『源氏物語』参考文献
『長恨歌』現代語訳
『古事記』現代語訳
『源氏物語玉の小櫛』現代語訳
『和泉式部日記』現代語訳
『和泉式部集〔正集〕』現代語訳
『和泉式部集〔続集〕』現代語訳
『赤染衛門集』現代語訳
『清少納言集』現代語訳
『藤三位集』現代語訳
『蜻蛉日記』現代語訳
『枕草子』現代語訳
『枕草子』清少納言
第一段
 春はあけぼの。だんだん白くなっていく山の上の空が少し明るくなって、紫っぽい雲が細くたなびいている。
 夏は夜。月がある頃は言うまでもない。闇夜もやはり、蛍がたくさん入り乱れて飛んでいる。それに、一つか二つだけが、かすかに光って飛んで行くのも素敵。雨なんか降るのも素敵。
 秋は夕暮。夕日がさして山の端にとても近くなっているところに、烏が寝る所に帰るというので、三つ四つ、二つ三つが急いで飛んでゆくのさえしみじみとした感じ。まして雁などが列をつくっているのが、ひどく小さく見えるのは、とても趣がある。日が沈んでしまって、風の音や虫の音などもまた、言うまでもない。
  冬は早朝。雪が降っているのは言うまでもなく、霜がとても白いのも、またそうでなくてもひどく寒いので、火など急いで起こして、炭火を持って運んで行くのも、冬の早朝にふさわしい。昼になって、寒さがだんだん緩んでいくと、火鉢の火も、白い灰ばかりになってよくない。
第二段
 季節は、正月、三月、四月、五月、七、八、九月、十一、二月、すべてその時々によって、一年中おもしろい。
 正月一日は、まして空の様子もうららかに清新で、霞がかかっているところに、世の中の人は、誰もみな、身なりや顔を格別に装って、主人をもじぶんをも祝ったりなどしているのは、ふだんとは違っておもしろい。  
 七日、雪の消えた所で若菜を摘んで、青々としているのを、ふだんはそんなものを見慣れない所で、もてはやして騒いでいるのはおもしろい。節会の白馬を見に行こうと思って、宮仕えをしないでいる人は牛車を美しく飾り立てて見物に行く。中の御門(待賢門)の敷居を車が通り過ぎるときに、みなの頭が一所に揺れてぶつかり、挿している櫛も落ちて、そんなことになるとは用心していなかったので、折れたりなんかして笑うのもまたおもしろい。左衛門府の警備の役人の詰め所のあたりに、殿上人などが大勢立って、舎人の弓を取って馬を驚かして笑っているのを、牛車の簾の隙間からわずかに覗いて見ると、立蔀(たてじとみ)など見えるが、そのあたりを主殿司(とのもりづかさ)や女官などが行ったり来たりしているのはおもしろい。
〈どのような幸運のもとに生まれた人が、宮中で馴れ馴れしくできるのだろう〉
 と思われるのだが、宮中でこうして見るのは、かなり狭い範囲だから、舎人の顔は地肌が見えて、本当に黒いうえに、白粉(おしろい)が行きわたらない所は、雪がまだらに消え残っているような感じで、ひどく見苦しく、馬が跳ねて暴れているのもひどく恐ろしく思われるので、自然と体が奥へ引っ込んでしまって、よく見ることができない。  
 八日、加階した人がお礼を申し上げるために走らせる車の音が、いつもと違って聞こえて、おもしろい。  
 十五日、粥の祝い膳をご主人にさし上げ、その粥を炊いて燃え残った木を隠していて、年配の女房や、若い女房が打とうと隙きを狙っているが、
〈打たれないわよ〉  
 と用心して、いつも後ろに気を配っている様子もとてもおもしろいが、どんなふうにしたのだろう、相手の尻をうまく打ちあてたときは、とてもおもしろく、みなが大笑いしているのは、とても華やかで陽気。打たれた人が悔しがるのももっともだ。  
 新しく通って来る婿君などが宮中に参内する頃を、わくわくして、その邸では、
〈わたしなら大丈夫〉  
 と思っている女房が、物陰から覗いて、今か今かと、奥の方でじっと立っているのを、姫君の前に座っている女房が気づいて笑うのを、
「しっ、静かに」  
 と手で合図して止めるけれども、姫君は気づかない様子で、おっとりと座っていらっしゃる。
「そこにあるものを取りましょう」  
 などと言って近づき、走り寄って姫君の尻を打って逃げると、そこにいた者はみな笑う。婿君も、まんざらでもなく微笑んでいるのに、姫君は別に驚きもしないで、顔を少し赤らめて座っているのもおもしろい。また、女房同士打ち合って、男の人まで打つようである。いったいどういうつもりなのだろう、打たれて泣いたり腹を立てたり、打った人を呪ったり、不吉なことを言う女房もいるのが、おもしろい。宮中あたりなどの高貴な所でも、今日はみな無礼講で遠慮がない。
 除目(じもく)の頃など宮中のあたりはとてもおもしろい。雪が降りひどく凍っているのに、上申(じょうしん)の手紙を持ってあちこちしている四位や五位の人が、若々しく、元気がよさそうなのは、とても頼もしそう。年老いて頭の白い人などが、人に取り次ぎを頼んで、女房の局などに立ち寄って、自分自身が優れているわけなどを、ひとりよがりに熱心に説明して聞かせるのを、若い女房たちは真似をして笑っているけれども、本人はそんなこと知るはずもない。
「よろしく帝に申し上げてください、皇后さまにも」  
 などと言っても、望みの官を得た人はとてもいいが、かなわなかった人は、あまりにも気の毒。  
 三月三日は、うららかにのんびりと日が照っていなくては。桃の花が今咲き始めたところ。柳などのおもしろい風情は言うまでもない。それもまだ、繭のように芽ぐんだばかりなのが素敵、葉が広がっているのは嫌な感じに見える。晴れやかに咲いた桜を、長く折って、大きな花瓶に挿してあるのは素敵。桜襲の直衣に出袿をして、それがお客様でも、ご兄弟の君たちでも、その近くに座ってお話なんかしているのは、とても素敵。  
 四月、賀茂祭の頃がとても素敵。上達部や殿上人も、袍の色が濃いか薄いかの区別があるだけで、それぞれの白襲も同じ様子で、涼しそうに見えて素敵。木々の木の葉がまだそれほど繁っていなく、若々しく青みがかっているところに、春の霞も秋の霧もさえぎらない初夏の澄んだ空の景色が、なんということもなく無性に趣のあるころに、少し曇ってきた夕方や夜などに、まだ密かに鳴くほととぎすが、遠くで、
〈聞き違いかしら〉  
 と思われるくらいか細い声で鳴くのを聞きつけた時は、どんな気持ちがするのだろう。  
 祭の日が近くなって、青朽葉や二藍の布地を巻いて、紙などにほんの形ばかり包んで、行ったり来たり、持って歩いているのって素敵。裾濃、むら濃に染めた物も、いつもより素敵に見える。女童が頭だけ洗って手入れして、服装はほころびて縫い目が切れて、ぼろぼろになりかかっているのもいるが、そんな子が屐子(けいし)や沓(履物)などの、
「鼻緒をすげて」
「裏を直して」  
 などと騒いで、
〈早くお祭りにならないかな〉  
 と、はしゃぎまわるのもとてもおもしろい。変な格好をして飛んだりはねたりしている子どもたちが、祭の日に衣裳を着て着飾ると、まるで法会の時の定者(じょうざ)などという法師のように練り歩く、どんなに不安なことだろう。身分に応じて、親やおばにあたる人、姉などがお供をして、世話をしながら連れて歩くのもおもしろい。  
 蔵人(くろうど)になりたがっている人で、すぐにはなれない人が、 祭の日に青色の袍を着ているのを、
〈そのまま脱がせないでおいてあげたい〉  
 と思われる。綾織でないのはよくないけれど。
第三段
 同じことを言っても、聞いた感じの違うもの。法師の言葉。男の言葉。女の言葉。身分の低い者の言葉には、必ずよけいな言葉がつく。
第四段
 可愛がっている子を僧にするのは、本当に気の毒。世の人が僧を木の切れっ端のように思っているのは、とてもかわいそう。精進物のひどく粗末な食事をして、寝るにしても、若い人は、好奇心だってあるだろう。女などのいる所でさえ、どうして嫌がっているように、覗かないことがあるだろうか。それさえも世間ではうるさく言う。まして修験者などは、ひどく苦しそう。疲れてうとうとすると、
「居眠りばかりして」
 などと非難されるのも、ひどく窮屈で、どんなに辛いことだろう。でも、これも昔のこと。今はずっと気楽なようだ。 
第五段
 大進(だいじん/中宮職の三等官)生昌(なりまさ/平生昌)の家に、中宮(定子)様がいらっしゃるというので、東の門を四本柱の門に作り変えて、そこから中宮様の神輿はお入りになる。北の門から女房たちの牛車も、
〈まだ警護の武士がいないから入れるだろう〉  
 と思って、髪の乱れた人もたいして手入れもしないで、
〈車を建物に寄せて降りるから〉  
 と思って気にしないでいたところ、檳榔毛(びろうげ)の車などは、門が小さいから、つかえて入ることができないので、例によって筵道(えんどう/敷物)を敷いて降りなければならないので、実に憎らしく、腹立たしいけれども、どうしようもない。殿上人や地下の役人たちも、陣屋のそばに立って見てるのもひどく癪にさわる。  
 中宮様の御前に行って、さきほどのことを申し上げると、
「ここでだって、人が見ないことがあるの。どうしてそんなに気を許したの」  
 と、お笑いになる。
「でも、ここではわたしたちを見慣れていますから、きちんとした格好をしてたりしたら、かえって驚く人もいるでしょう」
「それにしても、これほどの家で、車が入らない門があるかしら。見えたら笑ってやるわ」  
 などと言っているときに、
「これをさしあげてください」  
 と言って、生昌が中宮用の硯などを御簾の中にさし入れる。
「まあ、あなたってずいぶんひどい人ね。どうしてあの門を狭く造ってお住みなの」  
 と言うと、生昌は笑って、 「
家の程度、身のほどに合わせているのです」  
 と答える。
「でも、門だけを高く造った人もいたのよ」  
 と言うと、
「ああ怖い」  
 と驚いて、
「それは于定国(うていこく)の故事のことではないですか。年功を積んだ進士(漢文の専門家)などでなかったら、うかがってもわからないことです。わたしはたまたま漢学の道に入りましたから、これくらいのことは理解できるのですが」  
 と言う。
「あなたのおっしゃる『道』というのもたいしたことなさそうね。筵道を敷いてあっても、みな穴に落ちて大騒ぎでしたよ」  
 と言うと、
「雨が降りましたので、そんなことになったのでしょう。 いやあこんな答え方では、またなにか言われそうですね。失礼します」  
 と言って立ち去った。
「どうしたの。生昌がひどく怖がっていたじゃない」  
 とお尋ねになる。
「なんでもありません。車が入らなかったことを言ったのでございます」  
 と申し上げて局に下がった。  
 同じ局に住む若い女房たちと一緒に、なんにも知らないで、眠たいので、みな寝てしまった。局は東の対屋の 西の廂の間で、北に続いているが、その北の襖障子には掛け金がなかったのを、それも確かめなかった。生昌はこの家の主人だから、それを知っていて襖を開けた。妙にしわがれた騒々しい声で、
「お伺いしてもいいですか、お伺いしてもいいですか」  
 と何度も言う声で、目がさめて、見ると、几帳の後ろに立ててある灯台の光が明るく照らしている。襖障子を五寸ほど開けて言っていた。ひどくおかしい。
〈まったくこういう好色めいたことは決してしない人なのに、中宮様がじぶんの家にいらっしゃったというので、むやみに勝手気ままなことをしているのだろう〉
 と思うと、実におかしい。
 そばにいる人を揺すって起こして、
「あれを見て。あんな見たことがない人がいるみたい」  
 と言うと、頭を持ち上げて向こうを見て、ひどく笑う。
「あれは誰よ、厚かましい」  
 と言うと、
「いえ、家の主人としてご相談したいことがあるのです」  
 と言うので、
「門のことなら申し上げましたが、
『襖を開けて』  
 なんて申し上げたでしょうか」  
 と言うと、
「やはり、そのこともお話ししましょう。そちらに行ってもよろしいですか、そちらに行ってもよろしいですか」  
 と言うので、
「みっともないったらないわねえ。お入りになれるわけないでしょう」  
 と言って笑ったのがわかったのか、
「若い人がいらっしゃったのですね」  
 と言って襖を閉めて去ったのを、後でみんなで大笑い。
〈襖を開けたのなら、ただ入ってくればいい。
『そちらに行ってもよろしいですか』  
 なんて言われて、
『いいですよ』  
 なんて誰が言うものか〉
 と、おかしくてたまらない。翌朝、中宮様の御前に参上して申し上げると、
「そんな浮いた噂は聞かなかったのにねえ。昨夜の門のことに感心して行ったのでしょう。かわいそうに、生真面目な人をいじめたりしたら気の毒よ」
 と言ってお笑いになる。ちょっと用事がとだえていた時に、
「大進が、ぜひお話したいと言っている」
 と言うのをお聞きになって、
「またどんなことを言って笑われようというのかしら」
 とおっしゃるのも、またおもしろい。
「行って聞きなさい」  
 とおっしゃるので、わざわざ出て行くと、
「先夜の門のことを中納言(生昌の兄、平惟仲)に話しましたら、とても感心されて、
『ぜひ適当な機会にゆっくりお会いしてお話をしたりうかがったりしたい』  
 と申していました」  
 と言って、ほかに話があるわけでもない。
〈先夜訪ねてきたことを話すのかしら〉  
 と胸がどきどきしたけれど、
「そのうちゆっくりお部屋に伺いましょう」  
 と言って立ち去るので、宮様の所に戻ると、
「ところでなんだったの」  
 とおっしゃるので、生昌が申したことをこれこれと申し上げると、
「わざわざ取り次がせて、呼び出すようなことではないわね。たまたま端近とか局などにいる時に言えばいいのに」  
 と言って女房が笑うので、
「じぶんが
『優れている』  
 と思っている人(惟仲)があなたを褒めたので、
〈嬉しく思うだろう〉
 と思って、知らせに来たのでしょう」
 とおっしゃるご様子も、とても立派だ。
第六段
 帝のおそばにいる猫は、五位をいただいて、「命婦のおとど」と呼ばれ、とても可愛いので、帝も大切にしていらっしゃるが、端近に出て寝ているので、お守役の馬命婦(うまのみょうぶ)が、
「まあお行儀の悪い。お入りなさい」  
 と呼ぶが、日がさしている所で眠ったままなので、おどかそうと、
「翁(おきな)まろ(犬の名)、どこなの。命婦のおとどを噛め」  
 と言うと、本当と思って、馬鹿正直な翁まろが飛びかかったので、猫は怯え、あわてて御簾の中に入った。朝食の食卓に帝がいらっしゃった時で、ごらんになって、ひどく驚かれる。猫を懐にお入れになって、男たちをお呼びになると、蔵人の忠隆と、なかなりがやって来たので、
「この翁まろを打って懲らしめて、犬島(野犬の収容所)へ追放しろ、今すぐに」  
 とおっしゃるので、みなが集まって大騒ぎして追い立てる。帝は馬命婦をも叱られて、
「お守役を変えてしまおう。心配でならない」  
 とおっしゃるので、馬命婦は御前にも出ない。犬は捕まえて、滝口の武士などに命じて、追放なさった。
「ああ、今までは体を揺すって得意そうに歩きまわっていたのに。三月三日に、頭弁(とうのべん)(藤原行成)が、柳の飾りを頭にかぶせて、桃の花を挿させて、桜の枝を腰にさしたりして、歩かせられた時は、こんな目にあうとは思わなかっただろう」  
 などと同情する。
「皇后様(定子)のお食事の時は、必ずこっちを向いて待ていたのに、ほんとうに寂しいわねえ ※彰子が中宮になったので、ここから定子を皇后と記述する」  
 などと言って、三、四日経った昼頃、犬がひどく鳴く声がするので、
〈どんな犬がこんなに長く鳴くのだろう〉  
 と思って聞いていると、たくさんの犬が様子を見に走っていく。御厠人(みかわようど)(便所の下級女官)の女が走って来て、
「もう大変。犬を蔵人二人で叩いているの。死んでしまうわ。犬を島流しになさったというのが、帰って来たというので、懲らしめていらっしゃる」  
 と言う。心配なことだ。翁まろらしい。
「忠隆と実房などが打っている」  
 と言うので、止めに行かせると、ようやく鳴きやみ、
「死んだので、陣の外に引っ張っていって捨てた」  
 と言うので、
〈かわいそうに〉  
 などと思っている夕方、ひどく腫れ上がり、汚らしそうな犬で、苦しそうなのが、ぶるぶる震えて歩くので、
「翁まろなの。この頃こんな犬は歩いてはいない」  
 と言って、
「翁まろ」
 と言っても、聞きもしない。
「翁まろよ」
 とも言い、
「違うわよ」  
 とも口々に申すので、
「右近なら見分けがつくわ。呼びなさい」  
 と言って、皇后様がお呼びになると、やって来た。
「これは翁まろなの」  
 と言ってお見せになる。
「似てはいますが、これはあまりにも醜く気味悪そうです。それに、翁まろなら、
『翁まろ』  
 と呼びさえすれば、喜んでやって来るのに、呼んでもやって来ません。違うようです。翁まろは、
『殴り殺して捨ててしまいました』  とはっきり申していました。二人で殴ったのなら生きているでしょうか」  
 などと申し上げるので、皇后様はかわいそうに思われる。  
 暗くなって、食べ物を与えたが、食べないので、違う犬ということにしてしまった翌朝、皇后様は髪をとかしたり、顔や手を洗ったりして、わたしに鏡を持たせて髪の様子をごらんになっていると、犬が柱の下にいるのをわたしが見て、
「ああ、昨日は翁まろをひどく殴ったのね。死んでしまったなんてかわいそう。何に今度は生まれ変わるのかしら。どんなに辛かったことだろう」  
 となにげなく言うと、その柱にいた犬がぶるぶる震えて、涙をひたすら流すので、あまりにも意外なことに、それは翁まろだった。
「昨夜は隠れて我慢していたのね」  
 と、かわいそうなばかりか、素晴らしいことこの上ない。持っていた鏡を置いて、
「じゃあ、翁まろなのね」  
 と言うと、頭を下げてひどく鳴く。皇后様もとてもびっくりしてお笑いになる。右近の内侍をお呼びになって、
「こういうことなの」  
 とおっしゃるので、みんなで笑って騒いでいるのを、帝もお聞きになって、こちらへお越しになった。
「驚いたね、犬なんかでも、このような心があるんだなあ」  
 とお笑いになる。帝付きの女房なども、これを聞いて集まって来て、名前を呼ぶと、今は立って動く。
「やはり、この顔なんかが腫れているのを手当てさせなくては」  
 とわたしが言うと、
「ついに翁まろびいきを白状したわね」
 などと女房たちが笑うので、忠隆が聞いて、台盤所の方から、
「そういうことだったのですか。そいつを拝見しましょう」  
 と言ってきたので、
「まあ、とんでもない。そんなものは絶対にいない」  
 と言わせると、
「そうおっしゃっても、いつか見つける時もあるでしょう。そういつまでもお隠しになることはできない」  
 と言う。  
 さて、その後お咎めも許されて、翁まろはもとのような身分になった。それにしても、かわいそうに思われて、震えて泣きながら出て来た時は、世間に比類がないほどおもしろく、感動的だった。人間なら、人から言葉をかけられて泣くこともあるが。
第七段
 正月一日、三月三日は、とてもうららかなのが。五月五日は、一日中曇っているのが。七月七日は、一日中曇っていて、夕方になって晴れた空に、月がとても明るく、星がたくさん見えているのが。九月九日は、明け方から雨が少し降って、菊の露もたっぷり、かぶせてある綿などもひどく濡れて、移り香もいっそう香りを高めて、早朝にはやんだけれど、それでも曇っていて、今にも降りそうな様子なのも風情がある。
第八段
 昇進のお礼を帝に申し上げるのっていいものね。下襲の裾を後ろに長く引いて、帝の御前に向かって立っていて、帝にお辞儀をして左右左と袖をひるがえして舞って、喜びを表すの。
第九段
 新内裏の東を、北の陣という。梨の木が見上げるほど高いのを、
「いく尋(ひろ)あるかしら ※一尋は両手を広げた長さ」  
 などと言う。権中将(ごんのちゅうじょう/源成信)が、 
「根元から切って、定澄僧都(じょうちょうそうず)枝扇にしたいね」  
 とおっしゃっていたが、僧都が山階寺(やましなでら/興福寺)の別当になって、そのお礼を申し上げる日に、近衛の役人として、この権中将がいらっしゃったが、僧都は長身なのに高い屐子(けいし)まで履いているので、おそろしく背が高い。僧都が退出した後で、
「どうしてあの枝扇をお持たせにならなかったのです」
 と言うと、
「よく覚えているな」  
 とお笑いになる。
「定澄僧都には短すぎるから袿(うちき)はない。すくせ君には長すぎるから袙(あこめ)はない ※すくせ君―不明」  
 と言った人って実におもしろい。
第十段
 山は、
 小倉山(おぐらやま)。鹿背山(かせやま)。三笠山(みかさやま)。このくれ山。いりたちの山。忘れずの山。末の松山。片去り山とは、
〈どんなふうに脇へ寄るのだろう〉  
 とおもしろい。五幡山(いつはたやま)。帰山(かえるやま)。後瀬の山(のちせのやま)。朝倉山は、歌に、
「昔見し人をぞわれはよそに見じ朝倉山の雲居はるかに」
 とあるように、「知らない顔をする」というのがおもしろい。おおひれ山もおもしろい。石清水八幡の臨時の祭の舞人などが思い出されるからだろう。  
 三輪の山は、おもしろい。手向山(たむけやま)。まちかね山。たまさか山。耳なし山。※歌によく詠まれる歌枕、名前のおもしろいものをあげている。
第十一段
 市は、
 辰の市(たつのいち)。さとの市。椿市(つばいち)は、大和(やまと)にたくさんある市の中で、長谷寺に参詣する人が、必ずそこに泊まるのは、
〈観音様のご縁があるのか〉
 と思うと、特別な感じがする。おふさの市。飾磨の市(しかまのいち)。飛鳥の市(あすかのいち)
第十二段
 峰は、
 ゆづるはの峰。阿弥陀の峰。いや高の峰。
第十三段
 原は、
 みかの原。あしたの原。その原。
第十四段
 淵は、
 かしこ淵は、
〈どういう底の心を見ぬいて、そんな名前をつけたのだろう〉  
 と、おもしろい。ないりその淵。誰にどんな人が、
「入るな」  
 と教えたのだろう。青色の淵はおもしろい。蔵人などの衣裳にできそうだから。かくれの淵。いな淵。
第十五段
 海は、  
 湖(みずうみ)。与謝の海。かわふちの海。
第十六段
 陵(みささぎ)は、
 うぐるすの陵。柏木の陵。あめの陵。
第十七段
 渡し場は、 しかすがの渡り。こりずまの渡り。みずはしの渡り。
第十八段
 たちは、たまつくり。(太刀なら玉造り、舘なら玉楼)
第十九段
 家は、
 近衛の御門(みかど)。二条。みかい。一条院も素晴らしい。染殿の宮(そめどののみや)。清和院(せがい)。菅原の院。冷泉院(れいぜいいん)。閑院。朱雀院。小野宮(おののみや)。紅梅殿(こうばいどの)。県(あがた)の井戸殿。竹三条院。小八条院。小一条院。
第二十段
 清涼殿の東北の隅の、北の隔てになっている障子は、荒海の絵で、生きている物の恐ろしそうな、手長、足長などが書いてある。弘徽殿の上の御局の戸が開けてあると、いつも目に入るのを、嫌がったりして笑う。高欄の所に青磁の瓶(かめ)の大きいのを置いて、桜の、晴れやかに美しい枝の五尺くらいのが、とても多く挿してあるので、高欄の外まで咲きこぼれている昼頃、大納言殿が、桜の直衣の少しなおやかなのに、濃い紫の固紋の指貫(袴)をはき、白い下着を数枚重ねて、上には濃い紅の綾織物のとても鮮やかなのを出衣(いだしぎぬ)にして、参内なさると、帝(一条天皇)がこちらにいらっしゃるので、上の御局の戸口の前にある細い板敷きにお座りになって、お話などなさる。御簾の内で、女房たちが、桜の唐衣をゆったりと垂らして、藤襲や山吹襲など、さまざまに感じよく、たくさん小半蔀の御簾からも押し出している頃、帝の昼間の御座所の方では、お膳を運ぶ足音が高い。先払いの者たちが、
「おーしー」
 と言う声が聞こえるのも、うららかなのどかな春の日射しなども、とても素敵だが、最後のお膳を持った蔵人がやって来て、お食事の用意ができたことを申し上げるので、帝は中の戸から昼間の御座所にお越しになる。
 帝のお供に廂の間から大納言殿がお送りに行かれて、さきほどの桜の花の所に帰って座っていらっしゃる。中宮様が御几帳を押して、下長押(しもなげし)の方に出ていらっしゃるなど、ただもうどうしようもなく素晴らしいのを、お仕えしている人も、満足した気がするのに、
「月も日も かはりゆけども 久に経る みむろの山の」
 という歌を、とてもゆったりと吟唱なさったのが、とても素晴らしく思われるので、なるほど千年もこのままでいてほしい中宮様のご様子である。
 給仕する人が、蔵人たちをお呼びになるかならないうちに帝はこちらにいらっしゃった。
「硯の墨をすって」
 と中宮様はおっしゃるが、わたしは上の空で、ただ帝がいらっしゃるほうばかりを見ているものだから、危うく墨ばさみも放してしまいそうになった。中宮様は白い色紙を押したたんで、
「これに、今思い出せる古歌を一つずつ書いて」
 とおっしゃる。 外に座っていらっしゃる大納言殿に、
「これはどうすれば」
 と話すと、
「早く書いてあげなさい。男が口出しするようなことではありません」
 と言って、色紙を御簾の中に入れてお返しになった。中宮様は硯をこちらに向けて、
「早く早く、ただもう深く考えないで、難波津でもなんでも、ふと思いついた歌を」
 と急かされるが、どうしてそんなに気後れしたのか、まったく顔まで赤くなってどうしていいかわからなくなった。
 春の歌や花への気持ちなど、そうは言いながらも、身分の高い女房たちが二つ三つぐらい書いて、その後わたしに、
「ここに書きなさい」
 ということなので、

年経れば よはひは老いぬ しかはあれど 花をし見れば 物思ひもなし
(年が経ったから 老いてしまった でも花を見ると
なんの物思いもない)

 という歌を、わたしは「花をし見れば」のところを「君をし見れば」に書きかえたけれど、中宮様はそれを見比べられて、
「ただそれぞれの機転が知りたかったの」
 とおっしゃるついでに、
「円融院の御代に、帝が、
『この冊子に歌を一つ書け』
 と殿上人におっしゃったので、ひどく書きにくくて、お断りする人々もいたが、
『字が上手だとか下手だとか、歌が季節に合ってなくてもいいことにしよう』
 とおっしゃったので、困ってみんなが書いた中に、今の関白殿が、三位の中将と申し上げた時に、

しほの満つ いつもの浦の いつもいつも 君をば深く
思ふはやわが
(潮の満ちて来る いつもの浦のように いつもいつも あなたを深く思っているわたしは)」
 
 という歌の末の句を、
『頼むはやわが』
 とお書きになったのを、 ものすごく誉められたの」
 などとおっしゃるのも、むやみに汗が流れるような気がする。年の若い人なら、やはり、とてもこんなふうには書き変えられないように思われる。普段はとても上手に書く人も、情けないことに皆気後れがして、書き汚したりした人もいる。
 『古今集』の綴じ本を中宮様は御前に置かれて、いろいろな歌の上の句をおっしゃって、
「この下の句はなに」
 とお尋ねになるのに、 夜も昼も気になって覚えている歌もあるのに、すらすらと口に出して申しあげられないのは、どうしてなのか。宰相の君がやっと十首ほど。 それも覚えているとは言えないが、まして五首、六首などは、ただ覚えてないことを申しあげるべきだが、
「そんなにそっけなく、お尋ねになった甲斐がないことをするのは」
 とがっかりして、残念がるのも面白い。
「知っている」
と言う人がいない歌は、そのまま全部読み続けて竹の栞を挟まれるのを、
「これは知っている歌だわ。どうしてこんなに頭が悪いのかしら」
 とため息をつく。その中でも『古今集』をたくさん書き写したりしている人は、 全部覚えているはずなのだが。
中宮様が、
「村上天皇の御代に、宣耀殿(せんようでん)の女御と申しあげたのは小一条の左大臣殿のお嬢様だと、知らない人は誰もいないでしょう。まだ姫君と申しあげていた時に、父の大臣が教えられたことは、
『第一に習字をなさい。次には琴(きん)の琴を、人より上手に弾こうと思いなさい。それから古今集の歌二十巻を全部暗記できるように学問にしなさい』
 ということで、左大臣がそう姫君に申しあげたのを、帝は以前に聞いていらっしゃって、宮中の物忌の日に、『古今集』を持って女御の部屋にお越しになり、几帳を引いて女御との間を隔てられたので、女御は、
〈いつもと違って変ね〉
 と思われたが、帝は古今集の綴じ本を開かれて、
『なんの月の、なんの時に、誰かが詠んだ歌は、なんという歌か』
 とお尋ねになるので、女御は、
〈几帳で隔てられたのは、こういうことだったのか〉
 と理解なさって、
〈おもしろい〉
 と思われるものの、
〈間違って覚えていたり、忘れているところがあったら、大変なこと〉
 とむやみに心配されたに違いない。帝は、歌の方面に疎くない女房を二、三人ほど呼ばれて、間違った歌は碁石を置いて数えることにして、女御に無理にお返事をおさせになった時など、どんなに素晴らしく面白かったことだろう。御前にお仕えしていた人までも、羨ましい。帝が強いてお尋ねになるので、利口ぶってそのまま終わりの句まではおっしゃらないけれど、女御のお答えはすべて少しも違ってはいなかった。帝は、
〈なんとかして、やはり少し間違いを見つけてから終わりにしよう〉
 と腹立たしいほどに思われたが、十巻にもなった。
『まったく無駄だったな』
 とおっしゃり、綴じ本に栞をはさんで、おやすみになったのも、また立派である。長い時間が経ってからお起きになったが、
『やはり、この勝負がつかないで止めてしまうのは、非常によくないな』
 とおっしゃって、下巻の十巻を、
『明日になったら、別の本で調べられるから』
 ということで、
『今日決着をつけよう』
と、灯火をつけられて、夜が更けるまで読まされた。だが女御は、ついに負けることなく終わってしまった。
『帝が女御のお部屋にお越しになって、こういうことが』
 と、女御の父の左大臣殿に人を遣わして知らされると、父君は大変心配してお大騒ぎなさって、誦経などたくさんさせられて、内裏の方に向かってお祈りをしてお過ごしになった。風流で情の深いことね」
 などとお話になるのを、帝もお聞きになって感心なさる。
「わたしは三巻、四巻でさえ、最後まで読めないな」
 とおっしゃる。
「昔はつまらない人でも、みな面白味があった。この頃はこういう話は聞かないわね」
 などと、帝にお仕えする女房で、こちらに伺うのを許された人がやって来て、口々に話したりしている時は、本当に少しも心配することがなく素晴らしく思われる。
第二十一段
 将来の望みもなく、生真面目に、見かけだけの幸福などを夢に見ているような人は、うっとうしく軽蔑したく思われて、やはり、相当な身分の人の娘などは、宮仕えをさせて、世の中の様子を見せて慣れさせて、典侍(ないしのすけ)などでしばらくお仕えさせたいと思われる。
 宮仕えする人を、軽薄で悪いこと、と言ったり思ったりしている男は本当に憎らしい。だが男がそう思うのもなるほどもっともなことだ。宮仕えすれば、口にするのも恐れ多い帝をはじめとして、上達部、殿上人、五位、四位は言うまでもなく、顔を合わせない人は少ないだろう。女房の従者、長女(おさめ/雑用係)、御廁人(みかわようど/便所掃除)の従者、礫瓦(たびしがわら/身分の低い者)といった者まで、宮仕えする人が恥ずかしがって隠れたりしたことが、いつあっただろう。男の方たちは、宮仕えする女ほどいろいろな人に会うことはないだろう。だが宮中にお仕えしている限りは、やはりいろいろな人に会うのは同じだろう。
「○○の上」
 などと言って、大切にするのに、宮仕えをしたから奥ゆかしくないと思われるのは、もっともだが、それでも宮中の典侍(ないしのすけ)などと言って、時々参内して賀茂祭の使いなどで行列に加わったりするのも、実に名誉なことである。
 宮仕えした後で家庭におさまっているのは、なおさら素晴らしい。受領が五節(ごせち)の舞姫をさし出す時などに、北の方が宮仕えした人なら、ひどく田舎臭くて、言い方がわからないことなどを人に尋ねたりはしない。奥ゆかしいものだ。
第二十二段
 興ざめなもの。
 昼に吠える犬。時期ではない春にしかけてある網代。三、四月に着る紅梅の着物。牛が死んだ牛飼。赤ん坊が亡くなった産屋。火をおこさない角火鉢、囲炉裏。博士が女の子ばかり生ませているの。方違えに行ったのに、もてなしてくれない所。ましてそれが節分の時だったら、本当に興ざめ。地方から送ってきた手紙の贈り物がついてないの。京からの手紙も相手はそう思うかもしれない、でも、それは知りたいことを書き集め、世間の出来事などを聞けるのだから手紙だけで十分。人のところに特にきれいに書いて送った手紙の返事を、
〈今はもう持って帰ってるだろう、妙に遅い〉
 と、待っていると、渡した手紙を、正式の書状でも略式の結び文でも、ひどく汚ならしく扱って、けばだたせて、結び目の上に引いた墨なども消えて、
「いらっしゃいませんでした」
 とか、あるいは、
「物忌みで受け取ってくれません」
 と言って持って帰ってきたのは、ひどくがっかりして興ざめである。また、必ず来るはずの人の所に車を迎えにやって待っていると、来る音がするので、
「来たみたい」
 と、人々が出ていって見ると、車を車庫に引き入れて、轅(ながえ)をぽんと打ち下ろすので、
「どうしたの」
 と尋ねると、
「今日はよそにお出かけというので、お越しになりません」
 などとぼそっと言って、牛だけをはずして行ってしまうの。また、家に迎えている婿君が来なくなったのは、ひどく興ざめ。相当な身分で宮仕えする女に婿を取られて、
〈恥ずかしい〉
 と思っているのも、ひどくつまらない。  
 赤ん坊の乳母が、
「ほんのちょっと」
 と言って出かけたので、なんとかあやして、
「早く帰って来て」
 と言ってやったのに、
「今夜は帰れません」
 と、返事をしてくるのは、興ざめどころか、とても憎らしく耐えがたい。女を迎える男なら、なおさらどんな気がするだろう。
 待っている人がいる女の家で、夜が少し更けてから、そっと門を叩くので、胸が少しどきりとして、人をやって尋ねさせると、別のつまらない男が名乗って来たというのは、まったく興ざめなどという言葉ではとても言い尽くせない。
 修験者が、物の怪を調伏(ちょうぶく)しようと、大変得意顔で、独鈷(とこ)や数珠などを持たせて、蝉のような声をしぼり出して経を読んで座っているけれど、物の怪は少しも去る様子もなく、護法童子もよりましにつかないので、家の者が集まって祈っていて、男も女も、
〈変だな〉
 と思っているのに、修験者は二時間も読み続けて疲れて、
「まったくつかない。立ってしまえ」
 と言って、よりましから数珠を取り返して、
「ああ、全然効験がないな」
 と言って、額から上に頭を撫で上げてあくびをして、じぶんから先に物に寄りかかって寝てしまうの。
〈たまらなく眠い〉
 と思っているのに、それほど親しいとも思えない人が、揺り起こして無理に話しかけてくるのは、本当に興ざめ。
 除目(じもく/官吏任命式)で官職を得ることができなかった人の家。
「今年は必ず」
 と聞いて、以前仕えていた者たちで、あちこちよそに行った者や、田舎めいた所に住む者たちが、皆集まって来て、出入りする牛車の轅に隙間がないほどで、任官祈願の参詣のお供に、
「わたしも、わたしも」
 とついて行き、ご馳走を食べたり酒を飲んだり、大騒ぎしているのに、除目が終わる三日目の夜明けになっても門を叩く音もしない。
〈おかしいな〉
 などと、耳をすまして聞くと、先払いの声などがして、上達部などみな宮中を退出してしまわれた。除目の様子を聞くために出かけて、前夜から寒がって震えていた下男が、とても憂鬱そうに歩いて来るのを、見る者たちは、
「どうだった」
  と尋ねることさえできない。よそから来た者などが、
「殿は何になられたのですか」
 などと尋ねると、
「何々の国の前の国司ですよ」
 などと必ず答える。本当に頼りにしていた者は、
〈あまりにも情けない〉
 と思っている。翌朝になって、隙間なくいた者たちも、一人、二人とすべるように出て行く。古くから仕えている者たちで、そうあっさりと離れることのできない者は、来年の国司交替がある国々を指折り数えたりして、殿が任官できるかどうか不安そうに歩き回っているのも、おかしくてならない。まさに興ざめである。
〈まあまあ良く詠めたな〉
 と思う歌を、ある人に送ったのに、返歌をしないの。恋をしている人なら返歌が来なくても仕方がないが。でもそれだって、季節の風情がある時に贈った手紙に返歌をしないのは、
〈思っていたより劣った人〉
 と思ってしまう。また、忙しく時勢にあって栄えている人のところに、時代遅れの古めかしい人が、じぶんはすることもなく暇だから、昔を思い出してどうということのない歌を詠んで寄越したの。
 儀式用の扇を、
〈特別なんだから〉
 と思って、情趣がわかる人に渡しておいたのに、その日になって、思いもしない絵など描いて渡されたの。
 出産の祝宴や、旅立ちの餞別などの使いに、ご祝儀を与えないの。ちょっとした薬玉や卯槌などを持って歩く者などにも、やはり必ず与えるべきである。思いもしなかったのにもらったのは、
〈使いのしがいがあった〉
 と思うにちがいない。
〈これは必ず祝儀がもらえる使い〉
 と思って、わくわくして行ったのにもらえなかったのは、特に興ざめね。
 婿を迎えて、四、五年も産屋の騒ぎをしない家も、ものすごく興ざめ。成人した子供がたくさんいて、最悪の場合、孫なども這い回っていそうな年輩の親同士が昼寝しているの。そばにいる子供の気持ちとしても、親が昼寝している間は、頼ることができなくて興ざめなの。大晦日の夜、寝て起きてすぐに浴びる湯は、興ざめどころか腹立たしいほどである。大晦日の長雨。こういうのを、
「一日ほどの精進潔斎」
 と言うのだろう。  
第二十三段
 気がゆるむもの。精進の日のお勤め。先の長い準備。寺に長い間籠っているの。
第二十四段
 人にばかにされるもの。土塀の崩れ。あまりにもお人好しと人に知られた人。
第二十五段
 憎らしいもの。急用のある時にやって来て、長話をする客。遠慮がいらない人なら、
「あとで」
 とでも言って帰せるけれど、気後れする立派な人だと、ひどく憎らしく面倒だ。
 硯に髪の毛が入ってすられているの。また、墨の中に石が交じっていて、するときしきしときしんで鳴っているの。
 急に病人が出たので、祈らせようと修験者を探すと、いつもいる所にはいないので、別の所を探していると、待ち遠しいほど長い時間が経ち、やっとのことで待ち迎えて、喜びながら加持をさせると、この頃物の怪にかかわって疲れきってしまったのか、座るやいなや読経が眠り声なのは、ひどく憎らしい。
 たいしたこともない平凡な人が、やたらとにこにこして盛んに喋っているの。火鉢の火や囲炉裏などに、手のひらをひっくり返しひっくり返し、手を押しのばしたりして、あぶっている者。いったいいつ若い人などが、そんな見苦しいことをしたのだろうか。年寄りじみた人に限って、火鉢のふちに足まで持ち上げて、話をしながら足をこすったりなどするようだ。そういう無作法者は、人の所にやって来て、座ろうとする所を、まず扇であちこち扇ぎ散らして塵を掃き捨て、座る所も定まらないでふらふらして、狩衣の前を膝の下に巻き込んで座るようだ。こういうことは、取るに足りない身分の者がすることだと思うが、まずまずの身分の、式部の大夫などと言った人がしたのだ。
 また、酒を飲んでわめき、口中をまさぐり、髭のある者はそれを撫で、盃をほかの人に押しつける様子は、ひどく憎らしく見える。
「もっと飲め」
 と言ってるのだろう。体を震わせて、頭を振り、口の端まで垂れ下げて、子供たちが、
「こう殿にまいりて(不明の俗謡)」
 などを歌う時のような格好をする。それはよりによって、本当に身分の高い人がなさったのを見たので、
〈気にくわない〉
 と思うのである。
 なにかと人のことを羨ましがり、じぶんの身の上を嘆き、他人の身の上をあれこれ言い、ちょっとしたことでも知りたがり聞きたがって、話して知らせないと恨んで悪口を言い、また、ほんの少し聞いたことを、じぶんが元から知っていたるように、別の人にも調子に乗って話すのも、ひどく憎らしい。
 なにか聞こうと思う時に泣く赤ん坊。烏が集まって飛びまわり騒がしく鳴いているの。忍んで来る人知ってて吠える犬。
 無理な場所に隠して寝かせておいた男が、いびきをかいているの。また、忍んで来る場所に、長烏帽子をかぶって来て、それでも人に見られないように慌てて入る時に、何かに烏帽子があたって、がさっと音を立てたの。伊予簾(いよす)などが掛けてあるのに、くぐって入る時に頭があたって、さらさらと音を立てたのも、ひどく憎らしい。帽額(もこう/御簾の上部に横に長くつけた布)の簾は、まして持ち上げた木端(こわじ/簾を巻き上げるしんにする細長い薄板)を下に置く音が、はっきりと響く。それだって端を静かに引き上げて入れば、まったく音はしない。遣戸(引き戸)を荒々しく開けたりするのも、とても見苦しい。少し持ち上げるようにして開ければ、鳴りはしないのに。下手に開けると、襖などもごとごと音がするのが際立って聞こえる。
〈眠たい〉
 と思って横になっているのに、蚊が細いかすかな声で寂しそうにぶーんとうなって、顔のあたりに飛びまわるの。羽風まで蚊の体相応にあるのがひどく憎らしい。
 ぎしぎしと鳴る牛車に乗って出歩く人。
〈耳が聞こえないのか〉
 と、ひどく憎い。じぶんが乗っている時は、その車の持ち主さえ憎らしい。
 また、話をしてる時に、出しゃばって、じぶん一人先回りする者。すべて出しゃばりは子供も大人もひどく憎い。
 ちょっと遊びに来た子どもや幼児を目をかけて可愛がって、おもしろい物を与えるうちに慣れて、いつもやって来て座り込んで、道具を散らかしてしまうのは、ひどく憎い。
 家でも宮仕えしている所でも、
〈会わないことにしよう〉
 と思う人が来たので、寝たふりをしているのを、わたしが使っている者が、起こしに寄って来て、寝坊だと思っているような顔つきで揺すったのは、ひどく憎らしい。
 新しく仕えた人が古い人をさしおいて、物知り顔で教えるようなことを言って、世話を焼いているのは、ひどく憎い。
 今の恋人が、以前に関係した女のことを誉めたりするのも、ずいぶん前のことでも、やはり憎らしい。ましてその関係が今のことなら、その憎らしさは思いやられる。でも、それほどでもないような場合もあるようだ。
 くしゃみをしてまじないを唱えるの。だいたい、一家の主人でないのが、音高くくしゃみをするのは、ひどく憎らしい。
 蚤(のみ)もひどく憎らしい。着物の下で踊りまわって、着物を持ち上げるようにする。犬が声を合わせて、長々と吠えているのは、不吉な感じがするほど憎らしい。
 開けて出入りする戸を閉めない人は、すごく憎らしい。
第二十六段
 胸がどきどきするもの。雀(すずめ)の子を飼うの。赤ん坊を遊ばせている所の前を通るの。上等の香をたいて一人で横になっているの。唐鏡が少し曇っているのを見ている時。身分の高い男、牛車を止めて、従者に取り次ぎを頼み何かを尋ねさせているの。頭を洗い化粧をして、香がよく染みている着物など着ているの。その場合、別に見る人がいない所でも、心の中は、やはりとても快い。男が来るのを待っている夜、雨の音や、風が吹いて音がするのも、ふと胸がどきどきしてしまう。
第二十七段
 過ぎ去ったころが恋しいもの。枯れている葵。人形遊びの道具。二藍染や葡萄染などの布の切れ端が押しつぶされて、綴じ本の中などにあったのを見つけたの。また、時機が時機だったのでしみじみと心を動かされた人からの手紙を、雨などが降って退屈な日に、探し出した時。去年使った夏の扇。
第二十八段
 心が晴れ晴れするもの。上手に描いてある女絵の、説明の言葉をおもしろくたくさん書いてあるの。見物の帰りに、女房たちが着物の袖口がはみ出るほど牛車にいっぱい乗って、お供の男たちが大勢付き添って、牛を上手にあやつる者が、車を走らせているの。白くてきれいな陸奥紙(みちのくにがみ/厚手の和紙)に、とてもとても細く書けそうにもない筆で、手紙を書いたの。美しい糸の灰汁煮たのを、よりあわせて束ねたもの。調半(ちょうばみ/二つの賽を振って、同じ目を出すことを競う遊び。同じ目が出るのを「調」、異なるのを「半」)の遊びで「調」をたくさん打ち出したの。雄弁な陰陽師に頼んで、河原に出て、呪詛の祓えをしたの。夜、寝起きに飲む水。退屈な時に、そんなに仲がいいというわけでもない客が来て、世間話を、この頃の出来事のおもしろいのも憎らしいのも不思議なものも、あれこれについて、公私ともに不明瞭でなく、聞き苦しくない程度に話したのは、とても心が晴れ晴れする気がする。神社やお寺にお参りして、願事を祈ってもらうのに、寺では僧侶、神社では神官などが、はっきりとさわやかに、思っていた以上に、よどみなく聞きやすく願いを申し述べたの。
第二十九段
 檳榔毛の車は、ゆっくり進ませているのがいい。急いでいるのはみっともなく見える。網代車は、走らせたのがいい。人の家の門の前などを通って行くのを、ふと見る間もなく通り過ぎて、供の人だけが後から走るのを、
〈誰なのだろう〉
 と思ったりするのはおもしろい。網代車がゆっくりと時間をかけて通るのは、ひどくみっともない。
第三十段
 説教の講師は、顔がいいのがいい。講師の顔をじっと見つめていればこそ、その人の説教の尊さも自然と感じられる。そうでないとよそ見して、すぐに忘れてしまうので、顔の悪い講師の説教を聞くのは、
〈罪を犯しているのではないか〉
 と思われる。でも、このことは書かないほうが。もう少し年が若い頃は、このような罪になるようなことも書いただろうが、今は仏罰が非常に恐ろしい。
 また、
「尊いことだ、信仰心が厚い」
 と言って、説教をする所はどこでも、真っ先に行って座り込んでいる人は、やはりわたしのような罪深い心には、
〈それほどしなくてもいいのに〉
 と思われる。
 蔵人などは、昔は前駆などはしないで、辞めた年くらいは、遠慮して宮中あたりには、影も見えなかった。今はそうでもないようだ。「蔵人の五位」と呼んで、そういう人を頻繁に使うけれど、やはり辞めた後は退屈で、当人としては暇があるような気がするから、そういう説教をする所で、一、二度聞きはじめてしまうと、いつもお参りしたくなって、夏などのひどく暑い時でも直衣の下の帷子をはっきりと透かせて、薄い二藍、青鈍の指貫などを、踏みつけて座っているようだ。烏帽子に物忌みの札をつけているのは、謹慎しなければならない日だが、
〈説教を聴くという功徳のためには外出も差し障りがない〉
 と見られたいからだろうか。その説教がある僧侶と話をして、聴聞に来た女車を立てる世話までして、なにかと場馴れしているようだ。長い間会わないでいた人が、参詣に来たのを珍しがって、近寄って座り、話をして、うなずき、おもしろいことなど話し出して、扇を広く広げて、口に当てて笑い、装飾してある数珠をまさぐり、あちこち見たりして、車の良し悪しを誉めたり貶したり、どこかで誰かが行った法華八講、経供養をしたこと、こういうこと、ああいうことを比較して、この説教のことは聞こうともしない。いや、なに、いつも聞き慣れているから、珍しくもないのだろう。
 そういう蔵人の五位のような者ではなく、講師が座ってしばらくしてから、先払いを少しだけさせて牛車を止めて降りて来た貴公子は、蟬の羽よりも軽そうな直衣や指貫、生絹(すずし)の単衣などを着ている人も、狩衣姿である人も、そういう軽快な服装で若くほっそりしているのは三、四人ほどで、それにお供の者がそれくらいの人数で入って来るので、前から座っていた人々も、少し体を動かして隙間をあけ、高座にすぐ近い柱の所に座らせると、かすかに数珠を押しもんだりして、説教を聞いて座っているのを、講師も晴れがましく思っていることだろう、
〈なんとかして後々まで語り伝えられるほどに〉
と説き始めるようだ。貴公子たちは、説教を聴くといって倒れて騒いだり額をつけて礼拝するようなことはなく、ちょうどよい時に座を立って出て行くと、女車の方などを見て、仲間同士で話すことも、
〈どんなことだろう〉
 と思われる。貴公子を見て知っている人は、
〈おもしろい〉
 と思い、知らない人は、
〈誰だろう、あの人かしら〉
 などと想像して、注目して見るので自然と見送るようになるのはおもしろい。
「あそこで説教をした」
「八講があった」
 などと人が伝えると、
「あの人はいたか」
「いないはずがないだろう」
 などと、いつも決まって言われるのは、あまりにも行き過ぎだ。でも、まったく顔を出さないのもどうだろう。身分の低い女だって熱心に聞くというのに。だからといって、説教の最初の頃は、出歩く人はいなかった。たまには壺装束などして、優雅にお化粧していたようだが、それは説教を聴くだけでなく参詣などもしたからだ。そういう装束で、説教などに出かける話は、そう多くは聞かなかった。その頃説教に出かけた人が、長生きして今の様子を見たとしたら、どんなに悪口を言い非難することだろう。
第三十一段
 菩提という寺で、結縁(けちえん/仏と縁を結ぶ)の八講をするので参詣したのに、ある人から、
「すぐに帰って来てください。とても寂しい」
 と言ってきたので、蓮の葉の裏に、

もとめても かかる蓮の 露をおきて 憂き世にまたは 帰るものかは
(望んでも濡れたい蓮の露を捨てて どうして嫌な俗世に二度と帰るものですか)

 と書いて送った。本当に、とても尊くしみじみて心打たれたので、そのままお寺にいたいと思ったから、湘中(そうちゅう)の家族の人のじれったさも忘れてしまいそう。
※湘中(『列仙伝』の湘中のこと。書を読みふけって家に帰る道を忘れたという故事)
第三十ニ段
 小白川(こしらかわ)という所は、小一条の大将藤原済時(なりとき)殿のお邸である。そこで上達部が、結縁の法華八講をなさる。世の中の人は、とても素晴らしいというので、
「遅く来るような牛車は、立てることができない」
 と言うので、朝露が置くとともに起きて行くと、なるほど隙間がなかった。轅の上に、後の車の車台を重ねて、車三台くらいはお説教の声も少しは聞こえるだろう。六月十日過ぎで、暑いことといったら例がないほど。池の蓮を見るだけで、とても涼しい気がする。
 左右の大臣たちのほかには、お越しにならない上達部はいない。二藍の指貫、直衣、薄青色の帷子などを透かしていらっしゃる。少しお年のお方は、青鈍の指貫に白い袴というのも、とても涼しそうである。藤原佐理(すけまさ/三蹟の一人)の宰相なども、みな若々しく、すべて尊いことは限りなく、素晴らしい見物である。廂の間の御簾を高く上げて、下長押の上に、上達部は奥を向いて、長々と並んで座っていらっしゃる。その次の座には殿上人、若い君達(きんだち)が、狩装束、直衣などもとても風情があり、じっと座っていないで、あちこち歩き回っているのも、とてもおもしろい。実方(さねかた)の兵衛佐(ひょうえのすけ)、長命の侍従などは、小一条の一門の方なので、多少は出入りに慣れている。まだ元服前の君たちなども、とても可愛らしい様子でいらっしゃる。
 少し日が高くなった頃に、三位中将とは今の関白殿(藤原道隆)をそう申し上げたのだが、その三位中将が、唐綾の薄物の二藍色の直衣、二藍の織物の指貫、濃い蘇芳色の下袴に、糊張りした白絹の単衣のとても鮮やかなのをお召しになって、歩いて入っていらっしゃるのは、あれほど軽やかで涼しそうな方々の中で、暑苦しい感じがするはずなのに、実にご立派なお姿に見える。朴(ほお)、塗骨(ぬりぼね)など、扇の骨は違うけれど、皆が同じ赤い紙の扇を使って持っていらっしゃるのは、撫子がいっぱい咲いているのに、とてもよく似ている。
 まだ講師も高座にのぼらないうちは、懸盤(お膳)を出して、何だろう、なにかを召し上がっているようだ。義懐(よしちか)の中納言のご様子が、いつもより勝っていらっしゃるのはこの上ない。色合いが華やかで、とてもつやがあり鮮やかなので、どれがどうと優劣がつけがたい貴人たちの中にあって、この人はただ直衣一つを着ているといったすっきりしたお姿で、絶えず女車の方を見ながら、話などをしていらっしゃる。
〈素敵だな〉
 と思わない人はいなかっただろう。
 後から来た女車が、隙間もなかったので、池の方に寄せて立っているのを、中納言はご覧になって、実方の君に、
「口上をふさわしく伝えられそうな者を一人」
 と呼ばれると、どういう人なのだろう、実方の君が選んで連れていらっしゃった。
「どう言ったらいい」
 と、中納言の近くにいる方たちでご相談なさって、お伝えなさる言葉は聞こえない。使いの者が大変気を使って、女車の方へ歩いて近寄って行くのを、心配しながらも、一方ではお笑いになる。車の後ろの方に寄って言っているようだ。長い間立っているので、
「歌でも詠むのだろうか。兵衛佐、返歌を考えておけ」
 などと笑って、
〈早く返事を聞きたい〉
 と、そこにいる人全員、年をとった人、上達部までが、みなそちらの方を見ていらっしゃる。実際外で立っている人まで見ていたのも、おもしろかった。
 返事を聞いたのだろうか。使いの者がこちらに少し歩いて来たところで、女車から扇を差し出して呼びもどすので、わたしは、
〈歌などの言葉を言い間違えた時にはこのように呼びもどすだろうが、あれほど待たせて時間をかけて出来た歌は、直すべきではないのに〉
 と思った。使いが近くに来るのも待ち遠しく、
「どうだった、どうだった」
 と、誰もがお尋ねになる。使いはすぐには言わないで、権中納言がおっしゃったことだから、そこへ行ってもったいぶって言う。三位中将が、
「早く言え。あまり趣向を凝らし過ぎて、間違えるな」
 とおっしゃると、
「この返事もまるで同じようなものです」
 と言うのは聞こえる。藤大納言(とうだいなごん)は、人より特に覗いて見て、
「どう言っていた」
 とおっしゃったようで、三位中将が、
「とても真っ直ぐな木を押し曲げたようです」
 と言われると、藤大納言はお笑いになるので、みなが何となく笑う声が、女車の人に聞こえたのだろうか。
 中納言は、
「それで、呼びもどさなかった前は、どう言ったのだ。これが直した返事か」
   とお尋ねになると、
「長い間立っていましたが、なんの返事もありませんので、
『それでは、帰ることにします』
 と言って、帰ろうとしたのに、呼ばれたので」
 などと申し上げる。
「誰の車だろう。ご存じですか」
 などと不思議がられて、
「さあ、歌を詠んで、今度は贈ろう」
 などとおっしゃっているうちに、講師が高座にあがったので、みな静かになって、講師の方ばかりを見ているうちに、女車はかき消すようにいなくなってしまった。車の下簾などは、今日使い始めたばかりに見えて、濃い紫の単襲に、二藍の織物、蘇芳の薄物の表着(うわぎ)などの服装で、車の後ろにも、模様を摺り 出してある裳を、広げたまま垂らしたりなどしているのは、
〈誰だろう。返事だって、不十分な返事をするより、あのようなのが〉
 と思われて、
〈かえってとてもよい応対だ〉
 と思われる。
 朝座の講師清範(せいはん)は、高座の上も光が満ちている気がして、とても素晴らしい。暑さでつらい上に、やりかけの仕事を、今日中にしなければならないのをそのままにして、
〈ほんの少し聞いて帰ろう〉
 と決めていたのに、次から次へて集まってきた牛車なので、出るにも出られない。
〈朝の説教が終わったら、やはりなんとかして出よう〉
 と思って、後ろの車にこのことを伝えると、高座の近くに行けるのが嬉しいのだろう、すぐに車を引き出して場所をあけて私の車を出してくれるのをご覧になって、うるさいほどに年寄りの上達部までが笑って非難するのを、聞きもしない答えもしないで、無理に窮屈な思いをして出て来ると、権中納言が、
「やあ、
『退クモ亦佳シ(しりぞくもまたよし/法華経:方便品)だな」』
※釈迦が法を説こうとした時、悟りを得たと思って五千人が座を立って退いた時の釈迦の言葉』
 と言って、笑っていらっしゃるのは素晴らしい。だがそれも聞いただけで、暑さに慌てて出て来たので、使いを通して、
「五千人の中にお入りにならないことはないでしょう」
 と申し上げて帰って来た。
 八講の初日から、そのまま終わる日まで立ててある車があったが、人が近寄って来るとも思われないで、まったく呆れるほど絵などのように動かないで過ごしたので、
「珍しく、素晴らしく、奥ゆかしく、どんな人なのだろう。なんとかして知りたい」
 と中納言がお探しになったのを聞かれて、藤大納言などは、
「何が素晴らしいのだ。ひどく無愛想で、無気味な者だろう」
 とおっしゃったのがおもしろかった。
 そうしてその月の二十日過ぎに中納言が法師になってしまわれたのは、しみじみと心に染みた。桜などが散ってしまうのも、これに比べれば普通のことだろう。
「置くを待つ間の(白露の 置くを待つ間の 朝顔は 見ずぞなかなか あるべかりける/白露が置いてわずかな時間で消える朝顔なんてかえって見ないほうがいい)」
 とさえ言えないほどご立派なお姿に中納言は見えたものだ。
※寛和二年(986)六月二十四日、前日の花山院の出家を追って中納言義懐は出家した。
第三十三段
 七月頃は、大変暑いので、いろいろな所を開けたままで、夜も明かすのだが、月のある頃は、寝て目を覚まして外を見ると、とても素敵。闇夜もまた素敵。有明の素晴らしさは言うのも愚かだ。
 とても艶のある板敷きの間の端近くに、真新しい畳を一枚敷いて、三尺の几帳を奥の方に押しのけてあるのは無意味だ。端近くに立てるべきである。奥の方が気になるのだろうか。男は出ていったのだろう。女は、薄い紫色の衣の裏がとても濃くて、表面は少し色が褪せているのか、それとも濃い綾織の艶々した、糊気の落ちていないのを、頭ごとかぶって寝ている。その下には、丁子染めの単衣か、黄
生絹(きすずし)の単衣で、紅色の単衣袴の腰ひもがとても長く、着物の下から伸びているのも、まだ男と寝たときに解いたままなのだろう。外の方に、女の髪の毛が重なりあってゆったりと出ている様子から、長さが自然と推測されるのだが、そこへ二藍色の指貫に、色があるかないかわからない丁子染めの狩衣を着て、白い生絹の単衣に、下の紅色が透けて見えるのだろう、艶やかなのが、霧でひどく湿ったのを脱いで、鬢が少しぼさぼさになっているので、烏帽子に無理に押し込んでいる様子もだらしなく見える。
〈朝顔の露が落ちない前に、後朝(きぬぎぬ)の手紙を書こう〉
 と思って、道中も不安で、
「桜麻(さくらお)の 麻生(おう)の下草 露しあらば 明かしてゆかむ 親は知るとも/麻の下草が朝露だらけで足元が濡れたので 彼女の所に行って泊まろう 親に知られてもいい『古今六帖』」
 などと歌を口ずさみながら、じぶんの家に帰る時に、女の部屋の格子が上がっているので、御簾の端をちょっと開けて見ると、起きて帰った男のこともおもしろく、朝露も感慨深いのだろうか。端に立っていると、女の枕元の方に、朴の木の骨に紫の紙の貼ってある夏扇が広げたままである。陸奥紙の懐紙の細いのが、はなだ色か紅の色か、少し色艶のあるのが、几帳のそばに散らばっている。
 人の気配がするので、女はかぶっている着物の中から見ると、男がにやにやして、下長押に寄りかかって座っている。遠慮するような相手ではないが、かといって親しくしようという気持ちもないので、
〈しゃくだわ、見られてしまった〉
 と思う。男が、
「格別に名残惜しい朝寝ですね」
 と言って、御簾の中に体半分入って来るので、女は、
「露が置くより先に帰った人が気にくわないから」
 と言う。おもしろいことだと特別に取り上げて書くほどのことではないけれど、こんなふうに男女があれこれ言い合っている様子は悪くはない。男が枕元にある扇を、じぶんの扇で、前かがみになって引き寄せるのを、女は、
〈あまりにも近くに寄ってくる〉
 と胸がどきどきして、体を奥の方に引っ込める。男は扇を取って眺めたりして、
「よそよしく思っていらっしゃる」
 などと、それとなく言い恨んだりしているうちに、明るくなって、人々の声がして日も射してくるだろう。朝霧の晴れ間が見えるようになって、急いでいた後朝の手紙が遅くなったのが気がかりだ。先に帰った男も、いつの間に書いたのか、萩の露が置いたまま折ってある枝につけて使いが持って来ているが、差し出すことができない。とても香り高くたきしめた香の紙の匂いが、とても風情がある。あまり明るくなって体裁が悪い時刻になるので、男は立って出ていくが、
〈じぶんが起きてきた女のところもこんなふうだろうか〉
 と、想像するのも、男にとってはおもしろいことだろう。
第三十四段
木の花は、濃いのも薄いのも、紅梅。桜は、花びらが大きくて、葉の色が濃いのが、枝は細くて咲いているの。
 藤の花は、しなやかに垂れている花房が長く、色が濃く咲いているのが、とても素晴らしい。
 四月の末か、五月の始め頃、橘の葉が濃く青いところに、花がとても白く咲いているのが、雨が降っている早朝などは、世にまたとないほど風情がある様子で趣がある。花の中から黄金の玉のように見えて、とても鮮やかに実が見えているのは、朝露に濡れている夜明けの桜に劣らない。ほととぎすが寄って来る花橘だと思うからだろうか、やはり改めて言う必要がないほど素晴らしい。梨の花は、世間では興ざめなものとして、身近に扱ったりしないで、ちょっとした手紙を結んだりもしない。可愛らしくない人の顔を見て、例えて言うのも、なるほど葉の色からして調和がとれてないように見えるのだが、唐土ではこの上ないものとして、漢詩にもするのだから、
〈そうは言ってもなにかわけがあるだろう〉
 と思って、強いて見ると、花びらの端に美しい色艶がほんのちょっとついているようだ。楊貴妃が玄宗皇帝の使者に会って、泣いた顔に例えて、
〈「梨花一枝、春、雨を帯びたり(春雨に濡れる一枝の梨の花)」
 などと言ったのは、並み一通りではない〉
 と思うと、
〈やはりとてもすばらしいのは、類いがない〉
 と思われる。 
 桐の木の花は、紫色に咲いているのは、やはり風情があるが、葉の広がり方が異様でおおげさだが、ほかの木々と同じに論じてよいものではない。唐土では名のある鳥(鳳凰)が、この木だけを選んで止まるというのは、大変特別な感じがする。まして木材を琴に作って、いろいろな音が出てくるのは、
「素敵」
 などと、世間並みの言葉で言えるはずがない。非常に素晴らしいのだ。
 木の格好はよくないけれど、楝の花(おうち/栴檀)は、とても素敵。ほかの木とは離れて咲いて、必ず五月五日の節句に合わせて咲くのもおもしろい。
第三十五段
 池は、勝間田(かつまた)の池。盤余(いわれ)の池。贄野(にえの)の池は、長谷寺に参詣した時に、水鳥が隙間もなく池にいて騒いでいたのが、とてもおもしろく見えた。水なしの池とあるので、
〈不思議だな、どうしてこんな名前をつけたのだろう〉
 と思って尋ねたら、
「五月など、だいたい雨が例年より多く降るような年は、この池に水というものがなくなるのです。逆にひどく照りつけるはずの年は、春の始めに水がたくさん涌き出るのです」
 と言ったから、
〈まったく水がなくて乾いているなら水なしと言ってもいいけれど、水が涌き出る時もあるのに、一方的につけたものね〉
 と言いたかった。猿沢の池は、采女(うねめ)が見投げしたのを帝がお聞きになって、行幸などされたというのが、大変素晴らしい。
「寝くたれ髪を(わぎもこが 寝くたれ髪を 猿沢の 池の玉藻と 見るぞかなしき/猿沢の池に浮かぶ水草を見ていると 愛しい人の寝乱れた髪を思い出して悲しい)」
 と、柿本人麻呂が詠んだことなどを思うと、その素晴らしさは言うまでもない。御前の池は、
〈どういうつもりで「おまえの池」なんてつけたの〉
 と知りたくなる。かみ(上か神か)の池。狭山の池は、
「三稜草(恋すてふ 狭山の池の 三稜草 こそ退けば絶えすれ われは根絶ゆる/狭山の池の三稜を引き抜くと根枯れる わたしの恋もかれが来なくなることがあるだろうか『古今六帖』)」
 という歌の素敵なのを思い出すのだろうか。こひぬまの池。はらの池は、
「玉藻な刈りそ(をし たかべ 鴨さへ来居る はらの池の や 玉藻は真根な刈りそや 生ひも継ぐがに や 生ひも継ぐがに/鴛鴦 小鴨 鴨さえも来る 野原の池の ヤ 美しい水草は根こそぎ刈るな また生えてくるのだから ヤ また生えてくるのだから『風俗歌』)」
 という歌があるのもおもしろく思われる。
第三十六段
 節句は、五月の節句に及ぶ月はない。菖蒲や蓬などが薫り合っているのが、ものすごく素敵。宮中の御殿の屋根をはじめとして、話にならない人の住まいの屋根まで、
〈なんとかしてじぶんの所にほかよりたくさん葺こう〉
 と一面に軒に葺いてあるのは、やはりとても目新しい。いつほかの節句でこんことをしたというの。空が一面に曇っている時に、中宮の御殿などには、縫殿寮から薬玉といっていろいろな色の糸を組んで垂らして献上してあるので、それを御帳台が立ててある母屋の柱の左と右につけた。去年の九月九日の重陽の節句の菊を粗末な生絹の布に包んで献上したのが、同じ柱に結びつけて今まであったのを、薬玉と取り替えて捨てるようだ。菊と同じように薬玉は菊の節句まであったほうがいいのだろうか。でも、薬玉は、みな垂れた糸を引っ張り取って物を結ぶのに使ったりするから、少しの間も残っていない。
 中宮様に節句のお食事をさし上げ、若い女房たちは、菖蒲の腰ざしや、物忌みの鬘をつけたりして、さまざまな唐衣や汗衫(かざみ)などに、風雅な折り枝を、長い菖蒲の根に村濃染めの組紐で結びつけてあるなど、珍しいことのように言うべきことでもないが、とてもおもしろい。毎年春が来るたびに咲くからといって、桜を平凡だと思う人がいるだろうか、いや、いるはずがない。
 外を歩きまわっている童女たちなどが、それぞれの身分に応じて、
〈ずいぶんお洒落したな〉
 と思って、絶えず袂を見つめて、人のと比べたりして、
〈言いようもないほど素敵〉
 と思っている菖蒲の飾りを、ふざけあっている小舎人童などに引っ張られて泣くのもおもしろい。紫の紙に楝(栴檀)の花を結び、青い紙に菖蒲の葉を細く巻いて結び、また白い紙を菖蒲の根でひきむすんであるのもおもしろい。とても長い菖蒲の根を、手紙の中に入れてあるのを見る気持ちなども、華やかな感じ。
「返事を書こう」
 と親しく相談して話し合っている同士は、来た手紙をお互いに見せ合ったりなどするのもとてもおもしろい。相当な人の娘や、貴い方々にお手紙などをさし上げる男性も、今日は格別に気を配るから、優雅だ。夕暮れの頃に、ほととぎすが一声鳴いて飛んでいくのも、なにもかも素晴らしい。
第三十七段
 花の木でないのは、楓。桂。五葉松。たそばの木(かなめもち)は、気品がない気がするが、花が咲く木々がすっかり散って、あたりが緑になっている中で、時を選ばず、濃い紅葉が艶々して、思いもしない青葉の中から現れているのは、新鮮だ。まゆみは、今さら言うまでもない。取り立てて言うほどのものではないが、宿り木という名前は、とてもしみじみとした趣がある。榊は、臨時の祭りの神楽の時などにかざして舞うのが、とても風雅だ。世の中に木はたくさんあるが、榊は神の御前の木として生えはじめたらしいのも、格別におもしろい。楠の木は、木立の多い所でも、特にほかの木に混じって植えてあることはない。鬱蒼と茂ったのを想像すると気味が悪いが、千の枝に分かれていて、恋する人の千々(ちぢ)に乱れる例として言われているのを、
〈誰が千の枝だと知って言い始めたのだろう〉
 と思うとおもしろい。檜の木は、これも人里近くには生えてないが、建築材料として、
「三葉四葉の殿造り(この殿はむべも むべも富みけり さき草のあはれ さき草の はれ さき草の 三つば 四つばの中に 殿づくりせりや 殿づくりせりや『催馬楽「この殿は」』)」
 と歌われているのもおもしろい。五月に雫で五月雨の音を真似るというのも、風情がある。かえで(鶏冠樹)の木は、小さいのに芽を出した葉の先が赤くなって、同じ方向に広がっている葉の様子や、花もひどく頼りなさそうに、虫などがひからびたのに似ているのが、おもしろい。
「あすは檜の木(明日は檜になろう)」
 は、世間の手近な所で見たり聞いたりすることはなく、御嶽(金峰山)に参詣して帰って来る人などが、持ってくるようで、その枝ぶりなどが、とても手で触れそうにないほど荒々しいけれど、どういうつもりで、
「あすは檜の木」
 と名づけたのだろう。あてにならない約束の言葉ではないか。
〈誰にあてにさせているのだろう〉
 と思うと、その相手を聞きたくておもしろい。ねずみもちの木は、ほかの木と同等に扱うべきではないが、葉が大変細かくて小さいのが、おもしろい。楝の木(栴檀)。山橘。山梨の木。椎(しい)の木は、常緑樹はいろいろあるのに、こればかりが、葉が変わらない例として詠まれているのはおもしろい。
 白樫という木は、まして奥山の木の中でもあまりにも縁遠く、三位や二位の袍を染める時ぐらいに、葉だけを見ることができるようだから、おもしろいこと、素晴らしいことと取り立てて言うほどのことではないが、どこということもなく雪が降り積もっているのに間違えられ、須佐之男命(すさのおのみこと)が、出雲の国にお出かけになったことを思って、人麻呂が詠んだ歌などを考えると、大変感慨深い。その時々で、なにか一つ、〈いいなあ〉とか〈おもしろい〉とか聞いて心に残っているものは、草も木も鳥も虫も、おろそかにはとても思えない。※白樫を実際に見たことがない作者が、葉は白いものと誤って記したのだろう。白樫とは材が白いからそう言う。
 ゆずり葉がたいそうふさふさとして艶があり、茎がとても赤くきらきらして見えているのは、品がないけれどおもしろい。普通の月には見かけないのに、十二月の末日だけ重宝されて、
〈亡くなった人の精霊に供える食物に敷くものか〉
 と思うと、しみじみとするが、一方、寿命を伸ばす歯固めの食膳の飾りにも使っているようだ。
「紅葉せむ世や(旅人に 宿かすが野の ゆづる葉の 紅葉せむ世や 君を忘れむ/旅人に宿を貸してくれたあなた ゆずり葉が紅葉するようなことがあったら あなたを忘れるだろう※ゆずり葉は常緑樹で紅葉しないからこう詠んだ『夫木抄・雑四』)」
 と歌に詠まれているのも頼もしい。柏木は大変おもしろい。葉を守る神様がいらっしゃるのも尊い。兵衛督(ひょうえのかみ)、佐(すけ)、尉(じょう)などを柏木と言うのもおもしろい。格好はよくないけれど、棕櫚(しゅろ)の木は、中国風で、身分の低い家の物とは見えない。
第三十八段
 鳥は、異国のものだが、鸚鵡(おうむ)はとてもかわいい。人の言うことを真似るそうだ。ほととぎす。水鶏(くいな)。鴫(しぎ)。都鳥。鶸(ひわ)。ひたき。
 山鳥は、友を恋しがっている時に、鏡を見せると、映った姿を友と思って安心するそうだが、その純真さは、とても胸に染みる。雄と雌が谷を隔てて寝ている夜の間は、気の毒だ。鶴は、とても大げさな格好だけれど、鳴く声が天まで聞こえるのは、とても素晴らしい。※「鶴ハ九皐ニ鳴キ 声ハ天ニ聞ユ(詩経・小雅)」頭の赤い雀。斑鳩(いかるが)の雄鳥(おすどり)。たくみ鳥。
 鷺(さぎ)は、見た目もひどく見苦しい。目つきなども、気味悪くすべてにおいて親しめないけれど、
「ゆるぎの森にひとりは寝じ(高島や ゆるぎの森の 鷺すらも ひとりは寝じと 争ふものを/高島のゆるぎの森に住む鷺でさえ 一人では寝ないと妻を争うのに『古今六帖・第六』)」
 と妻争いをするというのがおもしろい。水鳥は、鴛鴦(おしどり)がとても愛しい。お互いに位置を変えて、羽の上の霜を払うところなどが。千鳥は、とても素敵。
 鶯は、漢詩などでも素晴らしい鳥と詠われ、声をはじめとして、姿も形もあれほど上品で美しいのに、宮中で鳴かないのはひどくつまらない。人が、
「宮中では鳴かない」
 と言ったのを、
「そんなことはない」
 と思っていたけれど、十年ほど宮中に仕えて聞いていたが、本当にまったく鳴き声がしなかった。それにしても、宮中は竹の近くに紅梅もあって通って来るにはうってつけの場所があるのに。宮中から退出して聞くと、みすぼらしい家の見どころもない梅の木などでは、うるさいほど鳴いている。夜鳴かないのを眠たがりのような気がするけれど、今さらどうしようもない。夏や秋の末まで年老いた声で鳴いて、
「虫食い」
 などと、身分や教養のない者は名を変えて言うのが、残念で不思議な気がする。それも雀などのようにいつもいる鳥なら、そんなふうには思わないが。鶯は春鳴くと決まっているから残念な気がするのだろう。
「年たちかへる(あらたまの 年立ちかへる あしたより 待たるる物は 鶯の声/年が最初に戻る正月の朝から 待ち遠しいのは鶯の声『拾遺集・春』)」
 などと風情ある鳥として、歌にも詩にも詠われるようだ。やはり春の間だけ鳴いているのなら、どんなに素敵なことだろう。人間だって、人並みでなく、世間から軽蔑されるようになった人を、改めて非難することがあるだろうか。鳶(とび)や烏(からす)などのことを気をつけて見たり聞いたなどする人は、世間には決していない。そういうわけだから、
〈鶯は漢詩文にも詠まれる素晴らしい鳥になっているのだから〉
 と思うと、季節外れに年老いた声で鳴くのは不満な気がする。
 賀茂祭の帰りの行列を見るというので、雲林院(うりんいん)や知足院(ちそくいん)などの前に牛車を立てていると、ほととぎすも我慢できないのだろうか、鳴くと、鶯がその鳴き声をそっくり真似て、小高い木の中でほととぎすと一緒に鳴いているのは、さすがにおもしろい。
 ほととぎすは、今さら言うこともない。いつの間にか得意そうに鳴いているのが聞こえているのに、卯の花や花橘などに止まってなかば隠れているのも、憎らしいほど素晴らしい風情である。
 五月雨の頃の短い夜に目を覚まして、
〈なんとかして人より先に聞きたい〉
 と待っていると、夜更けに鳴き出した声が、上品で美しく魅力があるのは、たまらなく心がひかれて落ち着かず、どうしようもない。六月になると、まったく鳴かなくなるのは、なにを言っても愚かなほどいい。
 夜鳴くものは、なにもかも素晴らしい。赤ん坊だけはそうではないけれど。
第三十九段
 優雅なもの。薄紫色の上に白襲(しらがさね)の汗衫(かざみ)。軽鴨(かるがも)の卵。削り氷に甘葛(あまずら/甘味料)を入れて、新しい金属製の碗に淹れてあるの。水晶の数珠。藤の花。梅の花に雪が降りかかっているの。とても可愛らしい幼児が苺(いちご)などを食べているの。
第四十段
 虫は、鈴虫。蜩(ひぐらし)。蝶(ちょう)。松虫。こおろぎ。きりぎりす。われから(海藻についている虫)。蜉蝣(かげろう)。蛍。箕虫(みのむし)は、とてもあわれ深い。鬼が生んだ子なので、
〈親に似て、この子も恐ろしい心を持っているだろう〉
 と、親が粗末な着物を着せて、
「もうすぐ秋風が吹く頃になったら迎えに来る。待っていなさい」
 と言っておいて、逃げて行ったのも知らないで、風の音を聞いてわかり、八月頃になると、
「ちちよ、ちちよ」
 と頼りなさそうに鳴く。ひどくあわれである。
 額(ぬか)づき虫も、またあわれだ。あんな小さな虫の心で道心をおこして、額をつけて拝みまわっているとは。思いがけず暗い所などで、ことこと音を立てて歩き回っているのがおもしろい。
 蝿(はえ)こそは憎いものの中に入れるべきで、これほど可愛げがないものはない。一人前に目の敵にするほどの大きさではないが、秋などはどんなものにもとまり、顔などに濡れた足でとまったりする。人の名前に「蝿」がついてるのなんて、ひどくいやだ。
 夏虫は、とてもおもしろく可愛らしい。灯りを近くに引き寄せて物語など見ていると、綴じ本の上などに飛び回るのは、大変おもしろい。蟻(あり)はひどく嫌だが、すごく身軽で、水の上などをひたすらあちこち歩き回るのはおもしろい。
第四十一段
 七月頃に、風がひどく吹いて、雨などが騒がしく降る日、だいたいとても涼しいので、扇もすっかり忘れている時に、汗の匂いが少し残っている綿入れの着物の薄いのを、すっぽりとかぶって、昼寝しているのはおもしろい。
第四十ニ段
 似合わないもの。身分の低い者の家に雪が降り積もっているの。また、月がさし込んでいるのも不満。月の明るい時に屋形のない粗末な車に出会ったの。また、そんな車にあめ牛(あめ色の牛。上等な牛とされた)をつないでいるの。また年取った女が、お腹を大きく(妊娠)して歩いているの。そんな女が若い男を持っているのさえみっともないのに、
「ほかの女の所へ通っている」
 と腹を立てているとは。年老いた男が寝ぼけているの。また、そんなふうに年老いて鬚(ひげ)だらけの男が、椎の実を前歯でかんでたべているの(一説に拾って食べる)。歯のない女が梅を食べて酸っぱがっているの。身分の低い女が、緋の袴をはいているの。この頃はそんなのばかり。
 靫負佐(ゆげいのすけ/衛門の佐)の夜の巡察の姿。その狩衣姿もひどく賤しそう。人に恐れられる赤色の袍は、大げさである。女の部屋のあたりをうろうろするのを見たら、軽蔑したくなる。それなのに、
「怪しい者はいないか」
 と、尋問する。部屋に入り込んで、香が焚いてある部屋の几帳に掛けてある袴など、まったくどうしようもない。
 美貌の君達が、弾正台の次官でいらっしゃるのは、大変見苦しい。宮の中将(源頼定)などの在職中は、本当に嫌だった。※弾正台ー役人の不正や内外の非行を問いただし、風俗を取り締まる官庁。
第四十三段
 細長い廂の間に女房たちが大勢座っていて、通る人にうるさく話しかけたりする時に、さっぱりとした従者や小舎人童などが、立派な包みや袋などに着物を包んで、中の指貫のくくり紐などが見えてるのや、弓、矢、楯などを持って歩いて来るから、
「誰のなの」
 と尋ねると、膝まずいて、
「なになに殿ので」
 と言って行くのはよい。気取って恥ずかしがって、
「知りません」
 と言ったり、なにも言わないで行ってしまう者は、ひどく憎らしい。
第四十四段
 主殿司(とのもりづかさ/後宮の清掃、灯火、薪炭などをつかさどる職)の女官こそ、やはり素晴らしいものといえる。下級の女官の身分では、これほど羨ましいものはない。身分のある人にもさせたい仕事のようだ。若くて美しい人が、服装などきれいにしていたら、なおさら良いだろう。少し年を取って、物事の先例を知って、物怖じしないのも、その場にふさわしく感じがよい。
〈主殿司の女官で、愛嬌のある顔の子を一人持って、装束は季節に合わせて、裳、唐衣などを現代風に仕立てて、歩かせたい〉
 と思う。
第四十五段
 召使いの男は、また随身(ずいじん/近衛の舎人)こそ素晴らしいではないか。とても美しく着飾って素晴らしい貴公子たちでも、護衛の随身がいないのではひどく興ざめである。弁官などは、
〈とても立派な官だ〉
 と思っているが、下襲の裾(きょ/すそ)が短くて、随身がいないのが、ひどくみっともない。
第四十六段
 中宮職の御曹司(みぞうし)の西面(にしおもて)の立蔀(たてじとみ/目隠しの板壁)の所で、頭弁(とうのべん/藤原行成)が、ある女房と長話をして立っていらっしゃるので、出て行って、
「そこにいるのは誰」
 と言うと、
「弁でございます」
 とおっしゃる。
「何をそんなに話していらっしゃるの。大弁(座右弁官局の長官)が見えたら、あなたを捨ててしまうでしょうに」
 と言うと、たいそう笑って、
「誰がこんなことまで話して知らせたのだろう。
『捨てて行かないでくれ』
 と話しているところです」
 とおっしゃる。
〈頭弁は、優れていると見られるよう聞かれるように、 風流な方面を表に出すようなことはなく、平凡な人のよう〉
 と、ほかの人はみんなそう思っているが、わたしはやはり深みがあって心ひかれるような性格を見て知っているので、
「普通の方ではありません」
 などと、中宮様にも申し上げ、また、中宮様もそのようにご承知でいらっしゃったが、頭弁はいつも、
「『女はじぶんを愛する者のために化粧をする。男はじぶんをわかってくれる人のために死ぬ(史記・刺客列伝)』
 と言っている」
 と、わたしと話し合ったりしながら、わたしが頭弁を理解していることをよく知っていらっしゃる。
「とほたあふみの浜柳(霰降り 遠江の 吾跡川楊 刈りぬとも また生ふといふ 吾跡川楊/遠江の吾跡川のほとりに生えている楊 刈ってもまた生えてくるという吾跡 川のほとりの楊(万葉集・1293)いつまでも変わりなく仲良く」
 と、頭弁とわたしは約束をしているのに、若い女房たちは、見苦しいことなどを、思った通りのことを平気で言うので、
「あの君はいやにつき合いにくい。ほかの人のように歌を謡って楽しんだりしないし、おもしろくない」
 などと非難する。それでも頭弁は、いっこうにあれこれの女房に話しかけたりしないで、
「わたしは、目が縦について、眉が額の方に生えあがり、鼻が横向きだとしても、ただ口元に愛嬌があって、顎の下や首がきれいで、声が憎らしそうでない人だけを好きになれそうだ。でも、そうは言っても、やはり顔がひどく憎らしい人は嫌だね」
 とばかりおっしゃるので、なおさら顎が細く、愛嬌のない人などは、わけもなく目の敵にして、中宮様にまで悪く申し上げる。
 頭弁は、中宮様になにかを申し上げる時でも、最初に取り次ぎを頼んだわたしを探し、部屋に下がっている時にも呼び出し、いつも来て話をし、里にいる時には、手紙を書いたり、ごじぶんがいらっしゃって、
「参内が遅くなるなら、
『このように頭弁が申しております』
 と中宮様に使いを出してください」
 とおっしゃる。
「それはわたしでなくても、誰かがいるでしょう」
 などと言って人に譲ろうとすると、
〈どうしても承知しない〉
 といったふうでいらっしゃる。
「なにごともその場に応じて、一つに決めないで対処するのを、よいこととしています(『衣冠ヨリ始メテ車馬ニ及ブマデ有ルニ随ヒテ之ヲ用ヰヨ、美麗ヲ求ムルコトナカレ』九条師輔からの引用)」
 と助言するけれど、
「わたしの持って生まれた性格だから」
 とだけおっしゃって、
「変えられないのは性格(『稟ル所ニ巧拙有リ、改ム可カラザルハ性ナリ』白氏文集・詠拙)」
 とおっしゃるので、
「それでは、
『変えるのに遠慮はいらない(「過チテハ則チ改ムルニ憚ルコトナカレ」論語・学而篇)』
 とは、何を言うのでしょう」
 と不思議がると、笑いながら、
「『仲よし』
 などと人に言われる。このように話しているなら、恥ずかしいことはない。顔を見せてもいいではないか」
 とおっしゃる。
「ひどく憎らしい顔ですから、
『そういう人は好きになれない』
 とおっしゃっていたから、見せられないのです」
 と言うと、
「なるほど、あなたを嫌いになるといけないな。それでは、顔は見せないで」
 とおっしゃって、自然とわたしの顔が見られる時でも、ごじぶんの顔をふさいだりしてご覧にならないので、
〈本当に、嘘はおっしゃらない〉
 と思っていたところ、三月の末頃は、冬の直衣が暑苦しいのだろうか、袍(ほう)だけの人が多く、殿上の宿直姿の人もいる。翌朝日が出てくるまで、式部のおもとと小廂(こびさし)の間で寝ていると、奥の引き戸をお開けになって、帝と中宮様が出て来られたので、起きるに起きられなくてうろたえているのを、たいそうお笑いになる。唐衣(からぎぬ)をそのまま汗衫(かざみ)の上に着て、夜具やなにかが埋もれている所にいらっしゃって、陣(警備の役人の詰所)から出入りする者たちをご覧になる。殿上人の中になにも知らないで寄って来て話しかけたりする者がいるのを、
「気づかれないように」
 とおっしゃってお笑いになる。そして出て行かれる。
「二人とも、さあ一緒に」
 とおっしゃるが、
「すぐに顔などを整えましてから」
 と言って参上しない。
 帝と中宮様が奥にお入りになった後も、やはり素晴らしい様子などを式部のおもとと話していると、南の引き戸の そばの、几帳の手(両端)が突き出ているのに引っ掛かって、簾が少し開いている所から、黒っぽいものが見えるので、
〈則隆(橘則隆/清少納言の夫則光の弟)がいるのだろう〉
 と思って、見もしないで、やはり別のことを話していると、とてもにこにこしている顔が出てきたのだが、それも
〈やはり則隆だろう〉
 と見たら、違う顔だった。
「驚いたわ」
 と笑って騒いで、几帳を引き直して隠れると、頭弁でいらっしゃった。
〈顔をお見せしないようにしていたのに〉
 と、とても残念だ。一緒にいた式部のおもとは、こっちを向いていたので、顔も見られなかった。頭弁は出てきて、
「すっかり見てしまったよ」
 とおっしゃるので、
「則隆と思っていたので、油断してたのです。どうして
『見ない』
 とおっしゃっていたのに、そんなにじろじろと」
 と言うと、
「『女は寝起きの顔を見るのが、ひどく難しい』
 と言うから、ある人の部屋に行って覗いて見て、
〈あなたの顔も見られるかも〉
 と思って来たのです。まだ帝がいらっしゃった時からいたのに、気づかなかったのだね」
 とおっしゃって、それから後は、簾をくぐって入って来たりなさるようだ。
※藤原行成は一条帝時代の才子で、『大鏡』にも逸話が。作者と気が合うが、作者のほうが十歳年長。  
第四十七段
 馬は、とても黒くて、ただ少し白い所があるの。栗毛のまだらがついているの。葦毛。薄紅梅色の毛で、たてがみや尾などがとても白いの。実際、「木綿髪(ゆうかみ)」とも言えるだろう。
 黒い馬で、足が四つ白いのも、とてもよい。
第四十八段
 牛は、額はとても小さく白みを帯びていて、腹の下、足、尻尾など全部白いの。
第四十九段
 猫は、背中だけ黒くて、腹はとても白いの。
第五十段
 雑色(ぞうしき/雑役の無位の役に)や随身(ずいじん)は、少し痩せてほっそりしているのがいい。男は、やはり若いうちは、そんなふうなのがいい。ひどく太っているのは、眠たそうに見える。
第五十一段
 小舎人童は、小さくて、髪がとてもきちんと整って、さらっとしていて、少し艶があるのが、声がきれいで、かしこまって何か言っているのが、利発な感じがする。
第五十ニ段
 牛飼いは、体が大きくて、髪が荒っぽい感じで、顔は赤くて、気がきいているの。
第五十三段
 殿上の名対面(なだいめん/午後十時頃に行われる宿直の点呼)はやはりおもしろい。帝の御前に点呼の番の蔵人がつめている時は、殿上の間に戻らないで、そのまま点呼をとるのもおもしろい。殿上人たちの足音がしてどやどやと出て来るのを、弘徽殿(こきでん)の上の御局(みつぼね)の東面の所でわたしたち女房は耳をすまして聞いているのだが、じぶんの恋人の名前が出た時には、思わず例によってどきどきすることだろう。また、なんの連絡もしてこない人などの名を、こういう時に聞いたらどう思うだろう。「名乗り方がいい」「悪い」「聞きにくい」などと批評するのもおもしろい。
〈殿上の名対面は終わったようだ〉
 と聞いているうちに、滝口の武士が弓弦(ゆずる)を鳴らし、沓の音がし、ざわめいて清涼殿の前庭に出てくると、蔵人が足音高く板敷をごとごとと踏み鳴らして、東北の隅の高覧の所に「高膝まずき」という座り方で、御前の方に顔を向けて、滝口の武士には背を向けて、
「誰々は控えているか」
 と尋ねるのがおもしろい。高い声であるいは細い声で名乗り、そして、何人かが伺候せず、規定の三人に達しないと、名対面を行わないことを滝口が蔵人を通して奏上するのだが、蔵人が、
「どうしてだ」
 と尋ね、滝口が差し障りの理由を申し上げる、それを聞いて蔵人は帰るのだが、蔵人の方弘(源方弘/みなもとのまさひろ)は、
「理由を聞かないで帰った」
 と、君達が注意したところ、方弘はものすごく腹を立てて滝口を叱り、責めたので、また滝口の武士にまで笑われた。
 後涼殿(こうろうでん)の御厨子所(みずしどころ/宮中で食事をととのえる所)の御膳棚(おものだな/膳が置いてある棚)に方弘が沓を置いて、大騒ぎになったのを、とてもおもしろがって、
「誰の沓でしょう。知らないわ」
 と、主殿司(とのもづかさ/清掃・灯火・薪炭などをする職)の女官やほかの人たちがかばったのに、
「やあやあ、それは方弘の汚ないものです」
 とじぶんから言って、いっそう騒がれた。
第五十四段
 若くてまあよい身分の男が、身分の低い女の名前を呼び慣れて言うのは、憎らしい。名前を知っていても、
〈なんと言うのだったかなあ〉
 と、名前の一部は思い出せないように言うのは趣がある。宮仕えする所の部屋に立ち寄って、夜などは都合が悪いだろうが、宮中なら主殿司(とのもづかさ)、宮中でない普通の家では、侍所などにいる者を連れて行って、女を呼ばせるのがいい。じぶんから呼んだら声でわかってしまうから。
 下女や童などは、じぶんで呼んでもかまわない。
第五十五段
 若い人や乳児などは、太っているのがいい。受領などの年輩の人もふっくらしているのがいい。
第五十六段
 幼い子は、奇妙な弓やむちのような物などを振り回して遊んでいるのが、とても可愛らしい。そんな幼い子に出会ったら、車など止めて、抱いて入れて見てみたい気がする。また、車で行くと、薫物(たきもの)の香りがたいそう漂ってくるのは、とても風情がある。
第五十七段
 立派な邸の中門が開けてあって、檳榔毛(びろうげ)の車の白くきれいなのが、蘇芳色(すおういろ)の下簾の鮮やかな色合いで、榻(しじ/轅を置く台)にちょっと立ててあるのは素晴らしい。五位、六位の者などが、下襲の裾を石帯(せきたい) にはさんで、真っ白な笏(しゃく) に扇をちょっと置いたりしてすれ違い、また、正装をして、壺胡籙(つぼやなぐい/矢入れ)を背負った随身が出たり入ったりしているのは、とてもふさわしい。厨女(くりやめ/台所女)のこざっぱりしたのが、邸から出て来て、
「誰々殿のお供の方はいらっしゃいますか」
 などと言うのもおもしろい。
第五十八段
 滝は音無(おとなし)の滝。布留(ふる)の滝は、法王がご覧に行かれたというのが素晴らしい。那智(なち)の滝は、霊場熊野にあると聞くので、しみじみと感慨深い。轟(とどろき)の滝は、どんなにうるさくて恐ろしいことだろう。
※布留の滝は、光孝天皇が行幸したことはあるが、法王の御幸の史実は未詳。
第五十九段
 川は飛鳥川。淵瀬も一定していなくて、
〈どんな川なのだろう〉
 と心ひかれる。
※「世の中は なにか常なる あすか河 昨日の淵ぞ 今日は瀬になる/世の中は変わらないことがあるだろうか 飛鳥川は昨日淵だったところが 今日は浅瀬になっている(古今集雑下・読人しらず)」
 大井川。音無川。七瀬川。耳敏川(みみとがわ)、
〈またも何をそんなに早く聞きつけたのだろう〉
 と、おもしろい。玉星川(たまほしがわ)。細谷川(ほそたにがわ)。いつぬき川、沢田川などは催馬楽(さいばら)などを思い出させるだろう。名取川は、
「どんな評判を取ったのだろう」
 と聞いてみたい。吉野川。天の川原(かわら)は、
「七夕つめに宿からむ(狩り暮し 七夕つめに 宿からむ 天の河原に 我は来にけり/一日中狩りをして日が暮れたので 七夕姫に宿を借りよう いつのまにか天の河原にわたしは来ていた『古今集
羇旅・在原業平』)」
 と、業平が詠んだというのも風情がある。
第六十段
 夜明け前に帰っていく人は、装束などをきちんと整えたり、烏帽子の紐を元結に結ばなくてもいいのではないかと思われる。ひどくだらしなく、見苦しく、直衣や狩衣などをゆがめて着ていても、誰がそれを見て笑ったりけなしたりするだろうか。
 男は、やはり夜明け前の別れ方に、風情があってほしいものだ。ひどくぐずぐずして起きたくなさそうなのを、無理に急き立てて、
「夜が明けた。ああ、みっともない」
 などと言われて、ため息をつく様子も、
〈本当に別れたくなく、帰る気がしないのだろう〉
 と思われる。指貫なども、座ったままで履こうともしないで、まず女に近寄って、昨夜話したことの残りを、女の耳に囁いて、何をするというわけでもないが、帯などを結ぶようである。格子を押し上げて、妻戸のある所は、そのまま一緒に女を連れて行って、昼の間逢えないのが心配でならないことを言いながらそっと出てゆくのは、女も自然と見送ることになり名残惜しいことだろう。
 一方、男に思い出す所があって、たいそう思いきりよく起きて、ばたばた騒ぎ立てて、指貫の腰ひもをごそごそと結び、直衣や袍や狩衣の場合も、袖をまくって、腕をぐっとさし入れ、帯を非常にしっかりと結び終えて、ひざまずいて、烏帽子の緒を強く結び入れて、頭にかぶる音がして、扇や畳紙(たとうがみ)などを昨夜枕元に置いたけれど、自然に散らばってしまい、捜しても暗いので見えない。
「どこだ、どこだ」
 と、そこら中を叩きまわってやっと捜し出して、扇をばたばたと使い、懐紙を懐に入れて、
「失礼する」
 ぐらいは言うようだ。
第六十一段
 橋は、あさむつの橋。長柄(ながら)の橋。あまひこの橋。浜名の橋。ひとつ橋。うたたねの橋。佐野の船橋。堀江の橋。かささぎの橋。山菅(やますげ)の橋。おつの浮橋。板一枚渡してある棚橋。心が狭い感じだが、名前を聞くとおもしろい。
第六十二段
 里は、逢坂の里。ながめの里。寝覚(いざめ)の里。人妻の里。たのめの里。夕日の里。つまとりの里は、
〈妻を取られたのだろうか、それとも人の妻を取ってじぶんのものにしているのだろうか〉
 と、おもしろい。伏見の里。朝顔の里。
第六十三段
 草は、菖蒲(しょうぶ)。菰(こも)。葵は、とてもおもしろい。神代からはじまって、あのような髪に挿す物となったのが、とても素晴らしい。葉の形も、たいそうおもしろい。沢瀉(おもだか)は、面高(おもだか)という名前がおもしろい。
〈面高だから、思い上がっているだろう〉
 と思うので。三稜草(みくり)。ひるむしろ(浜人参)。苔(こけ)。雪の間の若草。こだに(蔦の一種)。かたばみは、綾織物の紋様になっているのも、ほかの草よりはおもしろい。
 あやう草は、崖っぷちに生えているというのも、「危うい」という名前の通り頼りない。いつまで草は、これまたはかなくかわいそう。崖っぷちよりも、こっちの方が崩れやすいだろう。
〈本格的な漆喰壁などには、とても生えないだろう〉
 と思われるのが欠点だ。事なし草は、
〈思うことを成し遂げるだろう〉
 と思うのもおもしろい。
 しのぶ草は、とてもあわれだ。道芝は、とてもおもしろい。茅花(つばな)もおもしろい。蓬(よもぎ)は、たいそうおもしろい。山菅(やますげ)。日陰(ひかげ)。山藍。浜木綿(はまゆう)。葛(くず)。笹。あおつづら。薺(なずな)。苗。浅茅(あさじ)は、とてもおもしろい。
 蓮の葉は、ほかのどんな草よりも優れて素晴らしい。「妙法蓮華」の例えにして、花は仏に奉り、実は数珠の玉に貫き、阿弥陀仏を祈念して極楽往生の縁にするのだから。そして花のない夏の頃に、緑色の池の水に紅く咲いてるのも、実に素晴らしい。「翠翁紅(すいおうこう/煙翠扇ヲ開ク清風ノ暁。水紅衣ヲ泛ブ白露ノ秋。『和漢朗詠集』)」
 とも漢詩に作られているから。
※漢詩の「翠扇」は蓮葉、「紅衣」は蓮花だが、『翠翁紅』と、「扇」ではなく「翁」と書いてあるのは、誤写だろう。
 唐葵(からあおい/たちあおい)は、日の光が移るに従って花が傾くというのは、草木とは言えないような分別がある。さしも草。八重葎(やえむぐら)。つき草(露草)は、色が褪せやすいというのが嫌だ。
第六十四段
 草の花は、なでしこ。唐なでしこ(石竹)は言うまでもない。日本のなでしこも、とても素晴らしい。女郎花(おみなえし)。桔梗(ききょう)。朝顔。かるかや。菊。つぼすみれ。竜胆(りんどう)は、枝ぶりなども入り組んで煩雑だけれど、ほかの花がみんな霜枯れているのに、とても際立った色彩で姿を現しているのは、とてもおもしろい。また、わざわざ取り上げて、一人前の花として扱うべきでもないけれど、かまつかの花は、可愛らしい。「かまつか/鎌柄」という名前は嫌だけれど。「雁の来る花」と、文字では書いている。
 かにひの花は、色は濃くないけれど、藤の花ととてもよく似ていて、春と秋に咲くのがおもしろい。
 萩は、とても色が濃く、枝もしなやかに咲いているのが、朝露に濡れて、なよなよと広がってうつむいているのがいい。牡鹿が好んで寄って来るらしいのも、ほかの花とは違う。八重山吹。
 夕顔は、花の形も朝顔に似ていて、朝顔、夕顔と続けて言うと、とても素敵な花の姿なのに、実の形がとても残念だ。どうしてあんなに大きな実がなるように生まれたのだろう。せめて酸漿(ほおずき)くらいの大きさであってほしい。でも。やはり夕顔という名前だけはおもしろい。しもつけの花。葦の花。
「この『草の花は』の中に薄(すすき)を入れないのは、とても変だ」
 と、人は言うようだ。秋の野を通じての風情は薄にこそある。穂先が蘇芳色で、とても濃いのが、朝露に濡れて靡いているのは、これほどのものがほかにあるだろうか。でも、秋の終わりは、まったく見所がない。いろいろの色に咲き乱れていた花が跡形もなく散ったのに、冬の末まで、頭が真っ白く乱れ広がっているのも知らないで、昔を思い出しているような顔で風になびいてゆらゆら揺れているのは、人間にとてもよく似ている。このようになぞらえる気持ちがあるから、薄のことを特にあはれと思うのだろう。
第六十五段
 歌集は、万葉集。古今集。
第六十六段
 歌の題は、都。葛(くず)。三稜草(みくり)。駒。霰(あられ)
第六十七段
 不安なもの。比叡山で十二年の山籠りをしている法師の女親。知らない所に、闇夜なのに行った時に、
「姿がはっきり見えてはいけない」
 ということで、灯りもつけないで、それでも並んで座っているの。新しい召使いで性格もよくわからないのに、大切な物を持たせて、人の所に使いに出したところ、遅く帰って来るの。口もきけない赤ん坊が、そっくりかえって、人にも抱かれようともしないで泣いているの。
第六十八段
 比較しようがないもの。夏と冬と。夜と昼と。雨が降る日と日が照る日と。人が笑うのと腹を立てるのと。年取っているのと若いのと。白いのと黒いのと。愛する人と憎む人と。同じ人でありながら、愛情のある時と変わってしまった時では、本当に、
〈別人ではないか〉
 と思われる。火と水と。太っている人と痩せている人。髪が長い人と短い人と。
 夜に烏(からす)がたくさんとまっていて、夜中頃に寝ぼけて騒ぐ。落ちそうになって慌て、木を伝わって、寝起きの声で鳴いているのは、昼間の感じとは違っておもしろい。
第六十九段
 人目を忍んで逢っている場所では、夏がおもしろい。非常に短い夜が明けてしまうので、まったく寝ないでいたことになる。前夜からそのままどこも開けっ放しにしてあるので、涼しくあたりを見渡すことができる。やはりもう少し言いたいことがあるので、お互いに受け答えなどしているうちに、座っているすぐ上から、烏が高く鳴いて行くのは、見られたような気がしておもしろい。
 また、冬の夜、とても寒いので、夜具をかぶったまま聞くと、鐘の音が、まるでなにかの底からしているように聞こえるのは、とてもおもしろい。鶏の声も、はじめは羽の中で鳴く声が、口ごもったように鳴くので、とても奥深く遠くに聞こえるが、明けてくるにつれて、近くに聞こえるのもおもしろい。
第七十段
 恋人として来ているのは
、言うまでもなく、ただちょっと話したり、また、それほどでもないが、たまたま来たりする人が、簾の内に、女房たちが大勢いて話などしているところに入って座り、すぐには帰りそうもないのを、その人の供の男や童子などが、何度も覗いて、主人の様子を見て、
〈斧の柄も腐ってしまいそうだ〉
 と、嫌でたまらないようで、長々とあくびをして、
〈密かに〉
 と思って言ったらしいが、
「ああ、つらい。まったく煩悩苦悩だよ。もう夜中になっているだろう」
 て言っているのは、ひどく不愉快だ。こんなことを言う者は、取るに足りない者だから、別になんとも思わないが、この座っている人のほうが、
「風情がある」
 と見たり聞いたりしたことも消えてしまうように思われる。
 また、それほどはっきりとは言えないで、
「ああ」
 と大きな声で言って、不満そうにため息をついたのも、
「下行く水の(心には 下行く水の わき返り 言はで思ふぞ 言ふにまされる/心の中に地下水がわき返っているように 口に出さないけれどあなたを思っています その思いは口に出して言うより優っています『古今六帖・第五』)」
 という気持ちなのだろうと、かわいそうだ。立蔀(たてじとみ)や透垣(すいがい)などの所で、
「雨が降ってきそうだ」
 などと聞こえよがしに言うのも、ひどく憎らしい。
 格別身分の高い人のお供などは、そんなことはない。貴族の息子などのお供はだいたいよい。それ以下の身分の場合はみなそんなふうに無礼だ。大勢いる従者の中でも、気立てを見極めて連れて歩きたいものだ。
第七十一段
 めったにないもの。舅(しゅうと)に誉められる婿。また、姑(しゅうとめ)に可愛がられるお嫁さん。毛がよく抜ける銀の毛抜き。主人の悪口を言わない従者。まったく癖がない人。容貌、性格、態度も優れていて、長く生きるほど、少しの欠点もない人。同じ所に住んでいる人で、お互いに恥ずかしがって、
〈まったく隙を見せないようにしよう〉
 と思っていても、最後まで隙を見せないようにするのは、難しい。物語や歌集などを書き写す時に元の本に墨をつけないこと。立派な綴じ本などは、非常に気を使って書くけれど、必ず汚ならしくなるようである。男と女の間柄は今さら言わない、女同士でも、深い約束をして親しくしている人で、最後まで仲のよい人はめったにいない。
第七十ニ段
 宮中の局は、細殿がとてもおもしろい。上の方の蔀が上げてあるので、風がたいそう吹き込んで、夏もとても涼しい。冬は雪、霰などが、風と一緒に降り込んでくるのも、とてもおもしろい。部屋が狭くて、童などが来ている時には都合が悪いが、屏風の内側に隠しておいておくと、別の場所の局に来たかのように、大声で笑ったりしないので、大変よい。細殿は、昼なども油断しないで気をつけていなければならない。夜はなおさら気を許すことができそうにないのが、とてもおもしろい。
 一晩中聞こえていた沓の音がとまって、ただ指一本で戸を叩くのが、
〈あの人だな〉
 とすぐにわかるのがおもしろい。ずいぶん長く叩いているのに、
〈音もしなかったら、
《眠ったのか》
 と思うだろう〉
 と癪だから、少し体を動かす衣ずれの音で、
〈起きているようだ〉
 と思ってくれるだろう。冬は女が火鉢にそっと立てる火箸の音も、
〈まわりに気を使ってるな〉
 と聞こえるのに、男がどんどん叩くので、女も仕方なく声に出して返事をするのだが、それをわたしは物陰ににじり寄って聞く時もある。
 また、大勢の声で詩を朗詠したり歌などをうたう時には、戸は叩かないけれど、こちらから先に開けるので、
〈ここへ来よう〉
 と思っていなかった人も立ち止まってしまう。大勢すぎて座る場所もなく立ったまま夜を明かすのもやはりおもしろそうなのに、几帳の帷子がとても鮮やかで、帷子の裾や褄が少し重なりあって見えている局の前で、直衣の後ろに、ほころびが大きくあいている若君たちや、六位の蔵人が、青色の袍などを着て、得意気に、局の遣戸のそばに寄りそって立つこともできなくて、塀の方に背中をくっつけて両袖を合わせて立っているのは、おもしろい。
 また、指貫のとても濃いのをはき、直衣の派手なのを着て、袖口から何枚もの下着をちらつかせている人が、簾を押して、体半分を局に入っているようなのは、外から見ると、とてもおもしろいだろうが、その人がきれいな硯を引き寄せて、手紙を書き、あるいは鏡を借りて、鬢(髪)を直したりしているのは、すべておもしろい。三尺の几帳が立ててあるが、帽額(もこう/簾の上部)の下はほんの少し隙間があるが、外に立っている男と中に座っている女が話をしていて、その顔のところにとてもぴったりなのがおもしろい。背が高い人や低い人はどうだろうか。でも、普通の背の人は、きっと目が合うだろう。
 まして、賀茂の臨時の調楽の時などは、実におもしろい。主殿寮(とのもりづかさ)の役人が、長い松明を高く灯して、首は襟の中に入れて行くので、松明の先が物につきあたりそうだが、おもしろく楽を奏で、笛を吹き立てるので、格別な気持ちでいると、若君たちが束帯姿で局の前に立ち止まり、女房に話しかけたりするので、お供の随身たちが、先払いの声をひそかに短く、じぶんの若君たちのためだけにやっているのも、楽の音にまじって、いつもと違って趣深く聞こえる。
 やはり戸を開けたまま戻って来るのを待っていると、若君たちの声で、
「荒田(あらた)に生(お)ふる富草(とみくさ)の花」
 と謡っているのは、行きの時より今度は、もう少しおもしろいが、どういう生真面目な人なのだろう、そのまま無愛想に歩いて行ってしまう人もいるので、笑うのだが、
「ちょっと待って。
『どうして、そんなにこの夜(世)を捨ててお急ぎになるの』
 とか言うわよ」
 などと言うと、気分でも悪いのだろうか、倒れそうなほど、
〈もしかして人が追いかけてつかまえるのではないか〉
 と思えるほど、慌てて退出する人もいるようだ。
※荒田に生ふる 富草の花 手に摘みれて 宮へまゐらむ なかつたえ『風俗歌・荒田』 
第七十三段
 中宮様が職(しき)の御曹司(みぞうし)にいらっしゃる頃、木立などがずいぶん古びて、建物の様子も高く人けがなくもの寂しいのに、なんとなく趣深く思われる。母屋は、
「鬼がいる」
 というので、南側に間仕切りを設け、南の廂の間に中宮様の御几帳を立てて御座所とし、又廂(孫廂)の間に女房は伺候している。近衛の御門(陽明門)から左衛門の陣(建春門)に参上なさる上達部の前駆たちのかけ声、殿上人のは短いので、大前駆(おおさき/おーしー)小前駆(こさき/しっしっ)と名づけて、聞いては大騒ぎする。何度も重なるので、その声もみんな聞き分けて、
「あの人よ」
「彼よ」
 などと言うと、またほかの女房が、
「違うわよ」
 などと言うので、人をやって見届けさせたりするが、言い当てた者が、
「だから言ったでしょう」
 などと言うのも、おもしろい。
 有明の月の頃、ひどく霧がかかっている庭におりて、わたしたちが歩き回っているのをお聞きになって、中宮様も起きていらっしゃった。御前にいる女房たちは皆端近に出てきて座ったり、庭におりたりして遊ぶうちに、しだいに夜が明けてゆく。
「左衛門の陣に行ってみよう」
 と言って行くと、
「わたしも」
「わたしも」
 と話を聞いて行くと、殿上人が大勢大声で、
「なにがし一声秋(いっせいのあき)」
 と詩を吟じてこちらへ来る音がするので、職の御曹司に逃げ帰って、その殿上人たちと話などする。
「月を見ていらっしゃったのですね」
 などと感心して歌を詠む殿上人もいる。夜も昼も殿上人が訪れない時がない。上達部まで参内なさる途中、特別急ぐことがない方は、必ずこちらへ参上なさる。
※池冷ヤカニシテ水ニ三伏ノ夏ナシ、松高ウシテ風ニ一声ノ秋アリ(和漢朗詠集・納涼 源英明)
第七十四段
 おもしろくないもの、 わざわざ思い立って、宮仕えに出た人が、宮仕えを億劫がって、面倒くさく思っているの。養女で顔の醜いの。婿になるのをためらってた人を、無理に婿しておいて、
「思い通りにならない」
 と、ため息をつくの。
第七十五段
 気持ちよさそうなもの。卯杖の法師。神楽の人長(にんじょう/指揮者)。神楽の振り幡(ふりはた/未詳)とかいうものを持っている者。
第七十六段
 御仏名(みぶつみょう/12月19日から3日間、罪障消滅を祈る仏事)の翌日、清涼殿の地獄絵の屏風を上の御局に持って来て、帝は中宮様にお見せになる。そら恐ろしく気味が悪いことこの上もない。中宮様は
「これを見て、これを見て」
 とおっしゃるけれど、全然見ようとしないで、気味が悪いから小部屋に隠れて寝てしまった。
 雨がひどく降って、退屈だというので、殿上人を上の御局に呼んで、管弦の遊びがある。道方(みちかた/源道方)の少納言は琵琶で、とても素晴らしい。済政(なりまさ/源済政)が箏の琴、行義(ゆきよし/平行義)が笛、経房(つねふさ/源経房)の中将が笙の笛など、おもしろい。一回だけ演奏して、琵琶を弾くのをやめたところで、大納言殿(藤原伊周)が、
「琵琶、声やんで、物語せむとする事おそし」
 と吟唱なさった時に、隠れて寝ていたわたしも起きて、
「やはり屏風絵を見ない仏罰は恐ろしいけれど、こういう素晴らしさは、がまんできない」
 と言ってみなから笑われる。
※琵琶ノ声停ンデ語ラント欲スルコト遅シ(白楽天「琵琶行」)
第七十七段
 頭中将(藤原斉信/ただのぶ)がいい加減な作り話を聞いて、わたしのことをひどくけなして、
「『どうして一人前の人間だと思って誉めたのだろう』
 などと殿上の間でひどいことをおっしゃっている」
 と人から聞くだけでも恥ずかしいけれど、
「噂が事実ならともかく、嘘なのだから、自然と誤解を解いてくださるだろう」
  と笑っていたら、黒戸の前などを通る時にも、わたしの声などがする時には、頭中将は袖で顔を隠してまったく見ようとはしないで、ひどく憎まれるので、わたしはなんとも言わず、見ないようにして過ごしていたら、二月の末、ひどく雨が降って退屈な時に、宮中の物忌みで頭中将も退出できないで宿直になって、
「『やはり寂しくてならない。なにか言ってやろうか』
 とおっしゃっていたわよ」
 と、女房たちが話すが、
「そんなことはないでしょう」
 などと相手にしないで、一日中じぶんの部屋にいて夜に参上したら、中宮様はすでに寝所にお入りになっていた。女房たちは長押の下に灯りを引き寄せて、扁つき(遊戯)をしている。
「まあ、うれしい。早くいらっしゃいよ」
 などと、わたしを見つけて言うが、中宮様がいらっしゃらないのでは興ざめな気持ちがして、
〈なんのために参上したのだろう〉
 と思ってしまう。火鉢のそばに座っていたら、そこにまた、女房たちが大勢座って、話などしていると、
「だれそれが参上しています」
 と、とてもはっきりと言う。
「変だわ。いつの間にわたしがいるのがわかったのかしら」
 と尋ねさせると、主殿司(とのもりづかさ)の男だった。
「ただわたしのほうで人伝でなく直接申し上げたいことが」
 と言うので、出て行くと、男は、
「これは頭中将殿がさし上げられたのです。ご返事を早く」
 と言う。
〈ひどく憎んでいらっしゃるのに、どんな手紙なのかしら〉
 と思うが、今すぐ急いで見るほどでもないから、
「行きなさい。すぐに返事をします」
 と言って、懐に入れて、それでもやはり女房たちの話したりするのを聞いていると、男はすぐに引き返して来て、
「『返事がないなら、さっきの手紙をもらってこい』
 とおっしゃるのです。お返事を早く、早く」
 と言うが、
〈まるで『いをの物語(未詳)』のようね〉
 と思って見ると、青い薄様の紙に、とてもきれいに書いていらっしゃる。
※『いをの物語(未詳/一説に「いせの物語」「魚の物語」「かいをの物語」)』
  不安になって胸がどきどきするようなものではなかった。
「蘭省花時錦帳下(らんせいのはなのときのきんちょうのもと)『白氏文集』」
 と書いて、
「下の句はどうだ、どうだ」
 とあるので、
〈どうしたらいいのだろう。中宮様がいらっしゃるなら、お目にかけるのだが、この下の句を知ったかぶりに、おぼつかない漢字で書くのもあまりにも見苦しい〉
 と、あれこれ考えるひまもなく、返事を急き立てて困らせるので、ともかく、その手紙の余白に、火鉢に消えた炭があるのを使って、
「草の庵を誰かたづねむ」
 と書いて渡したが、それっきり返事も来ない。
 みんな寝て、翌朝ずいぶん早く局に下がったところ、源中将(げんのちゅうじょう/源宣方)の声で、
「ここに『草の庵』はいるか」
 と、おおげさに言うので、
「不思議ね。どうして『草の庵』なんて人間らしくないものがいるのでしょうか。
『玉の台(たまのうてな/美しい御殿)』
 とお探しなら、返事もいたします」
 と言う。
「ああ、よかった。下局でしたね。御前の方で聞いてみようとしてたのです」
 と言って、昨夜あったことを、
「頭中将の宿直所(とのいどころ)に、少し気の利いた者はみな、六位の蔵人まで集まって、いろいろな人の噂を、昔今と話題にして話したついでに、頭中将が、
『やはりあの女と、すっかり絶縁してしまってからはいいことがない。もしかして何か言ってくるのではないかと待っていたが、まったくなんとも思わず、平気な顔をしているのもひどくしゃくだから、今晩このまま無視するのが良いのか悪いのかはっきり決めて終わりにしてしまおう』
 と言って、皆で相談して届けた手紙を、
『「今はここでは見ない」
 と言って中に入ってしまった』
 と、主殿司の男が言うので、また追い返して、
『ただもう、手をつかまえて、有無を言わせないで返事をもらってこないなら、手紙を取り返せ』
 と厳しく言って、あれほど降っている雨のさなかに行かせたところ、とても早く帰って来て、
『これを』
 と言ってさし出したのが、さっきの手紙だから、
『返事を書いたのだな』
 と言って頭中将が一目見るなり、
『おお』
 と叫ぶので、
『妙な、どうしたのだ』
 と、みなが寄って見たところ、
『たいしたやつだな。やはり無視するわけにはいかない』
 と言って、見て大騒ぎして、
『これの上の句をつけて送ろう。源中将つけろ』
 などと、夜が更けるまでつけるのに悩んで、結局つけることができなかったことは、
未来までも、語り草になるな』
 などと皆で言い合ったよ」
 などと、本当にきまりが悪くなるほど話してくれて、
「今はあなたのお名前を、『草の庵』にしたよ」
 と言って、急いでお立ちになるので、
「ひどくみっともない名前が、末代まで残るなんて情けないわ」
 と言っている時に、修理亮則光(すりのすけのりみつ/作者の前夫、橘則光)が、
「大変なお慶びを申し上げようと、御前にいらっしゃると思って来たのです」
 と言うので、
「なにごとですか。司召などがあるとも聞いていないのに、なんの役におなりになったのですか」
 と聞くと、
「いや、本当にとても嬉しいことが昨夜あったので、早く知らせたいとわくわくしながら夜を明かしてしまった。これほど名誉なことはなかった」
 と言って、昨夜のことを最初から、頭中将がお話しになったのと同じことを言って、
「『ともかく、この返事によって、こかけをしふみし(意味不明)、いっさいそんな者がいたとさえ思わない』
 と、頭中将がおっしゃったので、みんなでいろいろ考えて送ったのだが、使いの者が手ぶらで帰って来たのは、かえってよかった。返事を持って来た時は、
〈どうなるだろう〉
 と胸がどきっとして、
〈本当に出来の悪い返事なら、わたしにとっても悪いことかもしれない〉
 と思ったのに、並一通りどころではなく、大勢の人が誉めて感心して、
『きょうだい、こっちに来い。これを聞け』
 とおっしゃるので、内心はとても嬉しいけれど、
『そういう和歌の方面には、まったくお付き合いできないわたしで』
 と申し上げたところ、
『意見を言えとか、聞いて理解しろというのではない。ただ、本人に話してやれというので聞かせるのだ』
 とおっしゃったのは、きょうだいとしては少し残念な気がしたけれど、
『上の句をつけようとしても、いい言葉が見つからない。それにまた、これに返歌がいるのだろうか』
 などと相談して、
『返歌をして下手だと言われては、かえって癪だろう』
 というので、夜中まで考え込んでいらっしゃった。これはわたしにもあなたにも、大変な喜びではないか。司召で少々の役についたって、これに比べれば嬉しくもなんともないよ」
 と言うので、
〈なるほど大勢でそんなことをしているとも知らないで、うっかり返事をしたら恥をかくところだった〉
 と、改めて胸がつぶれる思いがする。この「きょうだい」ということは、帝まですっかりご存じで、殿上でも、修理亮という官の名前は言わないで、「きょうだい」と、あだ名で呼ばれていた。
 話などをして座っている時に、中宮様が、
「ちょっと」
 とお呼びになったので、参上したところ、あの件についておっしゃろうとしたからだ。
「帝がお笑いになって、わたしに話してお聞かせになり、殿上の男たちはみなあの句を扇に書いて持ってる」
 などとおっしゃるので、呆れてしまい、
〈どんな魔性の者がわたしに憑いて、あんなことを言わせたのだろう〉
 と思った。
 それから後は、頭中将は袖を几帳のようにして顔を隠すのはやめて、機嫌を直されたようだ。
第七十八段
 翌年の二月二十日過ぎ、中宮様が職の御曹司に出ていかれるお供について行かないで、梅壺に残っていた次の日、頭中将のお便りで、
「昨日の夜、鞍馬寺に参詣したが、今夜方角がふさがっていたので、方違え(かたたがえ)に行く。まだ夜が明けないうちに、帰るだろう。ぜひ話したいことがある。局の戸を何度も叩かせることのないよう待っていて」
 とおっしゃったが、
「局で一人なんてどうしていられるの。ここで寝なさい」
 と、御匣殿がお呼びになったので、そちらに行った。
 ぐっすり寝て起きて、局に下がったら、下仕えの女が、
「昨夜ひどく誰かが戸を叩いていらっしゃいました。やっと起きたところ、
『御匣殿の御前なのか。それなら、こうこうと申し上げてくれ』
 とのことでしたが、
『お取次ぎしても、まさかお起きになることはないでしょう』
 と言って、寝てしまいました」
 と話す。
〈気がきかないわねえ〉
 と聞いていると、主殿司の男が来て、
「頭中将殿のご伝言です。
『今から退出するが、話したいことがある』
 と」
 と言うので、
「しなければならないことがあって御前に上がっています。そこで」
 と言って男を帰した。
〈局では戸を開けられるかもしれない〉
 と、胸がどきどきして、面倒なので、梅壺の東面の半蔀(はじとみ)を上げて、
「こちらに」
 と言うと、頭中将は素晴らしい姿で出ていらっしゃった。
 桜の綾の直衣のとても華やかで、裏の艶などは、言いようもないほど清らかで、葡萄染(えびぞめ)のとても濃い指貫には、藤の折り枝の模様を豪華に織り散らして、下の衣の紅の色や、砧(きぬた)で打った光沢なども輝くばかりに見える。白いのや薄紫色などの下着が下にたくさん重なっている。狭い縁に、片足は縁から下におろし、少し簾のところに近く寄って座っていらっしゃるのは、
〈実際絵に描いたり、物語で素晴らしいことと言っているのは、こういうことだな〉
 というふうに見える。
 梅壺の庭の梅は、西のは白く、東のは紅梅で、少し散る頃になっているけれど、やはり美しく、うらうらと日差しがのどかで、人に見せたい気がする。御簾の内側に、もっと若い女房などで、
「髪が美しく、こぼれかかったいる」
 などと物語に言っているような姿で、頭中将に受け答えしているなら、もう少しおもしろく見所もあるにちがいないだろうが、ひどく盛りを過ぎ、古びた女で、髪などもじぶんのものではないからだろうか、所々がちぢれ乱れて、だいたいが喪服で色が違う時なので、色があるかないかもわからない薄い鈍色の表着(うわぎ)や、色合いもはっきりしない「きは衣(未詳)」ばかりたくさん重ねて着ているが、全然引き立って見えない上に、中宮様もいらっしゃらないので、(礼装の)喪もつけないで、袿姿で座っているのは、せっかくの雰囲気がぶちこわしで残念である。頭中将は、
「中宮職へ参上する。伝言はあるか。あなたはいつ参上する」
 などとおっしゃる。
「それにしても昨夜、方違えの場所で夜を明かさないで、
〈こんな時刻でも、前から言っておいたから、待っているだろう〉
 と思って、月がすごく明るい頃に西の京という所から来るなり、局を叩いたところ、やっと寝ぼけて起きてきた様子や、応対のそっけないことといったら」
 などと話して、お笑いになる。
「まったく嫌になってしまったよ。どうしてあんな者をおいているの」
 とおっしゃる。
〈なるほどそうなのだろう〉
 とおかしくもあり気の毒でもある。しばらくしてから頭中将は出て行かれた。外から見る人は、男の素晴らしさに、
〈内側にどんな美しい人がいるだろう〉
 と思うだろう。奥の方からわたしの後ろ姿を見る人は、外にそんな素晴らしい男性がいるとは思わないだろう。
 日が暮れたので、中宮職に参上した。中宮様の御前に女房たちが大勢集まり、帝付きの女房なども伺候していて、物語の良い悪い、気に入らない所などを議論して非難する。『宇津保物語』の涼(すずし)や仲忠(なかただ)などのことを、中宮様までも劣ったり勝ったりしていることをお話しになる。
「まずこれはどう。早く意見を言って。中宮様は、仲忠の幼児期の生い立ちの賎しさをしきりにおっしゃるわ」
 などと言えば、
「いや、仲忠は琴なども天人が降りるほど弾いたし、そんなに悪い人ではないわ。涼は仲忠のように帝のお嬢様を貰ったの」
 と言うと、仲忠びいきの人たちは勢いづいて、
「そうよねえ」
 などと言うので、中宮様が、
「物語の人物のことより、昼に斉信(ただのぶ/頭中将)がやって来たのを見たのなら、
〈どんなに大騒ぎして誉めるだろう〉
 と思っていた」
 とおっしゃると、
「そう、本当にいつもよりずっと素晴らしく」
 などと言う。わたしは、
「何より先にそのことを申し上げようと思って参上しましたのに、物語のことに気をとられて」
 と言って、さっきのことをお話しすると、
「誰もが見ていたけれど、そこまで縫ってある糸や、針目までは目はいかなかったわ」
 と言って笑う。
「頭中将が、
『西の京の趣のあることといったら。
〈一緒に見る人がいたらなあ〉
 と思ったよ。垣根などもみな古びて、苔が生えていて』
 などと話すと、宰相の君が、
『瓦に松はありつるや』
 と答えたのを、頭中将が大変誉めて、
『西の方、都門を去れる事いくばくの地ぞ』
 と口ずさんだの」
 などと、女房たちがうるさいほど話して聞かせたのは、おもしろかった。
※「翠華(スイカ)来(キタ)ラズシテ歳月久シク、牆(カギ)ニ衣(コケ)アリ、瓦ニ松(ショウ)アリ」
「何ンゾ一(ヒト)タビ其ノ中ニ幸セザル。西ノ方都門ヲ去ル幾多ノ地ゾ。吾ガ君遊バザルハ深キ意有リ」
『白氏文集』
第七十九段
 里に退出していて、殿上人などが来るのを、妬ましそうに人々は話をこしらえて言っているようである。わたしがひどく思慮深く引っ込み思案という評判は、おそらくないから、そんなことを言われたって別に憎らしくはない。また、昼も夜も来る人を、どうして、
「いない」
 と言って恥をかかせて帰せるだろうか。本当に親しく付き合っていない人でも、そんなふうにして来るようだ。あんまり煩わしいので、今度はどこにいるとは皆には知らせないで、左中将経房(つねふさ)の君、済政(なりまさ)の君などだけが知っていらっしゃる。
 左衛門尉則光(さえもんのじょうのりみつ)が来て、話などをしている時に、
「昨日、宰相の中将(斉信)が参内なさって、
『妹(清少納言)のいる所を、いくらなんでも知らないはずはない。言え』
 と、しつこくお尋ねになるので、まったく知らないと申したのに、無理に白状させようとなさって」
 などと言って、
「知っていることを、知らないと言い張るのはとても辛いね。もう少しで言ってしまいそうで、左の中将がまったく無表情で知らない顔で座っていらっしゃったから、あの方と目が合ったら笑ってしまいそうで困ってしまい、台盤(食卓)の上に海藻(わかめ、あらめなど)があったのを取って、どんどん食べてごまかしたものだから、
『食事時でもないのに、変なもの食べてるな』
 と、見たことだろう。でも、そのおかげで、どことは言わないですんだ。笑っていたら、ぶちこわし。宰相の中将が、
〈本当に知らないようだ〉
 と思っていたのも、おかしかったよ」
 などと話すので、
「絶対に教えないで」
 などと言って、何日かだいぶ日が経った。
 夜がたいそう更けてから、門をひどく大げさに叩くので、
〈誰が、こんなに無遠慮に、家屋から遠くない門を音高く叩いているのだろう〉
 と聞いて、尋ねさせたら、滝口の武士だった。
「左衛門尉から」
 と言って、手紙を持って来た。みんな寝ているので、灯りを取り寄せて見ると、
「明日、御読経の結願(けちがん)の日で、宰相の中将が物忌みに籠っていらっしゃいます。
『女きょうだいのいる所を言え、言え』
 と責められるので、どうしようもない。もう隠すことはできない。
『ここです』
 と教えましょうか。どうします。あなたのおっしゃる通りに」
 言ってきた。返事は書かないで、海藻を一寸ぐらい紙に包んで持って行かせた。
 それから後で則光が来て、
「あの夜は責められて、適当な所をあちこちお連れして歩きまわった。本気で責められるので、とても辛かった。ところで、わたしの手紙になんにも返事をしないで、思いもしない海藻の切れ端を包んでくださったのか。変な包み物。人の所にあんな物を包んで送ることがあるものか。間違えたのだろう」
 と言う。
〈まったくわからなかったんだ〉
 と思うと気にくわないので、なにも言わないで、硯箱にある紙の端に、

かづきする あまのすみかを そことだに ゆめいふなとや めを食はせけむ
(海に潜る漁師のように姿を隠しているわたしの住みかを そこだとさえ絶対に言うなと目配せ〈布食わせ〉したのに それに気づかないなんて)

 と書いてさし出したところ、
「歌をお詠みになったのか。絶対に見ないよ」
 と言って、扇で紙をあおぎ返して逃げて行った。
 このように話したり、お互いの世話などしているうちに、どうということもなく、少し仲が悪くなっている頃、手紙をよこした。
「都合の悪いことがあっても、やはりきょうだいと約束したことは忘れないで、ほかの人からは、
『きょうだい』
 と見てもらいたいと思う」
 と言っている。則光がいつも、
「わたしを好きな人は、歌を詠んできたりするな。歌を詠んだら、みんな敵だと思う。
〈もうこれが最後で、別れよう〉
 と思うような時に、歌なんか詠めばいい」
 などと言っていたので、この手紙の返事に、

くづれよる いもせの山の
中なれば さらに吉野の 川とだに見じ
(崩れてしまった妹背山の間を流れる川を吉野川として見られないように 壊れてしまった私たちの関係では もう「きょうだい」とあなたを見ることはできない)

 と言ってやったが、本当に見ないままになってしまったのだろうか、返事も来なかった。
 それから則光は、五位に叙爵されて、遠江の介(とおつおうみのすけ)になったので、憎いままで途絶えてしまった。
第八十段
 悲しそうに見えるもの。鼻水を垂らして、ひっきりなしに鼻をかみながら話す声。眉毛を抜くの。
※この時代成人女子は眉毛を抜いて眉墨を引く。
第八十一段
 さて、前に記した左衛門の陣などに行った後で、里に退出してしばらくしてから、
「早く参上しなさい」
 などとある中宮様のお手紙の端に側近の女房が、
「左衛門の陣に行ったあなたの後ろ姿をいつも思い出していらっしゃいます。どうしてあんなに平気で古くさい格好をしていたのでしょう。じぶんではとても素晴らしいと思っていたのかしら」
 などと書いてあるので、中宮様のお返事には、お詫びを申し上げて、側近の女房には、
「どうしてわたしが素晴らしいと思わないことがあるでしょうか。中宮様も、
『なかなるをとめ(まるで天女のようだ)』
 とご覧になったと思いますが」
 と申し上げさせたら、折り返し、
「おまえがとても贔屓にしている仲忠の不名誉になることを、どうしてわたしに言うの。すぐ今夜のうちに、すべてのことを捨てて参上しなさい。そうしないとおまえのことをひどく嫌いになります」
 と、中宮様のお言葉があるので、
「並み一通りの憎しみでも大変です。まして、
『ひどく』
 とある文字には、命も体もそっくり放り出して」
 と申し上げて参上した
※朝ぼらけほのかに見れば飽かぬかな中なる少女しばしとめなむ『宇津保物語・吹上の下』
第八十二段前半
 職の御曹司に中宮様がいらっしゃる頃、西の廂の間で不断(ふだん)の読経があるので、仏の画像などを掛け、僧たちがいるのは、今さら言うまでもない。
 始まって二日ほど経って、縁側で卑しい者の声で、
「やはり、あの仏のお供えのお下がりがあるでしょう」
 と言うと、僧が、
「どうして。まだ法事も終わってないのに」
 と言っているようなのを、
〈誰が言っているのだろう〉
 と思って、立って出て行って見ると、少し老いた女法師がひどく汚ならしい着物を着て、猿のような格好で言っている。
「あの人は何を言ってるの」
 と言うと、女法師は気どった声で、
「仏のお弟子ですから、仏のお供えのおさがりを戴きたいと申し上げるのに、このお坊さまたちが惜しがってくださらないのです」
 と言う。声は派手で優雅である。
〈こういう者は、しょんぼりしているのがかわいそうな気がするのに、いやに陽気だな〉
 と思って、
「ほかの物は食べないで、ただ仏のおさがりだけを食べるのか。殊勝な心がけだな」
 などと言うこちらの様子を見て、
「どうしてほかの物を食べないことがあるでしょう。それがないから、おさがりをいただくのです」
 と言う。果物やのし餅などを、何かに入れて与えたところ、いやに馴れ馴れしくなって、いろいろなことを話す。
 若い女房たちが出て来て、
「夫はいるの」
「子供はいるの」
「どこに住んでいるの」
 などと口々に尋ねると、おもしろいことや滑稽なことを言うので、
「歌は謡うの。舞などはするの」
 と尋ね終わらないうちに、
「夜は誰とか寝む、常陸の介と寝む。寝たる肌よし」
 と謡い、そればかりかこの歌の下の句がとても長い。さらに、
「男山の峰のもみぢ葉、さぞ名は立つや、さぞ名は立つや」
 と謡う。頭をくるくる振り回すのが、ひどく憎らしいので、笑いながらも腹が立って、
「もう行って、あっちへ行って」
 と言うので、
「かわいそうに。これに、何を与えよう」
 と言うのを中宮様がお聞きになって、
「ひどいわね、聞いてはいられないことをどうしてさせたの。とても聞いていられなくて、耳をふさいでいたわ。その着物を一枚与えて、早く向こうへ行かせなさい」
 とおっしゃるので、
「これをくださった。着物が汚れているようだ。この白いのに着替えなさい」
 と言って、投げ与えると、ひれ伏して拝み、肩に着物をかけて拝舞の礼をするではないか。本当に憎らしくなって、みな奥に引っ込んでしまった。
 それから後、くせになったのだろうか。いつもわざと目立つようにして歩く。歌から「常陸の介」と名づけた。着物も白いのに着替えず、相変わらず汚れたままなので、
「この前与えたのはどこへやったのだろう」
 と憎む。右近の内侍(ないし)が参上した時に、中宮様が、
「こういう者を、女房たちは手なずけて置いているよう。うまいこと言って、いつもやってくるわ」
 と、前にあったことなどを、小兵衛という女房に真似させてお聞かせになると、右近は、
「その者をぜひ見たいです。必ず見せてください。お気に入りなんでしょう。決して横取りしたりしないですから」
 などと言って笑う。
 その後、また尼の物乞いで、とても品のいいのがやって来たのを、また呼び寄せて話など聞くと、この尼はとても身の上を恥じていてかわいそうなので、例によって着物一枚を与えたのを、ひれ伏して拝んだまではよかったが、それから泣いて喜んで去ったところを、ちょうどあの常陸介が来て見てしまった。それから後は、長く常陸の介の姿を見ないけれど、誰が思い出すものか。
 十二月十日過ぎに、雪がたいそう降ったのを、女官たちなどで、縁側にとてもたくさん積み上げて置いたが、
「同じことなら、庭に本当の山を作らせましょう」
 ということで、侍を呼んで、中宮様のお言葉として言ったので、侍たちが集まって作る。主殿寮の官人で、雪かきに来ていた者たちも、みな寄って来て、とても高く作る。中宮職の役人などもやって来て集まり、口出しして面白がる。三、四人来ていた主殿寮の人たちも、二十人くらいになった。非番で自宅にいる侍を呼びに遣わす。
「今日この山を作る人には、三日分の出勤扱いにしよう。そして来ない者は、同じ数だけ非番を取り消す」
 などと言うので、これを聞いた者は、慌てて参上する者もいる。自宅が遠い者には知らせることができない。
 作り終わったので、中宮職の役人を呼んで、褒美として巻絹を二くくりを縁側に投げ出したのを、一人一人取って、礼をしながら腰にさしてみな退出した。役人で袍(うえのきぬ)などを着ていた者は、雪かきのために狩衣に着替えていた。
「この雪山はいつまであるのかしら」
 と、中宮様が女房たちにおっしゃると、
「十日はあるでしょう」
「十日以上はあるでしょう」
 などと、十日くらいの期間をそこにいる者がみな申し上げるので、中宮様が、
「どうなの」
 とわたしにお尋ねになるので、
「正月の十日過ぎまではあるでしょう」
 と申し上げたのを、中宮様も、
〈そんなにはないわ〉
 と思っていらっしゃる。女房はみな、
「年内、それも大晦日までもたないわ」
 とばかり申し上げるので、
〈あまりにも遠い先のことを申し上げてしまった。みんなが言う通り、そんなにもたないかもしれない。月初めとでも言えばよかった〉
 と、内心では思うが、
〈まあいい、十日までもたないにしても、言ってしまったことだし〉
 と思って、頑固に言い張った。
第八十二段中半
 二十日頃に雨が降ったが、消えそうもない。少し高さが低くなってゆく。
「白山の観音さま、どうか消えさせないでください」
 と祈るのも、考えてみればばかげている。
 さて、先日その雪山を作っている日に、帝のお使いで式部丞忠隆(しきぶのじょうただたか)が参上したので、敷物をさし出して話などすると、
「今日雪山を作らせられない所はありません。帝の御前の壺庭にも作らせていらっしゃいます。東宮ども、弘徽殿でも作られました。京極殿でも作らせていらっしゃいました」
 などと言うので、

ここにのみ めづらしと見る 雪の山 ところどころに 降りにけるかな
(ここだけで作って珍しいと見る雪の山は 雪が方々に降ったために 古くさいものになった)

 と、そばにいる人を介して言わせたら、忠隆は何度も首をかしげて、
「返歌をしたら、あなたの歌をけがすことになります。洒落た歌です。御簾の前でみんなに披露しましょう」
 と言って席を立った。歌がとても好きだと聞いていたのに、返歌しないなんて変だ。中宮様もこれをお聞きになって、
「素晴らしく良い歌を詠もうと思ったのでしょう」
 とおっしゃる。
 月末頃に、雪山は少し小さくなるようだが、やはりまだ高いままで、昼の頃、縁側に女房たちが出て座っていると、常陸の介がやって来た。
「どうしたの。ずいぶん長い間姿を見せなかったのに」
 と尋ねると、
「なあに、つらいことがありましたので」
 と言う。
「どんなことなの」
 と尋ねると、
「やはりわたしはこう思います」
 と言って、長々と声を引いて歌を詠む。

うらやまし 足もひかれず わたつうみの いかなる人に 物たまふらむ
(羨ましくて 足も向かない いったいどういう人に褒美をお与えになったのでしょう)

 と言うのを、女房たちは憎らしくなって嘲笑い、見向きもしないので、雪の山に登り、うろうろ歩きまわって帰った後で、右近の内侍に、
「こういうことが」
 と言ってやったところ、
「どうして人をつけてよこしてくださらなかったのです。あれが間が悪くなって、雪の山まで登ってさまよい歩いたのが、とてもかわいそうです」
 と返事が来たので、また笑う。
 ところで、雪の山はそのまま変化もなく新しい年になった。一日の日の夜、雪がとてもたくさん降ったのを、
〈嬉しいことにまた降って積もったわ〉
 と思って見ていると、中宮様は、
「これはだめよ。初めの部分は残して、新しく積もったのはかき捨てて」
 とおっしゃる。翌朝、局にとても早く下がったら、侍の長(おさ)である者が、柚の葉のような濃緑の宿直衣(とねいぎぬ)の袖の上に、青い紙を松につけた手紙を置いて、震えながら出てきた。
「それはどこから」
 と尋ねると、
「斎院から」
 と言うので、とっさに素晴らしく思われて、受け取って中宮様のところへ参上した。
 まだおやすみになっているので、まず御帳台の前にあたる御格子を、碁盤などを引き寄せて、それを踏み台にして、一人で力を入れて上げるが、とても重い。片一方だけ持ち上げるから、きしきしと鳴るので、目を覚まされて、
「どうしてそんなことをするの」
 とおっしゃるので、
「斎院からお手紙が来ているのに、どうして格子を急いでで上げないでいられましょう」
 と申し上げると、
「本当にとても早いお手紙ね」
 とおっしゃってお起きになられた。お手紙をお開けになると、五寸ほどの卯槌二本を、卯杖のように頭の所を紙に包んで、山橘(やまたちばな)、 日蔭の蔓(ひかげのかずら)、山菅(やますげ)などを可愛らしくの飾って、お手紙はない。
「お手紙がないわけはない」
 とご覧になると、卯杖の頭を包んである小さい紙に、

山とよむ をののひびきを たづぬれば いはひの杖の 音にぞありける
(山に鳴りわたる斧の響きをたずねてみると 卯の日の祝いの杖を切る音だった)

 お返事をお書きになる中宮様のご様子もとても素晴らしい。斎院に対しては、こちらからお出しになるお手紙も、お返事も、やはり特別に気を使われ、書き損じも多く、配慮がうかがわれる。使者への祝儀は、白い織物の単衣、蘇芳色なのは、梅襲のようだ。雪の降り積もる中を、祝儀を肩に掛けて行くのも美しく見える。その時の中宮様の返歌を、知らないままになってしまったのが、とても残念。
『源氏物語』ウェブ書き下ろし劇場Topへ
 
MACトップへ