『源氏物語』参考文献
『長恨歌』現代語訳
『古事記』現代語訳
『源氏物語玉の小櫛』現代語訳
『和泉式部日記』現代語訳
『和泉式部集〔正集〕』現代語訳
『和泉式部集〔続集〕』現代語訳
『赤染衛門集』現代語訳
『清少納言集』現代語訳
『藤三位集』現代語訳
『蜻蛉日記』現代語訳
『枕草子』現代語訳
『枕草子』清少納言
第一段
 春はあけぼの。だんだん白くなっていく山の上の空が少し明るくなって、紫っぽい雲が細くたなびいている。
 夏は夜。月がある頃は言うまでもない。闇夜もやはり、蛍がたくさん入り乱れて飛んでいる。それに、一つか二つだけが、かすかに光って飛んで行くのも素敵。雨なんか降るのも素敵。
 秋は夕暮。夕日がさして山の端にとても近くなっているところに、烏が寝る所に帰るというので、三つ四つ、二つ三つが急いで飛んでゆくのさえしみじみとした感じ。まして雁などが列をつくっているのが、ひどく小さく見えるのは、とても趣がある。日が沈んでしまって、風の音や虫の音などもまた、言うまでもない。
  冬は早朝。雪が降っているのは言うまでもなく、霜がとても白いのも、またそうでなくてもひどく寒いので、火など急いで起こして、炭火を持って運んで行くのも、冬の早朝にふさわしい。昼になって、寒さがだんだん緩んでいくと、火鉢の火も、白い灰ばかりになってよくない。
第二段
 季節は、正月、三月、四月、五月、七、八、九月、十一、二月、すべてその時々によって、一年中おもしろい。
 正月一日は、まして空の様子もうららかに清新で、霞がかかっているところに、世の中の人は、誰もみな、身なりや顔を格別に装って、主人をもじぶんをも祝ったりなどしているのは、ふだんとは違っておもしろい。  
 七日、雪の消えた所で若菜を摘んで、青々としているのを、ふだんはそんなものを見慣れない所で、もてはやして騒いでいるのはおもしろい。節会の白馬を見に行こうと思って、宮仕えをしないでいる人は牛車を美しく飾り立てて見物に行く。中の御門(待賢門)の敷居を車が通り過ぎるときに、みなの頭が一所に揺れてぶつかり、挿している櫛も落ちて、そんなことになるとは用心していなかったので、折れたりなんかして笑うのもまたおもしろい。左衛門府の警備の役人の詰め所のあたりに、殿上人などが大勢立って、舎人の弓を取って馬を驚かして笑っているのを、牛車の簾の隙間からわずかに覗いて見ると、立蔀(たてじとみ)など見えるが、そのあたりを主殿司(とのもりづかさ)や女官などが行ったり来たりしているのはおもしろい。
〈どのような幸運のもとに生まれた人が、宮中で馴れ馴れしくできるのだろう〉
 と思われるのだが、宮中でこうして見るのは、かなり狭い範囲だから、舎人の顔は地肌が見えて、本当に黒いうえに、白粉(おしろい)が行きわたらない所は、雪がまだらに消え残っているような感じで、ひどく見苦しく、馬が跳ねて暴れているのもひどく恐ろしく思われるので、自然と体が奥へ引っ込んでしまって、よく見ることができない。  
 八日、加階した人がお礼を申し上げるために走らせる車の音が、いつもと違って聞こえて、おもしろい。  
 十五日、粥の祝い膳をご主人にさし上げ、その粥を炊いて燃え残った木を隠していて、年配の女房や、若い女房が打とうと隙きを狙っているが、
〈打たれないわよ〉  
 と用心して、いつも後ろに気を配っている様子もとてもおもしろいが、どんなふうにしたのだろう、相手の尻をうまく打ちあてたときは、とてもおもしろく、みなが大笑いしているのは、とても華やかで陽気。打たれた人が悔しがるのももっともだ。  
 新しく通って来る婿君などが宮中に参内する頃を、わくわくして、その邸では、
〈わたしなら大丈夫〉  
 と思っている女房が、物陰から覗いて、今か今かと、奥の方でじっと立っているのを、姫君の前に座っている女房が気づいて笑うのを、
「しっ、静かに」  
 と手で合図して止めるけれども、姫君は気づかない様子で、おっとりと座っていらっしゃる。
「そこにあるものを取りましょう」  
 などと言って近づき、走り寄って姫君の尻を打って逃げると、そこにいた者はみな笑う。婿君も、まんざらでもなく微笑んでいるのに、姫君は別に驚きもしないで、顔を少し赤らめて座っているのもおもしろい。また、女房同士打ち合って、男の人まで打つようである。いったいどういうつもりなのだろう、打たれて泣いたり腹を立てたり、打った人を呪ったり、不吉なことを言う女房もいるのが、おもしろい。宮中あたりなどの高貴な所でも、今日はみな無礼講で遠慮がない。
 除目(じもく)の頃など宮中のあたりはとてもおもしろい。雪が降りひどく凍っているのに、上申(じょうしん)の手紙を持ってあちこちしている四位や五位の人が、若々しく、元気がよさそうなのは、とても頼もしそう。年老いて頭の白い人などが、人に取り次ぎを頼んで、女房の局などに立ち寄って、自分自身が優れているわけなどを、ひとりよがりに熱心に説明して聞かせるのを、若い女房たちは真似をして笑っているけれども、本人はそんなこと知るはずもない。
「よろしく帝に申し上げてください、皇后さまにも」  
 などと言っても、望みの官を得た人はとてもいいが、かなわなかった人は、あまりにも気の毒。  
 三月三日は、うららかにのんびりと日が照っていなくては。桃の花が今咲き始めたところ。柳などのおもしろい風情は言うまでもない。それもまだ、繭のように芽ぐんだばかりなのが素敵、葉が広がっているのは嫌な感じに見える。晴れやかに咲いた桜を、長く折って、大きな花瓶に挿してあるのは素敵。桜襲の直衣に出袿をして、それがお客様でも、ご兄弟の君たちでも、その近くに座ってお話なんかしているのは、とても素敵。  
 四月、賀茂祭の頃がとても素敵。上達部や殿上人も、袍の色が濃いか薄いかの区別があるだけで、それぞれの白襲も同じ様子で、涼しそうに見えて素敵。木々の木の葉がまだそれほど繁っていなく、若々しく青みがかっているところに、春の霞も秋の霧もさえぎらない初夏の澄んだ空の景色が、なんということもなく無性に趣のあるころに、少し曇ってきた夕方や夜などに、まだ密かに鳴くほととぎすが、遠くで、
〈聞き違いかしら〉  
 と思われるくらいか細い声で鳴くのを聞きつけた時は、どんな気持ちがするのだろう。  
 祭の日が近くなって、青朽葉や二藍の布地を巻いて、紙などにほんの形ばかり包んで、行ったり来たり、持って歩いているのって素敵。裾濃、むら濃に染めた物も、いつもより素敵に見える。女童が頭だけ洗って手入れして、服装はほころびて縫い目が切れて、ぼろぼろになりかかっているのもいるが、そんな子が屐子(けいし)や沓(履物)などの、
「鼻緒をすげて」
「裏を直して」  
 などと騒いで、
〈早くお祭りにならないかな〉  
 と、はしゃぎまわるのもとてもおもしろい。変な格好をして飛んだりはねたりしている子どもたちが、祭の日に衣裳を着て着飾ると、まるで法会の時の定者(じょうざ)などという法師のように練り歩く、どんなに不安なことだろう。身分に応じて、親やおばにあたる人、姉などがお供をして、世話をしながら連れて歩くのもおもしろい。  
 蔵人(くろうど)になりたがっている人で、すぐにはなれない人が、 祭の日に青色の袍を着ているのを、
〈そのまま脱がせないでおいてあげたい〉  
 と思われる。綾織でないのはよくないけれど。
第三段
 同じことを言っても、聞いた感じの違うもの。法師の言葉。男の言葉。女の言葉。身分の低い者の言葉には、必ずよけいな言葉がつく。
第四段
 可愛がっている子を僧にするのは、本当に気の毒。世の人が僧を木の切れっ端のように思っているのは、とてもかわいそう。精進物のひどく粗末な食事をして、寝るにしても、若い人は、好奇心だってあるだろう。女などのいる所でさえ、どうして嫌がっているように、覗かないことがあるだろうか。それさえも世間ではうるさく言う。まして修験者などは、ひどく苦しそう。疲れてうとうとすると、
「居眠りばかりして」
 などと非難されるのも、ひどく窮屈で、どんなに辛いことだろう。でも、これも昔のこと。今はずっと気楽なようだ。 
第五段
 大進(だいじん/中宮職の三等官)生昌(なりまさ/平生昌)の家に、中宮(定子)様がいらっしゃるというので、東の門を四本柱の門に作り変えて、そこから中宮様の神輿はお入りになる。北の門から女房たちの牛車も、
〈まだ警護の武士がいないから入れるだろう〉  
 と思って、髪の乱れた人もたいして手入れもしないで、
〈車を建物に寄せて降りるから〉  
 と思って気にしないでいたところ、檳榔毛(びろうげ)の車などは、門が小さいから、つかえて入ることができないので、例によって筵道(えんどう/敷物)を敷いて降りなければならないので、実に憎らしく、腹立たしいけれども、どうしようもない。殿上人や地下の役人たちも、陣屋のそばに立って見てるのもひどく癪にさわる。  
 中宮様の御前に行って、さきほどのことを申し上げると、
「ここでだって、人が見ないことがあるの。どうしてそんなに気を許したの」  
 と、お笑いになる。
「でも、ここではわたしたちを見慣れていますから、きちんとした格好をしてたりしたら、かえって驚く人もいるでしょう」
「それにしても、これほどの家で、車が入らない門があるかしら。見えたら笑ってやるわ」  
 などと言っているときに、
「これをさしあげてください」  
 と言って、生昌が中宮用の硯などを御簾の中にさし入れる。
「まあ、あなたってずいぶんひどい人ね。どうしてあの門を狭く造ってお住みなの」  
 と言うと、生昌は笑って、 「
家の程度、身のほどに合わせているのです」  
 と答える。
「でも、門だけを高く造った人もいたのよ」  
 と言うと、
「ああ怖い」  
 と驚いて、
「それは于定国(うていこく)の故事のことではないですか。年功を積んだ進士(漢文の専門家)などでなかったら、うかがってもわからないことです。わたしはたまたま漢学の道に入りましたから、これくらいのことは理解できるのですが」  
 と言う。
「あなたのおっしゃる『道』というのもたいしたことなさそうね。筵道を敷いてあっても、みな穴に落ちて大騒ぎでしたよ」  
 と言うと、
「雨が降りましたので、そんなことになったのでしょう。 いやあこんな答え方では、またなにか言われそうですね。失礼します」  
 と言って立ち去った。
「どうしたの。生昌がひどく怖がっていたじゃない」  
 とお尋ねになる。
「なんでもありません。車が入らなかったことを言ったのでございます」  
 と申し上げて局に下がった。  
 同じ局に住む若い女房たちと一緒に、なんにも知らないで、眠たいので、みな寝てしまった。局は東の対屋の 西の廂の間で、北に続いているが、その北の襖障子には掛け金がなかったのを、それも確かめなかった。生昌はこの家の主人だから、それを知っていて襖を開けた。妙にしわがれた騒々しい声で、
「お伺いしてもいいですか、お伺いしてもいいですか」  
 と何度も言う声で、目がさめて、見ると、几帳の後ろに立ててある灯台の光が明るく照らしている。襖障子を五寸ほど開けて言っていた。ひどくおかしい。
〈まったくこういう好色めいたことは決してしない人なのに、中宮様がじぶんの家にいらっしゃったというので、むやみに勝手気ままなことをしているのだろう〉
 と思うと、実におかしい。
 そばにいる人を揺すって起こして、
「あれを見て。あんな見たことがない人がいるみたい」  
 と言うと、頭を持ち上げて向こうを見て、ひどく笑う。
「あれは誰よ、厚かましい」  
 と言うと、
「いえ、家の主人としてご相談したいことがあるのです」  
 と言うので、
「門のことなら申し上げましたが、
『襖を開けて』  
 なんて申し上げたでしょうか」  
 と言うと、
「やはり、そのこともお話ししましょう。そちらに行ってもよろしいですか、そちらに行ってもよろしいですか」  
 と言うので、
「みっともないったらないわねえ。お入りになれるわけないでしょう」  
 と言って笑ったのがわかったのか、
「若い人がいらっしゃったのですね」  
 と言って襖を閉めて去ったのを、後でみんなで大笑い。
〈襖を開けたのなら、ただ入ってくればいい。
『そちらに行ってもよろしいですか』  
 なんて言われて、
『いいですよ』  
 なんて誰が言うものか〉
 と、おかしくてたまらない。翌朝、中宮様の御前に参上して申し上げると、
「そんな浮いた噂は聞かなかったのにねえ。昨夜の門のことに感心して行ったのでしょう。かわいそうに、生真面目な人をいじめたりしたら気の毒よ」
 と言ってお笑いになる。ちょっと用事がとだえていた時に、
「大進が、ぜひお話したいと言っている」
 と言うのをお聞きになって、
「またどんなことを言って笑われようというのかしら」
 とおっしゃるのも、またおもしろい。
「行って聞きなさい」  
 とおっしゃるので、わざわざ出て行くと、
「先夜の門のことを中納言(生昌の兄、平惟仲)に話しましたら、とても感心されて、
『ぜひ適当な機会にゆっくりお会いしてお話をしたりうかがったりしたい』  
 と申していました」  
 と言って、ほかに話があるわけでもない。
〈先夜訪ねてきたことを話すのかしら〉  
 と胸がどきどきしたけれど、
「そのうちゆっくりお部屋に伺いましょう」  
 と言って立ち去るので、宮様の所に戻ると、
「ところでなんだったの」  
 とおっしゃるので、生昌が申したことをこれこれと申し上げると、
「わざわざ取り次がせて、呼び出すようなことではないわね。たまたま端近とか局などにいる時に言えばいいのに」  
 と言って女房が笑うので、
「じぶんが
『優れている』  
 と思っている人(惟仲)があなたを褒めたので、
〈嬉しく思うだろう〉
 と思って、知らせに来たのでしょう」
 とおっしゃるご様子も、とても立派だ。
第六段
 帝のおそばにいる猫は、五位をいただいて、「命婦のおとど」と呼ばれ、とても可愛いので、帝も大切にしていらっしゃるが、端近に出て寝ているので、お守役の馬命婦(うまのみょうぶ)が、
「まあお行儀の悪い。お入りなさい」  
 と呼ぶが、日がさしている所で眠ったままなので、おどかそうと、
「翁(おきな)まろ(犬の名)、どこなの。命婦のおとどを噛め」  
 と言うと、本当と思って、馬鹿正直な翁まろが飛びかかったので、猫は怯え、あわてて御簾の中に入った。朝食の食卓に帝がいらっしゃった時で、ごらんになって、ひどく驚かれる。猫を懐にお入れになって、男たちをお呼びになると、蔵人の忠隆と、なかなりがやって来たので、
「この翁まろを打って懲らしめて、犬島(野犬の収容所)へ追放しろ、今すぐに」  
 とおっしゃるので、みなが集まって大騒ぎして追い立てる。帝は馬命婦をも叱られて、
「お守役を変えてしまおう。心配でならない」  
 とおっしゃるので、馬命婦は御前にも出ない。犬は捕まえて、滝口の武士などに命じて、追放なさった。
「ああ、今までは体を揺すって得意そうに歩きまわっていたのに。三月三日に、頭弁(とうのべん)(藤原行成)が、柳の飾りを頭にかぶせて、桃の花を挿させて、桜の枝を腰にさしたりして、歩かせられた時は、こんな目にあうとは思わなかっただろう」  
 などと同情する。
「皇后様(定子)のお食事の時は、必ずこっちを向いて待ていたのに、ほんとうに寂しいわねえ ※彰子が中宮になったので、ここから定子を皇后と記述する」  
 などと言って、三、四日経った昼頃、犬がひどく鳴く声がするので、
〈どんな犬がこんなに長く鳴くのだろう〉  
 と思って聞いていると、たくさんの犬が様子を見に走っていく。御厠人(みかわようど)(便所の下級女官)の女が走って来て、
「もう大変。犬を蔵人二人で叩いているの。死んでしまうわ。犬を島流しになさったというのが、帰って来たというので、懲らしめていらっしゃる」  
 と言う。心配なことだ。翁まろらしい。
「忠隆と実房などが打っている」  
 と言うので、止めに行かせると、ようやく鳴きやみ、
「死んだので、陣の外に引っ張っていって捨てた」  
 と言うので、
〈かわいそうに〉  
 などと思っている夕方、ひどく腫れ上がり、汚らしそうな犬で、苦しそうなのが、ぶるぶる震えて歩くので、
「翁まろなの。この頃こんな犬は歩いてはいない」  
 と言って、
「翁まろ」
 と言っても、聞きもしない。
「翁まろよ」
 とも言い、
「違うわよ」  
 とも口々に申すので、
「右近なら見分けがつくわ。呼びなさい」  
 と言って、皇后様がお呼びになると、やって来た。
「これは翁まろなの」  
 と言ってお見せになる。
「似てはいますが、これはあまりにも醜く気味悪そうです。それに、翁まろなら、
『翁まろ』  
 と呼びさえすれば、喜んでやって来るのに、呼んでもやって来ません。違うようです。翁まろは、
『殴り殺して捨ててしまいました』  とはっきり申していました。二人で殴ったのなら生きているでしょうか」  
 などと申し上げるので、皇后様はかわいそうに思われる。  
 暗くなって、食べ物を与えたが、食べないので、違う犬ということにしてしまった翌朝、皇后様は髪をとかしたり、顔や手を洗ったりして、わたしに鏡を持たせて髪の様子をごらんになっていると、犬が柱の下にいるのをわたしが見て、
「ああ、昨日は翁まろをひどく殴ったのね。死んでしまったなんてかわいそう。何に今度は生まれ変わるのかしら。どんなに辛かったことだろう」  
 となにげなく言うと、その柱にいた犬がぶるぶる震えて、涙をひたすら流すので、あまりにも意外なことに、それは翁まろだった。
「昨夜は隠れて我慢していたのね」  
 と、かわいそうなばかりか、素晴らしいことこの上ない。持っていた鏡を置いて、
「じゃあ、翁まろなのね」  
 と言うと、頭を下げてひどく鳴く。皇后様もとてもびっくりしてお笑いになる。右近の内侍をお呼びになって、
「こういうことなの」  
 とおっしゃるので、みんなで笑って騒いでいるのを、帝もお聞きになって、こちらへお越しになった。
「驚いたね、犬なんかでも、このような心があるんだなあ」  
 とお笑いになる。帝付きの女房なども、これを聞いて集まって来て、名前を呼ぶと、今は立って動く。
「やはり、この顔なんかが腫れているのを手当てさせなくては」  
 とわたしが言うと、
「ついに翁まろびいきを白状したわね」
 などと女房たちが笑うので、忠隆が聞いて、台盤所の方から、
「そういうことだったのですか。そいつを拝見しましょう」  
 と言ってきたので、
「まあ、とんでもない。そんなものは絶対にいない」  
 と言わせると、
「そうおっしゃっても、いつか見つける時もあるでしょう。そういつまでもお隠しになることはできない」  
 と言う。  
 さて、その後お咎めも許されて、翁まろはもとのような身分になった。それにしても、かわいそうに思われて、震えて泣きながら出て来た時は、世間に比類がないほどおもしろく、感動的だった。人間なら、人から言葉をかけられて泣くこともあるが。
第七段
 正月一日、三月三日は、とてもうららかなのが。五月五日は、一日中曇っているのが。七月七日は、一日中曇っていて、夕方になって晴れた空に、月がとても明るく、星がたくさん見えているのが。九月九日は、明け方から雨が少し降って、菊の露もたっぷり、かぶせてある綿などもひどく濡れて、移り香もいっそう香りを高めて、早朝にはやんだけれど、それでも曇っていて、今にも降りそうな様子なのも風情がある。
第八段
 昇進のお礼を帝に申し上げるのっていいものね。下襲の裾を後ろに長く引いて、帝の御前に向かって立っていて、帝にお辞儀をして左右左と袖をひるがえして舞って、喜びを表すの。
第九段
 新内裏の東を、北の陣という。梨の木が見上げるほど高いのを、
「いく尋(ひろ)あるかしら ※一尋は両手を広げた長さ」  
 などと言う。権中将(ごんのちゅうじょう/源成信)が、 
「根元から切って、定澄僧都(じょうちょうそうず)枝扇にしたいね」  
 とおっしゃっていたが、僧都が山階寺(やましなでら/興福寺)の別当になって、そのお礼を申し上げる日に、近衛の役人として、この権中将がいらっしゃったが、僧都は長身なのに高い屐子(けいし)まで履いているので、おそろしく背が高い。僧都が退出した後で、
「どうしてあの枝扇をお持たせにならなかったのです」
 と言うと、
「よく覚えているな」  
 とお笑いになる。
「定澄僧都には短すぎるから袿(うちき)はない。すくせ君には長すぎるから袙(あこめ)はない ※すくせ君―不明」  
 と言った人って実におもしろい。
第十段
 山は、
 小倉山(おぐらやま)。鹿背山(かせやま)。三笠山(みかさやま)。このくれ山。いりたちの山。忘れずの山。末の松山。片去り山とは、
〈どんなふうに脇へ寄るのだろう〉  
 とおもしろい。五幡山(いつはたやま)。帰山(かえるやま)。後瀬の山(のちせのやま)。朝倉山は、歌に、
「昔見し人をぞわれはよそに見じ朝倉山の雲居はるかに」
 とあるように、「知らない顔をする」というのがおもしろい。おおひれ山もおもしろい。石清水八幡の臨時の祭の舞人などが思い出されるからだろう。  
 三輪の山は、おもしろい。手向山(たむけやま)。まちかね山。たまさか山。耳なし山。※歌によく詠まれる歌枕、名前のおもしろいものをあげている。
第十一段
 市は、
 辰の市(たつのいち)。さとの市。椿市(つばいち)は、大和(やまと)にたくさんある市の中で、長谷寺に参詣する人が、必ずそこに泊まるのは、
〈観音様のご縁があるのか〉
 と思うと、特別な感じがする。おふさの市。飾磨の市(しかまのいち)。飛鳥の市(あすかのいち)
第十二段
 峰は、
 ゆづるはの峰。阿弥陀の峰。いや高の峰。
第十三段
 原は、
 みかの原。あしたの原。その原。
第十四段
 淵は、
 かしこ淵は、
〈どういう底の心を見ぬいて、そんな名前をつけたのだろう〉  
 と、おもしろい。ないりその淵。誰にどんな人が、
「入るな」  
 と教えたのだろう。青色の淵はおもしろい。蔵人などの衣裳にできそうだから。かくれの淵。いな淵。
第十五段
 海は、  
 湖(みずうみ)。与謝の海。かわふちの海。
第十六段
 陵(みささぎ)は、
 うぐるすの陵。柏木の陵。あめの陵。
第十七段
 渡し場は、 しかすがの渡り。こりずまの渡り。みずはしの渡り。
第十八段
 たちは、たまつくり。(太刀なら玉造り、舘なら玉楼)
第十九段
 家は、
 近衛の御門(みかど)。二条。みかい。一条院も素晴らしい。染殿の宮(そめどののみや)。清和院(せがい)。菅原の院。冷泉院(れいぜいいん)。閑院。朱雀院。小野宮(おののみや)。紅梅殿(こうばいどの)。県(あがた)の井戸殿。竹三条院。小八条院。小一条院。
第二十段
 清涼殿の東北の隅の、北の隔てになっている障子は、荒海の絵で、生きている物の恐ろしそうな、手長、足長などが書いてある。弘徽殿の上の御局の戸が開けてあると、いつも目に入るのを、嫌がったりして笑う。高欄の所に青磁の瓶(かめ)の大きいのを置いて、桜の、晴れやかに美しい枝の五尺くらいのが、とても多く挿してあるので、高欄の外まで咲きこぼれている昼頃、大納言殿が、桜の直衣の少しなおやかなのに、濃い紫の固紋の指貫(袴)をはき、白い下着を数枚重ねて、上には濃い紅の綾織物のとても鮮やかなのを出衣(いだしぎぬ)にして、参内なさると、帝(一条天皇)がこちらにいらっしゃるので、上の御局の戸口の前にある細い板敷きにお座りになって、お話などなさる。御簾の内で、女房たちが、桜の唐衣をゆったりと垂らして、藤襲や山吹襲など、さまざまに感じよく、たくさん小半蔀の御簾からも押し出している頃、帝の昼間の御座所の方では、お膳を運ぶ足音が高い。先払いの者たちが、
「おーしー」
 と言う声が聞こえるのも、うららかなのどかな春の日射しなども、とても素敵だが、最後のお膳を持った蔵人がやって来て、お食事の用意ができたことを申し上げるので、帝は中の戸から昼間の御座所にお越しになる。
 帝のお供に廂の間から大納言殿がお送りに行かれて、さきほどの桜の花の所に帰って座っていらっしゃる。中宮様が御几帳を押して、下長押(しもなげし)の方に出ていらっしゃるなど、ただもうどうしようもなく素晴らしいのを、お仕えしている人も、満足した気がするのに、
「月も日も かはりゆけども 久に経る みむろの山の」
 という歌を、とてもゆったりと吟唱なさったのが、とても素晴らしく思われるので、なるほど千年もこのままでいてほしい中宮様のご様子である。
 給仕する人が、蔵人たちをお呼びになるかならないうちに帝はこちらにいらっしゃった。
「硯の墨をすって」
 と中宮様はおっしゃるが、わたしは上の空で、ただ帝がいらっしゃるほうばかりを見ているものだから、危うく墨ばさみも放してしまいそうになった。中宮様は白い色紙を押したたんで、
「これに、今思い出せる古歌を一つずつ書いて」
 とおっしゃる。 外に座っていらっしゃる大納言殿に、
「これはどうすれば」
 と話すと、
「早く書いてあげなさい。男が口出しするようなことではありません」
 と言って、色紙を御簾の中に入れてお返しになった。中宮様は硯をこちらに向けて、
「早く早く、ただもう深く考えないで、難波津でもなんでも、ふと思いついた歌を」
 と急かされるが、どうしてそんなに気後れしたのか、まったく顔まで赤くなってどうしていいかわからなくなった。
 春の歌や花への気持ちなど、そうは言いながらも、身分の高い女房たちが二つ三つぐらい書いて、その後わたしに、
「ここに書きなさい」
 ということなので、

年経れば よはひは老いぬ しかはあれど 花をし見れば 物思ひもなし
(年が経ったから 老いてしまった でも花を見ると
なんの物思いもない)

 という歌を、わたしは「花をし見れば」のところを「君をし見れば」に書きかえたけれど、中宮様はそれを見比べられて、
「ただそれぞれの機転が知りたかったの」
 とおっしゃるついでに、
「円融院の御代に、帝が、
『この冊子に歌を一つ書け』
 と殿上人におっしゃったので、ひどく書きにくくて、お断りする人々もいたが、
『字が上手だとか下手だとか、歌が季節に合ってなくてもいいことにしよう』
 とおっしゃったので、困ってみんなが書いた中に、今の関白殿が、三位の中将と申し上げた時に、

しほの満つ いつもの浦の いつもいつも 君をば深く
思ふはやわが
(潮の満ちて来る いつもの浦のように いつもいつも あなたを深く思っているわたしは)」
 
 という歌の末の句を、
『頼むはやわが』
 とお書きになったのを、 ものすごく誉められたの」
 などとおっしゃるのも、むやみに汗が流れるような気がする。年の若い人なら、やはり、とてもこんなふうには書き変えられないように思われる。普段はとても上手に書く人も、情けないことに皆気後れがして、書き汚したりした人もいる。
 『古今集』の綴じ本を中宮様は御前に置かれて、いろいろな歌の上の句をおっしゃって、
「この下の句はなに」
 とお尋ねになるのに、 夜も昼も気になって覚えている歌もあるのに、すらすらと口に出して申しあげられないのは、どうしてなのか。宰相の君がやっと十首ほど。 それも覚えているとは言えないが、まして五首、六首などは、ただ覚えてないことを申しあげるべきだが、
「そんなにそっけなく、お尋ねになった甲斐がないことをするのは」
 とがっかりして、残念がるのも面白い。
「知っている」
と言う人がいない歌は、そのまま全部読み続けて竹の栞を挟まれるのを、
「これは知っている歌だわ。どうしてこんなに頭が悪いのかしら」
 とため息をつく。その中でも『古今集』をたくさん書き写したりしている人は、 全部覚えているはずなのだが。
中宮様が、
「村上天皇の御代に、宣耀殿(せんようでん)の女御と申しあげたのは小一条の左大臣殿のお嬢様だと、知らない人は誰もいないでしょう。まだ姫君と申しあげていた時に、父の大臣が教えられたことは、
『第一に習字をなさい。次には琴(きん)の琴を、人より上手に弾こうと思いなさい。それから古今集の歌二十巻を全部暗記できるように学問にしなさい』
 ということで、左大臣がそう姫君に申しあげたのを、帝は以前に聞いていらっしゃって、宮中の物忌の日に、『古今集』を持って女御の部屋にお越しになり、几帳を引いて女御との間を隔てられたので、女御は、
〈いつもと違って変ね〉
 と思われたが、帝は古今集の綴じ本を開かれて、
『なんの月の、なんの時に、誰かが詠んだ歌は、なんという歌か』
 とお尋ねになるので、女御は、
〈几帳で隔てられたのは、こういうことだったのか〉
 と理解なさって、
〈おもしろい〉
 と思われるものの、
〈間違って覚えていたり、忘れているところがあったら、大変なこと〉
 とむやみに心配されたに違いない。帝は、歌の方面に疎くない女房を二、三人ほど呼ばれて、間違った歌は碁石を置いて数えることにして、女御に無理にお返事をおさせになった時など、どんなに素晴らしく面白かったことだろう。御前にお仕えしていた人までも、羨ましい。帝が強いてお尋ねになるので、利口ぶってそのまま終わりの句まではおっしゃらないけれど、女御のお答えはすべて少しも違ってはいなかった。帝は、
〈なんとかして、やはり少し間違いを見つけてから終わりにしよう〉
 と腹立たしいほどに思われたが、十巻にもなった。
『まったく無駄だったな』
 とおっしゃり、綴じ本に栞をはさんで、おやすみになったのも、また立派である。長い時間が経ってからお起きになったが、
『やはり、この勝負がつかないで止めてしまうのは、非常によくないな』
 とおっしゃって、下巻の十巻を、
『明日になったら、別の本で調べられるから』
 ということで、
『今日決着をつけよう』
と、灯火をつけられて、夜が更けるまで読まされた。だが女御は、ついに負けることなく終わってしまった。
『帝が女御のお部屋にお越しになって、こういうことが』
 と、女御の父の左大臣殿に人を遣わして知らされると、父君は大変心配してお大騒ぎなさって、誦経などたくさんさせられて、内裏の方に向かってお祈りをしてお過ごしになった。風流で情の深いことね」
 などとお話になるのを、帝もお聞きになって感心なさる。
「わたしは三巻、四巻でさえ、最後まで読めないな」
 とおっしゃる。
「昔はつまらない人でも、みな面白味があった。この頃はこういう話は聞かないわね」
 などと、帝にお仕えする女房で、こちらに伺うのを許された人がやって来て、口々に話したりしている時は、本当に少しも心配することがなく素晴らしく思われる。
第二十一段
 将来の望みもなく、生真面目に、見かけだけの幸福などを夢に見ているような人は、うっとうしく軽蔑したく思われて、やはり、相当な身分の人の娘などは、宮仕えをさせて、世の中の様子を見せて慣れさせて、典侍(ないしのすけ)などでしばらくお仕えさせたいと思われる。
 宮仕えする人を、軽薄で悪いこと、と言ったり思ったりしている男は本当に憎らしい。だが男がそう思うのもなるほどもっともなことだ。宮仕えすれば、口にするのも恐れ多い帝をはじめとして、上達部、殿上人、五位、四位は言うまでもなく、顔を合わせない人は少ないだろう。女房の従者、長女(おさめ/雑用係)、御廁人(みかわようど/便所掃除)の従者、礫瓦(たびしがわら/身分の低い者)といった者まで、宮仕えする人が恥ずかしがって隠れたりしたことが、いつあっただろう。男の方たちは、宮仕えする女ほどいろいろな人に会うことはないだろう。だが宮中にお仕えしている限りは、やはりいろいろな人に会うのは同じだろう。
「○○の上」
 などと言って、大切にするのに、宮仕えをしたから奥ゆかしくないと思われるのは、もっともだが、それでも宮中の典侍(ないしのすけ)などと言って、時々参内して賀茂祭の使いなどで行列に加わったりするのも、実に名誉なことである。
 宮仕えした後で家庭におさまっているのは、なおさら素晴らしい。受領が五節(ごせち)の舞姫をさし出す時などに、北の方が宮仕えした人なら、ひどく田舎臭くて、言い方がわからないことなどを人に尋ねたりはしない。奥ゆかしいものだ。
第二十二段
 興ざめなもの。
 昼に吠える犬。時期ではない春にしかけてある網代。三、四月に着る紅梅の着物。牛が死んだ牛飼。赤ん坊が亡くなった産屋。火をおこさない角火鉢、囲炉裏。博士が女の子ばかり生ませているの。方違えに行ったのに、もてなしてくれない所。ましてそれが節分の時だったら、本当に興ざめ。地方から送ってきた手紙の贈り物がついてないの。京からの手紙も相手はそう思うかもしれない、でも、それは知りたいことを書き集め、世間の出来事などを聞けるのだから手紙だけで十分。人のところに特にきれいに書いて送った手紙の返事を、
〈今はもう持って帰ってるだろう、妙に遅い〉
 と、待っていると、渡した手紙を、正式の書状でも略式の結び文でも、ひどく汚ならしく扱って、けばだたせて、結び目の上に引いた墨なども消えて、
「いらっしゃいませんでした」
 とか、あるいは、
「物忌みで受け取ってくれません」
 と言って持って帰ってきたのは、ひどくがっかりして興ざめである。また、必ず来るはずの人の所に車を迎えにやって待っていると、来る音がするので、
「来たみたい」
 と、人々が出ていって見ると、車を車庫に引き入れて、轅(ながえ)をぽんと打ち下ろすので、
「どうしたの」
 と尋ねると、
「今日はよそにお出かけというので、お越しになりません」
 などとぼそっと言って、牛だけをはずして行ってしまうの。また、家に迎えている婿君が来なくなったのは、ひどく興ざめ。相当な身分で宮仕えする女に婿を取られて、
〈恥ずかしい〉
 と思っているのも、ひどくつまらない。  
 赤ん坊の乳母が、
「ほんのちょっと」
 と言って出かけたので、なんとかあやして、
「早く帰って来て」
 と言ってやったのに、
「今夜は帰れません」
 と、返事をしてくるのは、興ざめどころか、とても憎らしく耐えがたい。女を迎える男なら、なおさらどんな気がするだろう。
 待っている人がいる女の家で、夜が少し更けてから、そっと門を叩くので、胸が少しどきりとして、人をやって尋ねさせると、別のつまらない男が名乗って来たというのは、まったく興ざめなどという言葉ではとても言い尽くせない。
 修験者が、物の怪を調伏(ちょうぶく)しようと、大変得意顔で、独鈷(とこ)や数珠などを持たせて、蝉のような声をしぼり出して経を読んで座っているけれど、物の怪は少しも去る様子もなく、護法童子もよりましにつかないので、家の者が集まって祈っていて、男も女も、
〈変だな〉
 と思っているのに、修験者は二時間も読み続けて疲れて、
「まったくつかない。立ってしまえ」
 と言って、よりましから数珠を取り返して、
「ああ、全然効験がないな」
 と言って、額から上に頭を撫で上げてあくびをして、じぶんから先に物に寄りかかって寝てしまうの。
〈たまらなく眠い〉
 と思っているのに、それほど親しいとも思えない人が、揺り起こして無理に話しかけてくるのは、本当に興ざめ。
 除目(じもく/官吏任命式)で官職を得ることができなかった人の家。
「今年は必ず」
 と聞いて、以前仕えていた者たちで、あちこちよそに行った者や、田舎めいた所に住む者たちが、皆集まって来て、出入りする牛車の轅に隙間がないほどで、任官祈願の参詣のお供に、
「わたしも、わたしも」
 とついて行き、ご馳走を食べたり酒を飲んだり、大騒ぎしているのに、除目が終わる三日目の夜明けになっても門を叩く音もしない。
〈おかしいな〉
 などと、耳をすまして聞くと、先払いの声などがして、上達部などみな宮中を退出してしまわれた。除目の様子を聞くために出かけて、前夜から寒がって震えていた下男が、とても憂鬱そうに歩いて来るのを、見る者たちは、
「どうだった」
  と尋ねることさえできない。よそから来た者などが、
「殿は何になられたのですか」
 などと尋ねると、
「何々の国の前の国司ですよ」
 などと必ず答える。本当に頼りにしていた者は、
〈あまりにも情けない〉
 と思っている。翌朝になって、隙間なくいた者たちも、一人、二人とすべるように出て行く。古くから仕えている者たちで、そうあっさりと離れることのできない者は、来年の国司交替がある国々を指折り数えたりして、殿が任官できるかどうか不安そうに歩き回っているのも、おかしくてならない。まさに興ざめである。
〈まあまあ良く詠めたな〉
 と思う歌を、ある人に送ったのに、返歌をしないの。恋をしている人なら返歌が来なくても仕方がないが。でもそれだって、季節の風情がある時に贈った手紙に返歌をしないのは、
〈思っていたより劣った人〉
 と思ってしまう。また、忙しく時勢にあって栄えている人のところに、時代遅れの古めかしい人が、じぶんはすることもなく暇だから、昔を思い出してどうということのない歌を詠んで寄越したの。
 儀式用の扇を、
〈特別なんだから〉
 と思って、情趣がわかる人に渡しておいたのに、その日になって、思いもしない絵など描いて渡されたの。
 出産の祝宴や、旅立ちの餞別などの使いに、ご祝儀を与えないの。ちょっとした薬玉や卯槌などを持って歩く者などにも、やはり必ず与えるべきである。思いもしなかったのにもらったのは、
〈使いのしがいがあった〉
 と思うにちがいない。
〈これは必ず祝儀がもらえる使い〉
 と思って、わくわくして行ったのにもらえなかったのは、特に興ざめね。
 婿を迎えて、四、五年も産屋の騒ぎをしない家も、ものすごく興ざめ。成人した子供がたくさんいて、最悪の場合、孫なども這い回っていそうな年輩の親同士が昼寝しているの。そばにいる子供の気持ちとしても、親が昼寝している間は、頼ることができなくて興ざめなの。大晦日の夜、寝て起きてすぐに浴びる湯は、興ざめどころか腹立たしいほどである。大晦日の長雨。こういうのを、
「一日ほどの精進潔斎」
 と言うのだろう。  
第二十三段
 気がゆるむもの。精進の日のお勤め。先の長い準備。寺に長い間籠っているの。
第二十四段
 人にばかにされるもの。土塀の崩れ。あまりにもお人好しと人に知られた人。
第二十五段
 憎らしいもの。急用のある時にやって来て、長話をする客。遠慮がいらない人なら、
「あとで」
 とでも言って帰せるけれど、気後れする立派な人だと、ひどく憎らしく面倒だ。
 硯に髪の毛が入ってすられているの。また、墨の中に石が交じっていて、するときしきしときしんで鳴っているの。
 急に病人が出たので、祈らせようと修験者を探すと、いつもいる所にはいないので、別の所を探していると、待ち遠しいほど長い時間が経ち、やっとのことで待ち迎えて、喜びながら加持をさせると、この頃物の怪にかかわって疲れきってしまったのか、座るやいなや読経が眠り声なのは、ひどく憎らしい。
 たいしたこともない平凡な人が、やたらとにこにこして盛んに喋っているの。火鉢の火や囲炉裏などに、手のひらをひっくり返しひっくり返し、手を押しのばしたりして、あぶっている者。いったいいつ若い人などが、そんな見苦しいことをしたのだろうか。年寄りじみた人に限って、火鉢のふちに足まで持ち上げて、話をしながら足をこすったりなどするようだ。そういう無作法者は、人の所にやって来て、座ろうとする所を、まず扇であちこち扇ぎ散らして塵を掃き捨て、座る所も定まらないでふらふらして、狩衣の前を膝の下に巻き込んで座るようだ。こういうことは、取るに足りない身分の者がすることだと思うが、まずまずの身分の、式部の大夫などと言った人がしたのだ。
 また、酒を飲んでわめき、口中をまさぐり、髭のある者はそれを撫で、盃をほかの人に押しつける様子は、ひどく憎らしく見える。
「もっと飲め」
 と言ってるのだろう。体を震わせて、頭を振り、口の端まで垂れ下げて、子供たちが、
「こう殿にまいりて(不明の俗謡)」
 などを歌う時のような格好をする。それはよりによって、本当に身分の高い人がなさったのを見たので、
〈気にくわない〉
 と思うのである。
 なにかと人のことを羨ましがり、じぶんの身の上を嘆き、他人の身の上をあれこれ言い、ちょっとしたことでも知りたがり聞きたがって、話して知らせないと恨んで悪口を言い、また、ほんの少し聞いたことを、じぶんが元から知っていたるように、別の人にも調子に乗って話すのも、ひどく憎らしい。
 なにか聞こうと思う時に泣く赤ん坊。烏が集まって飛びまわり騒がしく鳴いているの。忍んで来る人知ってて吠える犬。
 無理な場所に隠して寝かせておいた男が、いびきをかいているの。また、忍んで来る場所に、長烏帽子をかぶって来て、それでも人に見られないように慌てて入る時に、何かに烏帽子があたって、がさっと音を立てたの。伊予簾(いよす)などが掛けてあるのに、くぐって入る時に頭があたって、さらさらと音を立てたのも、ひどく憎らしい。帽額(もこう/御簾の上部に横に長くつけた布)の簾は、まして持ち上げた木端(こわじ/簾を巻き上げるしんにする細長い薄板)を下に置く音が、はっきりと響く。それだって端を静かに引き上げて入れば、まったく音はしない。遣戸(引き戸)を荒々しく開けたりするのも、とても見苦しい。少し持ち上げるようにして開ければ、鳴りはしないのに。下手に開けると、襖などもごとごと音がするのが際立って聞こえる。
〈眠たい〉
 と思って横になっているのに、蚊が細いかすかな声で寂しそうにぶーんとうなって、顔のあたりに飛びまわるの。羽風まで蚊の体相応にあるのがひどく憎らしい。
 ぎしぎしと鳴る牛車に乗って出歩く人。
〈耳が聞こえないのか〉
 と、ひどく憎い。じぶんが乗っている時は、その車の持ち主さえ憎らしい。
 また、話をしてる時に、出しゃばって、じぶん一人先回りする者。すべて出しゃばりは子供も大人もひどく憎い。
 ちょっと遊びに来た子どもや幼児を目をかけて可愛がって、おもしろい物を与えるうちに慣れて、いつもやって来て座り込んで、道具を散らかしてしまうのは、ひどく憎い。
 家でも宮仕えしている所でも、
〈会わないことにしよう〉
 と思う人が来たので、寝たふりをしているのを、わたしが使っている者が、起こしに寄って来て、寝坊だと思っているような顔つきで揺すったのは、ひどく憎らしい。
 新しく仕えた人が古い人をさしおいて、物知り顔で教えるようなことを言って、世話を焼いているのは、ひどく憎い。
 今の恋人が、以前に関係した女のことを誉めたりするのも、ずいぶん前のことでも、やはり憎らしい。ましてその関係が今のことなら、その憎らしさは思いやられる。でも、それほどでもないような場合もあるようだ。
 くしゃみをしてまじないを唱えるの。だいたい、一家の主人でないのが、音高くくしゃみをするのは、ひどく憎らしい。
 蚤(のみ)もひどく憎らしい。着物の下で踊りまわって、着物を持ち上げるようにする。犬が声を合わせて、長々と吠えているのは、不吉な感じがするほど憎らしい。
 開けて出入りする戸を閉めない人は、すごく憎らしい。
第二十六段
 胸がどきどきするもの。雀(すずめ)の子を飼うの。赤ん坊を遊ばせている所の前を通るの。上等の香をたいて一人で横になっているの。唐鏡が少し曇っているのを見ている時。身分の高い男、牛車を止めて、従者に取り次ぎを頼み何かを尋ねさせているの。頭を洗い化粧をして、香がよく染みている着物など着ているの。その場合、別に見る人がいない所でも、心の中は、やはりとても快い。男が来るのを待っている夜、雨の音や、風が吹いて音がするのも、ふと胸がどきどきしてしまう。
第二十七段
 過ぎ去ったころが恋しいもの。枯れている葵。人形遊びの道具。二藍染や葡萄染などの布の切れ端が押しつぶされて、綴じ本の中などにあったのを見つけたの。また、時機が時機だったのでしみじみと心を動かされた人からの手紙を、雨などが降って退屈な日に、探し出した時。去年使った夏の扇。
第二十八段
 心が晴れ晴れするもの。上手に描いてある女絵の、説明の言葉をおもしろくたくさん書いてあるの。見物の帰りに、女房たちが着物の袖口がはみ出るほど牛車にいっぱい乗って、お供の男たちが大勢付き添って、牛を上手にあやつる者が、車を走らせているの。白くてきれいな陸奥紙(みちのくにがみ/厚手の和紙)に、とてもとても細く書けそうにもない筆で、手紙を書いたの。美しい糸の灰汁煮たのを、よりあわせて束ねたもの。調半(ちょうばみ/二つの賽を振って、同じ目を出すことを競う遊び。同じ目が出るのを「調」、異なるのを「半」)の遊びで「調」をたくさん打ち出したの。雄弁な陰陽師に頼んで、河原に出て、呪詛の祓えをしたの。夜、寝起きに飲む水。退屈な時に、そんなに仲がいいというわけでもない客が来て、世間話を、この頃の出来事のおもしろいのも憎らしいのも不思議なものも、あれこれについて、公私ともに不明瞭でなく、聞き苦しくない程度に話したのは、とても心が晴れ晴れする気がする。神社やお寺にお参りして、願事を祈ってもらうのに、寺では僧侶、神社では神官などが、はっきりとさわやかに、思っていた以上に、よどみなく聞きやすく願いを申し述べたの。
第二十九段
 檳榔毛の車は、ゆっくり進ませているのがいい。急いでいるのはみっともなく見える。網代車は、走らせたのがいい。人の家の門の前などを通って行くのを、ふと見る間もなく通り過ぎて、供の人だけが後から走るのを、
〈誰なのだろう〉
 と思ったりするのはおもしろい。網代車がゆっくりと時間をかけて通るのは、ひどくみっともない。
第三十段
 説教の講師は、顔がいいのがいい。講師の顔をじっと見つめていればこそ、その人の説教の尊さも自然と感じられる。そうでないとよそ見して、すぐに忘れてしまうので、顔の悪い講師の説教を聞くのは、
〈罪を犯しているのではないか〉
 と思われる。でも、このことは書かないほうが。もう少し年が若い頃は、このような罪になるようなことも書いただろうが、今は仏罰が非常に恐ろしい。
 また、
「尊いことだ、信仰心が厚い」
 と言って、説教をする所はどこでも、真っ先に行って座り込んでいる人は、やはりわたしのような罪深い心には、
〈それほどしなくてもいいのに〉
 と思われる。
 蔵人などは、昔は前駆などはしないで、辞めた年くらいは、遠慮して宮中あたりには、影も見えなかった。今はそうでもないようだ。「蔵人の五位」と呼んで、そういう人を頻繁に使うけれど、やはり辞めた後は退屈で、当人としては暇があるような気がするから、そういう説教をする所で、一、二度聞きはじめてしまうと、いつもお参りしたくなって、夏などのひどく暑い時でも直衣の下の帷子をはっきりと透かせて、薄い二藍、青鈍の指貫などを、踏みつけて座っているようだ。烏帽子に物忌みの札をつけているのは、謹慎しなければならない日だが、
〈説教を聴くという功徳のためには外出も差し障りがない〉
 と見られたいからだろうか。その説教がある僧侶と話をして、聴聞に来た女車を立てる世話までして、なにかと場馴れしているようだ。長い間会わないでいた人が、参詣に来たのを珍しがって、近寄って座り、話をして、うなずき、おもしろいことなど話し出して、扇を広く広げて、口に当てて笑い、装飾してある数珠をまさぐり、あちこち見たりして、車の良し悪しを誉めたり貶したり、どこかで誰かが行った法華八講、経供養をしたこと、こういうこと、ああいうことを比較して、この説教のことは聞こうともしない。いや、なに、いつも聞き慣れているから、珍しくもないのだろう。
 そういう蔵人の五位のような者ではなく、講師が座ってしばらくしてから、先払いを少しだけさせて牛車を止めて降りて来た貴公子は、蟬の羽よりも軽そうな直衣や指貫、生絹(すずし)の単衣などを着ている人も、狩衣姿である人も、そういう軽快な服装で若くほっそりしているのは三、四人ほどで、それにお供の者がそれくらいの人数で入って来るので、前から座っていた人々も、少し体を動かして隙間をあけ、高座にすぐ近い柱の所に座らせると、かすかに数珠を押しもんだりして、説教を聞いて座っているのを、講師も晴れがましく思っていることだろう、
〈なんとかして後々まで語り伝えられるほどに〉
と説き始めるようだ。貴公子たちは、説教を聴くといって倒れて騒いだり額をつけて礼拝するようなことはなく、ちょうどよい時に座を立って出て行くと、女車の方などを見て、仲間同士で話すことも、
〈どんなことだろう〉
 と思われる。貴公子を見て知っている人は、
〈おもしろい〉
 と思い、知らない人は、
〈誰だろう、あの人かしら〉
 などと想像して、注目して見るので自然と見送るようになるのはおもしろい。
「あそこで説教をした」
「八講があった」
 などと人が伝えると、
「あの人はいたか」
「いないはずがないだろう」
 などと、いつも決まって言われるのは、あまりにも行き過ぎだ。でも、まったく顔を出さないのもどうだろう。身分の低い女だって熱心に聞くというのに。だからといって、説教の最初の頃は、出歩く人はいなかった。たまには壺装束などして、優雅にお化粧していたようだが、それは説教を聴くだけでなく参詣などもしたからだ。そういう装束で、説教などに出かける話は、そう多くは聞かなかった。その頃説教に出かけた人が、長生きして今の様子を見たとしたら、どんなに悪口を言い非難することだろう。
第三十一段
 菩提という寺で、結縁(けちえん/仏と縁を結ぶ)の八講をするので参詣したのに、ある人から、
「すぐに帰って来てください。とても寂しい」
 と言ってきたので、蓮の葉の裏に、

もとめても かかる蓮の 露をおきて 憂き世にまたは 帰るものかは
(望んでも濡れたい蓮の露を捨てて どうして嫌な俗世に二度と帰るものですか)

 と書いて送った。本当に、とても尊くしみじみて心打たれたので、そのままお寺にいたいと思ったから、湘中(そうちゅう)の家族の人のじれったさも忘れてしまいそう。
※湘中(『列仙伝』の湘中のこと。書を読みふけって家に帰る道を忘れたという故事)
第三十ニ段
 小白川(こしらかわ)という所は、小一条の大将藤原済時(なりとき)殿のお邸である。そこで上達部が、結縁の法華八講をなさる。世の中の人は、とても素晴らしいというので、
「遅く来るような牛車は、立てることができない」
 と言うので、朝露が置くとともに起きて行くと、なるほど隙間がなかった。轅の上に、後の車の車台を重ねて、車三台くらいはお説教の声も少しは聞こえるだろう。六月十日過ぎで、暑いことといったら例がないほど。池の蓮を見るだけで、とても涼しい気がする。
 左右の大臣たちのほかには、お越しにならない上達部はいない。二藍の指貫、直衣、薄青色の帷子などを透かしていらっしゃる。少しお年のお方は、青鈍の指貫に白い袴というのも、とても涼しそうである。藤原佐理(すけまさ/三蹟の一人)の宰相なども、みな若々しく、すべて尊いことは限りなく、素晴らしい見物である。廂の間の御簾を高く上げて、下長押の上に、上達部は奥を向いて、長々と並んで座っていらっしゃる。その次の座には殿上人、若い君達(きんだち)が、狩装束、直衣などもとても風情があり、じっと座っていないで、あちこち歩き回っているのも、とてもおもしろい。実方(さねかた)の兵衛佐(ひょうえのすけ)、長命の侍従などは、小一条の一門の方なので、多少は出入りに慣れている。まだ元服前の君たちなども、とても可愛らしい様子でいらっしゃる。
 少し日が高くなった頃に、三位中将とは今の関白殿(藤原道隆)をそう申し上げたのだが、その三位中将が、唐綾の薄物の二藍色の直衣、二藍の織物の指貫、濃い蘇芳色の下袴に、糊張りした白絹の単衣のとても鮮やかなのをお召しになって、歩いて入っていらっしゃるのは、あれほど軽やかで涼しそうな方々の中で、暑苦しい感じがするはずなのに、実にご立派なお姿に見える。朴(ほお)、塗骨(ぬりぼね)など、扇の骨は違うけれど、皆が同じ赤い紙の扇を使って持っていらっしゃるのは、撫子がいっぱい咲いているのに、とてもよく似ている。
 まだ講師も高座にのぼらないうちは、懸盤(お膳)を出して、何だろう、なにかを召し上がっているようだ。義懐(よしちか)の中納言のご様子が、いつもより勝っていらっしゃるのはこの上ない。色合いが華やかで、とてもつやがあり鮮やかなので、どれがどうと優劣がつけがたい貴人たちの中にあって、この人はただ直衣一つを着ているといったすっきりしたお姿で、絶えず女車の方を見ながら、話などをしていらっしゃる。
〈素敵だな〉
 と思わない人はいなかっただろう。
 後から来た女車が、隙間もなかったので、池の方に寄せて立っているのを、中納言はご覧になって、実方の君に、
「口上をふさわしく伝えられそうな者を一人」
 と呼ばれると、どういう人なのだろう、実方の君が選んで連れていらっしゃった。
「どう言ったらいい」
 と、中納言の近くにいる方たちでご相談なさって、お伝えなさる言葉は聞こえない。使いの者が大変気を使って、女車の方へ歩いて近寄って行くのを、心配しながらも、一方ではお笑いになる。車の後ろの方に寄って言っているようだ。長い間立っているので、
「歌でも詠むのだろうか。兵衛佐、返歌を考えておけ」
 などと笑って、
〈早く返事を聞きたい〉
 と、そこにいる人全員、年をとった人、上達部までが、みなそちらの方を見ていらっしゃる。実際外で立っている人まで見ていたのも、おもしろかった。
 返事を聞いたのだろうか。使いの者がこちらに少し歩いて来たところで、女車から扇を差し出して呼びもどすので、わたしは、
〈歌などの言葉を言い間違えた時にはこのように呼びもどすだろうが、あれほど待たせて時間をかけて出来た歌は、直すべきではないのに〉
 と思った。使いが近くに来るのも待ち遠しく、
「どうだった、どうだった」
 と、誰もがお尋ねになる。使いはすぐには言わないで、権中納言がおっしゃったことだから、そこへ行ってもったいぶって言う。三位中将が、
「早く言え。あまり趣向を凝らし過ぎて、間違えるな」
 とおっしゃると、
「この返事もまるで同じようなものです」
 と言うのは聞こえる。藤大納言(とうだいなごん)は、人より特に覗いて見て、
「どう言っていた」
 とおっしゃったようで、三位中将が、
「とても真っ直ぐな木を押し曲げたようです」
 と言われると、藤大納言はお笑いになるので、みなが何となく笑う声が、女車の人に聞こえたのだろうか。
 中納言は、
「それで、呼びもどさなかった前は、どう言ったのだ。これが直した返事か」
   とお尋ねになると、
「長い間立っていましたが、なんの返事もありませんので、
『それでは、帰ることにします』
 と言って、帰ろうとしたのに、呼ばれたので」
 などと申し上げる。
「誰の車だろう。ご存じですか」
 などと不思議がられて、
「さあ、歌を詠んで、今度は贈ろう」
 などとおっしゃっているうちに、講師が高座にあがったので、みな静かになって、講師の方ばかりを見ているうちに、女車はかき消すようにいなくなってしまった。車の下簾などは、今日使い始めたばかりに見えて、濃い紫の単襲に、二藍の織物、蘇芳の薄物の表着(うわぎ)などの服装で、車の後ろにも、模様を摺り 出してある裳を、広げたまま垂らしたりなどしているのは、
〈誰だろう。返事だって、不十分な返事をするより、あのようなのが〉
 と思われて、
〈かえってとてもよい応対だ〉
 と思われる。
 朝座の講師清範(せいはん)は、高座の上も光が満ちている気がして、とても素晴らしい。暑さでつらい上に、やりかけの仕事を、今日中にしなければならないのをそのままにして、
〈ほんの少し聞いて帰ろう〉
 と決めていたのに、次から次へて集まってきた牛車なので、出るにも出られない。
〈朝の説教が終わったら、やはりなんとかして出よう〉
 と思って、後ろの車にこのことを伝えると、高座の近くに行けるのが嬉しいのだろう、すぐに車を引き出して場所をあけて私の車を出してくれるのをご覧になって、うるさいほどに年寄りの上達部までが笑って非難するのを、聞きもしない答えもしないで、無理に窮屈な思いをして出て来ると、権中納言が、
「やあ、
『退クモ亦佳シ(しりぞくもまたよし/法華経:方便品)だな」』
※釈迦が法を説こうとした時、悟りを得たと思って五千人が座を立って退いた時の釈迦の言葉』
 と言って、笑っていらっしゃるのは素晴らしい。だがそれも聞いただけで、暑さに慌てて出て来たので、使いを通して、
「五千人の中にお入りにならないことはないでしょう」
 と申し上げて帰って来た。
 八講の初日から、そのまま終わる日まで立ててある車があったが、人が近寄って来るとも思われないで、まったく呆れるほど絵などのように動かないで過ごしたので、
「珍しく、素晴らしく、奥ゆかしく、どんな人なのだろう。なんとかして知りたい」
 と中納言がお探しになったのを聞かれて、藤大納言などは、
「何が素晴らしいのだ。ひどく無愛想で、無気味な者だろう」
 とおっしゃったのがおもしろかった。
 そうしてその月の二十日過ぎに中納言が法師になってしまわれたのは、しみじみと心に染みた。桜などが散ってしまうのも、これに比べれば普通のことだろう。
「置くを待つ間の(白露の 置くを待つ間の 朝顔は 見ずぞなかなか あるべかりける/白露が置いてわずかな時間で消える朝顔なんてかえって見ないほうがいい)」
 とさえ言えないほどご立派なお姿に中納言は見えたものだ。
※寛和二年(986)六月二十四日、前日の花山院の出家を追って中納言義懐は出家した。
第三十三段
 七月頃は、大変暑いので、いろいろな所を開けたままで、夜も明かすのだが、月のある頃は、寝て目を覚まして外を見ると、とても素敵。闇夜もまた素敵。有明の素晴らしさは言うのも愚かだ。
 とても艶のある板敷きの間の端近くに、真新しい畳を一枚敷いて、三尺の几帳を奥の方に押しのけてあるのは無意味だ。端近くに立てるべきである。奥の方が気になるのだろうか。男は出ていったのだろう。女は、薄い紫色の衣の裏がとても濃くて、表面は少し色が褪せているのか、それとも濃い綾織の艶々した、糊気の落ちていないのを、頭ごとかぶって寝ている。その下には、丁子染めの単衣か、黄
生絹(きすずし)の単衣で、紅色の単衣袴の腰ひもがとても長く、着物の下から伸びているのも、まだ男と寝たときに解いたままなのだろう。外の方に、女の髪の毛が重なりあってゆったりと出ている様子から、長さが自然と推測されるのだが、そこへ二藍色の指貫に、色があるかないかわからない丁子染めの狩衣を着て、白い生絹の単衣に、下の紅色が透けて見えるのだろう、艶やかなのが、霧でひどく湿ったのを脱いで、鬢が少しぼさぼさになっているので、烏帽子に無理に押し込んでいる様子もだらしなく見える。
〈朝顔の露が落ちない前に、後朝(きぬぎぬ)の手紙を書こう〉
 と思って、道中も不安で、
「桜麻(さくらお)の 麻生(おう)の下草 露しあらば 明かしてゆかむ 親は知るとも/麻の下草が朝露だらけで足元が濡れたので 彼女の所に行って泊まろう 親に知られてもいい『古今六帖』」
 などと歌を口ずさみながら、じぶんの家に帰る時に、女の部屋の格子が上がっているので、御簾の端をちょっと開けて見ると、起きて帰った男のこともおもしろく、朝露も感慨深いのだろうか。端に立っていると、女の枕元の方に、朴の木の骨に紫の紙の貼ってある夏扇が広げたままである。陸奥紙の懐紙の細いのが、はなだ色か紅の色か、少し色艶のあるのが、几帳のそばに散らばっている。
 人の気配がするので、女はかぶっている着物の中から見ると、男がにやにやして、下長押に寄りかかって座っている。遠慮するような相手ではないが、かといって親しくしようという気持ちもないので、
〈しゃくだわ、見られてしまった〉
 と思う。男が、
「格別に名残惜しい朝寝ですね」
 と言って、御簾の中に体半分入って来るので、女は、
「露が置くより先に帰った人が気にくわないから」
 と言う。おもしろいことだと特別に取り上げて書くほどのことではないけれど、こんなふうに男女があれこれ言い合っている様子は悪くはない。男が枕元にある扇を、じぶんの扇で、前かがみになって引き寄せるのを、女は、
〈あまりにも近くに寄ってくる〉
 と胸がどきどきして、体を奥の方に引っ込める。男は扇を取って眺めたりして、
「よそよしく思っていらっしゃる」
 などと、それとなく言い恨んだりしているうちに、明るくなって、人々の声がして日も射してくるだろう。朝霧の晴れ間が見えるようになって、急いでいた後朝の手紙が遅くなったのが気がかりだ。先に帰った男も、いつの間に書いたのか、萩の露が置いたまま折ってある枝につけて使いが持って来ているが、差し出すことができない。とても香り高くたきしめた香の紙の匂いが、とても風情がある。あまり明るくなって体裁が悪い時刻になるので、男は立って出ていくが、
〈じぶんが起きてきた女のところもこんなふうだろうか〉
 と、想像するのも、男にとってはおもしろいことだろう。
第三十四段
木の花は、濃いのも薄いのも、紅梅。桜は、花びらが大きくて、葉の色が濃いのが、枝は細くて咲いているの。
 藤の花は、しなやかに垂れている花房が長く、色が濃く咲いているのが、とても素晴らしい。
 四月の末か、五月の始め頃、橘の葉が濃く青いところに、花がとても白く咲いているのが、雨が降っている早朝などは、世にまたとないほど風情がある様子で趣がある。花の中から黄金の玉のように見えて、とても鮮やかに実が見えているのは、朝露に濡れている夜明けの桜に劣らない。ほととぎすが寄って来る花橘だと思うからだろうか、やはり改めて言う必要がないほど素晴らしい。梨の花は、世間では興ざめなものとして、身近に扱ったりしないで、ちょっとした手紙を結んだりもしない。可愛らしくない人の顔を見て、例えて言うのも、なるほど葉の色からして調和がとれてないように見えるのだが、唐土ではこの上ないものとして、漢詩にもするのだから、
〈そうは言ってもなにかわけがあるだろう〉
 と思って、強いて見ると、花びらの端に美しい色艶がほんのちょっとついているようだ。楊貴妃が玄宗皇帝の使者に会って、泣いた顔に例えて、
〈「梨花一枝、春、雨を帯びたり(春雨に濡れる一枝の梨の花)」
 などと言ったのは、並み一通りではない〉
 と思うと、
〈やはりとてもすばらしいのは、類いがない〉
 と思われる。 
 桐の木の花は、紫色に咲いているのは、やはり風情があるが、葉の広がり方が異様でおおげさだが、ほかの木々と同じに論じてよいものではない。唐土では名のある鳥(鳳凰)が、この木だけを選んで止まるというのは、大変特別な感じがする。まして木材を琴に作って、いろいろな音が出てくるのは、
「素敵」
 などと、世間並みの言葉で言えるはずがない。非常に素晴らしいのだ。
 木の格好はよくないけれど、楝の花(おうち/栴檀)は、とても素敵。ほかの木とは離れて咲いて、必ず五月五日の節句に合わせて咲くのもおもしろい。
第三十五段
 池は、勝間田(かつまた)の池。盤余(いわれ)の池。贄野(にえの)の池は、長谷寺に参詣した時に、水鳥が隙間もなく池にいて騒いでいたのが、とてもおもしろく見えた。水なしの池とあるので、
〈不思議だな、どうしてこんな名前をつけたのだろう〉
 と思って尋ねたら、
「五月など、だいたい雨が例年より多く降るような年は、この池に水というものがなくなるのです。逆にひどく照りつけるはずの年は、春の始めに水がたくさん涌き出るのです」
 と言ったから、
〈まったく水がなくて乾いているなら水なしと言ってもいいけれど、水が涌き出る時もあるのに、一方的につけたものね〉
 と言いたかった。猿沢の池は、采女(うねめ)が見投げしたのを帝がお聞きになって、行幸などされたというのが、大変素晴らしい。
「寝くたれ髪を(わぎもこが 寝くたれ髪を 猿沢の 池の玉藻と 見るぞかなしき/猿沢の池に浮かぶ水草を見ていると 愛しい人の寝乱れた髪を思い出して悲しい)」
 と、柿本人麻呂が詠んだことなどを思うと、その素晴らしさは言うまでもない。御前の池は、
〈どういうつもりで「おまえの池」なんてつけたの〉
 と知りたくなる。かみ(上か神か)の池。狭山の池は、
「三稜草(恋すてふ 狭山の池の 三稜草 こそ退けば絶えすれ われは根絶ゆる/狭山の池の三稜を引き抜くと根枯れる わたしの恋もかれが来なくなることがあるだろうか『古今六帖』)」
 という歌の素敵なのを思い出すのだろうか。こひぬまの池。はらの池は、
「玉藻な刈りそ(をし たかべ 鴨さへ来居る はらの池の や 玉藻は真根な刈りそや 生ひも継ぐがに や 生ひも継ぐがに/鴛鴦 小鴨 鴨さえも来る 野原の池の ヤ 美しい水草は根こそぎ刈るな また生えてくるのだから ヤ また生えてくるのだから『風俗歌』)」
 という歌があるのもおもしろく思われる。
第三十六段
 節句は、五月の節句に及ぶ月はない。菖蒲や蓬などが薫り合っているのが、ものすごく素敵。宮中の御殿の屋根をはじめとして、話にならない人の住まいの屋根まで、
〈なんとかしてじぶんの所にほかよりたくさん葺こう〉
 と一面に軒に葺いてあるのは、やはりとても目新しい。いつほかの節句でこんことをしたというの。空が一面に曇っている時に、中宮の御殿などには、縫殿寮から薬玉といっていろいろな色の糸を組んで垂らして献上してあるので、それを御帳台が立ててある母屋の柱の左と右につけた。去年の九月九日の重陽の節句の菊を粗末な生絹の布に包んで献上したのが、同じ柱に結びつけて今まであったのを、薬玉と取り替えて捨てるようだ。菊と同じように薬玉は菊の節句まであったほうがいいのだろうか。でも、薬玉は、みな垂れた糸を引っ張り取って物を結ぶのに使ったりするから、少しの間も残っていない。
 中宮様に節句のお食事をさし上げ、若い女房たちは、菖蒲の腰ざしや、物忌みの鬘をつけたりして、さまざまな唐衣や汗衫(かざみ)などに、風雅な折り枝を、長い菖蒲の根に村濃染めの組紐で結びつけてあるなど、珍しいことのように言うべきことでもないが、とてもおもしろい。毎年春が来るたびに咲くからといって、桜を平凡だと思う人がいるだろうか、いや、いるはずがない。
 外を歩きまわっている童女たちなどが、それぞれの身分に応じて、
〈ずいぶんお洒落したな〉
 と思って、絶えず袂を見つめて、人のと比べたりして、
〈言いようもないほど素敵〉
 と思っている菖蒲の飾りを、ふざけあっている小舎人童などに引っ張られて泣くのもおもしろい。紫の紙に楝(栴檀)の花を結び、青い紙に菖蒲の葉を細く巻いて結び、また白い紙を菖蒲の根でひきむすんであるのもおもしろい。とても長い菖蒲の根を、手紙の中に入れてあるのを見る気持ちなども、華やかな感じ。
「返事を書こう」
 と親しく相談して話し合っている同士は、来た手紙をお互いに見せ合ったりなどするのもとてもおもしろい。相当な人の娘や、貴い方々にお手紙などをさし上げる男性も、今日は格別に気を配るから、優雅だ。夕暮れの頃に、ほととぎすが一声鳴いて飛んでいくのも、なにもかも素晴らしい。
第三十七段
 花の木でないのは、楓。桂。五葉松。たそばの木(かなめもち)は、気品がない気がするが、花が咲く木々がすっかり散って、あたりが緑になっている中で、時を選ばず、濃い紅葉が艶々して、思いもしない青葉の中から現れているのは、新鮮だ。まゆみは、今さら言うまでもない。取り立てて言うほどのものではないが、宿り木という名前は、とてもしみじみとした趣がある。榊は、臨時の祭りの神楽の時などにかざして舞うのが、とても風雅だ。世の中に木はたくさんあるが、榊は神の御前の木として生えはじめたらしいのも、格別におもしろい。楠の木は、木立の多い所でも、特にほかの木に混じって植えてあることはない。鬱蒼と茂ったのを想像すると気味が悪いが、千の枝に分かれていて、恋する人の千々(ちぢ)に乱れる例として言われているのを、
〈誰が千の枝だと知って言い始めたのだろう〉
 と思うとおもしろい。檜の木は、これも人里近くには生えてないが、建築材料として、
「三葉四葉の殿造り(この殿はむべも むべも富みけり さき草のあはれ さき草の はれ さき草の 三つば 四つばの中に 殿づくりせりや 殿づくりせりや『催馬楽「この殿は」』)」
 と歌われているのもおもしろい。五月に雫で五月雨の音を真似るというのも、風情がある。かえで(鶏冠樹)の木は、小さいのに芽を出した葉の先が赤くなって、同じ方向に広がっている葉の様子や、花もひどく頼りなさそうに、虫などがひからびたのに似ているのが、おもしろい。
「あすは檜の木(明日は檜になろう)」
 は、世間の手近な所で見たり聞いたりすることはなく、御嶽(金峰山)に参詣して帰って来る人などが、持ってくるようで、その枝ぶりなどが、とても手で触れそうにないほど荒々しいけれど、どういうつもりで、
「あすは檜の木」
 と名づけたのだろう。あてにならない約束の言葉ではないか。
〈誰にあてにさせているのだろう〉
 と思うと、その相手を聞きたくておもしろい。ねずみもちの木は、ほかの木と同等に扱うべきではないが、葉が大変細かくて小さいのが、おもしろい。楝の木(栴檀)。山橘。山梨の木。椎(しい)の木は、常緑樹はいろいろあるのに、こればかりが、葉が変わらない例として詠まれているのはおもしろい。
 白樫という木は、まして奥山の木の中でもあまりにも縁遠く、三位や二位の袍を染める時ぐらいに、葉だけを見ることができるようだから、おもしろいこと、素晴らしいことと取り立てて言うほどのことではないが、どこということもなく雪が降り積もっているのに間違えられ、須佐之男命(すさのおのみこと)が、出雲の国にお出かけになったことを思って、人麻呂が詠んだ歌などを考えると、大変感慨深い。その時々で、なにか一つ、〈いいなあ〉とか〈おもしろい〉とか聞いて心に残っているものは、草も木も鳥も虫も、おろそかにはとても思えない。※白樫を実際に見たことがない作者が、葉は白いものと誤って記したのだろう。白樫とは材が白いからそう言う。
 ゆずり葉がたいそうふさふさとして艶があり、茎がとても赤くきらきらして見えているのは、品がないけれどおもしろい。普通の月には見かけないのに、十二月の末日だけ重宝されて、
〈亡くなった人の精霊に供える食物に敷くものか〉
 と思うと、しみじみとするが、一方、寿命を伸ばす歯固めの食膳の飾りにも使っているようだ。
「紅葉せむ世や(旅人に 宿かすが野の ゆづる葉の 紅葉せむ世や 君を忘れむ/旅人に宿を貸してくれたあなた ゆずり葉が紅葉するようなことがあったら あなたを忘れるだろう※ゆずり葉は常緑樹で紅葉しないからこう詠んだ『夫木抄・雑四』)」
 と歌に詠まれているのも頼もしい。柏木は大変おもしろい。葉を守る神様がいらっしゃるのも尊い。兵衛督(ひょうえのかみ)、佐(すけ)、尉(じょう)などを柏木と言うのもおもしろい。格好はよくないけれど、棕櫚(しゅろ)の木は、中国風で、身分の低い家の物とは見えない。
第三十八段
 鳥は、異国のものだが、鸚鵡(おうむ)はとてもかわいい。人の言うことを真似るそうだ。ほととぎす。水鶏(くいな)。鴫(しぎ)。都鳥。鶸(ひわ)。ひたき。
 山鳥は、友を恋しがっている時に、鏡を見せると、映った姿を友と思って安心するそうだが、その純真さは、とても胸に染みる。雄と雌が谷を隔てて寝ている夜の間は、気の毒だ。鶴は、とても大げさな格好だけれど、鳴く声が天まで聞こえるのは、とても素晴らしい。※「鶴ハ九皐ニ鳴キ 声ハ天ニ聞ユ(詩経・小雅)」頭の赤い雀。斑鳩(いかるが)の雄鳥(おすどり)。たくみ鳥。
 鷺(さぎ)は、見た目もひどく見苦しい。目つきなども、気味悪くすべてにおいて親しめないけれど、
「ゆるぎの森にひとりは寝じ(高島や ゆるぎの森の 鷺すらも ひとりは寝じと 争ふものを/高島のゆるぎの森に住む鷺でさえ 一人では寝ないと妻を争うのに『古今六帖・第六』)」
 と妻争いをするというのがおもしろい。水鳥は、鴛鴦(おしどり)がとても愛しい。お互いに位置を変えて、羽の上の霜を払うところなどが。千鳥は、とても素敵。
 鶯は、漢詩などでも素晴らしい鳥と詠われ、声をはじめとして、姿も形もあれほど上品で美しいのに、宮中で鳴かないのはひどくつまらない。人が、
「宮中では鳴かない」
 と言ったのを、
「そんなことはない」
 と思っていたけれど、十年ほど宮中に仕えて聞いていたが、本当にまったく鳴き声がしなかった。それにしても、宮中は竹の近くに紅梅もあって通って来るにはうってつけの場所があるのに。宮中から退出して聞くと、みすぼらしい家の見どころもない梅の木などでは、うるさいほど鳴いている。夜鳴かないのを眠たがりのような気がするけれど、今さらどうしようもない。夏や秋の末まで年老いた声で鳴いて、
「虫食い」
 などと、身分や教養のない者は名を変えて言うのが、残念で不思議な気がする。それも雀などのようにいつもいる鳥なら、そんなふうには思わないが。鶯は春鳴くと決まっているから残念な気がするのだろう。
「年たちかへる(あらたまの 年立ちかへる あしたより 待たるる物は 鶯の声/年が最初に戻る正月の朝から 待ち遠しいのは鶯の声『拾遺集・春』)」
 などと風情ある鳥として、歌にも詩にも詠われるようだ。やはり春の間だけ鳴いているのなら、どんなに素敵なことだろう。人間だって、人並みでなく、世間から軽蔑されるようになった人を、改めて非難することがあるだろうか。鳶(とび)や烏(からす)などのことを気をつけて見たり聞いたなどする人は、世間には決していない。そういうわけだから、
〈鶯は漢詩文にも詠まれる素晴らしい鳥になっているのだから〉
 と思うと、季節外れに年老いた声で鳴くのは不満な気がする。
 賀茂祭の帰りの行列を見るというので、雲林院(うりんいん)や知足院(ちそくいん)などの前に牛車を立てていると、ほととぎすも我慢できないのだろうか、鳴くと、鶯がその鳴き声をそっくり真似て、小高い木の中でほととぎすと一緒に鳴いているのは、さすがにおもしろい。
 ほととぎすは、今さら言うこともない。いつの間にか得意そうに鳴いているのが聞こえているのに、卯の花や花橘などに止まってなかば隠れているのも、憎らしいほど素晴らしい風情である。
 五月雨の頃の短い夜に目を覚まして、
〈なんとかして人より先に聞きたい〉
 と待っていると、夜更けに鳴き出した声が、上品で美しく魅力があるのは、たまらなく心がひかれて落ち着かず、どうしようもない。六月になると、まったく鳴かなくなるのは、なにを言っても愚かなほどいい。
 夜鳴くものは、なにもかも素晴らしい。赤ん坊だけはそうではないけれど。
第三十九段
 優雅なもの。薄紫色の上に白襲(しらがさね)の汗衫(かざみ)。軽鴨(かるがも)の卵。削り氷に甘葛(あまずら/甘味料)を入れて、新しい金属製の碗に淹れてあるの。水晶の数珠。藤の花。梅の花に雪が降りかかっているの。とても可愛らしい幼児が苺(いちご)などを食べているの。
第四十段
 虫は、鈴虫。蜩(ひぐらし)。蝶(ちょう)。松虫。こおろぎ。きりぎりす。われから(海藻についている虫)。蜉蝣(かげろう)。蛍。箕虫(みのむし)は、とてもあわれ深い。鬼が生んだ子なので、
〈親に似て、この子も恐ろしい心を持っているだろう〉
 と、親が粗末な着物を着せて、
「もうすぐ秋風が吹く頃になったら迎えに来る。待っていなさい」
 と言っておいて、逃げて行ったのも知らないで、風の音を聞いてわかり、八月頃になると、
「ちちよ、ちちよ」
 と頼りなさそうに鳴く。ひどくあわれである。
 額(ぬか)づき虫も、またあわれだ。あんな小さな虫の心で道心をおこして、額をつけて拝みまわっているとは。思いがけず暗い所などで、ことこと音を立てて歩き回っているのがおもしろい。
 蝿(はえ)こそは憎いものの中に入れるべきで、これほど可愛げがないものはない。一人前に目の敵にするほどの大きさではないが、秋などはどんなものにもとまり、顔などに濡れた足でとまったりする。人の名前に「蝿」がついてるのなんて、ひどくいやだ。
 夏虫は、とてもおもしろく可愛らしい。灯りを近くに引き寄せて物語など見ていると、綴じ本の上などに飛び回るのは、大変おもしろい。蟻(あり)はひどく嫌だが、すごく身軽で、水の上などをひたすらあちこち歩き回るのはおもしろい。
第四十一段
 七月頃に、風がひどく吹いて、雨などが騒がしく降る日、だいたいとても涼しいので、扇もすっかり忘れている時に、汗の匂いが少し残っている綿入れの着物の薄いのを、すっぽりとかぶって、昼寝しているのはおもしろい。
第四十ニ段
 似合わないもの。身分の低い者の家に雪が降り積もっているの。また、月がさし込んでいるのも不満。月の明るい時に屋形のない粗末な車に出会ったの。また、そんな車にあめ牛(あめ色の牛。上等な牛とされた)をつないでいるの。また年取った女が、お腹を大きく(妊娠)して歩いているの。そんな女が若い男を持っているのさえみっともないのに、
「ほかの女の所へ通っている」
 と腹を立てているとは。年老いた男が寝ぼけているの。また、そんなふうに年老いて鬚(ひげ)だらけの男が、椎の実を前歯でかんでたべているの(一説に拾って食べる)。歯のない女が梅を食べて酸っぱがっているの。身分の低い女が、緋の袴をはいているの。この頃はそんなのばかり。
 靫負佐(ゆげいのすけ/衛門の佐)の夜の巡察の姿。その狩衣姿もひどく賤しそう。人に恐れられる赤色の袍は、大げさである。女の部屋のあたりをうろうろするのを見たら、軽蔑したくなる。それなのに、
「怪しい者はいないか」
 と、尋問する。部屋に入り込んで、香が焚いてある部屋の几帳に掛けてある袴など、まったくどうしようもない。
 美貌の君達が、弾正台の次官でいらっしゃるのは、大変見苦しい。宮の中将(源頼定)などの在職中は、本当に嫌だった。※弾正台ー役人の不正や内外の非行を問いただし、風俗を取り締まる官庁。
第四十三段
 細長い廂の間に女房たちが大勢座っていて、通る人にうるさく話しかけたりする時に、さっぱりとした従者や小舎人童などが、立派な包みや袋などに着物を包んで、中の指貫のくくり紐などが見えてるのや、弓、矢、楯などを持って歩いて来るから、
「誰のなの」
 と尋ねると、膝まずいて、
「なになに殿ので」
 と言って行くのはよい。気取って恥ずかしがって、
「知りません」
 と言ったり、なにも言わないで行ってしまう者は、ひどく憎らしい。
第四十四段
 主殿司(とのもりづかさ/後宮の清掃、灯火、薪炭などをつかさどる職)の女官こそ、やはり素晴らしいものといえる。下級の女官の身分では、これほど羨ましいものはない。身分のある人にもさせたい仕事のようだ。若くて美しい人が、服装などきれいにしていたら、なおさら良いだろう。少し年を取って、物事の先例を知って、物怖じしないのも、その場にふさわしく感じがよい。
〈主殿司の女官で、愛嬌のある顔の子を一人持って、装束は季節に合わせて、裳、唐衣などを現代風に仕立てて、歩かせたい〉
 と思う。
第四十五段
 召使いの男は、また随身(ずいじん/近衛の舎人)こそ素晴らしいではないか。とても美しく着飾って素晴らしい貴公子たちでも、護衛の随身がいないのではひどく興ざめである。弁官などは、
〈とても立派な官だ〉
 と思っているが、下襲の裾(きょ/すそ)が短くて、随身がいないのが、ひどくみっともない。
第四十六段
 中宮職の御曹司(みぞうし)の西面(にしおもて)の立蔀(たてじとみ/目隠しの板壁)の所で、頭弁(とうのべん/藤原行成)が、ある女房と長話をして立っていらっしゃるので、出て行って、
「そこにいるのは誰」
 と言うと、
「弁でございます」
 とおっしゃる。
「何をそんなに話していらっしゃるの。大弁(座右弁官局の長官)が見えたら、あなたを捨ててしまうでしょうに」
 と言うと、たいそう笑って、
「誰がこんなことまで話して知らせたのだろう。
『捨てて行かないでくれ』
 と話しているところです」
 とおっしゃる。
〈頭弁は、優れていると見られるよう聞かれるように、 風流な方面を表に出すようなことはなく、平凡な人のよう〉
 と、ほかの人はみんなそう思っているが、わたしはやはり深みがあって心ひかれるような性格を見て知っているので、
「普通の方ではありません」
 などと、中宮様にも申し上げ、また、中宮様もそのようにご承知でいらっしゃったが、頭弁はいつも、
「『女はじぶんを愛する者のために化粧をする。男はじぶんをわかってくれる人のために死ぬ(史記・刺客列伝)』
 と言っている」
 と、わたしと話し合ったりしながら、わたしが頭弁を理解していることをよく知っていらっしゃる。
「とほたあふみの浜柳(霰降り 遠江の 吾跡川楊 刈りぬとも また生ふといふ 吾跡川楊/遠江の吾跡川のほとりに生えている楊 刈ってもまた生えてくるという吾跡 川のほとりの楊(万葉集・1293)いつまでも変わりなく仲良く」
 と、頭弁とわたしは約束をしているのに、若い女房たちは、見苦しいことなどを、思った通りのことを平気で言うので、
「あの君はいやにつき合いにくい。ほかの人のように歌を謡って楽しんだりしないし、おもしろくない」
 などと非難する。それでも頭弁は、いっこうにあれこれの女房に話しかけたりしないで、
「わたしは、目が縦について、眉が額の方に生えあがり、鼻が横向きだとしても、ただ口元に愛嬌があって、顎の下や首がきれいで、声が憎らしそうでない人だけを好きになれそうだ。でも、そうは言っても、やはり顔がひどく憎らしい人は嫌だね」
 とばかりおっしゃるので、なおさら顎が細く、愛嬌のない人などは、わけもなく目の敵にして、中宮様にまで悪く申し上げる。
 頭弁は、中宮様になにかを申し上げる時でも、最初に取り次ぎを頼んだわたしを探し、部屋に下がっている時にも呼び出し、いつも来て話をし、里にいる時には、手紙を書いたり、ごじぶんがいらっしゃって、
「参内が遅くなるなら、
『このように頭弁が申しております』
 と中宮様に使いを出してください」
 とおっしゃる。
「それはわたしでなくても、誰かがいるでしょう」
 などと言って人に譲ろうとすると、
〈どうしても承知しない〉
 といったふうでいらっしゃる。
「なにごともその場に応じて、一つに決めないで対処するのを、よいこととしています(『衣冠ヨリ始メテ車馬ニ及ブマデ有ルニ随ヒテ之ヲ用ヰヨ、美麗ヲ求ムルコトナカレ』九条師輔からの引用)」
 と助言するけれど、
「わたしの持って生まれた性格だから」
 とだけおっしゃって、
「変えられないのは性格(『稟ル所ニ巧拙有リ、改ム可カラザルハ性ナリ』白氏文集・詠拙)」
 とおっしゃるので、
「それでは、
『変えるのに遠慮はいらない(「過チテハ則チ改ムルニ憚ルコトナカレ」論語・学而篇)』
 とは、何を言うのでしょう」
 と不思議がると、笑いながら、
「『仲よし』
 などと人に言われる。このように話しているなら、恥ずかしいことはない。顔を見せてもいいではないか」
 とおっしゃる。
「ひどく憎らしい顔ですから、
『そういう人は好きになれない』
 とおっしゃっていたから、見せられないのです」
 と言うと、
「なるほど、あなたを嫌いになるといけないな。それでは、顔は見せないで」
 とおっしゃって、自然とわたしの顔が見られる時でも、ごじぶんの顔をふさいだりしてご覧にならないので、
〈本当に、嘘はおっしゃらない〉
 と思っていたところ、三月の末頃は、冬の直衣が暑苦しいのだろうか、袍(ほう)だけの人が多く、殿上の宿直姿の人もいる。翌朝日が出てくるまで、式部のおもとと小廂(こびさし)の間で寝ていると、奥の引き戸をお開けになって、帝と中宮様が出て来られたので、起きるに起きられなくてうろたえているのを、たいそうお笑いになる。唐衣(からぎぬ)をそのまま汗衫(かざみ)の上に着て、夜具やなにかが埋もれている所にいらっしゃって、陣(警備の役人の詰所)から出入りする者たちをご覧になる。殿上人の中になにも知らないで寄って来て話しかけたりする者がいるのを、
「気づかれないように」
 とおっしゃってお笑いになる。そして出て行かれる。
「二人とも、さあ一緒に」
 とおっしゃるが、
「すぐに顔などを整えましてから」
 と言って参上しない。
 帝と中宮様が奥にお入りになった後も、やはり素晴らしい様子などを式部のおもとと話していると、南の引き戸の そばの、几帳の手(両端)が突き出ているのに引っ掛かって、簾が少し開いている所から、黒っぽいものが見えるので、
〈則隆(橘則隆/清少納言の夫則光の弟)がいるのだろう〉
 と思って、見もしないで、やはり別のことを話していると、とてもにこにこしている顔が出てきたのだが、それも
〈やはり則隆だろう〉
 と見たら、違う顔だった。
「驚いたわ」
 と笑って騒いで、几帳を引き直して隠れると、頭弁でいらっしゃった。
〈顔をお見せしないようにしていたのに〉
 と、とても残念だ。一緒にいた式部のおもとは、こっちを向いていたので、顔も見られなかった。頭弁は出てきて、
「すっかり見てしまったよ」
 とおっしゃるので、
「則隆と思っていたので、油断してたのです。どうして
『見ない』
 とおっしゃっていたのに、そんなにじろじろと」
 と言うと、
「『女は寝起きの顔を見るのが、ひどく難しい』
 と言うから、ある人の部屋に行って覗いて見て、
〈あなたの顔も見られるかも〉
 と思って来たのです。まだ帝がいらっしゃった時からいたのに、気づかなかったのだね」
 とおっしゃって、それから後は、簾をくぐって入って来たりなさるようだ。
※藤原行成は一条帝時代の才子で、『大鏡』にも逸話が。作者と気が合うが、作者のほうが十歳年長。  
第四十七段
 馬は、とても黒くて、ただ少し白い所があるの。栗毛のまだらがついているの。葦毛。薄紅梅色の毛で、たてがみや尾などがとても白いの。実際、「木綿髪(ゆうかみ)」とも言えるだろう。
 黒い馬で、足が四つ白いのも、とてもよい。
第四十八段
 牛は、額はとても小さく白みを帯びていて、腹の下、足、尻尾など全部白いの。
第四十九段
 猫は、背中だけ黒くて、腹はとても白いの。
第五十段
 雑色(ぞうしき/雑役の無位の役に)や随身(ずいじん)は、少し痩せてほっそりしているのがいい。男は、やはり若いうちは、そんなふうなのがいい。ひどく太っているのは、眠たそうに見える。
第五十一段
 小舎人童は、小さくて、髪がとてもきちんと整って、さらっとしていて、少し艶があるのが、声がきれいで、かしこまって何か言っているのが、利発な感じがする。
第五十ニ段
 牛飼いは、体が大きくて、髪が荒っぽい感じで、顔は赤くて、気がきいているの。
第五十三段
 殿上の名対面(なだいめん/午後十時頃に行われる宿直の点呼)はやはりおもしろい。帝の御前に点呼の番の蔵人がつめている時は、殿上の間に戻らないで、そのまま点呼をとるのもおもしろい。殿上人たちの足音がしてどやどやと出て来るのを、弘徽殿(こきでん)の上の御局(みつぼね)の東面の所でわたしたち女房は耳をすまして聞いているのだが、じぶんの恋人の名前が出た時には、思わず例によってどきどきすることだろう。また、なんの連絡もしてこない人などの名を、こういう時に聞いたらどう思うだろう。「名乗り方がいい」「悪い」「聞きにくい」などと批評するのもおもしろい。
〈殿上の名対面は終わったようだ〉
 と聞いているうちに、滝口の武士が弓弦(ゆずる)を鳴らし、沓の音がし、ざわめいて清涼殿の前庭に出てくると、蔵人が足音高く板敷をごとごとと踏み鳴らして、東北の隅の高覧の所に「高膝まずき」という座り方で、御前の方に顔を向けて、滝口の武士には背を向けて、
「誰々は控えているか」
 と尋ねるのがおもしろい。高い声であるいは細い声で名乗り、そして、何人かが伺候せず、規定の三人に達しないと、名対面を行わないことを滝口が蔵人を通して奏上するのだが、蔵人が、
「どうしてだ」
 と尋ね、滝口が差し障りの理由を申し上げる、それを聞いて蔵人は帰るのだが、蔵人の方弘(源方弘/みなもとのまさひろ)は、
「理由を聞かないで帰った」
 と、君達が注意したところ、方弘はものすごく腹を立てて滝口を叱り、責めたので、また滝口の武士にまで笑われた。
 後涼殿(こうろうでん)の御厨子所(みずしどころ/宮中で食事をととのえる所)の御膳棚(おものだな/膳が置いてある棚)に方弘が沓を置いて、大騒ぎになったのを、とてもおもしろがって、
「誰の沓でしょう。知らないわ」
 と、主殿司(とのもづかさ/清掃・灯火・薪炭などをする職)の女官やほかの人たちがかばったのに、
「やあやあ、それは方弘の汚ないものです」
 とじぶんから言って、いっそう騒がれた。
第五十四段
 若くてまあよい身分の男が、身分の低い女の名前を呼び慣れて言うのは、憎らしい。名前を知っていても、
〈なんと言うのだったかなあ〉
 と、名前の一部は思い出せないように言うのは趣がある。宮仕えする所の部屋に立ち寄って、夜などは都合が悪いだろうが、宮中なら主殿司(とのもづかさ)、宮中でない普通の家では、侍所などにいる者を連れて行って、女を呼ばせるのがいい。じぶんから呼んだら声でわかってしまうから。
 下女や童などは、じぶんで呼んでもかまわない。
第五十五段
 若い人や乳児などは、太っているのがいい。受領などの年輩の人もふっくらしているのがいい。
第五十六段
 幼い子は、奇妙な弓やむちのような物などを振り回して遊んでいるのが、とても可愛らしい。そんな幼い子に出会ったら、車など止めて、抱いて入れて見てみたい気がする。また、車で行くと、薫物(たきもの)の香りがたいそう漂ってくるのは、とても風情がある。
第五十七段
 立派な邸の中門が開けてあって、檳榔毛(びろうげ)の車の白くきれいなのが、蘇芳色(すおういろ)の下簾の鮮やかな色合いで、榻(しじ/轅を置く台)にちょっと立ててあるのは素晴らしい。五位、六位の者などが、下襲の裾を石帯(せきたい) にはさんで、真っ白な笏(しゃく) に扇をちょっと置いたりしてすれ違い、また、正装をして、壺胡籙(つぼやなぐい/矢入れ)を背負った随身が出たり入ったりしているのは、とてもふさわしい。厨女(くりやめ/台所女)のこざっぱりしたのが、邸から出て来て、
「誰々殿のお供の方はいらっしゃいますか」
 などと言うのもおもしろい。
第五十八段
 滝は音無(おとなし)の滝。布留(ふる)の滝は、法王がご覧に行かれたというのが素晴らしい。那智(なち)の滝は、霊場熊野にあると聞くので、しみじみと感慨深い。轟(とどろき)の滝は、どんなにうるさくて恐ろしいことだろう。
※布留の滝は、光孝天皇が行幸したことはあるが、法王の御幸の史実は未詳。
第五十九段
 川は飛鳥川。淵瀬も一定していなくて、
〈どんな川なのだろう〉
 と心ひかれる。
※「世の中は なにか常なる あすか河 昨日の淵ぞ 今日は瀬になる/世の中は変わらないことがあるだろうか 飛鳥川は昨日淵だったところが 今日は浅瀬になっている(古今集雑下・読人しらず)」
 大井川。音無川。七瀬川。耳敏川(みみとがわ)、
〈またも何をそんなに早く聞きつけたのだろう〉
 と、おもしろい。玉星川(たまほしがわ)。細谷川(ほそたにがわ)。いつぬき川、沢田川などは催馬楽(さいばら)などを思い出させるだろう。名取川は、
「どんな評判を取ったのだろう」
 と聞いてみたい。吉野川。天の川原(かわら)は、
「七夕つめに宿からむ(狩り暮し 七夕つめに 宿からむ 天の河原に 我は来にけり/一日中狩りをして日が暮れたので 七夕姫に宿を借りよう いつのまにか天の河原にわたしは来ていた『古今集
羇旅・在原業平』)」
 と、業平が詠んだというのも風情がある。
第六十段
 夜明け前に帰っていく人は、装束などをきちんと整えたり、烏帽子の紐を元結に結ばなくてもいいのではないかと思われる。ひどくだらしなく、見苦しく、直衣や狩衣などをゆがめて着ていても、誰がそれを見て笑ったりけなしたりするだろうか。
 男は、やはり夜明け前の別れ方に、風情があってほしいものだ。ひどくぐずぐずして起きたくなさそうなのを、無理に急き立てて、
「夜が明けた。ああ、みっともない」
 などと言われて、ため息をつく様子も、
〈本当に別れたくなく、帰る気がしないのだろう〉
 と思われる。指貫なども、座ったままで履こうともしないで、まず女に近寄って、昨夜話したことの残りを、女の耳に囁いて、何をするというわけでもないが、帯などを結ぶようである。格子を押し上げて、妻戸のある所は、そのまま一緒に女を連れて行って、昼の間逢えないのが心配でならないことを言いながらそっと出てゆくのは、女も自然と見送ることになり名残惜しいことだろう。
 一方、男に思い出す所があって、たいそう思いきりよく起きて、ばたばた騒ぎ立てて、指貫の腰ひもをごそごそと結び、直衣や袍や狩衣の場合も、袖をまくって、腕をぐっとさし入れ、帯を非常にしっかりと結び終えて、ひざまずいて、烏帽子の緒を強く結び入れて、頭にかぶる音がして、扇や畳紙(たとうがみ)などを昨夜枕元に置いたけれど、自然に散らばってしまい、捜しても暗いので見えない。
「どこだ、どこだ」
 と、そこら中を叩きまわってやっと捜し出して、扇をばたばたと使い、懐紙を懐に入れて、
「失礼する」
 ぐらいは言うようだ。
第六十一段
 橋は、あさむつの橋。長柄(ながら)の橋。あまひこの橋。浜名の橋。ひとつ橋。うたたねの橋。佐野の船橋。堀江の橋。かささぎの橋。山菅(やますげ)の橋。おつの浮橋。板一枚渡してある棚橋。心が狭い感じだが、名前を聞くとおもしろい。
第六十二段
 里は、逢坂の里。ながめの里。寝覚(いざめ)の里。人妻の里。たのめの里。夕日の里。つまとりの里は、
〈妻を取られたのだろうか、それとも人の妻を取ってじぶんのものにしているのだろうか〉
 と、おもしろい。伏見の里。朝顔の里。
第六十三段
 草は、菖蒲(しょうぶ)。菰(こも)。葵は、とてもおもしろい。神代からはじまって、あのような髪に挿す物となったのが、とても素晴らしい。葉の形も、たいそうおもしろい。沢瀉(おもだか)は、面高(おもだか)という名前がおもしろい。
〈面高だから、思い上がっているだろう〉
 と思うので。三稜草(みくり)。ひるむしろ(浜人参)。苔(こけ)。雪の間の若草。こだに(蔦の一種)。かたばみは、綾織物の紋様になっているのも、ほかの草よりはおもしろい。
 あやう草は、崖っぷちに生えているというのも、「危うい」という名前の通り頼りない。いつまで草は、これまたはかなくかわいそう。崖っぷちよりも、こっちの方が崩れやすいだろう。
〈本格的な漆喰壁などには、とても生えないだろう〉
 と思われるのが欠点だ。事なし草は、
〈思うことを成し遂げるだろう〉
 と思うのもおもしろい。
 しのぶ草は、とてもあわれだ。道芝は、とてもおもしろい。茅花(つばな)もおもしろい。蓬(よもぎ)は、たいそうおもしろい。山菅(やますげ)。日陰(ひかげ)。山藍。浜木綿(はまゆう)。葛(くず)。笹。あおつづら。薺(なずな)。苗。浅茅(あさじ)は、とてもおもしろい。
 蓮の葉は、ほかのどんな草よりも優れて素晴らしい。「妙法蓮華」の例えにして、花は仏に奉り、実は数珠の玉に貫き、阿弥陀仏を祈念して極楽往生の縁にするのだから。そして花のない夏の頃に、緑色の池の水に紅く咲いてるのも、実に素晴らしい。「翠翁紅(すいおうこう/煙翠扇ヲ開ク清風ノ暁。水紅衣ヲ泛ブ白露ノ秋。『和漢朗詠集』)」
 とも漢詩に作られているから。
※漢詩の「翠扇」は蓮葉、「紅衣」は蓮花だが、『翠翁紅』と、「扇」ではなく「翁」と書いてあるのは、誤写だろう。
 唐葵(からあおい/たちあおい)は、日の光が移るに従って花が傾くというのは、草木とは言えないような分別がある。さしも草。八重葎(やえむぐら)。つき草(露草)は、色が褪せやすいというのが嫌だ。
第六十四段
 草の花は、なでしこ。唐なでしこ(石竹)は言うまでもない。日本のなでしこも、とても素晴らしい。女郎花(おみなえし)。桔梗(ききょう)。朝顔。かるかや。菊。つぼすみれ。竜胆(りんどう)は、枝ぶりなども入り組んで煩雑だけれど、ほかの花がみんな霜枯れているのに、とても際立った色彩で姿を現しているのは、とてもおもしろい。また、わざわざ取り上げて、一人前の花として扱うべきでもないけれど、かまつかの花は、可愛らしい。「かまつか/鎌柄」という名前は嫌だけれど。「雁の来る花」と、文字では書いている。
 かにひの花は、色は濃くないけれど、藤の花ととてもよく似ていて、春と秋に咲くのがおもしろい。
 萩は、とても色が濃く、枝もしなやかに咲いているのが、朝露に濡れて、なよなよと広がってうつむいているのがいい。牡鹿が好んで寄って来るらしいのも、ほかの花とは違う。八重山吹。
 夕顔は、花の形も朝顔に似ていて、朝顔、夕顔と続けて言うと、とても素敵な花の姿なのに、実の形がとても残念だ。どうしてあんなに大きな実がなるように生まれたのだろう。せめて酸漿(ほおずき)くらいの大きさであってほしい。でも。やはり夕顔という名前だけはおもしろい。しもつけの花。葦の花。
「この『草の花は』の中に薄(すすき)を入れないのは、とても変だ」
 と、人は言うようだ。秋の野を通じての風情は薄にこそある。穂先が蘇芳色で、とても濃いのが、朝露に濡れて靡いているのは、これほどのものがほかにあるだろうか。でも、秋の終わりは、まったく見所がない。いろいろの色に咲き乱れていた花が跡形もなく散ったのに、冬の末まで、頭が真っ白く乱れ広がっているのも知らないで、昔を思い出しているような顔で風になびいてゆらゆら揺れているのは、人間にとてもよく似ている。このようになぞらえる気持ちがあるから、薄のことを特にあはれと思うのだろう。
第六十五段
 歌集は、万葉集。古今集。
第六十六段
 歌の題は、都。葛(くず)。三稜草(みくり)。駒。霰(あられ)
第六十七段
 不安なもの。比叡山で十二年の山籠りをしている法師の女親。知らない所に、闇夜なのに行った時に、
「姿がはっきり見えてはいけない」
 ということで、灯りもつけないで、それでも並んで座っているの。新しい召使いで性格もよくわからないのに、大切な物を持たせて、人の所に使いに出したところ、遅く帰って来るの。口もきけない赤ん坊が、そっくりかえって、人にも抱かれようともしないで泣いているの。
第六十八段
 比較しようがないもの。夏と冬と。夜と昼と。雨が降る日と日が照る日と。人が笑うのと腹を立てるのと。年取っているのと若いのと。白いのと黒いのと。愛する人と憎む人と。同じ人でありながら、愛情のある時と変わってしまった時では、本当に、
〈別人ではないか〉
 と思われる。火と水と。太っている人と痩せている人。髪が長い人と短い人と。
 夜に烏(からす)がたくさんとまっていて、夜中頃に寝ぼけて騒ぐ。落ちそうになって慌て、木を伝わって、寝起きの声で鳴いているのは、昼間の感じとは違っておもしろい。
第六十九段
 人目を忍んで逢っている場所では、夏がおもしろい。非常に短い夜が明けてしまうので、まったく寝ないでいたことになる。前夜からそのままどこも開けっ放しにしてあるので、涼しくあたりを見渡すことができる。やはりもう少し言いたいことがあるので、お互いに受け答えなどしているうちに、座っているすぐ上から、烏が高く鳴いて行くのは、見られたような気がしておもしろい。
 また、冬の夜、とても寒いので、夜具をかぶったまま聞くと、鐘の音が、まるでなにかの底からしているように聞こえるのは、とてもおもしろい。鶏の声も、はじめは羽の中で鳴く声が、口ごもったように鳴くので、とても奥深く遠くに聞こえるが、明けてくるにつれて、近くに聞こえるのもおもしろい。
第七十段
 恋人として来ているのは
、言うまでもなく、ただちょっと話したり、また、それほどでもないが、たまたま来たりする人が、簾の内に、女房たちが大勢いて話などしているところに入って座り、すぐには帰りそうもないのを、その人の供の男や童子などが、何度も覗いて、主人の様子を見て、
〈斧の柄も腐ってしまいそうだ〉
 と、嫌でたまらないようで、長々とあくびをして、
〈密かに〉
 と思って言ったらしいが、
「ああ、つらい。まったく煩悩苦悩だよ。もう夜中になっているだろう」
 て言っているのは、ひどく不愉快だ。こんなことを言う者は、取るに足りない者だから、別になんとも思わないが、この座っている人のほうが、
「風情がある」
 と見たり聞いたりしたことも消えてしまうように思われる。
 また、それほどはっきりとは言えないで、
「ああ」
 と大きな声で言って、不満そうにため息をついたのも、
「下行く水の(心には 下行く水の わき返り 言はで思ふぞ 言ふにまされる/心の中に地下水がわき返っているように 口に出さないけれどあなたを思っています その思いは口に出して言うより優っています『古今六帖・第五』)」
 という気持ちなのだろうと、かわいそうだ。立蔀(たてじとみ)や透垣(すいがい)などの所で、
「雨が降ってきそうだ」
 などと聞こえよがしに言うのも、ひどく憎らしい。
 格別身分の高い人のお供などは、そんなことはない。貴族の息子などのお供はだいたいよい。それ以下の身分の場合はみなそんなふうに無礼だ。大勢いる従者の中でも、気立てを見極めて連れて歩きたいものだ。
第七十一段
 めったにないもの。舅(しゅうと)に誉められる婿。また、姑(しゅうとめ)に可愛がられるお嫁さん。毛がよく抜ける銀の毛抜き。主人の悪口を言わない従者。まったく癖がない人。容貌、性格、態度も優れていて、長く生きるほど、少しの欠点もない人。同じ所に住んでいる人で、お互いに恥ずかしがって、
〈まったく隙を見せないようにしよう〉
 と思っていても、最後まで隙を見せないようにするのは、難しい。物語や歌集などを書き写す時に元の本に墨をつけないこと。立派な綴じ本などは、非常に気を使って書くけれど、必ず汚ならしくなるようである。男と女の間柄は今さら言わない、女同士でも、深い約束をして親しくしている人で、最後まで仲のよい人はめったにいない。
第七十ニ段
 宮中の局は、細殿がとてもおもしろい。上の方の蔀が上げてあるので、風がたいそう吹き込んで、夏もとても涼しい。冬は雪、霰などが、風と一緒に降り込んでくるのも、とてもおもしろい。部屋が狭くて、童などが来ている時には都合が悪いが、屏風の内側に隠しておいておくと、別の場所の局に来たかのように、大声で笑ったりしないので、大変よい。細殿は、昼なども油断しないで気をつけていなければならない。夜はなおさら気を許すことができそうにないのが、とてもおもしろい。
 一晩中聞こえていた沓の音がとまって、ただ指一本で戸を叩くのが、
〈あの人だな〉
 とすぐにわかるのがおもしろい。ずいぶん長く叩いているのに、
〈音もしなかったら、
《眠ったのか》
 と思うだろう〉
 と癪だから、少し体を動かす衣ずれの音で、
〈起きているようだ〉
 と思ってくれるだろう。冬は女が火鉢にそっと立てる火箸の音も、
〈まわりに気を使ってるな〉
 と聞こえるのに、男がどんどん叩くので、女も仕方なく声に出して返事をするのだが、それをわたしは物陰ににじり寄って聞く時もある。
 また、大勢の声で詩を朗詠したり歌などをうたう時には、戸は叩かないけれど、こちらから先に開けるので、
〈ここへ来よう〉
 と思っていなかった人も立ち止まってしまう。大勢すぎて座る場所もなく立ったまま夜を明かすのもやはりおもしろそうなのに、几帳の帷子がとても鮮やかで、帷子の裾や褄が少し重なりあって見えている局の前で、直衣の後ろに、ほころびが大きくあいている若君たちや、六位の蔵人が、青色の袍などを着て、得意気に、局の遣戸のそばに寄りそって立つこともできなくて、塀の方に背中をくっつけて両袖を合わせて立っているのは、おもしろい。
 また、指貫のとても濃いのをはき、直衣の派手なのを着て、袖口から何枚もの下着をちらつかせている人が、簾を押して、体半分を局に入っているようなのは、外から見ると、とてもおもしろいだろうが、その人がきれいな硯を引き寄せて、手紙を書き、あるいは鏡を借りて、鬢(髪)を直したりしているのは、すべておもしろい。三尺の几帳が立ててあるが、帽額(もこう/簾の上部)の下はほんの少し隙間があるが、外に立っている男と中に座っている女が話をしていて、その顔のところにとてもぴったりなのがおもしろい。背が高い人や低い人はどうだろうか。でも、普通の背の人は、きっと目が合うだろう。
 まして、賀茂の臨時の調楽の時などは、実におもしろい。主殿寮(とのもりづかさ)の役人が、長い松明を高く灯して、首は襟の中に入れて行くので、松明の先が物につきあたりそうだが、おもしろく楽を奏で、笛を吹き立てるので、格別な気持ちでいると、若君たちが束帯姿で局の前に立ち止まり、女房に話しかけたりするので、お供の随身たちが、先払いの声をひそかに短く、じぶんの若君たちのためだけにやっているのも、楽の音にまじって、いつもと違って趣深く聞こえる。
 やはり戸を開けたまま戻って来るのを待っていると、若君たちの声で、
「荒田(あらた)に生(お)ふる富草(とみくさ)の花」
 と謡っているのは、行きの時より今度は、もう少しおもしろいが、どういう生真面目な人なのだろう、そのまま無愛想に歩いて行ってしまう人もいるので、笑うのだが、
「ちょっと待って。
『どうして、そんなにこの夜(世)を捨ててお急ぎになるの』
 とか言うわよ」
 などと言うと、気分でも悪いのだろうか、倒れそうなほど、
〈もしかして人が追いかけてつかまえるのではないか〉
 と思えるほど、慌てて退出する人もいるようだ。
※荒田に生ふる 富草の花 手に摘みれて 宮へまゐらむ なかつたえ『風俗歌・荒田』 
第七十三段
 中宮様が職(しき)の御曹司(みぞうし)にいらっしゃる頃、木立などがずいぶん古びて、建物の様子も高く人けがなくもの寂しいのに、なんとなく趣深く思われる。母屋は、
「鬼がいる」
 というので、南側に間仕切りを設け、南の廂の間に中宮様の御几帳を立てて御座所とし、又廂(孫廂)の間に女房は伺候している。近衛の御門(陽明門)から左衛門の陣(建春門)に参上なさる上達部の前駆たちのかけ声、殿上人のは短いので、大前駆(おおさき/おーしー)小前駆(こさき/しっしっ)と名づけて、聞いては大騒ぎする。何度も重なるので、その声もみんな聞き分けて、
「あの人よ」
「彼よ」
 などと言うと、またほかの女房が、
「違うわよ」
 などと言うので、人をやって見届けさせたりするが、言い当てた者が、
「だから言ったでしょう」
 などと言うのも、おもしろい。
 有明の月の頃、ひどく霧がかかっている庭におりて、わたしたちが歩き回っているのをお聞きになって、中宮様も起きていらっしゃった。御前にいる女房たちは皆端近に出てきて座ったり、庭におりたりして遊ぶうちに、しだいに夜が明けてゆく。
「左衛門の陣に行ってみよう」
 と言って行くと、
「わたしも」
「わたしも」
 と話を聞いて行くと、殿上人が大勢大声で、
「なにがし一声秋(いっせいのあき)」
 と詩を吟じてこちらへ来る音がするので、職の御曹司に逃げ帰って、その殿上人たちと話などする。
「月を見ていらっしゃったのですね」
 などと感心して歌を詠む殿上人もいる。夜も昼も殿上人が訪れない時がない。上達部まで参内なさる途中、特別急ぐことがない方は、必ずこちらへ参上なさる。
※池冷ヤカニシテ水ニ三伏ノ夏ナシ、松高ウシテ風ニ一声ノ秋アリ(和漢朗詠集・納涼 源英明)
第七十四段
 おもしろくないもの、 わざわざ思い立って、宮仕えに出た人が、宮仕えを億劫がって、面倒くさく思っているの。養女で顔の醜いの。婿になるのをためらってた人を、無理に婿しておいて、
「思い通りにならない」
 と、ため息をつくの。
第七十五段
 気持ちよさそうなもの。卯杖の法師。神楽の人長(にんじょう/指揮者)。神楽の振り幡(ふりはた/未詳)とかいうものを持っている者。
第七十六段
 御仏名(みぶつみょう/12月19日から3日間、罪障消滅を祈る仏事)の翌日、清涼殿の地獄絵の屏風を上の御局に持って来て、帝は中宮様にお見せになる。そら恐ろしく気味が悪いことこの上もない。中宮様は
「これを見て、これを見て」
 とおっしゃるけれど、全然見ようとしないで、気味が悪いから小部屋に隠れて寝てしまった。
 雨がひどく降って、退屈だというので、殿上人を上の御局に呼んで、管弦の遊びがある。道方(みちかた/源道方)の少納言は琵琶で、とても素晴らしい。済政(なりまさ/源済政)が箏の琴、行義(ゆきよし/平行義)が笛、経房(つねふさ/源経房)の中将が笙の笛など、おもしろい。一回だけ演奏して、琵琶を弾くのをやめたところで、大納言殿(藤原伊周)が、
「琵琶、声やんで、物語せむとする事おそし」
 と吟唱なさった時に、隠れて寝ていたわたしも起きて、
「やはり屏風絵を見ない仏罰は恐ろしいけれど、こういう素晴らしさは、がまんできない」
 と言ってみなから笑われる。
※琵琶ノ声停ンデ語ラント欲スルコト遅シ(白楽天「琵琶行」)
第七十七段
 頭中将(藤原斉信/ただのぶ)がいい加減な作り話を聞いて、わたしのことをひどくけなして、
「『どうして一人前の人間だと思って誉めたのだろう』
 などと殿上の間でひどいことをおっしゃっている」
 と人から聞くだけでも恥ずかしいけれど、
「噂が事実ならともかく、嘘なのだから、自然と誤解を解いてくださるだろう」
  と笑っていたら、黒戸の前などを通る時にも、わたしの声などがする時には、頭中将は袖で顔を隠してまったく見ようとはしないで、ひどく憎まれるので、わたしはなんとも言わず、見ないようにして過ごしていたら、二月の末、ひどく雨が降って退屈な時に、宮中の物忌みで頭中将も退出できないで宿直になって、
「『やはり寂しくてならない。なにか言ってやろうか』
 とおっしゃっていたわよ」
 と、女房たちが話すが、
「そんなことはないでしょう」
 などと相手にしないで、一日中じぶんの部屋にいて夜に参上したら、中宮様はすでに寝所にお入りになっていた。女房たちは長押の下に灯りを引き寄せて、扁つき(遊戯)をしている。
「まあ、うれしい。早くいらっしゃいよ」
 などと、わたしを見つけて言うが、中宮様がいらっしゃらないのでは興ざめな気持ちがして、
〈なんのために参上したのだろう〉
 と思ってしまう。火鉢のそばに座っていたら、そこにまた、女房たちが大勢座って、話などしていると、
「だれそれが参上しています」
 と、とてもはっきりと言う。
「変だわ。いつの間にわたしがいるのがわかったのかしら」
 と尋ねさせると、主殿司(とのもりづかさ)の男だった。
「ただわたしのほうで人伝でなく直接申し上げたいことが」
 と言うので、出て行くと、男は、
「これは頭中将殿がさし上げられたのです。ご返事を早く」
 と言う。
〈ひどく憎んでいらっしゃるのに、どんな手紙なのかしら〉
 と思うが、今すぐ急いで見るほどでもないから、
「行きなさい。すぐに返事をします」
 と言って、懐に入れて、それでもやはり女房たちの話したりするのを聞いていると、男はすぐに引き返して来て、
「『返事がないなら、さっきの手紙をもらってこい』
 とおっしゃるのです。お返事を早く、早く」
 と言うが、
〈まるで『いをの物語(未詳)』のようね〉
 と思って見ると、青い薄様の紙に、とてもきれいに書いていらっしゃる。
※『いをの物語(未詳/一説に「いせの物語」「魚の物語」「かいをの物語」)』
  不安になって胸がどきどきするようなものではなかった。
「蘭省花時錦帳下(らんせいのはなのときのきんちょうのもと)『白氏文集』」
 と書いて、
「下の句はどうだ、どうだ」
 とあるので、
〈どうしたらいいのだろう。中宮様がいらっしゃるなら、お目にかけるのだが、この下の句を知ったかぶりに、おぼつかない漢字で書くのもあまりにも見苦しい〉
 と、あれこれ考えるひまもなく、返事を急き立てて困らせるので、ともかく、その手紙の余白に、火鉢に消えた炭があるのを使って、
「草の庵を誰かたづねむ」
 と書いて渡したが、それっきり返事も来ない。
 みんな寝て、翌朝ずいぶん早く局に下がったところ、源中将(げんのちゅうじょう/源宣方)の声で、
「ここに『草の庵』はいるか」
 と、おおげさに言うので、
「不思議ね。どうして『草の庵』なんて人間らしくないものがいるのでしょうか。
『玉の台(たまのうてな/美しい御殿)』
 とお探しなら、返事もいたします」
 と言う。
「ああ、よかった。下局でしたね。御前の方で聞いてみようとしてたのです」
 と言って、昨夜あったことを、
「頭中将の宿直所(とのいどころ)に、少し気の利いた者はみな、六位の蔵人まで集まって、いろいろな人の噂を、昔今と話題にして話したついでに、頭中将が、
『やはりあの女と、すっかり絶縁してしまってからはいいことがない。もしかして何か言ってくるのではないかと待っていたが、まったくなんとも思わず、平気な顔をしているのもひどくしゃくだから、今晩このまま無視するのが良いのか悪いのかはっきり決めて終わりにしてしまおう』
 と言って、皆で相談して届けた手紙を、
『「今はここでは見ない」
 と言って中に入ってしまった』
 と、主殿司の男が言うので、また追い返して、
『ただもう、手をつかまえて、有無を言わせないで返事をもらってこないなら、手紙を取り返せ』
 と厳しく言って、あれほど降っている雨のさなかに行かせたところ、とても早く帰って来て、
『これを』
 と言ってさし出したのが、さっきの手紙だから、
『返事を書いたのだな』
 と言って頭中将が一目見るなり、
『おお』
 と叫ぶので、
『妙な、どうしたのだ』
 と、みなが寄って見たところ、
『たいしたやつだな。やはり無視するわけにはいかない』
 と言って、見て大騒ぎして、
『これの上の句をつけて送ろう。源中将つけろ』
 などと、夜が更けるまでつけるのに悩んで、結局つけることができなかったことは、
未来までも、語り草になるな』
 などと皆で言い合ったよ」
 などと、本当にきまりが悪くなるほど話してくれて、
「今はあなたのお名前を、『草の庵』にしたよ」
 と言って、急いでお立ちになるので、
「ひどくみっともない名前が、末代まで残るなんて情けないわ」
 と言っている時に、修理亮則光(すりのすけのりみつ/作者の前夫、橘則光)が、
「大変なお慶びを申し上げようと、御前にいらっしゃると思って来たのです」
 と言うので、
「なにごとですか。司召などがあるとも聞いていないのに、なんの役におなりになったのですか」
 と聞くと、
「いや、本当にとても嬉しいことが昨夜あったので、早く知らせたいとわくわくしながら夜を明かしてしまった。これほど名誉なことはなかった」
 と言って、昨夜のことを最初から、頭中将がお話しになったのと同じことを言って、
「『ともかく、この返事によって、こかけをしふみし(意味不明)、いっさいそんな者がいたとさえ思わない』
 と、頭中将がおっしゃったので、みんなでいろいろ考えて送ったのだが、使いの者が手ぶらで帰って来たのは、かえってよかった。返事を持って来た時は、
〈どうなるだろう〉
 と胸がどきっとして、
〈本当に出来の悪い返事なら、わたしにとっても悪いことかもしれない〉
 と思ったのに、並一通りどころではなく、大勢の人が誉めて感心して、
『きょうだい、こっちに来い。これを聞け』
 とおっしゃるので、内心はとても嬉しいけれど、
『そういう和歌の方面には、まったくお付き合いできないわたしで』
 と申し上げたところ、
『意見を言えとか、聞いて理解しろというのではない。ただ、本人に話してやれというので聞かせるのだ』
 とおっしゃったのは、きょうだいとしては少し残念な気がしたけれど、
『上の句をつけようとしても、いい言葉が見つからない。それにまた、これに返歌がいるのだろうか』
 などと相談して、
『返歌をして下手だと言われては、かえって癪だろう』
 というので、夜中まで考え込んでいらっしゃった。これはわたしにもあなたにも、大変な喜びではないか。司召で少々の役についたって、これに比べれば嬉しくもなんともないよ」
 と言うので、
〈なるほど大勢でそんなことをしているとも知らないで、うっかり返事をしたら恥をかくところだった〉
 と、改めて胸がつぶれる思いがする。この「きょうだい」ということは、帝まですっかりご存じで、殿上でも、修理亮という官の名前は言わないで、「きょうだい」と、あだ名で呼ばれていた。
 話などをして座っている時に、中宮様が、
「ちょっと」
 とお呼びになったので、参上したところ、あの件についておっしゃろうとしたからだ。
「帝がお笑いになって、わたしに話してお聞かせになり、殿上の男たちはみなあの句を扇に書いて持ってる」
 などとおっしゃるので、呆れてしまい、
〈どんな魔性の者がわたしに憑いて、あんなことを言わせたのだろう〉
 と思った。
 それから後は、頭中将は袖を几帳のようにして顔を隠すのはやめて、機嫌を直されたようだ。
第七十八段
 翌年の二月二十日過ぎ、中宮様が職の御曹司に出ていかれるお供について行かないで、梅壺に残っていた次の日、頭中将のお便りで、
「昨日の夜、鞍馬寺に参詣したが、今夜方角がふさがっていたので、方違え(かたたがえ)に行く。まだ夜が明けないうちに、帰るだろう。ぜひ話したいことがある。局の戸を何度も叩かせることのないよう待っていて」
 とおっしゃったが、
「局で一人なんてどうしていられるの。ここで寝なさい」
 と、御匣殿がお呼びになったので、そちらに行った。
 ぐっすり寝て起きて、局に下がったら、下仕えの女が、
「昨夜ひどく誰かが戸を叩いていらっしゃいました。やっと起きたところ、
『御匣殿の御前なのか。それなら、こうこうと申し上げてくれ』
 とのことでしたが、
『お取次ぎしても、まさかお起きになることはないでしょう』
 と言って、寝てしまいました」
 と話す。
〈気がきかないわねえ〉
 と聞いていると、主殿司の男が来て、
「頭中将殿のご伝言です。
『今から退出するが、話したいことがある』
 と」
 と言うので、
「しなければならないことがあって御前に上がっています。そこで」
 と言って男を帰した。
〈局では戸を開けられるかもしれない〉
 と、胸がどきどきして、面倒なので、梅壺の東面の半蔀(はじとみ)を上げて、
「こちらに」
 と言うと、頭中将は素晴らしい姿で出ていらっしゃった。
 桜の綾の直衣のとても華やかで、裏の艶などは、言いようもないほど清らかで、葡萄染(えびぞめ)のとても濃い指貫には、藤の折り枝の模様を豪華に織り散らして、下の衣の紅の色や、砧(きぬた)で打った光沢なども輝くばかりに見える。白いのや薄紫色などの下着が下にたくさん重なっている。狭い縁に、片足は縁から下におろし、少し簾のところに近く寄って座っていらっしゃるのは、
〈実際絵に描いたり、物語で素晴らしいことと言っているのは、こういうことだな〉
 というふうに見える。
 梅壺の庭の梅は、西のは白く、東のは紅梅で、少し散る頃になっているけれど、やはり美しく、うらうらと日差しがのどかで、人に見せたい気がする。御簾の内側に、もっと若い女房などで、
「髪が美しく、こぼれかかったいる」
 などと物語に言っているような姿で、頭中将に受け答えしているなら、もう少しおもしろく見所もあるにちがいないだろうが、ひどく盛りを過ぎ、古びた女で、髪などもじぶんのものではないからだろうか、所々がちぢれ乱れて、だいたいが喪服で色が違う時なので、色があるかないかもわからない薄い鈍色の表着(うわぎ)や、色合いもはっきりしない「きは衣(未詳)」ばかりたくさん重ねて着ているが、全然引き立って見えない上に、中宮様もいらっしゃらないので、(礼装の)喪もつけないで、袿姿で座っているのは、せっかくの雰囲気がぶちこわしで残念である。頭中将は、
「中宮職へ参上する。伝言はあるか。あなたはいつ参上する」
 などとおっしゃる。
「それにしても昨夜、方違えの場所で夜を明かさないで、
〈こんな時刻でも、前から言っておいたから、待っているだろう〉
 と思って、月がすごく明るい頃に西の京という所から来るなり、局を叩いたところ、やっと寝ぼけて起きてきた様子や、応対のそっけないことといったら」
 などと話して、お笑いになる。
「まったく嫌になってしまったよ。どうしてあんな者をおいているの」
 とおっしゃる。
〈なるほどそうなのだろう〉
 とおかしくもあり気の毒でもある。しばらくしてから頭中将は出て行かれた。外から見る人は、男の素晴らしさに、
〈内側にどんな美しい人がいるだろう〉
 と思うだろう。奥の方からわたしの後ろ姿を見る人は、外にそんな素晴らしい男性がいるとは思わないだろう。
 日が暮れたので、中宮職に参上した。中宮様の御前に女房たちが大勢集まり、帝付きの女房なども伺候していて、物語の良い悪い、気に入らない所などを議論して非難する。『宇津保物語』の涼(すずし)や仲忠(なかただ)などのことを、中宮様までも劣ったり勝ったりしていることをお話しになる。
「まずこれはどう。早く意見を言って。中宮様は、仲忠の幼児期の生い立ちの賎しさをしきりにおっしゃるわ」
 などと言えば、
「いや、仲忠は琴なども天人が降りるほど弾いたし、そんなに悪い人ではないわ。涼は仲忠のように帝のお嬢様を貰ったの」
 と言うと、仲忠びいきの人たちは勢いづいて、
「そうよねえ」
 などと言うので、中宮様が、
「物語の人物のことより、昼に斉信(ただのぶ/頭中将)がやって来たのを見たのなら、
〈どんなに大騒ぎして誉めるだろう〉
 と思っていた」
 とおっしゃると、
「そう、本当にいつもよりずっと素晴らしく」
 などと言う。わたしは、
「何より先にそのことを申し上げようと思って参上しましたのに、物語のことに気をとられて」
 と言って、さっきのことをお話しすると、
「誰もが見ていたけれど、そこまで縫ってある糸や、針目までは目はいかなかったわ」
 と言って笑う。
「頭中将が、
『西の京の趣のあることといったら。
〈一緒に見る人がいたらなあ〉
 と思ったよ。垣根などもみな古びて、苔が生えていて』
 などと話すと、宰相の君が、
『瓦に松はありつるや』
 と答えたのを、頭中将が大変誉めて、
『西の方、都門を去れる事いくばくの地ぞ』
 と口ずさんだの」
 などと、女房たちがうるさいほど話して聞かせたのは、おもしろかった。
※「翠華(スイカ)来(キタ)ラズシテ歳月久シク、牆(カギ)ニ衣(コケ)アリ、瓦ニ松(ショウ)アリ」
「何ンゾ一(ヒト)タビ其ノ中ニ幸セザル。西ノ方都門ヲ去ル幾多ノ地ゾ。吾ガ君遊バザルハ深キ意有リ」
『白氏文集』
第七十九段
 里に退出していて、殿上人などが来るのを、妬ましそうに人々は話をこしらえて言っているようである。わたしがひどく思慮深く引っ込み思案という評判は、おそらくないから、そんなことを言われたって別に憎らしくはない。また、昼も夜も来る人を、どうして、
「いない」
 と言って恥をかかせて帰せるだろうか。本当に親しく付き合っていない人でも、そんなふうにして来るようだ。あんまり煩わしいので、今度はどこにいるとは皆には知らせないで、左中将経房(つねふさ)の君、済政(なりまさ)の君などだけが知っていらっしゃる。
 左衛門尉則光(さえもんのじょうのりみつ)が来て、話などをしている時に、
「昨日、宰相の中将(斉信)が参内なさって、
『妹(清少納言)のいる所を、いくらなんでも知らないはずはない。言え』
 と、しつこくお尋ねになるので、まったく知らないと申したのに、無理に白状させようとなさって」
 などと言って、
「知っていることを、知らないと言い張るのはとても辛いね。もう少しで言ってしまいそうで、左の中将がまったく無表情で知らない顔で座っていらっしゃったから、あの方と目が合ったら笑ってしまいそうで困ってしまい、台盤(食卓)の上に海藻(わかめ、あらめなど)があったのを取って、どんどん食べてごまかしたものだから、
『食事時でもないのに、変なもの食べてるな』
 と、見たことだろう。でも、そのおかげで、どことは言わないですんだ。笑っていたら、ぶちこわし。宰相の中将が、
〈本当に知らないようだ〉
 と思っていたのも、おかしかったよ」
 などと話すので、
「絶対に教えないで」
 などと言って、何日かだいぶ日が経った。
 夜がたいそう更けてから、門をひどく大げさに叩くので、
〈誰が、こんなに無遠慮に、家屋から遠くない門を音高く叩いているのだろう〉
 と聞いて、尋ねさせたら、滝口の武士だった。
「左衛門尉から」
 と言って、手紙を持って来た。みんな寝ているので、灯りを取り寄せて見ると、
「明日、御読経の結願(けちがん)の日で、宰相の中将が物忌みに籠っていらっしゃいます。
『女きょうだいのいる所を言え、言え』
 と責められるので、どうしようもない。もう隠すことはできない。
『ここです』
 と教えましょうか。どうします。あなたのおっしゃる通りに」
 言ってきた。返事は書かないで、海藻を一寸ぐらい紙に包んで持って行かせた。
 それから後で則光が来て、
「あの夜は責められて、適当な所をあちこちお連れして歩きまわった。本気で責められるので、とても辛かった。ところで、わたしの手紙になんにも返事をしないで、思いもしない海藻の切れ端を包んでくださったのか。変な包み物。人の所にあんな物を包んで送ることがあるものか。間違えたのだろう」
 と言う。
〈まったくわからなかったんだ〉
 と思うと気にくわないので、なにも言わないで、硯箱にある紙の端に、

かづきする あまのすみかを そことだに ゆめいふなとや めを食はせけむ
(海に潜る漁師のように姿を隠しているわたしの住みかを そこだとさえ絶対に言うなと目配せ〈布食わせ〉したのに それに気づかないなんて)

 と書いてさし出したところ、
「歌をお詠みになったのか。絶対に見ないよ」
 と言って、扇で紙をあおぎ返して逃げて行った。
 このように話したり、お互いの世話などしているうちに、どうということもなく、少し仲が悪くなっている頃、手紙をよこした。
「都合の悪いことがあっても、やはりきょうだいと約束したことは忘れないで、ほかの人からは、
『きょうだい』
 と見てもらいたいと思う」
 と言っている。則光がいつも、
「わたしを好きな人は、歌を詠んできたりするな。歌を詠んだら、みんな敵だと思う。
〈もうこれが最後で、別れよう〉
 と思うような時に、歌なんか詠めばいい」
 などと言っていたので、この手紙の返事に、

くづれよる いもせの山の
中なれば さらに吉野の 川とだに見じ
(崩れてしまった妹背山の間を流れる川を吉野川として見られないように 壊れてしまった私たちの関係では もう「きょうだい」とあなたを見ることはできない)

 と言ってやったが、本当に見ないままになってしまったのだろうか、返事も来なかった。
 それから則光は、五位に叙爵されて、遠江の介(とおつおうみのすけ)になったので、憎いままで途絶えてしまった。
第八十段
 悲しそうに見えるもの。鼻水を垂らして、ひっきりなしに鼻をかみながら話す声。眉毛を抜くの。
※この時代成人女子は眉毛を抜いて眉墨を引く。
第八十一段
 さて、前に記した左衛門の陣などに行った後で、里に退出してしばらくしてから、
「早く参上しなさい」
 などとある中宮様のお手紙の端に側近の女房が、
「左衛門の陣に行ったあなたの後ろ姿をいつも思い出していらっしゃいます。どうしてあんなに平気で古くさい格好をしていたのでしょう。じぶんではとても素晴らしいと思っていたのかしら」
 などと書いてあるので、中宮様のお返事には、お詫びを申し上げて、側近の女房には、
「どうしてわたしが素晴らしいと思わないことがあるでしょうか。中宮様も、
『なかなるをとめ(まるで天女のようだ)』
 とご覧になったと思いますが」
 と申し上げさせたら、折り返し、
「おまえがとても贔屓にしている仲忠の不名誉になることを、どうしてわたしに言うの。すぐ今夜のうちに、すべてのことを捨てて参上しなさい。そうしないとおまえのことをひどく嫌いになります」
 と、中宮様のお言葉があるので、
「並み一通りの憎しみでも大変です。まして、
『ひどく』
 とある文字には、命も体もそっくり放り出して」
 と申し上げて参上した
※朝ぼらけほのかに見れば飽かぬかな中なる少女しばしとめなむ『宇津保物語・吹上の下』
第八十二段
 職の御曹司に中宮様がいらっしゃる頃、西の廂の間で不断(ふだん)の読経があるので、仏の画像などを掛け、僧たちがいるのは、今さら言うまでもない。
 始まって二日ほど経って、縁側で卑しい者の声で、
「やはり、あの仏のお供えのお下がりがあるでしょう」
 と言うと、僧が、
「どうして。まだ法事も終わってないのに」
 と言っているようなのを、
〈誰が言っているのだろう〉
 と思って、立って出て行って見ると、少し老いた女法師がひどく汚ならしい着物を着て、猿のような格好で言っている。
「あの人は何を言ってるの」
 と言うと、女法師は気どった声で、
「仏のお弟子ですから、仏のお供えのおさがりを戴きたいと申し上げるのに、このお坊さまたちが惜しがってくださらないのです」
 と言う。声は派手で優雅である。
〈こういう者は、しょんぼりしているのがかわいそうな気がするのに、いやに陽気だな〉
 と思って、
「ほかの物は食べないで、ただ仏のおさがりだけを食べるのか。殊勝な心がけだな」
 などと言うこちらの様子を見て、
「どうしてほかの物を食べないことがあるでしょう。それがないから、おさがりをいただくのです」
 と言う。果物やのし餅などを、何かに入れて与えたところ、いやに馴れ馴れしくなって、いろいろなことを話す。
 若い女房たちが出て来て、
「夫はいるの」
「子供はいるの」
「どこに住んでいるの」
 などと口々に尋ねると、おもしろいことや滑稽なことを言うので、
「歌は謡うの。舞などはするの」
 と尋ね終わらないうちに、
「夜は誰とか寝む、常陸の介と寝む。寝たる肌よし」
 と謡い、そればかりかこの歌の下の句がとても長い。さらに、
「男山の峰のもみぢ葉、さぞ名は立つや、さぞ名は立つや」
 と謡う。頭をくるくる振り回すのが、ひどく憎らしいので、笑いながらも腹が立って、
「もう行って、あっちへ行って」
 と言うので、
「かわいそうに。これに、何を与えよう」
 と言うのを中宮様がお聞きになって、
「ひどいわね、聞いてはいられないことをどうしてさせたの。とても聞いていられなくて、耳をふさいでいたわ。その着物を一枚与えて、早く向こうへ行かせなさい」
 とおっしゃるので、
「これをくださった。着物が汚れているようだ。この白いのに着替えなさい」
 と言って、投げ与えると、ひれ伏して拝み、肩に着物をかけて拝舞の礼をするではないか。本当に憎らしくなって、みな奥に引っ込んでしまった。
 それから後、くせになったのだろうか。いつもわざと目立つようにして歩く。歌から「常陸の介」と名づけた。着物も白いのに着替えず、相変わらず汚れたままなので、
「この前与えたのはどこへやったのだろう」
 と憎む。右近の内侍(ないし)が参上した時に、中宮様が、
「こういう者を、女房たちは手なずけて置いているよう。うまいこと言って、いつもやってくるわ」
 と、前にあったことなどを、小兵衛という女房に真似させてお聞かせになると、右近は、
「その者をぜひ見たいです。必ず見せてください。お気に入りなんでしょう。決して横取りしたりしないですから」
 などと言って笑う。
 その後、また尼の物乞いで、とても品のいいのがやって来たのを、また呼び寄せて話など聞くと、この尼はとても身の上を恥じていてかわいそうなので、例によって着物一枚を与えたのを、ひれ伏して拝んだまではよかったが、それから泣いて喜んで去ったところを、ちょうどあの常陸介が来て見てしまった。それから後は、長く常陸の介の姿を見ないけれど、誰が思い出すものか。
 十二月十日過ぎに、雪がたいそう降ったのを、女官たちなどで、縁側にとてもたくさん積み上げて置いたが、
「同じことなら、庭に本当の山を作らせましょう」
 ということで、侍を呼んで、中宮様のお言葉として言ったので、侍たちが集まって作る。主殿寮の官人で、雪かきに来ていた者たちも、みな寄って来て、とても高く作る。中宮職の役人などもやって来て集まり、口出しして面白がる。三、四人来ていた主殿寮の人たちも、二十人くらいになった。非番で自宅にいる侍を呼びに遣わす。
「今日この山を作る人には、三日分の出勤扱いにしよう。そして来ない者は、同じ数だけ非番を取り消す」
 などと言うので、これを聞いた者は、慌てて参上する者もいる。自宅が遠い者には知らせることができない。
 作り終わったので、中宮職の役人を呼んで、褒美として巻絹を二くくりを縁側に投げ出したのを、一人一人取って、礼をしながら腰にさしてみな退出した。役人で袍(うえのきぬ)などを着ていた者は、雪かきのために狩衣に着替えていた。
「この雪山はいつまであるのかしら」
 と、中宮様が女房たちにおっしゃると、
「十日はあるでしょう」
「十日以上はあるでしょう」
 などと、十日くらいの期間をそこにいる者がみな申し上げるので、中宮様が、
「どうなの」
 とわたしにお尋ねになるので、
「正月の十日過ぎまではあるでしょう」
 と申し上げたのを、中宮様も、
〈そんなにはないわ〉
 と思っていらっしゃる。女房はみな、
「年内、それも大晦日までもたないわ」
 とばかり申し上げるので、
〈あまりにも遠い先のことを申し上げてしまった。みんなが言う通り、そんなにもたないかもしれない。月初めとでも言えばよかった〉
 と、内心では思うが、
〈まあいい、十日までもたないにしても、言ってしまったことだし〉
 と思って、頑固に言い張った。
二十日頃に雨が降ったが、消えそうもない。少し高さが低くなってゆく。
「白山の観音さま、どうか消えさせないでください」
 と祈るのも、考えてみればばかげている。
 さて、先日その雪山を作っている日に、帝のお使いで式部丞忠隆(しきぶのじょうただたか)が参上したので、敷物をさし出して話などすると、
「今日雪山を作らせられない所はありません。帝の御前の壺庭にも作らせていらっしゃいます。東宮ども、弘徽殿でも作られました。京極殿でも作らせていらっしゃいました」
 などと言うので、

ここにのみ めづらしと見る 雪の山 ところどころに 降りにけるかな
(ここだけで作って珍しいと見る雪の山は 雪が方々に降ったために 古くさいものになった)

 と、そばにいる人を介して言わせたら、忠隆は何度も首をかしげて、
「返歌をしたら、あなたの歌をけがすことになります。洒落た歌です。御簾の前でみんなに披露しましょう」
 と言って席を立った。歌がとても好きだと聞いていたのに、返歌しないなんて変だ。中宮様もこれをお聞きになって、
「素晴らしく良い歌を詠もうと思ったのでしょう」
 とおっしゃる。
 月末頃に、雪山は少し小さくなるようだが、やはりまだ高いままで、昼の頃、縁側に女房たちが出て座っていると、常陸の介がやって来た。
「どうしたの。ずいぶん長い間姿を見せなかったのに」
 と尋ねると、
「なあに、つらいことがありましたので」
 と言う。
「どんなことなの」
 と尋ねると、
「やはりわたしはこう思います」
 と言って、長々と声を引いて歌を詠む。

うらやまし 足もひかれず わたつうみの いかなる人に 物たまふらむ
(羨ましくて 足も向かない いったいどういう人に褒美をお与えになったのでしょう)

 と言うのを、女房たちは憎らしくなって嘲笑い、見向きもしないので、雪の山に登り、うろうろ歩きまわって帰った後で、右近の内侍に、
「こういうことが」
 と言ってやったところ、
「どうして人をつけてよこしてくださらなかったのです。あれが間が悪くなって、雪の山まで登ってさまよい歩いたのが、とてもかわいそうです」
 と返事が来たので、また笑う。
 ところで、雪の山はそのまま変化もなく新しい年になった。一日の日の夜、雪がとてもたくさん降ったのを、
〈嬉しいことにまた降って積もったわ〉
 と思って見ていると、中宮様は、
「これはだめよ。初めの部分は残して、新しく積もったのはかき捨てて」
 とおっしゃる。翌朝、局にとても早く下がったら、侍の長(おさ)である者が、柚の葉のような濃緑の宿直衣(とねいぎぬ)の袖の上に、青い紙を松につけた手紙を置いて、震えながら出てきた。
「それはどこから」
 と尋ねると、
「斎院から」
 と言うので、とっさに素晴らしく思われて、受け取って中宮様のところへ参上した。
 まだおやすみになっているので、まず御帳台の前にあたる御格子を、碁盤などを引き寄せて、それを踏み台にして、一人で力を入れて上げるが、とても重い。片一方だけ持ち上げるから、きしきしと鳴るので、目を覚まされて、
「どうしてそんなことをするの」
 とおっしゃるので、
「斎院からお手紙が来ているのに、どうして格子を急いでで上げないでいられましょう」
 と申し上げると、
「本当にとても早いお手紙ね」
 とおっしゃってお起きになられた。お手紙をお開けになると、五寸ほどの卯槌二本を、卯杖のように頭の所を紙に包んで、山橘(やまたちばな)、 日蔭の蔓(ひかげのかずら)、山菅(やますげ)などを可愛らしくの飾って、お手紙はない。
「お手紙がないわけはない」
 とご覧になると、卯杖の頭を包んである小さい紙に、

山とよむ をののひびきを たづぬれば いはひの杖の 音にぞありける
(山に鳴りわたる斧の響きをたずねてみると 卯の日の祝いの杖を切る音だった)

 お返事をお書きになる中宮様のご様子もとても素晴らしい。斎院に対しては、こちらからお出しになるお手紙も、お返事も、やはり特別に気を使われ、書き損じも多く、配慮がうかがわれる。使者への祝儀は、白い織物の単衣、蘇芳色なのは、梅襲のようだ。雪の降り積もる中を、祝儀を肩に掛けて行くのも美しく見える。その時の中宮様の返歌を、知らないままになってしまったのが、とても残念。
さて、例の雪の山は、本当にの越(こし)の白山のように見えて、消えそうもない。黒くなって、見る甲斐もない姿はしているけれども、本当に勝ったような気がして、
〈なんとか十五日まで持たせたい〉
 と祈る。だが、
「七日さえ過ごすことはできない」
 と、やはり女房たちが言うので、
〈なんとかしてこれの最後を見届けたい〉
 と誰もが思っていると、急に中宮様は内裏に三日にお入りになる。
〈とても残念。この山の最後を知らないで終わってしまうなんて〉
 と、本気で思う。ほかの女房たちも、
「本当に最後が知りたかったのに」
 などと言うし、中宮様もそうおっしゃるので、
〈同じことなら言い当ててお見せしたい〉
 と思っていた甲斐がないので、道具類を運ぶとても忙しい時に紛れて、木守(こもり/庭園の番人)という者が土塀のあたりに廂をかけ住んでいるのを、縁側の近くに呼び寄せて、
「この雪の山をしっかり番をして、子供たちに踏み散らされたり、壊されたりしないよう、大切に守って、十五日までいなさい。その日まで雪が残っていたら、立派なご褒美をくださる。わたしからも十分なお礼をするわ」
 などと話して、いつも台盤所の女房や、下僕などに、憎まれているのに、果物やなにかをたくさん与えたところ、にこにこ笑って、
「簡単なことです。確かに番をしましょう。子供がきっと登るでしょう」
 と言うので、
「それを止めて言うことを聞かない者は、言いなさい」
 などと言い聞かせて、中宮様が内裏にお入りになったので、わたしは七日までお仕えしてから里に退出した。
 その間も雪山のことが気がかりなので、宮仕えの者、樋洗し(ひすまし)、長女(おさめ)などを使って、木守を絶えず注意しに行かせる。七日のお節句のおさがりまで与えたところ、木守が拝んだことなどを話して、みなで笑う。
 里にいても、まず夜が明けるとすぐに、これが重大事と雪山を見に行かせる。十日の頃に、
「十五日までもつくらいはあります」
 と言うので、嬉しく思う。そして、昼も夜も見に行かせるが、十四日の夜になって、雨がひどく降るので、
〈これで消えてしまうだろう〉
 と、気が気ではなく、
「あと一日二日を待ってくれないで」
 と、夜も起きて愚痴を言いため息をつくので、聞いている人も、
「ばかげている」
 と言って笑う。誰かが出て行くので、わたしは寝ないで起きていて、下仕えを起こさせるが、全然起きないので、ひどく憎らしく腹が立って、やっと起きてきたのを遣わして見せると、
「円座の大きさくらいは残っています。木守が一生懸命に守っていて、子供も寄せつけないで、
『明日の朝まではあるでしょう。ご褒美をいただきましょう』
 と言っています」
 と言うので、とても嬉しくて、
〈早く明日になったら、歌を詠んで、器に雪を入れて中宮様にさしあげよう〉
 と思う。とても待ち遠しく辛い。 
 まだ暗いうちに起きて、折櫃(おりびつ)などを使いに持たせて、
「これに雪の白そうなところを入れて持って来て。汚ならしそうなところは、掻いて捨てて」
 などと言って行かせたら、とても早く、持たせた物をぶらさげて、
「とっくになくなっていました」
 と言うので、もうびっくりして、
〈おもしろく詠んで人にも語り伝えさせよう〉
 と、苦心して詠んだ歌も呆れたことに役に立たなくなってしまった。
「どうしてそんなことになったのだろう。昨日まであれほどあった雪が、夜のうちに消えてしまうとは」
 と言って気がめいっていると、
「木守が言うには、
『昨日はとても暗くなるまではありました。ご褒美をいただこうと思っていたのに』
 と、手を叩いて騒いでいました」
 などと言って騒いでいると、宮中から中宮様のお言葉がある。
「ところで、雪は今日までありましたか」
 というお言葉なので、ひどく癪で残念だが、
「『年内、一日までだって残っていない、と人々が申し上げていましたのに、昨日の夕暮れまでありましたのは、実にたいしたものだと思っています。今日まで残っていたのでは、出来すぎだということで、夜のうちに、誰かがわたしを憎んで、取って捨てたのです』
 と申上げてください」
 などと申し上げた。
 二十日に参内した時にも、まずこのことを中宮様の御前でも言う。
「身は投げ捨てた(雪山童子の半偈投身の説話『大般涅槃経』)」
 と言って、蓋だけを持って来たという法師のように、使いがすぐに戻って来たのにびっくりしたこと、物の蓋に雪で小山を作って、白い紙に歌を立派に書いてお目にかけようとしたことを申し上げると、中宮様はたいそうお笑いになる。御前の人たちも笑うと、
「こんなに心にかけて思っていることを無にしたのだから、罰が当たるわ。本当は、十四日の夜、侍たちを行かせて取り捨てたの。おまえの返事でそれを言い当てたのが、とてもおもしろかったわ。木守の女が出て来て、一生懸命手を合わせて頼んだけれども、
『中宮様のご命令だ。あの里から来るような人に、こうだとは知らせるな、知らせたら、小屋を壊す』
 などと言って、左近の司の南の土塀などにみな捨ててしまったらしい。
『ひどく固くて、量も多かった』
 などと言ってたようだから、なるほど二十日までもったことでしょう。今年の初雪も、降り積もっていたかもしれないわね。帝もお聞きになって、
『ずいぶん思慮深い予測をして争ったのだな』
 などと、殿上人たちなどにもおっしゃっていた。それにしてもその歌を話して。今はこんなふうに打ち明けたのだから、雪山が残っていたのと同じこと、おまえが勝ったのだよ」
 と、中宮様もおっしゃるし、女房たちも言うけれど、
「どうして、それほでつらいことを聞きながら、申し上げられるのでしょうか」
 などと、本当に本心から憂鬱で、辛く思っていると、帝もやって来られて、
「実際、この何年もの間、宮(中宮)のお気に入りの人と思っていたのに、これでは、
〈そうでもないな〉
 と思ったよ」
 などとおっしゃるので、ますます情けなく辛く、泣いてしまいそうな気がする。
「いやもう、ああ。大変辛い世の中ですね。後から降って積もった雪を嬉しいと思いましたのに、
『それはいけない、掻いて捨てなさい』
 とお言葉がありました」
 と申すと、
「宮は、
〈勝たせたくない〉  
 とお思いになったのだろう」
 と言って、帝もお笑いになる。
第八十三段
 素晴らしいもの 。唐錦(からにしき)。飾り太刀。作り仏の木絵(もくえ)。色合いが深く、花房が長く咲いている藤の花が、松にかかっているの。
 六位の蔵人。身分の高い若君たちでも、必ずしも着ることができない綾織物を、自由に着ている青色姿などが、とても立派だ。蔵人所の雑色や、普通の身分の子供なので、殿様の家の侍として、四位や五位の官職の人に使われて、目にもつかなかったのに、蔵人になってしまうと、言いようもないほどの変わりようで驚いてしまう。宣旨などを持って参上したり、大饗(だいきょう)の時の甘栗の使いなどで参上したのを、ご主人側で大切に扱っていらっしゃる様子は、
〈どこから天降った天人なのだろう〉
 と思われる。
 娘が妃になっていらっしゃったり、また、入内(じゅだい)前でも、姫君などと申し上げている方の所に、蔵人が帝のお手紙の使いとして参上すると、そのお手紙を御簾の中に取り入れるのをはじめとして、敷物をさし出す女房の袖口など、その応対ぶりは毎日見慣れている者に対してはとは思えない。下襲(したがさね)の裾(きょ)を長く引いて、衛府を兼ねている蔵人は、もう少し素敵に見える。その家の主人みずからが杯(さかずき)などをおさしになるのだから、蔵人自身もどう思っていることだろう。以前はひどく畏まって、土の上にひざまずいていた一族の方や、名家の若君たちにも、今は気持ちだけは遠慮して畏まっているものの、若君たちと肩を並べて連れだって歩き回る。夜、帝が近くでお使いになるのを見ると、嫉妬さえ感じてしまう。帝に親しくお仕えする三年、四年くらいを、身なりが悪く、衣服の色がよくないままお勤めするのは、どうしようもない。叙爵の時期になって、殿上をおりるのが近づくだけでさえ、命よりも惜しいはずなのに、臨時の受領の空きなどを申請して、殿上をおりるのはみっともなく思われる。昔の蔵人は、おりる前年の春夏から泣いていたのに、今の蔵人は受領になりたがって競っている。
  博士で学識があるのは、
「立派だ」
 と言うのも愚かである。顔は醜くて、身分も低いけれど、高貴な方の御前近く参上して、それ相応のことをお尋ねになられて、学問の師としてお仕えするのは、羨ましく素晴らしいことだと思う。願文、表、詩歌の序などを作成して褒められるのも、とても素晴らしい。
 法師で学識のあるのは、改めて言うまでもない。
 后の昼の行啓(ぎょうけい)。
 摂政・関白の外出や、春日神社への参詣。葡萄染の織物。すべてなにもかも、紫色であるものは立派である。花も糸も紙も。庭に雪が厚く降り積もっているの。摂政・関白。紫の花の中では、杜若(かきつばた)が少し醜い。六位の宿直姿が素敵なのも、紫だからだ。
第八十四段
 優艶なもの。ほっそりとして美しい貴公子の直衣姿。可愛らしい童女が、うえの袴わざわざはかないで、脇を多く開けた汗衫(かざみ)だけを着て、卯槌、薬玉などを腰につけて飾り糸を長く垂らし、高欄の所などに、扇で顔を隠して座っているの。 薄様の草子。柳が芽吹いた枝に、青い薄様に書いた手紙をつけてあるの。三重がさねの扇。五重がさねの扇は、あまり厚くなって、手元などが醜い感じだ。とても新しいわけでなく、ひどく古びてもいない檜皮葺の家の屋根に、長い菖蒲をきちんと葺き並べてあるの。青々とした簾の下から、几帳の帷子(かたびら)の朽木形(くちきがた)がとてもつやつやとして、紐が風に吹かれてなびいているのは、とてもおもしろい。白い組み紐の細いの。帽額(もこう/幕)の鮮やかなの。簾の外や高欄のあたりにとても可愛らしい猫が、赤い首綱に白い札がついて、重りの紐や組糸の長いのをつけて、それを引っ張って歩くのもおもしろく優美である。 五月の節会のあやめの女蔵人(にょくろうど)。髪に菖蒲の鬘(かずら)をつけ、赤紐のような派手な色でない紐をつけて、領布(ひれ)、裙帯(くたい)などをまとって、薬玉を親王たち上達部が立ち並んでいらっしゃるのにさし上げるのは、たいそう優艶だ。親王たちが薬玉を受け取って腰に結びつけてから、御礼の拝舞をなさるのも、とても素晴らしい。紫の紙を包み文にして、房の長い藤につけたの。小忌衣(おみごろも)を着て神事に奉仕する若君たちも、とても優艶である。
※領布(ひれ/肩にかける細長い白布)
※裙帯(くたい/女官の正装の時、装飾として、裳の左右に長く垂らした紐)
第八十五段
 中宮様が五節(ごせち)の舞姫を出されるのに、介添えの女房が十二人、よそでは、
「女御や御息所(みやすどころ)に仕える女房を出すのはよくないことにしている」
 と聞くのに、どう思われたのか、中宮方の女房を十人お出しになる。後二人は、女院(にょういん)と淑景舎(しげいしゃ)の女房で、二人は姉妹である。
 節会の辰の日の夜、中宮様は青摺(あおずり)の唐衣と汗衫を女房や童女みんなに着せていらっしゃる。このことは、女房にさえ前もって知らせず、邸の人々にはなおさらひた隠しにして、人々が装束をつけ終わって、暗くなった頃に持って来て着させる。赤紐をきれいに結んで下げて、たいそうつやを出した白い衣に、普通版木で摺る模様は、絵で描いてある。 織物の唐衣の上にこれを着ているのは、本当に珍しいが、特に汗衫を着た童女は女房よりも多少優美である。下仕えの女までが出て座っているのを、殿上人、上達部がびっくりしておもしろがり、
「小忌(おみ)の女房」
 と名づけて、小忌の若君たちは、簾の外に座って女房と話などする。中宮様が、
「五節の局を日も暮れないうちからみな取り壊して、開けっ放しにして、介添え人たちをみっともない格好でいさせるのは、とてもおかしなことです。辰の日の夜までは、やはりそのままにしておくのがいい」
 とおっしゃって、介添え人たちは追いたてられもしないで、几帳の隙間を結び合わせて、袖口は局の外にこぼれ出ている。小兵衛という女房が、赤紐が解けているのを、そばの女房に、
「これを結んで」
 と言うと、実方の中将が近寄って結び直すのだが、様子が普通ではない。

あしひきの 山井の水は こほれるを いかなる紐の 解くるなるらむ
(山の湧き水が凍っている冬なのに いったいどういう紐「氷も」が解けるのでしょう)

 と話かける。小兵衛は若い人で、こんな人目が多い場所だから、言いにくいのだろうか、返歌もしない。そのそばにいる女房たちも、そのまま見過ごすばかりで、何も言わないのを、中宮職の役人などは、返歌を、
〈今か今か〉
 と、耳をすまして聞いていたが、時間がかかりそうなので気になり、五節の局に別の方から入って、女房のそばに寄って、
「どうして返歌をしないのです」
 などと囁いているようだ。わたしは小兵衛とは四人ほど隔てて座っているので、返歌をうまく思いついたとしても言いにくいし、まして歌詠みと知られた中将の歌には、よほどよくできた歌でないと、返歌はできない。つい遠慮してしまうのが情けない。歌詠みはそんなふうではいけない。格別立派な歌でなくても、即座に詠むものだ。中宮職の役人が、爪はじきをするのが、気の毒なので、
※爪はじき(人差し指又は中指の爪先を親指の腹にかけてはじくこと)

うは氷 あはに結べる 紐なれば かざす日かげに ゆるぶばかりを
(水面の薄い氷のように軽く結んだ紐だから 日光ですぐに氷が解けるように 日蔭の蔓をかざした小忌の君たちに会うと この紐もすぐに解けます)

 と、弁のおもとという女房に伝えさせると、弁はもじもじするばかりで最後まで言えないので、中将が、
「何ですか、何ですか」
 と耳を傾けて聞き返すのに、少しどもる癖がある人が
ひどく気取って、
〈素晴らしく聞かせよう〉
 と思ったので、中将が結局聞き取れないままになったのは、かえってわたしの下手な歌の恥が隠れる気がしてよかった。
 舞姫が御殿に上がる時の送りなどに、
「気分がすぐれない」
 と言って行かない女房にも、中宮様が行くようにおっしゃったので、いる限りの女房が連れ立って行ったものだから、ほかから出す舞姫とは違って、あまりにも大げさすぎるようだ。中宮様の出された舞姫は、相尹(すけまさ)の馬の頭(かみ)の娘で、染殿の式部卿宮の北の方の四番目のお子様、十二歳でとても可愛らしかった。最後の夜も、舞姫が慣れないせいで気を失って背負って退出するという騒ぎもない。舞の終わった後、そのまま仁寿殿(じじゅうでん)を通って、清涼殿の東の簀子から、舞姫を先に立てて、中宮様の上の御局に参上したのもおもしろかった。
第八十六段
 細太刀(ほそだち)に平緒(ひらお)をつけて、さっぱりと美しい召使の男が持って通るのも、優艶である。
第八十七段
 内裏は五節の頃がなんとなく、いつも見慣れている人までも素敵に思われる。主殿司(とのもりづかさ)の女官などが、色とりどりの小切れを、物忌みの札のようにして、釵子(さいし/かんざしの類)につけているなども珍しく見える。宣耀殿(せんようでん)の反橋(そりはし)の上に、結い上げた髪の元結のむら濃染めも鮮やかに、並んで座っているのも、なにかにつけて素敵なことばかりだ。上の雑仕(ぞうし/雑役婦)や女房に仕えている童女たちが、
〈とても晴れがましい〉
 と思っているのは、もっともである。小忌衣(おみごろも)の山藍や、冠につける日陰の蔓などを、柳筥(やないばこ)に入れて、五位に叙せられた男が持って歩くなど、とてもおもしろく見える。殿上人が直衣を脱いで垂れて、扇やなにかで拍子をとって、
「つかさまさりとしきなみぞたつ」
 という歌を謳い、五節の局のそれぞれの前を通るのは、
宮仕えにとても慣れている人も胸が騒ぐに違いない。まして殿上人が一斉にどっと笑ったりする時は、ひどく恐ろしい。
 行事の蔵人の掻練襲(かいねりがさね)は、何物にもましてきれいに見える。客用の敷物などが敷いてあるが、かえってその上に座ることもできないで、出だし衣で座っている女房の様子を誉めたりけなしたりして、この頃は五節所の噂で持ちきりだ。
 帳台の試みの夜、行事の蔵人がひどく厳しく仕切って、
「理髪役の女房と、二人の童女以外は舞殿に入ってはいけない」
 と戸を押さえて、憎らしいほどに言うので、殿上人などが、
「それでもこの女房一人くらいは」
 などとおっしゃると、
「不公平になりますから、だめです」
 などと頑固に言うのに、中宮様の女房が二十人ぐらい、蔵人を無視して、戸を押し開けてざわざわ入るので、蔵人はあっけにとられて、
「まったくこれはどうしようもない世の中だ」
 と言って、立っているのもおもしろい。その後に続いて、介添えの女房たちもみな入る。蔵人はひどく癪なようだ。帝もお越しになられて、
〈おもしろい〉
 とご覧になっていらっしゃることだろう。
 燈台に向かって寝ている舞姫たちの顔も、可愛らしい。
第八十八段
「『無名(むみょう)』
 という名の琵琶の琴を、帝が持っていらっしゃったので、女房が見たり、弾き鳴らしている」
 と言うが、実は弾くのではなく、弦を手でもてあそび、
「この名前ですが、なんと言いましたかしら」
 と申し上げると、中宮様が、
「ただもうつまらないもので、名もないのよ」
 とおっしゃったのは、
〈やはりとても素晴らしい〉
 と思った。
 淑景舎(しげいしゃ/中宮定子の妹原子)などがいらっしゃって、中宮様とお話しなさるついでに、
「わたしのところにとても風情ある笙(しょう)の笛があります。無くなった父上(藤原道隆)がくださったものです」
 とおっしゃると、僧都の君(道隆の四男隆円)が、
「それを隆円にください。わたしのところに素晴らしい琴(きん)があります。それと交換してください」
 と申し上げられたのを、淑景舎はお聞きにもならないで、ほかのことをおっしゃるので、隆円はなんとか返事をしてもらおうと、何度もお聞きになるのに、やはり何もおっしゃらないので、中宮様が、
「〈いなかへじ(いいえ、交換しない)〉
 と思っていらっしゃるのに」
 とおっしゃったご様子の、非常におもしろいこと限りない。この「いなかへじ」という笛の名を、僧都の君もご存じなかったから、ただもう恨めしく思われたようだ。これは職の御曹司に中宮様がいらっしゃった時のことのように思う。帝の御前に「いなかへじ」という笛があるその名前である。
 帝の御前にある物は、琴も笛もみな珍しい名前がつけられている。琵琶は、玄上(げんじょう)、牧馬(ぼくば)、井手(いで)、渭橋(いきょう)、無名(むめい)など。また、和琴(わごん)なども、朽目(くちめ)、塩釜(しおがま)、二貫(ふたぬき)などの名があるとのことだ。水竜(すいろう)、小水竜、宇多の法師、釘打(くぎうち)、葉二つ(はふたつ)、そのほか色々、たくさん聞いたけれど、忘れてしまった。
「宜陽殿(ぎようでん)の一の棚に置くほどの名器」
 という言葉は、頭中将が口癖にしていらっしゃった。
第八十九段
 上の御局の御簾の前で、殿上人が一日中、琴を弾いたり笛を吹いて遊んだりして、灯火をつける頃になって、まだ格子は下げてないのに、灯りをつけたものだから、戸の開いているのが外からはっきり見えるので、中宮様は琵琶の琴を、立てて持っていらっしゃる。紅のお召し物などで、言葉では言えないほどの素晴らしい袿、また張ってある衣(きぬ)などを、たくさんお召しになって、とても黒くて艶々した琵琶に、お袖をうち掛けて持っていらっしゃるだけでも素晴らしいのに、そのわきから額のあたりがとても白く美しくくっきりとはみ出ていらっしゃるのは、例えようがない。女房に近寄って、
「顔を半ば隠していたという女(ひと)も、こんなに素晴らしくはなかったでしょう。あれは、身分の低い人でしたから」
 とわたしが言うと、女房は通り道もない所を人をかきわけて参上して中宮様に申し上げると、中宮様はお笑いになって、
「『別れ』は、知っているのかしら」
 とおっしゃるのも、大変おもしろい。
※「顔を半ば隠して・・・」猶ヲ琵琶ヲ抱キテ半バ面ヲ遮ル
※「あれは、身分の低い人・・・」本ハ長安ノ倡女
※「『別れ』は・・・」別ルル時茫茫トシテ江ハ月ヲ浸ス
いずれも白楽天『琵琶行』よりの引用。
第九十段
 いまいましいもの。人のところへこちらから送る手紙でも、人の手紙の返事でも、書いてしまった後で、文字を一つ二つ直したくなったの。急ぎの物を縫う時に、
〈うまく縫った〉
 と思ったのに、針を引き抜いたところ、最初の糸の端を結んでおかなかったの。また、裏返しに縫ったのも、いまいましい。
 南の院に中宮様がいらっしゃる頃、
「急ぎの仕立物です。どなたもどなたも、すぐに大勢で縫ってしまいなさい」
 ということで、反物をくださったので、南面に集まって、着物の片身頃ずつ、
「誰が早く縫うか」
 と競争して、近くで向かい合いもしないで縫っている様子もまったく正気を失っているようだ。命婦の乳母が、とても早く縫い終わって下に置いたのは、ゆきの長いほうの片身を縫っていたのだが、裏返しなのに気づかないで、糸の縫い止めもしないで、慌てて置いて席を立ったが、もう片方と背を合わせてみると、はじめから表裏が違っていた。大声で笑って、
「早くこれを縫い直して」
 と言うのを、
「誰が間違えて縫ってあるとわかって縫い直すの。綾などなら、模様があるから、裏を見ない人も、
〈なるほど〉
 と思って直すでしょうが、これは無紋のお着物だから、何を目印にするの。直す人は誰かいるでしょ。まだ縫っていらっしゃらない人に直させて」
 と言って、言うことを聞かないから、
「そんなこと言ってすむの」
 と言って、源少納言、中納言の君などという人たちが、面倒くさそうに取り寄せてお縫いになるのを、乳母が遠くから見て座っていたのがおもしろかった。
 風情のある萩や薄などを植えて眺めている時に、長櫃を持った者が、鋤などを引き下げて来て、掘りに掘って持って行くのは、情けなくいまいましい。相当な身分の人がいる時には、そんなことはしないのに、女ばかりだと、一生懸命止めても、
「ほんの少し」
 などと何気なく言って立ち去ってしまうのは、言う甲斐もなくいまいましい。受領などの家にも、相当な家の下僕などが来て、失礼なことを言い、
〈怒ったところでじぶんをどうすることもできない〉
 などと思っているのは、またくいまいましい。
 見たい手紙などを、男が取って、庭に下りて立って読んでいるのを、とても情けなくいまいましく思って追って行くが、御簾のところで立ち止まってその様子を見ている気持ちって、飛び出していきたい気持ちがする。
第九十一段
 いたたまれないもの。お客様などに会って話をしている時、家族が奥の方で露骨な話などをするのを、止めることもできないで聞いている気持ち。愛する人がひどく酔って、露骨なことを言うの。そばで聞いていたのを知らないで、人の噂をしたの。それは、大した身分ではなくても、使用人などの場合でも、とてもいたたまれない。外泊している所で、下男たちがふざけているの。醜い赤ん坊を、じぶんだけが可愛いと思うままに、大切にして可愛がって、その子の声そっくりに、言ったことなどを人に話しているの。学識のある人の前で、学識のない人が、いかにも物を知っているような声で、古人の名前など言ってるの。特別良いとも思われないじぶんの歌を人に話して、人が誉めたりしたことを言うのも、いたたまれない。
第九十二段
 あきれてしまうもの。(情けないもの) 挿櫛(さしぐし/装飾用の櫛)をすって磨くうちに、物に突き当たって折ってしまった気持ち。牛車のひっくり返ったの。
〈こんな大きな物は、どっしりしているだろう〉
 と思ったのに、ただ夢のような気持ちがして意外で、あっけない。
 その人にとって恥ずかしく都合の悪いことを、遠慮もなく言っているの。
〈必ず来るだろう〉
 と思う人を、一晩中起きて待って夜を明かして、夜明け前に、ほんのちょっと忘れて、寝てしまったところ、烏がとても近くで、
「かあ」
 と鳴くので、目をあけてみたら、昼になっているのは、ひどく呆れてしまう。見せてはならない人に、よそに持って行く手紙を見せているの。まったく知らない見てもいないことを、人がこちらに向かい合って、反論する余裕も与えないで言っているの。物をひっくり返してこぼした気持ち、まったく呆れてしまう。
第九十三段
 残念なもの 。五節(ごせち)や御仏名(みぶつみょう)に雪が降らないで、雨が空を暗くして降っているの。節会(せちえ)などに、宮中の物忌がぶつかったの。準備して、
〈早く〉
 と待っていた事が、差し支えがあって、急に中止になったの。遊びたかったり、見せたいものがあって、呼びにやった人が来ないのは、とても残念。
 男でも女でも法師でも、仕えている所などから、気の合った人が一緒に、お寺に詣り見物にも行くのに、車から派手な衣装がこぼれ出て、言ってみれば趣向を凝らしすぎで、
〈見苦しすぎる〉
 と見られてしまいそうなほどなのに、それ相応の人と馬でも車でも出会うことなく、見られないで終わってしまうのは、とても残念だ。おもしろくないので、
〈趣味の豊かな下人などで、人に話して聞かせるような者と出会えないかな〉
 と思うのも、はなはだ異様である。
第九十四段
 五月の精進の間、中宮様が職の御曹司にいらっしゃる頃、塗籠(ぬりごめ)の前の二間である所を、特別に飾りつけたので、ふだんと様子が違っているのもおもしろい。月の初めから雨がちで曇りの日が続く。
 退屈なので、
「ほととぎすの声を探しに行こうよ」
 と言うと、
「わたしも」
「わたしも」
 と出発する。
「賀茂の奥に、何崎と言ったかしら、七夕の渡る鵲(かささぎ)の橋ではなくて、奇妙な名で評判の、あのあたりでほととぎすが鳴く」
 と誰かが言うと、
「それは蜩(ひぐらし)よ」
 と言う人もいる。
「そこへ」
 ということで、五日の朝に、中宮職の役人に、車の手配を頼んで、北の陣から、
「五月雨の時は叱られはしないわ」
 と、建物に車を寄せて、四人ぐらい乗って行く。残った女房は羨ましがって、
「やはりもう一つの車で、同じことなら」
 などと言うと、
「だめです」
 と中宮様がおっしゃるので、女房の言うことを聞かないで、容赦なく出かけて行くと、馬場という所で、人が大勢で騒いでいる。
「何をしているの」
 と尋ねると、
「競射の演習で、弓を射るのです。しばらくご覧ください」
 と言うので、車を止めた。
「左近の中将やみなさん着座してください」
 と言うが、そういう人も見えない。六位の役人などがうろうろしているので、
「見たくもないわ。早く行きなさい」
 と言って、どんどん進んで行く。道も、賀茂祭の頃が思い出されておもしろい。
 目的の所は、明順(あきのぶ)の朝臣(あそん)の家だった。
「そこも早速見物しよう」
 と言って、車を寄せて下りた。田舎風の、簡素な造りで、馬の絵が描いてある障子、網代屏風、三稜草(みくり)の簾など、わざわざ昔の様子をそのまま写している。建物の様子も頼りなさそうで、渡り廊下のような作りで、端近で奥行きはないが趣があり、なるほど人が言ったとおり、
〈うるさい〉
 と思うほど鳴き合っているほととぎすの声を、
〈残念だな、中宮様にお聞かせできないし、あんなに来たがっていた人たちにも・・・〉
 と思う。明順は、
「田舎らしく、こういうのを見るのもいいでしょう」
 と言って、稲というものを取り出して、若い下層の女たちの、こざっぱりとした、その辺の家の娘などを連れて来て、五、六人で稲こきをさせ、また見たこともないくるくる回る機具を、二人で引かせて、歌を謡わせたりするのを、珍しくて笑う。ほととぎすの歌を詠もうとしてたのも忘れてしまった。唐絵(からえ)に描いてあるような懸盤(かけばん/食器をのせる台)で食物を出したのを、誰も見向きもしないので、家の主人の明順は、
「田舎者みたいだ。こういう所に来た人は、悪くすると主人が逃げ出してしまうほど、おかわりを催促して召し上がるものなのに。まったく手をつけないのでは、都の人らしくない」
 などと言って座を取り持って、
「この下蕨(したわらび)は、わたしがじぶんで摘みました」
 などと言うので、
「どうして下級の女官などのように、懸盤の前に並んで座についているなんて」
 などと笑うと、
「それなら、懸盤からおろして。いつも腹這いに慣れていらっしゃるあなた方ですから」
 と言って、食事の世話をして騒ぐうちに、供の者が、
「雨が降ってきた」
 と言うので、急いで車に乗ると、
「ところでほととぎすの歌は、ここで詠まなければ」
 などと言うので、
「それもそうだけれど、道中でもいいわよ」
 などと言って、みな車に乗った。卯の花が見事に咲いているのを折って、車の簾や脇などに挿してまだ余るので、車の屋根や棟などに、長い枝を葺いたように挿したので、まるで卯の花の垣根を牛に掛けたように見える。供をしている男たちも、ひどく笑いながら、
「ここがまだだ、ここがまだだ」
 と挿している。
〈誰かに会わないかな〉
 と思うのに、卑しい法師や身分の低いつまらない者をたまに見るだけで、とても残念に思って、御所近くまで帰って来たが、
「これで終わってしまっていいの。せめてこの車の様子を、人の語り草にさせなくては」
 ということで、一条殿のあたりに車を止めて、
「侍従殿はいらっしゃいますか。ほととぎすの声を聞いて、今帰るところです」 
 と言わせた使いが、
「『すぐに伺います。しばらくお待ちを』
 とおっしゃいました。侍所でくつろいだ姿でいらっしゃったのですが、急いで立って、指貫をお召しに」
 と言う。
「待つ必要ないわ」
 ということで、車を走らせて、土御門の方へ向かうと、侍従はいつの間に装束をつけたのだろうか、帯は道の途中で結んで、
「ちょっと、ちょっと」
 と言って追って来る。供に侍が三、四人ぐらい、履物もはかないで走って来るようだ。
「早く走らせて」
 と、いっそう走らせて、土御門(つちみかど)に到着したところへ、はあはあ息を切らしていらっしゃって、この車の様子をひどくお笑いになる。
「正気の人が乗っているとは、まったく見えない。まあ降りて、見ろ」
 などと言ってお笑いになるので、供をして走っていた人も、一緒におもしろがって笑う。
「歌はどう。それを聞こう」
 とおっしゃるので、
「これから中宮様にご覧に入れて、その後で」
 などと言っているうちに、雨が本当に降ってきた。
「〈どうしてほかの御門のようではなく、土御門に限って屋根もなく作ったのだろう〉
 と今日のような日はとても憎らしい」
 などと言って、
「どうして帰ることができる。ここへ来るのは、ただ、
〈遅れない〉
 と思ったので、人目も気にしないで走って来られたのだが、さらに先に行くのでは、ひどく興ざめだ」
 とおっしゃるので、
「さあ、いらっしゃい。宮中へ」
 と言う。
「烏帽子では行けない」
「使いに取りに行かせたら」
 などと言っていると、雨も本降りに降るので、笠もない男たちは、ひたすら車を門内に引き入れる。侍従殿は、一条の邸から傘を持ってきているのにささせて、こちらを振り返りながら、今度はゆっくりと億劫そうに、卯の花だけを手に持ってお帰りになるのもおもしろい。
 さて、中宮様のところに参上すると、今日のご様子などをお尋ねになる。一緒についていけなくて恨んでいた人々は、嫌味を言ったり情けがったりしながら、藤侍従(とうじじゅう)が一条の大路を走った話をすると、みな笑った。
「それでどうしたの、歌は」
 とお尋ねになるので、
「こうこうです」
 と申し上げると、
「情けないわねえ。殿上人などが聞くのに、どうしておもしろい歌が一つもなくてすまされるの。そのほととぎすの声を聞いた所で、さっと詠めばよかったのに。あまり儀式ばって詠もうとしたのはよくない。ここででも詠みなさい。本当にしょうがない」
 などとおっしゃるので、
〈なるほどそうだ〉
 と思うと、とても辛いので、歌の相談などしていると、藤侍従が、さっきの卯の花につけて、卯の花襲の薄様に歌を書いてきた。この歌は忘れてしまった。
「この歌の返事をまずしよう」
 などと、硯を取りに局に人をやったところ、中宮様が、
「ただこれを使って早く返事を」
 と、硯箱の蓋に紙などを入れてくださった。
「宰相の君、お書きなさい」
 と言うと、
「やはりあなたが」
 などと言っているうちに、空を真っ暗にして雨が降り、雷がひどく恐ろしく鳴るので、どうしてよいかわからず、ひたすら恐ろしいので、格子を慌てて下ろし回っているうちに、歌のことも忘れてしまった。
 すごく長い間雷が鳴って、少し止む頃には暗くなっていた。
「今すぐ、やはりこの返事をさし上げよう」
 ということで、返歌に取りかかると、さまざまな人や上達部などが、雷のお見舞いにやって来られるので、西向きの部屋に応対に出て、お話などをしているうちに歌のことは忘れてしまった。ほかの女房たちもまた、
「歌をもらった人が返歌をすればいい」
 と、やめてしまった。
〈やはり歌には縁のない日のようだ〉
 と気がふさいで、
「こうなったらもう、
『ほととぎすの声を聞きに行った』
 とさえ、人に言わないことにしよう」
 などと言って笑う。中宮様が、
「今だって、その出かけた人たちでなんとかすれば詠めるはずなのに。でも、詠む気がないのね」
 と、不機嫌そうなご様子であるのも、とてもおもしろい。
「でも、今はもう興ざめな気分なのです」
 と申し上げる。
「興ざめなものか、とんでもない」
 とおっしゃったが、それで終わった。
 二日ほど経って、ほととぎすの声を聞きに行った日のことなどを話すと、宰相の君が、
「どうでした、じぶんで摘んだという下蕨は」
 とおっしゃるのを、中宮様がお聞きになって、
「思い出すことが食べ物とは」
 とお笑いになって、散らかっていた紙に、

下蕨こそ恋しかりけれ
(下蕨の味が懐かしい)

 とお書きになって、
「上の句を」
 とおっしゃるのも、とてもおもしろい。

郭公(ほととぎす)たづねて聞きし声よりも
(ほととぎすを探して聞いた声よりも)

 と書いてさし上げると、
「ずいぶんはっきり言うわね。それにしても、どうしてほととぎすのことを書いたのだろう」
 と言ってお笑いになるのも恥ずかしいけれど、
「いえもう、
〈歌は詠まない〉
 と思っていますのに、何かの時など、人が詠んでいるにしても、
『詠め』
 などとおっしゃるなら、お仕えすることができない気持ちがいたします。いくらなんでも、歌の字の数を知らず、春に冬の歌、秋に梅や桜の花などを詠むことはありませんが、
『歌を詠む』
 と言われた者の子孫は、少し人よりは勝って、
『あの時の歌は、あの人がいた。何と言っても、誰それの子だから』
 などと言われれば、詠みがいのある気持ちがするでしょう。少しも特別なところがなく、それでもすぐれた歌らしく、じぶんこそはと、真っ先に詠んだりしては、亡き人(父清原元輔)のためにも気の毒です」
 と本気で申し上げると、お笑いになって、
「それなら好きなように。わたしは詠めとも言わない」
 とおっしゃるので、
「とても気持ちが楽になりました。もう歌のことは気にかけないように」
 などと言っている頃、中宮が庚申(こうしん)をなさるというので、内大臣殿は、とても気を入れて準備していらっしゃる。
 夜が更ける頃に、題を出して、女房に歌をお詠ませになる。みな緊張して苦心して歌をひねり出すのに、わたしは中宮様の御前の近くに控えて、お話を申し上げ、歌とは関係のないことばかり言うので、内大臣(藤原伊周)様がご覧になって、
「どうして歌を詠まないで、そんなに離れて座っている。題を取れ」
 とおっしゃって歌の題をくださるのを、
「こういうお言葉をいただいて、歌は詠まないことになっていますから、考えてもいません」
 と申し上げる。
「変な話だな。本当にそんなことがあったのですか。どうしてお許しになったのです。とんでもないことです。まあいい、ほかの時は別として、今夜は詠め」
 などとお責めになるが、まったく聞き流して控えていると、ほかの人たちはみな歌を詠み出して、良い悪いをお決めになる頃に、中宮様はちょっとしたお手紙を書いて、わたしに投げてくださった。見ると、

元輔が 後といはるる 君しもや 今宵の歌に はづれてはをる
(歌詠みの元輔の娘と言われるあなたが 今夜の歌に加わらないとは」

 とあるのを見ると、おもしろくてしょうがない。大いに笑うと、
「何だ、何だ」
 と内大臣様もお尋ねになる。

「その人の 後といはれぬ 身なりせば 今宵の歌を まづぞよままし
(わたがしその人の子と言われない身なら 今夜の歌を真っ先に詠むでしょう)

 遠慮することがなかったら、千首の歌だって、自然と出てくることでしょう」
 と申し上げた。
第九十五段
 職の御曹司にいらっしゃる頃、八月十日過ぎの月の明るい夜、中宮様は右近の内侍に琵琶を弾かせて、端近な所にいらっしゃる。女房たちのこの人あの人は話をしたり、笑ったりしているのに、わたしは廂の間の柱に寄りかかって、話もしないで控えていたところ、
「どうして、そんなに黙っているの。何か言いなさいよ。寂しいじゃない」
 とおっしゃるので、
「ただ秋の月の心を見ているのです」
 と申し上げると、
「そうも言えるわね」
 とおっしゃる。
第九十六段
 身内の方々、若君たち、殿上人など、中宮様の御前に人がとても大勢いらっしゃるので、廂の間の柱に寄りかかって、女房と話などをして座っていると、中宮様が物を投げてくださったので、開けて見ると、
「愛そうか、どうしようか。人に一番愛されていないのはどう」
 と書いていらっしゃる。
 御前で話などする時にも、わたしが、
「とにかく人に一番に愛されないのでは、どうしようもない。そうでないなら、いっそのことひどく憎まれ、ひどく扱われるほうがいい。二番三番では死んでもいや。一番でいたい」
 などと言うと、
「一乗の法ということね」
 などと女房たちも笑う、あの話のことらしい。筆と紙などをくださったので、
「九品蓮台(くほんれんだい)の間に入れるなら、下品(げほん)でも十分です」
 などと書いてさし上げたところ、
「ひどく卑屈になったものね。よくないわ。一度言い切ったことは、そのまま貫くものよ」
 とおっしゃる。
「それは相手によります」
 と申し上げると、
「それがよくないのよ。
〈一番の人に、一番に愛されよう〉
 と思うのよ」
 とおっしゃるのは、とてもおもしろい。

※「一乗の法ということね」
「十万ノ仏土ノ中ニハ、唯一乗ノ法有リ。二モ無クマタ三モ無シ。仏ノ方便説ヲ除キ、但無上ノ道ヲ説ク『法華経・方便品』」「乗」は彼岸に行く乗り物のことで、「一乗」は第一の乗り物のことで『法華経』をさす。作者が二、三番ではなく一番でなくてはと言ったので例えた。

※「九品蓮台(くほんれんだい)の間に入れるなら、下品(げほん)でも十分です」
「十万ノ仏土ノ中ニハ、西方ヲモツテ望トナス。九品蓮台ノ間ニハ、下品トイヘドモマサニ足ルベシ(和漢朗詠集・仏事)」による。『観無量寿経』によると、極楽往生には九階級があり、上品、中品、下品の三段階がそれぞれ上生、中生、下生に分かれているという。九品往生を遂げられるなら下品でも十分というのは、中宮に愛されるなら第二、第三でもいいという意味を含む。
第九十七段
 中納言が参上なさって、扇を中宮様に進上なさる時に、
「隆家は素晴らしい扇の骨を手に入れました。それに紙を張らせてさし上げようと思っているのですが、いい加減な紙を張るわけにはいきませんから、探しているところです」
 とおっしゃる。中宮様が、
「どんなふうなの」
 とお尋ねになると、
「何もかも素晴らしいのです。
『今まで見たことのない骨の様子だ』
 と人々が言います。本当にこれほどのものは見たことがない」
 と声高におっしゃるので、
「それでは扇の骨ではなくて、くらげの骨ですね」
 と申し上げると、
「これは隆家の言ったことにしよう」
 と言ってお笑いになる。
 こういうことは、聞き苦しくて、いたたまれないことに入れるべきだが、
「一言も書き落とすな」
 と言うので、仕方なく書いておく。
第九十八段
 雨が引き続いて降る頃、今日も降るのに、帝のお使いとして、式部丞信経(しきぶのじょうのぶつね)が中宮様のところに参上している。例によって敷物を差し出したのを、ふだんよりも遠くに押しやって座っているので、
「誰の敷物ですか」
 と言うと、笑って、
「こんな雨の日に敷物に上がったら、足跡がついて、大変不都合で、汚なくなってしまうでしょう」
 と言うので、
「どうして遠慮なさるの。汚れてるから、氈褥(せんぞく/毛皮や毛織りの敷物)が洗足として役立つでしょうに」
 と言うのを、
「この洒落はあなたがうまくおっしゃったのではない。信経が足跡のことを申し上げなかったら、おっしゃれなかったでしょう」
 と何度もおっしゃったのがおもしろかった。
「以前、中后(なかきさい)の宮に、
『えぬたき』
 と言って名高い下仕えがいました。美濃守(みののかみ)在任中に亡くなった藤原時柄(ふじわらのときから)が蔵人だった時に、この下仕えたちがいる所に立ち寄って、
『これがあの名高いえぬたきか。そんなふうに見えないが』
 と言った返事に、
『それは時柄(時節柄)で、そんなふうに見えるのでしょう』
 と、時柄の名前に時節柄の意味を込めて言ったのを、
『相手を選んだとしても、こんなに機転のきいた返答はできないだろう』
 と上達部や殿上人までおもしろいことだとおっしゃった。実際、そうだったのでしょう。今日までこのように言い伝えているのですから」
 と式部丞に話した。
「それだって時柄が言わせたことでしょう。すべてただもう題次第で、漢詩も和歌もうまくできるものです」
 と式部丞が言うので、
「なるほどそのようね。それなら題を出しましょう。歌をお詠みください」
 と言う。
「とてもいいことですね」
 と言うので、
「一つではつまらないから、同じことならたくさん題を出しましょう」
 などと言っているうちに、中宮様の帝へのお返事が出来てきたので、
「おお、怖い。逃げなくては」
 と言って出て行ったのを、
「ものすごく漢字も仮名も下手に書くのを、人が笑いものにするので、隠しておきたいのよ」
 と女房たちが言うのもおもしろい。
 式部丞が作物所(つくもどころ)の別当をしていた頃、誰のところに送ったのだろうか、何かの絵図面を送るというので、
「このようにお作りください」
 と書いてある漢字の書きぶりや文字が世に比類ないほど変なのを見つけて、
「この通りに作ったら、異様な物ができるにちがいない」
 と書いて、殿上の間に届けたところ、人々が手に取って見て、ひどく笑ったので、式部丞はものすごく腹を立てて、わたしを憎んだ。
第九十九段
 淑景舎(しげいしゃ)が東宮妃として入内なさる時のことなど、これほど素晴らしいことはなかった。正月十日に参上なさって、お手紙などは中宮様と頻繁にやり取りなさっていたが、まだご対面はないのを、二月十日過ぎに、中宮様のところにお越しになるはずの伝言があるので、いつもよりもお部屋を念入りに磨き上げて、女房などもみな心くばりしている。夜中頃にお越しになったので、いくらも経たないうちに夜が明けた。登花殿(とうかでん)の東の廂の二間に、お迎えする支度はしてある。
 父の関白殿(道隆)、北の方(貴子)が夜明け前に一つの車で参上なさった。翌朝、とても早く格子をすっかり上げて、中宮様は、お部屋の南に、四尺の屏風を西から東に敷物を敷いて北向きに立てて、そこに畳と敷物ぐらいを置いて、火鉢のところにいらっしゃる。屏風の南や、御帳台の前に、女房がとても多く控えている。
 まだこちらで、中宮様の御髪(おぐし)などの手入れをしている時、
「淑景舎をお見かけしたことはあるの」
 とお尋ねになるので、
「まだです。お車寄せの日に、ただ後ろ姿ぐらいをちょっと」
 と申し上げると、
「その柱と屏風とのそばに寄って、わたしの後ろからこっそり見なさい。とても愛らしい方よ」
 とおっしゃるので、嬉しく、拝見したい気持ちがつのって、
〈早くその時が来ないかな〉
 と思う。 中宮様は、紅梅の固紋(かたもん)、浮紋(うきもん)のお召物を、紅の打衣(うちぎぬ)三枚の上にただ引き重ねて着ていらっしゃる。
「紅梅には濃い紫の打衣が素敵ね。でも着られないのが残念だわ。今は紅梅の衣は着ないほうがいいけれど、萌黄などは好きではないから。紅梅は紅には合わないかしら」
 などとおっしゃるが、ただもういっそう素晴らしくお見えになる。お召しになっている衣装の色が特別で、そのままお顔の色が美しく映えていらっしゃるので、
「やはりもう一人の美しいお方もこんなふうでいらっしゃるのかしら」
 と興味が湧く。
 中宮様は、それからお席へ座ったまま膝をついてお入りになったので、すぐに屏風に寄り添ってのぞくのを、
「失礼だわ」
「気がとがめるわ」
 と、わざと聞こえるように言う女房もおもしろい。襖障子がずいぶん広く開いているので、とてもよく見える。殿の北の方(貴子)は白い表着などに、紅の艶を出した衣(きぬ)を二枚ばかり、女房の裳なのだろう、その裳をつけて、奥に寄って東向きに座っていらっしゃるので、ただお召物だけが見える。淑景舎は北に少し寄って、南向きにいらっしゃる。紅梅の袿をたくさん濃いのと薄いのを重ねて、その上に濃い綾の単衣のお召物、少し赤い小袿(こうちぎ)は蘇芳の織物で、萌黄の若々しい固紋の表着(うわぎ)をお召しになって、扇でずっと顔を隠していらっしゃるのが、とても素晴らしく、中宮様がおっしゃった通り立派で可愛らしく見える。
 殿は、薄い紫色の直衣、萌黄の織物の指貫(さしぬき)、下に紅の袿を何枚か重ね、直衣の紐をしめて、廂の間の柱に背中をあてて、こちらを向いていらっしゃる。姫君たち(中宮と淑景舎)の素晴らしいご様子を微笑みながら、例によって冗談をおっしゃっている。淑景舎がとても可愛らしく、絵に描いたように座っていらっしゃるのに対して、中宮様はとても落ち着いて、もう少し大人びていらっしゃるお顔のご様子が、紅のお召物に輝き映えていらっしゃるのは、
〈やはりこのお方に匹敵する人はいないだろう〉
 と思われる。
 朝のお手水(手や顔を洗い清める水)をさし上げる。あちらの淑景舎の方のお手水は、宣耀殿(せんようでん)、貞観殿(じょうがんでん)を通って、女童二人、下仕え四人で持って来るようだ。唐廂(からびさし)よりこちらの登華殿(とうかでん)に寄った廊に、女房が六人ぐらい控えている。廊が狭いので、半分は淑景舎をお送りしてから、みな帰ってしまった。童女の桜襲(さくらがさね)の汗衫や、その下の萌黄色、紅梅色などの着物が素晴らしく、汗衫の裾を後ろに長く引いて、お手水を取り次いでさし上げるのが、とても優美でおもしろい。織物の唐衣(からぎぬ)が御簾からこぼれ出ていて、相尹(すけまさ)の馬頭(うまのかみ)の娘の少将、北野宰相の娘の宰相の君などが廊近くにいる。
〈素敵だな〉
 と見ているうちに、中宮様のお手水は、当番の采女が、青裾濃(あおすそご)の裳、唐衣、裙帯(くたい/紐)、領布(ひれ)などを着けて、顔を白粉(おしろい)で真っ白に塗って、下仕えなどが取り次いでさし上げる様子は、これもまた格式ばって、中国風で趣深い。
  朝のお食事の時になって、御髪(みくし)あげの女官が参上して、女蔵人(にょくろうど)たちが髪を結い上げた姿で、中宮様にお食事をさし上げる頃は、今まで仕切っていた屏風も押し開けたので、覗き見をしていたわたしは、隠れ蓑を取られたような気がして、物足りなくおもしろくないから、御簾と几帳との間で、柱の外から拝見する。わたしの着物の裾や裳などは御簾の外へみな押し出されているので、殿が端の方からご覧になって、
「あれは誰だ。御簾の間から見えているのは」
 と怪しんでお尋ねになるので、
「少納言が拝見したがっているのでしょう」
 と中宮様が殿におっしゃると、
「ああ、恥ずかしい。あれは古い馴染みだよ。
〈ずいぶん憎らしい娘たちを持ってるな〉
 とでも見ているよ」
 などとおっしゃるご様子は、とても得意顔である。
 あちらの淑景舎にもお食事をさし上げる。
「羨ましいね。お二人のお食事は全部出たようだ。早く召し上がって、爺婆(じじばば)にせめておさがりでもください」
 などと、一日中、冗談ばかりをおっしゃっているうちに、大納言(藤原伊周/22歳)と三位の中将(藤原隆家/17歳)が、松君(伊周の長男道雅の幼名/4、5歳)を連れて参上していらっしゃる。殿はいつの間にか抱き上げて膝の上に座らせていらっしゃるが、松君はとても可愛らしい。狭い縁側に窮屈そうに衣装の下襲などが無造作に引き散らされている。大納言殿は重々しく美しい感じで、中将殿はとても利発そうで、どちらもご立派なのを拝見すると、殿は当然のこととして、北の方の前世の宿縁は本当に素晴らしいといえる。殿が、
「敷物を」
 などとおっしゃるが、
「陣の座に行きますので」
 と言って、大納言殿は急いで座をお立ちになった。
 しばらく経って、式部丞(しきぶのじょう)某(なにがし)が帝のお使いで参上したので、配膳室の北に寄った間に、敷物をさし出して座らせた。中宮様のお返事は早くお出しになった。まだそのお使いの敷物も取り入れないうちに、東宮から淑景舎へのお使いとして、周頼(ちかより)の少将が参上した。東宮のお手紙を受け取って、あちらの渡殿は狭い縁側なので、こちらの縁側に御殿の東の簀子別の敷物を差し出した。 お手紙を受け取って、殿、北の方、中宮様などがご覧になる。殿に、
「お返事を早く」
 と言われても、淑景舎はすぐにもお返事をなさらないのを、殿が、
「わたしが見ているから、書かれないのだろう。そうでない時は、こちらからひっきりなしにお手紙をお出しになるらしい」
 などとおっしゃると、淑景舎のお顔が少し赤くなって照れたような微笑みを浮かべていらっしゃるのは、とても素晴らしい。
「本当に早く」
 などと北の方もおっしゃるので、奥を向いてお書きになる。北の方が近くにお寄りになって、一緒にお書きになるので、ひどく恥ずかしそうである。
 中宮様の方から萠黄の織物の小袿(こうちき)、袴をお使いの褒美として、縁側に押し出したので、三位の中将がお使いの肩にお掛けになる。首が苦しそうだと思って、手で持って立ち上がる。松君がおもしろく何か言われるのを、誰もが可愛いとおっしゃる。殿が、
「中宮のお子様だと言って人前に出しても、おかしくはないな」
 などとおっしゃるのを、
〈本当に、どうして中宮様にはそういうこと(お産)が今までないのか〉
 と気がかりだ。
 未の時(午後二時頃)ぐらいに、
「筵道(えんどう)をお敷きします※筵道(貴人が通行する時に、衣服の裾が汚れないように通路に敷くむしろ)」
 などと言う間もなく、帝がお召物の衣ずれの音をさせてお入りになったので、中宮様もこちらの母屋のほうにお入りになった。そのまま御帳台にお二人でお入りになったので、女房もみな南の廂に衣ずれの音をさせて出て行くようだ。廊に殿上人がとてもたくさんいる。殿の御前に職の役人を呼ばれて、殿は、
「果物や酒の肴などを取り寄せなさい。みなを酔わすのだ」
 などとおっしゃる。本当にみな酔って、女房と話を交わす頃には、お互いに、
〈おもしろい〉
 と思っているようだ。
 日が沈む頃に帝はお起きになって、山の井の大納言(藤原道頼/伊周たちの異腹の兄)をお呼びになり、ご装束を着用なさってお帰りになる。桜の直衣に紅の衣が夕日に映えているのも美しいが、恐れ多いのでこれ以上書かない。山の井の大納言は、ご縁の深くないお兄様としては、中宮様ととても仲よくしていらっしゃる。艶やかな美しさではこの大納言(伊周)より勝っていらっしゃるのに、あんなふうに世間の人がしきりに悪く言って噂しているのは、とてもお気の毒だ。殿の大納言、山の井の大納言、三位の中将、内蔵頭(くらのかみ)などが
帝のお帰りのお供をなさる。
 中宮様に今夜清涼殿に上るようにという帝のお使いとして、馬の内侍典(ないしのすけ)が参上した。
「今夜はとても」
 などと渋っていらっしゃるのを、殿がお聞きになって、
「とんでもない。早くお上りなさい」
 とおっしゃっていると、東宮のお使いがしきりにあるので、とても騒がしい。お迎えに、帝付きの女房、東宮の侍従などという人も参上して、
「早く」
 と急き立てる。
「それでは先に、あの君をお送りしてから」
 と中宮様が殿におっしゃると、
「それにしても、わたしが先には」
 と淑景舎がお答えになるのを、
「わたしがお見送りします」
 などと中宮様が譲っておっしゃっるのも、とても素晴らしくおもしろい。
「それなら遠いお方を先にしようか」
 ということで、淑景舎がお上りになる。殿などがお供をしてお戻りになってから、中宮様はお上りになる。その道中、殿のご冗談にわたしたちはひどく笑って、危うく打ち橋からも落ちてしまいそうだ。
第百段
 殿上の間から、梅の花が散った枝を持って来て、
「これをどう見る」
 と言ったので、わたしはただ、
「早ク落チニケリ」
 と答えたら、その詩を吟じて、殿上人が黒戸(くろど)にとても大勢座っているのを、帝がお聞きになって、
「平凡な歌を詠んで出すよりは、こういうのが勝っている。うまく答えたものだ」
 とおっしゃった。
※「早ク落チニケリ」大庚嶺(タイユウレイ)ノ梅ハ早ク落チヌ、誰カ粉粧ヲ問ハン(和漢朗詠集・柳 大江維時)
第百一段
 二月の末頃に、風がひどく吹いて、空が真っ黒なのに、雪が少しちらついている頃、黒戸に主殿司(とのもりづかさ)が来て、
「お伺いしています」
 と言うので、近寄ると、
「これは公任(きんとう)の宰相殿のお手紙です」
 と持って来たのを見ると、懐紙(ふところがみ)に、

すこし春ある 心地こそすれ
(少し春のような気がする)

 と書いてあるのは、本当に今日の天気に、とてもよく合っていて、
〈この上の句はとてもつけようがない〉
 と思い悩んでしまう。
「公任殿と一緒にいらっしゃるのは、どなたたち」
 と尋ねると、
「これこれのお方たちです」
 と言う。
〈みな恥ずかしくなるほどの立派な方たちの中で、宰相への返歌を、どうしていい加減に言い出せるものか〉
 と、じぶん一人で考えるのは苦しいので、中宮様に見ていただこうとしたが、帝がいらっしゃっていて、おやすみになっている。主殿寮の男は、
「早く早く」
 と言う。なるほど下手なうえに遅くなるようでは、まったくとりえがないので、
〈どうともなれ〉
 と思って、

空寒み 花にまがへて 散る雪に
(空が寒いので花のように散る雪に)

 と、わなわな震えながら書いて渡して、
〈どう思っているだろう〉
 と、心細い。
〈これがどう受け取られたか聞きたい〉
 と思うのに、
〈悪く言われるなら聞きたくない〉
 と思われるのを、
「俊賢(としかた)の宰相などが、
『やはり、あれは帝に奏上して掌侍(ないしのじょう)にしたいような女だ』
 と評価なさった」
 という話を、左兵衛督(さえもんのかみ)が中将でいらっしゃった時に話してくださった。
第百二段
 先の遠いもの 。半臂(はんぴ)の緒をひねるの。陸奥(みちのく)へ行く人が、逢坂の関を越える頃。生まれた赤ん坊が大人になるまで。
※半臂(束帯のとき、袍の下に着た、袖のない短い衣)
※緒:半臂の左腰につける忘れ緒は長さ一丈二尺(約3.6メートル)、幅二寸五分(約8センチ)、に折って糊ではりあわせ、指先でひねるように強く押しつけて作るのは、気の長い作業。
第百三段
 方弘(まさひろ)は、ひどく人に笑われる人だ。親などはどんな気持ちで聞いているのだろう。方弘のお供をしている者で、ずいぶん長く仕えているのを呼び寄せて、
「どうしてこんな人に使われているのだ」
「どんな気がする」
 などと言って笑う。方弘の家は衣服の調製を上手にするところで、下襲の色、袍なども、人よりも立派に着ているので、
「これをほかの人に着せたい」
 などと言うが、そう言われるのも当然で言葉づかいなども変だ。自宅に宮中の宿直用の装束を取りに行かせるのに、方弘が、
「おまえたち二人で行け」
 と言うと、
「わたし一人で取りに行きましょう」
 と従者は言う。
「変な男だな。一人で二人分の物が持てるか。一升瓶に二升は入らないだろう」
 と方弘が言うのを、何を言っているかわかる人はいないけれど、ひどく笑う。人の使いが来て、
「お返事を早く」
 と言うと、
「もう嫌な男だな。どうしてそんなに慌てる。かまどに豆をくべるのか。この殿上の間の墨や筆は、誰が盗んで隠したんだ。飯や酒ならほしがるだろうが」
 と言うのを、また笑う。
「女院(東三条女院詮子/一条天皇の母、兼家の二女)がご病気でいらっしゃる」
 というので、方弘は帝のお見舞いのお使いとして帰って来たのに、
「院の殿上には、どなたたちがいたの」
 と人が尋ねると、
「その人あの人」
 などと、四、五人ぐらいを言うので、
「ほかには誰が」
 と尋ねると、
「それから、寝ている人などもいた」
 と言うのを笑うのも、それもまた奇妙なことだろう。
 人のいない時に寄って来て、
「あなた様。お話しします。
『まずあなたに話せ』
 と人がおっしゃったことです」
 と言うので、
「何なの」
 と言って、几帳の所に近寄ると、
「『体ごとお寄りください』
 と言ったのを、
『五体ごと』
 と言ったのです」
 と言って、また笑われる。除目の二日目の夜、灯火にさし油をする時に、方弘が灯台の下の敷物を踏んで立っていると、新しい油単(油引きの敷物)なので、襪(しとうず)がとてもしっかりとくっついてしまった。歩いて帰ると、そのまま灯台が倒れた。襪に敷物がくっついていくので、まさに大地が震動したみたいだった。
※油単(布や紙に油を引いて防水したもの。家具などのおおい、また、敷物として用いた)
※襪(沓をはくときにつける靴下に似たはきもの。足袋と違って指がわかれていない)
 蔵人の頭(とう)がご着席にならないうちは、殿上の間の台盤には誰も着席しない。それなのに方弘は、豆一盛をそっと取って、小障子の後ろで食べたので、小障子を引きのけて丸見えにして笑うこと限りない。
第百四段
 見苦しいもの。着物の背中の縫い目を肩の方に寄せて着ているの。また、抜き衣紋にして着ているの。珍しい人の前に、子供をおんぶして出て来た者。法師の姿をした陰陽師が、紙冠をつけて祓えをしているの。色が黒く、醜い女がかもじ(入れ毛)をしているのと、鬚が多くやつれて痩せこけた男が、夏に昼寝しているのは、とても見苦しい。何の取り柄があるというので、昼に寝たりしているのだろう。夜などは顔も見えないし、誰でもみな寝ることになっているから、
『わたしは醜いから』
 と言って、起きて座っているはずもない。夜に一緒に寝て、翌朝早く起きるのがよく見苦しくない。夏、昼寝して起きたのは、身分の高い人なら、少しは風情があるだろうが、見苦しい容貌の人は、顔が脂ぎって腫れて、悪くすると、頬も歪んでいるはずだ。そんな男女が互いに顔を見た時の、生きている甲斐がないことといったら。痩せて色の黒い人が、生絹(すずし)の単衣(ひとえ)を着ているのは、も、ひどく見苦しい。
第百五段
 言いにくいもの。人の手紙の中に、高貴な方のお言葉がたくさんあるのを、はじめから終わりまで取り次ぐのは、言いにくい。恥ずかしくなるほど立派な人が、物などを贈って来た時の返事。大人になった子の、思いがけないことを聞いたのに、子の前では言いにくい。
第百六段
 関は、逢坂(おうさか)。須磨の関。鈴鹿の関。くきたの関。白河の関。衣(ころも)の関。ただ越えの関は、はばかりの関とは比較しようがないと思われる。横はしりの関。清見(きよみ)が関。みるめの関。よもよもの関(まさか、よもや、決しての関)は、
〈どうして決して行かないと考えを変えたのだろう〉
 と、とても知りたい。そういう考え直した人に、「な来そ(来るな)」の関と言うのだろうか。男女が逢う「逢坂」の関を、そんなふうに考え直すとしたら、つらいことだろう。
第百七段
 森は、うきたの森。うへ木の森。岩瀬の森。立ち聞きの森。
第百八段
 原は、あしたの原。粟津(あわづ)の原。篠原。園原。
第百九段
 四月の末頃に、長谷寺に参詣して、「淀の渡り」というものをしたところ、舟に車を乗せて行くと、菖蒲、菰(こも)などの先が短く見えたので、従者に取らせたら、ずいぶん長かった。菰を積んだ舟が行き交うのが、非常におもしろかった。
〈「高瀬の淀に」
 という歌は、こういう風景を詠んだのだろう〉
 と見えて。
※「高瀬の淀に」菰枕 高瀬の淀に 刈る菰の かるとも我は 知らで頼まむ(古今六帖・第六)
 五月三日の帰りに、雨が少し降っていた時に、菖蒲を刈るというので、笠のとても小さいのをかぶって、脛(すね)を長く出している男や子供などがいるのも、屏風の絵に似て、とても風情がある。
第百十段
 いつもより違って聞こえるもの 。正月の車の音。また元旦の鶏の声。夜明け前の咳払い。楽器の音はいうまでもない。
第百十一段
 絵に描くと見劣りするもの。なでしこ。菖蒲。桜。物語で素晴らしいと言っている男女の容貌。
第百十二段
 絵に描いて実物より勝って見えるもの。松の木。秋の野。山里。山道。
第百十三段
 冬はひどく寒いの。夏はたまらなく暑いの。
第百十四段
 しみじみと感じられるもの。親の喪に服している子。身分のよい若い男が、御嶽精進(みたけしょうじん)をしているの。別の部屋に籠り、夜明け前の額を地につけての礼拝は、しみじみととても身に染みる。
〈親しい人などが、目を覚まして聞いているだろう〉
 と想像する。
〈参詣する時の様子は、どうなんだろう〉
 などと身を慎み恐れていたのに、無事に参詣できたのはとても素晴らしい。烏帽子の様子などは、少しみっともない。それもそのはず御嶽には、身分の高い人でも、格別粗末な身なりで参詣するというからだ。
 ところが、右衛門佐宣孝(えもんのすけのぶたか/藤原宣孝・紫式部の夫)といった人は、
「つまらないことだ。ただ清浄な着物を着て参詣したって、たいしたご利益もない。まさか御嶽の蔵王権現は、
『粗末な身なりで参詣しろ』
とはおっしゃらないだろう」
 と言って、三月の末に、紫のとても濃い指貫に、白い狩衣、山吹色のひどく派手なのを着て、息子の主殿亮(とのもりのすけ)の隆光には、青色の狩衣、紅の袿、まだら模様を摺り出してある水干(すいかん)という袴を着せて、連れだって参詣したのを、御嶽から帰る人もこれから参詣する人も、珍しく奇妙なこととして、
「まったく昔からこの山でこんな姿の人は見たことがない」
 と驚き呆れたが、四月はじめに御嶽から帰って、六月十日の頃に、筑前の守が辞任した後任して任官したのを、
「なるほど言ってた通りになった」
 と評判だった。これは、
「しみじみと感じられるもの」
 ではないが、御嶽の話のついでに書いた。
 男でも女でも、若くてさっぱりと美しい人が、とても黒い喪服を着ているのは、しみじみとした感じがする。
 九月の末、十月の始め頃に、鳴いたのか鳴かないのかわからないほどに聞いたこおろぎの声。鶏が卵を抱いて寝ているの。秋が深い庭の浅茅(あさじ)に、露が色々に光って玉のように置いているの。夕暮れや夜明け前に、河竹が風に吹かれているのを、目を覚まして聞いているの。また夜なども、だいたいが。山里の雪。愛しあっている若い人の仲が、邪魔する者があって、思い通りにならないの
※河竹(女竹、真竹の異称)
第百十五段
 正月に寺に籠っている時は、ひどく寒く、雪が降って冷え込んでいるのがいい。雨が降ってきそうな空模様の時は、まったくよくない。
 清水寺などに参詣して、お籠りの部屋の準備ができる間、階段のついた長廊下の階段の下に、牛車を引き寄せてとめていると、帯だけをちょっとつけた若い法師たちが、足駄(あしだ/下駄の類)という物を履いて、少しも恐れることなく階段を乗り降りしながら、ちょっとした経文の一部を読んだり、俱舎の頌(くしゃのじゅ/「阿毘達磨俱舎論」の略。「俱舎論」の中に、四句一偈で六百頌がある)などを唱え続けて歩きまわるのは、場所が場所だけにおもしろい。わたしたちが昇るとなると、ずいぶん危なっかしい気がして、脇に寄って、高欄につかまったりして行くのに、法師たちは、まるで板敷かなにかのように思っているのもおもしろい。法師が、
「お部屋の用意ができました。お早くどうぞ」
 と言うと、供の者が沓(くつ)などを持って来て、参詣者を車から下ろす。
 着物の裾を裏返しにまくりあげている者もいる。裳や唐衣などをつけて、仰々しく正装している者もいる。深沓(ふかぐつ)や半靴(ほうか)などを履いて、廊のあたりを沓を引きずってお堂に入って行くのは、宮中にいるような気がして、またおもしろい。
 内部の出入りが許されている若い男たちや、一族の子弟などが、後に大勢続いて、
「そのあたりは低くなっている所です。そこは高くなっています」
 などと女主人に教えて行く。何者だろうか、女主人にひどく近寄って歩いたり、追い越す者などに、
「ちょっと待て。高貴なお方がいらっしゃるのに、そんなことはしないものだ」
 などと言うのを、
「なるほど」
 と言って、少し遠慮する者もいるし、また、聞きもしないで、
〈誰よりも先にじぶんが仏の前に〉
 と思って行く者もいる。お籠りの部屋に入る時も、参詣人が並んで座っている前を通って行くのは、ひどく嫌なものだが、本尊が安置してある犬防ぎ(仏堂内を仕切る格子の柵)の内側を覗いた気持ちは、大変尊く、
〈どうして何ヵ月もお参りしないでいたのかしら〉
 と、まず信心の気持ちが起こる。
 仏前の灯明の、常灯明ではなく、内陣に別に誰かが奉納したのが、恐ろしいほどに燃えさかっていて、本尊の仏(十一面観世音菩薩)がきらきら輝いて見えるのは、とても尊いことで、法師たちが手に手にそれぞれの願文を捧げ持って、礼盤(らいばん/仏前の高座)で体を揺すって誓う声も、大勢が同時に声を張り上げるので、これは誰の願文(がんもん)と区別して聞き分けることはできないが、法師たちが無理に絞り出している声々は、そうは言っても、ほかの声に紛れることなく聞き取れる。
「千灯のお志は、誰々のため」
 などとは、わずかに聞こえる。掛け帯をしてご本尊を拝んでいると、
「ここに置いておきます」
 と言って、樒(しきみ)の枝を折って持って来たのは、香りなどがとても尊いのも素晴らしい。
 犬防ぎの方から法師が近づいて来て、
「とてもよく仏様にお願いしておきました。何日ほどお籠りでいらっしゃいますか。今これこれのお方がお籠りです」
 などと話してくれて立ち去ったかと思うとすぐに、火鉢や果物などを次々持って来て、水差しに手洗い水を入れて、その水を受ける取っ手のないたらいなどもある。
「お供の人はあちらの宿坊で」
 などと言って、法師が呼びながら行くので、供の者は交替で宿坊へ行く。
 誦経(ずきょう)の鐘の音などを、
〈じぶんのために鳴っているようだ〉
 と聞くのも、頼もしい気がする。隣の部屋でかなりの身分の男が、大変ひっそりと礼拝する、立ったり座ったりの様子もたしなみがあるように聞こえるが、その人がひどく思いつめた様子で、寝ないで勤行するのは、とてもしみじみと感じられる。礼拝をやめて休息する間は、お経を大きくは聞こえない程度に読んでいるのも、尊い感じがする。大声を出したいはずなのに、まして鼻などを、聞いて不快な大きな音を立てるのではなく、遠慮してかんでいるのは、
〈何を思っている人なのだろう、その願い事をかなえさせてあげたい〉
 と思われる。
 何日も籠っていると、昼間は少しのんびりと、以前はしていた。導師の宿坊に、供の男たちや、下仕えの女、童女などがみな行って、お堂の部屋で一人で退屈していると、すぐそばで、法螺貝(ほらがい)を、急に吹き出したのには、非常にびっくりした。きれいな立文を供に持たせた男などが、誦経(ずきょう)のお布施の品をそこに置いて、堂童子などを呼ぶ声が、堂の中にこだましあってきらきらと輝いて聞こえる。※堂童子(寺院に仕え、雑役を務める僧の姿をしていない少年)
 誦経の鉦の音が一段と高く響いて、
〈これはどなたの誦経なのかしら〉
 と思っていると、法師が高貴なお方の名前を言って、
「お産が平穏無事でありますように」
 などと、効験がありそうに祈願するのを聞くと、ついつい、
〈どうなのだろう〉
 などとお産の安否が気がかりで、こちらまで祈りたくなる。こういう心配をするのも忙しくない普段の時のことであるようだ。正月などは、ただもうひどく騒々しい。官位昇進を願う人たちが、絶え間なく参詣するのを眺めているので、じぶんのお勤めも身を入れてできない。
 日が暮れる頃に参詣するのは、これから籠る人らしい。小坊主たちが、持って歩けそうもない鬼屏風の丈の高いのを、とても上手に運んで、畳などを置いたかと思うと、その周りをどんどん仕切っていって、犬防ぎに簾をさらさらと掛けて部屋を作っていくのは、とても手慣れていて、簡単そうである。ざわざわと大勢が下りて来て、年配らしい人が、品のよい声であたりに遠慮した感じで、帰る人たちがいるのだろうか、
「そのことが心配なの。火の用心をしなさい」
 などと言っているのもいるようだ。七、八歳ぐらいの男の子が、可愛らしい威張った声で、家来の男たちを呼びつけて、何か言っているのも、とてもおもしろい。また、三歳ぐらいの幼児が、寝ぼけて咳をしているのも、とても可愛らしい。その子が、乳母の名前や、
「お母さま」
 などと言っているのも、
〈母親は誰なのだろう〉
 と、知りたくなる。
 一晩中、大声で法師が勤行して夜を明かすので、寝てもいられなかったが、後夜の勤行などが終わって、少しうとうと眠った耳に、その寺のご本尊のお経を、とても荒々しく、厳かに唱えるのが聞こえてきたのは、
〈特別に尊いのではなく、修行者のような法師で箕を敷いているようなのが読んでいるらしい〉
 と、ふと目が覚めて、しみじみと聞こえる。
 また、夜などは籠らないで、人並みな人が、青鈍(あおにび)の指貫(さしぬき)の綿が入っているのに、白い着物を何枚も重ねて着て、
〈子息なのだろう〉
 と見える若い男の、美しい装束を着たのや、少年などを連れて、家来のような者たちを大勢従えて、座ってお祈りしているのもおもしろい。間に合わせに屏風ぐらいを立てて、礼拝など少しするようだ。
 顔を知らないと、
〈誰だろう〉
 と知りたくなる。知っているのは、
〈あの人だな〉
 と見るのもおもしろい。若い男たちは、女の部屋あたりをうろうろして、仏様の方は見ることもしないで、寺の別当などを呼び出して、小声で話をして出て行くのは、いい加減な身分の者とは思えない。
 二月の末、三月の初めの頃、桜の花盛りに籠っているのもおもしろい。さっぱりと美しい若い男たちで、主人と見えるのが二、三人、桜襲の狩衣や柳襲の狩衣などをとても素敵に着て、くくり上げた指貫の裾も上品に見える。その主人に似合いの従者に、しゃれた飾りをつけた餌袋(えぶくろ/弁当袋)を持たせて、小舎童(こどねりわらわ)たちには、紅梅や萌黄の狩衣に、いろいろな色の衣、乱れ模様を押して擦りつけた袴などを着せている。桜の花などを折らせて、侍のようなほっそりした者などを引き連れて、お寺の金鼓(こんぐ)を鳴らすのはおもしろい。
※金鼓(銅製で丸く平たく、中空の楽器)
「あの人だ」
 と見える人もいるけれど、こちらは部屋に籠っているから向こうは気づかない。そのまま通り過ぎるのも、寂しいので、
「ここにいるのをわからせたいわね」
 などと言うのもおもしろい。
 このように、お寺に籠ったり、普段行かない所に、召使だけ連れて滞在しているのは、行った甲斐がないように思われる。やはり同じくらいの身分で、気のあった、おもしろいことも憎らしいことも、いろいろと話し合える人を、必ず一人か二人、できれば大勢誘いたいものだ。召使の中でも、話し相手ができる者もいるが、連れて行きたくないのは、普段見慣れているからだろう。男だって、きっとそう思うのだろう。わざわざ一緒に行く人を探しまわっているのだから。
第百十六段
 ひどく気に入らないもの 。賀茂祭や禊など、すべて男が見物するのに、たった一人で車に乗って見るとは。どういうつもりなのだろう。尊い身分の人でなくても、若い男たちの見たいと思っている者を、一緒に乗せればいい。車の簾からたった一人で揺れ動くのが透けて見え、じっと行列を見つめて座っているとは。
〈なんて心の狭い嫌な男なのだろう〉
 と思われる。
 どこかへ行ったり、寺に参詣したりする日の雨。
 使用人などが、
「わたしを可愛がってくれない。誰それが今のお気に入りの人」
 などと言うのを、ほのかに聞いたの。
〈ほかの人より少し憎らしい〉
 と思う人が、当て推量したり、つまらない逆恨みをして、じぶんだけ偉そうにしているの。
第百十七段
 つらく苦しそうに見えるもの。 六、七月の正午から二時頃の暑い時に、汚ならしい牛車を貧相な牛に引かせてがたごと揺れながら行く者。雨の降らない日に、筵(むしろ)のおおいを掛けた牛車。ひどく寒い時や暑い時などに、身分の低い女の身なりのわるいのが、子供を背負っているの。年老いた物乞い。小さい板葺きの家の黒く汚ならしいのが、雨に濡れているの。また、雨がひどく降っているのに、小さい馬に乗って、前駆をしている人。冬は、それでもまだよい。夏は袍(ほう)も下襲(したがさね)も一つにくっついている。
第百十八段
 暑苦しそうなもの。随身(ずいじん)の長の狩衣。衲(のう)の袈裟。出居(いでい)の少将。ひどく太った人の髪の毛が多いの。六、七月の加持祈祷で、正午の勤行をつとめる阿闍梨(あじゃり)。
※。衲の袈裟(人が捨てたぼろを縫って作った袈裟 のこと。日本では綾・錦・金襴などを用いた七条の袈裟をいう)
※出居の少将(出居とは、宮中での儀式の時に庭に臨時に設ける座で、臨時の座に着いて威儀を正している近衛の少将の姿が暑苦しいのである)
第百十九段
 気後れして気恥ずかしいもの。男の心の中。目が覚めやすい夜居の僧。こそどろが、適当な物陰に隠れて見ているかもしれないのを、誰が気づくだろう(いや、誰も気づきはしない)。暗いのにまぎれて、こっそりと何かを取る人もいるだろう。そういうのを、こそどろも、じぶんと同類と思って、おかしく思うかもしれない。
 夜居の僧には、とても気後れする。若い女房が集まって座り、人の噂をして、笑ったりけなしたり、憎らしがったりするのを、なにもかもじっと聞いているのだから、とても気がひける。
「まあ嫌だ。うるさいわね」
 などと、中宮様のおそばの女房などが怒って言うのも聞かないで、散々しゃべった後は、みなすっかり気を許して 寝てしまうのも、夜居の僧のことを思うと、とても気後れがする。
 男は、
〈困ったことに、理想通りでなく、じれったく、気に入らないところがある〉
 と思っていても、向かい合っている女にはおだてて信じこませるので、ひどく気後れがする。まして、情が深く、色好みと世間で評判の男などは、
〈冷たいわ〉
 などと女に思わせるような態度はとらない。心の中で思っているだけでなく、何から何まで、この女の悪口をあの女に話し、あの女の悪口をこの女に話して聞かせるようだが、当の女はじぶんのこととは知らないで、
〈これほどほかの女を悪く言うのだから、やはりわたしが一番愛されているようだ〉
 と思ったりするだろう。いやもう、そういうわけだから、少しでもじぶんを愛してくれる男に会うと、
〈薄情なのだろう〉
 と思って、まったく気が引けることもない。
 男が、ひどく気の毒でかわいそうな見捨てがたい女のことでも、少しも気に止めないのも、
〈どういう心なのか〉
 と、呆れてしまう。そのくせ男は、女の身の上を非難し、じぶんに非はないと言葉巧みに話す様子といったら。特に頼りになるような人がいない宮仕えの女房などを口説いて、身重になったというのに、まったく知らないふりをしている男もいる。
第百二十段
 みっともないもの。潮が引いた干潟にいる大きな船。大きな木が風に吹き倒されて、根を上に向けて横倒しになっているの。つまらない男が、家来を叱っているの。人妻などが、つまらない嫉妬などしてよそに隠れていたが、
〈必ず夫が大騒ぎして探すはずだ〉
 と思っていたのに、夫のほうはそうでもなく、憎らしいほど平然としているので、いつまでも家をあけているわけにもいかないので、じぶんから出て来たの。
第百二十一段
 加持祈祷は、奈良の系統。仏の護身法の真言などを読み上げているのは、優雅で尊い。
第百二十二段
 ばつが悪いもの。ほかの人を呼んでいるのに、
〈じぶんだ〉
 と思って出て行ったの。物などをくださる時には、いっそう。たまたま人の噂話をして、悪口を言ったのを、幼い子どもが聞いていて、その人がいるのに話したの。
 悲しいことなど、人が話して泣いたりするのに、
〈本当にとてもかわいそう〉
 などと聞きながら、涙がすぐに出てこないのは、ひどくばつが悪い。泣き顔を作って、悲しそうな表情をしてみるが、まったく甲斐がない。それが、素晴らしいことを見たり聞いたりした時には、すぐに涙がとめどもなく出てくる。
 石清水八幡宮の行幸からお帰りになる時に、女院(にょいん)の桟敷(さじき)の向こうに御輿を止めて、帝が女院にご挨拶をなさる。その様子は比類のないほど素晴らしく、本当に涙が溢れるほどで、化粧をしている顔の素肌が現れて、どんなに見苦しいことだろう。帝の宣旨のお使いとして、斉信(ただのぶ)の宰相の中将が、女院の桟敷に参上なさった様子は、とてもおもしろく見えた。ただ随身が四人、立派な装束をつけたのと、馬副(うまぞい)の、ほっそりと白く化粧しているのだけを連れて、二条の大路の広くきれいな通りに、立派な馬を早く走らせて急いで参上して、少し遠くから馬をおりて、脇の御簾の前に控えていらっしゃるところなど、とても素晴らしい。女院のお返事を承って、また帰参して、帝の御輿のもとで奏上なさる様子などの素晴らしさは、言うまでもない。そうして帝がお通りになるのを、ご覧になっていらっしゃるだろう女院のお気持ちを推察すると、飛び上がってしまいそうなほど。こういう素晴らしいことには、いつまでも長く泣いて人から笑われる。普通の身分の人だって、やはり子が出世するのは素晴らしいのだから、こんなふうに女院のお気持ちを推察するのも、恐れ多いことである。
第百二十三段
 関白(道隆)殿が黒戸からお出になるというので、女房が隙間なく仕えているのを、
「やあ、素晴らしい女房たちだ。この年寄をどんなに笑っていらっしゃるだろう」
 と言って、間をかき分けてお出になるので、戸口に近い女房たちが、色とりどりの袖口で御簾を引き上げると、権大納言(伊周)が、関白殿の沓を取ってお履かせになる。大納言は、とても重々しく、美しい感じで、装いをこらした様子で、下襲の裾を長く引いて、あたりも狭いような身なりで控えていらっしゃる。
〈まあ素晴らしい。大納言ほどのお方に、関白殿は沓をお取らせになるとは〉
 と見える。山の井の大納言(道頼)、その下のご兄弟の方、お身内ではない人々が、黒いものをまき散らしたように、藤壺の塀のきわから、登花殿の前まで座って並んでいるのに、関白殿はほっそりと優雅なお姿で、御佩刀(みはかし)の具合などをお直しになって、立ち止まっていらっしゃると、宮の大夫(道長・道隆の弟)殿は、清涼殿の戸の前に立っていらっしゃるので、
〈ひざまずかれたりはなさらないだろう〉
 と思っていると、関白殿が少し歩き出されると、なんとすぐにひざまずかれたのだ。
〈やはりたいそう前世で善業(ぜんごう)を積まれた果報なのだろう〉
 と拝見したのは、とても素晴らしかった。
 中納言の君が、誰かの命日だというので真面目ぶってお勤めをしていらっしゃったのを、
「貸してください、その数珠をしばらく。お勤めをして来世で関白殿のような素晴らしい身の上になりたくて借りるのです」
 と言うと、女房たちが集まって笑うけれど、笑われてもやはり関白殿は素晴らしいからあやかりたい。中宮様もお聞きになって、
「いっそ仏になってしまったほうが、関白にあやかるよりいいでしょう」
 と言って、微笑んでいらっしゃるので、今度は中宮様のご様子を素晴らしく思って拝見する。大夫殿がひざまずかれたのを、繰り返し申し上げると、
「いつもの関白殿びいきね」
 とお笑いになった。まして大夫殿のこの後の栄華の様子を中宮様がご覧になったとしたら、わたしが言ったことを、
〈もっともだ〉
 とお思いになることだろう。
第百二十四段
 九月頃、一晩中降り続いた雨が、今朝はやんで、朝日がとても鮮やかに射しはじめて、庭の植え込みの露がこぼれるくらいに濡れかかっているのも、とても素敵。透垣(すいがい)の羅文(らもん)の飾りや、軒の上に、張り巡らしてある蜘蛛の巣がこわれて残っているところに、雨がかかって、真珠の玉を貫いているように見えるのは、とても風情があっておもしろい。
※羅文(板垣、立て蔀、透垣などの上に、細い竹や木を菱形に組んで飾りとしたもの)
 少し日が高くなると、昨夜の雨に濡れた萩などが、ひどく重たそうなのに、露が落ちるたびに枝が動いて、誰も手を触れないのに、さっと上の方にはねあがったりするのも、
〈とてもおもしろい〉
 と、わたしが言っているいろいろおもしろいことが、
〈ほかの人には少しもおもしろくないだろう〉
 と思うのが、またおもしろい。
第百二十五段
 正月七日の日の若菜を、六日に人が持ってきて、大騒ぎして散らかっているところへ、見たこともない草を、子供が取って持って来たのを、
「なんと言うの、この草の名は」
 と尋ねると、すぐには答えないで、
「さあ」
 などと、お互いに顔を見合わせて、
「耳なし草と言います」
 と言う者がいるので、
「なるほど。聞いても知らない顔をしてたのね」
 と笑うと、またとても可愛らしい菊の生え出たのを持って来たので、

つめどなほ 耳無草こそ あはれなれ あまたしあれば 菊もありけり
(摘んでもやはり耳なし草はかわいそう たくさんの草花の中には 言うことを聞く菊もあったのね)

 と言いたかったが、この冗談もまた子供にはわからないだろう。
第百二十六段
 二月、太政官の役所で、定考(こうじょう/官吏を昇進させる儀式)ということをするそうだが、どういうことなのだろう。おそらく孔子などの画像をお掛けしてするのだろう。聡明(そうみょう)といって、帝にも中宮様にも、奇妙な形の物などを、土器(かわらけ)に盛ってさし上げる。
 頭弁(とうのべん/藤原行成)のところから、主殿司(とのもりづかさ)が絵のような物を、白い色紙に包んで、梅の花の素晴らしく咲いているのにつけて持って来ている。
〈絵なのだろうか〉
 と、急いで受け取って開けて見ると、餠餤(へいだん)という物を、二つ並べて包んである。
※餠餤(食品の名。餅の中にがちょう、鴨などの卵と野菜を煮て入れ、四角に切ったもの)
 添えてある正式の書状に、解文(げもん/公文書)のような形式で、
進上
餠餤一包
例に依て進上 如件(くだんのごとし)
別当 少納言殿
とあって、月日を書いて、
「みまなのなりゆき(行成の戯れの仮称)」
 とあり、最後に、
「この下男はじぶんで参上したいのですが、昼は顔が醜いと言って参上しないようです」
 と、たいそう美しい筆蹟で書いていらっしゃる。 中宮様の御前に参上してご覧に入れると、
「見事な筆跡ね。おもしろい趣向だわ」
 などとお褒めになって、解文はお取りになった。
「返事はどうしたらいいのかしら。この餠餤を持って来た時には、使いに褒美など与えるのだろうか。知っている人がいるといいのに」
 と言うのを中宮様がお聞きになって、
「惟仲(これなか)の声がしてたわ。呼んで聞いたら」
 とおっしゃるので、部屋の端に出て、
「左大弁にお話ししたい」
 と、侍に呼ばせると、たいそう威儀を正してやって来た。
「いえ公用ではなく、私用なのです。もしかして、この弁や、少納言のところに、このような物を持って来た下部(しもべ)などには、褒美を与えることがありますか」
 と言うと、
「そんなことはしません。ただ受け取って食べるだけです。どうしてそんなことをお聞きになるのです。政官(じょうかん)の誰かからおもらいになったのですか」
 と尋ねるので、
「まさか」
 と答えて、頭の弁への返事をとても赤い薄様に、
「じぶんで持って来ない下部は、ひどく冷淡な人だと思われますよ」
 と書いて、素晴らしい紅梅につけて差し上げると、すぐにお越しになって、
「下部が伺っています、下部が伺っています」
 とおっしゃるので、出たところ、
「あのような手紙なので、
〈いい加減な歌でも詠んでおよこしになったのか〉
 と思ったのに、見事におっしゃったものだ。女で、多少
〈じぶんこそは〉
 と思っているのは、すぐに歌を詠みたがる。そうでないのがずっとつきあいやすい。わたしなんかに、歌を詠んでくる人は、かえって無風流だね」
 などとおっしゃる。
「それでは則光のようではないか(第七十九段参照)」
 と笑って終わったが、このことを頭弁が、帝の御前に人々が大勢いた時にお話しになったところ、
「『うまく言ったものだ』
 と帝がおっしゃいました」
 と、後で人が話してくれたのは、みっともない自慢話でしかないが。
第百二十七段
「どうして官職に初めてついた六位の笏に、職の御曹司の東南の隅の土塀(どべい)の板を使ったのかしら。それなら、西や東の板も使ったらいいのに」
 などということを女房たちが言い出して、つまらないいろいろなことを、
「着物などにいい加減な名前をつけているのは、とても変よ。着物の中で、細長はそう言ってもいいでしょう。何よ、汗衫(かざみ)なんて。尻長(しりなが)と言いなさい。男の子が着ているように」
「なによ、唐衣(からぎぬ)なんて。短衣(みじかぎぬ)と言えばいいのに」
「でも、それは、唐土(もろこし)の人が着るものだから」
「上の衣(きぬ)、上の袴(はかま)は、そう言ってもいい」
「下襲(したがさね)もいい」
「大口もね、長さより口が広いから、それでいいでしょう」
「袴はひどくつまらない」
「指貫(さしぬき)は、どうしてそう言うの。足の着物と言うべき。そうでなかったら、ああいう物は袋と言いなさいよ」
 などと、いろいろ言って騒いでいるので、
「もう、うるさいわね。もう言わないわ。おやすみなさい」
 と言ったら、その返事に夜居の僧が、
「それはとてもよくない。一晩中でもやはりお話しなさい」
 と、腹を立てていたらしい声の調子で言ったのが、面白かったしびっくりもした。
第百二十八段
 亡くなった殿(道隆)の追悼のために、中宮様は毎月十日、お経や仏像などを供養なさっていたのを、九月十日は職の御曹司で行われる。上達部、殿上人、とても多い。清範(せいはん)が講師で、説くことが、やはりとても悲しいので、特に人生の無情など深くはわかりそうもない若い女房たちも、みな泣くようである。
 供養が終わって、酒を飲み、詩を吟じたりなどする時に、頭中将の斉信(ただのぶ)の君が、
「月秋と期して身いづくにか(月は秋になるとまた照るが、月を愛でた人はどこに去って行ったのだろう)」
 ということを声に出して吟誦なさったのは、大変素晴らしかった。どうしてその句を思い出されたのだろう。
※月秋と期して身いづくにか(金谷花ニ酔フノ地、花春ゴトニ匂ヒテ主ハ帰ラズ、南楼月ヲ翫ブノ人、月秋ト期シテ身イヅクニカ去ル『和漢朗詠集』」
 中宮様がいらっしゃる所に女房たちをかき分けて参上すると、中宮様は出ていらっしゃって、
「素晴らしいわね。本当に今日の法事のために用意して吟じたのでしょう」
 とおっしゃるので、
「それを申し上げるために、見物も途中でやめて参上したのです。やはりとても素晴らしく思います」
 と申し上げると、
「おまえは、なおさらそう思っているでしょうね」
 と、中宮様はおっしゃる。
 頭中将(斉信)は、わざわざわたしを呼び出したり、会うたびに、
「どうしてわたしと本当に親しくつき合ってくださらないのか。でも、
『わたしを嫌っているわけではない』
 とわかっているのだが、とても不思議でならない。これほど何年も経っている知り合いが、よそよそしい関係で終わることはない。殿上の間などに、わたしが一日中いないことになったら、何を思い出したらいいのだろう」
 とおっしゃるので、
「それはわたしも同じ。親しくなるのは難しくないのですが、そうなった後では、あなたを褒めることができないのが、残念なのです。帝の御前などでも、わたしの役目だと思ってあなたを褒めているのに、どうしてそんな親しい仲などに。ただ好きでいてください。そうでないときまりが悪く、気がとがめて、誉めにくくなってしまいます」
 と言うと、
「どうして。そういう親しい人が、世間の評判以上に褒める例だってあるよ」
 とおっしゃるので、
「それが嫌でないならねえ。男も女も、身近な人を大事にし、ひいきにし、褒めたり、他人がちょっとでも悪いことを言うと、腹を立てたりするのが、わたしには情けなく思われるのです」
 と言うと、
「頼りがいがないなあ」
 とおっしゃるのも、とてもおもしろい。
第百二十九段
 頭弁(行成)が職の御曹司に参上なさって、お話などなさっていたら、夜がひどく更けた。
「明日は帝の物忌(ものいみ)なので殿上につめなければならないから、丑の刻になったらまずいだろう」
と言って参内なさった。  
 翌朝、蔵人所の紙屋紙(かんやがみ)を重ねて、
「今日は、とても心残りがします。夜通し、昔話でもして夜を明かそうとしたのですが、鶏の声に急き立てられて」
 と、大変言葉多く書いていらっしゃるのは、とても素晴らしい。お返事に、
「大変夜深く鳴いたという鶏の声は、孟嘗君(もうしょうくん)のかしら」
 と申し上げると、折り返し、
「『孟嘗君の鶏は、函谷関(かんこくかん)を開いて、三千の食客がかろうじて逃げた』
 と本にはあるけれど、わたしが言ったのは逢坂の関のことです」
 とあるので、

「夜をこめて 鶏のそら音に はかるとも 世に逢坂の 関は許さじ
(夜がまだ明けないのに 鶏の鳴き声を真似てだまそうとしても この逢坂の関は許しません)  

 しっかりとした関守がいます」
 と申し上げる。また、折り返し、

「逢坂は 人越えやすき 関なれば 鶏鳴かぬにも あけて待つとか
(逢坂は人が越えやすい関なので 鶏が鳴かなくても 関の戸を開けて待つといいます) 」  

 とあり、これらの手紙で最初のは、僧都の君(中宮の弟)が礼拝までして取ってしまわれた。後の二通は、中宮様のところに。そして、「逢坂は」の歌は圧倒されて、返歌もしないままになってしまった。まったくみっともない。
「ところで、あなたの手紙は、殿上人がみな見てしまったよ」
 と頭弁がおっしゃるので、
「〈本当にわたしを思ってくださっている〉
 と、それでよくわかりました。素敵な歌など、人が言い伝えないのは、甲斐がないのですから。反対にみっともない歌が広まると困るので、あなたのお手紙はひたすら隠して、人には絶対に見せません。お互いの思いやりを比べると、同じでしょう」
 と言うと、頭弁は、
「そのように物を十分に理解して言うのが、やはり人とは違うと思う。
『軽はずみに、人に見せてしまった』
 などと、普通の女のように言うのかと思ったのに」
 などと言って、お笑いになる。
「どうしてそんな。お礼を申し上げたいくらいです」
 などと言う。
「わたしの手紙をお隠しになったのも、やはり身に染みて嬉しいことです。人に見られたら、どんなに情けなくつらかったでしょう。これからもそれを頼りにしましょう」
  などとおっしゃったその後で、経房(つねふさ)の中将がいらっしゃって、
「頭の弁がとても褒めていらっしゃるのを知っていますか。先日の手紙に、この間のことなどを書いていらっしゃる。わたしの好きな人が、人に褒めらるのは、とても嬉しい」
 などと真面目におっしゃるのもおもしろい。
「嬉しいことが二つに。頭弁が褒めてくださっているのに、また、あなたの好きな人の中にわたしが入っていたのですから」
 と言うと、
「好きなことを、珍しがって、今初めて知ったように喜ばれるのですね」
 などとおっしゃる。
第百三十段
 五月頃、月もないとても暗い夜に、
「女房はいらっしゃいますか」
 と大勢の声で言うので、中宮様が、
「出て見なさい。いつもと違うように言ってるのは誰なの」
 とおっしゃるので、
「いったい誰なの。ひどく大袈裟なきわだっている声は」
 と言う。なにも言わないで、御簾を持ち上げて、かさっと入れたのは、呉竹だった。
「おお、この君だったのですね。(この君:竹の異称。中国、晋代の王徽之オウキシが竹を愛し、『何ゾ一日モ此ノ君無カル可ケムヤ』と言った故事による)」
  と言ったのを聞いて、
「さあ、さあ、これを真っ先に殿上の間に行って話そう」
 と言って、式部卿宮の源中将、六位の蔵人たちなど、そこにいた人たちは、去った。
 頭弁はお残りになった。
「不思議なことにみんな行ってしまったな。実は、
『清涼殿の御前の竹を折って、歌を詠もう』
 としていたのに、
『同じことなら、職の御曹司に参上して、女房などを呼び出して詠もう』
 と言って竹を持って来たのに、呉竹の名を、すばやく言われてあの人たちが退散したのは気の毒だ。あなたは誰の教えを聞いて、人が普通知っていそうもないことを言うのです」
 などとおっしゃるので、
「竹の名だなんて知らないのに。失礼だと思われたのでしょうか」
 と言うと、
「本当に、そんなことは知らないだろうな」
 などとおっしゃる。
 真面目なこともわたしと話し合って座っていらっしゃると、殿上人たちが、
「栽(う)えてこの君と称す」
 と吟誦して、また集まって来たので、頭弁が、
「殿上の間で約束した本来の目的も遂げないで、
〈どうしてお帰りになってしまったのか〉
 と不思議に思っていましたよ」
 とおっしゃると、殿上人は、
「あんな名文句に、どう返事をしたらいいのでしょう。下手な返事はかえってまずいでしょう。殿上人の間でも大騒ぎ。帝もお聞きになって、おもしろがっていらっしゃいました」
 と話す。頭弁も一緒に、同じ詩句を繰り返し吟誦して、とてもおもしろいので、殿上人たちはみなそれぞれ女房と話をして明かして、帰る時にも、やはり同じ詩句を声を合わせて吟誦して、左衛門の陣に入るまで聞こえていた。
※「栽(う)えてこの君と称す」晋ノ騎兵参軍王子猷 、栽ヱテ此ノ君ト称ス。唐ノ太子ノ賓客白樂天 、愛デテ我ガ友ト為ス(晋の騎兵参軍の王子猷は、竹を栽ゑてこの君と呼び、唐の太子賓客の白楽天は、竹を愛して我が友と言った)『和漢朗詠集』
 翌朝、とても早く、少納言の命婦という人が、帝のお手紙を中宮様にさし上げた時に、このことを申し上げたので、局に下がっていたわたしをお呼びになって、
「そんなことがあったの」
 とお尋ねになるので、
「知りません。わたしは何も知らないで言っただけなのに、行成の朝臣(頭弁)がうまくとりつくろったのでしょう」
 と申し上げると、
「とりつくろったといっても」
 と言って、微笑んでいらっしゃる。
 中宮様は、女房なら誰のことでも、
「殿上人が褒めた」
 などとお聞きになると、そう言われた人のことをお喜びになるのもおもしろい。
第百三十一段
 円融院(えんゆういん/一条帝の父)の諒闇が明けた年、誰もが喪服を脱ぐなどして、しんみりとしたことを、宮中をはじめとして、院のことなどを思い出すのに、雨がひどく降る日、藤三位の局に、蓑虫のような男童(おのわらわ)で大柄なのが、白く削った木に立て文をつけて、
「これを差し上げたいのです」
 と言ったので、取次の女房が、
「どこからですか。今日、明日は物忌だから、蔀は上げないの」
 と言って、下の方は閉めたままの蔀から立て文を受け取って、藤三位は、
「これこれです」
 とはお聞きになったが、
「物忌だから見ない」
 ということで、女房が蔀の上に突きさしておいたのを、翌朝藤三位は手を洗い清めて、
「さて、その昨日の巻数(かんず)を」
 と、取ってもらって、伏し拝んで開けたところ、胡桃色という色紙の厚ぼったいものなので、
〈変だな〉
 と思って、だんだん開けていくと、法師のくせの強い筆蹟で、

これをだに かたみと思ふに 都には 葉がへやしつる 椎柴(シイシバ)の袖
(椎柴の袖の袖でさえ故院の形見と思っているのに 都ではもう着替えてしまったのですか)

 と書いてある。
〈まったく呆れた癪にさわるやり方ね。誰がしたのだろう。仁和寺の僧正だろうか〉
 と思うが、
〈僧正はこんなことはおっしゃらない。藤大納言が、円融院の別当でいらっしゃったから、その方がなさったことのようだ。このことを帝や中宮様などに、早くお聞かせしなければ〉
 と思うと、とても落ち着かない気がするけれど、
〈やはり重く慎むように陰陽師が言った物忌を終えてしまおう〉
 と我慢してその日を暮らして、翌朝、藤大納言のところに、この歌の返歌をして使いに置いて来させたところ、すぐにまた藤大納言から返歌をして藤三位に届けられた。
 それを二つとも持って参上して、
「こういうことがありました」
 と、帝もいらっしゃる御前でお話しなさる。中宮様はさりげなくご覧になって、
「藤大納言の筆蹟ではないようね。法師のではないかしら。昔の鬼がしたことに思われるわ」
 などと、とても真面目におっしゃるので、
「それでは、これは誰のしたことなのかしら。物好きなこ上達部や高僧などは、いったい誰がいるのでしょう。あの人かしら、この人かしら」
 などと、不審がり知りたがって申し上げると、帝が、
「この辺にあった色紙に、とてもよく似ている」
 と、にやにやなさって、もう一枚御厨子の中にあるのを取って、お示しになったので、藤三位は、
「いやもう情けない。このわけをおっしゃってください。ああ、頭が痛い。どういうことかすぐにお聞きしましょう」
 ひたすら責めに責めて、怨んだり笑ったりなさるので、帝もやっと白状なさって、
「使いに行った鬼童は、台盤所の刀自(とじ)という者のところにいたのを、小兵衛がうまく説得して、使いに行かせたのだろう」
 などとおっしゃるので、中宮様もお笑いになるのを、藤三位は引っ張って揺すぶって、
「どうしてこんな騙しをなさったのです。わたしはまさに巻数だと思って手を洗い清めて、伏して拝んだのですよ」
 と、笑ったり悔しがったりしていらっしゃる様子も、とても得意そうで愛嬌があっておもしろい。
 その後、清涼殿の台盤所でも笑って騒いで、藤三位は局に下がって、あの使いの童を探し出し、立て文を受け取った女房に見せると、
「その子に間違いないようです」
 と言う。
「誰の手紙を誰がおまえに渡したのか」
 と言っても、童はなんとも言わないで、わざと知らないふりをして笑って走って行ってしまった。藤大納言は、後でこのことを聞いて、笑っておもしろがられた。
※藤三位(一条帝の乳母。右大臣藤原師輔の四女茂子。道兼の室であったが、その死後、平惟仲の妻となる)
第百三十ニ段
 退屈なもの。よその家でする物忌。駒が進まない双六。除目で任官しない人や、その家。雨の降っているのは、なおさらひどく退屈。
第百三十三段
 退屈なのを慰めるもの。碁。双六。物語。三つか四つの幼児が、何かをおもしろく言うの。また、とても小さい乳児が何かしゃべり、「たがへ(不詳)」などということをしているの。果物。男などで冗談がうまく、話がうまいのが来た時には、物忌でも、中へ入れてしまう。
第百三十四段
 とりえのないもの 。容貌が憎らしい感じて、性格が悪い人。みそひめの塗ってあるの(不詳/一説、洗濯糊の腐ったの)。これは、
「すべての人が嫌うもの」
 と言って、今さら書くのをやめるべきではない。
 また、「跡火の火箸」も、とりえのないものとして、どうして書かないことがあろうか。
※跡火(葬式で、出棺の後に家の門の前でたく火。送り火)
 世間にないことではないが、この草子を人が見るものとは思わなかったので、
〈変なことも、憎らしいことも、ただじぶんが思っていることを書こう〉
 と思った。
第百三十五段
 やはり素晴らしいことは、臨時の祭といったところだろうか。試楽もとてもおもしろい。春は、空の様子がのどかで、うららかな時に、清涼殿の御前に、掃部司(かもんづかさ)が畳を敷いて、勅使は北を向いて、舞人は帝の御前の方を向いて着座する。これらは記憶違いかもしれない。
※臨時の祭(三月の石清水八幡宮のと十一月の賀茂神社のと二つある)
 蔵人所の衆たちが、衝重(ついがさね/三方・食器をのせる)を取って、それぞれの席の前に並べているのが素晴らしい。陪従(べいじゅう/楽人)も、清涼殿の前庭で食物を賜る時だけは、帝の御前で出入りする。 公卿や殿上人は、かわるがわる盃を取って、終りには、屋久貝(やくがい)という物で酒を飲んで席を立つとすぐに、取り食(ば)みという者が、これは男がするのだって嫌な感じがするのに、御前の庭では女までが出て来て取る。思いがけない、人がいるとは思えない火焼屋(ひたきや)から急に出て来て、たくさん取ろうと騒ぐ者は、かえって落として慌てているうちに、手軽にさっと取って行ってしまう者に負けてしまい、気のきいた保管場所には、火焼屋を使って、そこに運び入れるのがとてもおもしろい。
※取り食み(宴会の料理の残りを庭に投げて、下人などに食べさせること。また、それを食べる者)
 掃部司の者たちが畳を取り払うと、主殿司(とのもりづかさ)の役人たちが、手に手に箒を持って、庭の砂をならす。承香殿(じょうきょうでん)の前の所で、陪従が笛を吹きたて、拍子を打って演奏楽するのを、
「早く出て来てほしい」
 と待っていると、「有度浜(うどはま)」を謡って、呉竹の台のところに歩いて出て来て、御琴(みこと/和琴)を弾いた時は、ただもう素晴らしく、
〈どうしたらいい〉
 と思うほどである。一の舞がとてもきちんと袖を合わせて、二人ほど出て来て、西に寄って向き合って立った。舞人が次々と出て来るが、足踏みを拍子に合わせて、半臂(はんぴ)の緒の形を直し、冠(かんむり)、袍の襟なども手を休めないで直す手振りをして、「あやもなきこま山(不詳)」などを謡って、舞っているのは、何から何まで非常に素晴らしい。大輪(おおわ)など舞うのは、一日中見ていても飽きないのに、終わってしまうとても残念だけれど、
〈次の舞がある〉
 と思うと頼もしく、御琴を弾き返して、今度は、そのまま、呉竹の台の後ろから求子(もとめご)の舞を舞って出て来る様子は、なんとも素晴らしい。掻練(かいねり)の艶や下襲(したがさね)の裾(きょ)などが舞うにつれてからみあって、あちこちに交差したりするのは、これ以上言うと、平凡になってしまう。
 求子 の舞の後には、もう舞はないからだろうか、終わってしまうのは、大変残念である。勅使や舞人が退出すると、上達部などもみな続いて出てしまわれたので、物足りなくて残念なのに、賀茂の臨時の祭りの場合は、還(かえ)り立(だ)ちの御神楽(みかぐら)などがあるので慰められる。庭の篝火の煙が細く立ちのぼるのに合わせて、神楽の笛が素敵に震え、澄んだ音色で昇ってゆくので、歌の声も、とても身に染みて、大変おもしろい。寒くて凍りつき、打衣も肌に冷たく、扇を持っている手も冷えているのにも気づかない。才(ざえ)の男(おのこ)を呼んで、長く声を引いた人長(にんじょう/舞人の指揮者)の満足そうな様子も素晴らしい。
※才の男(内侍所の神楽などで歌を歌ったり、滑稽な芸を演じたりする人)
 里にいる時は、ただ一行が通っていくのを見るだけでは満足できないので、御社(みやしろ)まで行って見ることもある。大きな木のところに、車を立てると、松明の煙がたなびいて、その火の光に舞人の半臂(はんぴ)の緒や、衣装の艶も、昼間より一段と引き立って見える。橋の板を踏み鳴らして、声を合わせて舞うのもとてもおもしろいのに、水の流れる音、笛の音などが一緒に聞こえるのは、本当に神さまも、
〈素晴らしい〉
 と思っていらっしゃることだろう。頭中将といった人が、毎年舞人なので、
〈素晴らしいこと〉
 と思いこんでいたところ、亡くなって、上の御社の、橋の下にその霊がとどまっていると聞くと、
〈気味が悪い、物をそれほど思い込まないようにしよう〉
 と思うが、やはりこの祭りの素晴らしさだけは、思い捨てることはできそうにない。
「八幡の臨時の祭の日は、終わった後がずいぶん味気ないわね。どうして帰って、また舞わないのかしら。舞えばおもしろいのに。禄をいただいて、後ろから退出するのは、つまらないわ」
 などと女房たちが言うのを、帝がお聞きになって、
「舞わせよう」
 とおっしゃる。
「本当でしょうか。それなら、どんなに素晴らしいことでしょう」
 などと申し上げる。嬉しくなって、中宮様にも、
「ぜひ、
『舞わせるように』
 とお願いなさってください」
 などと、集まって夢中で申し上げたところ、その時は、帰ってからも舞ったのは、たいそう嬉しかった。
〈まさかそんなことはないだろう〉
 と油断していた舞人は、帝のお召しと聞いたので、何かにぶつかるほど騒ぐのも、まるで気が変になったようだ。下局にいた女房たちが慌てて清涼殿に参上する様子といったら。人の従者や殿上人などが見ているのも知らないで、裳を頭からかぶって参上するのを、笑うのもおもしろい。
第百三十六段
 関白殿(道隆)がお亡くなりになってから、世の中に事件が起こり、騒がしくなって、中宮様も参内なさらないで、小二条殿という所にいらっしゃるのだが、わたしは長い間里にいた。でも中宮様の御前のあたりが気がかりで、やはりご無沙汰を続けることができそうにもなかった。
 右中将がお越しになってお話をなさる。
「今日、中宮の御殿に参上したところ、とてもしみじみとした風情でした。女房の装束は、裳や唐衣が季節に合っていて、気を緩めないで仕えていました。御簾のそばの開いている所から覗いたところ、八、九人ほど、朽葉の唐衣、薄紫色の裳に、紫苑や萩など、美しく装い並んで座っていました。中宮様の御前の草がひどく茂っているので、
『どうしてこんなに。刈り取らせればいいのに』
 と言うと、
『わざわざ露を置かせてご覧になるというので』
 と、宰相の君の声で答えたのが、おもしろく感じられた。あなたの里住まいを、
『とても情けない。中宮様がこういう所にお住まいになる時には、どんなに差し支えがあっても、必ずそばにいると思っていらっしゃるのに、甲斐もなく』
 と女房たちが大勢で言ったのは、あなたに、
『話して聞かせなさい』
 ということなのでしょう。参上してご覧なさい。しみじみとした風情のある所です。台の前に植えられていた牡丹などが、おもしろいことといったら」
 などとおっしゃる。
「さあどうですか。みなさんがわたしを、
〈憎らしい〉
 と思っていることが、わたしもまた憎らしく感じましたので」
 とお返事する。
「率直だな」
 と言って、右中将はお笑いになる。
〈本当にわたしをどうお思いだろう〉
 と心配するような中宮様のご機嫌を損ねたのではなく、そばに仕える女房たちが、
「あの人は左大臣(道長)様側の人と親しい間柄だ」
 と言って、皆で集まって話をしていても、わたしが部屋から御前に参上するのを見ると、急に話をやめて、わたしをのけものにする態度が、今までそんな目にあったことがなく憎らしいので、中宮様から、
「参上しなさい」
 などとたびたびあるお言葉を聞き流して、本当に長く経ってしまったのを、それをまた中宮様のあたりでは、ただもう左大臣側とそれらしく言って、作り話なども出てくるようだ。
 いつもと違ってお言葉などもなくて、何日も経ったので、心細くてぼんやりしている時に、長女(おさめ/雑用係)が、手紙を持って来た。
「中宮様から宰相の君を通して、こっそり賜ったものです」
 と言って、わたしの家でまで人目を避けているのもあんまりだ。
〈人を介してのお言葉ではないだろう〉
 と、胸がどきどきして急いで開けたところ、紙には何も書かないで、山吹の花びらをただひとひら包んでいらっしゃる。そこに、
「言はで思ふぞ(言わないでも思っている)」
 と書いていらっしゃるのは、とても素晴らしく、この数日ものご無沙汰が悲しかったのも、みなおさまって嬉しいのを、長女(おさめ)も見つめて、
「中宮様には、どんなにか、何かにつけてあなた様のことを思い出していらっしゃるそうですのに。女房がたは誰も、
「長過ぎる里下がり」
 と言っておるようです。どうして参上なさらないのですか」
 と言って、
「この近所に、ちょっと行ってから、また伺いましょう」
 と言って、立ち去った後、その間にお返事を書いておこうとするのに、この「言はで思ふぞ」の歌の上の句をまったく忘れている。
「とても不思議だわ。同じ古歌と言いながら、こんな有名な歌を知らない人がいるかしら。もうここまで思い出していながら、口に出てこないのは、どうしてなの」
 などと言うのを聞いて、前に座っている女の子が、
「『下ゆく水』と申します」
 と言った。どうしてすっかり忘れてしまったのだろう。こんな子供に教えられるのも、おもしろい。
※心には 下行く水の わきかへり 言はで思ふぞ 言ふにまされる
(心の中には地下水がわき返っている 言わないで思っているけれど 言うよりずっと思いは深い)『古今六帖・第五』
 お返事をさし上げて、少し経ってから参上した。
〈どうだろう〉
 と、いつもよりは気がひけて、御几帳に少し隠れて控えているのを、
「あれは新入りなの」
 などとお笑いになって、
「嫌いな歌だけれど、
〈こんな時は、ぴったりの歌だな〉
 と思ったの。おまえの顔を見ないと、少しも気が休まることがない」
 などとおっしゃって、前と変わったご様子もない。女の子に歌の上の句を教えられたことなどを申し上げると、たいそうお笑いになって、
「そういうことがあるの。あまりにも知っていて侮っている古歌などは、そういうこともありそう」
 などとおっしゃって、そのついでに、
「謎謎合わせをしたけれど、方人(かたうど/同じ組の人)ではなく、謎謎にたけていた人が、
『左の組の一番はわたしが謎を出そう。そのつもりでいてください』
 などと請け合うから、
〈まさかすぐにわかる謎は出さないだろう〉
 と頼もしく嬉しく、組の全員が謎の問題を作り出して、選んで決める時に、その人は、
「一番の謎の言葉は、わたしに任せて、ここで発表しないであけておきなさい。わたしがこう言うのですから、決して悔しい思いをすることはないでしょう」
 と言う。
〈そうかもしれない〉
 と思っているうちに、謎謎合わせの日がとても近づいた。
『やはり謎の言葉をおっしゃい。思いがけなく同じ謎が二つ出たら困るから』
 と言うと、
「それならもう知らない。わたしを当てにしないで」
 などと機嫌を悪くしたので、不安なまま、その日になって、左右それぞれの男女が分かれて座って、立ち合い人などが大勢で並んで座って勝負するのに、例の左の一番の人の、ひどくもったいぶった自信たっぷりの態度は、
〈どんな謎を言い出すのだろう〉
 と思われたので、左方の人も、右方の人も、結果が待ち遠しく見守る中、その人が、
『何だ、何だ』
 と言うのは、憎らしいほど素晴らしい。ところが、その人は、
『天に張り弓』
 と言った。右方の人は、子供でもわかる謎だったから、
〈実におもしろい〉
 と思うのに、左方の人はあっけにとられて、みな
ひどく憎らしく、
〈可愛いげもなくあちらに味方して、わざとこちらを負けさせようとしたのだ〉
 などと一瞬思うが、右の人が、
『まったくつまらない、ばかげた謎だ』
 と笑って、
『やあ、全然わからない』
 と言って、口をへの字に曲げて、
『知らないなあ』
 と言って、おどけたしぐさをすると、例の人は勝ち点を入れさせた。右の人は、
『それは変よ。この謎を知らない人がどこにいるの。点を取られるはずがない』
 と抗議するが、左の人は、
『知らない、と言ったからには、どうして負けにならないことがあろうか』
 と言って、二番以後の謎謎も、この人がみな議論して勝たせたの。よく知っていることでも、思い出せない時は、わからないと言うのも仕方がないけれど、
『知っているのに、どうして知らないと言ったのか』
 と、後で恨まれたそうよ」
 などとお話しになると、御前にいる女房はみな、
「そう思ったことでしょう。残念な応対をしたものです。左方の人の気持ちは、最初に、
『天に張り弓』
 と聞いた時には、どんなに憎らしかったことでしょう」
 などと笑う。この例は、わたしのように忘れたのではなく、誰もが知っているので油断したからだが。
※謎謎合わせ(左右二組に分かれて謎をかけあい、それを解きあって勝負を争う遊び)
※方人(歌合わせなどで左右の組に分かれた一方の人)
第百三十七段
 正月十日過ぎの頃、空はひどく暗く雲って厚く見えながら、それでも日は、鮮やかに射し込んでいるのに、つまらない者の家の荒畑というものの、土もきちんとならされていない所に、桃の木の若々しい、小枝がたくさん出ているのが、片方はとても青く、もう片方は色濃くつやつやと、蘇芳の色なのが、日の光に見えているのを、とてもほっそりとした童で、狩衣はどこかにひっかけて破ったりしているものの、髪はきちんとしたのが登っているので、着物の裾をたくし上げている男の子や、また、すねを出して浅い靴をはいている子などが、木のところに立って、
「わたしに毬打(ぎちょう)を切って(毬打:槌の形をした杖に、色糸を巻きつけた遊び道具。また、それで木製のまりを打ち合う遊戯)」
 などと頼んでいると、また、髪の美しい女の子で、袙(あこめ)はほころびて、袴はよれよれになっているけれど、立派な袿を着ているのが、三、四人来て、
「卯槌(うづち)にする木のよさそうなのを切って落として。ご主人様のところでも必要なの」
 などと言うので、木に登っている子が落とすと、下の子たちは奪い合って取って、上を向いて、
「わたしにいっぱい」
 などと言っているのはおもしろい。
 黒袴をはいた男が走って来て頼むのに、
「もっとだって」
 などと言うと、木の幹を揺さぶるので、危ながって猿のようにしがみついてわめくのもおもしろい。梅の実がなっている時にも、こんなことをする。
第百三十八段
 さっぱりとした美しい男が、双六を一日中打って、それでも満足しないのか、低い燈台に火を灯して、とても明るく灯心をかき上げて、相手が賽におまじないをかけて、賽をすぐに筒の中に入れないので、男は筒を盤の上に立てて待っているが、狩衣の襟が顔にかかるので、片手で押し込んで、固くない烏帽子で先が垂れ下がるので後ろに振りのけながら、
「賽をどんなに呪ったって、、悪い目が出るものか」
 と、待ち遠しく見守っているのは、誇らしそうに見える。
※双六(盤の上を双方各十二に区分し、中央部をあけて敵・味方の領地に分け、黒白十五個ずつの馬とよぶ石を並べ、二つの賽を竹筒に入れて振り、その出た数だけじぶんの石を進めるもの。先に敵陣に送り終わったものを勝ちとする)
第百三十九段
 碁を貴い人が打つといって、直衣の紐を解き、無造作な様子で、碁石をつまんで置くのに、身分の低い人は、座り方からして畏まっている感じで、碁盤から少し離れて、及び腰になって、袖の下はもう片方の手で押さえたりして、打っているのもおもしろい。
第百四十段
 怖そうなもの。橡(つるばみ/どんぐり)のかさ。焼けた野老(ところ/つる草の名)。水ふふき(鬼蓮)。菱(ひし/水草の名。葉が菱形で、果実はとげがある)。髪の多い男が洗って乾かしているところ。
第百四十一段
 清らかに見えるもの。土器(かわらけ)。新しい金属製の碗(わん)。畳に張る薦(こも/畳表)。水を何かに入れるときに透けて見える光の影。
第百四十二段
 下品なもの。 式部の丞の笏(しゃく)。
※式部の丞は多忙なので笏にメモを貼ったりはがしたりして汚ないという。
 黒い髪の毛筋のよくないの。布屏風(ぬのびょうぶ)の新しいの。古くなって黒ずんでいるのは、そのように言うほどの価値がないから、かえって気にならない。新しく作って、桜の花がたくさん咲いている図柄で、胡粉(ごふん/白絵具)、朱砂(すさ/赤絵具)などで、色をつけた絵などが描いてあるの。遣戸厨子(やりどずし)。
※両開きではなく、引き戸だから下品なのだろう。
 法師の太っているの。本物の出雲筵(いずもむしろ)の畳。
※出雲国(島根県)で産する畳。網目が粗いからだろう。
第百四十三段
 胸がどきどきとするもの 。競べ馬を見るの。元結を縒(よ)るの。親などが、
「気分が悪い」
 と言って、ふだんと違った様子なの。まして、
「疫病などが流行して世間が騒いでいる」
 という噂を聞く時は、心配でほかのことは何も考えられない。まだ話せない赤ん坊がひどく泣いて、乳も飲まず、乳母が抱いても泣きやまないで、長い間泣き続けているの。
 いつもの所ではない所で、まだ表沙汰になっていない恋人の声を聞いた時は当然、ほかの人などが、その恋人の噂をする時も、まずどきっとする。ひどく嫌な人が来た時も、またどきっとする。不思議にどきどきしがちなのが、胸なの。昨夜初めて通って来た男の、今朝の手紙が遅いのは、他人のことでもどきどきする。
第百四十四段
 かわいらしいもの。瓜(うり)に描いてある幼児の顔。雀(すずめ)の子が、ねずみの鳴き声のまねをするとぴょんぴょんはねて来るの。二歳か三歳ぐらいの幼児が、急いで這って来る道に、とても小さいごみのあるのを、目ざとく見つけて、とても可愛い指でつかまえて、大人たちに見せているのは、とてもかわいらしい。頭髪は尼そぎである幼女が、目に髪の毛がかぶさっているのを払いのけもしないで、顔を傾けて物など見ているのも、かわいらしい。
※尼そぎ(尼のように垂れ髪を肩や背中のあたりで切りそろえた少女の髪形)
 大きくはない殿上童(てんじょうわらわ)が、装束を立派に着せられて歩くのもかわいらしい。愛らしい幼児をちょっと抱いて、遊ばせたり可愛がったりするうちに、すがりついて寝てしまったは、とてもかわいらしい。
 人形遊びの道具。蓮の浮葉のとても小さいのを、池から取り上げたの。葵のとても小さいの。どんなものでも小さいものは、みなかわいらしい。
 とても色白でふっくらした幼児の、二つぐらいなのが、二藍(ふたあい)の薄物(うすもの)など、着物が長くて襷(たすき)を結んだのが這い出て来たのも、また、着物の丈の短い袖ばかり目立つようなのを着て歩くのも、みなかわいらしい。八つ、九つ、十ぐらいの男の子が、幼い声で本(漢詩文)を読んでいるのは、とてもかわいらしい。
 鶏のひなが、足長で、白くかわいらしく、着物を短く着たような様子で、ぴよぴよとうるさく鳴いて、人の後ろや先に立って歩くのも、おもしろい。また親鳥が一緒に連れ立って走るのも、みなかわいらしい。かるがもの卵。瑠璃(青色の宝石)でできている壺。
第百四十五段
 人前で調子づくもの。格別なこともない子で、それでも親が可愛がり甘やかしているの。咳(せき)。こちらが気恥ずかしくなるほど立派な人に何か言おうとすると、まず咳が出てくる。
 局のあちこちに住む人の子で、四つ、五つくらいの子が身勝手にふるまって、物を散らかしたり壊したりするのを、引っ張って止められて、思い通りにできないのが、親が入って来たので調子に乗って、
「あれを見せてよ、ねえねえ、お母さん」
 などと揺り動かすが、大人たちは話をしていて、すぐには聞いてくれないので、じぶんで勝手に引っ張り出して来て見て騒ぐのは、ひどく憎らしい。それを、
「だめっ」
 と取り上げもしないで、
「そんなことはしないで」
壊さないでね」
 などと笑顔で言うだけなのは、親も憎らしい。わたしはといえば、親の手前きついことも言えないで見ているだけだから、気が気でない。
第百四十六段
 名前が恐ろしいもの。 青淵(あおふち)。谷の洞(ほら)。鰭板(はたいた)。鉄(くろがね)。土塊(つちくれ)。雷(いかずち)は、名前だけでなく、ひどく恐ろしい。暴風(はやち)。不祥雲(ふしょうぐも)。矛星(ほこぼし)。肱笠雨(ひじかさあめ)。荒野(あらの)ら。 強盗は、すべてにおいて恐ろしい。らんそう(未詳)はだいたい恐ろしい。かなもち(未詳)も、またすべてにおいて恐ろしい。生き霊(いきすだま/他の人に取りついて悩ます、生きている人の霊魂)。蛇いちご。鬼わらび。鬼ところ。むばら(とげのある低木植物の総称。特に野性的の薔薇)。からたけ(未詳)。いり炭。牛鬼。碇(いかり)は名前よりも見た目が恐ろしい。
第百四十七段
 見るとたいしたことないが、文字に書くと大げさなもの。覆盆子(いちご)。鴨頭草(つゆくさ)。水茨(みずふぶき)。蜘蛛(くも)。胡桃(くるみ)。文章博士(もんじょうはかせ)。得業の生(とくごうのしょう)。皇太后宮権大夫(こうたいごうぐうのごんのだいぶ)。楊梅(やまもも)。虎杖(いたどり)はまして、虎の杖と書くという。虎は杖がなくてもよさそうな顔をしているのに。
第百四十八段
 不快で嫌なもの。 刺繍の裏側。鼠の子の毛もまだ生えていないのを、巣の中から転がし出したの。裏がまだついていない皮衣(かわごろも/獣の毛皮で作った防寒着。「かわぎぬ」とも)の縫い目。猫の耳の中。とくにきれいでない所の暗いの。
 どうということもない人が、子供がたくさんで持てあましているの。それほど深くも愛していない妻が気分が悪く長い間病気なのも、男の気持ちとしては嫌だろう。
第百四十九段
 つまらないものがはばをきかせる時 。正月の大根(正月の歯固めに用いる)。行幸の時の姫大夫(ひめもうちぎみ/行幸の時、馬で供をする内侍所の女官)。御即位の御門司(みかどつかさ/即位式に天皇の高御座タカミクラに絹蓋をかける)。六月、十二月の末の節折(よおり)の蔵人。
※六月、十二月の大祓の夜、女蔵人が竹で天皇の身長を計る。
 季の御読経(みどきょう)の時の威儀師(いぎし)。
※季の御読経(春秋、二月と八月に百僧を呼んで『大盤若経』を宮中で転読する法会)
※威儀師(法会の時に僧を先導し、威儀を整える僧)
 赤い袈裟を着て、僧の名を読み上げているのは、とても堂々として威厳がある。
 季の御読経、御仏名(みぶつみょう)などの設営をする蔵人所の衆。春日の祭の近衛舎人(このえどねり)たち。正月三が日の薬子(くすりこ)。
※薬子(正月に天皇のお屠蘇を毒味する童女)
 卯杖(うづえ)の法師。五節の御前の試みの夜の御髪上(みぐしあげ)の女房。節会(せちえ)の時、帝の御膳の給仕をする采女(うねめ)。
第百五十段
 苦しそうなもの。 夜泣きということをする幼児の乳母。愛人を二人持って、両方から嫉妬されている男。手強い物怪の調伏にかかわっている修験者。祈祷の効験だけでもすぐにあればいいのだが、あまり効き目がなく、それでも、
『人の笑い者にはならない』
 と、祈っているのは、ひどく苦しそうだ。
 むやみに疑う男に、ひどく愛されている女。摂政・関白のお邸などにいて、羽振りのよい人も、気楽にはしていられないが、それはいいだろう。気持ちがいらいらしている人。
第百五十一段
 うらやましいもの。経などを習うのに、非常にたどたどしく忘れがちで、何度も何度も同じ所を読むのに、法師は当然、男も女もすらすらと簡単に読んでいるのを聞くと、
〈あのようにいつになったらなれるだろう〉
 と思ってしまう。気分など悪くて横になっているのに、声を立てて笑ったり話したりして、なんの屈託もなく歩きまわっているのを見るのは、ひどくうらやましい。
 伏見稲荷に心を奮い立たせて参詣したのに、中の御社(みやしろ)のあたりで、むやみに苦しいのを我慢して登っていると、少しも苦しそうでなく、
〈後から来るな〉
 と思っていた人たちが、どんどん先に行ってお参りをするのは、とても素晴らしい。二月の午(うま)の日の夜明け前に急いで出かけたが、坂の半分くらい歩いたところで、巳の刻(午前十時頃)になってしまった。だんだん暑くさえなって、ほんとうに苦しくて、
〈どうして、こんな暑い日でなくほかによい日があるだろうに、なんだってお詣りに来たのだろう〉
 とまで思い、涙もこぼれ疲れきって休んでいると、四十過ぎぐらいの女で、壺装束などではなくて、ただ着物の裾をたくし上げただけなのが、
「わたしは七度詣でをするのです。もう三度はお参りしました。あと四度はたいしたことない。未の刻(午後二時頃)には帰れるでしょう」
 と、道で会った人に言って坂を下りて行ったのは、普通の所では、目にもとまらない女なのに、この時は、
〈この女に今すぐなりたい〉
 と思った。
 女の子でも男の子でも、出家させた子供でも、出来のいい子供を持っている人は、とてもうらやましい。髪がとても長くて整っていて、下がり端(さがりば/垂れ髪の先)などが素晴らしい人。
※下がり端(女性の垂れ髪の両端を、肩のあたりで切った場合にいうことが多い)
 また、身分の高い人が、大勢の人から敬われ、大切に世話をされていらっしゃるのを見ると、とてもうらやましい。字が上手で、和歌を上手に詠んで、何かの時に真っ先に引っ張り出されるのは、うらやましい。
 立派な方の御前に女房がとともたくさん控えているのに、奥ゆかしい方のところへ出す代筆の手紙などを、そこにいる女房なら誰だって鳥の足跡のような下手な字を書く人はいない。それなのに、局にさがっているのをわざわざ呼ばれて、ごじぶんの硯を渡してお書かせになるのも、うらやましい。手紙の代筆などは、そこに仕える年長の女房などになれば、手習い程度の字の下手な人も、立場上それなりに書くが、この場合はそうではなく、上達部などの娘とか、また宮仕えをさせようと人を介して頼んでいる娘などの手紙には、特に気を使って、紙をはじめとして、なにかと体裁よくしていらっしゃるのを、女房たちは集まって、冗談にしても悔しがってなにかと言うようだ。
 琴や笛などを習う場合も、また同じで、未熟なうちは、
〈上手な人のようにいつか〉
 と思うようだ。帝や、東宮の乳母。帝つきの女房で、ほうぼうの妃や女御のどこへでも気楽に出入りができる人。
第百五十二段
 早く知りたいもの 。巻染(まきぞめ)、むら濃(むらご)、しぼり染めなどに染めたの。人が子を生んだ時は、男か女か早く聞きたい。身分の高い人は言うまでもない。つまらない人や、身分の低い人の場合でさえ、やはり聞きたい。除目(じもく)の翌朝。知っている人で、必ずしも任官するとは限らない時でも、やはり結果を聞きたい。
第百五十三段
 じれったいもの。人のところに急ぎの縫い物を頼んで 
〈今か今か〉
 と緊張しながら座りこんで、あちらの方を見守っている気持ち。子供を生むはずの人が、出産予定日が過ぎても、生まれそうな気配がないの。遠い所から愛する人の手紙をもらって、固く封をしてある続飯(そくひ)などを開ける間は、とてもじれったい。
※続飯(飯粒を練って作った糊)
 見物に遅れて出かけて、行列がもう始まっていて、検非違使の官人の沿道を警備する白い杖などを見つけた時には、車を見物の桟敷に寄せる間、やりきれなくて、いっそ車から降りて、行列の方へ歩いて行ってしまいたい気がする。
〈気づかれたくないな〉
 と思う人がいるので、前にいる人にわけを言って応対させているの。
〈いつだろう〉  
 と待ち焦がれて生まれた赤ん坊が、五十日、百日などのお祝いをするころになっているのは、将来がとても待ち遠しい。
 急ぎの物を縫うのに、薄暗い中で針に糸を通すの。でも、それは仕方がないとしても、針穴のところを示して、人に糸を通してもらうのに、その人も急ぐからだろうか、すぐに通せないので、
「もういい、通さないでいい」
 と言うのを、
〈通せないはずがない〉
 と思っている顔でやめないのは、憎らしささえ感じる。
 どんなことでも、急いでどこかへ行かなければならない時に、
「まずわたしがある所へ行く」
 というので、
「すぐに車を返すから」
 と言って出かけた車が帰って来るのを待つ間は、実にじれったい。大路を通ってくる車を、
〈帰って来たらしい〉
 と喜んでいると、よその方へ行ってしまうのは、とても残念だ。まして見物に出かけようとしている時に、
「行列はもう始まったよう」
 と人が言ったのを聞くのは、やりきれない。
 子供を生んだ後のことがなかなかないの(いわゆる後産、胎盤排出)。見物やお寺参りなどに、一緒に行くはずの人をじぶんの車に乗せに行った時に、車を寄せているのに、すぐに乗らないで待たせるのも、たいそうじれったく、そのまま放っておいてでも行ってしまいそうな気がする。また、急ぎの用で煎り炭(いりずみ)をおこすのも、とても時間がかかる。
※煎り炭(火にあぶって湿気をとり、火つきをよくした炭)
 人の歌の返事を早くしなければならないのに、なかなか詠めない時も、じれったい。相手が恋人などの場合は、それほど急がなくてもよいだろうが、自然とまた、急がなければならない場合もある。まして女の場合でも、普通にやりとりしている時は、
〈返歌は早いのがいい〉
 と思うあまり、つまらない書き違いをすることもある。
 気分が悪く、何か恐ろしい感じがする時、夜が明けるのを待つ間は、ひどく不安で待ち遠しい。
第百五十四段
 故関白(道隆)殿の喪に服していた頃、六月の終わりの日、大祓ということで中宮様が退出されるはずなのに、職の御曹司は方角が悪いというので、太政官庁の朝所(あいたどころ)にお移りになっていらっしゃる。その夜は、暑くどうしようもない闇夜で、どういうわけか窮屈で不安なまま夜を明かした。
 翌朝見ると、建物の格好がとても平らで低く、瓦葺き(かわらぶき)なので、中国風で風変わりである。普通の建物のように格子などもなく、まわりに御簾だけを掛けてある。かえって珍しくておもしろいので、女房は庭に下りたりして遊ぶ。 植え込みに萱草(かんぞう/忘れ草)という草を、垣根を作って、とてもたくさん植えてある。花がはっきりと房になって咲いているのは、このような格式ばった所の植え込みには、とてもよい。時司(ときづかさ)などは、すぐそばなので、鼓の音もいつもと違って聞こえるのにひかれて、若い女房たちが二十人ぐらいそこに行って、階段から高い鐘楼に登っているのを、こちらから見上げると、誰もが薄鈍色(うすにびいろ)の裳、唐衣、同じ鈍色の単襲(ひとえがさね)、紅色の袴を着て登っているのは、天人などとはとても言えそうにないが、
〈空から降りて来たのだろうか〉
 と見える。同じ若い女房だが、登るのを手伝った人は仲間に入れないで、羨ましそうに見上げているのもおもしろい。
※時司(陰陽寮の職員。時刻を知らせることを司る。また、その役所)  
 左衛門の陣まで行って、転んで大騒ぎした人もあったらしいのを、
「こんなことはしないもの。上達部が着席なさる倚子(いし/腰掛け)などに、女房たちが登って、政官(じょうかん)などの座る床子(しょうじ/机のような腰掛け)を、みな倒して壊してしまった」
 などと、まじめに非難する者たちもいるが、女房たちは無視する。
 建物がひどく古くて、瓦葺だからなのか、暑さがあまりにもひどいので、御簾の外に、夜も出て来て寝ている。古い建物なので、むかでいう物は、一日中落ちてくるし、蜂の巣の大きいのに、蜂が寄ってたかっているなど、ひどく恐ろしい。殿上人が毎日やって来て、夜も座って明かして、女房たちと話すのを聞いて、
「あにはかりきや、太政官の地の、今夜行の庭とならむ事を
(知らなかったな、太政官という所が、今では夜遊びの庭になるとは)『出典未詳』」
 と、声に出して朗詠したのがおもしろかった。  
 秋になったが、
「かたへ(片側)」
 さえ涼しくならない風の吹く場所柄のようだが、さすがに虫の声などは聞こえる。
※「かたへ」 夏と秋と 行きかふ空の かよひぢは かたへすずしき 風や吹くらむ
(夏と秋とがすれ違う空の通路では 片側は涼しい風が吹いているだろう)『古今集・ 凡河内躬恒』  
 八日に中宮様は宮中にお帰りになったので、七夕祭をここでしたのだが、いつもより庭が近くに見えるのは、場所が狭いからなのだろう。
 宰相の中将斉信(ただのぶ)、宣方(のぶかた)の中将、道方(みちかた)の少納言などが参上なさったので、女房たちが端に出て話をしている時に、いきなり、
「明日はどんな漢詩を」
 と言うと、宰相の中将はちょっと考えたり、つかえたりすることなく、
「『人間(じんかん)の四月』
 を朗詠しよう」
とお答えになったのが、とてもおもしろかった。※「人間の四月」人間ノ四月芳菲尽キ、山寺ノ桃花始メテ盛ニ開ク。長ク恨ミキ、春帰リテ覓ムル処無キヲ。知ラズ、転ジテ此ノ中ニ入リ来タルヲ(白氏文集・大林寺桃花)  
 過ぎ去ったことでも、よく覚えていて言うのは、誰だって素敵なのだが、特に女はそのような物忘れはしないのに、男はそうでもない。じぶんが詠んだ歌などでさえうろ覚えなのに、宰相の中将は物覚えがよく本当に素敵だ。御簾の中の女房も、外の殿上人も、
〈わけがわからない〉
 と思っているのも、もっともだ。
 実は、この四月の始め頃、細殿の第四の戸口に殿上人が大勢立っていた。一人二人とだんだん退出などして、ただ頭中将(斉信)、源中将(宣方)、六位の蔵人一人が残って、いろいろなことを話し、経を読み歌をうたいなどしているうちに、
「夜が明けたようだ。帰ろう」
 と言って、
「露は別れの涙なるべし(露は織女が牽牛と別れる後朝の涙だろう)」
※「露ハマサニ別ノ涙ナルベシ、珠空シク落チ、雲ハ是残粧、髻モトドリ未ダ成ラズ」  
 という漢詩を、頭中将が吟じられたので、源中将も一緒にとてもおもしろく朗詠している時に、
「気の早い七夕ですね」
 と言ったのを、ひどく悔しがって、
「ただ夜明け前の別れというだけで、ふと思い出したまま言ったのに、情けないな。だいたいこのあたりで、こういう詩をよく考えないで言うのは、恥をかく」
 などと何度も笑って、
「人に話さないで。必ず笑われるから」
 と言って、あたりがあまり明るくなったので、
「葛城の神は、退散するしかない」※役の行者が葛城山と金峰山との間に橋をかけようとした時、葛城の一言主神は醜いのを恥じて昼は姿を見せず夜だけ働いたという故事をふまえる。
 と言って逃げてしまわれたのを、
〈七夕の時に、このことを言ってみたいな〉
 と思ったが、斉信(ただのぶ)様も宰相(参議)になられたので、
〈必ずしも七夕の時にうまい具合に会えるわけでもない。手紙を書いて、主殿司(とのもづかさ)に届けさせよう〉
 などと思ったが、七日に参上なさったので、とても嬉しくて、
〈あの夜のことなどを話したら、気づかれるかもしれない。それではおもしろくない。ただなんとなく不意に言ったなら、
『なんのことだ』
 などと首をかしげられるだろうか、そうしたらその時こそ、あの四月にあったことを言おう〉
 と思っていたのに、少しもまごつかないでお答えになったのは、本当にとてもおもしろかった。この何か月も、
〈早く七夕が来ないか〉
 と思い続けていたのでさえ、
〈じぶんながら物好きだ〉
 と思われたのに、どうして予期していたように七夕の日に四月の詩を吟じようとおっしゃったのだろう。あの時一緒に悔しがっていた中将(宣方)は、なにも気がつかないで座っているので、
「あの時の夜明け前のことを、指摘されているのがわからないのか」
 と宰相の中将がおっしゃるのでやっと、
「なるほど、なるほど」
 と笑うようだが、気がきかないのもはなはだしい。
 人と話をするのを碁にたとえて、身近に親しく話すようになったのを、
「手を許した」
「詰めにはいった」
などと言い、
「男は何目かおきそうだ」
 などと言うことを、ほかの人は全然知らないで、この君(斉信)と了解ずみで言うのを、
「なんのこと、なんのこと」
 と源中将(宣方)はわたしにつきまとって聞くが、言わないので、斉信の君は源中将に、
「ひどいなあ、なんのことか言ってください」
 と恨まれて、仲のよい友達だから教えてしまった。
 すっかり親しくなったのを、
「石を崩す頃だな」
 などと言う。源中将は、
〈じぶんも知っているのだと、早くわかってもらいたい〉
 と思って、 「碁盤はありますか。わたしと碁を打っていただきたい。『手』はどうでしょう。『許してくださる』でしょうか。頭中将とは『互角の碁』です。分け隔てしないで」
 と言うので、 「誰にでもそんなことをしたら、きりがないでょう」
 と言ったのを、また源中将が斉信の君に話したところ、
「嬉しいことを言ってくれた」
 とお喜びになった。やはり過ぎ去ったことを忘れない人は、とても素晴らしい。
 頭中将が宰相(参議)になられた頃、帝の御前で、
「あのお方は、詩をとても上手に吟詠なさいます。
『蕭会稽(しょうかいけい)が古廟(こびょう)を過ぎし(和漢朗詠集・交友)』
 などの詩も、ほかの誰があれほど見事に言えるでしょうか。もうしばらく参議にならないでいてほしいのです。残念ですから」
 と申し上げたところ、帝はたいそうお笑いになって、
「おまえがそう言うからといって、参議にはしないよ」
 などとおっしゃるのもおもしろい。それでも参議になってしまわれたので、本当に寂しく物足りなく思っていたところ、源中将が宰相に負けないと思って、風流ぶって遊びまわるので、宰相の中将のお 噂を口に出して、
「『いまだ三十の期(ご)に及ばず』
 という詩を、まったくほかの人とは違って朗詠なさった」
 などと言うと、 ※吾年三十五、未ダ形体ノ衰ヲ覚エズ。今朝明鏡ヲ懸ケ、ニ毛ノ姿ヲ照ラシ見ル。(中略)顔回ハ周ノ賢者、未ダ三十ノ期ニ至ラズ。潘岳ハ晋ノ名士、早ク秋興ノ詩ヲ著ハス。彼ハ皆我ヨリ少ワカシ。始メテ見ルコトノ遅キヲ喜ブ可シ(本朝文粋巻一・ニ毛ヲ見ル 源英明)ニ毛は黒髪と白髪。
「どうしてあの人に負けるものか。もっと上手だよ」
 と言って朗詠するが、
「まったく似ていないわ」
 と言うと、
「情けないな。どうしたらあの人のように朗詠できるだろう」
 とおっしゃるので、
「『三十の期』というところが、何から何までとても魅力的でした」
 などと言うと、悔しがって笑っていたが、宰相の中将が近衛の陣に着座していらっしゃったのを、脇に呼び出して、
「こう言ってる。やはりそこの吟じ方を教えてください」
 とおっしゃったので、宰相の中将が笑って教えたのも知らないでいると、局のそばに来て、宰相の中将にとてもよく似せて吟じるので、不思議に思って、
「まあ、誰ですか」
 と尋ねると、笑い声になって、
「いいことをお聞かせしよう。こうこうで、昨日、宰相の中将が陣に着座していた時に、尋ねて聞いたので、早速、似てたようだね。
『誰ですか』
 と優しい感じで尋ねられたから」
 と言うのも、わざわざ宰相の中将に習われたというのがおもしろいので、源中将がこの詩さえ吟ずれば、出て行って話などすると、
「宰相の中将の恩恵だな。中将に向かって拝まなければならない」
 などと言う。局に下がっているのに、
「中宮様のところにいます」
 などと言わせる時に、源中将がこの詩を吟じたら、
「本当は局にいます」
 などと言う。中宮様にも、
「こういうことが」
 などと申し上げると、お笑いになる。
 帝の御物忌の日、源中将が 右近の将曹(そうかん)の光(みつ)なんとかいう者を使いにして、畳紙(たとうがみ)に書いて届けて来たのを見ると、
「参上しようと思うのに、今日明日は帝の御物忌なので。その後で、
『三十の期に及ばず』
 はいかがでしょう」
 とあるので、返事に、
「三十という年齢は過ぎていらっしゃるでしょう。朱買臣(しゅばいしん)が妻を教えたという年にはまだ及ばないにしても」
 と書いて届けたのを、また悔しがって、帝にも奏上したので、帝は中宮様の御殿にお越しになって、
「どうしてそんなことを知っているのだ。
『三十九の年に朱買臣は妻を戒めた』
 と言って、宣方(のぶたか)は、
『きついことを言われた』
 と言っているようだ」
 とおっしゃっるにつけても、源中将は、
〈物好きな方〉
 と思われた。
※朱買臣(貧しいのを恥じて妻が去ろうとした時、朱買臣は五十歳になれば冨貴となって妻に報いるからと教え諭した。『漢書』)
第百五十五段
 弘徽殿(こうきでん)とは、閑院の左大将の姫君の女御のことを申し上げる。その弘徽殿のところに「うち臥し」という者の娘が、左京という呼び名で仕えているのを、
「源中将が親しくつき合っている」
 と、人々は笑う。中宮様が職の御曹司にいらっしゃったところへ源中将が参上して、
「時々は、宿直(とのい)などもしなければならないのですが、宿直できるように女房なども待遇してくださらないので、ずいぶん宮仕えが疎かになっています。せめて宿直の部屋でもいただけたら、いっそう忠実に勤めますのに」
 と言って座っていらっしゃったので、女房たちが、
「そうね」
 などと答えている時に、わたしが、
「本当に人は『うち伏し』て休む所があるのがいいわねえ。そういう所には頻繁にお通いになるそうだから」
 と、口出しをしたというので、
「あなたには何も言わない。味方だと頼りにしてたら、人が言い古した噂をいかにも本当らしくおっしゃるようだから」
 などと、ひどく真剣になって恨まれるので、
「あら、不思議。どんなことを申し上げたのかしら。まったく気にさわるようなことは申し上げてないのに」
 などと言う。そばにいる女房を揺さぶると、
「何も悪く申し上げていないのに、お怒りになるのには、何かわけがあるのでしょう」
 と言って、派手に笑うと、
「これもあの人が言わせているのでしょう」
 と言って、
〈実に不愉快だ〉
 と思っていらっしゃる。
「決してそんな悪口は言いません。人が言うだけでも憎らしいのに」
 と答えて、引っ込んだところ、その後でもやはり、
「人の恥になるようなことを告げ口した」
 と恨んで、
「殿上人が噂して笑っているので、あんなことを言ったのだろう」
 とおっしゃるので、
「それならわたし一人をお恨みになることでもないのに、変な人」
 と言うと、その後はわたしとのやりとりは絶えて終わってしまった。
第百五十六段
 立派だった昔が思い出されるが、今は役に立たないもの。繧繝縁(うげんべり)の畳の節がむき出しになってきたの。
※繧繝縁「うげん(白地にいろいろの糸で花模様などを織った錦の織物)で作った畳のへり。また、そのへりをつけた畳や敷物。最上品。唐絵(からえ)の屏風が黒ずんで、表面が傷つけられているの。絵師の目が見えないの。七、八尺の鬘(かつら)の赤くなったの。葡萄染の織物の色褪せたの。色好みが老いぼれたの。趣のある家の木立が焼け失せたの。池などはそのまま残っているが、浮草や水草などが茂っていて。
第百五十七段
 頼りなさそうなもの。飽きっぽくて、妻を忘れやすい婿がしょっちゅう夜に来ないの。嘘をつく人が、それでもやはり、人の頼み事をしそうな顔 で大切なことを引き受けたの。風が強いのに帆を上げている舟。七、八十歳ぐらいの人が、気分が悪くなって、何日も経っているの。
第百五十八段
 読経は、不断経(ふだんきょう)。
第百五十九段
 近くて遠いもの 。宮咩祭(みやのめのまつり)。 ※宮咩祭「正月・十二月の初午(はつうま)の日に、高皇産霊尊(たかみむすひのみこと)以下六柱の神をまつって、禍を除き幸福を祈った行事。年を越えて接近しているので、近くて遠いと言った。
 愛情のない兄弟、親戚の仲。鞍馬のつづら折りという道。十二月の大晦日と一月一日との間。
第百六十段
 遠くて近いもの 。極楽。舟の道中。人の仲。
第百六十一段
 井は、ほりかねの井。玉の井。走り井は、逢坂の関にあるのがおもしろい。
※「走り井」走り井の 程を知らばや 逢坂の 関引きこゆる 夕かげの駒(拾遺集・清原元輔)
 山の井は、どうして、そんなに浅い例になりはじめたのだろう。
※「山の井」安積山 影さへ見ゆる 山の井の 浅き心を わが思はなくに
(安積山の影まで見える山の井のように、浅い心であなたのことを思っているわけではないのに)『万葉集3807』
 飛鳥井は、
「みもひも寒し」
 と水の冷たさを褒めているのがおもしろい。
※「みもひも寒し」飛鳥井に宿りはすべし や おけ 陰もよし みもひも寒し みま草もよし(催馬楽・飛鳥井)
 千貫(せんかん)の井。少将の井。桜井。后町(きさきまち)の井。
第百六十ニ段
 野は、嵯峨野(さがの)は言うまでもない。印南野(いなみの)。交野(かたの)。狛野(こまの)。飛火野(とぶひの)。しめし野。春日野。そうけ野は、なんとなくおもしろい。どうしてそんな名をつけたのだろう。宮城野。粟津野(あわづの)。小野。紫野。
第百六十三段
 上達部は、左大将。右大将。東宮の大夫(だいぶ)。権大納言。権中納言。宰相の中将。三位の中将。
第百六十四段
 君達(きんだち)は、頭中将(とうのちゅうじょう)。頭弁(とうのべん)。権中将(ごんのちゅうじょう)。四位少将(しいのしょうしょう)。蔵人弁(くろうどのべん)。四位侍従(しいのじじゅう)。蔵人少納言(くろうどのしょうなごん)。蔵人兵衛佐(くろうどのひょうえのすけ)。
第百六十五段
 受領(ずりょう)は、伊予守(いよのかみ)。紀伊守(きのかみ)。和泉守(いずみのかみ)。 大和守(やまとのかみ)。
第百六十六段
 権守(ごんのかみ)は、甲斐。越後。筑後。阿波。
第百六十七段
 大夫(たいふ)は、式部大夫(しきぶのたいふ)。左衛門大夫(さえもんのたいふ)。右衛門大夫(うえもんのたいふ)。
第百六十八段
 法師は、律師。内供(ないぐ)。
第百六十九段
 女は、内侍のすけ(ないしのすけ/典侍)。内侍。
第百七十段
 六位の蔵人などは、望むような役ではない。五位に叙せられて、何々の権守(ごんのかみ)、大夫などという人が、板葺きなどの狭い家を持って、また、小檜垣(こひがき)などというものを新しくして、車庫に車を入れて、家の前に一尺ほどの木を植えて、牛をつないで草などを与えているのは、ひどく醜い。  庭をとてもきれいに掃き、紫革をつけて伊予簾を一面にかけて、布障子を張らせて住んでいるとは。夜は、
「門をしっか閉めろ」
 などと指図しているのは、まったく将来性がなくて、気に入らない。
 親の家や舅の家はもちろん、おじや兄などが住まない家、あるいはそういう適当な人がいない人は、自然と、親しくよく知っている受領で、任国に行って空いている家とか、そうでなかったら、院や宮様方の家屋がたくさんある所に仮住まいして、官職を得てから、さっそくよい家を探して住んでいるというのがよい。
第百七十一段
 女が一人で住んでいる所は、ひどく荒れていて、築土塀(ついじべい)なども所々壊れていて、池などがある所も、水草が生え、庭なども、蓬が茂っているほどではないけれど、所々、砂の中から青い草が見え、寂しそうな感じなのが風情がある。賢そうに、家を体裁よく手入れして、門の戸締まりを厳重に、きちんとしているのは、ひどく嫌で不快にさえ思われる。
第百七十ニ段
 宮仕えをしている実家なども、両親が二人そろっているのはとてもよい。人が頻繁に出入りし、奥のほうで大勢の声がいろいろと聞こえ、馬の音などがして、ひどく騒がしいほどだが、それはさしつかえがない。
 だが、内緒でも、公然でも、まれに、
「里に下がっていらっしゃるのを知らないで」
 とか、また、
「いつ参上なさるのですか」
 などと言いに、ちょっと顔を出しに来る人もいる。好意を寄せている人なら来ないはずがない。そういう人のために門を開けたりするのを、
〈ひどく騒がしい。厚かましいことに夜中まで〉
 などと思っている様子は、とても憎らしい。
「門の錠は掛けたのか」
 などと尋ねるので、
「今はまだお客がいらっしゃるので」
 などと言う者が、少し迷惑そうに思って答えるのに対しても、
「お客が出て行かれたら、早く錠を掛けろ。この頃泥棒がすごく多いそうだ。火に気をつけろ」
 などと言っているのを、
〈ひどく不快に聞く人だっているのに〉
 と思う。この客の供の者は別に苦にならないのか、
〈この客はもう帰るか〉
 と、始終覗いて様子を見る下男を笑っているようだ。お客の供の者が口真似をするのを、家の者が聞いたら、ましてどんなにきびしく非難することだろう。はっきりと顔色に表して言わなくても、こちらを思う気持ちがない人が、わざわざ夜中に来ることがあるだろうか。でも、几帳面な人は、
「夜が更けた。ご門が不用心のようだから」
 などと笑って帰って行く人もいる。本当に格別愛情の深い人は、
「早く」
 などと何度も帰りを急き立てられても、座ったままで夜を明かすので、門番がたびたび見回りに来て、夜が明けてしまいそうなのを、めったにないことだと思って、
「ひどいな、ご門を、今夜はだらしなく開けっ放しにして」
 と客に聞こえるように言って、苦々しく夜明け前になって門を閉めるのは、どんなに憎らしいことか。親が一緒なら、それでもこの程度ですむ。まして、本当の親でない場合は、
〈通って来る男をどう思っているだろう〉
 とまで遠慮される。兄の家でも長居は、気づまりな間柄では迷惑がられるだろう。
 夜中、夜明け前関係なく、門もそんなに気にしたりはしないで、どこそこの宮、宮中、殿たちの邸に仕える女房たちも集まったりして、格子なども上げたままで、冬の夜を座って明かして、男が出て行った後も見送っているのがおもしろい。有明の月の時などは、ましていっそう素晴らしい。客が笛などを吹いて帰って行った後では、急には眠れなく、人の噂を語り合って、和歌などを話したり聞いたりしているうちに、寝てしまうのがおもしろい。
「ある所に、なんとかの君とという女房の所に、貴族の息子というほどではないが、その頃大変な風流人と言われ、情趣がわかる人が、九月頃に 行って、有明の月がとても霧が立ち込めて美しいので、
〈逢瀬の名残を思い出させよう〉
 と言葉を尽くして出て行ったが、
〈もう行ってしまったのか〉
 と女が遠くを見送っているのは、言いようもないほど艶かしい。男は行ったと見せかけて引き返し、立蔀(たてじとみ)の間に陰に身を寄せて立って、やはり帰りたくない様子で、
〈もう一度話して聞かせよう〉
 と思っていると、
『有明の月のありつつも』
 と密やかに言って、外を覗いている髪が、頭についてこないで、五寸ほどずれて、その禿げた所が灯をともしたようになっているのに、月の光でいっそう光り、思わずぞっとする気持ちがしたので、そっと出て行った」
 と、話してくれた。
第百七十三段
 雪がそんなに高くなく、うっすらと降り積もっているのは、とてもおもしろい。
 また、雪がとても高く積もっている夕暮れから、部屋の端近な所で、気の合った人がニ、三人ぐらい、火桶を中において、話などするうちに暗くなったが、部屋の中は灯もともさないのに、一面の雪明かりで、とても白く見えている中で、火箸で灰などを手なぐさみにかき回して、しみじみとすることやおもしろいことを、話し合っているのはおもしろい。
〈宵も過ぎたかしら〉
 と思う頃に、沓の音が近く聞こえるので、
〈変だな〉
 と思って外を見ると、時々、こういう時に、思いがけなく現れる人だった。
「今日の雪で、
〈どうなさっているのか〉
 心配していながら、つまらないことに妨げられて、そこで一日過ごしてしまったのです」
 などと言う。
「今日来む」
 という歌の意味を込めて言っているのだろう。
※山里は 雪降り積みて 道もなし 今日来む人を あはれとは見む(拾遺集・平兼盛)
 昼にあったことから話し始めて、いろいろなことを言う。簀子に円座(わろうだ)ぐらいはさし出したが、片方の足は地面につけたままなのに、
鐘の音などが聞こえる頃まで、室内の女房も外の男も、こういうおしゃべりは、
〈飽きることがない〉
 と思われる。薄明の頃に、男が、
「帰る」
 と言って、
「雪なにの山に満てり」
 と吟誦したのは、とてもおもしろかった。女だけでは、こんなふうに座って夜を明かすことはできないだろうに、男が加わると普段よりはおもしろく、風流な男の様子などを、後で女同士で話し合った。
※「雪なにの山に満てり」暁、梁王ノ苑ニ入レバ、雪、群山に満テリ。夜、庾公ガ楼ニ登レバ、月、千里ニ明ラカナリ(和漢朗詠集・雪) 「群山」を「なにの山」とぼかしている。
第百七十四段
 村上の先帝の御代(みよ)に、雪がとてもたくさん降ったのを、様器(ようき/食器)にお盛らせになって、それに梅の花を挿して、
「月がとても明るいから、これで歌を詠め。どう言う」
 と、兵衛の蔵人(女房の名)にお下(くだ)しになったところ、
「雪月花の時」
 と奏上したのを、帝は非常に賞賛なさった。
「歌などを詠むのはありきたりだ。こんな時にぴったりなことはなかなか言えないものだ」
 とおっしゃったそうだ。
 同じ兵衛の蔵人をお供にして、殿上の間に誰もいなかった時に、歩き回っていらっしゃると、火櫃(ひびつ)から煙が立っていたので、
「あれはなんだ、見て来い」
 とおっしゃったので、見て、帰ってきて、

わたつ海の 沖に漕がるる 物見れば あまの釣して 帰るなりけり
(海の沖から漕がれる物を何かと見ると 海士が釣りをして帰るのだった/おき火に焦げる物を何かと見ると 蛙だった)

 と奏上したのはおもしろい。蛙が飛び込んで焼けていたそうだ。
第百七十五段
 御生れ(みあれ)の宣旨が、帝(花山帝)に、五寸ぐらいの殿上童のとても可愛らしい人形を作って、髪はみずらに結い、衣装などもきちんと立派にして、中に名前を書いて献上なさったが、
「ともあきらの王(おおきみ)」
 と書いてあったのを、帝はとてもおもしろがられたそうだ。
※「御生れ」陰暦四月午の日に、賀茂の祭りに先立って行われた神を招く神事。ここでは、御生れ(みあれ)の宣旨という人の名前。
※「ともあきらの王(おおきみ)」兼明親王のこと。宣旨はこの人形に「兼明親王(かねあきらのみこ)」と書くのをはばかって、「ともあきらの王(おおきみ)」と変えたのを、花山天皇はすぐにそのユーモアを理解した。
第百七十六段 前半
 中宮様に初めて参上した頃、なにかと恥ずかしいことが数えきれないほど多く、涙も落ちてしまいそうなので、毎日、夜に出仕して、中宮様のそばの三尺の御几帳の後ろに控えていると、中宮様は絵などを取り出してお見せになるのを、手もさし出せないほど恥ずかしくてどうしようもない。
「これはこうなの、ああなの、誰かしら、あの人かしら」
 などとおっしゃる。高杯(たかつき)にともしてある灯りなので、髪の筋なども、かえって昼よりもはっきり見えて恥ずかしいが、我慢して絵を見たりする。ひどく寒い頃なので、袖から出していらっしゃるお手がちらっと見えるのが、とても艶々した薄紅梅色であるのは、
〈この上なくすばらしい〉
 と、こういう世界を知らない一般人の気持ちとしては、
〈こういう人が、世の中にいらっしゃったのだ〉
 と、はっとするほどでじっと拝見する。
 夜明け前には、
〈早くじぶんの部屋に下がりたい〉
 と気が急く。
「葛城の神でも、もうちょっといなさい」
 などとおっしゃるので、
〈正面はもちろん、斜めからも見られたくない〉
 と思って、やはり顔を伏せているので、御格子もお上げしない。掃司(かもんっかさ)の女官たちが来て、
「この格子を上げてください」
 などと言うのを聞いて、女房が上げるのを、中宮様が、
「だめよ」
 とおっしゃるので、女官たちは笑って帰った。中宮様がいろいろお尋ねになったり、お話しになったりするうちに、かなり時間が経ったので、
「局に下がりたくなったのでしょう。それなら早く。夜になったら早くよ」
 とおっしゃった。
 御前から局に膝をすって帰るやいなや、女官たちが格子を乱暴に上げたところ、雪が降っていた。登花殿の御前は立蔀(たてじとみ)が近くにあって狭い。雪が、とても美しい。 昼頃、
「今日はやはり来なさい。雪で曇ってはっきりは見えないから」
 などと、たびたびお呼びになるので、この局の主(あるじ)の女房も、
「見苦しい。そんなに引っ込んでばかりはいられないわよ。あっけないほど簡単に、御前に伺うことを許されたのは、中宮様にそうお思いになるわけがあるからでしょう。好意に背くのは憎らしいことよ」
 と、ひたすら急き立てて出仕させるので、じぶんがじぶんでないような気持ちがするが、参上するのがひどく辛い。火焼屋(ひたきや)の上に雪が降り積もっいるのも、珍しくておもしろい。中宮様の御前近くには、例によって炭櫃に火をたくさん起こして、そこには特に誰も座っていない。上席の女房が身の回りのお世話に参上なさったが、そのままおそば近くに座っていらっしゃる。中宮様は、沈香木(じん)の丸火鉢で梨子絵を施したものに寄りかかっていらっしゃる。
※「梨子絵」梨子地(金粉、銀粉を散らした漆の塗りもの)の蒔絵。
 次の間で、長火鉢に、隙間なく座っている女房たちが、唐衣を垂れ下がるように着ているところなど、もの馴れて気楽にしているのを見るのも非常に羨ましい。お手紙を取り次ぎ、立ったり座ったり、すれ違う様子など、気後れすることなく、おしゃべりをし笑う。
〈いつになったら、あんなふうに仲間に入れるだろう〉
 と思うだけでも気が引ける。奥の方で、三、四人集まって、絵などを見ているのもいるようだ。
 しばらくたって、先払いの
大きな声がするので、
「殿(中宮の父・関白道隆)がやって来られるようです」
 と言って、女房たちが散らかっている物を片づけたりするので、
〈なんとかして局に下がろう〉
 と思うが、思うように体を動かすことができないので、もう少し奥に引っ込んで、それでも見たいからだろう、御几帳の隙間から、ちらっと覗きこんだ。
 殿ではなく大納言(中宮の兄・伊周)殿が参上なさったのだ。直衣、指貫の紫の色が、雪に映えてとてもおもしろい。柱のところにお座りになって、
「昨日今日、物忌でしたが、雪がひどく降りましたので、心配になって」
 と言われる。
「〈道もなし〉
 と思っていたのに、どうしてまあ」
 とお答えになる。
「〈あはれ〉
 とでもご覧になるかと思って」
 などとおっしゃるお二人のご様子は、
〈これより素晴らしいことがあるだろうか。物語で言いたい放題に書いた主人公たちの素晴らしさと違わないではないか〉
 と思われる。
※山里は 雪降り積みて 〈道もなし〉 今日来む人を 〈あはれ〉とは見む(拾遺集・平兼盛)
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