緒に行った人が残念がったので)

202 常盤山(ときわやま) 春は緑になりぬるを 花咲く里や 君は恋しき
(常緑の山だって春は新緑になるのに あなたは花が咲く里ばかりがそんなに恋しいのかしら)

 あはれに覚ゆれば、手すさびに、軒檻(おばしま)に書き付く。日頃籠りて出でなむとするに
 (しみじみと感じられるで、手慰みに、手すりに書きつけた。寺に何日も籠って出て行こうとするときに)
 ※軒檻―手すり・欄干


203 憂き世には、 なほ帰らでや 止みなまし 山より深き 谷もありけり
(憂き世には帰らないでここに留まろうかしら 山よりも深い谷もここにはあるから)

 帰るとて、山科の家に言ひやる (帰るときに、山科の家に送った)

204 君ははや 忘れぬらめど 御(み)垣根を 外(よそ)に見捨てて いかが過ぐべき
(あなたはもう忘れていらっしゃるでしょうけれど わたしはあなたの家の垣根を見過ごして どうして素通りできるでしょう)

 時々見ゆる人のもとより、松に文を挿しておこせたるに
 (時々やつてくる人から、松に手紙をつけて送ってきたので)

205 まつ見ても まづぞ悲しき 今はとて 浪こすこすに なりぬと思へば
(松を見てもまず悲しくなるの わたしがいくら待っていたって 「末の松山」を波が越す喩えのように あなたが心変わりして わたしの所に来なくなるのだろうと思うと)

 同じ人、障(さわ)る事ありて程(ほど)(ふ)る由(よし)を言ひたれば
 (同じ人が、差し障りがあって、しばらく来れないことを言ってきたので)

206 難波潟 芦の折葉(おりは)を 押し分けて 漕ぎ離れ行く 舟とこそ見れ[万代集雑三]
(難波潟の〔わたしの所から〕 茂った葦の折れた葉を押し分けて 漕ぎ離れていった舟〔あなた〕だと思っています)


 あやしき事ありて、俄に外へ行きたるとて、常にせし枕に書き付く
 (変なことがあって、急によそへ移った時に、いつもしていた枕に書いた)

207 代りゐる 塵ばかりだに 偲ばはさなむ 荒れたる床の 枕なりとも[正集二〇〇]
(わたしの代りに塵だけが居続けるでしょうが その塵ほどもわたしのことを思い出さないでしょう 荒れた床の枕を見たって)


 装束ども、包みて置く。革の帯に書き付く
 (去る時、夫の裝束などを包んておいた。革の帯に書いた)

208 泣き流す 涙に堪へで 絶えぬれば 縹(はなだ)の帯の 心地こそすれ
(泣いて流す涙に耐えられないで 二人の仲が絶えてしまったので この革の帯は 催馬楽の縹の帯のような気がします)
 ※「石川の 高麗人に 帯を取られて からき悔いする いかなる いかなる帯ぞ 縹の帯の 中はたいれなるか かやるか あやるか 中はたいれたるか(石川の高麗人に帯を取られてひどく悔やんでるの どんな どんな帯 浅葱色の帯で 中が切れているのか そう そうなの 中は切れてるの 高麗人との仲もね)[催馬楽 石川]」をふまえる。


 外々(よそよそ)になりたる夫(おとこ)のもとより、位記(いき)といふもの、乞ひたる、やるとて
 (別れ別れになった夫から、位記というものを、返してほしいと言ってきたので、送るときに)
 ※位記―叙位の旨を記した公文書。


209 あはれわが 心にかなふ 身なりせば 二つ三つまで 名はも見てまし
(ああ わたしの思い通りになるのなら あなたが二位や三位になるまで 妻として 位記に書かれたあなたの名を見届けるでしょうに)

 怨ずる事ある夫(おとこ)の、「この度なむ、忘れ果てぬる」と言ひたるに
(わたしを恨むことがある夫が「今度こそ、忘れてしまおう」と言ったので)

210 忘れ草 摘みけるたびと 住吉の 岸にこすまで 波の立てかし
(忘れ草を摘みに行く旅人 住吉の岸を越すまでに波が立って摘めなくしてよ)
 ※住吉の岸―忘れ草の名所。 「ものより来たり」と聞く人の音せぬに
 (「「よそから帰ってきた」と聞く人が便りをくれないので)


211 来たりとも 言はぬぞつらき あるものと 思はばこそは 身をも怨みめ[正集二〇一]
(帰ってきたともおっしゃらないのは思いやりがない じぶんが今もこの世に生きていると思うなら あなたに捨てられたことを恨むでしょう が) ある人のもとに(ある人のところへ)


212 ともかくも 言はばなべてに なりぬべし 音にこそ泣きて 見せまほしけれ[正集一六二・千載集恋五]
(とにかく言葉にしたらありふれたことでしょう 声を上げて泣いてい るのをお見せしたい)


 男の、人のもとに遣るに代りて
 (男が、ある女に送るときに、わたしが代作して)

213 おぼめくな たれともなくて 宵宵(よいよい)に 夢に見えけむ 我ぞその人[後拾遺集恋一]
(知らないふりをなさらないでください 夜ごとにあなたの夢に見えた人は ほかでもない わたしなのです)


 語らひし人の、受領の妻になりて行きし、「来たり」と聞きて
 (親しくしている人が、受領の妻になって言って、「上京している」と聞いて)

214 在りやとも 問はば答へむ たれ故と 憂き世の中に かくてある身ぞ
(「生きているか」とでも聞かれたら答えよう「誰に逢いたいためにこの辛い世の中に生きているわたしだと思っているの」と)

 語らふ人の、ものいたう思ふ頃
 (親しくしている人が、ひどく思い悩んでいる頃)

215 いかにして いかにこの世に あり経(へ)ばか しばしもものを 思はざるべき[新古今集恋五]
(どのような方法で どのような状態でこの世に生きていったなら ほんのしばらくの間でも 悩まないでいることができるのだろうか)


 覚えぬ事どもの聞ゆる頃
 (思いもよらない噂がいろいろ聞こえる頃)

216 春の日の うらうら見れど 我ばかり 濡れ衣着たる 海士のなきかな
(うららかな春の日 海辺を見ると 海人は濡れた衣を着ているけれど わたしのように濡れ衣ばかり着ている女はいない)

 三月晦日、鶯の鳴くを聞きて (三月末、うぐいすの鳴くのを聞いて)

217 あはれにも 聞ゆなるかな わが宿の 梅散りがたの 鶯の声[万代集春上]
(しみじみと身にしみて聞こえてくる わたしの家の梅が散りかける頃に鳴いている鶯の声は)

 同じ頃、夕暮の風の吹くに
 (同じ頃、夕暮れに風が吹くので)

218 花誘ふ 春の嵐は 秋風の 身にしむよりも あはれなりけり[続集二十四]
(花を散らしてしまう春の嵐は 秋風が身にしみるよりも 悲しい) 男の、女のもとに遣るとて。代りて (男が、女のところへ送るというので、わたしが代作して)


219 ふじの嶺(ね)の 煙絶えなむ たとふべき 方(かた)なきこひを 人に知らせむ
(富士の峰の煙が絶えたら わたしの燃える思いも絶えるだろう たとえようもないわたしの激しい燃えるような恋をあなたに知らせたい)
 ※富士火山の噴火は七八一年以後十七回記録されている。噴火は平安時代に多く、八〇〇年から一〇八三年までの間に十二回の噴火記録がある。


  人の「帯や、ある」と言ひたるに、中の破れたる
 (ある人が、「わたしの帯があるはずだが」と言ってきたので、真ん中が破れているのに添えて)

220 ひきたらば かく接(つ)ぐものを わが仲は なかなか帯の 中にぞあらまし
(引き裂けたら このように継ぎ合せることができるのに わたしたちの仲もかえって帯だったらよかったのに)

 蝉のからの、ものの中にのあるを見て
 (蝉の抜け殻が、なにかの中にあるのを見て)

221 煙りなむ 事ぞ悲しき 空蝉の むなしきからも あればこそあれ[続集二十五]
(死ねば煙となってしまうのが悲しい 蝉の抜け殻でさえ虚しいながらも残っているのに)
 ※うつせみ―「空蝉」に「現身」をかける。


 春雨の降る日

222 つれづれと ふるは涙の 雨なるを 春のものとや 人の見るらむ[千載集春上]
(しとしとと降っているのは 一人淋しく過ごしているわたしの涙の雨なのに あの人はただの春雨と思って見ているのだろうか)


 人の、音したるに(人が、便りをくれたときに)

223 いにしへを 忘れぬ人に あはれわが 霞(かす)まむ空も 見すべかりけり
(昔のことを忘れない人なら ああ わたしが死後 霞となってたなびく空も見せてもいい)

 語らふ人の「世にて世ならぬ所をなむ、見て侘びたる」と言ひたるに
 (恋人が「この世でありながら、この世とは思われない所を見て、嫌になった」と言ってきたので)

224 求むれど 巌(いわお)の中の 難(かた)ければ 我もこの世に なほこそは経(ふ)[万代集雑二]
(いくら探しても 嫌にならない所なんてないでしょう わたしだってやはり辛いとは思いながら生きているのです)
 ※「いかならむ 巌のなかに 住まばかは 世の憂きことの 聞え来ざらむ(どのような岩窟の中に住んだなら 世の中の嫌なことが聞えてこなくなるだろうか)[古今集雑下・読人しらず]」をふまえる。


 語らふ人の、心地重く煩(わずら)ひて、「これを、かたみに見よ」とて、歌書きたる草子をおこせたるに
 (恋人がひどく患って、「これを、わたしの形見だと思って見てください」と言って、歌を書いた草子を送ってきたので)

225 偲ぶべき 命も知らで 今日よりは 君がかたみを 見るぞ悲しき
(わたしだっていつまで生きていてあなたを偲ぶことができるかわからないので 今日からあなたの形見を見て生きていくなんて悲しくてならない)

 秋夜(秋の夜に)

226 起きゐつつ 忍びぞかぬる 秋の夜は 君とだにせし 秋の寝覚めは
(あなたと一緒でも秋の寝覚めは辛いのに なおさら独り寝では 何度となく起きて座り 虚しい思いを抑えることができない)

 「怨みむ」など思ふ人に、逢ひたれば、「たれか、つらさの」など言ふやうに、げに覚ゆる事もまじれば、ものも殊に言はで、後に言ひ遣る
 (「恨み言を言ってやろう」などと思っている相手に会ったところ、「たれか、つらさの(古歌の一句か。原歌不詳)」などの古歌のように、相手の言い分にもっともだと思われることも混じっているので、その時は言わないで、後から言って送った)

227 ことわりに 落ちし涙は ながれての うき名をすすぐ みづとならなむ[正集一七四]
(ひどいことを言われて落ちた涙が 後々までわたしの浮名をすすぐ水となればいい)

 返事さらにせぬ女に遣るとて、詠ませし
 (返事をまったくしない女に送るというので、わたしに代作させた)

228 たけからぬ 涙のかかる わが袖に ながるるみづと 言はせてしかな
(わたしの袖にこぼれ落ちる気弱な涙 それを見てせめて「流れる水のよう」とでも言っていただきたい)

 しばし外にありて、例の所に来たれば、忍びて人にものなど言ひし所の、いたう塵ばみたるを見て、言ひ遣る
 (何日かよそにいて、例の所に来てみると、人目につかないように話 し合った所が、ひどく塵が積もっているのを見て、歌を送った)

229 逢ふ事の ありし所を 来て見れば さしも思はぬ 塵ぞゐにける[正集二〇八]
(あなたと逢った所に来てみると いてほしいとも思わない塵だけが積もっていた)


 ある男、「常にはあらず、さらに隔てたる事なく語らはむ」など言ひ契りて後、いかが覚えけむ、「人間には、隠れ遊びしつべき心地なむ、する」と言ひたるに
  (ある男が、「世間普通の仲とは違って、なんの秘密もないようにしよう」などと約束した後、どんな気がしたのだろうか、「人が見ていない時は、隠れ遊び〔秘密の浮気〕をしそうな気がする」と言ってきたので)

230 いづこにか 立ちも隠れむ 隔てたる 心の隈(くま)の あらばこそあらめ[後拾遺集雑二]
(どこに隠れるのでしょうか 隔てた心の隈〔暗い所〕があれば そこを隠れ場所にするでしょうけれど)


 いかなる文にかありけむ、書くとて
 (どういう手紙だったのかしら、書く時に)

231 つくづくと 落つる涙の みづがきに ならばよろづを 人は見てまし
(しみじみと落ちる涙が筆跡になったなら わたしのすべてをわかってくださるでしょうに)
 ※みづがき―みづくき〔筆跡〕として訳した。


 世の中いとさわがしき頃、問はぬ人に
 (疫病の流行で世の中が騒がしい頃、便りをくれない人に)

232 世の中は いかに成りゆく ものとてか 心のどかに 音づれもせぬ[正集一八四・続集四三六]
(世の中はどうなっていくと思っていらっしゃるの あなたはのんびりかまえてお便りもくださらない)

 夫の許に、女の返り事の二つ三つあるを見て、やる
 (夫のところに、女からの返事が二つ三つあるのを見て、夫に送った)

233 はしばしを とふみかくふみ ふみ見れば ただ身のうきに 渡すなりけり
(手紙の端々を あれこれ見ていくと 相手の人がじぶんの辛さを訴えてきたものばかり)

 忍びて人にものなど言ふ遣戸 、外に行くとて、鎖すとて
 (密かに人と語り合う部屋の遣戸を、よそへ行くので、錠をかける時に)

234 身は行けど からをばここに 留(とど)むれば 遣戸口(やりどぐち)こそ 固められけれ[続集六〇九]
(わたしの体は外に行くけれど 体を包んでいた殻〔衣服・寝具など〕はここに残すので 遣戸口に錠をかけて 変な噂が立つのを封じるのです)


 山寺籠りたるを、とかくする火の見えければ
 (山寺に籠もっていて、火葬をする火が見えたので)

235 立ち昇る 煙につけて 思ふかな いつまた我を 人のかくせむ[正集一六一・後拾遺集哀傷]
(立ちのぼる煙を見ると思ってしまう いつか煙になっているわたしを 人がこのように見ると)


 九月ばかり、ものへ行く人、衣染むとて、花乞ひたる、遣るとて
 (九月頃、よそへ行く人が、衣を染めるからと、染料の花をほしいと言ってきたので、送る時に)

236 あきゆかむ 旅の衣を いとどしく 露草にしも などか染むべき
 (「飽き」を連想する秋に旅立つ人の衣を さらにまた 色が移りやすいので「移し心〔浮気心〕と言われた露草の色に どうして染めるのですか」)

 ある所に中将とて候ふ人に語らふ男、「今は行かず」と言ひて後に、雨降る夜「行きたり」と聞きて
 (ある所に中将という名でお仕えしている女房に通っていたた男が、「今は行ってない」と言った後に、雨が降る夜に「行っている」という噂を聞いて)

237 三笠山 さし離れぬと 聞きしかど 雨もよにとは 思はざりしを[後拾遺集雑二]
(中将の君とは別れたと聞いていたけれど まさか こんな雨の夜に出かけられるなんて思っても見なかった)
 ※三笠山―中将は近衛府(三笠山はその異名)の官名であるところからいう。


 冬頃、人の「来む」と言ひて、見えずなりにしつとめて
 (冬の頃、恋人が「行くから」と言って、来なかった翌朝)

238 おきながら 明かしつるかな 共寝せぬ 鴨の上毛の 霜ならなくに[後拾遺集恋二]
(ずっと起きていて夜を明かしてしまった 独り寝の鴨の上毛に置いている霜でもないのに)

 待つ人ある所、門の前より、夜更けて、人の行くを聞きて
 (待っている人のところへ、門の前を、夜更けになってから、男が通って行くのを聞いて)

239 わが宿を 変へやしてまし 人の待つ 人はまことに 過ぎて行くなり
(家を引っ越そうかしら ほかの女が待っている人は 毎晩ここを通りすぎて通って行くから 家が変われば男が来てくれるかもしれない)

 海面に夜泊りて、船ながら明かして
 (海岸に停泊して、船中で夜を明かして)

240 水の上に うき寝をしてぞ 思ひやる かかれば鴛鴦(おし)も 鳴くにぞありける[千載集羈旅(きりょ)]
(水の上に漂いながら夜を明かして はじめてわかった こんなに辛い のだから 雌雄離れない鴛鴦も鳴くのね)


 摂津の国、生田(いくた)の森といふ所にて
 (摂津の国、生田の森といふ所で)

241 難波女(なにわめ)に いく田の森の ありければ むべながらふと 人も言ひけり[夫木抄二十二]
①(難波女には 生田の森という縁起のいい神社があるので なるほど 長生きすると人も言うのだ)
②(生田あたりの難波女の所に遊びに行くのが都合がいいから なるほど「長柄経由がいい」と人も言うのだ)
 ①は『日本古典全書』を基に、②は『和泉式部集全釈[続集篇]』を基に訳したが、ほんとうのところはよくわからない。
 ※「生田の森」―摂 津国の歌枕。生田神社のある森。地名に「行く・生く」をかけ、「生く」 は下の「永らふ」の縁語。
 ※ながらふ―「永らふ」に「長柄経〔経由〕 をかけると、『和泉式部集全釈[続集篇]』は解説している。

 伊加賀崎にて(いかがさきで)
 ※伊加賀崎―河内国の枕詞


242 我はただ 風にのみこそ 任せたれ いかがさきには 人の行くらむ
(わたしはただ風にまかせてのんびり旅しているのに あの人はどうして急いで わたしより先に伊加賀崎に行ったりするのだろう)

 遠き所に人待ちし頃、近く草のもとに轡虫(くつわむし)の鳴くを聞きて
 (遠い所にいる人を待っていた頃、近くの草むらで轡虫が鳴くのを聞いて)

243 わが背子は 駒に任せて 来にけりと 聞きに聞かする 轡虫かな[万代集秋下]
(がちゃがちゃと馬の轡そっくりの音でむやみに聞かせてくれるから あの人が馬の進むのにまかせて来たのだと思った)

 二月ばかり、人の頼めて来ずなりぬるつとめて
 (二月頃、人が来るとあてにさせて、来なかった翌朝)

244 夜のほども うしろめたきは 花の上を 思ひ顔にて 明かしつるかな[正集一八〇・続集四三八]
(夜の間も気がかりな桜を心配しているような顔をして起きていて とうとう夜を明かしてしまった)


 いたくもの思ふに、風の吹く頃
 (ひどく物思いをしているとき、風が激しく吹くので)

245 身にしみて あはれなるかな いかなりし 秋吹く風を 殊に聞くらむ[正集一七六・続後撰集恋四・万代集秋上]
(身にしみるほど悲しくてならない いったいどのように過ごしていた秋に 今吹いている風を じぶんとは関係ないものと聞いていたのだろう)


 思ふとか言ふ人の、ともすればうち怨じつついでて行くが、外にて「死ぬばかりなむおぼつかなき」とあるに
 (「愛してる」と言うけれど、どうかすると恨みごとを言いながら出 て行く人が、よそにいて、「死にそうなほど心配だ」と言ってきたので)

246 今はとて いく折々し 多かれば いと死ぬばかり 思ふとは見ず[正集二〇三]
(「これが最後」と言って出て行くことが多いもの 死ぬほど愛してくださるとはとても思えない)


 露より世のはかなき事をあるに
 (露よりもこの世ははかないこともあるのに)

247 草の上の 露とたとへぬ 時だにも こはたのまれし まぼろしのよか[正集一七七・万代集雑五]
(草の上の露と例えるまでもなく この世は頼りにならない 幻の世なのか)


 あぢきなき事のみ出来れば、人の返り事絶えてせぬに、「いかなれば、かかるを」と言ひたるに
 (つまらない噂ばかり立つので返事もしなかったら、その人から「返 事もしないなんて、どういうこと。心配でならない」と言ってきたので)

248 つき草の かりに立つ名の 惜しければ ただその駒を 今は野飼ふぞ[正集二〇六]
(噂が仮に立つのも嫌だから しばらくあなたを放っておくの)
 ※「つき草の」は「かり」の枕詞。刈る意から「かりそめ」などにかかる。野飼ふ―放し飼いにする。


 絶えなむと思ふ人の太刀のあるを、遣るとて
 (わたしと縁を切ろうと思っている人の太刀がわたしの所にあるのを、送る時に)

249 返せども こは返されず 思へども たちにし名こそ かひなかりけれ
(太刀は返しますが 返せないものがあります 一度立ってしまったあなたとの浮名は どうしようもありません)

 久しく見えぬ人のもとより、「便なかるまじくは来む」と言ひて、月の入りたるに、来たる人に
 (長いこと顔を見せない人が、「都合が悪くないなら、行くよ」と言って、月が沈んだ頃に、やって来た人に)

250 いづこにか ここら久しく 長居つる 山より月の 出でて入るまで
(いったいどこのどなたの所でこんなに長居していらっしゃったの 山の端から出た月が沈む頃までも)

 かたらふ人の、久しう訪れぬに
 (親しくしている人が、長らく訪ねてこないので)

251 きき果つる 命ともがな 世の中に あらば訪はまし 人はなきかと[正集一七八]
(死んでしまえたら あの世に行って 生きているなら便りをくれる人がいるかどうか尋ねたい)

 七月七日、待つ人のもとに
 (七月七日、来てくれればと思う人のところへ送る)

252 そのほどと 契らぬ仲は 昨日まで 今日をゆゆしと 思ひけるかな[正集二六五]
(逢う日をいつと決めない仲は昨日まで 七夕なんて恋する人には縁起 でもないと思っていたけれど いつ逢えるかわからないよりも年に一度 の逢瀬のほうがいい)

 時々来る、暇、少し間遠になる頃、生海松(なまみる)を、その人の親族(しぞく)だつ人のもとに遣るとて
 (時々通ってきていた人が、多少疎遠になる頃、生海松を、その人の親類にあたる人に送るときに)

253 かりに来し あまもかれにし 浦さびて ただみるままに おのがしわざぞ[正集二六五・続集十]
(一時的にあなたのところへ来ていたあの人と疎遠になって 淋しそう ですが わたしの見るところ これもみなあなたのせいです)


 忍びたる人来て、雨のいみじう降るに帰りて、濡れたる由(よし)など言ひたるに
 (忍ぶ仲の人が来て、雨がひどく降るときに帰って、濡れたことなど言ってきたので)

254 かくばかり しのふる雨を 人問はば 何に濡れたる 袖と言ふらむ[後拾遺集雑二]
(忍んでいる仲で わたしがひどく泣いているのを 人が尋ねたら 何に濡れた袖だと言ったらいいのでしょう)
 ※「音に泣きて ひちにしかども 春雨に 濡れにし袖と 問はば答へむ(声を上げて泣いて、涙で水浸しにしてしまったのだけれども、その袖はどうしたのかと訊かれたら春雨に濡れたのだと答えましょう)[古今集恋二・大江千里]」をふまえる。  


 「忘れぬるか」など言ひたる人に (「忘れたのか」などと言ってきた人に)

255 忘れずや 忘れずながら 君をまた さてもややまぬ 試みばさぞ
(わたしは忘れてはいない 忘れてはいないけれど このまま二人の仲は絶えてしまうのではないのだろうかと あなたの気持ちを試そうと便りもしないでいると そんな言い方をなさるのね)

 七月ばかり、人のもとに(七月頃、あの人に)

256 たれぞこの 訪ふべき人は 思ほえで 耳とまり行く 萩の上風
(誰だろう今頃 訪ねてきそうな人は思い浮かばず よく聞いてみると萩の上を吹きわたる風の音だった)

 いといたう荒れたる所を眺めて (ひどく荒れ果てた庭を眺めて)

257 三輪の 山杉に劣らず 繋けれど 蓬の宿は 訪ふ人もなし
(三輪山の杉に劣らないほど茂ってはいるけれど 蓬の宿では 訪ねてくる人もいない)
 ※三輪山―大和国の歌枕。


258 消ゆる間の 限り所や これならむ 露とおきゐる 浅茅生(あさじう)の宿
(死ぬまでの 最後の場所がここなのだろうか 露のようにはかない暮らしをしている浅茅生の宿)

259 かたらはむ 人声もせず 荒れにける たが故里に 来て眺むらむ
(親しく話しかけるような人声もしないほど荒れ果ててしまった 誰の所に来て物思いに沈んで眺めているのだろう じぶんの所なのに)

 忘れにける人の文のあるを見て
 (わたしを捨てた人の手紙があるのを見て)

260 変らねば ふみこそ見るに あはれなれ 人の心は あとはかもなし[玉葉集恋五・万代集恋五]
(文字の跡〔筆跡〕は今なお変わらないから 手紙を見るとしみじみと愛しい 書いた人の心は変わって跡形も無い)

 「頼めたる程を、え待つまじ」と言ひたる男に
 (「約束してくれた日まで、とても待てそうにない」と言ってきた男に)

261 逢ふ事の ありやなしやも 見も果てで 絶えなむ玉の 緒をいかにせむ[続集二十・続後撰集恋二・万代集恋二]
(逢うことがあるのかないのかも見届けもしないで 死んでしまう人の命なんかどうしようもないわ)


 「いかがは」など疑はしく思ふ人の、音せぬに
 (「二人の仲はどうなるだろう」などと不安に思っている人から便りがないので)

262 なき身とも 何思ひけむ 思ひしに 違(たが)はぬ事は ありけるものを[万代集恋四]
(この世にいてもどうしようもない身だと どうして思ったのだろう こうなってみると 不幸になることだけは たしかにある身なのに)
 ※「なき」と「あり」は対語。

 雨のいといたう降りける夜、「ものへ行きける道にや」と思ふ人の来たるに、「なし」とて逢はで、つとめて
 (雨がひどく激しく降った夜、「ほかの女のところへ行った帰りなのか」と思われる人が来たけれど、「留守です」と言って会わないで帰し、翌朝)

263 雨もよに いづちなるらむ ふりはへて 来たりと聞かば あはれならまし
(雨が降る中をどこへ行かれたのでしょう わざわざわたしの所へ来られたのなら わたしも愛しいと思ったでしょうが)

 「暮に必ず」と言ひたる男に、朝顔につけて
 (「夕方必ず行く」と言ってきた男に、朝顔を歌に入れて)

264 今の間の 露にかばかり あらそへば 暮には見えじ 朝顔の花
(今 露と消えるのを争っているのですから 夕方には見られなくなるでしょう 朝顔の花)

 「久しくはあらずやあらむ」と思ふ人の許に、ものを言ひそめて、絶えて逢はぬに、常に来れば
 (「長続きはしないのでは」とわたしが思っている人で、つきあい始めて、契りはまだ結ばないときに、いつものように来たので)

265 つらからむ 後の心を 思はずは あるに任せて あるべきものを[続集十二]
(契りを結んだら どんなに辛い思いをするか それを思わないなら 成り行きにまかせておけばいいのだけれど)

 逢はむと思ふ人、「今、この二十日程に」と頼むれば、「いかでか、さまでは」と急げば
 (逢おうと思う人と、「今月の二十日過ぎに」と逢瀬を約束すると、「そんなに待てない」と言うので)

266 君はまだ 知らざりけりな 秋の夜の 木の間の月は はつかにぞ見る[続集十三]
(あなたはまだ知らないのね 秋の夜の木の間がくれの月は二十日頃が見頃だし 恋しくなってから わずかに逢うのがいいのよ)


 九月二十日あまりに「有明の月は見るや」と言ひたる人に
 (九月二十日過ぎに、「有明の月は見ましたか」と言ってきた人に)

267 寝られねど 八重葎して 槇の戸は 押しあけがたの 月をだに見ず[正集二五五]
(わたしは寝られないで 雑草の生い茂る家で 戸を開けることもなく 明け方の月さえ見ない)

 なほ、ある枕どに書きつく (今なお残っている枕に書く)

268 かかりきと 人に語るな 敷妙(しきたえ)の 枕の思ふ 事だにぞ憂き
(「あの女はこうだった」などと人に話さないで 枕があの夜のことをどう思っているか そう思うだけでも辛いのですから)

 わが過ちにて絶えたる男に、心地あしう覚ゆる頃
 (わたしが冷たいのを見て仲が絶えてしまった人に、病気の時に送る)

269 ある程に 昔語りも してしかな 憂きをばあらぬ 人に知らずて[正集二〇二]
(生きているうちにあの頃のことを話してみたい 以前あなたに冷たく したのはわたしではなくほかの人だと知らせて)


 語らふ人「亡くならむ事は忘れじ」と言ふを、心地悩む頃、久しう問はぬに
 (つきあっている人が「亡くなった後までも愛し続ける」などと言うが、わたしが患っているときに、便りがないので)

270 偲ばれむ ものとは見えぬ わが身かな 在る人をだに たれか問ひける[正集二一六・続後撰集恋五・万代集恋五]
(亡くなったら思い出していただけるとは思えない 生きているときでさえ だれも尋ねてくれないもの)


 世の常ならぬ契りして語らふ人の、音づれぬに
 (普通ではない契りをかわしてつきあっている人が、来てくれないので)

271 忘らるる 憂き身一つに あらずとも なべての人に 言はぬことごと
(忘れられて 辛い思いをするのは わたし一人ではないにしても 普通の人は愚痴を言うかもしれないけれど わたしはなにも言わない)

 思ひかけず、謀りて、もの言ひたる人に
 (思いもしなかったのに、わたしを騙して契りを結んだ人に)

272 これもみな さぞな昔の 契りぞと 思ふものから あさましきかな[千載集恋四・続詞花集恋中]
(こうなったのも きっとすべて前世の宿縁だと思うものの あまりのことに呆れるばかり)

273 枕だに 知らねば言はじ 見しままに 君語るなよ 春の夜の夢[新古今集恋三]
(枕でさえ二人の仲を知らないから言わないでしょう だからあなたは誰にもありのままを話さないでください 春の夜の夢のような逢瀬を)

274 人問はば いかが答へむ 大方は 君も忘れね 我も歎かじ
(人が尋ねたら どう答えたらいいのだろう とにかく今日のことはあなたも忘れてください わたしも嘆いたりしませんから)

 時々来る人、「畳厚(あつ)う敷きて置きたれ」と言ひたるに
 (時々通って来る人が、「寝室の畳は厚く敷いておいて」と言ったので)

275 たまさかに とふの管菰(すがごも) かりにのみ くればよどのに しく物もなし
(たまにしか訪ねて来ない かりそめの契りを結びたい人の寝室に 敷く物などありません)
 ※「とふの管菰」は編み目が十筋ある管菰。「とふ」に「訪ふ」、「仮」に「刈り」、「夜殿」に「淀野」をかけた。


 過ぎにし方は、ただ大方にて見し人の、つらきに
 (以前はただ普通の付き合いをしていた人が、契りを結んでから冷たくなったので)

276 世こそなほ 定めがたけれ よそなりし 時は怨みむ ものとやは見し
(男女の仲はやはりわからないものね あなたとただの友だちだった時は あなたを恨むほど冷たい人だとは思ってもいなかった)

 思へども思はず怨むる人に
 (思っているのに、「思ってくれない」といつも恨む人に)

277 まこも草 まことに我は思へども なほあさましき 淀の沢水[正集七八三]
(ほんとうにわたしは思っているのに 「思っていない」だなんて あ なたってあきれてしまうほど浅いのね)
 ※真菰草―「まことに」にかか る枕詞。
 ※淀の沢水―真菰草の縁語。

 久しう音せで、人の「ありしをだに知らじとすること」と言ひたるに
 (長い間便りをくれない人が、「わたしが生きているのさえ無視している」と言ってきたので)

278 音せぬは なきなるべしと 思ひしに ありては訪はぬ 今こそは知れ
(お便りをくださらないのは 生きていらっしゃらないからと思っていたけれど 生きていてお便りをくださらなかったとは あなたの冷たさがよくわかったわ)

  雨のいたう降る夕暮に、人の「来む」と言ひたるに
 (雨がひどく降る夕暮れに、恋人が「行くよ」と言ってきたので)

279 その言(こと)に 帯解きて寝じ 雨もよに 降りては妹(いも)が 袖も濡れなむ
(そのお言葉を聞いて 帯を解いて寝て待ったりはしません 雨に濡れながら来て触れたりなさると わたしの袖も濡れることでしょう)

 忍びたる人の宿直するに、紫の直垂をやるとて
 (忍んで逢っている人が宮中に宿直するので、紫の直垂をさし上げるときに)

280 色に出でて 人に語るな紫の ねずりの衣 着て寝たりきと[正集二四八]
(人には言わないでね 紫の根で摺り染めた衣を着て寝たなんて)

 いとさがなき妻持(めも)たりと聞く男の「ここになむ、物忌みしてゐたる」と言ひたるに
 (ひどく気性の激しい妻を持っていると聞く男が「ここで、物忌をしている」と言ってきたので)

281 おそろしき 人の御前(おまえ)と つつしみて ゐたらむさまの 思ほゆるかな
(恐ろしい人の御前だと思って かしこまっていらっしゃる様子が 目に浮かぶようです)

 ものより来て「かくなむ」と言はぬ人に
 (外出先から帰ってきて、「こういうことが」とも言わない人に)

282 誰にこの 花を見せまし われをれば 山時鳥 そだに来鳴かず[正集四二二]
(誰にこの橘の花を見せたらいいのでしょう わたしが折ったら山ほと とぎすは来て鳴いてくれないもの〔あなたが来てくれないもの〕)

 「ものに詣でぬ」と聞きて、「尋ねむ方もなきこと」と言ひたるを、返り来て、見て言ひ遣る
 (「山寺に参詣した」と聞いて、「どこへ行ったか教えてくれないから訪ねようがない」といった人に)

283 いきてまた 帰り来にたり 時鳥 死出の山路の ことも語らむ[正集四二三]
(冥土へ行ったわけでもなく生きて帰ってきました 時鳥が死出の山路のことを知らせるように 山寺のことなどお話ししましょう)

 はかなき事につけて、夫の怨みて、「絶えなむ」と言ふに
 (ちょっとしたことで、夫が恨んで、「別れよう」と言うので)

284 憂(う)けれども わがみづからの 涙こそ あはれ絶えせぬ ものにはありけれ[玉葉集恋五・万代集恋五]
(あなたと一生添い遂げるつもりでいたのに 「別れよう」と言われて辛いけれど 絶えず流れるわたしの涙だけが 一生添い遂げることがわかったわ)


 田舎なる人のもとより、「わがやうに思はじ」など言ひたるに
 (田舎にいる人のところから、「わたしのように思っていない」と言ってきたので)

285 たればかり たれか歎かむ 都にも そこにも人は 多からめども[続集十五]
(誰が わたしのようにあなたに逢えないのを歎くでしょう 都にもそこにもあなたの知り合いは多いでしょうけれど)
 ※続集十五は「たればかり」が「我ばかり」。


 そらごとにつけて怨むる人に
 (ありもしないことで恨む人に)

286 かくぞとて 見せにやれども わが袖は ただぬれ衣に なりこそはせめ
(「わたしの袖はこんなに濡れている」と見せても あなたは「あの男が恋しいから泣いたのだ」と濡れ衣を着せられるだけでしょう)

 雨の降りて帰るに、なま妬(ねた)かりければ
 (雨が降るのを帰るので、なんとなく憎らしいので)

287 待つ人の なき身なりせば 聞かずとも 雨降るめりと 言はましものを[続集十六]
(あなたを待っている人がいない夜なら 雨の音を聞かないでも 「雨が降っているようだ」と言って 泊まってくださったのに)


 男、つとめて、「とまらぬものとは、知りにけむ」
 (男が翌朝、「いくら引き止めても、わたしが泊まらないことは、わかっていただろう」と言ってきたので)

288 とどまれと 思ふといかで 知りにけむ 惜しげなくなく 落ちし涙を[続集十七]
(あなたが泊まってくればいい〔涙がとまればいい〕とわたしが思っていると どうしてわかったの あなたが帰っていくのなんて名残惜しくないと惜しげもなく落とした涙なのに)

 いと暑き頃、扇ども張らせて、外なるはらからどものがり遣るとて
 (とても暑い頃、扇などを貼らせて、他のところにいる姉妹に送る時に)

289 はかなくも 忘られにける 扇かな 落ちたりけりと 人もこそ見れ[正集一七九・後拾遺集雑六]
(かわいそうに忘れられてしまった扇 でも 女のところに扇を忘れるなんて 堕落したと人から思われますよ)
 ※おちたりけり―扇が落ちるのと、僧が戒律を破って堕ちるをかける。
 ※この歌は、詞書と歌とが関連しない。正集一七九・後拾遺集雑六の詞書が合う。


 七月一日

290 夜を重ね 吹き来む風を 思ふかな 木木(きぎ)の木の葉の 落ち初(そ)むるより
(これからは夜のたびに独り寝の床に吹いてくる風の冷たさを思うだろう 秋を知らせる木々の木の葉が落ち始めたから)

 七月七日、「来む」と言ひたる人に
 (七月七日、「行くよ」と言ってきた人に)

291 たなばたに 貸して今宵の いとまあらば たちより来かし 天の河波(かわなみ)
(あの人と逢って 今夜時間があまったら お立ち寄りください あなた)
 ※「七夕に かしつる糸の うちはへて 年のを長く 恋ひや渡らむ(七夕に貸した糸のように これからずっと何年も恋しい気持ちを持ちつづけるだろうか)[古今集秋上・凡河内躬恒]」をふまえる。


 糸引かすとて(織女に供える糸を立木に引きめぐらす時に)

292 彦星の 船出しぬらむ 今日よりは 風吹きたつな くものいとすぢ
(彦星はもう船出しているだろう 今日からは 風よ 吹いて切らないで 蜘蛛の糸のような細い糸を)

 もの羨(うらや)みして「来ぬべし」と言ひたる人に
 (羨ましがって「行こうかなあ」と言ってきた人に)

293 天の河 また渡り来な かささぎの はしたなくして かへりもぞする
(この上あなたまで来ないで 来たとしてもきまり悪い思いをしてお帰 りになるはずだから)
 ※鵲の橋―陰暦七月七日の夜、牽牛・織女の両星 が天の川で逢うとき、かささぎが翼を並べてかけ渡すという想像上の橋。


 あやしき事をのみ思ひて (変な噂が立って苦労している頃)

294 脱ぎ棄てむ かたもなきものは 唐衣 たちとまりぬる 名にこそありけれ[続集十九・玉葉集恋一]
(脱ぎ捨てる方法がないものは 唐衣〔濡れ衣〕の立ってしまった評判意訳―一度変な噂が立ってしまうと それから逃れる方法もない)


 雨のいみじう降る日 (雨がひどく降る日)

295 山と言へば 憂き身そむきに 来しかども 同じきあめの 下にぞありける
(山だというので 憂き身をそむき捨てようと思って来たけれど ここも同じ天の下だから 同じ雨に濡れるばかり)

 ある人の「ありや」と問ひたれば
 (ある人が「生きていますか」と尋ねてきたので)

296 とふや誰 我はそれかは いかばかり 憂かりし世にや 今まではふる[万代集恋五]
(お尋ねになるのはどなた わたしはあなたがお尋ねになった人かどうかもわからない どれほど辛い思いをさせられて 今まで生きてきたことか)


 正月一日に雪の降るに (元旦に雪が降るので)

297 改まる 色も変わらで ふる雪は (以下欠文)
(年が改まっても 去年と色も変わらないで降る雪は 
 ※以下欠文のため解釈不能)


 ものなど言ひたる男の、絶えて後、「あやしき事をなむ言ふ」と聞きて、言ひ遣る
 (話を交わした男が、別れてから、わたしのことを「変なふうに言っている」と聞いて、送った)

298 そはさても 止(や)みにしものを なかなかに 忘れぬことの 憂きを見るかな
(あなたとのことは あれですんでしまったのに あなたがわたしのことをきっぱりと忘れてくれないから 辛い目にあうのです)

 禊の又の日、女のもとへ遣るとて、男の詠ませし
 (禊の翌日、女の所に送るというので、男がわたしに代作させた)

299 今日をわが あふひともがな みな人の かざすその日は うれしげもなし[万代集恋二]
(今日をわたしがあなたに逢う日としたい 誰もが葵をかざす日では 嬉しくもないから)


 六月一日、雨のいたく降るに (六月一日、雨がひどく降るので)

300 五月雨は さても暮れにき つれづれの ながめにまさる 昨日今日かな
(梅雨はなんとか過ぎたけれど しとしとと降る長雨〔眺め〕よりも激しく降っている昨日今日)

 人の、文の端に「思はむ」など言ひたるを見て
 (ある人が、手紙の端に「愛したい」などと書いてあるのを見て)

301 人知れず 頼みわたると 知るらめや かけりし文の はしを見しより
(密かにあなたの愛をあてにしているのをご存しですか あなたがお書きになった手紙の端を見た時から)

 ある男の「ひとすぢならず、語らはむ」など言ひて、音せぬに
 (ある男が、「一通りでなく付き合おう」などと言って、便りをくれないので)

302 憂かりけむ 一言(ひとごと)こそは 忘れらめ いづらさまざま 言ひし契りは
(あなたを不快にしたと思われる わたしの噂は忘れることができるでしょうが どうなさったのですか あれほどいろいろ言ってくださったお約束は)

 昔語らひし人のもとに(以前親しくしていた人のところへ)

303 それならぬ 事もあるべし いにしへを 思ふにまづ 君ぞ愛(かな)しき
(あなたにはほかの方との思い出もあるでしょう でもわたしは昔のことを思うと まっさきにあなたのことが愛しく思い出されるのです)

 いと久しく逢はぬ人のもとより、「便なかるまじからむ折、告げよ」と言ひたるに
 (ずいぶん長い間逢わない人から、「不都合でなさそうな時、知らせてくれ」と言ってきたので)

304 たしかにも おぼえざりけり 逢ふ事は いかなる時の 事にかあるらむ
(そういう時は はっきり思い浮かばないわ 人に逢うのは いったいどういう時なのでしょうか)

 秋頃、早う、夕暮に、語らひし人の来て、物語などせしに、日頃経て言ひ遣る
  (秋の頃、以前夕暮れに話し合った人が来て、話などしたが、何日か経ってから送った)

305 いつとても 詠(なが)めし事ぞ まさりける 昔語りを せし夕べより
(いつだって物思いに沈んでいるけれど それがひとしお増さってきました あなたと昔のことを話し合った夕方から)

 ある女、夫、田舎に行きて亡くなりたるを聞きて「身に代へましものを」など歎くを、聞きて
(ある女が、夫が田舎に行って亡くなったのを聞いて、「わたしが身代わりになればよかった」などと歎くのを聞いて)

306 逢ふ事も 何のかひなき 露の身を 代(か)へばや代(か)へむ 露の命を
(逢うこともなく 生きていてもなんの甲斐もない「露の身」を その方の身に代えられるものなら 代えてあげたい)

 正月、人の、卯(杖(うづえ)を遣せたるに
 (正月に、ある人が卯杖を贈ってきたので)

307 祈りける 心も知らで つくづくと 身のう杖(づえ)とも 思ひけるかな
(あなたがわたしの幸せを祈ってくだってるとも知らないで わたしは一人淋しくじぶんの辛さを嘆いていたとは)
 ※卯杖―正月最初の卯の日に大学寮から朝廷に奉った杖。梅・桃・柊などで作り、長さ五尺三寸で、邪鬼をはらうまじないとした。
 ※う杖―「卯杖」に「憂(う)」をかけた。


 住む所の梅の花盛りなる頃、ほかへ渡るとて
 (住んでいる所の梅が花盛りの頃、ほかへ移る時に)

308 見るほどに 散らば散りなむ 梅の花 しづ心なく 思ひおこせじ[玉葉集春上・万代集春上]
(見ているうちに 散るなら散ってしまえ 梅の花 よそでいつ散るのかと心配したくないから)

 心にもあらぬ事にて、ほかへ行くとて
 (わたしの意志ではなく、よそへ行く時に)

309 我ながら 身の行く方を 知らぬかな 漂ふ雲の いづちなるらむ[万代集雑四]
(これからどうなっていくのか じぶんでもわからない 空に漂う雲のようにどこへ流れてゆくのだろう)

 旅なる所にて、月を見て (よそにいて、月を見て)

310 春の夜の 月は所も わかねども なほ住もなれし 宿ぞ恋しき[続集二十六・新続古今集旅・万代集雑四]
(春の夜の月はどこも同じように照らしているけれど やはり住みなれた家で見た月が恋しい)

 荒れたる所に、月の洩(も)りたるに
 (荒れ果てた家で、月が屋根から漏れてくるので)

311 かくばかり 風はふけども 板の間(ま)も あはぬは月の 影さへぞ洩る
(これほど風が葺いても 家が荒れて 屋根板の板と板に隙間があるので 風ばかりか 月の光まで漏れてくる)
 ※「ふけども」―「吹けども」に「葺けども」をかけた。

 夜(よ)一夜(ひとよ)病み明かしたるつとめて
 (一晩中病気で苦しんだ翌朝)

312 すゑなくて 消えぬることよ とばかりも 雪の朝に 誰ながめまし
(もしわたしが昨夜あのまま死んだら「子どもも残さないで はかなく消えてしまった」とだけでも 雪の朝に だれが思ってくれるだろう)
 ※「すゑなくて」―清水文雄校註の岩波版では「すべなくて」となっている。それで訳すと、もしわたしが昨夜あのまま死んだら「治す方法もなくはかなく消えてしまった」とだけでも 雪の朝に だれが思ってくれるだろう、となる。


 「世の中に経じ」など思ふ頃、幼なき子どものあるを見て
 (「俗世に生きていたくない」などと思う頃、幼い子どもがいるのを見て)

313 憂き世をば 厭ひながらも いかでかは この世の事を 思ひ捨つべき[万代集雑六]
(辛い世の中を捨てたいと思いながらも この子の将来が心配で やはりこの世を捨てるわけにはいかない)


 ある男、外に泊まりて、「もの疑はしくな思ひそ」と言ひたるに
 (ある男が、よそに泊まって、「〈なんだか怪しい〉なんて思わないでくれ」と言ったので)

314 浜風に 船流したる あまならで よもとばかりの ことの疑ひ
(浜風に船を流した海人ではないけれど〔あなたを失ってしまったなんて思わないけれど〕〈よもや嘘はつかないだろう〉というくらいは疑うかもね)
 ※三句までは「よも〔四方〕」を導く序詞。それに「よもや」をかけた。


 語らふ人のもとより、「今はむげに思ひ放ちつるか。さらに音もせぬ」と言ひおこせたるに
 (付き合っている人から「今はわたしのことを完全に見放したのか。全然便りをよこさないのは」と言ってきたので)

315 人やさも 今やと思ふ 浜千鳥 我は稀にも とふをこそ待て
(あなたはそんなふうにもう絶えてしまった仲と思ってるの わたしはあなたがたまに便りをくれるのを待っているのよ )

 七月晦日、女のもとに始めて遣るとて、詠ませし
 (七月末、女のところへ始めて恋文を送るというので、わたしに代作させた)

316 花薄(はなすすき) ほのめかすより 白露を 結ばむとのみ 思ほゆるかな
恋心をほのめかすより もう結婚したいとばかり思っています)
 ※ 「花薄」「白露を」は、それぞれ「ほのめかす」「結ばむ」の枕詞。


 「昼間に参らむ」と言ひたる男に (「昼にお伺いします」と言ってきた男に)

317 潮(しお)の間(ま)に 見えぬものもの ありけりと あまのあ  またに 見せじとぞ思ふ
(潮の干(ひ)る間〔昼間〕に〈見慣れないものがいろいろあるなあ〉と思われたくないから 大勢の海人には見られないようにしています)

 制する人持たる人のもとに、男の来て、見つけられて、ののしるを聞きて
 (夫を持っている女のところへ、男が来て、夫に見つけられて、大騒ぎしているのを聞いて)

318 聞く人も 静けからぬを 荒磯の 立ち寄る波の さわぎなりけり
(聞いている人も気が落ち着かない なにかと思えば 沖合から荒磯に立ち寄る波の騒ぎだった〔夫がいるところへやってきた男が 夫にのしられていた〕)
 ※「荒磯」は「夫」、「立ち寄る波」は「男」の比喩。

 「来む」と言ふ人の、その日は来で、又の日来たるに
 (「行くよ」と言った人が、その日は来ないで、翌日来たので)

319 頼めしに 昨日までこそ 惜しみしか 今日はわが身は ありとやは思ふ
(お約束した昨日までは命を惜しんでいたけれど 今日もわたしが生きていると思っていらっしゃるの)

 とて、遣りつ。二日ばかり待つに、おとづれぬに
 (と言って帰した。二日ほど待っていたが、訪ねて来ないので)

320 さもこそは 死ぬとも言はめ いつしかと 喜びながら とはぬ君かな
(いくらわたしが死ぬと言ったとしても あなたは〈いつ死ぬだろう〉と喜びながら訪ねてもくれないのね)

 「その程とだに言はむを、聞かむ」と言ふ男に
 (「せめて いつ逢おうという言葉だけでも聞きたい」と言う男に)

321 経(ふ)べき世の 限りを知らで その程の いつと契らむ 事のはかなさ[続後撰集恋三]
(いつまで生きていられるかわからないのに 逢うのをいつと決めてお約束するのは虚しいことです)


 常夏(とこなつ)、時鳥(ほととぎす)、菖蒲草(あやめぐさ)、これを人の詠ませし
 (常夏、時鳥、菖蒲草、これを人がわたしに詠ませた)

322 払はねど 露のおきふす とこなつは 塵も積もらぬ ものにざりける
(払わないでも 露が置いてる常夏は 塵も積もらない 新鮮な花だった)
 ものにざりける―ものにぞありけるの略。
 ※「塵をだに すゑじとぞ思ふ 咲きしより 妹と我が寝る 常夏の花(咲いてから 塵さえ置かないようにと思っている 愛しい人と一緒に寝る床のように大切にしてきた常夏の花)[古今集夏・凡河内躬恒]」をふまえる。


323 わが宿と 待たれしものを 時鳥 聞かぬ人なく 聞き果てつらむ[万代集夏]
(初音はわたしの家でと待っていたのに ほととぎすの鳴き声を 今は聞かない人がいないほど聞いてしまったでしょう)

324 すさめねど 心の限り 生(お)ひたるは 人知らぬまの あやめなりけり
(誰ももてはやさないけれど 思う存分生い茂っているのは 人が知らない沼の菖蒲よ)

 十二月、人のもとより、詠みおこせたりし
 (十二月、ある人からわたしに詠めと言ってきた)  

 雪

325 ゆきふれば 都の中も よもながら  みなしほ山の 心地こそすれ[夫木抄二十]
(雪が降ると 都の中もあたりがすっかり塩の山のような気がする)  

 氷

326 音高く たぎりて落つる 滝つ瀬の 水は氷りも あへずぞありける
(激しい音を立てて湧き出て落ちる滝の水は あまりの早さに 凍ることもできない)

 冬山

327 散り果てて 一葉(ひとは)だになき 冬山は なかなか風の 音も聞こえず
(すっかり散ってしまって 木の葉一枚すらない冬山は 葉擦れの音がしないから かえって風の音も聞こえない)

 神祭

328 神山と 榊をさして 祈るかな 常磐(ときわ)の限り 色も変へじと
(神さまを祀っている山だと思って 榊を手向けて祈ることです この常磐の緑が続く限り 永遠に心は変えないと)

 千鳥

329 今朝聞けば 佐保(さほ)の河原の千鳥こそ 妻迷はせる 声に鳴くなれ
(今朝聞くと あの佐保の河原の千鳥が 妻にはぐれたのか 悲しい声で泣いている)
 ※佐保川―奈良の春日山に源を発し、大和川にむ注ぐ川。よく千鳥、川霧が詠み込まれる。  

 霰(あられ)

330 竹の葉に あられ降るなり さらさらに 独りは寝べき 心地こそせね
(竹の葉にあられがさらさらと降っている わたしは一人で寝る気がさらさら〔少しも〕しない)

 水鳥

331 気(け)を寒(さむ)み 葦の水際(みぎわ)も さえぬれば 流ると見えぬ 池の水鳥
(あまりにも寒いので 葦の水際も冷えきっているから 凍りついたように見える池の水鳥)

 十月、あかつき方に目を覚まして聞けば、時雨のいたうすれば
 (十月、夜明け前に目を覚まして聞くと、時雨がひどく降るので)

332 冬の日を 短きものと 言ひながら 明るくまだにも 時雨(しぐ)るなるかな
(冬の日は短いと言いながら 夜が明ける前に暮れてしまったよう)

 「ある所の御前に、ひともと菊のおもしろきを植ゑさせ給へる」と、人の言ふを聞きて
 (「あるところの庭に、一本菊をお植えになった」と、人がいうのを聞いて)

333 花の上を きくに心の うつるかな むべもくらなる 名のみ立つらむ
(菊の花を植えたと聞くと すぐに心がそちらへ移る こんな性格だから いつも見に覚えない浮名を立てられるのね)

 八月ばかり、人のもとに (八月頃、ある人のところへ)

334 音すれば 訪(と)ふか訪(と)ふかと 荻の葉に 耳のみとまる 秋の夕暮
(音がすると あの人が来たのではないかと思ってしまう 荻の葉擦れの音ばかり気にしている秋の夕暮れ)

 語らふ人のもとより、撫子をおこせて「かかる 欠文たる花は、あらじ」と言ひたるに
 (恋人から撫子を送ってきて、「こんな 欠文 している花は、ないでしょう」と言ってきたので)

335 まことかと 比べて見れど わが宿の 花の露には なほうてぬめり
(〈本当かしら〉と比べて見たけれど わたしの家の花の露にはやはり劣るようね)
 ※「うてぬめり」―「うつ〔下二段〕」は、劣る、負けるの意。


 男のもとより、「たまさかにも、あはれと言ふになむ、命は掛けたる」と言ひたるに
 (男から「たまにでも、『あなたが好きです』と言ってくださるのに、命をかけます」と言ってきたので)

336 とことはに あはれあはれはつくすとも 心にかなふ ものか命は
(未来永劫「好きです 好きです」と言葉を尽くして言ったとしても 思い通りにならないのが命 あなたの命の責任まで持たされるのは嫌よ)

 夏、内より忍びてものに詣でて、やすむとて、木の下にゐて
 (夏、宮中からそっとある所にお参りして、休息のために、木陰に座って)

337 飽かざりし なかなか花の 折よりも 立ち憂きものは 夏の木の下
(見飽きることのなかった花の季節よりも かえって立ち去り難いのが 夏の木陰)

 人の詠ませし、なみだの浜 (ある人がわたしに詠ませた、なみだの浜)

338 わが袖は なみだの浜に あさりせし あまの袂に 劣りやはする[万代集恋三・夫木抄二十五]
(わたしの袖は涙に濡れて 波に濡れて浜で貝や海藻などを採っている海人の袂に劣らないくらい)


 はこがたの池
 ※所在不明。

339 白波の よるは音のみ 聞ゆるを あけばまづみむ はこがたの池
(夜は白波の打ち寄せる音しか聞こえないけれど 夜が明けたらすぐに見よう はこがたの池)

 をがはの橋(おがわの橋)
 ※筑前国の歌枕。

340 下りたちて をがはのはしは 渡れども 名にはたぬれぬ ものにぞありける
(車から降りて おがわの橋を渡るけれど 小川という名では 思った通りやはり濡れなかった)

 やたのひろの
 ※陸奥国の歌枕。

341 旅人の 駒引き並めて うち立てば やたのひろのも 狭くぞありける
(旅人が 馬を引き並べて立っていると あれほど広いやたの広野も狭く感じる)

 くちきのそま
 ※近江国の歌枕。

342 飛騨たくみ 妹(いも)とねやをし 作らねば くちきのそまは あるかひもなし
(飛騨の大工の名匠も 妻と一緒に寝る部屋は作らないので 朽木の杣(そま)はあっても甲斐がない)
 ※朽木―用材を切り出すための山。


 四月ばかり、人のもとより、「時鳥待つとて、山里になむある」と言ひたるに、もの思ふ頃
 (四月頃、ある人から、「ほととぎすの初音を聞こうと思って、山里にいます」と言ってきたが、思い悩んでいた頃なので)

343 時鳥 もの思ふ頃は おのづから 待たねど聞きつ 夜半の一声
(こんなに思い悩んでいると眠れないから しぜんと聞いたわ ほととぎすの夜中の一声を)

 夫(おとこ)の、御獄精進とて、外に。みあれの日、葵に挿して
 (夫が御獄精進をすると言って、よそにいる時に。みあれの日、葵に挿して)
 ※みあれの日―賀茂神社で、葵祭の前に行う神迎えの神事。


344 かざせども かひなきものは 己(おの)が引く しめの外なる あふひなりけり
(葵祭りの日に 逢うという名の葵をかざしても甲斐がない あなたはよそにいて 逢いたくても逢えないもの)

 五月五日、雨のいみじう降る日、ひとり言に
 (五月五日、雨のひどく降る日、ひとり言に)

345 今日はなほ あやめの草の ね所にも 水のみまさる 心地こそすれ
(五月五日の今日はやはり あやめの生えている所も 水嵩が増すような気がします〔五月五日の今日はやはり 寝室に一人でいると ひとしお涙が増すような気がします〕)

 六日、この精進する夫のもとより、「昨日のあやめも知らで過して」など言ひたれば
 (六日に、例の精進潔斎する夫から、「昨日のあやめも知らないで過して」などと言ってきたので)

346 うたた寝に やがてよどのも 見ぬ人は ましてなにてふ あやめやは知る
(うたた寝をして 淀野の夢も見ないような人は ましてそこに生えている菖蒲の美しさなんかわからないでしょう〔寝室の夢も見ないで 恋の道理がわかるはずはありません〕)
 ※淀野―菖蒲の名所。「淀野」に「夜殿〔寝室〕」をかける。

 詣づる程になりて、道のほど着るべき狩衣なむ様なるもの、縫はする、やるとて
 (夫が御獄詣でをする頃になって、道中着るはずの狩衣などといったものを、わたしに縫わせたのを、送る時に) 

347 うち交(か)はし 夜着るまじき あさぎぬは 縫ふももの憂き ものにぞありける
(お互いに袖を交わして夜に着るわけにはいかない麻〔朝〕の衣は 縫うのもなんとなく気乗りがしないものなのね)
 ※「麻」に「麻」をかけ「夜」の対語とした。 

 とて、やりたれば、狩衣を「着よく、肩などもよし」と言ふ事を言ひたれば
 (と歌を添えて送った狩衣を、「着心地がよく、肩の感じもいい」ということを言ってきたので)
 ※ 「夏引の白糸七はかりあり さ衣に織りても着せむ 汝(ましめ)妻離れよ/頑なに物言ふ女(おみな)かな ナ 汝(まし) 麻衣(あさぎぬ)も わが妻(め)のごとく 袂よく 着よく 肩よく 小領(こくび)安らに 汝着せめかも 縫ひ着せめかも(夏に引いた白い生糸が七はかりあるの 着物に織って着せてあげるから 奥さんと別れて/頑固にあれこれいう女だなあ ナ お前 麻の着物といっても 私の妻のように 袂の具合も 着心地も 肩の感じもよく 衿のゆったりしたものを お前 織って着せてくれるというのか)[催馬楽・夏引]をふまえる。


348 かり衣 我によそふる ものならば 袂よくしも あらじとぞ思ふ
(狩衣をわたしの衣になぞらえるなら 袂は感じなんかよくないと思いますが)
 ※狩衣は括り袖であるのに対し、女の衣の袂は広いところからいう。


 縹(はなだ)の帯の、所々かへりたるを、着替へて、夫のおこせたれば
 (わたしが送った新しいのと締め変えて、縹色〔強い青〕の帯のところどころ色褪せたのを、夫が送ってきたので)

349 馴れぬれば 縹の帯の かへるをも かへすかとのみ 思ほゆるかな
(長い間締めたから 縹の帯は自然と色褪せただろうけれど 二人の関係を元に返す〔別れる〕かと思ったわ)

 和泉と言ふ所へ行きたる夫の許より、「佐野の浦といふ所なむ、ここにありけりと聞きたりや」と言ひたるに
 (和泉という所へ行った夫から、「佐野の浦というのが、ここにあると聞いていますか」と言ってきたので)

350 いつみてか 告げずは知らむ 東路(あずまじ)と 聞きこそわたれ 佐野の船橋
(和泉なんて行ったことがないから あなたが教えてくれないから 知らないわ 佐野の船橋なら東路にあると聞いているけれど)
 ※「いつみ」に「和泉」をかける。
 ※佐野の船橋―上野国の歌枕。


 田舎なる人のもとより、三月十余日の程に、言ひやる
 (田舎にいる人に、三月十日過ぎに、こちらから送った)
 ※「より」は「に」の誤りと見て訳した。

351 まづ来(こ)むと 急ぐ事こそ かたからめ 都の花の 折を過すな
(この手紙を見て すぐに来ることは難しいでしょう でも都の桜の季節を見逃さないでください)

 水無月の晦がたに、六波羅の説経聞きにまかりたる、人の扇を取りかへて、やるとて
 (六月の末頃、六波羅の説経を聞きに行ったが、人が扇を取り違えたので、送る時に)

352 白露に おきまどはすな あきくとも 法(のり)にあふぎの 風はことなり[夫木抄九]
(置き忘れないで 秋が来て扇は必要ないにしても 仏法に逢うという扇の風は ふつうの風とは違うのよ)
 ※「白露に」は「おき」の枕詞。


 雨のいたう降る日、ある男、今始めて語らふ女の事ほめ居たるを聞きて
 (雨がひどく降る日、ある男が、今はじめて付き合っている女のことを褒めているのを聞いて)

353 見るままに 思ひやのきの 玉水を もらさぬ中と 誰か知るらむ[正集]
(軒の玉水が滴るのを眺めながら思うの あなたと今誰が水も漏らさな い仲になっていらっしゃるかと)


 ほかなるはらからのもとに、いとにくさげなる瓜の、人の顔の形に生(な)りたるに書きつけて
 (よそにいる姉妹の所に、とても醜い瓜で、人間の顔の形をしたのに書いて)

354 もし我を 恋しくならば これを見よ つける心の くせもたがはず
(もしわたしが恋しくなったら これを見て 顔形ばかりでなく 変にひねくれたところも わたしの性格にそっくりよ)

 十二月ばかり、雪のいみじう降りたる日、野老(ところ)のあるを、親のがり、やるとて
 (十二月頃、雪がひどく降った日に、野老があったので、親のところへ送る時に)
 ※野老―つる草の名。山野に自生し、根茎は苦味をぬいて食用にする。


355 君が為 求めたるかな 雪降れば それどころとも 見えぬ山路に
(お父さまのために探しました 雪が降っているから野老がどこにあるかわからない山道で)
 ※「それどころ」に「野老」をかけた。


 小豆(あずき)のおものといふものを、火取りの桶に入れて、同じ頃
 (小豆ご飯というものを、香炉を入れる桶に入れて、同じ頃に)

356 かくばかり さゆるにあつき けのするは ひとりのおもの なればなりけり[夫木抄三十六]
(こんなに冷えこむのに 妙に熱い気がするのは 香炉を入れる桶に入れた小豆ご飯のせいです)
 ※「あつき」に「小豆」をかけた。


 七月七日に、いと疾う起きて (七月七日に、とても早く起きて)

357 織女(たなばた)に 心を置けば 朝ぼらけ ただわが如(ごと)や 露もおくらむ
(織女のことを心にかけて 夜がほのぼのと明ける頃に起きて見ると 露もわたしと同じ思いなのか もう起きて〔置いて〕いる)

 同じ頃、糸をいたう高う引きて、青き紙を杉の葉に結び付く
 (同じ頃、七夕の飾り糸をとても高く引きめぐらして、次の歌を書いた青い紙を杉の葉に結びつける)

358 織女に よきもあしきも 織れてぞと 空にかけたる くものいとすぢ
(織女に 良い糸も悪い糸も織っていただきたいと 空高く まるで蜘蛛の巣のように張り巡らした)

 田舎へ行くに、ある所より御小袿など賜はすとて、「道の露払ふ」などあるに
  (田舎へ行く時に、ある所から小袿などをくださるときに、「道の露払ふ」などとあったので)

359 目に近く せきは袂(たもと)も 思ひやる 浅茅が原の つゆも劣らず
(浅茅が原の露も劣りません)
 ※「せきは袂も」―解釈できないので、この歌は四句と結句しか訳せない。


  人の、扇に、神の森画(か)きて、「折りつる、しるく、さ」など言ひたるに
 (ある人から、餞別の扇に、神社の森の絵を描いて、「あなたの幸せを祈った効果があって、こんなに」などと言ってきたので)

360 祈りける 心のほどを みてぐらの さしては今ぞ 思ひ乱るる
(祈ってくださったお心のほどが偲ばれて 今となって名残惜しさに心が乱れます)

 十二月ばかり、女のもとに行きて、翌朝、男の詠ませし
 (十二月頃、ある男が女のところに行って、翌朝、男がわたしに代作させた)

361 うちはひて 涙にしみし かたしきの 袖の氷ぞ 今朝は解けたる[正集四四五]
(ずっと涙を流しながら一人で寝た片袖に張った氷が やっとあなたに逢えて今日は溶けました)
 ※片敷―じぶんの衣の片袖だけを下に敷いて一人で寝ること。


 これも、人にかはりて (この歌も、代作して)

362 昨日まで 泣き嘆きけむ 今朝の間に 恋ふこそは いと苦しかりけれ
(昨日までなにを嘆いていたのだろう さっき別れてから今朝までの間に あなたを恋い慕う気持ちは 逢わなかったときと比べものにならないほど苦しくてならない)
 ※「泣き嘆きけむ」―「なに嘆きけむ」の誤りとして訳した。


 あるやむごとなき人の、「故あり」と聞し召す女のもとに、梅の花つかはすを見て
 (ある高貴なお方が、「たしなみがある」と聞いていらっしゃる娘のところに、梅の花を送られるのを見て)

363 花の香に 心は染(し)めり 折りて見な その一枝(ひとえだ)に みこそあらねど
(花の香にすっかり魅了されました 折ってごらんなさい その一枝に実はついてないけれど)

 桜の遅く咲く事を、人の詠むに
 (桜がなかなか咲かないのを、人が詠むのでわたしも)

364 待たせつつ 遅くさくらの 花により 四方の山べ に 心をぞやる[正集一七五]
(待たせてばかりでなかなか咲かない桜のせいで わたしは四方の山の桜のことばかり思っている)

 冷泉院のおはします南院の御前の花を、ものの隙間より見て
 (冷泉院がいらっしゃる南院の御前の桜を、ものの隙間から覗いて)

365 色深く 花のにほいも 物越しに 見つればいとど 飽かずもあるかな
(色鮮やかな桜の美しさも こうして物越しに見ると ひどく物足りないきがする)

 院の御方の人々の居たる、簾よりあらはに見ゆれば
 (冷泉院にお仕えしている女房たちが座っているのが、簾越しにはっきり見えるので)

366 あらはにも 見ゆるものかな 玉垂の みすかし顔は たれも掛くるな[正集二一七]
(ずいぶんはっきり見えるものね 簾を透かして見えるわたしの顔のことはだれも言わないで)


367 枝ごとに 花散り紛(まが)へ 今はとて 道の過ぎゆく 道見えぬまで
(どの桜の枝も はらはらと散り乱れてほしい これが最後と春が過ぎ去っていく道が見えなくなるほど)

 四月朔日頃、月のいと疾(と)く入りぬることと、人の詠みしに
 (四月のはじめ頃、「月があまりにも早く沈んだ」と、人が詠んだので、わたしも)

368 ほの見えて 入りぬる月の 天(あま)の戸の 明け果つるまで ながめつるかな
(かすかに見えて沈んでしまった月 名残惜しさに 夜が明けきるまで物思いをしてしまった)
 ※「天の戸の」は「明け」の枕詞。


369 待つに思ふ 入るとて歎く 夏の夜の 月ぞ心は そらになしける
(待っていてもなかなか出てこないし 出てきてもすぐに沈むから 夏の短夜の月は 心をうつろにしてしまう)

 五月ばかり、雨も降り止みて、月のさし出たるに、雨しだりの鳴るを聞きて
 (五月頃、雨もやんで、月が出てきたのに、雨だれの音がするのを聞いて)

370 空見れば 雨も降らぬに 音ぞする ただ月の洩る 雫(しずく)なりけり
(空を見ても 雨も降っていないのに 雨の音がする これはただ雲間を漏れる月の光が雫となって落ちてくるのだ)

 九月九日に、菊をてまさぐりにして 
 (九月九日〔重陽の節句〕に、菊を手先でもてあそんで)

371 折る菊も 君が為にと 祈りつつ 我もすぐべき ものと頼まむ
(折った菊も あなたの命を延ばすためにと祈りながら わたしも菊にあやかって千歳まで過ごせるものとあてにしましょう)

 ほかなる子の、「撫子の種、少し給へ」と言ひたる、やるとて
 (よそにいる子が、「撫子の種を少しください」と言ってきたので、送る時に)

372 なでしこの 恋しき時は 見るものを いかにせよとか 種をこふらむ
(可愛いあなたが恋しい時には この花をあなただと思って見ることにしているのに わたしはどうしたらいいと思って 種をほしがるの)

 稲荷祭見る女車のありけるを、「その人なめり」とある君達の言ひけるを聞きて、祭見る車の前より、男の過ぐるほどに、木綿につけてさしつれ
 (伏見の稲荷神社の祭りを見物する女車があったそうだが、「あの人の車らしい」とある君達が言ったというのを聞いて、賀茂祭を見るわたしの車の前を、その君達が通り過ぎるときに、木綿に次の歌をつけて送った)

373 稲荷にも 言はると聞きし なき事を 今日ぞただすの 神にまかする[正集一〇七]
(稲荷の祭りのときありもしないことを言われたのを 今日は偽りを正 す神様に任せて はっきりさせたいわ)


 返しにいみじうあらがひたれば
 (返歌でものすごく反論してきたので)

374 神かけて 君はあらがふ たれかさは よるべにたまる みづにいひけむ[正集一〇九・夫木抄雑八・奥儀抄]
(神様にかけて反論するのですね ではいったい誰が見たと言ったので しょう)

  秋の夜いりぬべき月をながめて
 (秋の夜、今にも沈みそうな月を眺めて)

375 見るほどに 心にとまる月なれど 影は遙かに なりも行くかな
(見ていると心にとまる美しい月だけれど そんなとまる心とは反対に 月は遥か彼方に遠ざかって行く)
 ※「とまる」と「行く」は対語。


376 思はでも 寝(ね)ぬべきものを なかなかに 宵より月を 見ざらましかば
(悩んだりしないで寝られるものを 中途半端に宵から月を眺めないでいたら)

  七月七日、織女にかはりて。待つ頃、草の露を始めて見る
 (織女に代わって七月七日を待つ頃、草の露を始めて見る)

377 その宵を 待つもすべなし かささぎの 橋も渡らぬ 通ひ路もがな
(七月七日の夜を待っていてもしかたがない かささぎの橋を渡らないで通える道があればいいのに)

378 風の音に 秋来にけりと おどろきて 見れば草葉の 露もおきけり
(風の音で秋が来たとはっと目を覚まして見ると 起きたのはわたしだけでなく 草葉の露も起き〔置い〕ている)
 秋来ぬと 目にはさやかに 見えねども 風の音にぞ おどろかれぬる(秋が来たと目にははっきり見えないが 風の音ではっと秋が来たなあと感じる)[古今集・藤原敏行]


 月のいと明き夜、初めて女にやるとて、男の詠ませし
 (月がとても美しい夜、初めて女に送るというので、男がわたしに代作させた)

379 人知れぬ 心のうちも 見えぬらむ かばかり照らす 月の光りに
(人に知られないわたしの心の中も あなたには見えるでしょう こんなに明るく照らす月の光で)

 近き所に、かたらふ人ありと聞きて、言ひやる
 (近い所に、親しい人が来ていると聞いて、送った)

380 天の川 同じわたりに ありながら 今日も雲居の よそに聞くかな[続千載集恋三]
(あなたって 近くに来ていながら 今日もわたしの所には寄ってくださらないの)


 また、同じ事、女どもがもとに
 (また、同じ思いを、男が親しくしている女の人にあてて)

381 織女に 劣るばかりの 仲なれば 恋ひわたらじな かささぎの橋
(年に一度の逢瀬しか許されない織女に劣るほどの仲なので もうあの人を恋し続けることはしません)

 八日、男の、女のもとにやるとて、詠ませし
 (八日、男が女のところへ送るというので、わたしに代作久させた)

382 忌むとてぞ 昨日はかけず なりにしを 今日彦星の 心地こそすれ
(不吉だというので 昨日は恋しい思いを口にしませんでしたが 今日は彦星の気持ちになっています〔あなたの所に行きたくてたまらないのです〕)

 男の、女のがり行きて、え逢はで帰り来て、翌朝やるとて、詠ませし
 (男が女のところへ行って、逢うことができないで帰ってきて、翌朝送るというので、わたしに代作させた)

383 ここながら 恋ひは死ぬとも そこまでは いかずぞかねて あるべかりける
(こんなことなら じぶんの家にいたまま 恋い焦がれて死んだとしても わざわざそちらまで行かないことに前もってしておけばよかった)
 ※いか―「行か」に「生か」をかけ、「死ぬ」の対語とした。


 俄かにいたくわづらふほどに、来あひて見たる男のもとより、「いとほしかりしこと」など、言ひたるに
 (急に病気でひどく苦しむ時に、来合わせて様子を見た恋人から、「かわいそうでならなかった」などと言ってきたので)

384 ことならば あはれと見まし 目の前に 涙の露と 消えましものを
(同じことなら 「可愛い」と思って見てくださったかもしれない あなたの前で 涙の露と一緒に消えて〔死んで〕しまえばよかった)  

 夫(おとこ)の、女のもとにやる文を見れば、「あはれ、あはれ」と書きたり
 (夫が、ある女に送る手紙を見たら、「可愛い、可愛い」と書いてある)

385 あはれあはれ あはれあはれと あはれあはれ あはれいかなる 人を言ふらむ
(ああ 可愛い 可愛いか ああ 可愛い 可愛いだなんて ああ どこのどんな人に言うのだろう)  

 同じ夫、六月に、「わが袖干めや」といふ歌の心ばへを、女のがり、言ひやりたるを見て
(同じ夫が、六月に、「わたしの袖は乾く時がない」という歌の気持ちを、女の所に送るのを見て)

386 わが為は かけても言はで 夏衣 なげの汗にも 濡れずやあるらむ
(わたしにはそんな言葉 かりにも言ってくれない わたしには夏衣のような薄い気持ちしかないから あなたの袖は涙どころか 汗にも濡れないでしょう)

  いと尊き法師の、汚なげなる帯を落したるを見て
 (とても尊い僧侶が、薄汚れた帯を落としたのを見て)

387 法(のり)の師の ときおきてける 帯なれど 罪深げにも 見ゆるものかな
(仏法の師がお解き〔お説き〕になった帯ですが 薄汚れていて 前世の罪業も深そうに見えます)

 「今は、絶えて、逢はじ」など言ひて後も、また行き逢ひて
 (「もう二度と逢わない」などと言った後も、またある場所で出会って)

388 忍ぶれど 忍びあまりぬ 今はただ かかりけりてふ 名をぞ立つべき
(逢うのを我慢していたけれど 我慢できなくなった 今はもう わたしたちはこういう仲だと世間に知らせてしまいましょう)  

 同じやうなる人に(同じような立場の人に)

389 人問(と)はば 何によりとか 答へまし あやしきまでも 濡るる袖かな
(人が尋ねたら なんのせいでと答えたらいいでしょう 不思議なくらい涙で濡れる袖です)  

 はらから、田舎へ下るに、扇などやうのもの、やるとて
 (きょうだいが田舎へ行く時に、扇などを送る時に)

390 惜しけれど えやは留(とど)むる 別れ路(じ)に おくれでといふ しるしばかりぞ
(名残惜しいけれど 引き止めることもできない これはお別れに 送れないでついて行きたいという わたしのほんの気持ちばかりの物です)  

 時々、文などおこする男の、久しう音せぬに
 (時々、恋文などをくれる人が、長らく便りをしてこないので)

391 憂きよりも 忘れがたきは つらからで ただに絶えにし 仲にぞありける
(冷たいのを恨んで別れたのよりも かえって忘れがたいのは なんの理由もなく なんとなく別れてしまった仲である)  

 「この度ばかり」と思ふ人に逢ひて、胸を死ぬばかり病みて「折しもあはれなりしこと」など、書きて、やる
 (「今度だけ」と思う人に逢って、死にそうなほど胸が苦しくて、「折も折、しみじみと身にしみて」などと書いて、送る)

392 逢ふ事は さらにも言はず 命さへ ただこの度や 限りなるらむ[続後撰集恋三・万代集恋三]
(逢うことはいうまでもなく わたしの命までも この最後の逢瀬で終わるのではないかしら)  

 陸奥といふ所より来たる夫(おとこ)の、待つ人のもとへは行かで、外より帰るを聞きて、旅の衣などしてやるとて、女の詠ませし
 (陸奥といふ所から帰ってきた夫が、待っている妻の家へは行かないで、よそから帰るのを聞いて、旅の衣などを新調して送るのだと言って、その妻がわたしに代作させた)

393 旅衣(たびごろも) きてもかばかり つらけれど たち帰り来と 思ふべきかな
(都に帰って来ても こんなに冷たいあなただけれど でもわたしは あなたがこの旅衣を着て すぐにわたしのところへ帰って来てほしいと思ってしまいそうなの)  

 「世の中、はかなきこと」など言ひて、あさがほのあるを見て
 (「この世ははかない」などと言って、朝顔の花があるのを見て)

394 はかなきは わが身なりけり あさがほの 朝の露も おきて見てまし
(はかないのはなんといってもわたし自身だ はかないものの喩えである朝顔に置いた朝の露を起きて見ることができるだろうか)  

 九月晦がたに。もの思ふ頃 (九月末頃。物思いに沈んでいる頃)

395 白露と おきゐつつのみ あるべきを いづち見捨てて あきの行くらむ
(白露を眺めていつまでも起きていたいのに わたしを見捨てて 秋はどこへ行くのだろうか〔白露を眺めてあの人の訪れを待っていたいのに  わたしに飽きたあの人は どこへ行っているのだろう〕)
 ※あきの―「秋」に「飽き」をかける。  


 月の明き夜、人のもとに (月の明るい夜、あの人のところへ)

396 待ちわびて つげにやるとも 君は来で 宿にすむらむ 月をこそ見め
(待ちわびているのを知らせたところで あなたは来ないで お宅にお越しの女(ひと)と一緒に 澄んでいる月をごらんになるでしょう)  

 秋の頃、目の覚めたるに、雁の鳴くを聞きて
 (秋の頃、目が覚めた時に、雁の鳴くのを聞いて)

397 まどろまで あはれいく夜に なりぬらむ ただ雁が音を 聞くわざにして[正集八八七・ 日記]
(うとうと眠ることもしないで ああ 何日が経ったのだろう ただ雁の声を聞くだけで)
 ※日記では、「まどろまで あはれ幾夜に なりぬらむ ただ雁がねを 聞くわざにして」となっている。  


 人のもとより「対面の程経ぬるを思ふに、いとあやしくなむなりにたる」と言ひたるに
(ある人から「逢ってからずいぶん経ったのを思うと、不思議なほど恋しくなってきた」と言ってきたので)

398 ほのかにも 見てこそやまめ まことにや 恋する人の さまやしたると
(かすかでも見てみたい ほんとうに あなたが恋する人の様子をしているかどうか)  

 男のもとより、「みづから行かむ」と言ひたるに
 (男から、「わたし自身が行きましょう」と言ってきたので)

399 かけて見ば われ恥しく なりぬべし 音にぞ聞かむ 山河(やまがわ)の水
(あなたに見られたら わたし恥ずかしくなるわ あなたのことは 山河の水のように 音を聞く〔噂を聞く〕だけの仲にしておきたい)  

 物忌にてある所に、月の明き夜、人の来たるに、え逢はで、言ひいだす
(物忌でいる所に、月の明るい夜、人がやって来たが、逢うわけにはいかず、取次に言わせた)

400 なかなかに くも居の月の 見ざりせば 門させりとも さはらざらまし
(なまじっか 空の月が見ていなかったなら 門が閉まっていても入っていらっしゃるでしょうに)

 かたらふ人の、「山里になむ、行く」と言ひたるに
 (付き合っている人が「山里に行く」と言ってきたので)

401 そこもとと 杉の立ちどを 教へなむ 尋ねも行かむ 三輪の山もと
(はっきりとどこへ行くと教えてください 三輪の山のふもとだって尋ねていきます)  

 「暮に来む」と言ひたる男に (「夕方行く」と言ってきた男に)  

402 おぼろけの 人は越えこぬ 組(く)み垣(がき)を 幾重(いくえ)したらむ ものならなくに
(〔どうしてすぐに来てくれないの〕普通の人では越えられないような組垣を幾重にも張り巡らしてあるわけでもないのに)    

 雨のいたく降るに、忍びたる人のもとより、「ようさりは、かならず」と言ひたるに
 (雨がひどく降る時に、忍んで逢う人から、「今夜は必ず」と言ってきたので)

403 ぬれずやは しのふる雨と 言ひながら なほ夕暮は 忘れやはする
(この雨でぐっしょり濡れてしまわれるでしょう 人目を忍ぶ仲で 雨が降るとは言いながら やはり夕暮れは忘れないで待っています)  

 人のもとより、「道にとどむべきかたのなければ、ただに聞くこと」と言ひたるに
 (恋人から「途中で引き止める方法もないから、あなたの出発を虚しく聞くだけだ」と言ってきたので)

404 いとどしく とどめがたきは ひたみちの 惜しまれぬ身の 涙なりけり[万代集恋三]
(それを聞いて ますます止めることのできないのは 一途な思いから別れを惜しまれないわたしの涙です)  

 五月ばかり、「寝ぬに慰む」と言ひたる人に
 (五月頃、「寝ないでいると恋しさが紛れるわけでもないのに、少しも眠れない」と言ってきた人に)

405 まどろまで 明かすと思へば 短か夜も いかに苦しき ものとかは知る
  (一睡もしないで夜を明かすと思うと 夏の短夜も どんなに長く苦しいものだとおわかりになったでしょうか)  

 宵の間逢ひて、ものなど言ひたる人のもとより、つとめて言ひたれば
 (夜の間逢って、話などした人から、翌朝言ってきたので)

406 人はいさ わが魂(たましい)は はかもなき 宵の夢路(ゆめじ)に あくがれにけり
(あなたはどうか知らないけれど わたしの魂は 宵の間のはかない夢のような逢瀬に 彷徨い出てしまいました)  

 「世にあらむ限りは、さらに忘れじ」など言ひたる人に
 (「生きている限り、決して忘れない」などと言ってきた人に)

407 ほど経(ふ)べき 命なりせば まことにや 忘れ果てぬと 見るべきものを[玉葉集恋三] 
(いつまでも生きられる命なら ほんとうにわたしを忘れないのか 見届けることができるでしょうに)  

 男の、「よべのほどに、いとよくなむ見てし」と言ひたるに
 (ある男が、「昨夜のうちに、あなたの顔をとても詳しく見た」と言ってきたので)

408 今朝の間に 来て見る人も ありなまし 偲ばれぬべき 命なりせば
(今朝のうちに来て見る人もいるでしょう わたしが死んだ後も思い出していただける身の上なら)  

 瞿麦(なでしこ)に付けて、「心変りたり」と見ゆる男に
 (瞿麦の花につけて、「心変わりした」と思われる男に)

409 色見えで かひなきものは 花ながら 心のうちの まつにぞありける
(色に見えないで移り変わるのはあなたの心 色に見えないで甲斐のないのは わたしの心に咲く あなたを待つ〔松〕という花だわ)
 ※「色見えで 移ろふものは 世の中の 人の心の 花にぞありける(草木の花なら 色褪せていくのが見えるのに 色に見えないで移り変わるものは 人の心という花なのだ[古今集恋五・小野小町]」をふまえる。
 ※詞書と歌が一致しない。詞書では、「瞿麦の花につけて」とあるが、歌の内容からすれば「松の枝につけて」となるはずである。  

 八月ばかり、夜一夜風吹きたるつとめて、「いかが」と言ひたる人に
 (八月頃、一晩中風が吹いた翌朝、「どうでしたか」と言ってきた人に)

410 荻(おぎ)風に 露吹き結ぶ 秋の夜は ひとり寝覚めの 床ぞさびしき[夫木抄十一]
(風が荻に吹いて露を結ばせる秋の夜は 一人物思いで寝られないのが淋しくてならない)  


 「日に一度は、かならず、文おこせむ」と言ひたる人の、とはぬ日しも、心地の終日苦しき。又の日、とひたるに
 (「日に一度は必ず便りをする」と言ってた人が、手紙をくれない日に、気分が一日中苦しかった。翌日、手紙をくれたので)

411 かくやはと 思ふ思ふぞ きえなまし 今日まで 耐へぬ 命なりせば[正集二六三・万代集恋三]
(今日まで生きられない命なら 「便りをくださらないなんて」と繰り 返し恨みながら 昨日あのまま死んでしまったでしょう)  


 夫(おとこ)の、ほかに泊まりて、「夢にだに見えで」と「明しつること」と言ひたるに
(夫がよそに泊まって、「夢でさえ見ないで明かしてしまった」と言ってきたので)

412 見えぬまで まどろむことの かたければ 我もはかなき 夢をだに見ず
(あなたがお越しにならないのを確かめるまで 眠ることができなかったから わたしもあなたの夢を少しも見ていません)  

 かたらふ人に。逢ひ見て後、「見初めずは」と言ひたるに 
 (恋人に。契りを結んだ、「見初めなかったら、こんなに苦しまないですんだのに」と言ったので)

413 後までは 思ひもあへず なりにけり ただ時の間を 慰めし間に
(後のことまで考える余裕もなく ああいう仲になってしまったの ただほんの少しの間 あなたを慰めているうちに)  

 いたうあばれたる所にて、女郎花に露の置きたるを見て
 (ひどく荒れ果てた所で、女郎花に露が置いているのを見て)

414 女郎花 露けきままに いとどしく あれたる宿は 風をこそ待て
(女郎花が露に濡れて湿っぽいので ひどく荒れ果てたわたしの家では露を吹き払う風が待たれます〔泣き濡れた女が ひどく荒れ果てた家であなたの訪れを待っています〕)  

 「女院の御前に、秋の花、植ゑさせ給へり」と聞く日、ある人の「参り給へり」と聞くに、きこえさする
 (「女院〔上東門院彰子〕のお部屋の前庭に、秋の花を植えさせられた」と聞いた日、ある人が「女院の御所に行かれた」と聞いたので、その人にお便りした)

415 いろいろの 花に心や 移るらむ みやまがくれの まつも知らずて
(色とりどりの秋の花に心を移していらっしゃるでしょう〔色とりどりの女房たちに心を移していらっしゃるでしょう〕深山隠れの松も知らないで〔わたしがお待ちしていることも忘れて〕)  

 人のもとに来たりける男、帰るにやありけむ、夜、来たるに逢はねば、つとめて「わざと参りたりしに憂く」など言ひたるに
 (ほかの女の所に行っていたという男が、そこからの帰りだろうか、夜に、わたしの所に来たけれど逢わなかったので、翌朝「わざわざお伺いしたのに冷たいことを」などと言ってきたので)

416 宵の間を 荻の葉風の うらみねど 吹きかへさるる たよりとぞ見し
(夜にちょっとお寄りになったのを わたしはあなたみたいに恨まないけれど〈誰かに帰されたから来られたのだなあ〉とわかっていたの)  

 よそよそになりたる夫の、遠き所より来たる、「いかが聞く」と、人の言ひたるに
 (別れ別れになった夫が、遠い所から上京して来たのを、「どんな気がしますか」と、ある人が言ってきたので)

417 さ夜中に 急ぎも行くか 秋の夜を 有明の月は 名のみなりけり
(こんな夜中に急いでお帰りなんて 秋の夜長なのに 朝まである有明の月は評判だけのものね)
 ※この歌は詞書と歌が一致しない。  


 九月ばかり、鶏の声におどろかされて、人の出でぬるに
 (九月頃、鶏の声に急き立てられて、人が帰っていったので)

418 人はゆき 霧はまがきに 立ちどまり さもなかぞらに ながめつるかな[正集一八一・風雅集恋二]
(あの人は帰ってしまうし 霧は垣根にかかっているし わたしは中途半端な気持ちで空を眺めるだけ)  


 十月時雨するに、つれづれにおぼゆれば
 (十月時雨が降っていて、淋しく思われるので)

419 花見つつ くらしし時は 春の日も いとかくながき ここちやはせし[正集二三二・続集四三九]
(花見をして浮かれて暮らしているときは 日が長い春も長い気がしない)  


 物なげかしげなるを見て、「前にいかなり人の心をか見ならひて」といふ人に
  (わたしが気分がふさいでいるのを見て、「以前にどんな男の気持ちを経験したのだ」という恋人に)

420 さきざきに なにかならはむ いまのごと もの思ふことの あらばこそあらめ
(以前になにを経験したと言うのでしょう 今のように恋に恋に苦しんだことがあれば話は別ですが)

 煩らふと聞く人の許に葵に書きて
 (患っている人のところへ葵に書いて)

421 亀山(かめやま)に ありときくには あらねども 老いずしなずの 百薬(ももくすり)なり
(この葵は蓬来山にあると聞く菊の花ではないけれど 老いることも死ぬこともない万能薬です)  

 「尼になりなむ」と言ふを「しばしなほ念ぜよ」と言ふ人に
 (「尼になりたい」と言うのを、「もうしばらく辛抱しなさい」と言う人に)

422 かくばかり 憂きを忍びて ながらへば これにまさりて ものもこそ思へ[新古今集雑下]
(これほど辛いのを辛抱して 生きていくなら これ以上の苦労をするかもしれません)  


 「世の中はかなき事」など、夜一夜言ひあかして、帰りぬるつとめて
 (「この世は定めない」などと、一晩中話して、恋人が帰っていった翌朝)

423 おきてゆく 人は露には あらねども けさは名残の 袖もかはかず
(起きて帰っていくあなたは 露ではないけれど 今朝は名残惜しさに涙に濡れたわたしのたしの袖も乾かない)  

 幼なきちごのあるを見て「わが子にせむ」と言ふ人に、いとにぐけなる瓜のあるに書きて
 (幼い子がいるのを見て、「わたしの子にしよう」と言う人に、とても不格好な瓜があるのに書いて)

424 種からに かく生(な)りにける 瓜なれば その秋霧に たちもまじらじ
(種が種だから こんなに不格好な瓜ですもの 秋霧が立つ頃に熟さないでしょう〔親がわたしなのですから こんなにできの悪い子ですもの あなたのお子にしてくださっても 世間の人とうまくやっていけないでしょう)  

 暁に鶏の鳴くを聞きていづる人に
 (夜明け前に鶏の鳴くのを聞いて帰っていく人に)

425 いつしかと 聞きける人に 一声も 聞かする鶏の ねこそつらけれ
(早く聞きたいと思っていた人に たった一声でも鳴いて聞かせる鶏の声が恨めしくてならない)  

「よべは雨のいたう降りしかば、いかずなりにし」と言ひたる人に
 (「昨夜は雨がひどく降ったから、行けなくなって」と言ってきた人に)

426 人ならば いふべき物を 待つほどに 雨ふるとては さはるものかは
(あなたが人並みの人なら 言うでしょう わたしがこんなに待っているのに 雨が降っているのが支障になるでしょうかと)  

 人のもとより「え行かぬ事」など言ひたるに
 (恋人から「行きたいけれど、どうしても行けない」などと言ってきたので)

427 なこそとは 誰かは言ひし 言はねども 心にすうる 関とこそ見れ
(来てはいけないと誰が言ったのでしょう そんなこと誰も言わないけれど あなたには妨害する人がいるから来られないとわたしは見ています)
 ※「なこそ」に関の名の「勿来」をかけた。

 物詣でとて精進したる男、立ちながら来て、扇と念珠とを落としたる、取りにおこせたる、やるとて
 (物詣でをするために精進をしている男が来て、上に上がらなかったけれど、扇と念珠を落として帰った。取りに使いをよこしたので、送る時に)

428 いかでかは 拾ふ玉しも 落ちつらむ あふぎてふ名は いたづらにして
(どうして海で拾うという玉が落ちたのでしょう それに扇の逢うという名を空しいものにしてしまって)
 ※「拾ふ」と「落ち」は対語。  

 三月ばかりの夜のあはれなるを見て
 (三月頃の夜の気色がしみじみと美しいのを見て)

429 もの思ふに あはれなるかと 我ならぬ 人に今 宵の 月を見せばや[千載集雑上・風雅集恋四]
(物思いに沈んでいるから こんなにしみじみとするのか知りたいから わたし以外の人に今夜の月を見せたい)  


 月のあかき夜、人の来て消息いひ入れたる
 (月の明るい夜、人が訪ねて来て、取次の女房を通して言われたので)

430 よそに見る 雲井の月に さそはれて 待つといはぬに 来たるなりけり[続集三十]
(ほかの女の所ばかりいらっしゃって 今夜の月に誘われて 待っているとは言わないのに来ていらっしゃるのは誰ですか)  


 はやうかたらひし女ともだちの近き所に来てあるを見て
 (以前仲良くしていた女友だちが、わたしの家の近くに来て住んでいるのを見て)

431 おほかたは うらみられなむ いにしへを 忘れぬ人は かくこそはとへ
(わたしは普通の付き合いの人からは冷たいと恨まれるかもしれない でも 昔のことを忘れないわたしは このようにお便りするのです)

432 そのかたと さしてもよらぬ うきふねの また こぎはなれ 思ふともなし[正集四二四]
(わたしって浮舟みたい あなたのところへ行きたいとも思わないし かといってあなたから離れて行きたいと思う人もいないの)  

 懸想する男の便無きをりにのみ来て、「さりぬべからむをり、言ひ驚かせ」と言ふに
 (恋い慕う男が、都合の悪い時にやって来て帰るときに、「都合のいいときにお便りを」と言うので)

433 難波がた をれふすあしの あしのねの まだね ぬ人を おどろかすやは[正集四二五]
(「驚かせ」だなんて まだ寝てもいない人を起こすなんてできないのよ)
 ※上の三句「難波瀉 折れ伏す蘆の 蘆の根」は、「根」と同音の「寝」を導く序詞。
 ※「驚かす」―男の「便りをくれ」を「目をさまさせる」ととって。  


 人の来て、ものなど言ふ戸口に立ち寄りたるに、音もせねば、帰りて、つとめて
 (ある人が来て、いつも話をする所に立ち寄ったけれど、わたしがな にも話さなかったから帰って、その翌朝)

434 こゑをだに かよはむことは おほしまや いか になるとの 浦とかは見し[正集四二六・夫木抄雑七]
 (人知れず逢うどころか 声だけでも交わしたら どんなことになると 思っているの)
 ※「人知れず 思ふ心は 大島の なるとはなしに 歎く頃かな[後撰集・読人しらず]」をふむ。  


 物へ去(い)にし人のもとより「今しばし命なむ惜しき。いまはと、とくいくべし」いひたる返事に
 (よそへ去った人から「もうしばらくの間の命が惜しい〔またお逢いするまで生きていたい〕でももう今はと決心して早々に出発するつもりだ」と言ってきた返事に)

435 たのむらむ 人のいのちは ありもせよ まつにたへたる 身こそなからめ[正集四二七・続後撰集恋三]
(惜しいとおっしゃるあなたの命はあるにしても あなたを待つことに 耐えることができないで わたしは死んでしまうでしょう)  


 世の中いと騒がしきころ、音せぬ人に
 (疫病の流行で世の中が騒がしい頃、便りをくれない人に)

436 世の中は いかに成りゆく ものとてか 心のど かに おとづれもせぬ[正集一八四・続集二三六]
(世の中はどうなっていくと思っていらっしゃるの あなたはのんびりかまえてお便りもくださらない)  

 冬頃、人の「来む」と言ひて、見えで明かしつるつとめて
 (冬頃、ある人が「行く」と言って、来ないで夜を明かした翌朝)

437 わが宿を 変へやしてまし 人を待つ 人は夜ご とに 過ぎて行くなり[続集二十一・続集二三九]
(家を引っ越そうかしら ほかの女が待っている人は 毎晩ここを通りすぎて通って行くから 家が変われば男が来てくれるかもしれない)  

 二月ばかり、人の頼めて来ずなりにしつとめて
 (二月頃、ある人が来るとあてにさせて来なかった翌朝)

438 夜のほども うしろめたきは 花のうへを 思ひ がほにて 明かしつるかな[正集一八〇・続集二四四]
(夜の間も気がかりな桜を心配しているような顔をして起きていて とうとう夜を明かしてしまった)  

 十月時雨れしたる、つれづれにおぼゆれば
 (十月時雨が降っていて、淋しく思われるので)

439 花見つつ 暮らししときは 春風も いとかくな がき ここちやはせし[続集四一九・四三九]
(花見をして浮かれて暮らしているときは 春の風もそんなに長い気がしない)


 かたらふ人の久しう音せぬに
 (付き合っている人が長らく便りをくれないので)

440 いかにせむ いかがはすべき 世の中を そむけ ば悲し 住めば住み憂し[正集四二九・玉葉集雑五・万代集雑六]
(どうしよう どうしたらいいのだろう 世の中を捨てると悲しいし 住んでいれば住みずらい)


 山吹の花いみじう咲きたるを見て
 (山吹の花がとてもきれいに咲いているのを見て)

441 ひとへづつ しばし見るべく 咲かばちり ちらば咲かなむ 山吹の花
(しばらくでも長く見られるように 一重ずつ 一方で咲いたら 他方で散り 一方で散ったら 他方で咲いてほしい 山吹の花)  

 四月ばかり「月は見るべし。さ、せば、行かむ」と言ひたる人に
 (四月頃「月を見ているに違いない。もし、そうなら、行こう」と言ってきた人に) 

442 来たりとも かひやなからむ 我みれば 涙にくもる 夏の夜の月
(来てくださっても甲斐がないのでは わたしみたいな女が見ているので 涙に曇っている 夏の夜の月)  

 春、月のあかき夜、いとどしく入り臥して  
 (春、月の美しい夜、いっそう奥まった所に横になって)

443 寝るほどの しばしもなげき やまるれば あたら今宵の 月をだに見ず
(寝ている間は ほんのしばらくでも 嘆かないでいられるので せっかくの今夜の美しい月さえ見ないのです)   

 ものに詣でたるに、いと尊く経よむ法師のあるに
 (お寺にお参りした時に、とても尊くお経を読む僧侶がいるので)

444 ものをのみ おもひの家を 出でてこそ のどかに法(のり)の 声も聞きけれ
(物思いばかりしている家から離れたからこそ こうして心安らかに読経の声も聞くことができる)  

 方違へに行きて、夜深きに帰るとて
 (方違へに行って、夜も明けないうちに帰る時に)

445 あはれとも 言はましものを 人のせし あかつき起きは 苦しかりけり
(心のこもった言葉をかけてあげればよかった あの人がいつも夜明け前に帰るのは こんなに苦しいものなのね)  

 雨のいたう降る日、人の来て「いみじう濡れたるはなむ、かへりぬる」と言ひ入れたれば
 (雨がひどく降る日、あの人が来て、「ひどく濡れたから、このまま帰る」と伝えてきたので)

446 つれづれと 詠(なが)めくらせる 衣手(ころもで)を きてもしぼらで ぬるといふらむ
(一日中待っていて涙に濡れたわたしの袖を 来ても絞ってくれないで濡れたから帰ると言うなんて)  

 女ともだちの ふたりみたりとものがたりするを、見やりて
 (女友だちが二、三人と話しているのを、見ていて)

447 語らへば なぐさみぬらむ 人知れず わが思ふ事を 誰に言はまし
(話し合っていれば慰められることだろう 人知れず思い悩んでいるわたしは 誰に言ったらいいのだろう)  

 旅なりしところにありし頃、一所なりし姉妹のもとより、「ひとり聞けば鶯の声も、いとあはれになむ」と言ひたるに
 (よそで暮らしていた頃、今まで一緒にいた姉妹から、「一人で聞いていると、うぐいすの声も、身にしみるほど淋しくて」と言ってきたので)

448 霞たつ 旅の空なる 鶯の きこえもせよと 思ひしもせじ
(霞がたなびいている旅の空にいるうぐいすの声でも聞こえればいいとは思ってもいないでしょう〔旅先のわたしから便りがあればいいとは思ってもいないでしょう〕)  

 遠きところへ詣づとて、ある人のもとに
 (遠い所にお参りに行く時に、ある人に)

449 みほの海の うらみのぞゆく たづねずは 三輪の山べの さもたたじとて
(三穂の浦まで気晴らしに出かけます もしあなたが訪ねてくださらないなら 三輪の山べの杉のように目印も立てないでおこうと)
 ※みほの海―和歌山県日高郡三穂。和歌山県の西、日の岬の近くの海岸。


 二月ばかり、石山に詣づとて、ある人のもとに
 (二月頃、石山寺にお参りする時に、ある人に)

450 心して 我はながめむ をりをりは おもひおこせよ 山のさくらを
(心をこめてあなたが住んでいる都の空を眺めましょう あなたも時々は思い出してください 石山寺の桜を〔わたしを〕)  

 日頃ありて、帰らむと思ふに、もの憂くおぼゆれば
 (何日かいて、帰ろうと思うが、なんとなく気乗りがしないので)

451 都へは いくへ霞か へだつらむ 思ひたつべき かたもしられず[玉葉集雑一]
(都のほうは 幾重の霞が隔てているだろうか 心を決めて都へ帰る気にどうしてもなれない)  


 日ごろ花おもしろき所にあるを、今日ほかへいかむとするに、いみじう散れば
(数日花の美しい所にいて、今日よそへ行こうとする時に、花がひどく散るので)

452 吹く風の 心ならねど 花見ては 枝にとまらぬ ものにざりける
(吹く風のせいではないけれど 桜の花を見ていると 枝にいつまでも留まらないものなのね)  

 また、人の常に居し所に、書きつく
 (また、あの人がいつも座っていた所に、書く)

453 待ち詫びて 行方も知らず なりにきと 君来て問はば とくと答へよ
(あの人が訪ねてきてわたしのことを尋ねたら 「あなたを待ちわびて行方も知れなくなった すぐに探してあげて」と答えて)  

 隣なる人の家に、鶯の鳴くを聞きて、言ひやる
 (隣りに住む人の家で、うぐいすが鳴くのを聞いて、送った)

454 鶯の よそに聞くかな とふやとて 花のあたりに をるかひもなく
(うぐいすの声のように あなたのことを噂に聞くばかりです あなたの隣に住んでいる甲斐もなく)  

 蛤(はまぐり)のちひさきをおこせて「もてあそびにもしつべければ」と言ひたるに
 (はまぐりの小さいのを送ってきて「おもちゃにしてもいいから」と言ってきたので)

455 今さらに 童(わらわ)遊びを しつるかな しるきまけとや 人の見るらむ
(今さらに子どもの遊びをしたものです 〈こんな遊びをするようではだめだな〉と世間の人も思うかもしれません)  

 春頃、あはれなる事を人知れず歎くに
 (春頃、淋しいことを人知れず歎くので)

456 わが袖を 心も知らぬ よそ人は 折りける花の しづくとや見る
 (涙に濡れたわたしの袖を なにも知らないほかの人は 折った花の雫に濡れたのだと見るのかしら)  

 袖の濡るる事など言ひたる男に
 (「袖が恋の涙で濡れている」などと言ってきた男に)

457 濡れたらば ぬぎも捨ててよ 唐衣 みなるてふ名は たたじとぞ思ふ
(濡れたのなら 着物を脱ぎ捨てたらいいじゃない あなたと馴染になったという噂が立つのも わたし嫌だわ)  

 物けだつここちに現(うつ)し心もなく煩(わずら)ふを問ひたる男に
 (物の怪に取り憑かれたように正気もなく患っているのをお見舞いを言ってきた男に)

458 問ふやたれ 我にもあらず なりにけり 憂きを歎くは おなじ身ながら
(お見舞いくださったのはどなた わたしは正気がなくなってしまったの 不運を歎くのは 以前と同じわたしの身なのですが)  

 ときどき文などおこする男の、備中と言ふ所にいくとて、「忘るな」と言ひたるに
(時々手紙などをくれる男が、備中という所に行くというので、「忘れないでくれ」と言ってきたので)
 ※備中―今の岡山県西半部・古くは吉備国といったのを三分して、都に近い順に、備前、備中、備後とした。


459 へだてては いとどうとくぞ なりぬべき まがねふくなる 吉備(きび)の中山
(吉備の中山を越えて遠くへ行かれたら 今だってよそよそしいのに いっそう疎遠になるでしょう)
 ※「まがねふく 吉備の中山 帯にせる 細谷川の 音のさやけさ(吉備の中山のふもとを帯のように流れている細い谷川の音のなんと清々しいことか)[古今和歌集神遊びの歌・読人しらず]」「まがねふく」は、鉄を精錬する意から鉄の産地である「丹生(にふ)」「吉備」にかかる。  


 この人、扇など見するに、月画(か)いたる所に
 (この人が、扇など見せてくれるので、月の絵などが描いてある所に)

460 雲居ゆく 月をぞたのむ 忘るなと いふべきなかの 別(わかれ)ならねど[続拾遺集恋三・万代集雑四]
(ふたたびお逢いできるのをあてにしてるわ 「忘れないで」というような仲の別れではないけれど)
 ※「忘るなよ ほどは雲居に なりぬとも 空ゆく月の めぐりあふま で(忘れないで 遠くに隔たっていても 空行く月がまた戻ってくるよ うに ふたたびお逢いするまで)[伊勢物語・十一段空ゆく月]」をふま える。


 世の中さわがしうなりて、人のかたはしより亡くなるところ、人に
 (伝染病の流行で、人が次々と死んでいく頃、ある人に)

461 知らじかし 花の葉ごとに 置く露の いづれともなき なかに消えなば
(あなたには関心がないでしょう 花の葉ごとに置く露のように どこにでもいる女にすぎないわたしが一人死んだとしても)  

 遠き所へ去(い)にし人のもとより「この道には、しでの山と言ふ所なむありける」と言ひおこせたりければ
(遠い所に行ってしまった人から「ここへ来る道には、しでの山という所がありました」と言ってきたので)

462 越ゆらむと 思ひもよらず しでの山 いきがたげにし 見えざりしかば
(あなたが死出の山を越える〔死んでしまう〕なんて思いもよらないわ だってあなたが出て行くとき 生きていたくなさそうには見えなかったもの)
 ※「行きがたげ」に「生きがたげ」をかけた。  


 山里に住む人のもとより「一夜の月は見きや。涙に曇る心地なむせし」と言ひたるに
 (山里に住む人から「この間の夜の月はごらんになった。わたしの涙で曇ったような気がしたわ」と言ってきたので)

463 うちわびて 山のこなたに ながむれば、 その夜の月も 曇るなりけむ
(わたしがこの世を捨てきれなく嘆き悲しんで 山のこちらで物思いに沈んでいたから この間の夜の月もあんなに曇ったのでしょう)  

 五月五日、人に(五月五日、ある人に)

464 今日はなほ のきのあやめも つくづくと 思へばねのみ かかる袖か
(今日はやはり軒の菖蒲を見るにつけても ほかの女は菖蒲の根をつけて楽しんでいるのに わしの袖は菖蒲の根ではなく あなたが遠ざかっているのを恨んで 音(ね)を立てて泣く涙ばかりかかります)  

 遠き所に年頃ありけるをとこの、近う来ても、ことに見えぬに、やらむとて、人の詠ませし
 (遠い所に数年行っていた恋人が、近くに帰って来ても、特に訪ねて来ないのに、送ると言って、ある女がわたしに詠ませた)

465 よそなりし おなじときはの 心にて 絶えずや今も まつの煙は
(あなたが遠い所にいらっしゃった時と同じ松の緑のような変わらない心を抱いて 今もあなたのお帰りを待ち焦がれる思いは絶えることがないのです)  

 人の来たるを帰したる翌朝、いみじう怨みて、「われこそかへれ」と言ひたるに
 (恋人が来たのをそのまま帰した翌朝、ひどく恨んで、「われこそかへれ」と言ってきたので)
 ※「われこそかへれ」―「逢ふことの あけぬ夜ながら 明けぬれば われこそ帰れ 心やはゆく(戸を開けてもらえず 逢うことができないまま 夜が明けたので 帰るしかないが とても帰る気にはならない)[新古今集恋三・伊勢]」を引く。


466 とまるとも 心は見えで よとともに ゆかぬけしきの もりぞ苦しき
(わたしに心がとまる様子もなく 夜ごとに気に入らない様子を見るのは苦しいことです)  

 あやしき事どもの、人の言ふを聞きて、「かかる事どもを聞く、いとどあはれなる」と言ふ男に
 (変なことをいろいろと人が言うのを聞いて、「こういうさまざまなことを聞いたが、あなたのことがいっそう愛しい」と言ってきた男に)

467 深からば 涙もすすげ 涙川 そをぬれ衣と 人も見るべき
(そんなに深く想ってくださるなら あなたの涙ですすいでください そうすればあの変な噂も濡れ衣だと人も見てくれるでしょう)  

 人の家に、秋の頃、「萩の上の露」と言ふ事を言ひたるに、「ことわりなる事どもを言ひ続くればえ訪(と)ふまじ」と言ひたるに
 (ある人の家に、秋の頃、「あなたって萩の上の露のようね」と言ったら、「理屈ばかり言い続けるから行くことができない」と言ってきたので)

468 萩原に 臥すさおしかも 言はれたり ただ吹く風に 任せてを見よ
(萩原に臥すさおしか〔浮気な人〕でも言い分があるのね 女の理屈なんか聞き流して 会いに来てよ)

 同じ頃、薄につけて、さしもあるまじき懸想文をおこせたるに
 (同じ頃、すすきにつけて、くれなくてもいい恋文を寄越したので)

469 つつむ事 なきにもあらず 花薄 まほには出でて 言はずともあらむ
(気がねする人がいないわけでもないの だから花薄につけて 恋文だとわかる手紙なんか くれなくてもいいじゃないの)
 ※「花薄」は「ほに出ず」の枕詞。  


 親につつむ事ありて、隠れて居たるかたの前に、萩のいとおもしろきに、露の置きたれば
 (親に遠慮することがあって、隠れて住んでいる部屋の前に、萩がとてもきれいで、露が置いているので)

470 さは見れど うちも払はで 秋萩を 忍びてをれば 袖ぞ露けき 
(露が置いているとは知りながら 露を払わないで秋萩をそっと折ると 袖がしめっぽい〔お父さまがいらっしゃると見ながら 勘当されて挨拶もできないので 涙で袖が濡れてしまう〕)  

 常よりも世の中はかなう見えし頃、九月九日
 (いつもより世の中がはかなく見えた頃、九月九日)

471 聞きときく 人は亡くなる 世の中に 今日もわが身は すぎむとやする
(聞く限りの人は亡くなっていく世の中に 重陽の節句の今日も わたしは生きていくことができるだろうか)  

 わりなき事を言ひて怨むる人に
 (言ってもどうにもならないことを言って恨む人に)

472 憂しと見て 思ひ捨ててし 身にしあれば わが心にも 任せやはする
(あなたを冷たいと見てあきらめてしまったわたしですから 今さらじぶんの心にまかせて 元通りになるわけにはいきません)  

 「世の中にあらむ限りは、おとづれむ」など書きたる人の文あるを、久しう音せぬ頃、書き付けてやる
 (「生きている限り、お便りをしよう」などと書いてある恋人の手紙があるので、長い間便りをくれない頃、その手紙に書いて送った)

473 かくばかり 言ひしは誰に あらばこそ 世にありながら 音はせざらめ
(これほど言ってくださったのは誰でもなくあなたなのに この世にいながら どうしてお便り一つくださらないのでしょう)  

 常に絶え間がちなる男、おとづれぬにやるとて、人の詠ませし
 (いつも訪れが途絶えがちな男が、便りをよこさないから送ると言って、ある人がわたしに代作させた)

474 この度(たび)は 限りと見るに おとづれは つきせぬものは 涙なりけり
(今度こそ終りだと思っていますが あなたからのお便りは尽き〔絶え〕 一方尽きることのないのは わたしの涙です)  

 正月朔日、雪のうち降るを見て
 (正月元日、雪がちらつくのを見て)

475 梅ははや 咲にけりとて 折れば散る 花こそ雪の 降ると見えけれ[日記・正集四一九]
(梅がもう咲いたのかと思って折ったら散ってしまいました 雪が降ったのが梅の花のように見えたのですね)  


 月の明き夜、来たりと聞きて。人の、紙をただ文のやうに結びておこせたるに
(月の美しい夜、あの人が来たと聞いたけれど、あの人は紙をただ恋文のように結び文にしてよこしただけなので)

476 来たりける かたも見えぬは 雲居行く 月見て人の 告ぐるなりけり
(あなたの姿はもとより やって来た跡形も見えないのは 空ゆく月をあなたと見違えて 人が知らせたのね わたしを愛していないから 文字一つ書いてない手紙をくださるとは)
 ※「かた」に「形(姿)」と「跡形」をかけた。「形」は「筆跡」の意もかけ、文字のない手紙を暗示。  


 十月、ものあはれに覚ゆるに
 (十月、なんとなくしみじみと感じて)

477 目に近き 折もありけり 常はなほ よそのむら雲 過ぐるとぞ見し
(この人はわたしの身近な方だとわかった これまではやはり わたしと関係のない人が通り過ぎてゆくと見ていたのに)

 人の許より、「詠みて」とありし
 (ある人から、「この題で歌を詠んで」と言ってきた)  

 浮島

478 いづくなる 所をか見し わが身より またうき島は あらじとぞ思ふ
(どこの島を見て浮島と名づけたのでしょうか わたしよりほかに憂き島はないと思う)
 ※「浮島」に「憂き」をかけた。


 末の松山

479 まことにや あだし心は ありけると 末のまつ見よ 波のけしきを
(ほんとうにわたしに浮気心があったかどうか 末の松山の波の様子を見て判断してください)  

 塩釜

480 塩釜の うら馴れぬらむ 海人もかく わがごとからき ものは思はじ
(塩釜の浦の暮らしに馴れている海人だって わたしのように辛い思いはしていないでしょう)  

 まがきの島

481 思ひやる なみだしあれば 目に近き まがきの島の 心地こそすれ
(あの人を思いやる涙が流れるので 目の前の籬が あの人がいらっしゃる遠い陸奥のまがきの島のような気がします)  

 よそなれど、絶えず音する男の、人語らひたりと聞きて
 (別の家で暮らしているが、始終便りをくれる男が、ほかの女と関係したと聞いて)

482 いとどしく 今は限りの みくまのの 浦のはまゆふ いくへなるらむ
(二人の仲はもうこれっきりで あなたの気持ちもますます遠く離れてしまったことでしょう)  

 人の許より、「万葉集しばし」とあるを、「なし。書きのも、とどめず」とて
 (ある人から、「萬葉集をしばらく貸してください」と言ったてきたのを、「ありません。写しも、残していなくて」と言って)

483 憂きながら ながらふるだに あるものを 何かこの世に しふもとどめむ
(辛い思いをして生きているのさえ精一杯ですもの どうしてこの世に執着を残しましょう)  

 腹立たしき事のありしかば、おのがじし臥して、風のいたう吹くにしも、見えぬに
(腹立たしいことがあったので、夫とはそれぞれ別の部屋で寝て、風がひどく吹いても、来てくれないので)

484 風の音も 驚かれまし よもすがら まろがまろ寝に 寝ならひにけり
(一緒に寝ていたら 風の音にも目を覚ましたでしょうに 今夜は別々に寝て わたしの独り寝にならい 一晩中ぐっすり寝てしまったのですね)  

 さみだれと言ふ題を(「五月雨」という題を)

485 夜のほどに かりそめ人や したりけむ 宿の真菰(まこも)の けさみだれたる
(夜のうちに 軽率な人がこんなふうに刈り初めたのかしら 家の真菰が今朝は乱れている)
 ※真菰―水辺に生え、葉は細く、秋に淡緑色の穂を生じる。丈は約二メートルに達する。実は食用。葉でこもを編む。
 ※「けさみだれ」に「五月雨」を隠す。
 

 朝霧

486 みそぎすと あさきり捨てし ほどもなく 今朝は夜寒に 風吹きにける
(六月の禊をするというので麻〔禊の具〕を断ち切ったのは ついこの間なのに 今朝は秋の寒さを感じる風が吹く)
 ※「あさきり捨てし」に「朝霧」を隠す。
 

 秋頃、男の、久しく音せぬに
 (秋の頃、恋人が、長らく便りをくれないので)

487 なかなかに 荻の葉をだに 結びせば 風にはとくる 音もしてまし
(こんなことなら かえって荻の葉でも結んでおいたら 風によって解ける音くらいしたでしょうに〔こんなことなら あの時契りを結んでおいたら ちょっとでも来てくださったでしょうに〕)
 ※荻の葉を「結び」に契りを「結び」をかけ、風に「解くる」に「と来る〔ちょっと来る〕」をかけた。  

 田舎へいく人に、心地あしき頃
 (田舎へ行く人に、気分がすぐれない頃に)

488 それと見よ 都の方の 山の端に 結ぼほれたる 煙り煙らば[正集二一四・夫木抄雑一]
(わたしの煙だと思って見て 都のほうの山際に火葬の煙がからまって煙っていたら)  


 「我不愛身命」と言ふ心を、上に据ゑて
 (「われは身命を愛せずして〔わたしは 仏 身体も生命も惜しみません〕」という心を、初句の頭にすえて)
 ※『法華経・勧持品第十三』の一句。  

489 我を人 無くは偲ばむ ものなれや あるにつけてぞ 憂きも憂きかし
(わたしが亡くなったら あの人は懐かしく思い出してくれるだろう こうして生きているからこそ あんなに冷たいのだ)

490 例あらば 歎かざらまし 定めなき 命思うぞ ものは悲しき
(いつまでも生きていられるという例があるなら 嘆かないだろう いつ死ぬかわからないと思うと 悲しくてならない)

491 見る夢も かかり所は あるものを 言ふかひなしや はかもなき身は
(はかない夢でもあてにするところはあるのに どうしようもないのは はかないわたしの身の上)

492 いかばかり 深き海とか なりぬらむ ちりのつみだに 山とつもれば
(犯した罪は どれほど深い海になっているのだろう 塵ほどの罪でさえ 山と積もるから)

493 野辺に出でて 花見るほどの 心にも つゆ忘られぬ ものは世の中
(野に出て花を見ている心にも 少しも忘れることができないのは この煩悩の世の中)

494 近く見る 人もわが身も かたがたに 漂ふ雲と ならむとすらむ
(身近に見ている人〔夫〕もわたしも それぞれの方向に漂ってゆく雲のように 別れ別れになるでしょう)

495 惜しまれぬ 方こそありけれ いたづらに 消えなむ事は なほぞ悲しき
(命が惜しくないと思うことはある でも 虚しく死んでしまうのは やはり悲しくてならない)

496 はかもなき 露をばさらに いひおきて あるにもあらぬ 身をいかにせむ
(はかない露は言うまでもなく 生きていてもいないようなわたしの身はどうしたらいいのだろう)

497 緒(お)を弱み 絶えて乱るる たまよりも 貫きとめがたし 人の命は
(つなぎの糸が弱いので 切れて乱れ散る玉よりも 人の命は この世につなぎとめ難いもの)

498 しばし経(ふ)る 世だにかばかり すみうきに あはれいかでか あらむとすらむ
(しばらく生きているこの世でさえ 住みづらい 心を澄ますことが難しいのに 死後の無明長夜をどうやって過ごそうというのか)

499 まぼろしに たとへば世はた 頼まれぬ なけれどあれば あれどなければ
(この世を幻に例えれば 一方ではあてにすることもできる なぜなら 幻はないように見えてあり あるように見えてないから)

500 過ぎ行(ゆ)くを 月日とのみ 思ふかな 今日ともおのが 身をばしらずて
(過ぎ去ってゆくのは月日だけだと思っている 今日にもじぶんの命が亡くなってしまうとも知らないで)

 萩の花盛りに来たる客人(まろうど)の「心はみな留めてなむ、来たる」と言ひたるに
 (萩の花盛りにやって来た客が、「わたしの心はこの花にすべて留めて来たのです」と言ったので)

501 花により とどめけるをば おくれたる 心とのみも 思ひつるかな
(花のためにわたしの家に留めてくださったお心がわからないで 情趣を理解しないお方だとばかり思っていました)  

 人の文おこせたる返り事に
 (ある人が手紙をくれた返事に)

502 種を取る ものにもがなや わすれ草 かれなばかかる 跡もあらじを[続集六四四・万代集恋五]
(手紙も草木のように種を取っておけるといいのに そのうちわたしを忘れて こんな手紙もくださらないでしょうから)  

 四月一日、思ふやうありて (四月一日、思うことがあって)

503 かはしてし 衣はかへじ むすびおきて 露けげなりと 人は見るとも[続集六〇七]
(袖を交わして寝た衣は 衣替えだといっても着替えない たとえ結んでおいた紐がしめっぽいと人が見たとしても)  


 「今は、宮にも候はず」と案内したる人に
 (「もう今は、宮さまのところにお仕えしてないのだね」と、こちらの様子を聞いてきた人に)

504 ありとこそ 言ふばかりには あらねども むげに無しとは たれか言ひけむ
(お仕えしているというほどではないけれど まったく関係がないなんて 誰が言ったのでしょう)  

 ただに語らふ人の、ものへ行くに
 (ただ仲良くしている人が。よそへ行くので)

505 いかばかり むつましくしも なくはあれど 惜しきはよその 別れなりけり
(それほど親しい仲ではないけれど 名残惜しいのは こういう友だち同士の別れなのです)  

 時鳥の声、今夜聞きたるつとめて、語らふ人の許に
 (ほととぎすの声を夜に聞いたので、翌朝、恋人のところに)

506 時鳥 聞かばや聞くやと 問ひてまし いとわがごとく 寝覚めぬか君
(ほととぎすの声をあなたが聞いたなら 「聞きましたか」とお便りをくださったでしょうに あなたって わたしのように物思いで目が覚めたりはしないのかしら)

 これは、独り言に (これは、独り言で)

507 時鳥 古さぬ声を いつしかと もの思ふ人ぞ 聞くべかりける
(ほととぎすの鳴き初めの声を早く聞きたいと誰もが待っているけれど 物思いで眠れない人が最初に聞くにちがいない)  

 雷鳴る日、妻の許にて、「いかが」と問ひたる人に
 (雷の鳴る日、妻のところにいて、「いかがですか」と見舞いをくれた人に)

508 わが為も いとど雲居に なる神も まことに放(さ)けぬ 名こそ惜しけれ
(わたしから遠く離れていったあなたですが ほんとうに二人の仲を引き離すこともなく 変な噂が立つのが惜しい)  

 ただに語らふ男、「なほ、この世の思ひ出にすばかりとなむ思ふ」と言ひたるに
 (普通に話だけしている男が、「やはり、この世の思い出にしたい〔関係したい〕と思う」と言ったので)

509 語らふに かひもなければ おほかたは 忘れなむとぞ 言ふとこそ見れ
(わたしという女が 一緒に話し合う価値もないので 〈関係して忘れてしまおう〉と思っておっしゃっているのだと思います)  

 なほ、かかるすぢの事のみ言ふに
 (やはりその人は、同じことばかり言うので)

510 前(さき)の世に さばかりこそは 契りけれ わがことざまに 思ひしものを 
(前世にそれだけのこと〔友達付き合い〕を約束してくださったのですね わたしはほかのことを思っていたのに)  

 「年頃頼むかひなき人、かくなめり」と怨むる男に、物思ふ頃
 (「長年信じていた甲斐もない人だ。こんなことをしているらしい」と恨む人に、わたしも思い悩む頃)

511 頼みけむ 我が我にて あらばこそ 君を君とも わきて思はめ
(あなたが信じていたというわたしが 以前のわたしであったら あなたをあなたとして 特別に思いましょう)  

 同じ人、「返り事をだにせぬ」と言ふに
 (同じ人が、「返事さえくれない」と言うので)

512 起き臥しに なぞやなぞやと 言はるれば 絶えずいらふる 心地こそすれ
(日々の生活で どうしたどうしたと言われるから いつも返事ばかりしているような気がします)  

 春頃、雨のつれづれなるに
 (春頃、雨が降ってすることもないので)

513 雨降れば もの思ふ事も まさりけり 淀の渡りの 水ならねども
(雨が降ると人恋しい思いも増すものね 淀のあたりの水嵩ではないけれど)

 語らふ人の許より「心地なむ、あしき。死なば、思ひ出でよ」と言ひたるに
 (つき合っている人から、「気分が悪い。死んだら思い出してくれ」と言ってきたので)

514 憂きにかく 今まで堪(た)ふる 身にかへて 君やはかけて 我をしのばぬ
(あなたの冷たさにこれまで耐えているわたしのほうこそ死んでしまいたい あなたはどうしてわたしのことを偲んでくださらないの)  

 「かたね病む」と人の許に言ひたる人に、五月五日、言ひやる
 (「腫れ物で苦しんでいる」と人のところへ言ってきた人に、五月五日に送る)

515 今日だにも 引きやは捨てぬ 隠れ沼に 生ふるあやめの かたねなりとも
(せめて今日だけでも腫物(かたね)のことは忘れたらどうですか 隠れ沼に生えている菖蒲の堅根(かたね)〔頑丈な根〕だって引き抜かれる五月五日の今日ですから)  

 同じ日、忍びたる人に (同じ日、忍ぶ仲の人に)

516 今日とても 引きにやは来る あやめ草 人知れぬねは 甲斐なかりけり
(五月五日の今日だって 人に知られない菖蒲の根を引きに来る人がいないように わたしの忍び泣きは あなたが来て慰めてくれないから甲斐がない

 「つつましき事あれば、日頃も言はざりつる」と言ふ人に
 (「遠慮することがあったから、ずっと便りをしなかった」と言う人に)

517 つつむとは いひにもいはで 程経れば ただ池水の 絶ゆるとぞ見る
(遠慮しているなんて一言も言わないで 日が経てば池の水がなくなるように わたしと別れるつもりなのだと思っています)  

 と言ひたる返り事に「人知れぬ心は絶えず」と言ひたるに
 (と言った返事に、「あなたへの人知れない想いは絶えない」と言うので)

518 よそにただ 花とこそ見め 頼みなば 人をうらみに なりもこそすれ
(あなたのような人は よその花だと思って見たらいいでしょう あなたを信じたら 恨むことになるかもしれないから)  

 四月晦日(四月末日)

519 たが里に まづ聞きつらむ 時鳥 夏は所も わかず来ぬるを[続後撰集夏・万代集夏]
(誰の家で 一番先に聞くのだろう ほととぎすのの初音を 夏はどこにも隔てなく来たけれど)  

 冬のはじめ

520 もみぢ葉や 落つると思へど こがらしの 吹けば涙も とまらざりけり[万代集冬]
(紅葉は落ちるものと思っていても 木枯らしが吹くと 紅葉ばかりか涙も止まらないで落ちる)


521 みやまべに 雪や降るらむ 外山(とやま)なる 柴の庵に あられ降るなり
(山奥では雪が降っているだろうか 人里近くの山の柴の庵にはあられが降っている)  

 もの隔てて、尼の行ひするを聞きて
 (物を隔てて、尼がお勤めをする声を聞いて)

522 かひなきは 同じ身ながら 遥かにも 仏による の 声を聞くかな[正集一一九]
(甲斐がないのは わたしもあの人たちと同じ人間なのに わたしだけ がお勤めをする声を聞くこと)  


 有明の月を見て
523 限りあれば かつすみわぶる 世の中に あり明 けの月を いつまでか見む[正集一二〇・万代集雑一]
(命には限りがあるから 辛いと思って生きていながらも あの美しく 輝いている有明の月をいつまで見ることができるだろう)  


 秋の頃、尊き事する山寺に詣でたるに、虫の声々鳴けば
 (秋の頃、尊いことをする山寺にお参りして、虫がさまざまに鳴くので)

524 心には 一つみのりと 思へども 虫は声々 聞 ゆなるかな[正集一一八・万代集釈教]
(心の中ではひたすら仏のみ教えを祈っているが さまざまな虫の声が 聞こえてくる)  


 人の泣くを聞きて (人が泣くのを聞いて)

525 よも山も けしきも見るに 悲しきは しかなき ぬべし 秋の夕べは[正集一一三・雲葉集秋上]
(四方の山の茂っているのを見ると鹿が鳴いている わたしも泣くしか ない秋の夕暮れ)  


 暁がたに、滝の音あはれに聞ゆれば
 (夜明け前に、滝の音がしみじみと聞こえるので)

526 あはれにも 聞ゆなるかな 暁の 滝はなみだの  落つるなるべし[正集一一四・万代集雑三]
(しみじみと身にしみて聞こえてくる夜明け前の滝の音は 人の涙が滝 となって落ちるのだろう)  

 絵に、山寺に法師のゐたる前に、日暮れて、きこりどもの帰る所に
 (絵で、山寺に法師のいる所に、きこりという者が帰ろうとしている ところを)

527 すみかぞと 思ふも悲し 苦しきを こりつつ人 の 帰る山辺に[正集一一五・夫木抄廿九]
(ここが住む所だと思うと悲しい 木こりが木を伐って険しい道を帰る 山のほとりだから)  


 田守る家の人のゐたるに (田を守る家に、人が座っているところ)

528 ともすれば ひき驚かす 小山田の ひたすらい ねぬ 秋の夜な夜な[続集五二八]
(どうかすると田の引板にびっくりして まったく眠れない 秋の夜ご と)
 引板―板をひもでつるし、そのひもを引いて鳴らして、田畑の鳥獣 を追い払う道具。  

 八月ばかり、萩いとおもしろきに、雨降る日
 (八月頃、萩がとても美しいのに、雨の降る日)

529 をしと思ふ 我手触れねど 萎れつつ 雨には花 の おとろふるかな[正集一一七]
(散るのが惜しいと思うから手も触れないけれど 雨に寄ってしだいに 萎れて色褪せてゆく)  


 桜の花のいみじう散りつもりたるを見て
 (桜の花がたくさん散り積もっているのを見て)

530 桜花 思ひもあへず 木のもとに 散りつもるとも いかでこそ見め
(桜の花がなんの嘆きもなくて 木の下に散り積もるものと どうして見ることができるだろう)  

 祝歌ども、詠むに(祝いの歌をたくさん詠むときに)  

 松竹

531 住吉の 岸のまにまに なみ立つる 松の一葉に 千代は数へよ
(住吉の波が打ち寄せる岸のあたりに並び立つ松 その一葉を千年として数えて すべてを合計した年月までお栄えください)

532 年のはに 生ひ添ふ竹の ふしごとに つきせぬたけの よをぞ籠めたる
(年ごとに新たに加わる竹の節 その節ごとにあなたの尽きることのない命を籠めています)  

 かたらふ人の音せで「日頃、山寺になむある」と言ひたるに
 (つき合っている人がしばらく便りをくれないで、「ここ数日、山寺にいる」と言ってきたので)

533 ひとりやは 見えぬ山路も たづぬべき 同じ心に 歎く憂き世を
(あなた一人で 嫌なことが見えない山路に尋ね入ってもいいのでしょうか いつもあなたと心を合わせて 辛い世の中を嘆いているのに)  

 三月つごもりに「惜春心」の詩作りて、四月朔日になりぬれば、そのつとめての歌詠むに
 (三月末日に、「春を惜しむ心」の詩を作って、四月一日になってしまったので、その翌朝、歌を詠むときに)

534 昨日をば 花の蔭にて 暮らしてき 今日こそ去(い)にし 春は惜しけれ[続千載集夏・万代集夏]
(春の終わりの昨日は花の影で暮らした 夏になった今日は過ぎ去った春が惜しまれてならない)  


 夏の夜、月を見るとて人人あまたある中に、いそぎ立つ程に
 (夏の夜、月を見るというので人々が大勢いる中に、ある人が急いで席を立つ時に)

535 いづちとて 急ぐなるらむ いどこにも 今宵は同じ 月をこそ見め
(どこへ行かれるというので あんなに急いでいらっしゃるのかしら どこでも今夜は同じ月を見ているばかりなのに〔どこでも月に夢中で あなたを相手になんかしてくれないのに〕)  

 男のもとの妻あたりいみじう腹立つと聞くに、笋(たかむな)をやるとて、今の人の詠ませし
 (男の以前からの妻がひどく腹を立てていると聞いて、そこにたけのこを贈るというので、今の妻がわたしに詠ませた)

536 変らじや 竹の古るねは ひとよだに これにとまれる ふしはありやは[続詞花集雑中]
(あの人とあなたの仲は変わらないでしょう あの人はわたしの所に一晩だってゆっくり泊まったことはないのですから)
 ※笋―たけのこ  


 六月、河原に祓へしにいきたるに、魚取るを見て
 (六月、賀茂の河原に六月祓えに行ったとき、人が魚を捕っているのを見て)

537 川の瀬に つりする人の 罪をさへ はらひ捨てつる 今日にもあるかな[夫木抄九]
(わたし自身の罪ばかりでなく 川瀬で釣りをしている人の殺生戒の罪までも祓い捨ててしまった 今日は)  


 槿(あさがお)、華やかなる人にやるとて
 (朝顔を派手な人に贈るときに)

538 今の間の 朝顔を見よ かかれども ただこの花は 世の中ぞかし
(今咲いている朝顔を見なさい こんなに華やかだけれど すぐに萎れてしまうこの花は人の世そのままです)  

 人人、国々にある所を詠ませしに、山城かへりぶち
 (人々が、諸国の歌枕を題に歌を詠ませたときに、山城のかえりぶち)

539 ひたすらに うき身を捨つる ものならば かへりぶちには 投げじとぞ思ふ
(わたしがひたすら思いつめて 辛いことの多い身の上を捨てるとしたら かえり淵というような 生き返るような淵には身を投げないと思う)
 ※かへりぶち―生き返る淵の意をかけた。  


 さやか山

540 名にし負へば ことに明かくも 見ゆるかな さやか山より 出づる月影[夫木抄二十]
(「さやか」という名前だから 特別明るく美しく見える さやか山から昇ってくる月の姿は)  


 みどろ池

541 名を聞けば 影だに見えじ みどろ池に すむ水鳥の あるぞあやしき
(その名を聞くと 濁っていて影さえ見えないだろうと思われるみどろ池に 住む水鳥がいるなんて不思議でならない)  

 雨のもり

542 ありやとも 問ふ人なくて ふる里に 雨のもり来る 音ぞ悲しき[夫木抄二十二]
(「どうしているか」と尋ねてくれる人も家で暮らしていると 雨漏りの音だけが聞こえてきて悲しい)  

 もどり橋(もどり橋)

543 いづくにも 帰るさまのみ 渡ればや もど り橋とは 人の言ふらむ[夫木抄二十一]
(どこへ行くにも 帰るときにばかり渡るので 「もどり橋」と世間の人は言っているのだろう)  

 摂津の国、しまのしも

544 浦風や のどけかるらむ 神の見る しまのしもより 舟のぼるめり
(浜風が穏やかなのかしら 神さまが見守っている島の下手から 舟が上ってくるのが見える)  

 たまさかの池

545 うき世には ありへむ事も たまさかの いけらむとだに 思ひやはする
(辛い世の中には 暮らしを立てていくことも たまたまそれができるだけで 長く生きていけるだろうという気さえしない)

 羽束の里

546 限りありて はつかの里に 住む人は 今日か明日かと 世をも歎かじ
(命には限りがあって わずかの間と知っているはつかの里に住む人は 今日か明日かとじぶんの命を嘆いたりはしないだろう)

 春の初め頃、和布(め)と言ふものを、梅の花につけて、人のおこせたるに
 (春の初め頃、ワカメというものを、梅の花につけて、ある人が贈ってきたので)

547 花見れば このめもはるに なりにけり 耳の間もなし 鶯の声[夫木抄二]
(梅の花を見ると 花が咲くばかりか 木の芽もふくらんで春になったのだ 絶えず聞こえてくる鶯の声)  

 桜のいとおもしろう咲きたるを見て、去にし人の許より「散らぬ先に、今一度、いかで見む」と言ひたるに
 (桜がとして美しく咲いているのを見て、去っていった人から、「散らないうちに、もう一度、ぜひ見たい」と言ってきたので)

548 とうを来(こ)よ 咲くと見るまに 散りぬべし 露と花との なかぞ世の中
(早くいらっしゃい 咲いたと見ているうちに散ってしまうから この世の中〔人の世・男女の仲〕は すぐに消える「露」とすぐに散ってしまう「花」との仲ではありませんか)  

 と言ひやりて待つに、日頃になりぬれば言ひやる
 (と言って待っているのに、何日も過ぎてしまったので送った)

549 来(く)まじくは 折りてもやらむ 桜花 風の心に 任せては見じ
(来てくださらないなら 折ってさし上げましょう 桜の花を風が好きなように散らせのは見たくありませんから)  

 と言ひたれば「なかなか、あだの花は見じとてなむ」と言ひたるに
 (と言えば、「なまじっか、浮気な人には逢わないほうがいいと思って」と言ってきたので)

550 あだなりと 名にこそ立てれ 桜花 霞のうちに 籠めてこそをれ
(はかないものの例にされている桜の花〔浮気者と評判を立てられているわたしですが〕霞の中にこめて大事にしています〔あなたを待って家の中でおとなしくしています〕)
 ※上の三句は「あだなりと 名にこそたてれ 桜花 年にまれなる 人も待ちけり
(浮気者だと評判を立てられても 一年のうち稀にくるような人でもちゃんと待っていたのです)[古今集春上・読人しらず]」を引く。  

 同じ頃、女客人のまで来て、物語などして帰りぬるに
 (同じ頃、女のお客さまが来て、話などして帰ったので)

551 わが宿の 花を見捨てて 去にし人 心のうちは のどけからじな
(わたしの家の花を見捨てて帰ってしまった人 心の中は心残りで落ち着かないでしょう)  

 松竹などある中に、桜の咲けるを見て
 (松や竹などが生えている中に、桜が咲いているのを見て)

552 ときはなる ものともやがて 見てしかな 松と竹との 中にさくらを
(いつまでも色が変わらないものとして見たいもの 松と竹との間に咲いている桜を)

 懸子(かけご)なき手箱持たる人の、懸子の限り、身にあるを見て乞へば、取らせたるを、「合はず」とて返ししに、言ひやる
 (懸子のない手箱を持っている人が、懸子だけがわたしのところにあるのを見てほしがるので、あげたところ、「合わなかった」と言って返したので、送った)
 ※懸子―外箱のふちにかけて中に落ちないように、ひとまわり小型の箱をはめこむように作った箱。


553 くやしくも 見せてけるかな 浦島の こめて置きたる 箱の懸子を
(悔しいことに見せてしまったなんて 浦島の子の玉手箱のように 大事にしまっておいた懸子を)  

 殊なることなき男の、「あとに寝む」と言ひたるに
 (これといって取り柄のない男が、「足のところでも寝たい」と言ったので)

554 寝(ね)られねば 床中(とこなか)にのみ 起きゐつつ あとも枕も 定めやはする
(眠れなくて 床の真ん中に起きてばかりいるから どちらが足かどちらが枕なのか決めかねています)  

 知りたる男の、女仮借(けそう)するに、え逢ふまじき気色を見て、いみじう歎きて、思ひやみなむと思ふに、やまねば、わぶるに
 (知っている男が、ある女を恋したけれど、逢えそうもない様子を見て、ひどく嘆いて、あきらめようと思っているのに、あきらめられないで、辛く思っているので)

555 かくながら やむべきなかと 思ふにも あやなく我ぞ 心苦しき
(このまま逢えないで終わってしまうと思うと どういうわけか わたしのほうこそ辛くてならない)  

 たまさかに逢ひて、ものをだに言ひあらず言ひたるに
 (やっと逢って、言葉を交わすだけでも十分にできないような話をした時に)

556 逢ふ事に よろづまさらぬ ものならば いひにはいはで 思ひにぞ思ふ
(契りを結ぶことに何事も勝らないものなら 口には出さないで そのことだけを思っていることにします)  

 雪のいたう降りたる暁に人の出で行く跡あるに、つとめて言ひやる
 (雪がひどく降った夜明け前に人が帰って行って、雪に足跡がついているので、朝早く送った)

557 とどめたる 心はなくて いつしかと ゆきの上なる あとを見しかな
(わたしに心を留めることもしないで あなたはさっさと行ってしまったから わたしは雪の上の足跡を見ていました)  

 時々来る人の、門の前より渡るに、覚ゆる
 (時々来る人が、門の前を通り過ぎるので、こんな歌が浮かんだ)

558 言はましを おのが手馴れの 駒ならば 主に従ふ 歩みすなとも[正集二五六]
(わたしが手なづけた馬ならば 人の言いなりに歩かないでと言うものを)  


 冬頃、荒れたる家に一人眺めて、待たるる事のなかりしままに、言ひ集めたる
 (冬の頃、荒れ果てた家で一人物思いにふけって、人が訪れることもなかったので、こんな歌をいくつも詠んだ)

559 つれづれと ながめ暮らせば 冬の日の 春の幾 日に ことならぬかな[正集一六三・玉葉集雑一・夫木抄冬一]
(日々物思いに沈んで暮らしていると 冬の日も春の幾日分にも劣らないほど長く感じる)  


 荒れたる宿(荒廃している家) 

560 なかなかに 我か人かと 思はずは 荒れたる宿 も 淋しからまし [正集一六四]
(じぶんなのか他人なのか区別がつかないほど悩んでいないなら か えって荒れた家を淋しく感じるだろうに)


 寝覚の床(目覚めた床の中で) 

561 かたはらむ 人を枕と 思はばや 寝覚の床に  ありと頼まむ[正集一六五]
(恋人を枕と思いたい そうすれば目が覚めたときはいつもいて あてにできるもの)  


 暁の月(夜明け前の月) 

562 有明の 月見すさびに おきて去にし 人のなご りを ながめしものを[続集五六二・三奏本金葉集秋・千載集恋五・ 玄玄集]
(有明の月を見るついでに起きて帰った人の名残と思って 月を眺めるのだが)  


 埋み火(灰にうずめてある炭火) 

563 まどろむを おこすともなき 埋み火を 見つつはかなく 明かす頃かな[正集六九・一六七・万代集冬]
(寝ている人を起こすこともなく 灰にうずめてある炭火を見ながら毎晩物思いにふけりながら明かす)  

 
 朝霜(朝の霜) 

564 かたしきて 寝られぬねやの 上にしも いとあ やにくに おける朝霜[正集一六八]
(独り寝で眠れない寝室の上にも 今朝は意地悪く霜が降りている)  

 袖の氷

565 朝ごとに 氷の閉づる わが袖は たが堀りおけ る いけならなくに[正集一六九]
(朝がくるたびに涙で凍っているわたしの袖は 誰が掘っておいた池でもないのに)  


 庭の雪

566 待つ人の 今も来たらば いかがせむ 踏ままく 惜しき 庭の白雪[新撰朗詠集冬・正集一七〇・詞花集冬・玄玄集]
(待っている人が今来たらどうしよう あの人でも踏んで汚してほしくない庭の雪だから)  


 晩の思ひ(夕暮れの思い) 

567 夕暮に なぞも思ひの まさるらむ 待つ人のは た ある身ともなし[正集一七一・万代集恋五]
(夕暮れはどうして恋しい思いがつのるのでしょう 別に待っている人がいるわけでもないのに)


568 はかなくも よを頼むかな 宵のまの うたたね にだに 夢や見ゆやと[正集一七二] (あっけない夜をあてにしてしまう 夜のうたた寝でも恋しい人の夢は見るもの)  

 正月子の日、人の許に(正月子の日、あの人のところへ)   

569 春霞 けしきだちにし 朝より また鶯の はつねなりせば
(春霞が 春らしくたなびく朝から さらにうぐいすの初音が聞こえる子の日なら〔どんなに嬉しいことでしょう〕)   

 ただ語らひたる男の許より、女にやらむとて、「歌一つ」と言ひたるに、やらむとて
(普通につきあっている男から、女に送るというので、「歌を一首」と言ってきたので、送る時に) 

570 語らへば 慰む事も あるものを 忘れやしなむ 恋の紛れに[正集一七三・後拾遺集雑四]
(語り合っていると慰められることもあるのに わたしのことを忘れて しまわれるのではないかしら その方に心惹かれて)  


 〈世にありなばと聞えむ〉と思ふ人の許に、暗き紛れにさし置かす
 (〈生きていたら、このように申し上げよう〉と思っている人のところに、夕闇にまぎれてこの歌を届けさせる) 

571 夕暮は 忍びあまりぬ ありけりと 思はむ事を 思ふものから
 (夕暮れは恋しさを抑えかねて こんな手紙を出したら〈まだ生きていたのだなあ〉と思われるのが恥ずかしいのですが)   

 いと繁く文おこする人の、返事もせねば、「絶えぬなり」と言ひたるに、程経てやる
 (頻繁に恋文をくれる人が、返事もしないでいたら、「縁を切ってしまうつもりだね」と言ってきたので、ずいぶん経ってから送った) 

572 今はしも 問はば答へむ さばかりと こころみけりと こころみつれば
(今だったら お便りくださればお返事するわ わたしのあなたに対する気持ちはこの程度だったと あなたがわたしの本心を見てしまったから)   

 と言ひて、例の後後(のちのち)返り事もせねば、「また何事にことづけむずるぞ」と言ひたるに
 (と言って、いつものように何度便りがきても返事もしないでいたら、「今度はどんなことを口実にする気なんだ」と言ってきたので) 

573 今もなほ 絶えば絶えなむ かきつくる 蜘蛛のいかなる 事ならずとも
(今でもやはり 仲が絶えるなら絶えるほうがいいと思うの わざわざ手紙に書くような理由がなくても)
 ※「かき」に「掻き」を、蜘蛛の「網」に「いかなる」をかけた。「掻き」は「蜘蛛」の縁語。   

 また「憂き心ばへ見ること」など言ひたる人に
 (また、「気にくわない気立てを見た」などと言ってきた人に) 

574 いとひやる かたを知らねば あるほどに よその人さへ うきを見つらむ
(わたしは人を嫌って拒否する方法を知らないから こうして生きているうちに 赤の他人までが「気にくわない気立てを見た」などと言うのでしょう)   

 三月ばかり、夜一夜ものなど言ひかはしたる人のもとより、いと事あり顔に「今朝はいとど、ものなむ思はしき」と言ひたるに
 (三月頃、一晩中話し合った人から、いかにも昨夜関係したかのように、「今朝はひとしお悩ましい」と言ってきたので) 

575 今朝はしも 歎きもすらむ いたづらに 春の夜一夜 夢をだに見で[新古今集恋三]
(今朝は特に嘆いていらっしゃるでしょう 虚しく 春の夜を一晩中 はかない夢さえ見ないで 夜を明かされたのですから)   


 今朝は、いつよりも、空のけしき、ものあはれに覚えて
 (今朝はいつもよりも空の様子が、なんとなく悲しく感じられて) 

576 暮れがたに をちの山べは なりにけり いとどはかりに 駒とどむらむ
(遠くの山辺は夕暮れになってしまった あの人はわたしの家のめどをつけるために いっそう馬を引き止めていることでしょう)   

 と思ふほどに 月も出でぬれば、空も心を知るにや、おぼろなれば
 (と思っているうちに、月も出てきたが、空もわたしの気持ちがわかるのか、ぼんやりと曇るので) 

577 宿らでも 今宵の月は 見るべきを 曇るばかりに 袖の濡るれば
(あの人は宿ってくれなくても 今宵の月は 涙に濡れた袖の上に見ることができる)   

 と独りごつを聞き給ひけるぞ、わりなきや
 (と独り言を言うのをあの人がお聞きになったのが、どうしようもなく恥ずかしい) 

578 思ひ知る 事あり顔に 月影の 曇るけしきの ただならぬかな
(身にしみて知っているように わけのありそうに空の月の曇っている様子も ただごとではない)   

 いとつれづれに降れば、「雨の」と覚ゆる
 (雨が降るのですることもなく、「雨の」と心に浮かんだ) 

579 雨もよに さはらじと思ふ 人により 我さへあやな ながめつるかな
(雨の中でもかまわないで来るだろうと思う人がいるので わたしまでがむやみに物思いに沈んでいる)   

 暮れぬれば、名残なく空晴れて、くまもなき月を見て
 (日が暮れると、今までと打っ打って変わって空が晴れて、影ひとつない月を見て) 

580 昨日てひ 今日日暮して いつのまに 来(こ)てふに似たる 月を見るかな
(昨日といい 今日もまた あの人を待って暮らして いつのまにか夜になって 古歌の「来てふに似たり」ではないけれど きれいな月を見ることです)
 ※「月夜よし 夜よしと人に 告げやらば 来てふに似たり 待たずしもあらず(月がきれい 夜が素敵と人に知らせたなら 来てくださいと言っているのと同じ 待っていないわけではないの)[古今集恋四・読人しらず]」をふまえる。


 九日、綿おほはせし菊をおこせて見るに、露しげければ
 (九月九日、綿をかぶせておいた菊を取り寄せて見ると、露がたくさん置いているので)

581 をりからは 劣らぬ袖の 露けさを きくの上とや 人の見るらむ
(ちょうど季節が季節なので 涙で菊の着せ綿に劣らないほどわたしの袖も濡れているのを ただ話に聞くだけのことと思って あの人は見るでしょうか)  

 「久しくなりぬ。御髪参らむ」と言ふ、いらへは、あやしや
 (「ずいぶん経ちました。御髪をとかして整えましょう」と侍女が言う。その返事は、なんだか変だ)

582 いとどしく 朝寝の髪は 乱るれど 黄楊(つげ)の小櫛は ささま憂きかな
(朝寝の髪はいっそう乱れるけれど あの人が見た髪だと思うと 櫛をさして整える気がしない)  

 十日、「もしもや」とて、かの大津に人やりたれば、「ただ今ありつる」とて、あるを見るにも
 (十日、〈もしかしたら〉と思って、あの大津に人を遣わしたところ、「ちょうど今届きました」と言って持ってきたので、その人の手紙を見ると)

583 思ふ人 おほつよりとぞ 聞くからに あやしかりつる 袖の濡れぬる
(恋人が多いというあの人からの便りと聞くと 恋しさに涙で袖が濡れる)
 「いつとても 恋しからずは あらねども 秋の夕べは あやしかりけり
 (いつといって恋しくないときはありませんが 秋の夕暮は不思議と人恋しいのです) [古今集恋一・読人知らず]」をふまえる。

 さて開けて見れば「思ふにだにも」とあるにも
 (さて手紙を開けてみると、「わたしを思う形見に」と書いてあるので)

584 忘らるる 時ぞともなく 憂しと思ふ 身をこそ人の かたみにはせめ[正集六五五・万代集恋四]
(忘れられるほんの少しの間もなく辛いと思っている わたしの身こそあなたの形見にします)  


 十月、物忌みして、旅に、つれづれと覚ゆるままに
 (十月、物忌みをして、他人の家に滞在して、所在なく感じるままに)

585 今日の日を 暮らすばかりは 妹(いも)がりと 行(ゆ)かぬばかりは 苦しかりけり
(今日の日をむなしく暮らすばかり そしてあの人が恋しい女〔わたし〕の所へ来てくださらない一夜は辛くてならない)  

 暮れぬ。と奥へも入らで月見るほどに、夜は明けぬるなるべし、空のけしき、あはれなるにも
 (日が暮れた。しばらく奥へも入らないで月を見ているうちに、夜が明けたのだろう。空の様子が、しみじみとした感じなので)

586 まどろまで 明かしつるにも 今しこそ 野辺に宿れる 露もおくらめ
(眠らないで夜を明かしたけれど 今頃は野辺に宿っていた露も草葉の上に置くことだろう〔他の女の所にお泊りになったあの人も 今頃は起きているだろう〕)  

 三日、例の所に帰り来て、「泣きても言はむ」などながむる程に「暁に行く人侍るを、文」と言ふ。やらむと思ふも、散らむ、つつましう覚えて
 (三日に、いつもの家へ帰って来て、「恨みても 泣きても言はむ 方ぞなき 鏡に見ゆる 影ならずして(恨んでも 泣いても 言う相手がいない 鏡に映ったほたしのほかに)[古今集恋五・藤原興風]」などと古歌を口ずさんで物思いに沈んでいると、「夜明け前にあちらへ行く人がいるので、手紙を」と人が言う。書いて渡そうと思うが、〈もし人手に渡ったら〉と憚られて)

587 ささがにや うはの空には かきやらで 思ふ心の 中(うち)を見せばや
(蜘蛛が宙に巣をかけるように 確かなツテもなく手紙を書いて送ったりしないで 思う心の中を直接逢ってお見せしたい)  

 廿四日、風の音、耳にとまるにも
 (二十四日、風の音が耳に残って)

588 常ならば よそに聞かまし 風の音を 身にしむものと 思ひけるかな
(いつもなら聞き流しただろう風の音を 一人でいるとしみじみと身にしむものと思う)  

 五日、暁に妻戸を開けて見れば、うち曇る空のけしき、虫の音よりもうちそへつべき心地して
 (五日、夜明け前に妻戸を開けて外を見ると、曇っている空の様子が、秋の虫の声よりも涙を誘うような気がして)

589 明け暮れに 過ぎ行く秋も いつまでと 聞ゆる虫の 音にぞ泣きぬる
(一日一日と過ぎてゆく秋も いつまで続くのかと言っているように聞こえる虫の声に わたしは泣いてしまう)  

 明けぬれば、人の急ぐとありしものかた見るとて、「うち忘れたるさまにても暮らしつべきかな」と思ふほどに、俄かに障る事ありて、ものへ詣でむとする人ある程なれば、外に渡りて、端にてあはれなる山際など見ゆれば
 (夜が明けたので、人が「急いでいるから、早く見てほしい」と言っていた図案を見るので、「恋の悩みも忘れて過ごせそう」と思っていると、急に月の障り〔月経〕があって、物詣でをする人がいるときなので、穢れた身を憚って、わたしはよそへ移って、端近な所で、そこからは風情ある山際などが見えるので)

590 夕日さす かげにやまとは 見ゆれども いらぬほだしに なれるなるらむ
(夕陽がさす光の中で あれがあの人の入ろうとしている山だと見えるけれど 入るに入れない妨げにわたしがなっているのだろう)  

 十七日におもしろき楓のあるを見て、取らせて取り入るる程に、俄かにいと多く散りぬれば、くちをしうて
 (十七日に美しい楓があるのを見て、取らせて部屋の中に持って入る間に、急にたくさん散ってしまったので、悔しくて)

591 いかなれば 同じ色にて 落つれども 涙は目にも とまらざるらむ[後拾遺集雑三]
(どういうわけで 紅葉も血の涙も同じ色で落ちるのに あの人を恋い慕うわたしの涙は あの人の目にとまらないのだろう)  


 つれづれと過ぎにける日数をのみながめて
 (ぼんやりとあの人が来なくなった日数ばかりを考えて)

592 人づてに 聞き来し山の 名にし負はば 忘れゆくとも 思はましやは
(人づてに聞いていた山〔逢坂山〕が その名の通りであるなら あの人がわたしを忘れてゆくとは思わないでしょうに)

 九日、午時ばかり、ある、人も、見咎むべき人もなき所にて、心安く見るままに
 (九日、正午頃、夫もいなく、見咎める人もいない所で、あの人からの便りを安心して見るにつけて)

593 白露の うち置きがたき 言の葉は 変らむ色の 惜しきなるべし
(このお便りを下に置きたくないのは 露が置くと木の葉の色が変わるように 下に置いて愛の言葉が変わったりしたらと それが惜しまれるからだろう)  

 廿日、「今日の程は」と思ふにも、昔、あはれにて
 (二十日、「今日はなにも思わないようにしよう」と思っても、亡くなった人が愛しくて)

594 あり果てぬ わが身とならば 忘れじと 言ひし程経ぬ わが身ともがな
(いつまでも生きられないわたしなら あの人が「忘れない」と言ってくれた時 わたしもすぐに死んでしまえばよかった)  

 心に覚ゆ。日一日雨のいとしめやかに降るに、臥しながら聞きて
 (心の中で思う。一日中雨がもの静かに降るのを、横になりながら聞いて)

595 もの思へば しづ心なき よの中に のどかにもふる あめのうちかな
(恋のせいで落ち着かない二人の仲なのに 雨がのどかに降っている 天の下は平穏無事に続いている)  

 二日、風いたう吹くに、乱るる雲を
 (二日、風がひどく吹くので、乱れる雲を)

596 いつまでか 煙とならで 風吹けば 漂ふ雲を よそに眺めむ
(死んで煙となることなく 風が吹くと漂う雲をじぶんとは関係ないものとして いつまで眺めることができるだろう)  

 つとめてはしの方をながむれば、空いとよう晴れて、雁のつらねて鳴き渡るを
(翌朝外の方を見ると、空がとてもきれいに晴れて、雁が列になって泣きながら飛んで行くのを)

597 とぶかとて みどりの紙に ひまもなく か き連ねたる 雁がねを聞く[夫木抄十二]
(雁が飛んでゆくのか あの人のお便りなのかと 緑の紙にびっしりと書き連ねたような感じで 列になって飛んでゆく雁の声を聞く)  


 四日、例の所に渡りたれば、見ざりつるほどに、荻・薄も萩のませなども、みなこぼれにければ
 (四日、いつもの所に移ったら、しばらく見なかった間に、荻や薄、萩のませ垣なども、すっかり壊れていたので)

598 わが宿は 菅原(すがはら)野辺と なりにけり いかにふし見て 人の行くらむ
(わたしの家は菅の生い茂る野辺のように荒れ果ててしまった どんな思いで人はこれを見て通りすぎるのだろう)  

 その夜も、片端にて、「羨ましうも」と見るままに
 (その夜も、端近な所にいて、「うらやましくも」と古歌を思い出しながら月を見ているうちに)
 ※「うらやましくも」―「かくばかり 経がたく見ゆる 世の中に うらやましくも 澄める月かな(このように過ごしにくく思える世の中に うらやましくも なんの悩みもないように澄んでいる月)[拾遺集雑上・藤原高光]」


599 よそにても 同じ心に 有明の 月見ば空ぞ かき曇らまし
(離れ離れでも あの人がわたしと同じ思いで月を見ていてくださったら きっとあの人の涙で空が曇ったでしょうに)  

 五日、暁、目を覚まして聞けば、かしがましきまでありし虫の音せぬに
 (五日、夜明け前に目を覚まして聞くと、うるさいほどだった虫の声がしないので)

600 音(ね)をだにも 今はなくべき 方もなし まぎれし虫の 声絶えぬれば
(声をあげて泣くことさえ今はできない わたしの泣き声を隠してくれた虫の声が絶えてしまったから)  

 昼つ方、人の許より「なにとか、みづから聞ゆべき事なむ多く」と宣へる返り事に、「心にも、かくまで
 (昼頃、あの人から「いろいろと、直接申し上げることがたくさんあって」とおっしゃった返事に、「わたしの心も、これほど)

601 落ちとまる 時は知りにし 時ぞとて 今朝は涙の いふかひもなし
(こぼれる涙が止まるときは 「世の中の嫌なことも辛いことも」知り尽くした時と言いますが 知り尽くさない今朝は 涙がどうしようもなく流れます)

 と書かれぬ。さるは、「袖よりほかの」と覚えしものを。遠き所に詣でにし人も「今日は、帰り給ひぬらむ」と言ふを聞くにも、かくのみ覚ゆるにぞ
 (と書いてしまった。それにしても、いつもなら「袖よりほかの」という歌が浮かんだものなのに。先日遠い所に参詣した人も「今日はお帰りになったでしょう」と侍女たちが言うのを聞いても、こんなふうにばかり思われて)
 ※「袖よりほかの」―引歌未詳


602 これにつけ かれによそへて 待つほどは たれをたれとも わかれざりけり
(この人はどうだろう あの人はどうかしらと なにかにつけて待っている間は どちらがどちらなのか 区別がつかなくなってしまう)  

 七日、人の物語するを聞けば、「その人のせちに語らひつる人も忘れぬ」など言ふを聞くにも
 (七日、人が世間話をしているのを聞いていると、「あの人が熱烈に愛した人も捨ててしまわれた」などと言っているのを聞くにつけても)

603 いかにとて なほ歎かるる 忘れぬと 言ふ人数に あらぬ身なれば
(わたしだって あの人に捨てられたらどうなるだろうと やはりため息をつかないではいられない 世間並みに捨ててられたと言われる身の上ではないけれど)  

 廿八日、物詣でし人の帰り来て、うち臥して物語するを聞くにも、まづ
 (二十八日、物詣でした人が帰って来て、横になって話をするのを聞くと、真っ先に)

604 きたりとぞ よそに聞かまし 身に近く 同じ心の つまといふとも
(あの人が来たとしてもわたしには関係のないことと聞くだろう あの人もこの人と同じ心の夫であるにしても)  

 「今日、晦日になりにけり」と思ふにも
 (「今日はもう九月三十日になった」と思うと)

605 したはれて 心にかなふ 身なりせば 今日またあきに 別れましやは[万代集秋下]
(恋しいと思うままに 後を追うことができるわたしなら あの人に飽きられることもなく 今日また秋と別れることもなかったでしょうに)  


 暮つ方、霧のたたずまひ、空のけしきなど「あはれ知れらむ」とて、
 (日暮れ頃、霧のたなびく様子、空の様子など、〈情趣がわかる人に見せたい〉と思って)

606 今はとて たつきりさへぞ あはれなる ありし朝(あした)の 空に似たれば
(もうこれでお別れと たなびく霧までが身にしみて悲しい あの人と別れた朝の空に似ているので)

 十月一日

607 交(かわ)してし 衣(ころも)はかへじ 結びてし 露けげなりと 人は見るとも[続集五〇三]
(袖を交わして寝た衣は 衣替えだといっても着替えない たとえ結んでおいた紐がしめっぽいと人が見たとしても)  


 二日、ひまなくあはれなる雨に眺められて
 (二日、ひっきりなしに降る風情のある時雨を眺めて)

608 今日はなほ ひまこそなけれ かき曇る 時雨心地は いつもせしかど[風雅集雑上]
(空を曇らせて降る時雨のように いつも涙をこぼしているけれど 今日のような天気では涙が止まる時がない)  

 三日、ありし所などを見るにも
 (三日、よそへ行くので、 あの人がお休みになった所などを見るにつけても)

609 身は行けど 名をばここにし とどむれば やり戸口こそ とどめられけれ[続集二三四]
(わたしの体は外に行くけれど 体を包んでいた殻〔衣服・寝具など〕はここに残すので 遣戸口に錠をかけて 変な噂が立つのを封じるのです)  


 その夜の夢に、文のありけるを見るとて、覚めては、岸に寄る波
 (その夜の夢に、あの人の恋文があるのを見ようとして、それで目が覚めて、まさに「岸に寄る波」で)
 ※「岸に寄る波」―「住の江の 岸による波 夜さへや 夢の通ひ路 人目よくらむ(住之江の岸に何度も打ち寄せる波のように いつもあなたに会いたいと思っているのに なぜ夢の中でさえ あなたは人目を避けようとするのでしょう)[古今集恋二・藤原敏行]」を引く。


610 覚めでこそ 見るべかりけれ うつつにも あとはかもなき 夢と知りせば
(目を覚まさないで あの夢を現実のこととして見ていればよかった 目が覚めた時に虚しい夢とわかってさえいたら)

 四日、ま近きもみぢを、風の吹き散らすを取り集むとて
 (四日、すぐ近くの紅葉を、風が吹き散らすのを取り集める時に)

611 こがらしの 風の便りに つけつつも とふ言の葉は ありやと思はむ
(木枯らしで木の葉が飛ぶように 風の便りでもいいから 〈あの人からわたしの安否を問う言葉があった〉と思いたい)
 ※「問ふ」と「飛ぶ」、「言の葉」と「(木の)葉」はそれぞれ掛詞。  


 と見居たるほどに、「西なる牛なむ、死ぬる」と言ふを聞きて
 (と思いながら眺めているうちに、「西にいる牛が死んだ」と言うのを聞いて)

612 死ぬるにも 勝(まさ)りてものを うしとのみ 思ふわが身に かへましものを
(死ぬ以上に辛いとばかり思っているわたしの身を 死んだ牛に代えられるなら 代えてしまいたい)
 ※「うし」に「牛」と「憂し」をかけた。  


 五日、「起き臥しものを」と覚ゆれば、臥しながら見出したれば、霜、いと白う置きたり
 (五日、「起き臥しものを」と感じるので、横になったまま外を眺めると、霜が真っ白に置いている)
 ※「起き臥しものを」―引歌未詳。

613 初霜も おきにけるまで おきぬかな もの憂かるべき ものならなくに
(初霜が置くまで起きないでいたものだ 起きるのが嫌な朝でもないのに)
 ※おきぬ―打ち消しの助動詞「ず」の連体形。  


 六日の夜、時雨などまめやかにするを、夜居なる僧の、経読むに、夢の世のみ知らるれば
 (六日の夜、時雨などが絶え間なく振って、夜居の僧が経を読むのを聞くと、夢の世ばかり思い知らされるので)
 ※夜居―夜間、寝ないで控えていること。


614 ものをのみ 思ひの家を 出でてふる 一味の雨に ぬれやしなまし[夫木抄十九]
(こんな火宅〔迷いと苦しみに満ちた世界〕を捨てて 時雨のように絶え間なく降り注ぐ仏さまの一味の雨に濡れようかしら)  


 と思ふほどに、鐘の声もすれば
 (と思っているうちに、鐘の音もするので)

615 さならねど 寝られぬものを いとどしく つきおどろかす 鐘の音かな
(そうでなくても眠れないのに 一段と激しく撞いて目を覚まさせる鐘の音)  

 七日、風のいと激しきに
 (七日、風がひどく激しいので)

616 露のおきし 木々の木の葉を 吹くよりは よにもあらしの 身を誘はなむ[玉葉集雑一]
(露が置いた木々の木の葉を吹き散らすよりは 生きていたくないわたしを誘ってどこかへ連れて行ってくれ 嵐よ)
 ※よにもあらし―「有らじ」に「嵐」をかける。
 

 九日、昼つ方、「月こそ出でにけれ」と言ふを聞きて
 (九日、昼頃、「月がもう出た」と人が言うのを聞いて)

617 むばたまの 夜をばいかに 明かせとか ながむる月の まだき出でぬる
(夜をどうして明かせと言うの 毎晩 物思いで眠れない わたしのたった一つの慰めだった月がもう出てしまったとは)  

 わりなきとは思ひながら、日のやうやう入るに、そひて、人の言ふ
 (どうしようもないと思いながら、陽がだんだん沈んでいくにつれて、わたしに寄り添っていた人が言う)

618 よりぬらむ わが世は知らで ひとたびに 過ぐる月日ぞ あはれなりける
(わたしたちの間がどこへ落ち着くのかわからないで またたく間に過ぎてゆく月日が 身にしみる)  

 十日、萩のいと盛りに黄葉(もみ)ぢたるを見るにも、よそなる人の覚えし
 (十日、萩がとてもきれいに紅葉しているのを見ると、遠くにいる人を思い出した)

619 あき果つる 折もこはぎぞ 知られける 上下葉とも なくなりぬれば
(秋が終わる時も 小萩を見ると知られる 上葉 下葉の区別もなく すっかり紅葉してしまったので)  

 一日、つとめて見れば、いと濃き紅葉に霜のいと白う置きたれば、それにつけても、まづ
 (一日、朝早く見ると、とても濃い紅葉に霜が真っ白に置いているので、それにつけても、真っ先に)

620 もみぢ葉も 真白に霜の 置ける朝は 越(こし)の白峯(しらね)ぞ 思ひやらるる
(紅葉も真っ白になるほど霜の置いた朝は 越の白峯が自然と思いやられる)
 ※越の白峯―加賀の白山。  


 二日、時雨の雲間なきにも (二日、時雨が降って晴れ間もないので)

621 時雨(しぐ)るとも よにしら雲を 隔つれば 濡るる袖をも えやは見せける
(いくら時雨れても〔泣いても〕 あの人との間を白雲が隔てているので 涙に濡れた袖も 見せることができない)  

 三日、月のいとおもしろきをながむる程に、雲隠るれば
 (三日、月がとても美しいのを眺めているうちに、雲に隠れるので)

622 月影を 憂くも隠すか 見てだにも 慰めがたき 夜半(よわ)の心を
(月の光を嫌なことに隠すのか 姨捨山の古歌ではないけれど わたしはあの美しい月を見ても 夜中に来ない人を待つ思いを紛らしかねているのに)
 ※「月影を憂くも隠すか」―「あかなくに まだきも月の かくるるか 山の端にげて 入れずもあらなむ(まだ十分に見てはいないのに 早くも月は隠れてしまうのか 西の山の稜線が引っ込んで 月を入れないでほしい)[古今集雑上・在原業平・伊勢物語八十二]」をふまえる。
 ※「慰めがたき夜半の心を」―「わが心 慰めかねつ 更級や 姥捨山に 照る月を見て(わたしの心を慰められなかった 更級の姨捨山に照る月を見ても)[古今集・読人しらず・大和物語一五六]」をふまえる。


 四日、例の所に「もしや」と問ひにやるにも
 (四日、いつもの所に「もしかしてお便りが」と思って、使いを遣わすにつけても)

623 とふがごと とふ人もあらじ ものゆゑに いくたび跡を 我たづぬらむ
(わたしが尋ねるように わたしのことを聞いてくださる人もいないのに わたしはどうして何度もあの人の様子を尋ねるのだろうか)  

 五日、端近う行ひしてながむれば、雲のけしきも、いとあはれに覚ゆれば
 (五日、お寺の端近な所で勤行をして、外を物思いに沈みながら眺めていると、雲の様子もしみじみと身にしみるので)

624 西へ行く 雲に乗りなむと 思ふ身の 心ばかりは きたへ行くかな
(西方浄土のほうへ行く雲に乗って 極楽浄土へと願っているわたしなのに 心だけはあの人のところ行ってしまう)  

 今日、雨の降るに、簾の玉のやうに掛かるを、あはれなるにも
 (今日、雨が降るので、雫が簾にかかって玉で飾った簾のように見えるので、しみじみとして)

625 玉簾(たまだれ)の みすならなくに わが袖の いとどしくのみ 濡れまさるかな
(玉で飾った簾でもないのに わたしの袖はいつもより涙の玉がかかっていっそう濡れる)  

 七日、例ならぬ心地のみすれば、「今日やわが世の」と覚ゆる
 (七日、いつになく気分が悪いので、「今日やわが世の」と感じる)
 ※「わびつつも 昨日ばかりは すぐしてき 今日やわが世の 限りなるらん(思い悩んで 昨日まではなんとか過ごしてきたが 今日がわたしの生涯の終わりになるだろう)[拾遺集恋一・読人しらず]」を引く。


626 生(い)くべくも 思ほえぬかな 別れにし 人の心ぞ 命なりける[万代集]
(もう生きていられそうもない あの時別れたあの人の愛がわたしの命だったのだ)  


 八日、端の方をながむれば、子ども見ゆる方あり。「あれなむ、近江の大夫のものする所」と言ふを聞くにも
 (八日、外の方をぼんやり眺めていると、子どもが見える所がある。「あれが、近江の大夫が来ている所なのです」と侍女が言うのを聞くと)

627 同じ野に 生ふとも知らじ 紫の 色にも出でぬ 草の見ゆれば
(紫の生える同じ野の草とは知らないだろう〔子どもは同じ父の子とは知らないだろう〕紫の貴い色とはならない草が見えるのは)  

 九日、紅葉のいと多う散りたるを、箱の蓋に入れて
 (九日、紅葉がとてもたくさん散ったのを、箱の蓋に入れて)

628 人知れぬ わが心葉(こころば)に あらねども かき集めても ものをこそ思へ
(この葉は密かにあの人を思う心葉ではないけれど かき集めた葉のように わたしもいろいろと物思いをすることです)
 ※心葉―饗膳の盆などに添える造花。金・銀または飾り糸で松や梅などを作る。  


 廿日、遠き程より見ゆる文を持て来たれば、「さもや」と思ひて、問はすれば、あらぬ所のなりけり
 (二十日、遠い所からと思える手紙を持ってきたので、「もしかしたら」と思って、尋ねさせたところ、違う所からだった)

629 下野(しもつけ)の 花と見るこそ かひなけれ 人の問ふべき みかはと思へば
(身分の低い人からで あの人の手紙ではない それももっとも わたしだってあの人から手紙をいただけるような身分ではないから)
 ※しもつけ―バラ科の落葉灌木。夏季に淡紅色の花をつける。ここは、それに低い身分の意を寓した。  

 一日、おぼつかなく覚えて、四條に問はせしを、讃岐殿にものし給ひけるほどにて、上はひと□ののたまけるを、あさまし
 (一日、なんだか心配で、四條に人を遣わして尋ねさせたら、あの人は讃岐殿にお邸にいらっしゃる頃で、「上は火と・・・」とおっしゃったそうで、あきれた)

630 ながれぎの 上も隠れず なりぬるを あなあさましの みづの心や
(流れ木ではないけれど 苦しい恋に泣けて とうとう人に知られるほどになったのに あなたって呆れるほど 浅い水のような方ね)  

 二日、雁の鳴くを聞きて
 (二日、雁が鳴くのを聞いて)

631 うち臥(ふ)さむ 事はもの憂し などせまし 夜とぶ雁の 音せざりせば
(横になるのも気が進まない どうして気を紛らわそう 夜空を飛ぶ雁の声がしなかったら〔あの人のお便りがなかったら〕)  

 三日、夜の夢に「いと近き所になむ 来る」と見ても、覚めて、「たけき事とは」と思ふにも
 (三日、夜の夢に「あの人がすぐ近くに来ている」と見ても、目が覚めてから、「わたしにできることはなんだろう」と思うと)

632 よのなかも はるけからじな かくながら 通ふも近き 命なからば
(夢で心が通い合うもの こんなに離れたままでも 二人の仲は遠くないようだ 命がないなら夢も見られないけれど)
 ※「もろこしも 夢に見しかば 近かりき 思はぬなかぞ はるけかりける(唐の国も 夢で見れば近かった 思い合わない二人の仲は遠い)[古今集恋五・兼芸法師]」をふまえる。

 四日、菊のいみじう移ろひたるを 立てながら見る
 (四日、菊がすっかり色変わりしたのを、庭にあるままで見る)

633 年の内に また咲くなしと きくの花 もの思ふ時は 劣らざりけり
(年内にもう咲く花はないと聞く菊の花を見ていると 物思いに沈んでいるわたしは 色褪せた菊に劣らない)

 五日、風はげしう吹きて、残りなく散る。言の葉も
 (五日、風が激しく吹いて、木の葉が残りなく散る。あの人のお便りも)

634 わくらばに とふ言の葉も やま風の 吹く音をのみ 聞かむと思ひし
(たまにくださるお便りも 風に散る木の葉と同じようになくなって 後は山風の吹く音を 虚しく聞くだけだと最初から思っていました)  

 六日、人の許より、呉竹につけたるを見て
 (六日、ある人から、呉竹につけた手紙があるのを見て)

635 からくして 今日くれ竹の よもすがら ねで何事を 思ひ明(あ)かさむ
(やっと今日も暮れました 一晩中寝ないで 何を考えながら夜を明かしたらいいのでしょう)  

 七日、はかなく過ぐる月日につけても、あやしう覚ゆれば
 (七日、あっけなく過ぎてゆく月日につけても、不思議なほど人恋しいので)

636 みごもりの 神無月(かみなづき)ぞと 思はずは 木綿(ゆう)掛けつべき 心地こそすれ
(みごもりの神もお留守の神無月だと思わなかったら 榊に木綿をかけて 恋をかなえてくださるようお願いしたい気がする)  

 八日、落ち積りたる木の葉を、風の誘ふも羨ましくて
 (八日、落ち積もっている木の葉を、風が吹いて誘うのも羨ましくて)

637 日を経(へ)つつ 我なに事を 思はまし 風の前なる 木の葉なりせば
(何日も過ごしながら わたしは何を考えていたのだろう わたしが風に吹かれる木の葉なら そのままどこかへ飛んでいって悩まなくてすんだのに)

 つれづれなるままに(することもないままに)

638 ながむるに つけて心の 慰むは 都の人の かたみなりけり
(物思い沈んでいる時に慰められるのは 都にいる人の形見の品を見ること)

 九日、いと小さき童のありしを「いづこなりしぞ」と問はせたれば、「しかじかの人の、近江よりゐておはせし」と語れば、「何とか名は言ふ」と問へば、「にほ」と言ふ。「下に通ひて」など、人人、あやしきを笑ふを聞きて)
 (九日、とても小さい童がいたのを「どこの家の子なの」と尋ねさせたところ、「これこれの方が、近江から連れていらっしゃいました」と言うので、「名はなんと言うの」と聞くと、「にほ」と言う。「下に通ひて」などと、女房たちが、この変わった名を笑うのを聞いて)
 ※「下に通ひて」―「君が名も 我が名も立てじ 池に住む 鳰といふ鳥の 下に通はむ(あなたの噂も わたしの噂も立てない だから水にくぐる鳰〔かいつぶり〕という鳥のように この恋は表に出さないで)[古今六帖三]」を引く。


639 世とともに ながるる水の 下にまた すむにほ鳥の ありけるものを
(いつも流れている水の下に住む鳰鳥もいたのね 涙に沈んで生きているのはわたしだけではなかった)  

 今日は殊に荒れたる空のけしきを、見る人人も「この月はかむわざなればぞかし」など言ふを聞くにも
 (今日は特別に荒れている空の様子を、見る人たちも「今月は神事があるから、こうなのよ」などと言うのを聞くと)

640 あられ降る かひやなからむ 神山の まさきのかづら くる人もなし
(あられが降っても仕方ない 神山のまさきの葛がいくら美しく紅葉していても たぐり寄せる人〔ここへ来る人〕もいないから)  

 と臥しながら、手ならひすとて見れば、筆の柄のまだらなれば、やがて、かく書かる
 (と横になりながら、手習いをしようと筆を見ると、筆の軸がまだらなので、そのまま、このように書いた)

641 あはれとも 思へばやがて まだらつく 竹のよにこそ 住まざらむはの
(人を愛しいと思うと その思いが斑となって竹に現れたというが そのような睦まじい仲として暮らすことはできないにしても せめて葉のように薄い愛くらいは)  

 「山のあなたに」とのみ。二日、臥したるに、火桶とて、お□□るに
 (「山のかなたに家があればいいのに」と思うばかり。二日、横になっていると、「火桶におあたりになったら」と言って、わたしを起き上がらせようとするので)
 ※お□□るに―「おこせたる」などとあった中間の脱落か。


642 手すさびや しけると思ふに いとどしく 思ひのはゐは ゐられざりけり
(あの人が火桶で手慰めをなさったと思うと ひとしお恋慕の情がつのってじっとしていられない)  

 その夜、うち臥して、人の物語するを聞けば、有様なる事を言ふを聞くに、胸つぶれて
(その夜、横になって、人が話しているのを聞いていると、わたしそっくりの恋愛事件の話をするのを聞くと、どきっとして)

643 人もまた かくやいぶきの さしも草と 思ふ思ひの 身はこがしけり
(人もわたしのことをこんなふうに言うかもしないと思うと 胸の火が燃えてきて 身を焼く思いをする)  

 三日、「人、来たり」と聞きて「もしや」と問はむ と思ふもつつましければ、やこむ程に取うでたるを「いかでかく」と思ふにも
 (三日、「あの人が来ている」と聞いて、「もしかしてお便りでも」と尋ねようと思うが、なにか憚れて思い悩んでいると、あの人から便りがあり、「どうしてこんなにわたしを思ってくださるのか」と思うと)

644 種を取る ものにもがなや 忘れ草 生ひなばかかる 跡も見えじを[続集五〇二・万代集恋五]
(手紙も草木のように種を取っておけるといいのに そのうちわたしを忘れて こんな手紙もくださらないでしょうから)  


 と思ふに、「さきにも所所ありけり。一品の宮なるしかじかの人には、この度もありけり」と聞くにも、取り分きたる心地もなき心地して
 (と思っていると、「前にもあちこちにお便りがあったそうだ。一品の宮家のこれこれという人には、今度もお便りがあったそうだ」と聞くと、特別わたしにという気持ちはあの人にはない気がして)

645 十列(とうつら)に 立つるなりけり 今はさは 心くらべに 我もなりなむ
(あの人は競馬でもするように 十列くらい女を並べて恋をしているのだ それならわたしもあの人と競争してみよう)  

 大方にある文ども、殿の御物忌、お前なるほどはえ見ぬに、添ひたる文箱の上付の心もとなさに、端を開けて見るままに
 (一般的な用件で来るさまざまな手紙は、殿の物忌のお供で、御前にいる間は見ることができないので、文箱の上に添えられた紙が気がかりなので、端のほうを開いて見ると)

646 これにこそ 慰まれけれ 面影に 見ゆるには似ぬ ※以下欠文
 (これで慰められた 面影に見える人には似ない ※以下欠文のため解釈できない)  

 ようさりまかり出でて、文見るに、「殿なりけるものを、まづ開けて」。いみじう言はれても、みづからのみ
(夜になって夫は退出して来て、留守中の手紙を見て、「殿宛の手紙を、先に開けたりして」とひどく叱られると、私一人)

647 あり果てぬ 命待つまの ほどばかり いとかくものを 思はずもがな[古今集雑下・俊頼髄脳]
(いつまでも生きられない命の限りを待つ間くらい せめてこれほど思い悩まないでいたい)
参考文献
●和泉式部集全釈[続集篇]佐伯梅友・村上治・小松登美著 笠間書院
●和泉式部集 和泉式部続集 清水文雄校註 岩波文庫
●日本古典全書 和泉式部集 小野小町集 窪田空穂校註 朝日新聞社
●全訳古語辞典 第三版【小型版】宮腰賢・桜井満・石井正己・小田勝 編 旺文社
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