『源氏物語』参考文献
『長恨歌』現代語訳
『古事記』現代語訳
『源氏物語玉の小櫛』現代語訳
『和泉式部日記』現代語訳
『和泉式部集〔正集〕』現代語訳
『和泉式部集〔続集〕』現代語訳
『赤染衛門集』現代語訳
『清少納言集』現代語訳
『藤三位集』現代語訳
『蜻蛉日記』現代語訳
『枕草子』現代語訳
『和泉式部集』
正集


1 春がすみ 立つやおそきと 山川の 岩間
(いわま)をくくる 音聞こゆなり[後拾遺集春上]
(春霞みが立つのを待ちかねたように 山の川の氷もとけて 岩間をくぐって流れる音が聞こえてくる)


2 春日野
(かすがの)は 雪ふりつむと 見しかども 生ひたるものは 若葉なりけり[後拾遺集春上・麗花集]
(春日野は雪ばかり積もつていると見ていたが 生えているのを見ると 若菜だった)


3 引きつれて 今日は子
(ね)の日の 松に又 今千年(ちとせ)を  のべに出でつる[後拾遺集春上]
(七日に若菜を摘んで命を延ばしたが 今日の子の日には松を引いて千年も命を延ばそうと野辺に出かけてきた)


4 春はただ わが宿にのみ 梅咲かば かれにし人も 見にと来なまし
[後拾遺集春上]
(春にわたしの家だけに梅が咲くのなら わたしから去っていった人も見に来るかもしれない)

5 花にのみ 心をかけて おのづから 人はあだなる  名ぞ立ちぬべき
[続後撰集春中]
(春は花にばかり惹かれて歩くから 浮気な評判が立ってしまいそう)


6 春の日を うらうら伝ふ あまはしぞ あなつれづれと 思ひしもせず
(日の長い春に浦から浦へと働く海人たちは することもないと思うどころではない)

7 春の夜は 睡
(い)こそ寝られぬ 起きゐつつ まもりに とまる ものならなくに[新撰朗詠集]
(春の夜は梅が気になって眠れない 別に起きてじっと見ていたって散 らないわけでもないのに)


8 梅が香に おどろかれつつ 春の夜は 闇こそ人は  あくがらしけれ
[千載集春上]
(梅の香りにはっと目を覚まして花を探しても 春の夜の闇は梅を隠してしまって人を焦れさせる)


9 秋までの 命も知らず 春の野に 花の古根を やくとやくかな
[後拾遺集春上]
(秋まで命があるかどうかわからないのに 秋に美しい花を見たいので 春の野で古い根をせっせと焼いている)


10 見るままに しづ枝の梅も 散り果てぬ さも待ち遠に 咲く桜かな
[風雅集春上]
(毎日眺めているうちに下枝の梅も散ってしまった ああ いつまでも人を待たせて咲かない桜)


11 人も見ぬ 宿に桜を 植ゑたれば 花もてやつす みにぞなりぬる
[後拾遺集春上]
(誰も来ない家に桜を植えたので せっかく花が咲いても寂しい思いを させられる)


12 わが宿の 桜はかひも なかりけり あるじからこそ 人も見にくれ
[後拾遺集春上]
(わたしの家の桜は咲いても無駄 人が見に来るのは花が美しからではなく 住んでいる人が美しいかどうかだから)

13 春雨の 日をふるままに わが宿の 垣根の草は 青みわたりぬ
(春雨が何日も降り続いているうちに わたしの家の垣根の一面の草は青々としてきた)

14 狩人
(かりびと)の いとまもいらじ 草若み あさるきぎすの かくれなければ[万代集春上・夫木抄春五]
(狩人はすぐに射止めるだろう 草も伸びていないで 餌をあさる雉(きじ)の隠れるところもないから)


15 つれづれと もの思ひをれば 春の日の めに立つものは 霞なりけり
[玉葉集雑一]
(日々することもなく物思いに沈んでいると 春の日に目を惹きつける ものは霞だった わたしも涙で目がかすむ)


16 見にと来る 人だにもなし わが宿の はひりの柳  下払へども
[夫木抄春三]
(見に来る人もいない 入ってくるときに邪魔にならないように柳の下枝を切ったのだけれど)

17 かくれぬも かひなかりけり 春駒の あさればこもの ねだに残らず
(沼だって人目につかない所にあったって甲斐がない 子馬が暴れて餌を探すから 真菰(まこも)の根一本残りはしない)
 ※真菰はイネ科で水辺に群生する。


18 かはべなる 所はさらに 多かるを 井手にしも咲く 山吹の花
(川辺はどこにだってあるのに この井手だけで美しく咲く山吹の花)
 ※井手―山城国相楽郡井手の里。


19 岩つつじ 折りもてぞ見る せこが着し 紅ぞめの 衣に似たれば
[後拾遺集春下]
(岩つつじを折ってじっと見る あの人が着ていた紅染の衣の色に似ていたので)


20 花はみな 散り果てぬめり 春深き ふぢだに散るな 今しばし見む
(春の花はみんな散ってしまった 晩春の藤の花だけでも散らないで もうしばらく見ていたいから)  



21 桜色に そめし衣を ぬぎかけて 山時鳥(ほととぎす) けふよりぞ待つ
[後拾遺集夏・新撰朗詠集]
(桜色に染めた衣を夏の衣に着替えて 夏を告げる山ほとどきすの初音 を今日から待つ)


22 待たねども 物思ふ人は おのづから 山時鳥 まづぞ聞きつる
[続拾遺集夏・万代集]
(待っていなくても 物思いをする人は 眠れないからしぜんと山ほととぎすの初音を誰よりも早く聞く)


23 庭のまま ゆるゆる生ふる 夏草を わけてばかりに 来む人もがな
(庭一面にのびのびと生い茂った夏草をかきわけて来る人が わたしにもいたら)

24 夏の日の 脚
(あし)に当れば さしながら はかなく消ゆる 道芝の露[夫木抄雑一]
(夏の日差しにあたって あっけなく消えてゆく道端の草の露)


25 夏の夜は 槇のとたたき かくたたき 人だのめなる くひななりけり
[万代集夏]
(風さえ吹かなかったら 庭の桜もいつかは散っても 春の間は見ることができるのに)


26 山がつの 垣根に見えし 卯の花は みみにこそ咲 きの 盛りなりけれ
(山里に住む人の垣根に見えた卯の花は 今真っ盛りでとてもきれい)

27 かざさじと たれか思はむ ちはやぶる 神のまれまれ 許すあふひを
[万代集雑一]
(葵をかざさない〔逢わない〕なんて誰が思うのかしら 神さまが珍しくも今日だけ許してくださる逢ってもいい葵祭りの日なのに)

28 おのがみな 思ひ思ひに 神山の 児手柏
(このてがしわ)と 手ごとにぞ採る[夫木抄雑十一]
(誰もがご利益にあずかろうと 神様の山の児手柏を手で摘んでいる)※児手柏―ヒノキ科の常緑樹。


29 とこなつに おきふす露は 何なれや あつれて背子が 間遠なるらむ
(常夏〔撫子〕にかかっている露は涼しそう なのにあの人は暑がってわたしから遠のいている)

30 手にむすぶ 水さへぬるき 夏の日は 涼しき風も かひなかりけり
(手にすくう水まで生ぬるく感じる夏の日は 涼しい風もききめがない)

31 真菰草
(まこもぐさ) おなじ汀(みぎわ)に 生ふれども あやめを見てぞ 人も引きける
(あやめとそっくりの真菰草が汀に生えているけれど 人は見分けてあやめだけを抜いてゆく)

32 夏の夜は ともしの鹿の 目をだにも 合はせぬ程に あけぞしにける
[新後拾遺集夏]
(夏の夜は 鹿狩の灯ではないが 目を合わせるひまもないほど早く明けてしまう)


33 蛍火は 木の下草も 暗からず 五月
(さつき)の闇は 名のみなりけり
(蛍の光で木陰の草まで暗くない 昔から「五月闇」というけれど これでは名ばかり)
 ※五月闇―五月雨の頃の夜の暗いこと。


34 人の身も 恋には代
(か)へつ 夏虫の あらはに燃ゆと 見えぬばかりぞ[後拾遺集恋四]
(人だって恋に身を焦がして死んでしまう 夏の虫が炎の中に飛び込むように 燃えるのがはっきり見えないだけ)


35 ながめには 空さへ濡れぬ 五月雨に 下り立つ田子の 裳裾ならねど
(長雨のとき 物思いに沈んで空を見ると空までも濡れてしまう 五月雨の中を田んぼで働く農夫の裳裾でもないのに)

36 花こそあれ 花橘を 宿に植ゑて 山時鳥
(やまほととぎす) 待つぞ苦しき
(桜を待つのは仕方ないが 花橘を家に植えて 時鳥が来るのを待つのは苦しい)

37 蚊遣火
(かやりび)の 煙(けぶり)けぶたき あふぐ間に 夜は暑さも 身おぼえざりけり[夫木抄雑一]
(蚊を追い払う煙が煙たいので扇いでいるうちに 夏の暑さも忘れてしまう)


38 声聞けば あつさぞまさる 蝉の羽の 薄き衣
(ころも)は みに着たれども
(蝉の声を聞くと暑苦しくてたまらない 蝉はあんな薄い衣を着ているというのに)

39 思ふこと みなつきねとて 麻の葉を 切りに切り ても はらひつるかな
[後拾遺集雑六]
(物思いがみな失くなってしまえと 今日の六月祓(みなずきばら)えに 麻の葉をせっせと切って青和幣(あおにぎ)〔幣〕を作ってお祓いをした)  




40 朝風に 今日おどろきて 数ふれば 一夜のほど 秋は来にけり
(朝の風にはっとして指折り数えてみると 一晩のうちに秋が来ていた)

41 一日
(ひとひ)だに 休みやはする たなばたに 貸してもじ  恋をこそすれ[夫木抄秋一]
(一日だってあの人と逢わないでいられるだろうか 七夕だといっても わたしだって織姫と同じ恋をする女ですもの)
 ※七夕の日は、一年に一度しか会えない不吉な恋にあやからないよう、恋人との逢瀬は避けた。


42 憂しと思ふ わが身にあきに あらねども よろづにつけて ものぞ悲しき
[万代集秋一]
(辛いと思うわたしにも秋が来たわけではないけれど なににつけても 秋は悲しい)


43 根こじにも 掘らば掘らなむ 女郎花 人に後るる  名をば残さず
(根がついたまま掘り取るなら掘り取ってください 女郎花だって人に取り残されたと噂されたくないから)

44 秋の田の 庵
(いおり)に葺(ふ)ける 苫(とま)をあらみ もりくる露の いやは寝らるる[続後撰集秋中]
(秋の田にしつらえた仮小屋の屋根にふいた草の編み目があらいので 露が滴り落ちて眠れない)


45 風吹けば いつも靡
(なび)けど あき来れば 殊に聞ゆる 荻(おぎ)の音かな[万代集秋上]
(風が吹けばいつも靡くけれど 秋になると特別に聞こえる荻の音)


46 里人の 衣打つなる 槌
(つち)の音(おと)に あやなく我も ねざめぬるかな
(村里の人が衣を打つ槌の音に 待つ人もいないわたしなのに目が覚めてしまって)

47 雁が音
(かりがね)の 聞ゆるなへに 見わたせば 四方(よも)の梢も  色付きにけり[風雅集秋中・万代集・雲葉集秋上]
(初雁の鳴き声に気づいてあたりを見渡すと 四方の梢もすっかり色づいている)


48 鈴虫の 声ふりたつる 秋の夜は あはれにものの  なりまさるかな
[玉葉集秋上・万代集秋下]
(鈴虫が鈴を振るように鳴く秋の夜は しみじみとした情趣が一段と感じられる)


49 白露の かけておきたる 藤袴 ほころびにけり  きりやたつらむ
(白露を置いて藤袴が咲いたのだから 霧も立ち込めるのかしら)

50 人もがな 見せむ聞かせむ 萩(はぎ)の花 咲く夕かげの ひぐらしの声
[千載集秋上・古来風躰抄本]
(秋をわかる人がいたら 見せたい 聞かせてあげたい 夕日に映えて咲く萩の花とひぐらしの声を)


51 秋吹けば 常磐の山の 松風も 色づくばかり 身にぞしみける
[新古今集秋上]
(秋の風が吹くと 常磐山の松も紅葉するのではないかと思うほど身にしみる)


52 入るまでも 眺めつるかな わが背子が 出づるに出でし 有明の月
[万代集雑二]
(沈むまで物思いにふけりながらずっと眺めていた あの人が急いで帰って行ったときの有明の月を)


53 さ雄鹿の 朝たちすだく 萩原
(はぎわら)に 心のしめは いふかひもなし[雲葉集秋上]
(雄鹿が朝から群がっていて 萩の原を踏み荒らさないようにと心にしめ縄を張っていてもむだ)


54 松垣に 這ひくる葛
(くず)を 訪ふ人は 見るに悲しき 秋の山里[夫木抄秋五]
(松の垣根に這いかかっている葛を見に来る人は ひたすら哀愁をおぼえる秋の山里)


55 在りとても 頼むべきかは 世の中を 知らするも のは あさがほの花
[後拾遺集秋上・新撰朗詠集・秋風集・夫木抄]
(生きていても どうなるかわからないこの世 それを教えてくれるのが朝顔の花〔朝顔は朝早く咲いたと思ったらすぐに萎れてしまう〕)


56 頼めたる 人もなけれど 秋の夜は 月見で寝べき 心地こそせね
[新古今集秋上・続詞花集秋上]
(逢う約束をした人もいないけれど こんな秋の夜は月を見ないで寝る気はしない)


57 晴れずのみ ものぞ悲しき 秋ぎりは 心のうちに たつにやあるらむ
[後拾遺集秋上]
(いつまでも気持ちが晴れないで悲しくてならない 秋の霧は心の中に立ち込めるのかしら)


58 落ちつもる 紅葉
(もみじ)の色に 山川の 浅きも深き 流れとぞ見る
(散り積もっている紅葉の色のせいで 浅い山川の水も深みをおびて見える)

59 ともかくも 散らさぬわざは してましを 一夜
(ひとよ)ば かりの もみぢなりせば
(もし散らさない方法があるならするものを 一夜かぎりの紅葉だから)

60 もみぢ葉の この木の下に あるを見て かみな月とは 言ふにざりける
(紅葉が木の下に散って木の上にはなにもないから 十月のことを上(かみ)な月と言うのかしら)

61 白ながら 露の置きたる 白菊を 今朝初霜に 見ぞ紛
(まが)へつる
(白いままで露が置いている白菊を 今朝初霜と見違えてしまった)

62 あき果てて 今はとかるる 浅茅生は 人の心に 似たるものかな
(秋が終わって 今はもうと枯れてゆく浅茅生は わたしに飽きて離れていったあの人の心に似ている)

63 世の中に なほもふるかな 時雨する 雲間の月の いづやと思へば
[新古今集冬]
(世の中ではやはり降っている 時雨が 雲の中の月はさあ出ようと思っているけれど/わたしはやはり俗世で過ごしている 出家したいと思いながら)


64 外山
(とやま)なる まさきのかづら 冬くれば 深くも色の なりにけるかな[続後撰集冬・万代集冬]
(里に近い山にある柾木の葛でも 冬がくれば深く色づくものだ)
 ※柾木の葛―植物の名。葛の一種。古代、つるを割いて鬘として神事に用いた。

65 夏のせし 蓬
(よもぎ)の門(かど)も 霜枯れて むぐらの下は 風もたまらず
(夏に茂っていた蓬も霜で枯れて 葎の下は風もたまらず吹き抜けてゆく)

66 置く霜は 払はぬほどは おしなべて 鴨の上毛
(うわげ)の 衣手ぞする
(涙で霜が降りた袖を払う人もいないのは まさに鴨の上毛のよう)
 ※藤原公任の「露置かぬ 袖だに冴ゆる 冬の夜に 鴨の上毛を 思ひこそやれ/霜は置かない袖さえ冷える冬の夜には 鴨の上毛がどれほど寒 いのか思ってあげなさい」をふまえている。


67 ねやの上に 霜や置くらむ 片敷ける 下こそいたく さえのぼるなれ
[夫木抄冬一]
(寝室の上に霜がおりているのだろうか 独り寝の袖の下からどんどん冷えてくる)


68 宿は荒れて 霰
(あられ)しふれば 白玉を 敷けるが如も 見ゆる庭かな
(家が荒れたとはいえ 霰が振ると まるで玉を敷き詰めたように美しく見える庭)

69 ぬる人を おこすともなき 埋み火(うずみび)を 見つつはかなく 明す夜な夜な
[正集一六七・続集五六三・万代集冬]
(寝ている人を起こすこともなく 灰にうずめてある炭火を見ながら毎晩物思いにふけりながら明かす)


70 冬の池の つがはぬ鴛鴦
(おし)は さ夜中に 飛び立ちぬべき 声きこゆなり
(冬の池でつがいでない鴛鴦が 真夜中に寒さで飛び上がりそうな声で鳴いているのが聞こえる)
 ※鴛鴦は雌離れないでいることが多いので、夫婦仲のよいことにたとえる。


71 天の原 かきくらがりて 降る雪を 夜目
(よめ)には明き 月かとぞ見る[夫木抄冬三]
(空が一面に曇って降ってくる雪を 夜見る目には月明かりかと見えた)


72 見わせば 真木
(まき)の炭やく 気(け)をぬるみ 大原山の 雪のむら消え [後拾遺集冬]
(見渡すと 炭焼きで空気が暖かくなったせいか 大原山の雪がまだら になっている)


73 わびぬれば 煙
(けぶり)をだにも 絶たじとて 柴折り焚ける 冬の山里[後拾遺集冬・古来風躰抄]
(淋しいので 煙だけでも絶やさないようにと 柴を折って焚いている冬の山里)


74 水こほる 冬だに来れば 浮草の おのが心と ねざし顔なる
[万代集冬]
(水が凍る冬が来ると 浮草は思うままに根を下ろしたような顔をしている ほかの草はみんな枯れたのに)

75 氷みな 水という水は 閉ぢつれば 冬はいづくも 音無の里
[夫木抄雑十三]
(氷が水という水を閉ざしてしまったから 冬はどこもせせらぎも聞こえない音無しの里)


76 下もゆる 雪まの草の めづらしく わが思ふ人に あひみてしがな
[後拾遺集恋一]
(雪の間から芽を出している若草 そんな見ることがめったにない愛しいあの人に逢いたくてならない)


77 せこが来て 臥ししかたはら 寒き夜は わが手枕を 我ぞしてぬる
[夫木抄雑十八]
(あの人が来ても添い寝をしてくれない寒い夜は じぶんの腕を枕にして寝る)


78 かづけども みるめは風も たまらねば 寒きにわぶる 冬のあま人
(海に潜っても取った海松藻は着物と違って風を防ぐこともないから 寒さにふるえている冬の海人)

79 かぞふれば 年の残りも なかりけり 老いぬるば かり 悲しきはなし
[新古今集冬・新撰朗詠集冬]
(数えてみると今年も残り少ない 老いてゆくほど悲しいことはない)  


 恋

80 いたづらに 身をぞ捨てつる 人を思ふ 心や深き 谷となるらむ
(虚しくも恋に身を滅ぼしてしまった あの人を想う心が深い谷となっているのだろうか)

81 つれづれと 空ぞ見らるる 思ふ人 天降り来む ものならなくに
[玉葉集恋二・夫木抄雑十八・万代集恋三]
(物思いにふけって空ばかり見ている 愛しいあの人が空から降りてくるわけでもないのに)


82 見えもせむ 見もせむ人を 朝ごとに おきてはむかふ 鏡ともがな
[新勅撰集恋四]
(見られていたい 見てもいたいあの人を 毎朝起きて見る鏡にでもしていつも見ていたい)


83 田子の浦に 寄せては寄する 浪のごと 立つやと人を 見るよしもがな
(田子の浦に寄せてはまた寄せてくる波のように わたしから去っていってもまた戻って来る人とわかる手立てがあればいいのに)

84 よそにては 恋しまされば みさごゐる 磯による舟 さしでだにせず
(離れ離れだと恋しくてたまらないから  鶚のいる磯の舟ではないが  あなたを一歩も外へ出したりしない)
 鶚(みさご)―タカ科の鳥。海辺にすみ、水 中の魚をとる。


85 さまらばれ 雲居ながらも 山の端
(は)に いで入る夜の 月とだに見ば[新勅撰集恋五]
(一緒に暮らせないならそれでいい 空の彼方の夜半の月が山の端に出 入りするときのように一目見ることができるなら)
 ※さまらばれ―「さもあらばあれ」の短縮。


86 黒髪の 乱れも知らず うち臥せば まずかきやりし 人ぞ恋しき
[後拾遺集恋三・後六々撰]
(黒髪が乱れるのもかまわないで横になると こんな時にすぐに髪を撫でてくれた人が恋しくてならない)


87 夢にだに 見えもやすると しきたへの 枕動きて いだにねられず
[万代集恋一]
(夢では逢えるのではないかと思って横になるが 恋しさのあまり枕が動いて 夢を見るどころか眠ることもできない)


88 惜しと思ふ 命にそへて 恐ろしく 恋しき人の たま変るもの
(長生きしたいけれど 生きているうちに恋しい人が心変わりするのが恐ろしくて)

89 あふことを 息の緒にする 身にしあれば たゆるもいかが かなしと思はぬ
[新勅撰集恋四]
(あなたに逢うことを生きがいにしているわたしだから あなたに捨てられるのをどうして悲しまないことがあろうか)


90 わたつみに 人をみるめの 生ひませば いづれの浦の あまとならまし
(大海に海松藻(みるめ)が生えているなら わたしはどの浜辺の海女になったらいいのだろう〔数多くの男と逢う機会があるなら わたしはどんな男を選ぶのだろう〕)

91 君恋ふる 心は千々に 砕くれど 一つも失せぬ ものにぞありける
[後拾遺集恋四]
(あなたを恋する心は何千にも砕けてしまったけれど その一つ一つの愛情はひとつもなくならない)


92 かく恋ひば 堪へず死ぬべし よそに見し 人こそおのが 命なりけれ
[続後撰集恋一]
(こんなに恋しく思っていたら きっと耐えかねて死んでしまう なんの関係もなかった人だったあの人こそ 今はわたしの生きがい)


93 涙川  おなじみよりは ながるれど こひをば消たぬ ものにぞありける
[後拾遺集恋四・五代集歌枕]
(川のように流れる涙はわたしの体から流れるのに 同じわたしの体から燃え上がる恋の炎を消してはくれない)


94 わが袖は 水の下なる 石なれや 人に知られで 乾く間
(ま)もなし
(わたしの袖は水の底の石なのかしら だれも気づかないけれどいつも濡れている)

95 山かげに みがくれ生ふる 山草の やまずよ人を 思ふ心は
(山陰に姿を隠して生える山草ではないが わたしのあの人を想う心は止められない)

96 かれを聞け さ夜ふけゆけば 我ならで つま呼ぶ千鳥 さこそ鳴くなれ
(あれを聞いて 夜が更けてゆくと わたしのだけでなく千鳥だって夫を求めてあんなに鳴いている)

97 世の中に こひといふ色は なけれども 深く身にしむ ものにぞありける
[後拾遺集恋四]
(世の中に恋という色はないけれど まるで色があるように深く身に染みるものなのね)

 いづれの宮にかおはしけむ、白河院に、まろもろともにおはして、かく書きて、家守に取らせておはしぬ
 
(どの宮でいらっしゃったのか、白河院に、わたしと一緒に行かれて、このように書いて、院の番をする人に渡された)
 ※白河院とは藤原公任の別荘。


98 われが名は 花盛人
(ふすびと)と 立てば立て ただ一枝は 折りて帰らむ[夫木抄春四・公任集]
(花泥棒という噂が立つなら立ってもいい せめて一枝だけでも折って帰ろう)


 日頃見て、折りて、左衛門督、かへし
 
(何日かしてから、あの桜の花を折って、左衛門督〔藤原公任〕が返歌をよこした)

99 山里の 主
(ぬし)に知られで 折る人は 花をも名をも 惜しまざりけり[公任集]
(山里の主人に内緒で花を折った人は 花も名も惜しく思われないので すね)


  とある文をつけたる花のいとおもしろきを、まろが口ずさびにうち言ひし
 
(と書いてある手紙を結びつけてある桜がとても美しいので、わたしが心に浮かんだまま詠んだ)

100 折る人の それなるからに あぢきなく 見し山里の 花の香ぞする
[新古今集雑上・公任集]
(折ったお方がほかならないあなた〔公任〕ですから 折ってから時が経っているはずなのに いつか山里で見た桜の香りがする)


 左衛門督の返事、宮せさせ給ふ
 (左衛門督へのお返事を宮がなさる)

101 知られぬぞ かひなかりける 飽かざりし 花に代へつる みをば惜しまず
[公任集]
(わたしの気持ちをわかっていただけないのは残念です いつまでも飽 きない花のためには わが身を惜しまないから折ったのです)

 又、左衛門督
(また、左衛門督から)

102 人知れぬ 心のうちを 知りぬれば 花のあたりに 春は過ぐとも
[公任集]
(誰も知らないあなたの心の中を知っていますから 花のあたりを春が過ぎ去っても忘れません)


 一日御文つけたりし花を見て、まろなむ、さ言ひしと、人の語りければ、かくぞ宣ひし
 
(先日、左衛門督からのお手紙につけてあった花を見て、わたしがこんなことを言ったと、ある人が公任さまに話したものだから、またこうおっしゃった)

103 知るらめや その山里の 花の香は なべての袖に かへりやはする
[公任集]
(あなたにわかるでしょうか その山里の桜は普通の人の袖に匂いを移 したりはしないのです)

 返し
(お返事)

104 知られじと そこら霞の へだててき 尋ねて花の 色は見てしを
[公任集]
(花を見られないように あたり一面に霞が立っていましたが わたしは訪ねて行って香りばかりか花の色も見ましたのに)


 又、左衛門督。陸奥守下りし頃、それにうちそへたる 事とぞ見し
 
(また、左衛門督からのお返事。前の夫の陸奥守〔橘道貞〕が任地に下った頃で、それにこじつけた歌と見た)

105 いまさらに 霞の閉づる 白河の 関を強ひては 尋ぬべしやは
[公任集]
(いまさら霞が閉ざしている白河の別荘をわざわざ訪ねなくてもいいの に/今さら前の夫に執着しないでもいいのに
 ※橘道貞の任地、奥州の「白 河の関 」をかける)

 まろ、かへし
(わたしの返歌)

106 逝く春の とめまほしきに 白河の 関をこえぬる 身ともなるかな
(過ぎてゆく春が惜しいので つい白河の関を越えてしまったのです)

 稲荷祭見しに、傍なる車の、粽
(ちまき)などとりいれて苦しき を、まろが車にとり入れしと、公信の少将(蔵人の少将)言ひけると聞きしを、一日、祭見るとて、車の前を過ぐる程に、ゆふかけて取り入れさせし
 
(伏見の稲荷神社の祭りを見物に行き、わたしのそばの車が粽などを 中に入れて見苦しいのを、それを、わたしの車の中に入れたと、公信の少将(藤原公信・蔵人の少将)が言ったと聞いたので、その後、賀茂祭を見るときに、わたしの車の前を公信の少将が通り過ぎるときに、手紙に木綿をかけて向こうの車の中に入れた)

107 稲荷にも 言はると聞きし なき事を 今日は糺
(ただす) の 神にまかする[続集三七三]
(稲荷の祭りのときありもしないことを言われたのを 今日は偽りを正 す神様に任せて はっきりさせたいわ)


 返し
(返歌)

108 何事と 知らぬ人には ゆふだすき なにか糺の 神にかくらむ
(何のことかわからないわたしに どうして糺の神まで引き合いに出さ れるです)

 と言ひたれば、御幣
(みてぐら)のやうに紙をして、書きてやる
 (と言ってきたので、紙を御幣のような形にして それに書いて送った)

109 神かけて 君はあらがふ たれかさは よりべに溜 まる みつと言ひける
[続集三七四・夫木抄雑八・奥儀抄]
(神様にかけて反論するのですね ではいったい誰が見たと言ったので しょう)


 かへさに、殿の鶴
(たずぎみ)の、轅(ながえ)を借りて、轅を掛け給へり し、「異人(ことひと)には、さらに取らせねども」とて、言ひやりし
 (賀茂祭の翌日、斎院が帰る行列を見物するときに、殿〔藤原道長〕の鶴君〔長子頼通の童名〕が、わたしの車の轅を置く所に轅をおかけになった。「ほかの人だったら、こんなことは絶対にさせないのですが」と 言って、歌を送った)

110 異人
(ことひと)は 許さざらまし ゆふだすき 掛くる車の ながえなりとも
(ほかの人だったら許さない たとえ木綿襷をかけてある神聖な車の轅でも)

  雅通の少将など乗り給へりし、それや詠みけむ
 (雅通の少将などが乗っていらっしゃった、その人が詠んたのだろうか)
 ※雅通の少将―道長の妻源倫子の甥。


111 ゆふだすき かくる車の ながえこそ 今日のあふひの しるしとは見れ
(轅をかけるのを許してくださるだけでなく 車の中に入れてくださるなら 恋人と逢うことを許される神様のおかげと思うのですが)

 雨のいたう降る夜、夜一夜、思ひて侍るぞ
 (雨がひどく降る夜、一晩中、物思いにふけって)

112 つれづれと ふるやのうちに あらねども 多かるあめの 下ぞ住み憂き
(物思いに沈みながら日を送っていると 雨漏りするような古い家では ないけれど 辛いことの多いこの世はほんとうに住みにくい)

 夕暮の鹿の声

113 よも山の しげきを見れば 悲しくて しかなきぬべき 秋の夕暮


 
暁がたに、滝の音の聞ゆれば (夜明け前に、滝の音が聞こえるので)

114 あはれにも 聞ゆなるかな 暁の 滝はなみだの 落つるなるべし
[続集五二六・万代集雑三]
(しみじみと身にしみて聞こえてくる夜明け前の滝の音は 人の涙が滝となって落ちるのだろう)

 絵に、山寺に法師のゐたる所に、きこりとかやの帰るところに
 
(絵に、山寺に法師のいる所に、きこりという者が帰ろうとしているところを)

115 住みかぞと 思ふも悲し 苦しきを こりつつ人の 帰る山辺に
[続集五二七・夫木抄廿九]
(ここが住む所だと思うと悲しい 木こりが木を伐って険しい道を帰る 山のほとりだから)

 田守る家に、人ゐたるところ
 
(田を守る家に、人が座っているところ)

116 ともすれば  引きおどろかす 小山田の ひたすらいねぬ 秋の夜な夜な
[続集五二八]
 (どうかすると田の引板にびっくりして まったく眠れない 秋の夜ごと)
 引板―板をひもでつるし、そのひもを引いて鳴らして、田畑の鳥獣を追い払う道具。


 八月ばかりに、萩いとおもしろきに、雨の降る日
 
(八月頃、萩がとても美しいのに、雨の降る日)

117 うしと思ふ わが手ふれねど 萎れつつ 雨には花 の おとろふるかな
[続集五二九]
(散るのが辛いと思うから手も触れないけれど 雨に寄ってしだいに萎 れて色褪せてゆく)


 秋頃、尊き事する所に詣でたるに、声々なけば
 
(秋の頃、尊いことをする所にお参りして、虫がさまざまに鳴くので)

118 心には ひとつ御法を 思へども 虫の声々 聞ゆなるかな
[続集五二四・万代集釈教]
(心の中ではひたすら仏のみ教えを祈っているが さまざまな虫の声が 聞こえてくる)


 遠くて、行ひする音を聞きて
(遠くで、お勤めをする声を聞いて)

119 悲しきは 同じ身ながら 遥かにも 仏によるの 声を聞くかな
[続集五二二]
(悲しいのは わたしもあの人たちと同じ人間なのに わたしだけがお勤めをする声を聞くこと)

 有明の月を見て

120 限りあれば かつすみわたる 世の中に 有明の月 いつまでか見む
[続集五二三・万代集雑一]
(命には限りがあるから 辛いと思って生きていながらも あの美しく輝いている有明の月をいつまで見ることができるだろう)


 又、十題。七月七日

121 年ごとに 待つも過ぐすも わびしきは 秋のはじめの 七日なりけり
[新千載集・万代集秋上]
(毎年 待っているのも過ぎ去ってゆくのも悲しいのは 秋のはじめの 七月七日)  

 風

122 吹きとだに 吹き立ちぬれば 秋風に 人の心も 動きぬるかな
[万代集秋上]
(あまりにも激しく吹く秋風に 人の心も揺れ動いてしまうかも)  

 月

123 見る人も 心に月は入りぬれど いでといでにし 空は曇らず
(見る人も気に入って 月は心の中に入ったはずなのに 空は曇らないで月は輝いている)

 露

124 玉かとて 取れば消えぬる 白露を おきながらこそ 見るべかりけれ
[正集八六三・続詞花葉秋下]
(玉だと思って取ったら消えた白露を こんなことなら草の葉に置いた まま見ればよかった)

 霧

125 夕霧に あれたちぬれば あぢきなし
(夕霧がひどく立ち込めているのでつまらない ※以下欠文のため解釈 不能)

 虫

126 その事と 言ひてもなかぬ 虫の音も 聞きなしにこそ 悲しかりけれ
(虫は別に悲しんで鳴いているわけではないが そう思って聞くから悲しく聞こえる)  

 雁
(かり)

127 まもるとて 山田の庵に 住む人の ほに鳴く雁の 声を聞くかな
(稲穂を守るために山田の庵に住む人は はっきりとなく雁の声も聞くのだなあ)  

 萩
(はぎ)

128 萩原を 朝発ち来れば 枝はさも 折れば折れよと 花咲きにけり
(朝出発して萩原に来てみると 枝は折れるなら折れてもいいというばかりに花が咲いていた)

 女郎花
(おみなえし)

129 花よりも ねぞ見まほしき 女郎花 多かる野辺を ほり求めつつ
(花よりも根が見たいと思う 女郎花がたくさん咲いている野辺を探しながら)

  菊、祝ひとぞ
(菊の歌、祝いというので)

130 長月と 言ふにて知りぬ 君が代は けふらて菊の とかれしと
(九月を長月というのでわかった あなたの寿命は今日の菊の節句の菊のように長いことを)

 又、七月七日  

131 天の川  今宵ながめぬ 人ぞなき 恋の心を 知るも知らぬも
[正集八五九]
(天の川を今夜眺めない人はいない 恋心を知っている人も知らない人も)


 風

132 秋吹くは いかなる色の 風なれば 身にしむばかり あはれなるらむ
[正集八六〇・詞花葉秋・古来風躰抄]
(秋に吹く風はどんな色なのだろう 身にしむほど人恋しい)
 ※『源氏物語』御法巻に引かれた歌。 秋待ちつけて、世の中すこし涼しくなりては御心地もいささかさはやぐやうなれど、 なほともすればかごとがまし。さるは身にしむばかり思さるべき秋風ならねど、露けきをりがちにて過ぐしたまふ。 (ようやく待っていた秋になって、世の中も少し涼しくなってからはご気分もいくらか爽やかになられたようだが、やはりどうかするとまた悪くなられる。といっても身にしむほど冷たく感じられる秋風ではないが、涙に袖も湿りがちな日々を過ごしていらっしゃる)  


 月

133 雲居なる 月とは見えで 塵もゐぬ 鏡に向かう 心地こそすれ
[正集八六二]
(雲のある遠くの空の月とは見えないで 塵ひとつない鏡と向かい合っているような気がする)  

 露

134 葉に宿り 枝にはかかる 白露を 白く咲きたる 花と見るかな
(葉に宿り 枝にかかっている白露を 白く咲いた花と思ってしまう)  

 霧

135 秋霧に 行方も見えず わが乗れる 駒さへ道の 空に立ちつつ
[正集八六五]
(秋霧で行き先も見えないで わたしの乗っている馬も道の途中で宙に浮いているよう)  


 虫

136 鳴く虫の ひとつこゑにも 聞こえぬは 心ごころに ものや悲しき
[正集八六一・詞花集秋・後葉集秋上]
(虫の鳴き声が同じように聞こえないのは あの虫たちもそれぞれに別の悲しみで鳴いているからだろうか)  


 雁
(かり)

137 もの思へば 雲居に見ゆる 雁が音の 耳に近くも 聞ゆなるかな
[正集八六四]
(物思いに沈んでいると はるか遠くに見える雁の鳴き声も 耳の近くで鳴いているように聞こえる)  

 萩
(はぎ)

138 見るごとに あたら物をと 覚えゆるは 鹿たつ野辺の 萩の花かな
[正集八六六・夫木抄秋二]
(見るたびに惜しいと思うのは 鹿が暴れている野辺の萩の花)


 女郎花
(おみなえし)

139 女郎花 さける嵯峨野の 野辺に出でて 妹に心は 置かれぬるかな
[正集八六七]
(女郎花が咲いている嵯峨野の野辺に出かけて〔美しい女性が大勢いる ところへ行って〕妻と気まずくなってしまった)


 七月七日、たなばた

140 うらやまし 今日を契れる 織女
(たなばた)や 何時とも知らぬ 人もある世に
(羨ましい 今日逢える織女が いつ逢えるかもわからい人もいるのに)  

 風

141 掘りうゑし かひもあるかな わが宿の 萩葉の風ぞ 秋も知らする
(掘って植えた甲斐があった わたしの家の萩の葉ずれの音が秋も知ら せてくれる)  

 月

142 小倉山 入りにし人は 秋の夜の 月は名をこそ 聞きわたるらめ
(暗い小倉山に入ってしまった人は この秋の明るい月も名ばかり聞いていることでしょう)
 小倉山―京都嵯峨野にある山、紅葉の名所。   


 霧

143 秋霧の 立田の山に 逢ふ人は 立田の山に 行きやすぐらむ
(秋霧の立ち込めている立田の山で逢う人は 紅葉を見ないで行き過ぎ るでしょう)    

 露

144 白玉の しける庭とて 下りつれば 露に衣の 裾はぬらしつ
(白玉が一面に敷いてある庭と思って下りたら 露で着物の裾が濡れて しまった)

 女郎花

145 うしろめた わがしめし野の 女郎花 はなみる人に 心移るな
(心配だな ここの女郎花はわたしのものだと縄を張ったけれど 花を見に来た人に心を移さないでくれ)  

 萩

146 さ雄鹿は 秋になりけり 萩の上の 露くれないにみち
 
※みちの後が欠文のため、なにを詠おうとしたのかわからないので、訳さない。    

 虫

147 ささがにの すがく糸をや 秋の野に 機織る虫の たてぬきにする
(蜘蛛が巣をかける糸をもらって きりぎりすは秋の野で縦糸と横糸に 使うのだろうか)  

 雁

148 行き帰り いづくも旅の 雁
(かりがね)は のどけき折りも 無しと鳴くなり
(行ったり来たり どこにも安住することのない雁は ゆっくりすることもできないと鳴くようだ)

 九日

149 君が経
(へ)む 千代のはじめの 長月の 今日九日(ここのか)の 菊をこそつめ
(あなたが千年の歳を重ねる一日目の今日九月九日の重陽の節句 延命長寿の菊を摘んでお祝い申し上げます)

 播磨の聖の御許に、結縁の為にきこえし
 
(播磨の聖のところに、仏縁を結ぶことを申し上げた)

150 冥
(くら)きより 冥き道にぞ 入りぬべき 遥かに照らせ 山の端の月[正集八三四・拾遺集哀傷・新撰朗詠集・玄玄集・後六々 撰・俊頼口伝・古来風躰抄・無名抄・無名草紙・時代不同歌合・秋風集・ その他諸説話集等]
(煩悩の闇に迷っていて さらに深い闇に入っていきそうです どうか導師となって わたしを真理の世界へ導いてください)
 ※播磨の聖―播 磨国書写山円教寺の性空上人。


 物のあはれに覚ゆれば「ものへなむ詣づる」と聞きて 「いづくへぞ。そこへなむとだに言へ」と人の言ひたるに
 
(なにかとしみじみとした気持ちになるので「お寺にお参りする」と 言うのを聞いて、「どこに行くの。そこに行くと場所だけでも言いなさい」とあの人が言ってきた時に)

151 いかばかり 心ふかくも あらぬ身も 憂ければ谷の そこへこそ行け
[正集七一六]
(まったく思慮深くないわたしでも 辛ければ谷の底に行きます)


 世の中はかなきことを聞きて
(世の中のはかないことを聞いて)

152 偲
(しの)ぶべき 人もなき身は ある時に あはれあはれ と 言ひや置かまし[後拾遺集雑三]
(亡くなっても偲んでくれる人もいないわたしは 生きているときは  じぶんのことをあわれとでも言っておきましょう)


 石山より帰るに、遠き山の桜をみて
 
(石山寺から帰るときに、遠くの山の桜を見て)

153 都人 いかにと問はば 見せもせむ この山桜 一枝もがな
[後拾遺集春上]
(都の人が 桜はどうだったと尋ねたら見せたいから この山桜を一枝 だけでも)

 同じ道なる寺に入りて見れば、此処の花は咲かざりければ、知りたりし僧のありしを、問はするもなければ
 
(同じ道にある寺に入って見ると、ここの桜はまだ咲いていないので、 知っていた僧がここにいたのを思い出し、尋ねさせたところ亡くなって いたので)

154 咲きぬらむ 桜がりとて 来つれども この木の下に 主人だになし
[続集一九七]
(咲いているにちがいないと桜を見に来たけれど 咲いてないばかりか この桜の木の下には主人さえいない)


155 それまでの 命堪へたる ものならば 必ず花の 折りにまた見む
[続集一九八]
(花が咲くまで命があるなら 必ず花が咲くときにまた来て見よう)


 同じ頃、人の許
(もと)より、「桜の花を、また見すべき人もなければ、御料(ごりょう)にとてただ一枝をなむ折りたる」とて
(同じ頃、ある人から、「桜の花をあなたのほかに見せる人もいない ので、あなたのためにと思ってただ一枝だけを折ったのです)

156 また見せむ 人もなければ 山桜 いま一枝を 折らずなりぬる
[道済集・新拾遺集]
(あなたのほかに見せる人もいないので この山桜は一枝だけ折って  ほかには折りませんでした)

 返し
(返歌)

157 いたづらに この一枝は なりぬめり 残りの花を 風に任すな
(無駄になったようですね この一枝は せめて残りの花を風で散らさ ないようにしてください)

 春頃、久しく音せぬ人の、山吹に、「日頃の罪は許せ」 と言ひたるに
 
(春頃、長らく便りをくれない人が、山吹をつけて、「この何日かの 罪を許してください」と言ってきたので)

158 とへとしも 思はぬ八重の 山吹を 許すといはば 折りに来むとや
[続集一・後拾遺集雑二]
(八重山吹を十重だんて 来てくださいなんて思ってもいないのに 許すと言ったら来るつもりなのかしら)


 雨のいたく降る頃、ものむつかしうて
 
(雨がひどく降る頃、なんとなく鬱陶しくて)

159 いかにせむ あめの下こそ 住みうけれ ふれば袖のみ 間なくぬれつつ
[正集八四一・新勅撰集雑二]
(どうしよう 雨の降る日は家の中でも住みにくい〔この世の中は辛い ことばかり〕いつも袖がじめじめして〔生きているといつも涙がこぼれ るばかり〕)
 ※あめ―天に雨をかける。ふれ―経れに振れをかける。


 ものへ行く道に、かはらやに火屋
(ひや)といふものつくるを見て、かへりてその夜、月のうち曇りたるを見て
 
(ある所へ行く途中、河原に焼き場を作るのを見て、帰ってきてから その夜、月がちょっと曇ったのを見て)

160 あはれこの 月こそくもれ 昼見つる 火屋の煙は いまや立つらむ
[正集八二七]
(悲しいことに月まで曇った 昼間見た焼き場の煙が今立ち昇ったのだ ろうか)


 また、人の葬送するを見て
(また、人が葬送するのを見て)

161 立ちのぼる 煙につけて 思ふかな いつまた我を 人のかく見む
[続集二三五・後拾遺集哀]
(立ちのぼる煙を見ると思ってしまう いつか煙になっているわたしを 人がこのように見ると)


 嘆くことありと聞きて、人の「いかなることぞ」と問ひたるに
 
(嘆いていることがあると聞いて、人が「どういうことです」と尋ね たので)

162 ともかくも 言はばなべてに なりぬべし 音に泣 きてこそ 見せまほしけれ


 
つれづれの眺め(日々の物思い)

163 つれづれと 眺めくらせば 冬の日も 春のいくかに 異らぬかな
[続集五五九・玉葉集雑一・夫木抄冬一]
(日々物思いに沈んで暮らしていると 冬の日も春の幾日分にも劣らないほど長く感じる)


  あれたる宿
(荒廃している家)

164 なかなかに われか人かと 思はずは あれたる宿も 淋しからまし
[続集五六〇]
(じぶんなのか他人なのか区別がつかないほど悩んでいないなら かえって荒れた家を淋しく感じるだろうに)


 寝覚の床
(目覚めた床の中で)

165 語らはむ 人を枕と 思はばや 寝覚の床に 在れと頼まむ
[続集五六一]
(恋人を枕と思いたい そうすれば目が覚めたときはいつもいて あてにできるもの)


 暁の月
(夜明け前の月)

166 あか月の 月見すさびに おきて行く 人の名残に 眺めしものを
[続集五六二・三奏本金葉集秋・千載集恋五・玄玄集]
(夜明け前の月を見るついでに起きて帰った人の名残と思って 月を眺めるのだが)


 埋
(うず)み火(灰にうずめてある炭火)

167 寝る人を 起こすともなき 埋み火を 見つつはかなく 明かす夜な夜な
[正集六九・続集五六三・万代集冬]
(寝ている人を起こすこともなく 灰にうずめてある炭火を見ながら毎晩物思いにふけりながら明かす)

 朝の霜

168 片敷きて 寝られぬ閨の 上にしも いとあやにくに 置ける今朝かな
[続集五六四]
(独り寝で眠れない寝室の上にも 今朝は意地悪く霜が降りている)


 袖の氷

169 朝毎に 氷とぢつる わが袖は たが掘り置ける 池ならなくに
[続集五六五]
(朝がくるたびに涙で凍っているわたしの袖は 誰が掘っておいた池でもないのに)


 庭の雪

170 待つ人の 今も来たらば いかがせむ 踏ままく惜しき 庭の雪かな
[新撰朗詠集冬・続集五六六・詞花集冬・玄玄集]
(待っている人が今来たらどうしよう あの人でも踏んで汚してほしくない庭の雪だから)

 夕暮の思
(夕暮れの思い)

171 夕暮に などもの思ひの まさるらむ 待つ人のまた ある身ともなし
[続集五六七・万代集恋五]
(夕暮れはどうして恋しい思いがつのるのでしょう 別に待っている人がいるわけでもないのに)

 うたた寝の夢

172 はかもなき よを頼むかな 宵の間
(ま)の うたた寝にだに 夢は見ずやと[続集五六八]
(あっけない夜をあてにしてしまう 夜のうたた寝でも恋しい人の夢は見るも
の)

 ただに語らふ男のもとより、女の許
(がり)やらむ歌と請(こ)ひた る、遣(や)るとて
(普通の男友だちから、女のところへ送る歌を作ってくれと言ってきたので、その歌を送るついでに)

173 語らへば 慰むことも あるものを 忘れやしなむ 恋のまぎれに
[続集五七〇・後拾遺集雑四]
(語り合っていると慰められることもあるのに わたしのことを忘れて しまわれるのではないかしら その方に心惹かれて)


 あやしきことに、人のいみじく言ひしに、その折は物も言はで、翌朝言ひやる
 
(変なことでわたしを疑って、あの人がひどいことをいろいろ言ったので、その時はなにも言わないで、翌朝歌を送った)

174 ことわりに 落ちし涙は ながれての 浮名をすすぐ 水とならまし
[続集二二七]
(ひどいことを言われて落ちた涙が 後々までわたしの浮名をすすぐ水となればいい)


 二月の桜の遅き頃
(二月咲く桜がなかなか咲かない頃)

175 待たせつつ 遅くさくらの 花により 四方
(よも)の山辺 に 心をぞやる[続集三六四]
(待たせてばかりでなかなか咲かない桜のせいで わたしは四方の山の桜のことばかり思っている)

 ものいみじう思ふ頃、風のいみじう吹くに
 
(ひどく物思いをしているとき、風が激しく吹くので)

176 身にしみて あはれなるかな いかなりし 秋吹く風を よそに聞きけむ
[続集二四五・続後撰集恋四・万代集秋上]
(身にしみるほど悲しくてならない いったいどのように過ごしていた秋に 今吹いている風を じぶんとは関係ないものと聞いていたのだろう)


 露よりも世のはかなきことを、人の言ふを聞きて
 
(露よりもこの世ははかないことを、人が言うのを聞いて)

177 草の上の 露にたとへし 時だにも こは頼まれし 幻の世か
[続集二四七・万代集雑五]
(草の上の露と例えるまでもなく この世は頼りにならない 幻の世なのか)


  かたらふ女ともだちの「世にあらむ限りは、忘れじ」 と言ひしが、音もせぬに
(仲の良い女友だちで、「生きている限り忘れない」と言った人が、便りもくれないので)

178 消え果つる 命ともがな 世の中に あらば問はまし 人のありやと
[続集二五一]
(死んでしまえたら あの世に行って 生きているなら便りをくれる人がいるかどうか尋ねたい)

 法師の来て、扇落として行きたるにやるとて
 
(僧が来て、扇を落として行ったので、送るときに)

179 はかなくも 忘られにける 扇かな おちたりけりと 人もこそ見れ
[続集二八九・後拾遺集雑六]
(かわいそうに忘れられてしまった扇 でも 女のところに扇を忘れるなんて 堕落したと人から思われますよ)
 ※おちたりけり―扇が落ちるのと、僧が戒律を破って堕ちるをかける。


 三月ばかり、人の「来む」とて、ただに明したる翌朝、 言ひにやる
 
(三月頃、人が来ると言ったのに、虚しく明かした翌朝、歌を詠んで送る)

180 夜の程も うしろめたなき 花の上を 思ひ顔にて 明しつるかな
[続集二四四・続集四三八]
(夜の間も気がかりな桜を心配しているような顔をして起きていて とうとう夜を明かしてしまった)

 九月ばかり、鶏の音にそそのかされて人の出でぬるに
 
(九月頃、鶏の声に急き立てられて、人が帰っていったので)

181 人は行き 霧は籬
(まがき)に たちどまり さも中空(なかぞら)に 眺めつるかな[続集四一八・風雅集恋二]
(あの人は帰ってしまうし 霧は垣根にかかっているし わたしは中途半端な気持ちで空を眺めるだけ)


 赤染が許
(もと)より(赤染衛門のところから)

182 行く
(ゆ)人も 留(と)まるもいかに 思ふらむ 別れて後の 又の別れを[後拾遺集離別・赤染衛門集]
(旅立つ人も 都に残る人も どのように思っているのでしょう 離縁した後にまた離ればなれになるのを)
 ※行く人―前夫橘道貞


 去りたる夫
(おとこ)の遠き国へ行くを、「いかが聞く」と言ふ人に
 
(わたしを捨てた夫が遠い国〔陸奥の国〕へ赴任するのを、「聞いてどう思いますか」と言う人に)

183 別れても 同じ都に ありしかば いとこのたびの 心地やはせし
[正集八四〇・千載集離別・続詞花集離別・赤染衛門集]
(別れても同じ都にいるのなら 今度のような思いはしたでしょうか)


 世の中さわがしき頃、語らふ人の久しう音せぬに
 
(疫病の流行で世の中が騒がしい頃、恋人が長い間便りをくれないので)

184 世の中は いかに成りゆく ものとてか 心のどかに 音づれもせぬ
[続集二三二・続集四三六]
(世の中はどうなっていくと思っていらっしゃるの あなたはのんびりかまえてお便りもくださらない)


 物忌にて、在る近き所に、人の来て、「え出でず」と言ひたるに
 
(わたしのいる近くに、あの人が物忌で移ってきて、「外へ出られない」と言ってきたので)

185 隔てたる 垣の間わたる 月ならば 語らはずとも かげは見てまし
[正集六四七]
(あなたが垣根だって隔てなく照らす月ならば お話しはできないにしても姿だけは見られたのに)

 人の、屏風の歌詠まするに、春野
 (人が屏風の歌を詠ませたときに、春野)

186 春ごとの 花の盛りは我 が宿に 来
(き)と来(く)る人の 長居せぬなし[正集八四三]
(毎春 花の盛りのときは わたしの家に次々とやって来る人は長居をしない人はいない)

 野の花を、馬に乗りたる人三人ばかり、見て過ぐる所
 
(野の花を、馬に乗った三人ほどで、眺めて通り過ぎる所に)

187 ある限り 心をとめて 過ぐるかな 花も見知らぬ 駒にまかせて
[正集八四四]
(誰もが花に惹かれながらも通り過ぎてゆく 花の美しさもわからない馬が歩くのにまかせて)


 山の花を。霞めらむ
(山の桜を詠んだ歌。霞が立っているのだろう)

188 花はなほ 人に見せなむ 隔てたる 霞のうちに 風もこそ吹け
[正集八四五]
(桜はやはり人に見せてほしい 霞で見えないうちに 風が吹いて花を散らすかもしれない)
 ※「花の色は かすみにこめて 見せずとも かをだにぬすめ 春の山かぜ/花の色は霞にとじこめて見せないにしてもせめて香りだけでも盗んできてくれ 春の山風[古今集春下・良岑(よしみねの)宗(むね)貞(さだ)]」をふまえている。良岑宗貞は僧正遍昭の俗名。


 出居
(いでい)あり。女、なでしこを見る
 
(客間にいて、女が撫子を見る)

189 咲きしより 見つつ日頃に なりぬれど なほ常夏に しく花はなし
[正集八四六]
(咲いたときから見てきて何日もなるが やはり常夏〔撫子〕ほど素敵な花はない)


 松に藤かかりたる 車より人々下りて見る
 
(松に藤がかかっているのを人々が車から降りて見ている絵に)

190 藤浪の 高くも松に かかるかな 末より越ゆる なごりなるべし
[正集八四七]
(藤が松の高い枝にかかってまるで波のよう 末の松山を越えた波の名残なのかしら)
 ※「君をおきて あだし心を わがもたば 末の松山 浪もこえなむ/あなたをさしおいて ほかの人を思う気持ちをわたしが持つなら あの末の松山を波も越えてしまうでしょう[古今集東歌・読人しらず]」からの連想。

 遠き山を、人越ゆ
(遠くの山を人が越えている絵に)

191 来し方を 八重の白雲 へだてつつ いとど山路のはるかなるかな
[正集八四九・新勅撰集旅]
(越えてきた方角は幾重にも白雲が隔てているし これから行く山道は遥かに遠い)

 海に臨みたる松に、蔦の紅葉のかかりたるを
 
(海に面している松に、蔦の紅葉がからんでいる絵を)

192 もみぢする 蔦しかかれば 自ら 松もあだなる 名ぞ立ちぬべき
[正集八五三]
(紅葉した蔦がからむと しぜんと松まで赤く見えて 移り気な噂が立つだろう)


 琴弾き、笛吹き、あそびするところ
 
(琴を弾き、笛を吹き、合奏して遊んでいる絵に)

193 聞く人の 耳さえ寒く 秋風に 吹き合はせたる 笛の声かな
[正集八五〇・夫木抄雑十四]
(聞く人の耳さえ寒い秋風に 盤渉調に調子を合わせて吹いている笛の音)
 ※秋風楽―雅楽。唐楽。盤渉調の中曲。

 山のふもとに家あり、紅葉散りて人なし
 (山のふもとに家があって、紅葉が散って誰もいない絵に)

194 散り散らず 見る人もなき 山里の 紅葉は闇の 錦なりけり
[正集八五四]
(散ったのか散っていないのか見る人もいない山里の紅葉は 暗闇で錦〔絹織物〕を着ているようなもので 紅葉していても甲斐がない)
 ※「見る人も なくて散りぬる 奥山の 紅葉は夜の 錦なりけり/見る人もいなくて散ってしまう奥山の紅葉は 夜に錦を着ているようなもの[古今集秋下・紀貫之]をふまえる。 


 人、山を越ゆるに、前に橋あり
(人が山を越えると、前に橋がある絵に)

195 橋朽ちて よくべき道も なかりけり 峰よりわたる 雲ならなくに
[正集八五二]
(橋が腐っていて そこを通らないで行ける道もない 峰から峰へ渡ることのできる雲ではないのだから)

 浜の松原に、ふるき海士の家あり
 
(浜辺の松原の中に、古びた海士の家がある)

196 いづ方の 風に障りて 海士人
(あまびと)の 浜の苫屋(とまや)を あ らし果つらむ[正集八五五]
(どこから吹いてくる風によって 海士人の浜の苫屋はすっかり荒れてしまったのだろう)
 ※苫屋―苫で屋根を葺いた粗末な家。


 海辺
(うみずら)に鷹据ゑたる旅人。雪、降りたる
 (海辺に鷹を肘にとまらせている旅人がいて、雪が降っている絵に)

197 空にたつ 鳥だに見えぬ 雪もよに すずろに鷹を 据ゑてけるかな
[正集八五六]
(空に飛び立つ鳥さえ見えない雪の激しく降るときに あてもないのに 鷹を肘にとまらせたりして)


 霜の白き早朝、人の許より
 
(霜が白く降りた早朝、人のところに)
 ※「より」は「に」の誤りか。


198 今朝はしも 思はむ人は 問ひてまし つまなき閨の 上はいかがと
[続詞花集恋下]
(今朝の霜では わたしのことを思う人だったら 尋ねるだろう「夫のいない寝室でどんなに淋しかっただろう」と)


 返し。よりのぶ
(返歌・よりのぶ※源頼信か)

199 つまなしと 言ふはまろやは かずならぬ 聞くにしもこそ 心置かるれ
(夫がいないだなんて それではわたしは夫ではないと言うの そんなことを聞くと あなたこそわたしを思っていない気がしてならない)

 いささ怨
(えん)ずる事ありて、夫の家を去るとて、常にする 枕に書きつくる
 
(少し恨むことがあって、夫の家を去るときに、いつもしていた枕に書きとめた)

200 代
(かわ)りゐむ 塵ばかりだに 偲ばじな 荒れたる床(とこ) の 枕見るとも[続集二〇七]
(わたしの代りに塵だけが居続けるでしょうが その塵ほどもわたしのことを思い出さないでしょう 荒れた床の枕を見たって)

 つらき心ありし人が、田舎より来て、音もせぬ
 
(薄情だった人が、田舎から帰ってきて、便りもくれないので)

201 きたりとも 言はぬぞつらき あるものと 思はばこそは 身をばうらみむ
[続集二一二]
(帰ってきたともおっしゃらないのは思いやりがない じぶんが今もこの世に生きていると思うなら あなたに捨てられたことを恨むでしょうが)

 わが心のつらきを見て絶えにし人に、心地あしき頃、 言ひやる
 
(わたしが冷たいのを見て仲が絶えてしまった人に、病気の時に送る)

202 ある程に 昔語りも してしかな 憂きをばあらぬ 人と知らせて
[続集二六九]
(生きているうちにあの頃のことを話してみたい 以前あなたに冷たくしたのはわたしではなくほかの人だと知らせて)


 「思ふ」とは言へど、ともすればうち怨じつつ出でて 行く。外にゐて、「死ぬばかりおぼつかなし」と言ひたるに
 
(「愛してる」と言うけれど、どうかすると恨みごとを言いながら出 て行く人が、よそにいて、「死にそうなほど心配だ」と言ってきたの で)

203 今はとて いく折々し 多かれば いとしぬばかり 思ふともみず
[続集二四六]
(「これが最後」と言って出て行くことが多いもの 死ぬほど愛してくださるとはとても思えない)

 雨の降る日、つれづれとながむるに、昔あはれなりし ことなど言ひたる人に
(雨の降る日、物思いに沈んでいる時に、昔のしみじみとした思い出 などを言ってきた人に)

204 おぼつかな たれぞ昔を かけたるは ふるに身を知る 雨か涙か
(わからない 誰かしら昔のことを言ってきたのは 雨が降っているせいか 年を取ったせいか わたしの不運を思い知らせてくれる)

 心にあらで、よそよそになりたる人に、雨の降る日
 
(本心と違って、別れてしまった人に、雨の降る日)

205 己がじし ふれどもあめの 下なれば 袖ばかりこそ 分かず濡れけれ
[正集六一七]
(それぞれに雨が降っても 同じ空の下なので ふたりとも袖だけは同じ思いに濡れています)

 あぢきなきことのみいでくれば、人の「返事を絶えて せぬは、いかなれば、かくおぼつかなきぞ」言ひたるに
 (つまらない噂ばかり立つので返事もしなかったら、その人から「返 事もしないなんて、どういうこと。心配でならない」と言ってきたので)

206 夏草の かりに立つ名も 惜しければ ただその駒を 今は野飼ふぞ
[続集二四八]
(噂が仮に立つのも嫌だから しばらくあなたを放っておくの)
 ※「夏草の」は「かり」の枕詞。刈る意から「かりそめ」などにかかる。野飼ふ―放し飼いにする。

 今宵今宵と頼めて、人の来ぬに、翌朝
 
(「今夜今夜」と約束した人が来ないので、翌朝)

207 今宵さへ あらばかくこそ 思ほえめ 今日暮れぬまの 生命ともがな
[正集六六三・後拾遺集恋二・古来風躰抄]
(今夜まで生きていたら また辛い思いをするから 日が暮れないうちに死んでしまいたい)

 人にあひて、もの言ひし所を、日頃ほかにありて、来て見れば、いたう塵ばみたるを見て、言ひやる
 
(恋人に逢って、話し合った所を、何日かよそにいて、また来て見ると、塵がひどく積もっているのを見て、歌を送った)

208 逢ふことの ありし所を 来て見れば さしも思はぬ 塵ぞゐにける
[続集二二九]
(あなたと逢った所に来てみると いてほしいとも思わない塵だけが積もっていた)

 人の許に、忘れ草、忍ぶ草包みてやるとて
 
(恋人のところに、忘れ草と忍ぶ草を包んで送るときに)

209 もの思へば われか人かの 心にも これとこれとぞ 著
(しる)く見えける[正集六一六・万代集恋四]
(思い乱れてじぶんなのか他人なのかわからないほど正体を失っていても 忘れようとする心〔忘れ草〕と忍ぶ心〔忍ぶ草〕とははっきりわかる)

 人の久しう音せぬに
(恋人が長らく便りをよこさないので)

210 ことわりや かつ忘られぬ 我だにも 有るか無きかに 思ふ身なれば
[正集六二四]
(あなたがわたしをお忘れになるのはもっとも あなたを忘れようとして忘れられないわたしだって 生きているのか死んでいるのかわからなくなるもの)


 心変わりたる男の、「待て、しばし思ひ変るな」とな む、言ふに
 (心変わりした男が、「待っていてくれ、しばらく気持ちを変えない で」などと言うので)

211 いさやまだ 変りも知らず 今こそは 人の心を 見ても習はめ
[正集六一九・玉葉集恋四・新後拾遺集恋二・万代集恋 三]
(さあ どうでしょう まだ心変わりも知らないわたしだけれど これからはあなたの心の変わるのを見て真似するかも)

 梅の散り果てたるを眺めて
(梅がすっかり散ったのを見て)

212 おぼろけに 惜しみし花は 散りにけり 枝にさへこそ めはとまりけれ
[正集七七九]
(あれほど惜しんだ梅も散ってしまった 芽ばかり残っている枝を思わず見てしまう)


 人の、「いま桜も咲きなむ」と言へば
 
(人が、「もうすぐ桜も咲くでしょう」と言うので)

213 まさざまに 桜も咲かむ みには見む 心に梅の香 をば偲びて
[正集七八〇]
(梅よりももっときれいに桜も咲くでしょう 見るには見ても 心の中では梅の香りを懐かしんでいるでしょう)

 遠き所へ行く人に、「世の中のはかなき事」と言ひて
 
(遠い所に行く人に、「世の中のはかないこと」と言って)

214 それと見よ 都の方の 山際に 結ぼほれたる 煙けむらば
[続集四八八・夫木抄雑一]
(わたしの煙だと思って見て 都のほうの山際に火葬の煙がからまって煙っていたら)

 九月ばかりに、いとつれづれにて、人に言ひやる
 
(九月頃、何もすることがないので、ある人に送った)

215 秋深き あはれを知らば 知らざらむ 人もここをぞ 尋ね来て見む
[正集七〇九・万代集雑一]
(晩秋の深い情趣がわかる人なら わたしを知らない人でも ここを訪ねて来るだろう)

 「亡くならむ世までも思はむ」 など言ふ人の、患ふ頃、音せぬに
 
(「亡くなった後までも愛し続ける」などと言う人が、わたしが患っているときに、便りがないので)

216 偲ばれむ ものとも見えむ 我が身かな ある程をだに たれか問ひける
[続集二七〇・続後撰集恋五・万代集恋五]
(亡くなったら思い出していただけるとは思えない 生きているときでさえ だれも尋ねてくれないもの)


 見渡しなる処に、見ゆる人々に言ひやる
 
(見通しのきく所に、見える人たちに送る)

217 あはらにも 見ゆるものかな 玉簾
(たまだれ)の みすかし顔は たれもかくるな[続集三六六]
(ずいぶんはっきり見えるものね 簾を透かして見えるわたしの顔のことはだれも言わないで)


 忍びてもの言ふ人のあるに、こと人のあれば、急ぎて 出づるに、扇、変りにけり。やるとて
 
(人目を忍んで話をする人がいるときに、別の人が来たので、話していた人が急いで出て行く時に、扇が入れ替わった。それを送るときに)

218 かたらはむ 人もなかりつ とりかふと 思ひしにやる 扇なりけり
[正集八〇五]
(親しく語り合う人なんていなかった それに交換の扇だと思ったのに ただ取り違えただけだなんて)

 ものより夏頃来たる男の、音せぬに
 
(ある所から夏頃帰ってきた男が、訪ねても来ないので)

219 夏衣 きてはみえねど わがために 薄き心の あらはなるかな
(夏の着物を着てお見えにならないけれど わたしにはあなたがど れだけ薄情かはっきりわかったわ)
 ※「薄き」は「夏衣」の縁語。


 月の明き夜、人に
(月の明るい夜、ある人に)

220 月を見て 荒れたる宿に 眺むれば 見ぬ来ぬまでも なれに告げよと
[日記]
(月を見て荒れはてた宿で物思いにふけっていることをあなたは見に 来ないとしても あなたのほかに誰に知らせたらいいのでしょう)※日記では「なれに」は「たれに」。

 石山に籠りたるを、久しう音もし給はで、帥の宮
 
(石山寺に籠っていたところ、長らく便りもなさらなかった帥の宮さ まが)
 帥の宮―冷泉天皇第四皇子敦道親王。


221 関こえて 今日ぞとふとや 人は知る 思ひ絶えせぬ 心づかひを
[万代集恋三・日記]
(逢坂の関を越えてまで 今日わたしがお便りすると思われましたか わたしの絶えることのないあなたへの想いをわかってください)


 返し
(お返事)

222 あふみぢは 忘れぬめりと 見しものを 関うち越えて 問ふ人やたれ
[正集八七九・日記・万代集恋三]
(近江にいるわたしをお忘れのようだと思っていましたけれど 逢坂の関を越えてお便りになさったのはどなたでしょう)

 また、「いつか出づる」とあれば
 
(また、「いつ山を出るのか」とあるので)

223 山ながら うくはうくとも 都へは 何か打出の 浜も見るべき
[正集八八〇・日記]
(山にいて辛いことがあったとしても いつここを出て打出の浜〔琵琶湖畔〕を通って都へ帰ることがあるでしょうか)

 宮の御かへし
(宮からのお返事)

224 うきにより ひたやごもりと 思へども あふみぞ見にも 打出でて見よ
[日記]
(辛いことがあってひたすら山籠りしようと思われたとしても 打出の浜から近江の湖を見て わたしに逢いに帰ってきてください)

 ある人の、扇をとりて持たまへりけるを御覧じて、大殿、「たがぞ」と問はせたまひければ、「それが」と聞えたまひければ、取りて、「浮かれ女の扇」と書きつけさせたまへるかたはらに
 
(ある人が、わたしの扇を取り上げて持っていらっしゃるのをごらん になって、大殿〔藤原道長〕が、「誰のだ」とお尋ねになったので、「あの女のです」と申し上げると、大殿は取って、「浮気な女の扇」とお書きになった、そのそばに)

225 越えもせむ 越さずもあらむ 逢坂の 関守ならぬ 人な咎
(とが)めそ
(男女の逢瀬の関を越える者もいれば 越えない者もいます 関守でもないのに咎めないでください)

 帥の宮、橘の枝を賜はりたりし
 
(帥の宮さまが、橘の枝をくださったので)

226 薫る香を よそふるよりは 時鳥 聞かばや同じ 声やしたると
[千載集雑上・日記]
(橘の香りに亡くなった方を偲んでいるよりは あなたのお声を直接お聞きしたい お兄さまと同じお声なのかどうか)


 かへし
(お返事)

227 同じ枝
(え)に 鳴きつつをりし 時鳥 声は変らぬ ものと知らなむ[新千載集雑上・日記]
(わたしと兄は同じ枝に鳴いていたほととぎすのようなもの 兄と声は変わらないとご存じではないのですか)

 大雨の朝
(あした)、「宵はいかが」と、宮よりある御返事(かえりごと)
 (大雨の朝、「昨夜はどうでした」と、宮さまからお見舞いがあった お返事に)


228 夜もすがら 何事をかは 思ひつる 窓うつ雨の 音を聞きつつ
[日記]
(一晩中 なにを思っていたのでしょう ただあなたのことばかり 窓を激しく打つ雨の音を聞きながら 
 ※[白氏文集・上陽白髪人]の蕭々(ショウショウ)タル暗キ雨ノ窓ヲ打ツ声/もの寂しく暗夜に降る雨が窓を激しく打つ音の引用)

 返し
(お返事)

229 われもさぞ 思ひやりつる 夜もすがら させるつまなき 宿はいかにと
[日記]
(わたしも同じように雨の音を聞きながら あなたのことを思っていた しっかりした夫もいない宿で どうしていらっしゃるのかと)

 石山にありけるほど、宮より、「いつか出づる」など 宣ひけるにや
 
(石山寺に籠っていたとき、宮から「いつ山をでるの」などとおっしゃったからかしら)

230 試みよ 君が心も 試みむ いざ都へと 来てさそひ見よ
[正集八八二・日記]
(わたしが愛しているかどうか試してみたら わたしもそれであなたの 気持ちを試したい ここへ来て「さあ 都へ帰ろう」と誘ってみてください)
 ※日記は、上句が違う。「こころみに おのが心も こころみむ いざ都へと 来てさそひみよ(わたしの山籠りの決意がどのくらいか試してみましょう あなたも本気なら ここへ来て都に帰ろうと誘ってみてください)」

 宮より、「紅葉見になむまかる」と宣へりけれど、そ の日はとどまらせ給ひて、その夜、風のいたく吹きければ、つとめて聞ゆ
 
(宮から、「紅葉を見に行きます」と言っていらっしゃったが、その 日は中止になって、その夜、風がひどく吹いたので、翌朝申し上げる)

231 もみぢ葉は 夜半のしぐれに あらじかし 昨日山辺を 見たらましかば
[日記]
(紅葉の葉は昨夜の時雨で散って残っていないでしょう 昨日山に行って見ていたら・・・)

 十月ばかり、帥の宮より、「いかにつれづれに」と宣へれば
 (十月頃、帥の宮さまから、「どんなに退屈しているでしょうね」とおっしゃってきたので)

232 花見にと 暮しし時は 春の日も いとかく長き ここちやはせし
[続集四一九・四三九]
(花見をして浮かれて暮らしているときは 日が長い春も長い気がしない)


 帥の宮亡せ給ひての頃
(帥宮さまがお亡くなりになった頃)

233 刈る藻かき 臥
(ふ)す猪(い)の床(とこ)の 睡(い)をやすみ さこそ寝 ざらめ かからずもがな[続集三一・後拾遺集恋四・後撰集六六]
(猪は枯れ草をかき集めて寝床を作り 居心地がいいので何日も寝るというが わたしはそんなふうに眠れなくても ほんの少しでも眠れたらと思う)


 同じ頃、傅
(ふ)の殿に (同じ頃、傅の殿のところに)

234 さる目見て 世にあらじとや 思ふらむ あはれを 知れる 人の問はぬは
[続集一〇八]
(あんな悲しい目にあって この世にいないと思っていらっしゃるのでしょう 悲しみを知っている人がお便りもくださらないのは)
 ※傅の殿―皇太子の補導役。ここでは藤原道綱のこと。


 傅の殿より
(傅の殿から)

235 袖ぬれて いづみといふ名は 絶えにきと 聞きしをあまた 人の汲(く)むなる
(悲しみの涙に袖が濡れて 和泉式部という名は絶え果てたと聞いたけれど 今も大勢の男が出入りしているようですね)

 返し
(お返事)

236 影見たる 人だにあらじ 汲まねども いづみてふ名の 流ればかりぞ
(わたしの影を見た人さえいないのに 一度浮名が立ったばかりに なにもなくても浮名が立ってしまうのです)

 又、おなじ殿より。東宮のなほただに書かせて
 
(また、同じ殿から。東宮職の役人なおただ〔藤原尚忠か〕に代筆さ せて)

237 音にのみ ならしの岡の 時鳥 こと語らはむ 聞 くや聞かずや
(噂にばかり聞いていた時鳥〔和泉式部〕 お会いして語り合いたい いいですか いやですか)

 その御文を返したれば、又
(そのお手紙を返したところ、また)

238 人ゆかぬ 道ならなくに 何
(なに)しかも 板田(いただ)の橋の ふみ返すらむ
(人が行かない道ではないから 板田の橋ではないが 橋の桁を伝ってでも逢いに行くのに どうして手紙を返したりするのです)
 ※板田―大和国の歌枕 ※「小墾田(おはりだ)の板田の橋の 壊れなば 桁より行かむ な恋ひそ我妹/小墾田にある板田の橋が壊れていれば 橋の桁をつたって逢いにいくから そんなに恋しがらないで 愛しい人[万葉集]」をふまえる。


 返し
(お返事)

239 なほやめよ ふみかへさるる 小懇田
(おはりだ)の 板田の橋は こぼれもぞする
(もうおやめください 手紙を返されたのですから いくら板田の橋だって落ちてしまいます)

 扇はらせて、姉妹たちにこころざすとて
 
(扇を作らせて、姉妹たちに贈るときに)

240 今はかく 離れ島なる 我なれば ほりあつめたる かはほりぞこは
(鳥も住まないような島で あたかも鳥のような顔をしているこうもりのように 今はわたしも一人ですから 蝙蝠扇を)
 ※かはほり―蝙蝠扇の略。開くとこうもりの翼を広げた形に似ることからいう。
 ※ほりあつめたる―意味不明。


 ある人の、「来む」と言ひたるに
 
(ある人が、「行くよ」と言ってきたので)

241 もしも来ば 道の間ぞなき 宿はみな 浅茅が原に なり果てにけり
(もしいらっしゃるなら 通り道もありません 家の庭はみな雑草が生 い茂ってしまいました)

 津の国より、人の言ひおこせたる
 
(摂津の国から、人が言って寄越した)

242 忘れ草 摘む人ありと 聞きしかば 見にだにも見ず 住吉の岸
(忘れ草を摘むと恋しい人を忘れると聞いたので 見にさえも行かない 住吉の岸)
 ※住吉の岸―忘れ草の名所。


 返し
(お返事)

243 忘れ草 摘むほどとこそ 思ひつれ おぼつかなく て 程の経つれば
[正集七九一]
(忘れ草を摘んでわたしのことを忘れてしまったのかと思ったわ 待ち 遠しいほど時が過ぎたので)

 春つ方、人の来たりければ、花もみな散りにければ、 道済
(みちなり)などにや
 
(春の頃、人が訪ねてきたけれど、桜の花もすっかり散っていたので、 訪ねてきたのは道済だったかしら)

244 いたづらに 帰らむことを 思ふかな 花の折こそ 告ぐべかりけれ
[正集七七八]
(むなしくお帰りになったのはお気の毒 花盛りのときにお知らせすれ ばよかった)
 ※道済―源道済。

 返し、をとこ
(返歌、男)

245 散りにけむ 花をば今は いかがせむ 見て過しけむ 人に問はばや
(散ってしまった花を残念がってもどうしようもない 花の盛りを見て 過ごしたあなたにどんなに美しかったか聞いてみたい)

 この同じ男、又、山吹の散り果てにたるに
 
(同じこの男が、また、山吹がすっかり散ってしまったときに)

246 けふもまた 何にか来つる 一重だに 散りも残らず 八重の山吹
[正集七九五]
(今日もなんのために来たのだろう 一輪だって散り残っていない八重 の山吹)

 返し
(お返事)

247 散りにきと 言ひてや止まぬ 山吹の 折り枯らしたる 枝はなしやは
(散ってしまったなんて言っていいでしょうか 花盛りのときに訪れた 人の折って枯らした枝があるではないの ほんとうに花の好きな人は盛 りの時に来るものよ)

 紫の織物の直垂を、置きたりけるを、遣るとて。よりのぶに
 
(紫色の織物の直垂を、置き去りにしてあったから、それを送るついでに、頼信に)

248 色にいでて 人に語るな 紫の 根ずりの衣きて 寝たりきと
[続集二八〇]
(人には言わないでね 紫の根で摺り染めた衣を着て寝たなんて)


 七月八日、大将殿よりありしは忘れて、御返しに聞き ゆる
 (七月八日、大将殿からいただいた歌は忘れたが、お返事に申し上げたのは)

249 七夕の 今日のよばいの うちかえり 又待ち遠に ものや思はむ
(七夕の今日の逢瀬の後 また来年の逢瀬まで待ち焦がれて苦しい思い をするのでしょうか)
 ※大将殿―藤原道綱か。


250 彦星は 思ひもすらむ なかなかに 秋は昨日の なからましかば
[正集八二四]
(彦星は物思いに沈んでいるでしょう 別れた後でこんな淋しい思いを するなら かえって秋に昨日という日がなかったらよかったのにと)

 正月七日、親の勘事なりしほどに、若菜やるとて
 
(正月七日、親から勘当されていたときに、若菜を送るときに)

251 こまごまに あふとは聞けど なきなをば いづらは今日も 人のつみける
[正集七二七]
(白馬の節会で いろいろな馬に会うと聞きますが 根拠のない噂を  どうしたのか今日も人は信じてわたしを責めます)

 返し、親
(返歌、父親)

252 なきなぞと いふ人もなし 君が身に おひのみつむと 聞くぞ苦しき
(根拠のない噂だと言ってくれる人もいない あなたの身によくない噂 が増すばかりだと聞くのはほんとうに辛い)

 稲荷に詣でて、御前なる程に、鹿の鳴けば
 
(稲荷に参詣して、神様の御前にお籠りしているときに、鹿が鳴くので)

253 思ふこと しかだになくは いとどしく 高きみ山の かひよと思はむ
[夫木抄秋三]
(こんなに苦しい思いをすることがなかったら 高い山に上ってお籠も りした甲斐があったと思うのに)
 ※「鹿」に「しか〔副詞〕」をかける。


 雅道の少将、有明の月を見て、おぼし出づるなるべ
 
(雅道の少将が有明の月を見て昔のことを思い出されたのだろう)

254 ねざめして 独り有明の 月見れば 昔見馴れし 人ぞ恋しき
(目が覚めて一人有明の月を見ていると 昔見慣れたあなたを思い出し 恋しくてならない)

 返し
(お返事)

255 寝られねど 八重葎せる 槇の戸に おし明方の 月をだに見ず
[続集二六七]
(わたしは寝られないで 雑草の生い茂る家で 戸を開けることもなく 明け方の月さえ見ない)

 知りたる人の、馬に乗りて、前渡りするを
 
(知っている人が、馬に乗って、素通りするので)

256 言はましを われが手馴れの 駒ならば 人に従ふ あゆみすなとも
[続集五五八]
(わたしが手なづけた馬ならば 人の言いなりに歩かないでと言うものを)

 知りたりし人の、月あかき夜来て、帰りにしに、つと めて言ひやる
 
(知り合っている人が、月の美しい夜に来て、すぐ帰ったので、翌朝 送る)

257 床の上の 枕も知らで 明してき 出でにし月の 影を眺めて
[正集六二一・万夜集恋三]
(横になることもしないで明かしてしまった 空に出た月の光を眺めな がら)


  又、和泉守道貞が妻
(め)の下る日、わが下る、同じ日なり ければ
 
(また、前夫和泉守道貞の妻が夫の任地へ下るのと、わたしが今の夫の任地に下るのが、同じ日だったので)

258 なかなかに おのが舟出の たびしもぞ 昨日の淵を 瀬とも知りぬる
[正集七四〇]
(よりによってわたしの門出の日に 「昨日の淵ぞ今日は瀬になる」で はないが この世は無常なことを改めて思い知らされました)
 ※「世の 中は何か常なる 飛鳥川 昨日の淵ぞ 今日は瀬になる/この世の中で 不変なものは何一つない 飛鳥川は昨日淵であった所が今日は瀬になっ ている「古今集雑下・読人しらず]」をふまえる。


 かたらふ人の来たりけるを「きよまはる事あり」とて、 返してければ、つとめて、かう言ひやりたり
 
(親しくしている人が来たのを、「身を清めなければことがあるから」と追い返したので、翌朝、こう言ってきた)

259 契りしを 違
(たが)ふべしやは いつくしき 疎忌真忌(あらいみま) きよまはるとも
(約束を破ったりしていいの どんな厳粛な精進潔斎をしていようが)

 返し
(お返事)

260 須佐之男の 尊を折る ともなしに 越えてぞ来 まし 浪の八重垣
[夫木抄雑十六]
(須佐之男尊を祈って籠っているわけではないので 踏み越えていらっ しゃればいいのに 浪の八重垣を)

 ある人の物言ひに来て、単衣の鳴りければ、脱ぎおき て出でにける翌朝
 
(ある人が話をしに来て、単衣の音がしたので、脱いだまま帰った翌朝に)

261 音せぬは 苦しきものを 身に近く なるとていとふ 人もありけり
[正集六七七・詞花集雑上・後葉集雑一]
(便りがないのは辛いものなのに 親しくなると疎ましく思う人もいる)

 忍びて語らふ人の患ひて、「今宵はえ過ぐすまじ」と 言へりければ、又の翌朝
 
(人目を忍んでつきあっている人が病気になって、「今夜過ごせそう にない」と言ってきたので、その翌朝)

262 おぼつかな 夜の間の程も しら露の おき居やすらむ 死にやしぬらむ
(心配でならなかったわ 「今夜過ごせそうにない」とおっしゃるか ら 今頃は起きていらっしゃるのかしら それとも死んでしまわれた かしらと思って)

 「一日
(ひとひ)も怠らず音せむ」と契りし人の、心地の悪しく おぼゆる日しも、音もせで、又の日音づれたるに、「昨日は」とて
 (「一日も休まずお便りする」と約束した人が、わたしの気分の悪い 日に、便りもくれないで、翌日便りをくれたのに、「昨日は」と書いて)

263 かくやはと 思ふ思ふぞ 消えなまし 今日まで堪へぬ 命なりせば
[続集四一一・万代集恋三]
(今日まで生きられない命なら 「便りをくださらないなんて」と繰り返し恨みながら 昨日あのまま死んでしまったでしょう)

 物いたく思ふ頃、夕暮に
 
(物思いにひどく沈んでいる頃、夕暮れに)

264 夕暮の あはれはいたく 増さりけり 日ひと日物は 思ひつれども
(夕暮れはいっそうやるせなく恋しさが増してくる 一日中思い続けて いても)

  七月七日、待つ人のもとに言ひやる
 
(七月七日、来てくれればと思う人のところへ送る)

265 そのほどと 契らぬ仲は 昨日まで 今日をゆゆしと 思ひけるかな
[続集二五二]
(逢う日をいつと決めない仲は昨日まで 七夕なんて恋する人には縁起 でもないと思っていたけれど いつ逢えるかわからないよりも年に一度 の逢瀬のほうがいい)


 時々来
(こ)し人の絶えて後、その人の親族なる人の
 
(時々来ていた人が来なくなってから、その人の親戚の人が)

266 かりに来し 海士
(あま)もかれにし うらさびて ただみるままに おのが仕業(しわざ)[続集一〇・二五三]
(一時的にあなたのところへ来ていたあの人と疎遠になって 淋しそう ですが わたしの見るところ これもみなあなたのせいです)


 返し
(お返事)

267 海士
(あま)はよも かれじとぞ思ふ 磯馴れて 浪の立つやと 訪(と)はぬばかりぞ
(あの人は絶対にわたしを捨てないと思う たびたびやって来ては邪魔が入るのではないかと思って来ないだけです)
 観身岸額離根草、論命江頭不頭繁舟 (身を観(かん)ずれば岸の額(ひたい)に根を離れたる草 命を論ずれば江(え)の頭(ほとり)に 繋(つな)がざる舟/人間の身を考えると 根が絶えて岸辺を草のようにはかない 人間の寿命を考えると 川のほとりに繋がれていない舟のように頼りない[和漢朗詠集])


268 見る程は 夢も頼まる はかなきは あるをあるとて 過ぐすなりけり
(見ているうちは夢でも信じてしまう そんなはかない夢よりも もっ とはかないのは 現世は幻なのに真理だと思って過ごすこと)

269 教へやる 人もあらなむ 尋ねみむ 吉野の山の 岩のかけ道
(教えてくれる人がいれば 俗世を捨てて訪ねて見るのだが 吉野の山 の山道を)
 ※「世に経れば 憂さこそまされ み吉野の 岩のかけ道 踏 みならしてむ/世の中に長く住んでいると嫌なことが増してくる こん なことなら吉野の山の険しい岩の道を踏みしめて山に入ってしまおう [ 古今集雑下・読人しらず]」「み吉野の 山のあなたに 宿もがな 世 の憂き時の 隠れがにせむ/吉野の山の向こう側に家があったら 世の 中が嫌になった時の隠れ家にするのに[古今集雑下・読人しらず]」をふむ。


270 観ずれば 昔の罪を 知るからに なほ目の前に 袖はぬれけり
(前世で犯した罪だと思えばあきらめもつくのに それでもやはり目の 前の悲しみに袖が濡れる)

271 住の江の 松に問はばや 世に経(ふ)れば かかる物思 ふ 折やありしと
[万代集雑三]
(住吉の松に聞いてみたい 長い年月の間に わたしのようなこんな辛 い思いをすることがあったかと)
 ※「住の江」は「住吉」の古名。

272 例よりも うたて物こそ 悲しけれ 我が世の果てに なりやしぬらむ
(いつもより妙に悲しくてならない わたしの死期が近づいたのだろ うか)

273 はかなくて 煙
(けぶり)となりし 人により 雲居の雲の むつまじきかな
(はかなく煙となってしまった人から 太空の雲に親しみを感じる)
 ※紫式部は「見し人の けぶりとなりし 夕べより 名ぞむつましき 塩釜の浦 (連れ添った人が煙となった夕べから 名に親しさが感じられる塩釜の浦)」と詠っている。

274 消えぬとも 朝には又 置く霜の 身ならば人を 頼みみてまし
(消えても翌朝にはまた降りる霜の身ならば 亡くなった人ともいつか 会えるとあてにするのに)

275 潮の間に 四方
(よも)の浦浦 もとむれど 今はわが身の いふかひもなし[新古今集雑下]
(潮が引いたときに 四方の浦を探しても どこにも貝がないように  もうわたしには生き甲斐もない)


276 野辺見れば 尾花がもとの 思ひ草 かれゆく程に なりぞしにける
[新古今集冬]
(野辺を見ると 尾花の根元の思い草が嗄れてゆく頃になってしまった)
 ※「思い草」―「なんばんぎせる」といわれ、女郎花・露草・竜胆・紫 苑という説もある。

277 ひねもすに 嘆かじとだに あるものを 夜はまどろむ 夢も見てしか
(一日中 せめて嘆かないようにしようとしているもの 夜は眠って夢 でも見ていたい)

278 たれか来て 見るべきものと わが宿の 蓬生あら し 吹き払ふらむ
[正集三六七・夫木抄雑一・同雑十]
(誰が来てくれると思って道を作っているのだろう わたしの家の雑草 を嵐が吹き払っている)

279 人問
(と)はば いかに答へむ 心から 物思ふほどに なれる姿を[万代集恋一]
(人が尋ねたらどう答えたらいいのだろう じぶんの心から物思いのす えにやつれたこの姿を)


280 庭の間も 見えず散り積む 木の葉屑 掃
(は)かでもたれの 人か来て見む[正集三六八・夫木抄雑十四]
(庭の土も見えないほど一面に散り積もった木の葉 掃かなくてもいい  誰かが来て見るわけではないから)


281 音
(ね)に泣けば 袖は朽ちても 失せぬめり 身のうき 時ぞ 尽きせざりける[正集三六九・千載集恋五]
(声をあげて泣くから 袖も腐って失くなってしまう じぶんの身を辛 いと思うときは いつになってもなくならない)


282 緒を弱み 乱れて落つる 玉とこそ 涙も人の めには見ゆらめ
[新勅撰集恋四]
(貫いている紐が弱って乱れ落ちる玉くらいにしか人の目には見えない でしょう この辛い思いで泣いた涙も)

283 花を見て 春は心も 慰みき 紅葉の折ぞ ものは悲 しき
(花を見て春は心も慰められる 紅葉のときはたまらなく悲しい)

284 難波潟
(なにわがた) みぎはの葦(あし)に たづさはる 船とはなしに あるわが身かな[正集三七〇・千載集恋四]
(難波潟の水際に生える葦に妨げられる舟でもないのに 苦労が多く障 害の多いわたしだ)


285 例よりも 時雨れやすらむ 神無月 袖さへ通る 心地こそすれ
(例年よりも時雨が多いのかしら 今年の十月は 袖までもびっしょり 濡れる気がする)

286 たらちめの いさめしものを つれづれと 眺むるをだに 問ふ人もなし
[正集三七一・新古今集雑下]
(親がいたら叱るだろうに ただぼんやりと物思いにふけっているわたしの虚しさをわかってくれる人もいない)
 ※本歌の「たらちねの 親のいさめし うたたねは 物思ふ時の わざにぞありける[拾遺集・読人しらず](親がやめるように言ったうたた寝は 恋に思い悩んで夜を明かしたせいである)」を『源氏物語』の総角でも引用している。

 親の心よからずおもひけるころ、いはほのなかにもいふうたを、句のかみごとにすゑて、うたをよみて、母のがりつかはしける
(親が不快に思っている頃、「いかならむ 巌の中に 住まばかは 世の憂きことの きこえこざらむ/どうなのだろう 巌の中に住んだとしたら 世の中の嫌なことは聞こえてこないだろうか[古今集・読人しらず]」という歌を、歌の最初にすえて、歌を詠んで、母のところへ遣わした)

287 瑠璃(るり)の地と 人も見つべし 我が床
(とこ)は 涙の玉と 敷きに敷ければ[正集三七二]
(瑠璃の地と人も見るでしょう わたしの床は 絶え間なく落ちる涙が  まるで玉を一面に敷きつめたようだから)
 ※「瑠璃の地」は、薬師如来 が東方に瑠璃(七宝の一つ)を敷きつめた浄土を開き、そこに住んだと 説く「薬師如来本願経」による。


288 暮れぬなり いく日
(か)をかくて 過ぎぬらむ 入相の鐘の つくづくとして[新古今集雑下]
(今日も暮れてゆく 幾日をこのように過ごしてしまったのだろう 晩 鐘を聞きながら つくづくと物思いに沈んで)


289 さ雄鹿の 朝立つ山の とよむまで なきぞしぬべ き つま恋ひなくに
[正集三七三]
(雄鹿が朝早く妻を求めて山がこだまするほど鳴くように わたしも大 声をあげて泣いてしまいそうです)


290 命だに あらばみるべき 身の果てを 偲ばむ人も なきぞ悲しき
[新古今集雑下]
(あの人が生きてさえいたら わたしの最後を見てくれるでしょうが  わたしが死んでも偲んでくれる人がいないのが悲しい)

291 野辺に出づる み狩
(かり)の人に あらねども とり集めてぞ 物は悲しき[正集三八二・万代集雑一]
(鳥を捕りに野辺に出てゆく狩人でもないのに とり集めて―さまざま な辛いことが重なって悲しくてならない)

292 塵のゐる ものと枕は なりぬめり 何のためかは うちも払はむ
[正集三七五・新勅撰集恋四]
(枕は塵がつもるばかり あの人がいない今 塵を払う気もしない)

293 惜しと思ふ 折やありけむ ありふれば いとかく ばかり 憂かりける身を
[正集三七六・万代集雑六]
(命を惜しいと思ったときがあったのだろうか 生きていればこんなにも憂鬱なわたしなのに)


294 櫓
(ろ)も押さで 風に任する あま舟の いづれのかたに 寄らむとすらむ[正集三七七]
(櫓も押さないで風にまかせて漂うあま舟 いったいどこの岸に寄ろう としているのだろう〔あの人をなくして わたしはいったいどうなるの だろう〕)


295 すみなれし 人かげもせぬ わが宿に 有明の月の 幾夜ともなく
[正集三七八・新古今集雑上]
(住み慣れていたあの人の姿も見えないわたしの家に 有明の月は毎晩 訪れる)

296 例ならず 寝覚めせらるる 頃ばかり 空とぶ雁の 一声もがな
[正集三七九]
(いつになく目が覚めた今日だけでも 空飛ぶ雁の一声がほしい〔ほん の一言でもいいからお便りがほしい〕)


297 春立たば いつしかも見む み山辺の 霞にわれや ならむとすらむ
[正集三八〇]
(春になると早くも見る山辺の霞に わたしはなってしまうのかしら 〔死んでしまうのかしら〕)


298 えこそなほ うき世と思へど 背かれぬ おのが心の うしろめたさに
[正集三八一]
(辛い世の中だと思うものの やはり捨てきれない 出家して道心を守 り通せるか不安だから)

299 軒端だに 見えず巣がける わが宿は 蜘蛛のいたくぞ 荒れ果てにける
[正集三七四]
(軒端さえ見えないほどに蜘蛛が巣を張ったわたしの家は ひどく荒れ はててしまった)


300 程ふれば 人は忘れて 止みにけむ 契りし言を 猶頼むかな
[正集三八三・千載集恋四]
(時が経ったのであの人はわたしのことを忘れたでしょう でもわたし は約束した言葉が忘れられなくて あてにしています)

301 外山吹く 嵐の風の 音きけば まだきに冬の 奥ぞ知らるる
[正集三八四・千載集冬]
(人里近い山で吹いている嵐の音を聞くと まだ冬になったばかりなのに 真冬の凄まじさが思いやられる)


302 龍膽
(りんどう)の 花とも人を 見てしがな かれやは果つ る 霜がくれつつ[正集三八五]
(恋人が竜胆(りんどう)の花だったらいいのに 竜胆は霜に打たれても枯れたりし ないから〔あの人が離れたりしないから〕)


303 鳰
(におどり)の 下の心は いかなれや み馴るる水の 上ぞつれなき[正集三八六]
(鳰〔あの人は〕は内心どう思っているのだろう 馴れた水の上ではさ りげなくしているものの〔わたしの前ではさり気なくしているものの〕)
 ※鳰―かいつぶり


304 露を見て 草葉の上と 思ひしは 時まつ程の 命なりけり
[続後拾遺集哀傷・万代集雑五]
(露を見て草葉の上と思っていただけだが 死期を待つ間の人の命だっ たのだ)

305 何
(なに)の為 なれるわが身と 言ひ顔に やくともものの 歎かしきかな[正集三八七・万代集雑五]
(なんのためにこの世に生まれてきたのかと言いたくなるくらい 愚痴 をこぼすばかりで嘆かわしい)

306 限りあれば 厭ふままにも 消えぬ身を いざ大方は 思ひ捨ててむ
[正集三八八・万代集雑六]
(人の命には定めがあるから 嫌だからといって死ねないけれど だい たいのことは捨ててしまおう)


307 さなくても 淋しきものを 冬くれば 蓬の垣の かれ果てにして
[正集三八九・万代集冬]
(そうでなくても訪れがなく淋しくてたまらないのに 冬が来ると 垣根の蓬が枯れ果てて荒涼たる思いがする)


308 類
(るい)よりも 一人離れて 知る人も なくなく越えむ 死出(しで)の山道
(一族からも離れて わたしは一人で知る人もなく泣きながら越えるだ ろう 死出の山道を)

309 吹く風の 音にも絶えて 聞えずは 雲の行方を 思ひおこせよ
[正集三九〇]
(わたしの噂が風の便りでも聞こえなくなったら 雲の行った先を見て  わたしを思い出してください)
 ※「雲」に火葬の煙を暗示。

310 寝し床に 魂なき骸
(から)を とめたらば なげの哀れと 人も見よかし[正集三九一]
(二人で寝た床に 魂のないわたしの亡骸を残したら〔わたしが死んだ なら〕少しはかわいそうだと思って あなたも見てください)


 春歌
(春の歌)

311 春日野に 千代も経
(へ)ぬべし 神のます 三笠の山に きたりと思へば[栄花物語木綿四手]
(春日野で 千年も寿命が延びそうな気がする 神さまが鎮座していら っしゃる三笠の山に来たのだなと思うと)※春日神社―藤原氏の氏神。
 ※三笠山―春日山の別称。

312 野辺に出て 松をためしに 引きてこそ 万代
(よろずよ)経べき 程は知りぬれ
(野辺に出て 松を延命の例として引き抜いて わたしも万歳まで生き るのだとわかりました)

313 花に飽かで 今日も暮れなば 水の面に 浮べる月を かくこそは見め
(花を満足するまで見ないで今日も暮れたら 今夜は 水の上に浮かぶ 月を 花を堪能するように見よう)

314 影にさへ 深くも色の 見ゆるかな 花こそ水の 心なりけれ
(水に映る影でさえ 花は色濃く見える 花こそ水の情趣そのもの)  

 夏

315 葵草 かざして行くと 思ふより 急ぎたたるる 賀茂川の波
(葵を挿頭して祭りに行くと思うと 気ぜわしく準備を始める気になる  賀茂川の波のように)

316 いく度か 身には聞きつる 時鳥 道の空にも ほのかなるかな
(何度か身近で聞き慣れていた時鳥 道の途中ではかすかにしか聞こえ ない)

317 夏草を 分けてや来つる 山里の 垣根の花は 雪 とこそ見れ
(夏草をかきわけて来たのかしら 山里の垣根に咲く花は 雪にしか見 えない)
 ※垣根の花―卯の花


318 駒の脚に くらべて見れど 今日はなほ あやめの草の ねこそせちなれ
(賀茂の馬の脚と比べてみても 今日五月五日はやはり菖蒲の根のほう が素晴らしい〔競馬の足音と比べてみても やはり今日わたしが泣く音 のほうが激しい〕)
 ※「駒の脚」―五月五日の賀茂の競馬のこと。


319 夏のひも 君が為には 泡ならず むすびし水の 氷とけめや
(夏の日でも あなたのように冷たい方では 泣いたわたしの袖に張り つめた涙の氷が 溶けることがあるでしょうか)
 ※「水の氷」は「袖の 氷」の誤りではないか。


320 もろともに のどけくゐたれ あしたづの 立つべき波も よらぬ岸なり
(わたしと一緒にゆっくりしていらっしゃい 鶴が飛び立つような波も 立たない岸ですから)
 ※葦田鶴―葦の生えている水辺にてーいるところ から鶴の異名。


321 清き瀬に 名越の祓 しつるより 八百万代は 神のまにまに
(清らかな川瀬で罪穢れを祓ったのだから わたしの命は何百年までで も神さまのみ心のままに)
 ※「名越の祓え・夏越しの祓え」―陰暦六月 三十日に川や海に出て、半年間の罪穢れを祓う行事。  

 秋

322 たなばたの 今夜
(こよい)あふ瀬は 天の川 渡りてぬると 思ふなりけり
(七夕の今夜 天の川を濡れながら越えても、ほんの一晩だけのはかな い逢瀬だと思う)

323 野辺ながら 折られましかば 女郎花 露も落さで 見るべきものを
(野辺ごと折ることができるなら 女郎花の露を落とさないで自然のま まに見ることができるのに)

324 人も越ゆ 駒も止らず 逢坂の 関は清水の もる名なりけり
[新後拾遺集羈旅(きりょ)]
(人も越えて行く 馬も立ち止まらない逢坂の関は、清水が漏る〔守る〕 から それで関という名前なのだ)
 ※逢坂の関は当時荒廃して番人もい なかったのか。※「もる」に「漏る」と「守る」をかけ、関の縁語とし た。

325 さそはれて 人も来にけり 常よりも 今宵の月ぞ 入らぬ隈
(くま)なき
(美しさに誘われてあの人も来た 今夜の月はすみずみまで明るく輝い ている)

326 風吹けば 門田
(かどた)の稲も 波よるに いかなる人か 過ぎてゆくらむ
(風が吹けば 門田の稲も並んで一方に寄るのに いったいどういう人 なのだろう わたしの家を通りすぎてゆく)
 ※門田―門の前の田。


327 秋はひを 数えてゆかむ 寄りて見る 網代の波は 色も変らず
(秋来る時は日を数えてから来よう 早過ぎると立ち寄って見る網代の 波の色はいつもと同じで 水面に浮かぶ紅葉の唐錦を見ることができな いから)
 ※「紅葉さへ 来寄る網代の 手に掛けて 立つ白波は 唐錦 かな」をふまえる。


328 めづらしき み雪なりけり 秋の月 しぐるる空と 思ひけるかな
(珍しい 初雪だ 秋の月が雲に隠れて 時雨が降ってくると思ったのに)

 雲林院
(うりんいん)に住む頃、越後守のりながに 
 
※藤原範永か

329 聞かせばや あはれを知らむ 人もがな 雲の林の 雁の一声
[夫木抄雑四]
(お聞かせしたい ものの情趣がわかる人がいたら 雲の林に響く雁の 一声を)


 節分
(せちぶん)の翌朝(つとめて)(節分の翌朝)

330 今日よりは 蘆間
(あしま)の水や ゆるからむ たづの立所(たちど) の 氷うすれて[夫木抄雑十八]
(今日からは 葦の茂みの間の水もぬるくなるだろう 鶴が立っていた 足元の氷も薄くなって)


 内侍うせて後、頭の中将、「みづから聞えむ」と宣へ るに
 
(小式部内侍が亡くなった後、頭中将さまが「直接お話ししたい」とお っしゃったので)
 ※小式部内侍―和泉式部の娘。父は橘道貞。上東門院女房。頭中将〔藤原公成〕の子を生んで死去。


331 涙をぞ 見せば見すべき 逢ひ見ても 言には出でむ 方のなければ
[万代集雑五]
(ただ涙ばかりをお見せするだけで お会いしても言葉にすることもで きません)

 返し 頭の中将
(返歌 頭中将)

332 立ちいづる 涙の程を 見る時は 草葉は恋と 知 られやはする
(こぼれ出るわたしの涙をごらんになったら 草の葉に置く露は恋のた めと 知られたりするでしょうか)

333 白妙
(しろたえ)の 梅もなにせむ み雪をぞ 春の花とは 言ふべかりける
(白い梅も雪にはかなわない 雪こそ春の花と言うべき)
 ※以下三首、 詞書欠落か。


334 あやめ草 よどのながらの ねならねど 荒れたる宿は つまとこそ見れ
(この菖蒲は淀野から持ってきた根ではないけれど 荒れた家の軒端に 葺く材料になると見ている〔連れ添ってきた夫に捨てられたわたしは  この人を夫にでもと思っている〕)
 ※「よどの」―淀野で山城国の歌枕 で菖蒲の名所。


335 名のみにぞ 狛のあたりの 瓜作り ただ秋霧の 立つをこそ見れ
(「狛のあたりの瓜作り」と名ばかり評判で 来てみると秋霧がむなし く立っているのを見るだけ)
 ※狛―山城国の歌枕で瓜の名産地。


 世間
(よのなか)にあらまほしき事(世の中にあってほしいこと)

336 夕暮は さながら月に なし果てて 闇てふ事の ならましかば
(夕暮れをそのまま月の美しい夕暮れにしてしまって 闇がなくなってしまったら)

337 おしなべて 花は桜に なし果てて 散るてふ事の なからましかば
[続後撰集春中]
(花という花はすべて桜にしてしまって 散ることがなくなったら)

338 世の中に うき身はなくて 惜しと思ふ 人の命を とどめましかば
[玉葉集雑五]
(世の中に辛いことの多い身の上の人がいなくて 生きてほしいと思う 人の命をつなぎとめることができたら)


339 世の中は 春と秋とに なしはてて 夏と冬との なからましかば
(世の中を春と秋にしてしまって 夏と冬がなかったなら)

340 みな人を 同じ心に なしはてて 思ふ思はぬ な からましかば
[続拾遺集恋二]
(人はみな同じ気持にしてしまって 愛したり愛さないことがなくなっ たら)


 人に定めさせまほしき事
(誰かに決めさせたいこと)

341 いづれをか 世になかれとは 思ふべき 忘るる人と 忘らるる身と
[長能集]
(どちらがこの世からいなくなったほうがいいと思ったらいいでしょうわたしを忘れてしまうあの人と 忘れられてしまうわたしと)

342 亡き人を なくて恋ひむと 在りながら あひ見ざらむと いづれ勝れり
(なくなった人を恋い慕うのと 生きているのに逢えないのと どちらが辛いのでしょう)

343 思へども よそなる仲と かつ見つつ 思はぬ仲と いづれ勝れり
(愛していながら別れて暮らしている仲と 一緒に暮らしていながら愛 のない仲とは どちらがいいのでしょう)

344 早き瀬と 水の流れと 人の世と とまらぬ事は いづれ勝れり
(急流と水の流れと人の世と 変わりやすい点では どれが速いのだろ う)

 あやしきこと
(不思議なこと)

345 世間
(よのなか)に あやしきものは しかすがに おもはぬ人の たえぬなりけり
(世の中で不思議でならないのは 愛してくれないとわかっていながらいつも愛してしまうこと)

346 世の中に あやしきものは いとふ身の 在らじと 思ふに 惜しきなりけり
(世の中で不思議でならないのは この世が嫌なわたしなんかいなくな ったらいいと思いながら 命が惜しくなること)

 苦しげなること
(苦しそうなこと)

347 世の中に 苦しき事は 来ぬ人を さりともとのみ 待つにぞありける
(世の中で苦しいことは 来ない人を それでも来てくれるとばかり思って待っていること)

348 世の中に 苦しき事は 数ならで ならぬ恋する 人にぞありける
(世の中で苦しいことは 数にも入らない身分で かなわない恋をする人)

 あはれなる事
(あわれなこと)

349 あはれなる 事をいふには いたづらに 古
(ふ)りのみまさる わが身なりけり
(あわれなことといえば むなしく老いていくばかりのわたしのこと)

350 あはれなる 事をいふには 亡き人を 夢より外に 見ぬにぞありける
(あわれなことといえば 亡くなった人を夢以外では逢えないこと)

351 あはれなる 事をいふには 都いでて 行く旅路の 遠きなりけり
(あわれなことといえば 都を出てゆく旅先の遠いこと)

352 あはれなる 事をいふには 人知れず 物思う時の 秋の夕暮
(あわれなことといえば 人知れず恋に思い乱れる秋の夕暮れ)

353 あはれなる 事をいふには 心にも あらで 絶えたる 仲にぞありける
(あわれなことといえば 当人たちの意志ではなく 絶えてしまった恋仲)

 帥の宮にて、題十賜はせたる。大井河の筏、夕暮の鐘、 山寺のかすかなる、山田の庵、嵯峨野の花、亀山の紅葉、 岸に残る菊、草叢の虫、小倉山の鹿、清滝川の月
 (帥の宮家で、歌の題を十題くださる。大井河の筏、夕暮の鐘、山寺 のかすかなる、山田の庵、嵯峨野の花、亀山の紅葉、岸に残る菊、草叢の虫、小倉山の鹿、清滝川の月)

354 大井河 下
(くだ)す筏(いかだ)の 水馴(みなれ)(ざお) さしいづるものは 涙なりけり
(大井川のほとりで川を下りる筏を眺めていると どういうわけか流れてくるものは涙)

355 夕暮は ものぞ悲しき 鐘の音を 明日も聞くべき 身とし知らねば
[詞花集雑下・後葉集雑二]
(夕暮れは悲しくてたまらない 鐘の音を明日も聞ける身だとはわからないから)

356 背
(そむ)きぬと 浮世の人し 通わねば 窓に向へる 心地こそすれ
(世を捨てたと俗世の人はだれも来ないので 窓に向き合っているような気がする)

357 小山田の 守るも守らぬも 世の人の すべては仮の 宿りなりけり
(小さな山田の番小屋を守る人がいてもいなくても 稲を刈り取るまでの仮の宿〔生きている人は 身分が低くても高くても すべて仮の宿〕)

358 いつまでと 待つをばながき 心とも さが野の花の おくれぬるかな
(男女の間ではいつまでもと相手の訪れを待つのを「ながき心」と尊ぶけれど わたしもそれに慣れてしまって 嵯峨野の尾花が枯れ残るように 出家もしないで俗世に取り残されてしまった)

359 もみぢ葉の 散るも惜しまじ 亀山の こふを尽して なりもこそすれ
[夫木抄雑二]
(紅葉が散るのも惜しまない 亀山の紅葉だから 長い年月が経ってから 素晴らしいものになるかもしれない)
 劫(こう)―非常に長い時間という意味。


360 岸の上の 菊は残れど 人の身は 後れ先だつ 程だにぞ経
(へ)
(岸の上の菊は咲き残っているが 人間ははかないもので 死に遅れたり先に死んだとしても たいした違いはなく 次々と亡くなってしまう)

361 置けばかつ 消えぬる霜を 見るままに 草叢ごとに 虫ぞ鳴くなる
(置いたと思ったらすぐに消えてしまう露を見て悲しんで あちこちの草むらで虫は鳴く)

362 いかばかり 秋は悲しき ものなれば 小倉の山の しかなきぬべし
(秋はたまらなく悲しいものだから 小倉山の鹿が鳴いているように声をあげて泣いてしまいそう)

363 明
(あか)からぬ 心のくまを たづぬれば 清滝川の 月もすみけり
(わたしの無明の心の奥を尋ねると 清滝川の月のように澄んだ仏心が宿っていた)

 道貞去りて後、帥の宮に参りぬと聞きて 赤染衛門
 
(道貞が去ってから、帥の宮にお仕えしたと聞いて、赤染衛門)

364 うつろはで しばししのだの 森を見よ かへりもぞする 葛の裏風
[新古今集雑下・続詞花集恋下・赤染衛門集]
(宮さまのところへなど行かないで しばらく辛抱してあの人の様子を見ていらっしゃい 帰ってくるかもしれない 葛の葉が風に翻るように)
 ※赤染衛門―赤染時用の娘。大江匡衡の妻。はじめ道長の娘倫子に、のち一条天皇中宮彰子に仕えた。和泉の親友。


 返し
(返歌)

365 あき風は すごく吹くとも 葛の葉の うらみ顔には 見えじとぞ思ふ
[新古今集雑下・続詞花集恋下・赤染衛門集]
(あの人がわたしに飽きて辛くあたっても 恨んでいるような顔はみせないようにしようと思うの)

 皇太后宮亡せさせたまへる御法事の物とて、いろいろ の玉召したるに、参らすとて
(皇太后宮さまがお亡くなった法事の品ということで、大殿からさまざまな玉を献上するようにとのことなので、さし上げる時に)

366 数ならぬ 涙の露を そへてだに 玉の飾りを 増 さむとぞ思ふ
[玉葉集雑四・栄花物語玉の飾]
(人数にも入らないわたしの涙の露を添えてでも 法事の玉の飾りを増したいと思います)


367 たれか来て 見るべきものと わが宿の 蓬をあら し ひき果てぬらむ
[正集二七八・夫木抄雑一・同雑十]
(誰が来てくれると思って道を作っているのだろう わたしの家の雑草 を嵐が吹き払っている)


368 庭の間も みえずふりつむ この春は 掃きてもたれの 人か来て見む
[正集二八〇・夫木抄雑十四]
(庭の土も見えないほど一面に散り積もった木の葉 この春は掃かなく てもいい 誰かが来て見るわけではないから)


369 音を泣けば 袖は朽ちても 失せぬめり 猶うき事ぞ 尽きせざりける
[正集二八一・千載集恋五]
(声をあげて泣くから 袖も腐って失くなってしまう じぶんの身を辛 いと思うときは いつになってもなくならない)


370 難波潟 入江の蘆
(あし)に たちさはる 船とはなしに なる我が身かな[正集二八四・千載集恋四]
(難波潟の水際に生える葦に妨げられる舟でもないのに 苦労が多く障 害の多いわたしだ)


371 たらちめの いさめしものを つれづれと 眺むるをだに 問ふ人もなき
[正集二八六・新古今集雑下]
(親がいたら叱るだろうに ただぼんやりと物思いにふけっているわた しの虚しさをわかってくれる人もいない)


372 瑠璃
(るり)の地と 人も見つべし わが宿に 涙の玉の 敷きに敷ければ[正集二八七]
(瑠璃の地と人も見るでしょう わたしの床は 絶え間なく落ちる涙が  まるで玉を一面に敷きつめたようだから)


373 さ雄鹿の 朝立つ沼の とよむまで なきぞしぬべき つま恋ふる身は
[正集二八九]
(雄鹿が朝早く妻を求めて山がこだまするほど鳴くように わたしも大 声をあげて泣いてしまいそうです)

374 軒端だに 見えずなりゆく わが宿は 蜘蛛のいたまぞ 荒れ果てにける
[正集二九九]
(軒端さえ見えないほどに蜘蛛が巣を張ったわたしの家は ひどく荒れ はててしまった)


375 塵つもる 物と枕は なりにけり たがためとかは うちも払はむ
[正集二九二・新勅撰集恋四]
(枕は塵がつもるばかり あの人がいない今 塵を払う気もしない)


376 惜しと思ふ 折やありけむ 世に経
(ふ)れば いとかくばかり 憂かりける身を[正集二九三・万代集雑六]
(命を惜しいと思ったときがあったのだろうか 生きていればこんなにも憂鬱なわたしなのに)


377 櫓
(ろ)も押さで 風に乱るる あま舟を いづれのかたに 寄らむとすらむ[正集二九四]
(櫓も押さないで風にまかせて漂うあま舟 いったいどこの岸に寄ろう としているのだろう〔あの人をなくして わたしはいったいどうなるの だろう〕)


378 住みなれし 人影もせぬ わが宿に 有明の月は 出でよともなし
[正集二九五・新古今集雑上]
(住み慣れていたあの人の姿も見えないわたしの家に 有明の月は毎晩 訪れる)

379 例よりも 寝覚めせらるる 頃ばかり 空とぶ雁の 一声もがな
[正集二九六]
(いつになく目が覚めた今日だけでも 空飛ぶ雁の一声がほしい〔ほん の一言でもいいからお便りがほしい〕)


380 春立たば いつしかも見む み山辺の 霞に春や ならむとすらむ
[正集二九七]
(春になると早くも見る山辺の霞に わたしはなってしまうのかしら 〔死んでしまうのかしら〕)


381 えこそ猶 憂世と思へど 背
(そむ)かれぬ おのが心の うしろめたさに[正集二九八]
(辛い世の中だと思うものの やはり捨てきれない 出家して道心を守 り通せるか不安だから)


382 野辺に出づる み狩の人に あらねども とりあつめてぞ 物は悲しき
[正集二九一・万代集雑一]
(鳥を捕りに野辺に出てゆく狩人でもないのに とり集めて―さまざま な辛いことが重なって悲しくてならない)


383 程ふれば 人は忘れて やみぬらむ 契りし事を 猶頼むかな
[正集三〇〇・千載集恋四]
(時が経ったのであの人はわたしのことを忘れたでしょう でもわたし は約束した言葉が忘れられなくて あてにしています)


384 外山吹く 嵐の風の 音きけば まだきに冬の 奥ぞ知らるる
[正集三〇一・千載集冬]
(人里近い山で吹いている嵐の音を聞くと まだ冬になったばかりなのに 真冬の凄まじさが思いやられる)


385 龍膽
(りゅうたん)の 花とも人を 見てしがな 枯れや果つると 霜がくれつつ[正集三〇二]
(恋人が竜胆(りんどう)の花だったらいいのに 竜胆は霜に打たれても枯れたりしないから〔あの人が離れたりしないから〕)


386 鳰
(におどり)の 下の心は いかなれや み馴るる水の 上のつねなき[正集三〇三]
(鳰〔あの人は〕は内心どう思っているのだろう 馴れた水の上ではさ りげなくしているものの〔わたしの前ではさり気なくしているものの〕)


388 何の為 なれるわが身と 言ひ顔に やくともものの 歎かしきかな
[正集三〇五・万代集雑五]
(なんのためにこの世に生まれてきたのかと言いたくなるくらい 愚痴 をこぼすばかりで嘆かわしい)


388 限りあれば 厭ふままにも 消えぬ身の いざ大方は 思ひ捨ててむ
[正集三〇六・万代集雑五]
(人の命には定めがあるから 嫌だからといって死ねないけれど だい たいのことは捨ててしまおう)

389 さなくても 淋しきものを 冬来れば 蓬の垣も 枯れ枯れにして
[正集三〇七・万代集冬]
(そうでなくても訪れがなく淋しくてたまらないのに 冬が来ると 垣根の蓬が枯れ果てて荒涼たる思いがする)


390 吹く風の 音にも絶えて 聞えずは 雲の行方を 思ひおこせよ
[正集三〇九]
(わたしの噂が風の便りでも聞こえなくなったら 雲の行った先を見て  わたしを思い出してください)


391 寝し床に 魂なき骸を とめたらば なげのあはれ と 人も見よかし
[正集三一〇]
(二人で寝た床に 魂のないわたしの亡骸を残したら〔わたしが死んだ なら〕少しはかわいそうだと思って あなたも見てください)


 霜の白き朝
(あさ)(さむ)(霜が真っ白の寒い朝)

392 手枕の 袖にも霜は おきけるを 今朝うち見れば 白妙にして
[日記]
(寝ないで起きていたからわたしの手枕の袖にも涙が凍って霜になったよう 今朝よく見ると真っ白なんです)

 人のかへりごとに
(ある人への返事に)

393 まどろまで ひとり眺めし 月見れば おきながらしも 明し顔なり
[日記]
(わたしが一睡もしないで眺めていた月を あなたは今朝まで起きて見ていたようにおっしゃるのですね 本当でしょうか)

 遅く参り、いみじく侘ぶれば
 
(小舎人童が宮家へお伺いするのが遅れて、ひどく愚痴をこぼすので)

394 霜の上に 朝日さすめり 今ははや うちとけにたる 気色見せなむ
[日記]
(霜の上に朝日が射しているようです 今はもう霜もとけるように 童に打ち解けた様子を見せてください)


395 君は来ず たまたま見ゆる 童をば いけとも今は 言はじとぞ思ふ
[日記・万代集恋二]
(あなたは来ないばかりか たまに姿を見せる童を生かしておいて  「手紙を届けに行け」ともおっしゃらないつもりですか)

 「手枕の袖は忘れ給ひにけるか」と宣はせたるに
 
(「手枕の袖のことはお忘れになったのですか」とおっしゃったので)

396 人知れず 心にかけて 偲ぶをば まくるとや見る 手枕の袖
[日記]
(誰にもわからないようにあなたのことを想っているのに そんなわた しが手枕の袖を忘れたと思っていらっしゃるのですか)


 「月は見るや」と宣はせたるに
 
(「月は見ていますか」とおっしゃったので)

397 更けぬらむと 思ふものから 寝られねど なかなかなれば 月はしも見ず
[日記]
(夜が更けただろうと思うものの眠れませんが だからといって月を見れば物思いが増すばかりなので見ません)


 檀の木の老いたるを見せ給ひて
 
(檀の木が色づいているのをお見せになって)

398 ことは深くも なりにけるかな
(「檀の葉が色づくように、わたしたちの言葉も深くなったね」)
 
 と宣はすれば
 
(とおっしゃるので)

白露の はかなく置くと 見しほどに[日記]
(白露がほんの少し置くのを見ていた間に・・・)

 霜の白き翌朝
(霜が白い翌朝)

399 わが上は 千鳥は告げじ 大鳥
(おおとり)の 羽にしもなほ さるは置かねど[日記]
(わたしの袖に涙の霜が降りたのを千鳥も告げないでしょう 大鳥の羽〔宮さまの袖〕にも霜は降りたでしょうか)
 ※大鳥の羽に、やれな霜降れり やれな 誰かさ言ふ 千鳥ぞさ言ふ 鷃(かやぐき)ぞさ言ふ 蒼(みと)鷺(さぎ)ぞ 京より来てさ言ふ[風俗歌・おほとり]をふまえている。


 人の返事に
(ある人への返事に)

400 霜枯れも 何にぬれたる 袂ぞと 定めかねてぞ われも眺むる
[日記]
(霜枯れの日も 何に濡れた袂なのかと決めかねてわたしも物思いに沈んでいます)
 ※日記は、「時雨かも なににぬれたる 袂ぞと 定めかねてぞ われもながむる(時雨に濡れたのか 何に濡れた袂なのかと決めかねてわたしも物思いに沈んでいます)」


401 移ろはぬ ときはの山も 紅葉せば いかが行きての ことごとに見む
[日記]
(色の変わらない常磐の山が紅葉するなら 急いで行って見るでしょうが)


402 高瀬舟 はや漕ぎいでよ 障るとて さし返りにし 蘆間わけたり[日記]
(高瀬舟〔宮さま〕早く漕ぎだしていらっしゃってください 障りがあってお帰りになった蘆の障害は取り除きましたから)
 ※蘆は舟の進行の障害

 人の返事
(かえりごと)(ある人への返事に)

403 その夜より 我が床の上は 時雨れねど すずろにあらぬ 旅寝をぞする
[日記]
(あの夜からわたしの床の上は時雨が降っているわけではないけれど 落ち着かなくて 思いもしない旅寝をしています)
 ※日記は「その夜より わが身の上は 知られねば すずろにあらぬ 旅寝をぞする(宮さまに初めてお逢いした夜から わたしの身の上がどうなるのかわからないので 車宿りという思いもしない所で旅寝をしてしまいました)」


 人に
(ある人に)

404 今の間に 君や来ませや 恋しとて 名もあるものを われ行かめやは
[日記]
(今すぐに来てください 恋しいからといって 世間の噂もありますから 女のわたしのほうから行けるでしょうか)


 人の返事に
(ある人への返事に)

405 怨むらむ 心はたゆな 限りなく 頼む世を憂く 我れもたたかふ
[日記]
(わたしをお恨みになっている心は絶やさないでください 限りなく信頼しているあなたをわたしも疑っているのですから)


 雨風はげしき日しも音づれ給はねば、聞えさする
 
(雨がひどく降り風が激しく吹く日にも手紙をくださらないので、お手紙をさし上げた)

406 霜がれは 侘びしかりけり あき風の 吹くには萩の 音づれもしき
[日記]
(霜枯れはわびしいものです 秋風の吹くころは荻の葉音がして あなたの訪れもありましたのに)


 人に(ある人に)

407 つれづれと 今日数ふれば 歳月に 昨日ぞものは 思はざりける[日記]
(今までのことを振り返ってみると 昨日だけが思い悩むこともありませんでした)

 夕暮に聞えさする(夕暮れにお手紙をさし上げた)

408 慰むる 君もありとは 思へども なほ夕暮は ものぞ悲しき
[日記]
(慰めてくださるあなたがいらっしゃると思っても やはり夕暮れはもの悲しいです)


 霜白き早朝、「いかが」とある人に
 
(霜がとても白く降りている早朝、「今、どうしていますか」と言ってきた人に)

409 おきながら 明かせる霜の 朝より 増されるものは よになかりけり
[日記]
(あなたのお越しを待って夜を明かした霜が降りている朝ほど世の中で悲しいことはありません)

 「同じ心に」とある返事に
 
(「わたしと同じ心であなたもわたしを想ってください」という返事 に)

410 君は君 我は我とも 隔てねば 心心に あらむも のかは
[日記]
(あなたはあなた わたしはわたしというように分け隔てはしませんから 二人の心が別々なはずがありません)

 心地悪しき頃、「いかが」と宣はせければ
 
(気分が悪い頃、「気分はどうですか」とおっしゃったので)

411 絶えし頃 絶えぬと思ひし 玉の緒の 君によりまた 惜しまるるかな
[日記]
(訪れが途絶えた頃 絶えてしまえと思った命ですが あなたが優しい お見舞いをくださるので また命が惜しくなりました)

 雪のつとめて
(雪の早朝)

412 初雪と いづれの雪と 見るままに 珍しげなき 身のみふりつつ
[日記]
(初雪が降ったと毎年冬のたびに珍しく見るうちに 珍しくもないわたしだけが古くなっていきます)

 「詩
(ふみ)作るとて人々あれば」と宣はせたれば
 
(「漢詩を作るというので人が来ているので」とおっしゃったので)

413 暇
(いとま)なみ 君来まさず 我行かむ ふみ作るらむ 道を知らばや[日記]
(暇がなくてあなたがいらっしゃれないなら わたしが行きましょう 漢詩の道とお邸へ行く道を知りたいです)


 霜いと白き早朝、「いかが見る」と宣はせたれば
 
(霜が真っ白な早朝、「この霜をどうごらんになりますか」とおっしゃってきたので)

414 絶ゆる夜の 数かくことは 我なれば 幾朝霜を おきゐ見るらむ
[日記]
(あなたのお越しがない夜は 寝られないで夜を明かすので これで何度くらい朝の霜を見ていることでしょう)
 ※日記は「冴ゆる夜の かずかく鴫(しぎ)は われなれや いく朝霜を おきて見つらむ(冷えこむ夜に何度も羽を掻いている鴫はわたしなのでしょうか 何度あなたの訪れを待って起きていて朝の霜を見たことでしょう)」


415 雪も降り 雨も降りぬる この冬は 朝しもとのみ おきゐては見る
[日記]
(雪が降り雨も降るこの冬は お越しがないのは愛情が浅いのだと起き明かして朝の霜を見ています)
 ※日記は「雨も降り 雪も降るめる このころを 朝霜とのみ おきゐては見る(雨が降り雪も降るこの頃は お越しがないのは愛情が浅いのだと起き明かして朝の霜を見ています)」


 つくづくと泣く気色を御覧じて
 
(しんみりと泣いている様子をごらんになって)

416 なほざりの あらましごとに 夜もすがら 落つる涙は 雨とこそ見れ
[日記]
(いい加減に将来を予想しただけなのに あなたは一晩中涙をこぼして泣くのですね そんなに深刻にならないで)

 と宣はすれば、心細き事宣はせつるを、心乱れて
 
(とおっしゃるので、先に心細いことをおっしゃったのに気持ちが乱れて)

417 現
(うつつ)にて 思へば言はむ 方もなし 今宵のことを 夢になさばや[日記・万代集恋三]
(現実のことだと思うと悲しくてならない 昨夜のことは夢にしてしまいたい)


 御返し
(お返事)

418 我さらば 進みて行かむ 君はただ 法
(のり)の心を ひ ろむばかりぞ[日記]
(それならわたしのほうから行きましょう あなたはそこで仏法の道を広めていらっしゃればいいのです)


419 梅ははや 咲きにけりとて 折れば消ゆ 花とぞ雪の 降るは見えける
[日記・続集四七五]
(梅がもう咲いたのかと思って折ったら散ってしまいました 雪が降ったのが梅の花のように見えたのですね)


 御返し
(お返事)

420 冬の夜は 目さへ氷に 閉ぢられて 明し難きを 明しつるかな
[日記]
(冬の夜に目まで涙で凍ってしまって 明かしにくい夜を明かしました)


 なほ、世にも在り果つまじき事、宣はすれば
 
(やはり、この世に生きられそうもないことをおっしゃるので)

421 呉竹の 世世
(よよ)の古事(ふること) 思ほゆる 昔語りは 君のみ ぞせむ
(代々の古い物語を思わせるようなわたしたちの思い出話を あなただけが生き残ってなさるでしょう)
 ※日記は「呉竹の 世々のふるごと 思ほゆる 昔がたりは われのみやせむ(代々語り継がれてきた古い物語を思わせるようなわたしたちの思い出話を わたし一人でするというのでしょうか)」


 橘につけて、人に
(橘の枝につけて、ある人に)

422 たれにこの 花を見せまし われをれば 山時鳥さ らに 来鳴かず
[続集二八二]
(誰にこの橘の花を見せたらいいのでしょう わたしが折ったら山ほと とぎすは来て鳴いてくれないもの〔あなたが来てくれないもの〕)

 ものに参りたるに、「尋ねむ方もなきこと」と言ひた る人に
 
(山寺に参詣した時に、「どこへ行ったか教えてくれないから訪ねよ うがない」といった人に)

423 いきてまた 帰り来にたり 時鳥 死出の山路の ことも語らむ
[続集二八三]
(冥土へ行ったわけでもなく生きて帰ってきました 時鳥が死出の山路のことを知らせるように 山寺のことなどお話ししましょう)


 「ともかくも言へ」と言ふ男に
 
(「好きかどうか、はっきり言え」という男に)

424 そのかたと さしてもよらぬ 浮舟の また漕ぎはなれ 思ふともなし
[続集四三二]
(わたしって浮舟みたい あなたのところへ行きたいとも思わないし かといってあなたから離れて行きたいと思う人もいないの)


 懸想する男、便なき折り来て帰るとて、「さりぬべか らむ折驚かせ」と言ふに
(恋い慕う男が、都合の悪い時にやって来て帰るときに、「都合のいいときにお便りを」と言うので)

425 難波瀉 折れ伏す蘆の 蘆の根の まだ寝ぬ人を 驚かすやは
[続集四三三]
(「驚かせ」だなんて まだ寝てもいない人を起こすなんてできないのよ)
 ※上の三句「難波瀉 折れ伏す蘆の 蘆の根」は、「根」と同音の「寝」を導く序詞。※「驚かす」―男の「便りをくれ」を「目をさまさせる」ととって。


 例の人にて、もの言ふ所に立ち寄りたれど、音もせね 帰りて怨みたるに
(わたしのところへ来る人で、いつも話をする所に立ち寄ったけれど、わたしがなにも話さなかったから、帰ってから恨みを言ってきたので)

426 声だにも 通はむことは 大島や いかになるとの 浦とかは見し
[続集四三四・夫木抄雑七]
(人知れず逢うどころか 声だけでも交わしたら どんなことになると 思っているの)
 ※「人知れず 思ふ心は 大島の なるとはなしに 歎く頃かな[後撰集・読人しらず]」をふむ。

 ものへ行く人、「いま暫しの命なむ惜しき」と言ひたるに
 
(任地へ赴く人が、「もうしばらくの間の命が惜しい〔またお逢いするまで生きていたい〕」と言ってきたので)

427 惜しむらむ 人の命は ありもせよ 待つにも堪えぬ 身こそなからめ
[続集四三五・続後撰集恋三]
(惜しいとおっしゃるあなたの命はあるにしても あなたを待つことに耐えることができないで わたしは死んでしまうでしょう)


 久しう音もせぬ人に
(長い間便りもくれない人に)

428 怨むべき 心ばかりは あるものを 無きになしても 問はぬ君かな
[千載集恋五・続詞花集恋下・古来風躰抄]
(わたしだって恨みたい気持ちだけはあるのに あなたはそれさえ無視してお便りもくれない)


 人に、「世の中のはかなき事を」などと言ひて
 
(人に、「世の中ははかない」などと言って)

429 いかにせむ いかにかすべき 世の中を 背
(そむ)けば悲 し 住めば住み憂(う)[続集四四〇・玉葉集雑五・万代集雑六]
(どうしよう どうしたらいいのだろう 世の中を捨てると悲しいし 住んでいれば住みずらい)


 上の衣を張り切りて、いとほしき事、言ひて
 
(洗い張りするとき、袍を誤って破ってしまって、「お気の毒なことを」と言って)

430 露草に 染めぬ衣の いかなれば うつし心も な くなしつらむ
(露草で染めたわけでもない衣なのに どうして正気もなくうっかり破ったりしたのでしょう)
 ※露草―古名は月草。藍色の花から染料をとる。露草の花はすぐに萎れ、色もあせやすい。また、この花汁で染めた色は水で落ちやすいところから、人の心の移ろいやすいことの喩えに用いられる。ここは、「移し心(変わりやすい心)」を「現し心(正気)」に 変えている。
 ※上の衣―男子の正装


 十一月、菊の色したる衣、親のもとにやるとて
 (十一月、菊の花の色の衣を、親のところに送るときに)

431 この衣
(きぬ)の いろ白妙(しろたえ)に なりぬとも 静心ある 褻(け)ごろもにせよ
(この菊色の衣が色褪せて白くなっても 家でおつくろぎのときの普段着にしてください)

 やむごとなき男に
(身分の尊いお方に)

432 白波の よるにはなびく なびき藻の なびかじと思ふ 我ならなくに
白波が打ち寄せるとなびいて揺れる藻のように わたしだって誰にもなびかないと思っているわけではありませんのに)

 心にもあらずあやしき事いで来て、例
(れい)住む所も去りて 歎くを、親もいみじう歎くと聞きて、言ひやる。上の文字は世の故事なり
 
(思いがけなく変なことが起きて、いつも住んでいる家も出て嘆いているのを、親もひどく嘆いていると聞いて、歌を送った。以下の十二首は、「いかならむ 巌の中に 住まばかは 世の憂きことの 聞こえこざらむ〔 どうなのだろう 巌の中に住んだとしたら 世の中の嫌なことは聞こえてこないだろうか〕[古今集雑下・読人しらず]の二・三句を順次歌の念頭において詠んだものである)

433 いにしへや 物思ふ人を もどけきむ 報いばかりの 心地こそすれ
(前世において 恋に悩む人を非難したことがあったのだろうか この苦しみはその報いとしか思えない気がする)

434 はかもなき 露のほどにも 消ちてまし 玉となしけむ かひもなき身を
(なにも知らない子供のときに死ねばよかった 玉のように大切に育ててくださったのに その甲斐もないわたしだから)

435 外
(ほか)にもや また憂きことは ありけると 宿かへてこそ 知らまほしけれ
(ほかでもやはり嫌なことがあるのかと 家を変わって試してみたい)

436 残りても 何にかはせむ 朽ちにける 袖はみながら 捨てやしてまし
(残しておいてもなんになるのでしょう 涙で朽ち果てた袖もわたしも捨ててしまおうと思います)

437 涙にも 浪にもぬるる たもとかな おのが舟
(ふね)(ふね) なりぬと思へば
(涙でも世の風波でも濡れる袂 親子別れ別れになってしまったと思うと)

438 悲しきは この世一つが うきよりも 君さへものを 思ふなりけり
(悲しいのは わたしが辛いよりも お父さままでわたしのことで苦労していらっしゃるのが)

439 濁
(にご)り江の そこにすむとも 聞えずは さすがに我を 君恋ひじやは
(わたしがどこに住んでいるのかわからなくなったら いくらなんだってお父さまはわたしを恋しく思われないはずはないのに)
 ※「濁り江の」―「底」を言う枕詞。


440 過ぎにける 方
(かた)ぞかなしき 君を見て 明しくらしを 月日と思へば
(過ぎ去った年月が悲しくてならない お父さまを見て毎日楽しく暮ら していた思うと)

441 まどろまば 憂き世夢とも 見るべきに いづらはさらに 寝
(ね)られざりけり
(眠ったのなら辛いこの世も夢と思うことができるのに どうしたのかしら まったく眠れない)

442 花咲かぬ 谷の底にも 住まなくに 深くも物を 思はるるかな
[千載集雑中]
(花も咲かない谷底に住んでもいないのに 深い物思いに引きこまれてしまう)


443 かくしつつ かくてややまむ たらちねの 惜しみ もしけむ あたら命を
(辛い毎日を送りながら こうして死んでしまうのだろうか 昔は両親が惜しんでくれた大切な命なのに)

444 春雨の ふるにつけてぞ 世の中の 憂きもあはれ 思ひ知らるる
(春雨が降るにしても 人の世の辛さをしみじみと思い知らされる)

  十二月、「つとめての歌」とて、男のよせまし
 
(十二月、「後朝の歌を作ってくれ」と言って、男が詠ませた)

445 うちはへて 涙に敷きし 片敷の 袖の氷ぞ 今日はとけたる
[続集三六一]
(ずっと涙を流しながら一人で寝た片袖に張った氷が やっとあなたに逢えて今日は溶けました)
 ※片敷―じぶんの衣の片袖だけを下に敷いて一人で寝ること。


 極楽を願ふ心を人々詠むに
 
(極楽往生を願う心を、人々が詠むので、わたしも)

446 願はくは 冥
(くら)きこの世の 闇を出でて 紅き蓮の みともならばや
(どうか この暗い俗世の闇から出て 紅い蓮の上に座る身にならせてください)

 宮の御殿の桜を
(宮の御殿の桜を詠んだ)

447 花も惜し 散らで千歳を 過ぐさなむ 君がみやこに 匂ふ桜を
(花が散るのは惜しい どうか散らないで千年もこのままでいてほしい あなたの庭で匂う桜ですから)

 世のはかなき事など言ひて泣くに、近く臥したる人の袖の濡るるを、「あいなのわざや」と言ふに
(人の命のはかないことを言って泣くと、そばで横になっていた人の袖が濡れるので、「つまらないことだ」と言うので)

448 大方の あはれを知るに 落つれども 涙は君に かけてこそ思へ
(だいたい世間のあわれを知ると涙がこぼれるのですが あなたを心から思うからこそ つい甘えて涙で袖を濡らしたのです)

 ある所に、几帳の帷
(かたびら)入れて参らせたれば、袋返させ給へるに
 
(あるところに、几帳の垂れ布を袋に入れてさし上げたところ、袋をお 返しになったので)

449 袖みれば うれしきものを 包みたる 袋返しつ 掛けてのみ見む
[夫木抄雑十五]
(あなたがお返しになった袋を これからはそばにおいて見ることにしましょう) ※初二句と以下との関連不明なので、三句以下だけを訳した。


 「花の時心静かならず、雨の中に松緑を増す」といふ心を人の詠むに
 
(「花が咲く頃は落ち着かない、雨の中で松もいっそう鮮やかになる」という気持ちを人が詠むので、わたしも)

450 のどかなる 折こそなけれ 花を思ふ 心のうちに 風は吹かねど
[続後拾遺集春下・万代集春下]
(春はのんびりするときがない 花が散らないかとはらはらしている心の中まで風が吹いてくるわけではないが)
 ※「世の中に 絶えて桜の なかりせば 春の心は のどけらかまし(世の中にまったく桜がなかっとしたら 春の心はのんびりしていることだろう 咲いたり散ったりで心を悩ませることもなくて)[伊勢物語 八十二段]」をふまえる。


451 松はその もとの色だに あるものを すべて緑も 春は殊なり
(松はもともと常緑で どの季節も緑が素晴らしいのに 春は格別である)

 燈火の前に花を思ふ、といふ心
 
(「灯火の前で花を思う」という気持ちを)

453 夜のほどに 散りもこそすれ 明くるまで 火かげに花を 見るよしもがな
[夫木抄春四]
(夜の間に散ってしまうかもしれない 夜が明けるまで 灯火の光で花を見ることができたらいいのに)


453 燈
(ひ)にあてて 見るべきものを 桜花 幾日もあらで 散るぞ悲しき
(夜だって灯火にかざして見るべきものなのに 桜の花が何日もしないで散ってしまうのは悲しい)

454 燈火
(ともしび)の 風にたゆたふ 見るままに 飽かで散り なむ 花をこそ見れ
(灯火が風に揺れているのを見ると 堪能しないで散ってしまいそうな 花が目に浮かんでくる)

 祭りの日、御前に人少なにて侍ふに、葵に御手習をさ せ給ひて
 
(賀茂祭の日、中宮〔彰子〕の御前に人が少ないときにわたしがいたところ、葵にすさび書きをなさって)

455 木綿かけて 思はざりせば あふひ草 しめの外にぞ 人を聞かまし
[玉葉集雑一]
(木綿を榊にかけるように 心にかけて思わなかったら 葵祭の今日も逢うことができないで あなたを遠く離れた人と聞いていたでしょうね〔わたしが熱心に誘わなかったら あなたは来てくれなかつたでしょうね〕)


 御返
(おおんかえし)聞えむもはゆければ、木綿(ゆう)を御(おん)み帳の帷(かたびら)に結ひつけて立ちぬ
 (お返事を申し上げるのもきまりが悪いので、返歌を書いた木綿を御帳台の垂れ布に結びつけて退出した)

456 注縄
(しめ)の内を 慣れざりしより 木綿襷(ゆうだすき) 心は君に かけてしものを[玉葉集雑一]
(宮仕えをしない時から いつも宮さまのことをお慕いしていました)


 丹後に下るに、宮より衣・扇賜はせたるに、天の橋立 画かせ給ひて
 
(丹後守藤原保昌の妻となって、夫の任国に下るときに、中宮さまから衣や扇をくださったが、天の橋立の絵を扇にお書かせになって)

457 秋霧の 隔つる天の 橋立を いかなる隙
(ひま)に 人渡るらむ[玉葉集旅]
(秋霧がいつも深く立ち込めて行き先をさえぎる天の橋立を どういう霧の隙間にあなたは渡っていくのでしょう)

 御返し
(お返事)

458 思ひ立つ 空こそなけれ 道もなく 霧りわたるなる 天の橋立
(決心しても行く気がしません 通る道もないほど霧が立ち込めているという天の橋立)

 大輔
(たいふ)の命婦に、「留まる人よく教へ」とて
 (大輔の命婦に、「京に残る娘をよく教育してください」と言って)

459 別れゆく 心を思へ わが身をも 人の上をも 知る人ぞ知る
(かわいい娘と別れていくわたしの気持ちを察してください わたしのことも 娘のことも ほんとうにわかってくださるのはあなただけなんですから)

 人の返事に
(ある人の返事に)

460 花なみの 里とし聞けば 物憂きに 君ひき渡せ 天の橋立
[夫木抄雑五]
(花のない里と聞いているので 行くのも面倒な気がするから どうか あなた 天の橋立をわたしが通れるようにしてください)
 ※花なみの里 ―丹後国の歌枕。花のない里の意に用いた。


  土門
(つちもん)の所に来たる客人(まろうど)に、忍びてとらせし
 
(土門の所に来た客人〔かつての恋人〕に、密かに渡した)
 ※土門―左右を築地にした屋根のない門。


461 ありあけと 佐野の船橋 見つるより もの憂くなりぬ 与謝
(よさ)のわたりは
(佐野の船橋はほんとうにあるものだと見てから〔あなたにお逢いして から〕厭になったの 与謝のわたりに行くのが)
 ※「佐野の船橋」「与 謝のわたり」は、上野国・丹後国の歌枕。


 こまやかなる人の文を見て
(恋人からの情のこもった手紙を見て)

462 身は行けど 留
(とどま)りぬるは 先に立つ 涙をもどく 心なるべし
(わたしの体は丹後に行くけれど 都にとどまっているのは 旅立ちに先立って 名残惜しさにこぼれる涙を非難する心でしょう)

 入道殿より、「尼になりなむといひしはいかが」と宣 はせたるに
 (入道殿〔藤原道長〕から、「尼になると言っていたのはどうした」とおっしゃったので)

463 あま舟に のりぞ煩
(わずら)ふ 与謝(よさ)の海に 生(お)ひやはす らむ 君をみるめは
(海人の舟に乗るのを迷っています 与謝の海に「君をみるめ〔あなたにお会いする機会〕」という「みるめ〔海松布〕」は生えているのかと思いますので)

 人に
(ある人に)

464 行く先も 過ぎぬる方も 恋しきは 路の空にや 行き留りなむ
(「行き先」と「過ぎてきた方」と両方に心惹かれるのでは 旅の途中で行き止まりになってしまうでしょう)

 丹後より上りて、練りたる糸、宮に参らすとて
 
(丹後から上京して、練った糸を、宮にさし上げるときに)

465 白糸の くるほどまでは よそにても 恋に命を かけてへしなり
(ここへふたたび来るまでは 離れていても 宮さまを恋することに命をかけて過ごしていました)
 ※「白糸の」は「くる」の枕詞。


 なほ、ある人に、のぼりて
 
(やはり、ある人に、上京してから)

466 与謝の海に 波のよるひる 眺めつつ 思ひしことを 言ふ身ともがな
(与謝の海で 寄せては返す波を夜も昼も眺めながら あなたのことを 思っていたことを お逢いしてお話ししたい)

 前裁
(せんざい)のおもしろきを見て、言ひあつめたる
 
(庭先に植えてある草木の趣があるのを見て、何首か詠んだ)

467 荒さじと 思ひし宿を 花により 萩の原とも な して見るかな
[夫木抄秋二]
(荒らさないようにと思っていた家の庭を 花を惜しむあまり切れなくて 生い茂ってしまった萩の野原を見ている)


468 我が心 ゆくとはなくて 花薄 招
(まね)くを見れば 目こそとどまれ
(満たされるというわけではないが 花すすきが手招きしているように揺れているのを見ると つい目が引きつけられてしまう)

469 女郎花 いづこに植ゑむ わが宿の 花にて見るに 惜しくもあるかな
(女郎花 どこに植えたらいいのだろう あまりに美しいので わたし の家で一人で見るのはもったいないよう)

470 唾
(い)をし寝で 夜ごとに聞けば 哀れにも 鳴き増さるかな 鈴虫の声
(眠れないで毎晩聞いていると だんだん弱々しくなっていく鈴虫の声)

471 我が宿を 人に見せばや 春は梅 夏は常夏 秋は秋萩
(わたしの家の庭を誰かに見せたい 春は梅 夏は撫子 秋は秋萩を)

 これを見て、一品
(いっぽん)の宮の相模
 
(この歌を見て、一品の宮の相模が)
 ※相模―一条天皇第一皇女一品修子内親王の女房で、相模守大江公資(おおえのきんより)の妻。


472 春の梅 夏のなでしこ 秋の萩 きくの残りの 冬ぞ知らるる
(春の梅 夏の撫子 秋の萩と聞いて 冬の花だけないのですが きっ と残菊が咲いていることでしょう)

 内侍の亡
(う)せたる頃、雪の降りて消えぬれば
 
(小式部内侍が亡くなった頃、雪が降って消えていくので)

473 なでと君 空しきそらに 消えにけむ 沫雪だにも ふればふる世に
(どうしてあなたははかなく亡くなってしまったのでしょう 淡雪だって降ればしばらくは消えない世なのに)

 同じ頃、殿の中納言亡せ給へるに、弔らひ給へるに
 (同じ頃、殿〔藤原道長〕の中納言家でもお亡くなりになって、内侍 についてのお悔やみの言葉をくださったので)

474 とはるるも とはばかくこそ 思はめと うれしきまでに 君ぞ悲しき
(わたしがお悔やみを申し上げたら きっとこんな気持がなさるでしょ うが お悔やみを賜って 心から嬉しいのですが それにしてもわたし と同じ不幸にあわれたあなたがいたわしくてなりません)

 宮より、「露置きたる唐衣参らせよ、経の表紙にせむ」、 と召したるに、結びつけたる
 
(宮〔中宮彰子〕から「小式部内侍が着ていた露の模様の唐衣を奉るように。経の表紙にしましょう」とおっしゃつたので、その唐衣に結びつけた歌)

475 置くと見し 露もありけり はかなくて 消えにし人を なににたとへむ
[新古今集哀傷]
(はかないものの喩えとされる露の模様もあの日のままです その露よりもはかなく亡くなってしまった娘を なにに喩えたらいいのでしょう)


476 留め置きて たれを哀れと 思ひけむ 子は増さるらむ 子は増りけり
[後拾遺集哀傷・栄花物語衣の珠・古来風躰抄・ 無名草子等]
(あの子はわたしと子どもを残して亡くなったけれど 誰を愛しいと思 っているのだろう きっとあの世で親のわたしより子どものことを思い 出しているだろう わたしも親に別れた時よりもあの子を亡くしたとき のほうが悲しいのだから)


  「内大臣殿の若君を、渡し奉り給へて、見奉らむ」と ありければ、「ここに渡りて、見奉り給へ」とありければ、和泉
 
(「内大臣殿の若君にお会いしたいのでお連れください」と申し上げたところ、「ここ中川まで来てお会いするように」と言ってきたので、和泉が)
 内大臣殿―道長の三男教通。若君―教通と小式部の子で、後の木幡僧正静円。


477 恋ひて泣く 涙にかげは 見えたるを なか河までも なにか渡らむ
[栄花物語衣の珠]
(娘を恋しく思って泣く涙に  若君のお姿が映って見えましたから 中川まで出かける必要がなくなりました)

 雪の降る日

478 身にしみて ものの悲しき 雪気
(ゆきげ)にも とどこほらむは 涙なりけり
(身にしみるほどもの悲しい寒い雪の日にも 凍らないで流れるのは涙)

 若君、御送りにおはする頃
 
(若君が、小式部内侍の葬送のお見送りにいらっしゃる時)

479 このみこそ この代りには 恋しけれ 親恋しくは 親を見てまし
(亡くなったあの子の子である若君だけが 娘の代わりとして恋しくてならない 若君がもし親〔小式部〕が恋しいとお思いなら その親であるわたしに会いにいらっしゃればいいのに)
 
  常に持たりし手筥、愛宕に誦経にせさすとて、書きつ くる
 
(小式部内侍がいつも持っていた小箱、愛宕で誦経のお布施にするときに、書きつける)

480 恋ひわぶと 聞きにだに聞け 鐘の音
に うち忘らるる 時の間ぞなき[新古今集哀傷]
(恋焦がれているのだと 聞くだけでも聞いて 誦経の鐘の音によってわたしはあなたを忘れる時が一瞬の間もない)


 これを聞きて、僧都の母、「いかが」と、問ひたりければ
 (この歌を聞いて、僧都の母が、「どうしていますか」とお尋ねになったので)
 ※僧都―木幡僧都だが、静円とは別人。


481 つくづくと 落つる涙に 沈むとも 聞けとて鐘の おとづれしかな
(一人淋しく泣いているところへ わたしだって悲しみの涙に沈んでいると お便りをくださるとは) 同じ頃、相模が妻のもとより、おばのもとに (同じ頃、相模守の妻〔歌人の相模〕から、老女のところへ)
 ※おば のところへ―和泉式部の自虐的な言葉と見た。


482 親をおきて 子に別れけむ 悲しびの 中をばいかが 君も見るらむ
(小式部さまが 親のあなたを残して お子さまとも別れて亡くなられたという悲しみの中 あなたがどんなに悲しんでいらっしゃるのかと思うと わたしも悲しくて)

 返し
(お返事)

483 親のため 人の喪事
(もごと)は 悲しきを なぞか別れを よそに聞きけむ
(どんな親でも死に別れはたまらなく悲しいのに どうしてわたしはじ ぶんには関係ないように聞き流していたのだろう)

 木幡僧都の家焼けたる、人づて言ひやる。母に
 
(木幡僧都の家が焼けたので、人づてに送る。これはその母に送ったもの)

484 出でにける 門
(かど)の外(ほか)をし 知らぬ身は 問ふべきほ ども さだすぎにけり
(すでに俗世を出て仏門に入って悟りを開いたあなたと違って 俗世を捨てきれないわたしは 仏法を聞けないどころか お見舞いもしないまま時が過ぎてしまいました)

 返し
(返歌)

485 問はぬをも 恨むる心 いまはなし 車に乗らぬ 程ぞ憂かりし
(見舞ってくださらなかったのを 恨む気持ちは今はありません ただ一緒に出家なさらなかった時はつらかったわ)

 衣
(きぬ)ども遣るとて(着物を何枚も贈るときに)

486 藻塩草 焼きけむあまの 捨て衣 おもひの外
(ほか)に ありけるを見よ
(藻塩草を焼いて塩を作った海人が着て捨てた衣ですが 〔お粗末なも のですが〕思いがけなくこんなにあったので見てください)

 返し
(返歌)

487 藻塩草 燻
(くゆ)らぬものを あま衣 なにかく浪の たち重ぬらむ
(藻塩草が煙るように わたしの衣は火に焼けることはなかったのに どうしてこんなにたくさん贈ってくださったのでしょう)

 同じ僧都の母のもとに、故内侍ともども、共に卯の花 見し事など、言ひ遣りたれば
 (同じ僧都の母のところに、亡くなった小式部内侍と連れ立って、僧都の母と一緒に卯の花を見たことなどを、言ったところ、返歌があった)

488 時鳥
(ほととぎす) なき陰にても 古里の 苔(こけ)の垣根を いかに恋(こ)ふらむ
(時鳥〔小式部内侍〕は 今頃あの世でも じぶんの住んでいた家の苔の生えた垣根を どんなに恋しがって泣いていることでしょう)

 返し
(返歌)

489 故郷の 垣根にのみぞ 我は泣く 死出
(しで)の田長(たおさ)は 訪(とぶ)らひもせず
(あの子に死に遅れて 故郷の垣根で わたしは泣いてばかりいます あの子のことを聞きたくても時鳥は訪ねて来てくれないから)
 ※死出の田長―時鳥の異名。冥土から来る鳥とも言われた。  


 宮、法師になりて、髪の切れをおこせ給へるを
 
(宮さまが出家なさって、切った髪を送ってこられたのを見て)

490 かき撫でて 生
(おお)しし髪の 筋ことに なり果てぬるを 見るぞ悲しき
(わたしが髪を撫でてお育てした髪を切って 普通の人とは違った道〔仏道〕にお入りになったのを見ると 悲しくてたまらない)
 ※和泉式部と帥の宮の子の「石藏の宮」のことだろう。


 師走の晦日
(つごもり)がたに、暁起きて見れば、月、入りがたに なれば
 (師走の末頃、夜明け前に起きて見ると、月が没しようとしているので)

491 年暮れて 明け行く空を 眺むれば 残れる月の かげぞ恋しき
(年が暮れて明けていく空を眺めると 残っている月の光が恋しい)

 祭主
(さいす)輔親(すけちか)がむすめの、花に雉(きじ)をつけて、言ひたる
(祭主輔親の娘〔伊勢大輔(いせのたいふ)か〕が、梅の花に雉をつけて、言ってきた)

492 春の野の 風は吹けども 
※以下欠文のため訳さない。

 返し
(お返事)

493 鶯の ねぐらの花と 見るものを とり違
(たが)へたる 心地こそすれ
(梅はうぐいすがねぐらにする花だと思っているのに 雉では取り違えた〔鳥が違う〕ような気がします)

494 流れつつ みづのわたりの あやめ草 ひきかへすべき 根やは残れる
[夫木抄夏一]
 ※詞書欠落か。
(流れ流れて 水のそばのあやめ草 引き返せる根は残っているだろうか)


 同じ日、清少納言

495 駒すらに すさめぬ程に 老いぬれば 何のあやめも 知られやはする
(人はもちろん馬にも相手にされないほど老いたので 五月五日だというのに 菖蒲もなにもあったものじゃない)

 返し
(お返事)

496 すさめぬに 妬
(ねた)さも妬(ねた)し あやめ草 ひきかへしても こまかへりなむ
(わたしも老いて誰も相手にしてくれないので 悔しくて悔しくて もう一度若返りたいものです)

 石蔵の宮の御もとに。粽
(ちまき)奉るとて
 
(石蔵の宮さまに。ちまきをさし上げるときに)
 ※石蔵の宮―和泉と 敦道親王との子で、出家して石藏に住む。


497 深沢の こもをぞ刈れる 君が為 玉は衣の 袖にかからむ
[夫木抄雑十]
(水の深い沢のまこもを刈りました あなたのために玉は衣の袖にお掛 けになるでしょう)
 ※菰―植物の名。まこも。イネ科で水辺に群生する。


 返し
(返歌)

498 深沢の こもはかたみに 刈りけりと 君は涙の 玉ぞかかれる
(深沢のまこもを竹籠に刈ったと言われるので それにはあなたの涙の 玉がかかっていることでしょう)
 ※筐―竹籠。「かたみ」は「筐」と「形 見」との掛詞。


  いかなる人にか、「いかでただ一度対面せむ」と言ひ たるに
 
(どんな人だったろうか、「一度でいいからお会いしたい」と言って来たので)

499 世世
(よよ)を経て 我やはものを 思ふべき ただ一度(ひとたび)の 逢ふことにより[玉葉集恋一]
(「一度でいい」だなんて そんなあなたなら 長い年月わたしは苦しむことになるでしょう たった一度逢っただけで捨てられるのだから)


 また、人の返事に
(また、ある人への返事に)

500 頼むとて 頼みけるこそ はかなけれ 昼間の夢の よとは知らずや
(約束したからといって それを信じてあてにするなんて虚しい この世はすべて白昼夢だということを知らないの)

 安芸守の婦、子産みたる、九日の日、児の衣やるとて
 
(安芸守の妻が子どもを産んだので、誕生九日目の日に、産養の衣を 贈るときに)
 ※安芸守の婦―未詳


501 七日
(なぬか)ゆく 浜の真砂(まさご)を 数にして 九日さへも 算(かず)へ つるかな[夫木抄雑十八]
(通りすぎるのに七日もかかる浜の真砂を一日分の数に見立てて それを九日も数えたことです)


  はやうゝから別れし人のもとに
(ずっと前に別れた人に)

502 それながら あるかなきかと 昔見し 人に問ひてや 我は知らまし
(わたしがあの頃のままでいるかいないかと 昔逢った人に訪ねて 知ることができたらいいのに)

 人の来
(きた)るを、便(びん)なければ帰したる翌朝(つとめて)、「昨夜(よべ)は往(い)ね とありしかば参で来たる」と言ひたるに
 
(人が訪ねてきたのを、都合が悪いので帰した翌朝、「昨夜は来いとおっしゃるからお伺いしたのです」と言ってきたので)

503 言ふままに 行きけるものを 行くにても 留むべ くこそ あるべかりけれ
(わたしの言いなりにお帰りになったのに これからはお帰りに場合で も 一応はお止めしなければならないのね)

504 浅からぬ ことゆゑ落つる 涙川 浮かぶともいふ しのぶともいふ
(深い嘆きのために落ちる涙の川は それに身が浮かぶともいうし そ れを忍ぶともいう)

 安芸の北の方に。薫物
(たきもの)乞ひたるとて、遣るとて
 
(安芸守の北の方が薫物を欲しがってきたので、贈るときに)

505 塵ばかり 匂ひだになし 君が住む 籬
(まがき)の菊の 香 にをくるはせ
(ほんのすこしの匂いさえしません あなたの家の垣根の菊の香りで匂いをつけてください)

 内侍も亡
(う)せて後、人のもとに
 
(小式部内侍も亡くなってから、ある人のところへ)

506 引きかくる なみだにいとど 溺
(おぼ)ほれて 海士(あま)の刈 りける ものも言はれず
(あなたのことで涙がつきないのに あの子にまで先立たれて 涙に溺れるばかりでものをいう気もしない)

 人の返事
(かえりごと)(ある人への返事に)

507 玉の緒を 見るにはかなき 蜘蛛
(ささがに)の いかで暫(しば)しも かき通はばや
(人の命のはかなさを思うと 生きているしばらくの間でも お便りを通わせたいものです)
 ※蜘蛛の―「いかで」の枕詞


 同じ人に

508 いにしへは ありけることと 聞きながら なほ悲 しさの ふりがたきかな
(昔もこんな悲しみがあったのだと聞くものの やはりあきらめられないで 悲しみを新たに感じてしまう)

 人の返事に
(ある人への返事に)

509 淀わたり 雨にはいとど 真菰草
(まこもぐさ) まことにそれを ねになかれにし[夫木抄雑八]
(淀のあたり 雨で水嵩が増して 真菰草は根こそぎ流れていってしま った)


 人の返事に、五月五日
 
(ある人への返事に、五月五日)

510 涙のみ ふるやの軒の 忍草 けふのあやめは 知 られやはする
 
(わたしは古屋の軒の忍草 いつもあなたを偲んで泣いてばかりいるので 今日五月五日の菖蒲もなにもわからない)

 同じ人に

511 何事も みなふりにける 君がため いかなる事を いかに聞かまし
(なにもかも昔のことになってしまったわ これからはあなたについてどんなことをどんなふうに聞くのでしょう)

 五月五日、粽
(ちまき)に。人のもとに遣るとて
 
(五月五日、ちまきを人のところへ贈るときに)

512 深沢田
(ふかさわだ) みぎは隠(がく)れの 真菰草 きのふあやめに 引かされにけり[夫木抄雑八]
(水の深い沢田の水際に隠れて生えている真菰草を  昨日は菖蒲の縁に惹かれて抜いてしまったのです)


 柳に簑虫
(みのむし)の付きたるを見て
 
(柳に簑虫がついているのを見て)

513 みのむしに なるを見る見る 青柳
(あおやぎ)の いとにのみよる 我が心かな
(虫が箕をつくって蓑虫になるのを見ながら 青柳の糸〔枝〕の面白さにばかり心惹かれるわたしの心)

514 雨ふらば 梅の花笠 あるものを 柳につける 簑虫のなぞ
[夫木抄雑九]
(雨が降ったら うぐいすが着る梅の花笠があるのに どうしたのだろう 梅につかないで柳につくなんて)


 卵
(こ)の形(かた)したる破籠(わりご)を祭主(さいす)輔親(すけちか)借りて、返すとて、雁の 卵を入れて
 (卵の形をした破籠を祭主輔親が借りて返すときに、雁の卵を入れて)

515 伊勢島
(いせじま)に 与謝の海より 飛び通(かよ)ふ うはの空にも かひになしけり
(伊勢島〔輔親の任地〕から与謝の海〔式部の任地〕へ飛び通う鵜は 上 の空でも卵を産みましたよ)
 ※雁を鵜にして戯れている。


 返し
(お返事)

516 飛び通ふ 与謝の島つを よそ人は とり留めば かひはあらまし
(丹後から伊勢に飛んで往来する鵜を あなたが取って手元に置いてくださったら お貸しした甲斐があったでしょうに)

 石蔵より野老(ところ)おこせたる手筥に、草餅入れて奉るとて (石蔵から野老を贈ってくださった手箱に、草餅を入れてさし上げる時に)※野老―山芋の一種。

517 花の里 こころも知らず 春の野に いろいろつめる 母子餅
(ははこもちい)[夫木抄十]
(花の咲く里の情趣もわからないで 春の野に出てあれこれ苦労して摘んで母子草で作った草餅です)
 ※母子草―御形のこと。


 殿の中納言の御返事
 
(殿〔藤原道長〕の中納言〔長家か〕のお返事)

518 冬の野に かるてふ茅
(かや)は 枯れもせよ 人の心に 霜は置くやは
(冬の野で刈るという枯れるにしろ 人の心に霜が降りるでしょうか わたしは決して忘れません)

 秋、田舎より来たる人に
(秋、田舎から来た人に)

519 秋風の 音につけても 待たれつる 衣かさぬる 中ならねども
(秋風が吹く音を聞くにしても あなたが来るのが待たれてならない なにも衣を重ねて寝る仲ではないけれど)

 大和より上りたりと聞く人の、訪れぬに
 
(大和国から上京していると聞く人が、訪ねて来ないので)

520 大和より きたりと聞けど 唐衣 ただもろこしの 心地こそすれ
(大和から上京なさったと聞いていますが 一向にお見えにならないので 唐土にいらっしゃるような気がします)

 人の返事に
(ある人への返事に)

521 立ち返り 心のくせの 習ひにて そはこまほしく 思ひなすらむ
(またいつもの癖が出て、そんなふうにおっしゃるのは もう一度わたしのところへ来たいと思っていらっしゃるのでしょう)

 公資が妻ともろともに来て、枕乞へば、出だしたるに、 返すとて、書き付けて返したる
 
(〔大江〕公資がその妻〔相模〕と一緒にやって来て、枕を借りたい と言ったので、出したところ それを返すときに歌を書いてきた)

522 たびごとに かるもうるさし 草枕 手枕ならば 返さざらまし
(伺うたびに枕を借りるのも面倒です これがあなたの手枕なら 返さ ないのですが)

 返し
(お返事)

523 草枕 その結びめの たよりには 千たびも千たび 貸さむとぞ思ふ
(草を刈って結んで作る草枕の その結びめの助けになるなら〔ご夫婦 が契りを結ばれるのなら〕 千度いらっしゃっても千度お貸ししようと思っています)
 ※「結びめ」に、夫婦の契りを結ぶ意で「結び妻」をかけた。


 人の返事に
(ある人への返事に)

524 掛けたるは うしとこそ思へ たまさかに くるまは何の 心をか遣
(や)
(心をすけてくださるのは かえって辛いです たまにしか来られない間 どんなに苦しんでいることでしょう)

 雪いみじう降る日
(雪がひどく降る日)

525 かくしつつ ひをのみふれば いとどしく ゆききの路や とどこほるらむ
(雪ばかり降って何日も経つから 往来の路もいっそう凍ってしまったので それであなたは来られないのでしょう)

 僧都の母、糸乞ひたる、遣るとて
 
(僧都の母が縫い糸を欲しがったので、贈るときに)
 ※僧都の母―前 出の木幡僧都か。


526 このふしに 絶えもこそすれ まゆごもり いとすくなくも ひきでたるかな
(この機会に仲が絶えるかもしれません さし上げる糸がほんの少ししかありませんから)

 語らふ人の来たるに、粽やるとて、敷きたる紙に
 
(恋人がやって来たので、ちまきを出すときに、その敷紙に)

527 夢にだも 逢ふと見るこそ うれしけれ 残りのたのみ すくなけれども
(夢でも逢ってお話するのは嬉しいものです 年老いてあなたとお逢い する機会は少ないのですが)

 冬の果てつ方、雪のいみじう降る日、人やる。
 (冬の終わり頃、雪のひどく降る日に、人に贈る)

528 ふりはへて たれはた来
(き)なむ ふみつくる あと見まほしき 雪の上かな
(こんなに雪が降っては だれがわざわざ訪ねてくるのでしょう せめて雪を踏んで手紙を届けてくれる使いの足跡でも見たい)

 五月五日、菖蒲の根を清少納言に遣るとて
 
(五月五日、菖蒲の根を清少納言に贈るとき)

529 これぞこの 人の引きける あやめ草 むべこそ閨
(ねや) の つまとなりけれ
(これこそは人が引き抜いたあやめ草 閨の軒端(つま)に葺くのももっともです ねやの妻といえば あなたはどなたかの恋人になられたそうですね)

 返し(返歌)

530 閨ごとの つまに引かるる 程よりは 細く短き あやめ草かな
(大勢の人から妻に望まれるあなたがお贈りになったものとしては 細くて短いあやめ草ですね)

 また、返し
(また、お返事)

531 さはしもぞ 君は見るらむ あやめ草 ね見けむ人に ひきくらべつつ
(そんなふうにあなたはごらんになるのね あなたの素晴らしい愛人と わたしのつまらない恋人とを比べて)

 おなじき人のもとより、海苔
(のり)おこせたりければ
 
(同じ人のところから、海苔を贈って来たので)

532 まれにても 君が口より 伝へずは 説きけるのりに いつか逢ふべき
(たまにでもあなたの口から伝え聞かなければ 仏が説いたありがたい 法にいつ会えるでょう)
 ※「海苔(のり)」に仏法の「法(のり)」をかけた。


 人のもと「物忌にてなむ」と聞きて、「今日のつれづ れに、心ばへのいと憎きもよくなむ」と言ひたるに
 
(人のところから、わたしが「物忌で籠っている」と聞いて、「今日は手持ち無沙汰だが、おまえのひどく憎らしい気性を思うと逢えないでよかった」と言ってきたので)

533 何ごとも 憂きにつけつつ 思ひ出でて 忘るる時 の 間だにあらじな
(わたしのことはどんなことも嫌なことばかり思い出して 忘れる暇も ないでしょうね)

 卯の花見に行きて、帰りて翌朝
 
(卯の花を見に行って、帰ってきたその翌朝)

534 折
(おり)しまれ 昨日(きのう)垣根の 花を見て 今日聞くものか 山ほととぎす
(よりによって 昨日垣根の卯の花を見て 今日山ほととぎすを聞くと は 昨日鳴いてくれればいいのに)
 ※卯の花―空木のこと。


 小田の中務の、「内侍の君侍りけむ薫物少し」と乞ひ たるに
 (小田の中務が「小式部内侍さまのところにあった薫物を少しわけてください」と頼んできたので)

535 ゆめばかり あはせたきもの なかりけり 煙とな りて のぼりにしかば
(夢ほども〔少しも〕薫物は残っていません あの子と一緒に煙となっ て昇ってしまったので)

 内侍亡くなりて、次の年七月に、例得る文に、名の書かれたるを
 
(小式部内侍が亡くなって、その翌年の七月に、いつも頂く着物に添えた文書に、小式部内侍の名前が書かれているのを見て)

536 もろ共に 苔の下には 朽ちずして 埋まれぬ名を 見るぞ悲しき
[金葉集雑下]
(あの子と一緒に苔の下に朽ちないで 埋もれない名前を見るのは悲しい)


  いかなる人にか
(どういう人に送ったのか)

537 あさましや 寝
(ね)ぬとも人は 見えけりと ゆめともゆめに 人に語るな
(あきれたこと あなたとわたしが一緒に寝たと夢でごらんになったとしても けっして人にはおっしゃらないで)

538 引く人も なくて昨日は 過
(すぐ)してき わが忘(わす)るるに 生(お)ふるあやめは
(わたしを誘う人もなく昨日は過ごしてしまった 菖蒲を引くことも忘れていたので 菖蒲は生い茂っている)

 いかなる人にか、言ひ侍る
(どんな人だったか、申し上げた)

539 いとどしく ものぞ悲しき さだめなき 君はわが身の 限りと思ふに
(そうでなくても恋は悲しいものなのにいっそう悲しい 移り気なあなただけれど この上なく大切な方だと思うので)

540 恋しさは それにしもこそ 増さりけれ 逢ふを限 りと たれか言ひける
(恋しさは逢うことでいっそう恋しさが増す 逢った時が最後だなんて 誰が言ったのだろう)
 ※「わが恋は 行方も知らず 果てもなし 逢ふを限りと 思ふばかりぞ/わたしの恋は 行方もわからず終わりもない だから逢っている時が最後と思うだけ[古今集恋二・凡河内躬恒]」をふむ。


541 つれなさは 思ひしもせじ 一日
(ひとひ)泣き いかでか過 ぐす 心地すらむと
(あなたの薄情さでは思いもしないでしょう〈一日中泣いて どうして生きた心地がするだろう〉とは)

542 在
(あ)りながら つらきも苦し 亡き人を 思ひのみやは 思ひなりけり
(生きていながら恋人が冷たいのは苦しい 亡くなった人を思う苦しさだけが苦しみだと思っていたのに それだけではないのだ)

543 契りあらば 思ふがごとぞ 思はまし 怪しや何の 報いなるらむ
[後拾遺集恋四]
(前世の宿縁なら わたしが思うようにあの人も思うだろうに 不思議だ ではこれはなんの罪の報いなのだろう)

544 今日死なば 明日まで物は 思はじと 思ふにだにも かなはぬぞ憂き
[後拾遺集恋四]
(今日死ねば 明日まで苦しまないでいいと思うものの 死ぬことさえ思うようにならないのが辛くてならない)

545 よそにふる 人は雨とや 思ふらむ 我が目に近き 袖の雫を
[後拾遺集恋四]
(わたしのところへ来ない人は 雨だと思っているでしょう わたしの目にあてた袖にかかる涙のしずくを)


546 日に添へて 憂き事のみも 増さるかな くれてはやがて 明けずもあらなむ
[後拾遺集恋四]
(日が経つにつれて 嫌なことばかりが増してくる 日が暮れたなら そのまま夜が明けなければいいのに)  


 いみじう文細かに書く人の、さしも思はぬに。
 (手紙をとてもこまごまと書いてくる人で、それほどわたしを愛していない人に)   

547 もしほ草 やくとかきつむ 海士
(あま)ならで 所多かる ふみのうらかな
(あなたは藻塩草をかき集めて焼く海人でもないのに どうしてこんなに書くことが多くて忙しいのでしょう)

548 羨まし さもわが胸の さわぐかな いかなる人の 身かは動かぬ
(冷静なあなたが羨ましい わたしの胸はこんなにどきどきしているのに いったいどんな人が落ち着いていられるのかしら)

549 忘れなむ それは怨みず 思ふらむ 恋ふらむとだに 思ひおこせば
[後拾遺集恋三]
(あなたがわたしを捨てるのは恨まない ただ〈今頃はわたしのことを思っているだろう 恋しがっているだろう〉と思い出してくださるなら)


550 幾日
(いくか)とも 知られずなりぬ 数(かず)にせ  涙の玉も こぼれ落ちつつ
(あなたがいらっしゃらなくなって何日かわからなくなりました こぼれる涙の玉で日数を数えていたけれど とめどなく落ちるから

551 絶え果てば 絶え果てぬべし 玉の緒に 君ならむとは 思ひかけきや
(捨てられたら死んでしまうでしょう あなたがわたしの命になろうとは思いもしなかった)

552 我が袖に 涙とのみぞ 思ひしを 心にかかる 君もありけり
(かかるものといえば わたしの袖にかかる涙だけだと思っていたのに 心にかかるあなたもいたのね)

553 七日
(なぬか)にも 余りにけりな 便りあらば 数(かぞ)へきかせよ 沖津島守
(あなたとわたしとは 七日もかかる浜辺より もっと大きな隔たりがある なにかのついでに どれだけ隔たりがあるか 日数を数えてしらせてください 沖の島守さま)

554 わりなくも 高くせらるる なげきかな みそかにとこそ 君も乞ひしか
(困ったことに大きなため息が出てしまう 二人の恋は内緒にしてくれとおっしゃったけれど これではわかったしまう)

 守の大和より上りたる日、人のもとに遣る
 
(夫が大和国から上京する日に、人のところへ送った)
 ※守―大和守 保昌。


555 待つ人は 待てども見えで あぢきなく 待たぬ人こそ まづは見えけれ
(待っている人は 待っていても来てくださらない つまらないわ 待 っていない人が先に来るなんて)

 又、人に
(また、人に)

556 怨むなよ 我が名立てつと 見る人の なに思ふぞと 問
(と)はば答へむ
(恨まないで「わたしの浮名が立った」と 夫が「なにを思っているのだ」と尋ねたら あなたとのこと話してしまおうと思う)

557 かきくらし あめは五月の 心地して まだうち解けぬ 時鳥かな
(空一面を暗くして降る雨は五月のような気がするのに まだ鳴いてくれない時鳥)

558 身の憂きも 人のつらきも 知りぬるを 此
(こ)はたがたれを 恋ふるなるらむ[玉葉恋四・万代集恋四]
(じぶんの辛さも 人の冷たさも知っているのに こんな恋をいったい誰が誰にするというのだろう)

 葵を遣るとて
(葵を贈るときに)

559 みな人の かざしにすめる その草の 名は何とかや 言ひて聞かせよ
[万代集恋二]
(賀茂祭の日 みなが挿頭にするこの草の名は なんというのか聞かせてください)


  また

560 薬てふ あふひも過ぎぬ 今はただ 恋ひ忘れじと ひともともがな
(薬になるという葵を採る日〔五月五日〕も過ぎました 今はただ恋を忘れないために 葵が一本でもいいからほしい)

561 はかなくて 忘れぬめるは 夢なれや ぬるとは袖を 思ふなりけり
(あっけなく忘れてしまわれたとは あれは夢だったのでしょうか 恋人と「寝(ぬ)る」とは わたしには袖が涙で「濡(ぬ)る」ということでした)

562 わが魂
(たま)の 通ふばかりの 道もがな 惑はむほどに 君をだに見む
(わたしの魂があなたのところへ行ける道があればいいのに 迷っている間に あなたを見るだけでも見たいのです)

563 与謝の海の 海士
(あま)のしわざと 見しものを さもわがやくと 垂るる潮かな[新拾遺集恋二・夫木抄雑五・万代集恋 三]
(潮垂れるなんて 与謝の海の海人のすることだと見ていたのに 潮垂れる〔泣く〕のがわたしの日課になっている)


564 ます鏡 いと見苦しや むべこそは 影見し人の かげは見えけれ
(澄んだ鏡を見るのが辛いのはもっとも 昔鏡に姿を写した人の面影が見えるから)

 内侍亡くなりたる頃、人に
(小式部内侍が亡くなった頃、人に)

565 歎くやと なき折ならば 何により 落つる涙と 人に言はまし
(「小式部内侍が亡くなったから嘆いているのだ」と 人から思われない時なら 「なんのために泣いているのだ」と言われたらなにも言えないでしょう)

566 あひにあひて もの思ふ春は かひもなし 花も霞も めにし立たねば
[玉葉集雑四]
(小式部内侍の死に出会って 悲しみに沈む春は甲斐がない 花も霞も目に入らないから)


567 つらしとも それはひては 思はぬに なほ身に沁むは 葛
(くず)の裏風
(あなたを冷淡だとは特に思わないけれど やはり身にしみる 葛の葉を裏返す風)
 ※「ひては」は「しひては」の誤りか。


568 とへと思ふ 人はくちなし 色にして 何に恋ふらむ 八重の山吹
(訪ねてほしいと思う人は口なしで〔音沙汰がなく〕いったい誰を恋しているのだろう この八重の山吹は〔わたしは〕)
 ※「とへ・十重」に「八重」をかける。


569 狩人
(かりびと)の 下(した)に身をのみ 焦(こが)せども くゆる心の 尽きずもあるかな
(狩人の火のように秘かに身を焦がしているけれど 燃え立たないでくすぶる思いばかりが尽きない)
 ※狩人の―狩人は夜、鹿を誘うために樹下に火串を燃やして焦がす[日本古典全書]


570 憂きことも 恋しきことも 秋の夜の 月には見ゆる 心地こそすれ
(辛いことも 恋しいことも 秋の夜の澄んでいる月には映って見えるような気がする)

 人来て帰りぬる。十月ばかりに
 
(人が来て帰ってしまった。十月頃に)

571 我が宿の もみぢの錦 いかにして 心安くは たつにかあるらむ
(わたしの家の紅葉が美しいのに どうしてすぐに帰ってしまわれるでしょう)

572 うらむべき かただに今は なきものを いかでな みだの 身に残りけむ
[続千載集恋五・万代集恋四]
(今はもう恨む気さえないのに どうして涙ばかりが身に残って流れるのでしょう)


 丹後に在りける程、守上りて下らざりければ、十二月十日余日、雪いみじう降るに
 (丹後にいたときに、守が上京して帰って来なかったので、十二月十 日過ぎ、雪がひどく降るときに)
 ※守―大和守藤原保昌。


573 待つ人は ゆきとまりつつ あぢきなく 年のみ越ゆる 与謝の大山
[夫木抄雑二]
(待っている人は 都に行ったきりで つまらない 新しい年だけが越える与謝の大山を)


 人の返事に
(ある人への返事に)

574 年を経て 物思ふ事は 習ひにき 花に別れぬ 春 しなければ
[詞花集雑上・玄玄集]
(年を重ねるにつれて物思いすることに慣れてしまった 花に別れない 春はないから)

 丹後に

575 ふれば憂し 経
(へ)じとて又 いかがせむ あめの下より 外のなければ[玉葉集雑四]
(生きていると辛い 生きていたくないと思ってもどうしようもない 天の下よりほかに居場所はないから)


 同じ人に

576 うきに生ひて 人も手触れぬ あやめ草 ただいたづらに ねのみなかれて
(泥沼に生えて 誰も手も降れないあやめ草 ただ虚しく漂うばかり〔泣くばかり〕)

 大和が家出でたるには、嫁もろともにぞありける。夫(おとこ)の折折おこせたる文どもをとり持たりける、外(ほか)にゐたりける程、その文の裏に文書きて、よめばらのおこせたりければ
 
(わたしが大和守〔保昌〕の家を出た時には、〔保昌の息子の〕嫁も一緒に家を出た。この嫁は夫が以前寄越した手紙をいくつも持っていたが、わたしがよそに行っていると、嫁がその手紙の裏に私宛の手紙を書いて寄越したので)

577 唐衣 つまとは君に なり果てむ 結びをとめよ 吾子
(あこ)がたまづさ
(最後にはあなた方二人は夫婦として添い遂げられるでしょう 失くさないようにしまっておきなさい 夫からの手紙は)
 ※「唐衣」は「つま」の枕詞。


 山里にて、人に
(山里で、ある人に)

578 世を限る 山里にても 君を待つ 心ばかりぞ 変らざりける
(俗世を捨てて入った山里ですが あなたを待つ心だけは変わらない)

 伯耆(ほうき)の入道の妻に

579 いづこまた 我が身をやらむ 山里も いとど物こそ 悲しかりけれ
(いったいどこへ身を置いたらいいのだろう 山里もいっそう悲しく思われるばかりだから)

 夕暮に小さき瓜を斎院より給はせたるに、書きつけて参らす
 
(夕方、小さい瓜を斎院から賜ったのでも書いてさし上げた)

580 夕霧は 立つを見ましや 瓜生山
(うりふやま) こま欲(ほ)しかりし わたりならでは[夫木抄雑二]
(夕霧が立つのは見られなかったでしょう 以前から来てみたいと思っていた瓜生山のあたりでなければ)


 仲違ひたりし尼の袈装に結びつけけむ
 (仲違いしていた尼の袈装に結びつけたのだろうか)

581 あぢきなし われときるべき 袈装の緒の 結ぼほたれたる 解けば解けなむ
(つまらない わたしも着ようとしている袈裟の紐のように 仲違いが解けるなら解けてほしいと思います)

 柏野(かしわの)より、何とかや、相模へ遣るとて
 
(伊勢の柏野から、なんだったか、相模へ贈るときに)

582 唾
(い)をだにも 安く寝させで 荻風の 吹きおとしたる 柏野(かしわの)の露
(わたしを少しも安らかに寝させないで 荻風が吹いて落とす柏野の露)

 監物
(けんもつ)ゆきつねが(監物ゆきつねの歌)

583 うちはぶく 浪の上をば きぬなるに 巣隠
(すがく)れたるか 鳥の見えぬは[夫木抄雑九]
(羽ばたきして波の上を飛んで来たようなのに 巣に隠れているのだろうか 鳥が見えないのは)
 ※監物―中務省に属する役人。


 人の置きたりける鏡の箱を返し遣るとて
 
(あの人が置き去りにしていた鏡の箱を送り返すときに)

584 影だにも とまらざりけり ます鏡 箱の限りは いふかひもなし
(鏡には持ち主の面影が留まるといいますが それさえもない 鏡の箱だけではなんの甲斐もないからお返しします)

585 うつつにて 夢ばかりなる 逢ふ事を うつつばかりの 夢になさばや
[後拾遺集恋二]
(現実では夢のようにはかない逢瀬を 現実のような思いのする夢にしてしまいたい)


586 雨もよに 通ふ心し 絶えせねば わが衣手の 乾く間ぞなき
(雨の降る中で あなたを思う心だけは絶えないから わたしの袖は涙に濡れて乾くひまがない)

587 そらものは 雨にぬれぬれ わが袖の 風にみながら 乾かぬやなぞ
(空の下にいれば雨に濡れるけれど 家の中にいるわたしの袖まですっかり濡れて 乾かないのはどうして)

588 限りなき 物思ふ身とぞ 思ひしを 今朝は譬
(たとえ)へむ 方のなきかな
(昨夜は限りない物思いをする身だと思ったけれど 一晩待って明かした今朝は喩えようもなく辛い)

589 譬
(たと)ふべき 方は今日こそ なかりけれ 昨日をだにも 暮してしかば
(また虚しく待つ今日の辛さは喩えようがない 昨日もずっと待って過ごしたから)

590 暮しても 明くることだに なかりせば 何思はまし 何思はまし
(来ない人を待ちながら暮らすにしても 夜の明けることさえなかったら なにを歎くことがあるだろう なにを歎くことがあるだろう)

591 とてもかく かくてもよそに 歎く身の 果てはいかがは ならむとすらむ
[万代集恋四]
(ああしてもこうしても 結局このように一緒に暮らせないで嘆いているわたしは 最後にはいったいどうなることだろう)


592 いとどしく おぼつかなきに 年月の ゆきかへるかと 見ゆる今日かな
(あの人が来ないでますます頼りない気がするので 一年が行って帰るほど長く思われる今日)

593 花もみな 夜
(よ)(ふ)くる風に 散りぬらむ 何をか明日の 慰めにせむ
(花もみな夜更けの風に散っているだろう なにを明日の慰めにしたらいいのかしら)

594 日
(ひ)をだにも 幾日(いくか)になりぬと 思ひしを 今日二月(ふたつき) に なりにけるかな
(あの人が来なくなって まさか一月もならないだろう 何日になるのかなと思っていたのに 今日で二月にもなってしまった)

 三月三日

595 賤
(しず)の女(め)の 垣根の桃の 花もみな すく人今日は ありとこそ聞け
(身分の低い女の垣根の桃の花さえも 愛でる人が今日三月三日はいると聞くけれど あなたはどうしてわたしを・・・)

596 時鳥 夢に一声 聞きつれど うつつ習ひに いまだ寝られず
(時鳥の声を夢で一声聞いたので 起きている時の習慣で また鳴くか と思って眠れない)

597 折りてみし 人の匂ひの 思ほえて 常より惜しき 春の花かな
(この花を折って見たあの人の香りが思い出されて いつもより花の散るのが惜しい春の花)

598 花見ても 日をば暮しつ 青柳の いとくるしきは よるにぞありける
(花を見て一日を暮らした 苦しくてたまらないのは人を待つ夜なのだ)

599 折
(おり)よくは 見に来ぬまでも 我が宿の 桜咲きぬと 告げましものを
(よい機会があったら 見に来ないにしても 「わたしの家の桜が咲きました」と知らせるものを)

600 上
(うえ)よりは 萩の下葉の 下露の 萎れ落つるに あきにもあるかな
(上のほうの葉よりも 萩の下葉に置く露が 萎れて落ちるので 秋だと思う)

601 隠れなき ものにぞありける 夏衣 薄き心は きても見ねども
(あなたがどれだけ薄情な人かはっきりしてる 夏衣が薄いのをわざわ ざ着てみなくてもわかるように)

602 忘れぬと 罪得
(う)る心地 するものを 今日の禊(みそぎ)に 祓(はら)え捨ててむ
(あの人を忘れてしまったと思うと罪になるような気がするから 今日の禊で洗い流して忘れてしまおう)

603 花薄
(はなすすき) まねくたよりは かひもなし 心知りなる 人し見えねば
(花すすきが風になびいて 誰かを招いているようだけれど いくら招いても甲斐がない わたしの気持ちをよく知っている人が来ないのだから)

604 我をこそ 語らはざらめ あし引の 山時鳥 鳴き聞かせなむ
(わたしに親しく話しかける気はないにしても 山ほととぎす 鳴くのを聞かせてほしい)

605 蔭にとて 隠るる人は なかりけり みをうの花は 盛りなれども
(誰もわたしの蔭に隠れる〔わたしと一緒に暮らそうという〕人はいない 時鳥が蔭に隠れるという卯の花は盛りだけれど)

606 あやめ草 五月ならねど 我が袖に 人知れぬねは 何時
(いつ)か絶えせむ
(あやめの根を袖につける五月ではないが わたしの袖の忍び泣きはいつ絶えることがあるだろう)

607 目の前に 変りぬめりと 見るものを また忘れずや ありし世のこと
(目の前で 心変わりをしたと 見て知っているのに やはり忘れられない 二人で過ごしたあの日のことが)

608 寝られねば 月を見るだに あるものを 身にもしみつる 夜半
(よわ)の風かな[万代集秋下]
(寝られないで月を見るのさえ辛いのに 身にしみるほど吹きつける夜中の風)

609 さ夜中に 月を見つつも たが里に 行き留りても 眺むらむとは
(真夜中に月を眺めながらも〈あの人はどの女の家に行って泊まって月を眺めているだろう〉と思うとは)

610 落ちつもる 木の葉の上に 降る雪に われも独りは 眺めざらまし
(落ちて積もる木の葉の上に降る雪を あの人がいたら 一人で見ることもないだろうに)

611 何事も 心に協
(かな)ふ 世なりせば ひとり榊の 花を見ましや
(なんでもじぶんの思い通りになる世ならば 一人で榊の花を見ることもないのに)

612 岩橋
(いわはし)や 恋ひのみわたる 心には 絶え間ありとも おぼえざりけり
(あの人をいつも思い続けているわたしの気持ちでは 今まで二人の恋に絶えるときがあるなんて考えてもいなかった)

613 君が住む わたりと思へば 初瀬川 下り立ちぬべ き 心地こそすれ
(ここがあなたの住むあたりだと思うと 初瀬川に飛び込んでしまいそうな気がする)

 入道殿の、小式部の内侍、子産みたるに、宣はせたる
 
(入道殿〔藤原道長〕が、小式部内侍が子を産んだときに、お詠いに なった)

614 よめの子の 子ねずみいかが なりぬらむ あなうつくしと 思ほゆるかな
[夫木抄雑九]
(嫁が産んだ子ねずみはどんなに成長したのだろう ああ 可愛いと思 っているよ)
 ※小式部内侍が道長の子である教通の子を産んだので、「よ め」という。

 御かえし
(お返事)

615 君にかく 嫁の子とだに 知らるれば この子鼠の 罪かろきかな
[夫木抄雑九]
(あなたさまにこのように嫁の子と認めていただきましたので この子 が犯した前世の罪も軽いと思われます)


 久しう音せぬ人に、忘れ草、しのぶ草を包みて遣ると て
 (長らく便りがこない人に、忘れ草と忍ぶ草を包んで送るときに)

616 物思はば われか人かの 心にも これとこれとは しるく見えけり
[正集二〇九・万代集恋四]
(思い乱れてじぶんなのか他人なのかわからないほど正体を失っていても 忘れようとする心〔忘れ草〕と忍ぶ心〔忍ぶ草〕とははっきりわかる)


 心にもあらでよそになる男のもとに。雨のいといたく降る日、「涙の雨の」と問ひたるに、女もこと人いで来にければ
 
(本心と違って、別れてしまった人に、雨のひどく降る日、「あなた のことを思い出すと、この雨よりも激しく涙がこぼれる」と言ってき たが、女も別の人ができていたので)

617 おのがじし ふれどもあめの 下なれば 袖ばかりこそ わかずぬれけれ
[正集二〇五]
(それぞれに雨が降っても 同じ空の下なので ふたりとも袖だけは同じ思いに濡れています)


 手筥置きたる、遣るとて、同じ人に
 
(手箱を置き去りにしてあったのを、送るときに、前と同じ人に)

618 逢ふことを 今は頼まぬ 中なれど まだこそ開けぬ 島の子が箱
(逢うことはもうないと思う仲だけれど 箱を開けたら二度と恋人に逢えなくなるという浦島の子の箱のように まだ開けないでいる)

 人語らひたる男のもとより、「忘るな」とのみ言ひおこすれば
 
(ほかの女と仲よくなった男から「わたしを忘れないで」とだけ言ってきたので)

619 いさやまだ 変るも知らず 今こそは 人の心を みても習はめ
[正集二一一・玉葉集恋四・新後拾遺集恋二・万代集恋 三]
(さあ どうでしょう まだ心変わりも知らないわたしだけれど これからはあなたの心の変わるのを見て真似するかも)


 同じ人、常に忘れぬ由をのみ、言ひおこすれば
 (同じ人が、「いつもあなたのことを忘れない」ということばかり、言ってくるので)

620 あはれとも 思ひやせまし 外になる 心のあらぬ 心なりせば
(愛しいと思うかもしれません 他の女に心を移さない真面目な性格だったら)
 

 月明き夜、人来て物語などして、帰りて翌朝(つとめて)、「さてや明し給(たま)てし」とあれば
 
(月の明るい夜、人が来て話などして帰った翌朝、「あのまま夜を明かしましたか」と言ってきたので)

621 床の上の 枕も知らず 明してき 出でにし月の 影を眺めて
[正集二五七・万代集恋三]
(横になることもしないで明かしてしまった 空に出た月の光を眺めな がら)


  かたみに、「忘れじ」など。久しう音せぬに
 
(お互いに、「忘れない」なとど誓った仲で、長い間便りをよこさないので)

622 さらばいかに 我も思ひや 絶えぬべき 同じ心に 契りてきてと
(それならわたしもあなたを忘れたしまおうかしら いつも同じ心でいようと約束したのですから)

 異心(ことごころ)つきたる男、さすがに時々来て見るに
 (ほかの女に心移りした男が、さすがにここへ時々来て会うので)

623 見るごとに など歎かする 君ならむ おのがかたみに おのれなりつつ
[万代集恋三]
(逢うたびにどうして嘆いたりさせるのでしょう あなたのことは思い出にして忘れたいのに 忘れられないじゃない)
 ※「形見こそ 今は仇なれ これなくは 忘るる時も あらましものを/形見こそ今は辛いものです これさえなかったらあの人を忘れる時もあるはずなのに[古今集恋四・読人しらず]をふまえる。

  頼めには頼むる人の、音せぬに
 
(一応あてになるようなことを言う人が、便りをしないので)  

624 ことわりや かつ忘られぬ 我にても 有るか無きかに 思ふみなれば
[正集二一〇]
(あなたがわたしをお忘れになるのはもっとも あなたを忘れようとして忘れられないわたしだって 生きているのか死んでいるのかわからなくなるもの


  頼めて見えぬ人に、翌朝
 
(あてにさせておいて訪れない人に、翌朝)

625 やすらひに 槇の戸をこそ 鎖さざらめ いかであけつる 冬の夜ならむ
[後拾遺集雑二]
(あなたが来るのではないかとためらって 戸は閉めないでいたけれど どうして来るはずのあなたが来ないうちに 閉めもしない冬の夜が明けたのでしょう)


 「もろともに」とのみ契る人の、田舎へ行くに
 
(「いつでも一緒に」とばかり約束していた人が、田舎へ行くので)

626 おくれじと 我をも捨てて 出でたつは 涙にのみや さ契りけむ
(涙があなたに遅れないようにこぼれますが 「いつでも一緒に」という言葉はわたしにではなく わたしの涙だけに約束なさったのでしょうか)

 と言ひ遣りたる返事に「おくるがつらき」とのみ言ひたる。我もさすがに行くべきにもあらねば
 (と言った返事に「一緒に来てくれないのが辛い」とだけ言ってきた。わたしもさすがに一緒に行くわけにもいかないので)

627 ながれ行く 涙の川に うきものは おくらす人と おくれぬる身と
(別れていく涙の川に浮かぶものは わたしを置いていくあなたと取り残されるわたし)

 行く道より「留まる魂をかたみにはせよ」と言ひたる に
 
(旅の途中から「あなたが恋しくて留まるわたしの魂を形見にしてください」と言ってきたので)

628 我が魂
(たま)は 旅の空にも 惑ひなむ もむべき袖の 中は朽ちにき
(わたしの魂は旅の空で彷徨っているでしょう あなたの魂を留めるはずの袖の中は涙で朽ちてしまいました)

 この人の上を「思ふさまで去ぬる」と語るを聞きて
 
(この人のことを「思い通りに任地へ行った」と人が話すのを聞いて)

629 契りしは 思ふさまにて 思ふとて あらましごとを 言ひしなりけり
(あの人がわたしに約束したのは「思い通りに愛する」ということだったが 実際はわたしに夢のような誓いをしたにすぎなかった)

630 五月雨は もの思ふ事ぞ まさりける ながめのうちに ながめくれつつ 
(五月雨は物思いがいっそうつのる 長雨の中で振り続ける雨を眺めな がらぼんやりと日を暮らす)

 をとこのほかにある夜、人にもの言ふさまに見ゆれば
 
(夫が外泊した夜、人と逢うような夢を見たので)

631 寝
(ね)ぬる夜の 夢さわがしく 見えつるは 逢ふに命を かへやしつらむ[夫木抄雑十八]
(独り寝の夢が騒がしく見えたのは あの人に逢うためには命を引き換えにしてもいいと思ったからだろうか)


 「久しう逢はぬ人を思ふ」とて、「道もおぼえず 」など言ふに
 
(「長く逢わない人を思っている」、「道も思い出せない」などと言うので)

632 今よりは ふる野の路
(みち)に 草茂み 忘れゆくには さぞまどふらむ
(これからは冬枯れの道にも草が茂るので わたしを忘れられたのではきっと迷われるでしょう)

 雨のいたう降る日、「涙の雨の」など言ひたるに
 
(雨のひどく降る日、「涙の雨の」などと言ってきたので)

633 見し人に 忘られてふる 袖にこそ 身を知る雨の いつもをやまぬ
[続集四・後拾遺集恋二・千五百番歌合判詞]
(あなたに忘れられて淋しく暮らしているわたしの袖にこそ わたしの不運を思い知らせてくれる雨がいつも降っています)


 同じ男、「かくては生きたる心地もせず」と言ひたるに
 
(同じ男が、「これでは生きた心地もしない」と言ったので)

634 在
(あ)りとても 今は頼まぬ 仲なれど ひたすらなくは なるなとぞ思ふ[続集五]
(生きていらっしゃっても 今はもう逢えない仲だけれど あなたがこれっきりこの世からいなくなるのは厭です)


 「必ず今宵」と言ひたる男に、逢ふまじかりければ
 (「必ず今夜」と言った男と、とても逢うことができないので)

635 むば玉の 今宵ばかりを 思ひつつ まどろまざらば 夢にをを見えむ
(今夜中あなたを思い続けて 微睡でなく 熟睡したならば きっと夢であなたを見るでしょう)
 ※むば玉の―「宵」にかかる枕詞

 八月ばかりに、人の来て、扇を落してけるを見て、竹の葉に露いと多く置きたるかた書きてある、程経て遣るとて
 
(八月頃に、人が来て、扇を落として行ったのを見て、その扇は竹の葉に露がたくさん置いた模様が書いてあるが、しばらく経ってから送るときに)

636 晨明
(しののめ)に おきて別れし 人よりは 久しくとまる 竹の葉の露[玉葉集恋二]
(夜明けに起きて帰って行ったあなたよりも ずっとわたしのそばにとどまっている 竹の葉の露)


 外に通ふ男、いかに思ふにかありけむ、「いまただ一月の程、忘るな」と言ひたるに
 
(ほかの女のところへ通う男が、どう思ったのだろうか、「もう一か 月の間、わたしのことを忘れないで」と言ってきたので)

637 その事と 言はぬ先より いつとても 憂きを忘るる 時しなければ
[玉葉集恋二]
(そんなことをおっしゃる前から あなたにつらい目にあわされているから いつだって忘れる時がない)


 世のいとさわがしき頃
(疫病流行で世間がひどく不穏な頃)

638 はかなさに つけてぞ歎く 夢の世を 見果てずな りし 人によそへて
(人の世のはかなさを歎くしかない 夢のような世を最後まで見届けることなく死んだ人と比べて)

639 ものをのみ 思ひし程に はかなくて 浅茅が末の 世となりにけり
[後拾遺集雑三・後六々撰・定家八代抄]
(悩んでばかりいるうちに はかなく年月が過ぎ去って 浅茅の葉末のような みすぼらしい年になってしまった)


 八月十余日の夜、夜半ばかりに
(八月十日過ぎの夜、夜中頃に)

640 まどろめば 吹き驚かす 風の音に いとど夜寒に なるをしぞ思ふ[続集六]
(うとうとするとすぐに目を覚まさせる風の音に これからいっそう夜が寒くなっていくのを思う)

 十月ばかりに、ものに詣
(ま)でて、夜泊りたるに、滝の音風の音のあはれに聞ゆるに、かたはらなる局に、早う聞きし人の音すれば、いと忍びてさし置かする
 
(十月頃に、お寺に参詣して、夜泊まったところ、滝の音と風の音が悲しそうに聞こえてくるが、そばの部屋で、以前知っていた人の声がするので、秘かに歌を置かせた)

641 憂き世には あらしの風を しるべにて 来し山水に 袖は濡らしつ[続集七]
(辛い世の中にはいたくないと 嵐の風に誘われて来た山の水に袖を濡らしてしまった)

 「人のもとに行くなり」と聞く男の、菊の花につけて、 変らぬ由言ひたるに
 
(「女のところへ通ってるそうだ」と聞く男が、菊の花に手紙をつけて、変わらず愛していると言ってきたので)

642 変らじと いかが頼まぬ 今はなほ うす紫の 色ときくきく
(「変わらない」とおっしゃるのを どうしてあてにできるでしょう 薄紫に変わる菊のように 心の移りやすい方だと聞いた今は)

 怨みて、久しう音せぬ人のもとに。弁明(ことわり)をたびたび言へど、返事もせねば
 
(わたしを恨んで、長らく便りをくれない人のところへ。言い訳をたびたびしたが、返事もないので)

643 このたびは 言に出でてを 怨みてむ 逢はずは何の 身をか捨つべき
(今度こそ わたしも口に出して恨みます あなたに逢わなかったら わたしだってじぶんをだめにすることはなかったはず)

 霜いと白き早朝、人に
(霜がとても白い早朝、人に)

644 うち払ふ 共寝
(ともね)ならねば 鴛鴦(おしどり)の 上毛(うわげ)の霜も 今 朝はさながら[新撰朗詠集冬]
(お互いに霜を払いあう共寝ではないので 鴛鴦の上毛に置いた霜も今 朝はそのままです)


 田舎なる人のもとより、日照りして国の皆焼けたること、侘びたるに
 
(田舎の人のところから、日照りで領内の稲がみな枯れたのを、嘆いてきたので)

645 小山田
(おやまだ)の などひたぶるに 思ふらむ 露のおくては ありもこそすれ
(どうしてそんなに嘆かれるのでしょう 早稲(わせ)はだめでも 晩稲(おくて)もあるでしょうに)
 ※「小山田の」は「ひた」の枕詞。


 「かたらふ人あり」と聞く所に、夫(おとこ)のとまりにければ、月の暁、言ひやる
 (「関係している女がいる」と聞く家に、夫が泊まったので、月の美 しい夜、送った)

646 目に近き 袖にもらずは 人のよの 月ともよそに 見るべきものを
(あなたがわたしの夫でなかったら ほかの女いい仲だと ほっといてあげるけれど)

 いと近き所に、語らふ人の渡りたるに、物忌にてえ逢はず
 
(とても近い所に、親しくつきあっている人がやってきて、物忌で逢えないので)

647 隔てたる 垣の間わたる 月ならば 語らはずとも 影は見てまし
[正集一八五]
(あなたが垣根だって隔てなく照らす月ならば お話しはできないにしても姿だけは見られたのに)


 久しう間はぬ人、辛
(かろ)うして音して、またも問はねば
 
(長らく便りをくれない人が、やっと便りをくれて、またなにも言ってこないので)

648 なかなかに 憂
(う)かりしままに 止(や)みにせば 忘(わす)るるほどに なりもしなまし[後拾遺集恋三]
(かえって便りがないままに二人の仲が終わっていたら 今頃は忘れる頃になっていたかもしれません)


 萩のいとおもしろく咲きたる所に、雨降る日客人の来て、物語して帰るに
 
(萩がとても美しく咲いている所に、雨の降る日にお客が来て、話をして帰るときに)

649 雨もよに 急ぐべしやは 秋萩の 花見るとては わざともぞ来る
(雨が降る中を急いで帰るなんて 秋萩の花を見るために わざわざ来る人もいるのに)

 いかなる人にありけむ、わづらふと聞きて言ひやる
 (どういう人だったかしら、病気だと聞いて送る)

650 さまざまに 心置きたる 露なれば ただに草葉の 上とやは聞く
(いろいろと心に隔てを置いた露〔あなた〕なので ただ草葉の上に置いているだけと聞いたでしょうか〔人ごととは思えず とても気になります〕)

 時々来る人のもとより、「暮れゆくばかり」と言ひたれば
 
(時々来る人から「暮れゆくばかり」と言ってきたので)

651 ながめつつ 事あり顔に 暮しても 必ず夢の 見えばこそあらめ
[後拾遺集恋二・後六々撰]
(物思いに沈んで なにかわけのありそうな様子で暮らしていますが 必ずあなたの夢が見られるなら 日が暮れるのも嬉しいのですが)
 ※後拾遺集・後六々撰では相模の歌とする。


 ものへいく人に「逢はむ」と思ふに、え逢はで、扇に書きつけて遣る
 (旅に行く人に、「逢いたい」と思うのに、どうしても逢えないので、扇に書いて送る)

652 これにのみ よそふるたびは あふぎてふ 名にか忌まれぬ 物にぞありける
(扇になぞらえて再び逢うことを願う旅は あふぎ〔扇・逢う〕という名のせいか 不吉な感じがしません)
 ※当時は扇を贈ることを不吉とした。


 久しうありて、問ひたる人の返事に、石を包みて、「ただこれを見給へ」とて
 
(長い月日が経って、やっと便りをくれた人の返事に、石を包んで、「ただこれを見てください」と言って)

653 逢ふことを 在
(あ)りし身ながら 在る物と 思ひ出でてや 人の問(と)ふらむ
(あなたと逢ったときのままで わたしがいると思い出して 便りをくださったのでしょうか わたしはあなたを待ちわびてこんな姿に) ものへ行く人に(よそへ行く人に)

654 在る程は 憂きを見つつも 慰めつ かけ離れなば いかに偲ばむ
[新千載集離別・万代集恋三]
(ここにいらっしゃるときは つれなくされても逢えるぶん慰められた けれど 遠く離れたら どんなに恋しく思い出すでしょう)


 人のもとより「思はむ方に」と言ひたれば
 
(人のところから「わたしを思う形見に」と物を贈ってきたので)

655 忘らるる 時の間もなく 憂しと思ふ 身をこそ人の かたみにはせめ
[続集五八四・万代集恋四]
(忘れられるほんの少しの間もなく辛いと思っている わたしの身こそあなたの形見にします)


 いとおぼつかなきまで音せぬ人に、十二月晦日の日
 
(ものすごく心細くなるほど便りをくれない人に、十二月のみそかに)

656 歎かでは いづれの日をか 過
(すぐ)ししと 今日だに問 ひて 人は知れかし
(この一年 嘆かないで暮らしたことがあったかどうか 年の終りの今日だけでも訪ねて 知ってください)

 「桜の花の待つ遠なり」と言ひて
 
(「桜の花が咲くのが待ち遠しい」と言って)

657 暮
(く)るる間(ま)も 知らぬ命に 換へつつも おそくさく らの 花をこそ見め
(日が暮れるまでともわからない命に換えてでも なかなく咲かない桜の花を早く見たいものです)

  越路
(こしじ)の方なる人に
 
(北陸道のほうにいる人に)

658 急ぎしも 越路のなごの つきはしも あやなく我や 嘆きわたらむ
[夫木抄雑三]
(橋を渡って 急いで来てもくださらない越中のあなたを恋い慕って どうしようもなくわたしは嘆き続けるでしょうか)
 ※なごのつきはしも―「なごの月〔恋人〕」に、越路の歌枕「なごの継ぎ橋」をかけた。


 辛けれど忘れじと思ふ人に
(冷たいけれども「忘れたくない」と思う人に)

659 憂しとても 人を忘るる ものならば 己
(おの)が心に あらぬと思はむ
(冷たいからといってあなたを忘れるなら それはわたしのほんとうの気持ちではないと思おう)

 時々怨めしき人の、今は音せぬに
 
(時々恨みたいようなことをする人が、今は便りをよこさないので)

660 そのかみは いかに言ひてか 怨みけむ 憂きこそながき 心なりけれ
[新拾遺集恋五・万代集恋五]
(昔はどんなことを言って恨んだのかしら 今思うと あなたが冷たかったのは わたしとの仲を続けたかったからだと)


 たびたびやる返事せぬ人に (たびたび送る手紙の返事をしない人に)

661 浪返る あとも見えねば 水の上に 数
(かず)書き果つる 心地こそすれ
(波が寄せては返す その跡も見えないので〔いつになっても返事をくださらないので〕水の上に数を書くような〔思わない人を思うような〕無駄ばかりしている気がする)
 ※「ゆく水に 数書くよりも はかなきは 思はぬ人を 思ふなりけり/流れていく水の上に数を書くよりも虚しいのは 思ってくれない人を 思うこと[古今集恋一・読人しらず]」をふまえる。
 ※ここまで和泉式部の歌を読んできて、和泉式部が本歌取りをした歌は概していい歌がないと思う。こういうところも紫式部の批判の対象になっているだろう。


 十月ばかり、年頃、久しう音せぬ人に
 
(十月頃、何年もの間、長らく便りをくれない人に)

662 音もせで 秋の過ぎ行く 年ごとに うき曇るとも 知らず顔なる
(お便りもくださらないで 毎年秋が過ぎてゆくたびに 時雨の空のように わたしの心も曇っていると思ってもいらっしゃらないようですね)

 夜ごとに、人の、「来む」と言ひて来ねば、翌朝
 
(夜のたびに、人が「行くよ」と言って来ないので、翌朝)

663 今宵さへ あらばかくこそ 思ほえめ 今日暮れぬ間の 命ともがな
[正集二〇七・後拾遺集恋二・古来風躰抄]
(今夜まで生きていたら また辛い思いをするから 日が暮れないうちに死んでしまいたい) 長柄(ながら)の橋を見て 
 ※長柄の橋―摂津国の歌枕


664 ありけりと はしは見れども かひぞなき 舟ながらにて 渡ると思へば
[夫木抄雑三]
(「ここにあった」と 長柄の橋は見たけれど つまらない 橋を渡らないで 舟のままで渡ると思うと)


 水のほとりに、千鳥のただ一つ立てるを見て
 
(水のほとりに、千鳥がただ一羽で立っているのを見て)

665 友を無
(な)み 川瀬にのみぞ 立ちゐける 百(もも)千鳥とは たれか言ひけむ[夫木抄冬二]
(友もいなく 川瀬にただ一羽の千鳥が立っている 百千鳥とは誰が言ったのでしょう)


 蘆多く 積み上げたる舟に、いき逢ひて
 
(蘆を多く 積み上げた舟に、出会って)

666 蘆
(あし)(わ)くる 程(ほど)に来(き)にけり 立つ浪の 音に聞きてし こやなには潟(がた)
(葦をかきわけてやって来た ここはなんという所だろう あの噂に聞いた難波潟だろうか)

 塩満ちぬとて、舟出す所
 
(満潮になったと言って、舟を出す所で)

667 おのれただ 満ちくる潮も ありけるを 思ふ人こそ 我は舟出
(ず)
(じぶん一人で満ちてくる潮もあるのに わたしは思っている人と一緒に船出する)

  車川
(くるまがわ)にて 
 
※摂津国の歌枕

668 車川 言ふ名やなどて 流れけむ 恐ろしげにも 見えぬわたりを
[夫木抄雑六]
(車〔来る魔〕川という名が どうして伝わったのでしょう 恐ろしそうにも見えない浅瀬なのに)


 網引かせて見るに、網引くどもの、いと苦しげなれば
 (漁師に網を引かせているのを見ていると、網を引く人々が、とても 苦しそうなので)

669 阿弥陀仏
(あみだぶ)と いふにも魚は すくはれぬ こやたす くとは たとひなるらむ[夫木抄雑九]
(阿弥陀仏を唱えると 多くの魚がすくわれ その漁師も極楽往生した という話があるが 漁師たちの苦しそうな様子を見ると この漁師を助 けるという話は 功徳の喩え話にすぎないのではないか)


 風に障りて、舟止(とど)めたる所に、貝拾ひて持て来たるを見て
 (風に妨げられて、舟を止めた所に、貝を拾って海人が持ってきたのを見て)

670 見る人も なぎさに居(お)れば かひなしと 思はぬ海 士の 仕業なるべし
(誰も見る人のいない渚にいれば甲斐がないと思っているのに そうは思わない海人だから 甲斐〔貝〕を持ってきたのだろう)

 そこに、風に障りて日頃ありけるに
 
(そこに、風に様たけられて何日もいたときに)

671 網の目の 風もとまらぬ 浦に来て 海士ならなく に 長居つるかな
(網の目に風も止まらない〔激しい風が吹く〕浦に来て 出帆できないまま 海人でもないのに つい長居してしまった)

 仮屋して、浜面(はまずら)に臥して聞けば、都鳥鳴く
 
(海辺に仮屋をつくって、横になって聞いていると、都鳥が鳴くので)

672 言(こと)問(と)はば ありのまにまに 都鳥 都のことを 我 に聞かせよ
[後拾遺集覊旅]
(わたしが尋ねたたら 都鳥 ありのままに都のことを聞かせてください)
 ※都鳥―今のユリカモメ。


 唾(い)も寝られぬままに探れば、衣(きぬ)の濡れたるもあはれなり
 
(眠れないままに手さぐりすると、衣が湿っているのも悲しい)

673 浅茅生(あさじう)に 宿る露のみ おきゐつつ 虫のねられぬ 草枕かな
(浅茅生に露が置き虫が鳴くなかで わたしは起き続けて眠れない旅 寝)

 桜井越ゆる日
(桜井を越える日に)

674 越えくれば 直(ただ)ぢなりけり 桜井と 名のみぞ高き 所なりける
[夫木抄雑八]
(越えて来てみると まっすぐな道で近かった 桜井とは名前ばかりが高い所なのね)


 月おもしろきに、京を思ひ遣りて
 
(月が美しい夜、都を思い浮かべて)

675 見るらむと 思ひおこせて 故郷の 今宵の月を たれ眺むらむ
[新後拾遺集覊旅(きりょ)・雲葉集]
(〈あれもこの月を見ているだろう〉と わたしを思い出して 故郷の今夜の月を 都で誰が眺めているだろう)  

 又
(また)

676 都にて 眺めし月を 見る時は 旅のここちとも  覚えざりけり
[詞花集雑下・後葉集覊旅]
(都で眺めた月を見るときは 旅をしているような気がしない)
 ※旅の ここちとも―『和泉式部集 和泉式部続集 清水文雄校註』と『日本古 典全書 和泉式部集 小野小町集 窪田空穂校註』では、「旅の空とも」 となっている。「旅の空とも」で訳すと、「旅で見ている月とは思えな い」となる。尚、この歌は和泉式部の歌ではなく、帥宮前内大臣〔伊周〕 の作である。


 忍びたる人の、いたう鳴る衣を着て、喧(かしがま)しとて脱ぎ置きたる、遣るとて
 (秘密にしている人が、ひどく音がする衣を着て、「うるさい」と言って脱いで置き去りにした衣を、送るときに)

677 音せぬは 苦しきものを 身に近く なるとて厭ふ 人もありけり
[正集二六一・詞花集雑上・後葉集雑一]
(便りがないのは辛いものなのに 親しくなると疎ましく思う人もいる)


 「いとかくつらきをも知らでなむ頼む」と言ふ人に
 (「こんなにひどく冷たいのもかまわないで、やはりあてにしている」と言う人に)

678 心をば ならはしものぞ あるよりは いざつらか らむ 思ひ知るやと
[万代集恋四]
(人の心なんて慣れれば慣れるもの 今までよりいっそう冷たくしようかしら そうすれば あなただって じぶんがどんなに酷いかわかるかもしれない)


 我も人もつつむ事ある中に、男、「かく心にも協(かな)はぬ事」 と言ひけるに、必ず常に怨みらるるが煩しければ
 
(わたしもあの人も秘密がある仲で、あの人が、「こんなにも思い通りにならない」と言ってきたので、わたしの都合で逢えない時は、必ずいつも恨まれるのが煩わしいので)

679 己が身の 己が心に 協(かな)はぬを 思はばものを 思 ひ知りなむ
[詞花集雑上・後葉集雑三]
(じぶんでじぶんのことが思い通りにならないと思ったら わたしのこともわかるはず) 出雲へ行く人に(出雲へ行く人に)


680 めもはるに かく村雲は 隔つとも 推し量りには 思ひおこせよ
(遥か遠くに行かれて 群がっている雲が二人を隔てても どうしているのかと わたしのことを思い出してください)

 夕暮に、遠き桜、見やりて
 
(夕暮れに、遠くの桜を、はるかに眺めて)

681 匂ふらむ 色も見えねば 桜花 心あてにも 眺め やるかな
(美しく咲いているはずの桜の花も 色も見えないので 〈あのあたりだろう〉と思って眺めている)  

 秋の夜の月、いといたう曇りたるに
 
(秋の夜の月が、とてもひどく曇ったので)

682 眺むれど 目路(めじ)にも霧の 立ちぬれば 心やりなる 月をだに見ず
[夫木抄雑三]
(眺めても 目の前に霧が立ち込めたので 気晴らしに見たいと思う月さえ見えない) 遠く衣(きぬ)擣(う)つ音聞ゆれば (遠くで衣打つ音が聞こえるので)


683 いたづらに 明かす月かな 羨し 背子(せこ)が衣を 人 は擣(う)つなり
(わたしは一人虚しく月を見て明かすだけ 羨ましい よその女は夫の 衣を打っているのに)

 「久しう問はぬを、いかに思ふらむ」といふ人に
 
(「長らくご無沙汰したが、どう思っているだろう」と言ってきた人に)

684 岩の上の 種にまかせて 待つ程(ほど)は いかに久しき 物とかは知る
(岩の上の種が自然に芽を出すのを待つように じっと待っているのは どんなに長く感じるものか あなたにわかりますか)

 物思ふ頃、あるやうある人に
 
(物思いに沈んでいる頃、ある事情がある人に)

685 身の憂さを 知るべき限り 知りぬるを 猶歎かる る 事や何ごと
[万代集恋四]
(辛いのはすっかり知ったから 歎くこともないはずなのに それでも 嘆かないでいられないのは どういうことだろう)


 「心憂きを見る見る、頼むは、わが心にもあらぬにや」と言ふ夫に
 (「あなたの嫌な態度を見ながらあてにするのは、わたしの本心ではな いのではないか」と言う夫に)

686 我も我 心も知るぬ ものなれば いかが終(つい)には 成るとこそ見め
(わたしもじぶんでじぶんの心がわからないのですから どんな最後に なるのか見てみましょう)

 世のはかなき頃、ゆめばかり人に逢ひて
 
(世の中が頼りなくなった頃、ほんの一目、あの人に逢って)

687 在る程に 問ひ見てしかな 絶えにしは いかばか り憂き 世とか有りしと
(生きているうちに尋ねてみたい あなたがわたしのところへいらっし ゃらなくなったのは 二人の関係をどれほど面白くないと思われたからかを)

 あるやうある人に、杉につけて
 
(ある事情がある人に、杉に手紙をつけて)

688 見ては然(さ)は 訪ねけりやと 試みむ しるしに立て る 杉の下門(したかど)
(これを見たら訪ねてくださるかどうか試してみましょう わたしの家 の目印は門に杉が立ててあります)

 「常なき心、見果てむとてなむ、この世にかくてある」と言ふ人に
 
(「夢のような世の中を生きたいわけではないが あなたの移り気を 見届けようと思って、こうして生きている」と言う人に)

689 ありぬべき 人もありける 世の中に 我こそ夢と 見ねば頼まね
(夢のような世の中に生きられる人もいたのね 他人はともかく わた しはこの世のことも男女の仲も夢だとは思わないから あなたが信じら れません)

 わりなく怨むる人に
(ひどくわたしを恨む人に)

690 津の国の こやとも人を 言ふべきに 隙(ひま)こそなけ れ 蘆の八重葺(やえぶき)
[後拾遺集恋二・麗花集・俊頼口伝集・袋草子・古 来風躰抄・無名抄・後六々撰等]
(「来てください」とあなたに言うべきですが その隙がないのです 葦 の八重葺きの屋根のように〕)
 ※「津の国の」は、「昆陽〔地名〕(「来 や」「小屋」)」の枕詞」


 ゐなかなる人に、時鳥に結びて、いと長き菖蒲の根を、 くはせて
 
(田舎にいる人に、時鳥の手紙を結びつけて、くちばしにとても長い菖 蒲の根をくわえさせて)

691 そこまでは 聞えしもせじ 時鳥 袂にかかる ね を見てを知れ
(そこまでは聞こえないでしょう 袂に涙の落ちるわたしのむ泣き声は  せめて菖蒲の根を見て察してください)

 人に
(ある人に)

692 類(たぐい)なく 憂き身なりけり 思ひ知る 人世(よ)にあら ば 問ひもしてまし
[後拾遺集恋四]
(喩えようもなく辛い身の上だと わかってくれる人がこの世にいたら  訪ねてくれるでしょうに)

 「語らはむ」といふ人に (「親しくなりたい」と言う人に)

693 試みに いざ語らはむ 世の中の これに慰む 事 やあるとも
(それでは試しに話し合ってみましょう 辛い世の中がこれによって慰 められるかどうか)

 四月ばかりに、橘の咲きたるを
 
(四月頃、橘の咲いているのに添えて送るときに)

694 橘の 花咲く里に 住まへども 昔を来(き)問(と)ふ 人の なきかな
(橘の花の咲く家に住んでいても 昔を思い出して訪ねて来る人もいな い)
 ※「五月待つ 花橘の 香をかげば 昔の人の 袖の香ぞする/五 月を待って咲く花橘の香りをかぐと 昔の愛しかった人の袖の香りがす る[古今集夏・読人しらず]」をふまえる。これも本歌のほうがいい。


 同じ頃、菖蒲(あやめ)の香(か)のすずろにすれば
 (同じ頃、あやめの香りがしきりにするので)

695 時鳥 忍びの声も 聞えぬに まだきも越ゆる あ やめ草かな
(時鳥が密かに鳴くのも聞こえないのに まだ五月五日でもないのに  早くも香ってくるあやめ草)

 物思ふ頃、卯の花を見て
 
(物思いに沈んでいる頃、卯の花を見て)

696 時鳥 むべもなきけり うの花の 折はものこそ あはれなりけれ[万代集夏]
(時鳥が悲しそうに鳴くのももっとも 卯の花が咲く頃は〔憂いごとが あるときは〕なにかにつけて淋しいのだから)
 ※「卯」に「憂」をかけ る。


 遠き所へ去(い)ぬる人を思ひやりて、月に
 (遠い所へ行ってしまった人を思い出して、月の夜に)

697 天の原 いつも眺むる 月なれど 今宵は空に 宿 りぬるかな
(大空のいつも見慣れている月だけれど あの人のことを思うと 今夜 はいつまでも眺めている)

 人知れず思ふ事あるのを、姉妹にかくなむ言うふとて
(密かに悩むことがあるのを、姉妹にこんなふうに言った)

698 岩つつじ 言はねば疎し 掛けて言へば もの思ひ まさる ものをこそ思へ
(言わないとよそよそしいし かと言って言うといっそう悲しみが増す そんな物思いをわたしはしています)
 ※「岩つつじ」は「言はねば」の 枕詞


 例の、ものへ往(い)にし人を思ひ出でて
 
(いつものように旅立った人を思い出して)

699 いかならむ 背子が旅寝の 草枕 いとかく露は おきゐしもせじ
(どうだろう あの人の旅寝の様子は わたしの枕には涙の霜が降りて いるけれど あの人はこのように起きていて わたしを思って泣いては くれないでしょう)

 物思ひ続くるに、悲しければ
 
(いろいろ考え続けるとね悲しいので)

700 何事も 心に染めて 忍ぶるに いかで涙の まづ 知りにけむ
[新古今集恋一・万代集恋一]
(どんなことも心に深く思いつめて隠しているのに どうして涙は真っ 先にそれを知って こぼれたりするのでしょう)

 世のいみじうはかなき頃 (次々と人が亡くなっていく頃)

701 聞えしも 聞えず見しも 見えぬ世に あはれ何時
(いつ)まで 在らむとすらむ
(噂に聞いていた人も噂にも聞けなくなり 逢ったことのある人もいな くなってしまう世の中で わたしもいつまで生きていくというのだろう)
 ※「あるはなく なきは数そふ 世の中に あはれいづれの 日までな げかむ/生きている人は亡くなり 亡くなった人の数は増えていくこの 世の中で わたしはいつまでそのことを嘆きながら生きているのでしょ う[新古今集・小野小町]」をふまえる。これも本歌のほうがいい。


 三月晦日
(つごもり)(三月末日に)

702 なかなかに 咲きて散りぬる 花ならば 日を経てものは 思はざらまし
(咲いてすぐに散ってしまう花なら わたしも花を惜しんで苦しい思い をしないですむのに)

 草のいと青やかなるを、遠く往にし人を想ふ
 (草がとても青々としているので、遠くへ行った人を想って)

703 浅茅原 見るにつけてぞ 思ひ遣
(や)る いかなる里に すみれ摘むらむ[万代集春下]
(浅茅が茂っている野原を見るにしても 今頃どんな土地ですみれを摘 んでいらっしゃるのかと思わずにはいられない)


704 たれ分けむ たれが手馴れぬ 駒ならむ やへ茂りゆく 庭のむら草
(誰がかきわけて来るだろう それにしてもあの人はちっともわたしの 思い通りにならないで こんなに庭の雑草が茂るまで来てくれないなん て)
 ※手馴れぬ駒―直訳は「飼いならした馬」だが、ここでは「思い通 りにならない男」。


705 その程の 夜半の寝覚の 時鳥 待つ一声を ほのかにもがな
(ちょうど夜中に目覚めたときに ほととぎす 待ちわびている声を  かすかにでも聞かせてください)
 
 雁の卵を、人のおこせたるに
 
(雁の卵を、ある人が贈ってきたので)

706 幾つづつ 幾つ重ねて 頼ままし かりのこの世の 人の心を
[続千載集誹諧]
(雁の卵を幾つずつ幾つ重ねたら あなたたの愛を信じることができる かしら 仮のこの世に住む人の仮りそめの愛なんて信じられない)
 ※「鳥 の子を 十づつ十は かさねとも 思はぬひとを 思ふものかは/鳥の 卵を 十ずつ十回積み重ねることができたとしても 思わない人を思う ことがあるでしょうか[伊勢物語五〇]」をふまえる。

 しのびて人にもの言ふ戸口にて
 (人目を避けて人と話し合う細殿の戸口で)

707 しるければ 枕だにせで 寝
(ぬ)るものを 槇の戸口や 言はむとすらむ
(人に知られると困るので 枕さえしないで寝ているのに この槇の戸 口が人に言うのではないかしら)

 橘を見て、昔の人を思ひ出でて
 (橘を見て、昔好きだった人を思い出して)

708 かをる香は そながらそれに あらぬかな 花橘は 名のみなりけり
[秋風集]
(薫ってくる香りは古歌のとおりだが わたしの昔の恋人の袖の香りは しない 花橘は名高いだけだったのね)
 694の※参照。


 九月晦日、久しう音せぬ人に
 
(九月末日、長らく便りをくれない人に)

709 秋深き あはれを知らば 知らざらむ 人もこころぞ 訪ね来て見む
[正集二一五・万代集雑一]
(晩秋の深い情趣がわかる人なら わたしを知らない人でも ここを訪ねて来るだろう)


 語らふ人、久しう音せぬに
(恋人が、長らく便りをくれないときに)

710 世の人は 怨(うら)みもやせむ 我はただ かかるしもこ そ あはれなりけれ
(こんなに便りをくださらないのを 世間普通の女は恨むかもしれない  でもわたしは こういう時こそ しみじみと愛しくなるの)

 旅に立つ人のもとより「弾棊
(たぎ)の盤と言ひし物のありし、賜へ」と言ひたれど、失せにければ
 
(旅立つ男から「弾棊の盤というものがあったが、ください」と言っ てきたけれど、紛失したので)
 ※弾棊―遊戯の一種。中央の高くなっている四角の盤の両すみに碁石を置き、二人が対座して指ではじいて相手の石にあてることを競う。


711 いたづらに あればわが身も あるものを 放れむまとて 人や取りけむ
(あなたに捨てられたわたしでさえ生きているのに 放れ馬だと思って 誰かが捕まえていったのでしょう〔あなたがあんまりいらっしゃらない から 用のないものと思って 誰かが持って行ったのでしょう〕)
 ※放 れむま―「離れむ間」に「放れ馬」をかける。


 「をかし」と思ひし男の懸想せしが、音せぬに、有りし文に書き付けて
 
(〈素晴らしい〉と思っていた男で、わたしを恋した人が、その後便りをよこさないので、以前くれた手紙に書いて)

712 跡をみて 偲ぶもあやし ゆめにても 何事のまた 有りしともなく
(あなたの筆跡を見てあなたを忍ぶのも不思議なことです 夢の中でも  あなたとなにかあったわけでもないのに)

 雪の降る日、「いかが」など人の言ひたれば
 
(雪の降る日、「どうしていますか」などと、あの人が言ってきたの で)

713 かき曇る 中空にのみ ふる雪は 人目も草も  かれはれにして
(空一面を曇らして降る雪で あなたは来ないし 草も枯れ果てるし  わたしは中途半端で淋しくてならない)

 わざと怨むべき事もなき人の、久しう音せぬに
 (特に恨むこともない、ただの友人で、長らく便りをくれないので)

714 あぢきなく 思ひぞわたる 怨むべき ことぞともなき 人の問はぬを
(このところずっとおもしろくないの 恨むようなことがない ただの 友人でも 便りをくださらないのは)

 忍びてあたらひたる人の、ただ顕
(あらわ)れに顕(あ)るるを、「かかるをばいかが思ふ」と人の言ひたるに、八月ばかりに
 (密かに逢った人が、少しも人目を避けてくれないので、「こういう のをどう思いますか」と別の人が言ったので、八月頃に)

715 風をいたみ 下葉の上に 成りしより うらみて物を 思ふ秋萩
[夫木抄秋二]
(風が激しいので 下葉がひるがえって上になるように 人目に立つよ うになってから 恨んで物思いに沈んでいるわたしです)


 物へ詣づと聞きて、「もしその所へか」と言ひたるに、然なれば
 
(「お寺にお参りする」と言うのを聞いて、「もしかしてあそこか」 と言ったが、そうなので)

716 いかばかり 心深くもあらぬ身も いければ谷の そこへこそ行け
[正集一五一]
(まったく思慮深くないわたしでも 辛ければ谷の底に行きます)


 親、姉妹など、同じ所、俄かに外外になりて後、尊き 事するに言ひやる
 (親や姉妹など同じ所にいたが、急にわたしだけが別に暮らすようになってから、家で仏事供養をするときに送った)

717 その中に ありしにもあらず なれる身を 知らばや何の 罪の報いと
[万代集雑六]
(以前とは違って 法会にも出られなくなったわたしですが 知りたい ものです 前世で犯したなんの罪の報いかを)


 物思ふ頃、思ふことある人に
 (物思いに沈んでいる頃、悲しんでいる人に)

718 更に又 物をぞ思ふ さなくても 歎かぬ時の ある身ともなく
[新勅撰集雑二]
(さらにいっそう嘆いています そうでなくても嘆かない時がある身で もないのに)


 つれづれと、夕暮に眺めて
 
(物思い沈みながら、夕暮れに外を眺めて)

719 夕暮に 物思ふ事は 増さるかと 我ならざらむ 人に問はばや
[詞花集恋下・後葉集恋二]
(「夕暮れは物思いがいっそう増すのかしら」と わたし以外の人に尋 ねてみたい)

 雪いといとう降る日、「憚る事ありてなむ」と言ひたるに
 
(雪がひどく降る日、「差し障りがあって」と言ってきたので)

720 忘れ草 慎む慎むと 言づけて しのふる雪の 音もせじとや
(わたしなんか忘れたくせに 差し障りを口実にして 音を立てないで 降る雪のように 訪れもしないというの)

 稲荷に詣でたるに、「見送りつ」と言ひたる人に
 (伏見の稲荷神社に参詣したのを、「後ろ姿を見送った」と言った人 に)

721 追ふ追ふも 尋ねて来たる 人ならば 他処に見すぎて 帰らましやは
(わたしを追って訪ねてくる人なら いくら「しるしの杉」で有名な稲 荷神社だからといって わたしを見ながら逢わないで通りすぎて帰った りはなさらなかったでしょうに)
 ※「見すぎ」に稲荷神社の「杉」をかけた。


 日頃ほかにて、姉妹のもとに来たるに、ふともえ逢はで、他方
(ことたか)に居たるに
 
(日頃ほかの所にいて、姉妹の住んでいる所に来たときに、いきなり 逢うわけにもいかず、ほかの部屋に通されていたので)

722 外
(よそ)なるを なに歎きけむ 逢ふ事の ある所とて 逢はばこそあらめ
(よそに住んでいるのをどうして嘆いたりしたのだろう 逢える所に来 て 逢えるのならいいけれど これではかえって辛いばかり)

 人の、「夜更けて来たりけるを、聞きつけで寝たりける」など、翌朝言ひたるに
 (恋人が「夜更けて来たのを気づかないで寝ていた」などと、翌朝言 ってきたので)

723 ふしにけり さして思はで 笛竹の 音をぞせまし よ更けたりとも
[後拾遺集雑二]
(「寝ていた」と決めつけないで 声をかけて起こしてくださればよか ったのに 夜が更けていても)


 常にわが上言ふと聞く人の、扇のいとわろきを持ちたるを、取りて、書きつく
  (いつもわたしのことを言うと噂に聞く人が、ひどくみっともない扇 を持っていたのを、取り上げて、書いた)

724 大方は ねたさもねたし その人に あふぎてふ名を 言ひや立てまし
(だいたいあなたに腹が立って腹が立ってしかたがない あなたが誰か に逢ったという評判を立てようかしら)
 ※あふぎ―「扇」に「逢ふ」を かける。


 久しう音せぬ人のもとより、「時鳥は聞きたりや、此処には二度三度なむ聞きたる」と言ひたるに
 (長らく便りをくれない人から、「ほととぎすの初音は聞きましたか、 ここでは二度も三度も聞きました」と言ってきたので)

725 一声も 我こそ聞かね 時鳥 こと語らはで 人の経
(へ)ぬれば
(一声もわたしは聞いていません あなたが話にも来てくださらないの で)

 正月、一日、花を人のおこせたれば
 (正月一日に、花をある人が贈ってきたので)

726 春やくる 花や咲くとも 知らざりき 谷の底なる 埋れ木なれば
[新勅撰集雑二]
(春が来るのも花が咲くのも知らないでいた 谷の底の埋れ木のような わたしだから)

727 くさぐさに 生ふとは聞けど なきなをば いづら今日だに 人は摘むやは
[正集二五一]
(いろいろな菜が生えていると聞きますが 根拠のない噂をどうしたの か今日も人は信じるのでしょう)


 同じころ、「せうとにせむ」と言ひたる人の、久しう音もせぬに
 
(同じ頃、「あなたの兄になろう」と言っていた人が、長らく便りも くれないので)

728 いつのまに いくへ霞の へだつれば 妹兄の山の かたは見えぬぞ
(いつの間に幾重もの霞が隔てたのでしょう 妹背山の方角がここから 見えないのですが〔いつのまにいったい何があったから あなたはいら っしゃらなくなったのでしょう〕)

 いかに言ひたる人にかありけむ
 
(わたしにどんなことを言った人だったろうか)

729 須佐之男
(すさのお)の 尊(みこと)を祈る ともなきに いとどしく久しかるべき 床(とこ)の上かな
(須佐之男尊を祈って あなたに逢わないよう願をかけているわけでも ないのに これからもっとあなたと逢えないような気がする)
 ※和泉式 部集全釈[正集篇]を参考に訳したが、清水文雄は、「本文に疑問が残 る」としている。


 同じところなる人の、こと方におきて、唐撫子を、「大和ならぬなむある」とて、おこせたるに
 (同じ所に住んでいる人が、よそへ行って、唐撫子〔石竹の異名〕を、 「大和撫子ではないのがあります」と言って、贈ってきたので)

730 かひなきは 同じ垣ほに 生ふれども よそふるからの 撫子の花
(同じ家に住んでいる姉妹なのに 唐撫子にあなたを喩えて見るのはつ まらない 早く帰ってきて)

 五月五日、薬玉
(くすだま)おこせたる人に
 (五月五日、薬玉を贈ってきた人に)
 ※薬玉―麝香・沈香などの香料 を入れた袋を菖蒲などの造花で飾り、長い五色の糸をたらしたもの。陰暦五月五日の端午の節句に、不浄を払い、邪気を避けるために柱などにかけた。

731 引き出)たる 程を思へば あやめ草 つくる袂の 狭
(せば)くもあるかな
(わざわざ引き抜いて贈ってくださったのを思うと つけるわたしの袂 は狭く 身に余る幸せです)

 又、あるやうある人に奉るとて
 (また、事情のある人にさし上げるとき)

732 心根の 程を見するぞ あやめ草 草のゆかりに 引き掛けねども
 (あなたへの深い気持ちをお見せします なにもあなたと縁続きである ことを引き合いに出すわけではないけれど)

 又、人に
(また、ある人に)

733 身のうきに 引けるあやめの あぢきなく 人の袖 まで ねをや掛くべき
[続古今集夏]
(わが身の辛さを つまらないことに あなたの袖にまでかけるのでし ょうか)


 忍びて来る人の、つとめて、「人のあらはれぬること」と言ふに、同じ五日
 
(忍んで通ってくる人が、翌朝、「あなたのことがわかった」と言う ので、同じ五日に)

734 引けばこそ のきのつまなる あやめ草 たがよどのにか ねをとどむらむ
(あなたが誘う〔引く〕からこそ妻〔つま〕になっているのです いっ たいほかの誰の夜殿〔淀野〕で共寝〔根〕したというのでしょう)
 ※淀 野―あやめの名所。


 同じ。朝顔の花を、人のもとより
 
(同じ日。朝顔の花を、人が贈ってきたときに添えてあった歌)

735 霧の間に 見し朝顔の 花をこそ 今日のあやめは いとど分かれぬ
(いつか朝霧の中で見たあなたを思い出して 今日五月五日 いつにも まして分別がつかないほど恋しています)

 その夜、早う見たる人々来合ひて、あはれなる物語などするを、人のもとより、「いかにあやめのねによそふらむ」と言ひたるに
 
(同じ五日の夜、昔の知人たちがやって来て、しみじみとした話など をすると聞いて、ある人から、「菖蒲の根になぞらえて 共寝をする相手を選ぶのに どんなに悩んでいるのだろう」と言ってきたので)

736 あやめ草 そのねならねど 時鳥 なきこそしつれ 旧
(もと)の人とて
 (菖蒲草 その根の縁ではないけれど ほととぎすのように泣いてしま った 昔の懐かしい人たちと出会って)

 「心憂し」と思ふ人のもとに。梅をおこせたれば
 (「嫌だ」と思う人のところへ。梅を贈ってきたので)

737 梅津川
(うめづがわ) 井堰(いぜき)の水も 洩る中と なりけるみを ま づぞ怨むる[夫木抄雑六]
(梅津川の井堰の水が漏るような そんな仲になってしまったわたしの 身を まず恨まないではいられません)


 行く所などある人、雨の降る日、つれづれと物語などして
 (ほかに通う所がある人と、雨の降る日に、しみじみと話などして)

738 見るままに 思ふや軒の 玉水も 洩らさぬ仲と たれか成るらむ
[続集三五三]
(軒の玉水が滴るのを眺めながら思うの あなたと今誰が水も漏らさな い仲になっていらっしゃるかと)


 津の国と言ふ所に、薄を植ゑおきて、京に来たるに、かの国より「生ひにたり」と言ひたる返事に
(摂津の国に、薄を植えておいて、都に帰ってきたら、向こうから「生えてきたよ」と言ってきた返事に)

739 植ゑおきし 我やは見べき 花薄
(はなすすき)  蘆(あし)のほにだに 出ださずもがな[夫木抄秋二]
(植えておいたわたしが見ることができない花薄 わざわざ知らせてく ださらなくてもいいのに)

 「諸共に田舎へ」など言ひし男、去りて、他女を率て行くと聞きて
 (「一緒に田舎へ」などと言った男が去って、ほかの女を連れてゆくと聞いて)

740 なかなかに 己れ舟出る 日しもこそ 昨日の淵を 然とも知りぬれ
[正集二五八]
(よりによってわたしの門出の日に 「昨日の淵ぞ今日は瀬になる」で はないが この世は無常なことを改めて思い知らされました)

 「幾重ね」と言ひたる人に
 (「幾重ね〔み熊野の 浦の浜木綿 幾重ね 我より人を 思ひます らむ[古今六帖三]〕」と言ってきた人に)

741 とへと思ふ 心ぞ絶えぬ 忘るるを かつみ熊野の 浦の浜木綿
[続後撰集恋五・続詞花集恋中]
(「幾重ね」だなんて わたしはいつも十重にも来てくださいとばかり 思っています あなたが捨てようとなさっているのをわかっていながら)
 ※とへ―「問へ」に「十重」をかける。
 ※熊野の海辺は浜木綿〔浜大本〕 の名所。

 片恋ひし人の亡くなりにけるを、とかうして又の日、「いかが」と問ひたるに
 (片思いだった人が亡くなったのを、火葬にした翌日、「どんな気持 ちです」と尋ねてきたので)

742 思ひやる 心は立ちも 後れじを ただひたみちの 煙とや見し
[新続古今集哀傷]
(あの人を思いやるわたしの心は立ち後れなかったはずなのに ただひ たすらに立ち昇るあの人の煙だと思ってごらんになったのでしょうか  わたしの魂も焦がれて立ち昇っていたのに)


 月いと明かき夜、女のもとより男のもとに、歌詠みておこせたりければ、「行かむ」とて出で立つ程に、雨降りければ、翌朝遣るに
 (月がとても明るい夜、女のところから男のところへ、歌を詠んで送 ってきたので、「行こう」と言って出かけるときに、雨が降って行かれなくなったので、翌朝、その女のところへわたしが代作して)

743 来
(こ)てふかと 思ひて思ひ 立ちしまに さし曇りに し 月の通ひて
(来いと言うのかと思って 出かけようとした時に みるみる空が曇っ て 月があなたのところへ通っていったので 遠慮したのです)
 ※「月 の通(かよ)ひて」―「月の通ひ路」の誤りか。


 心地悪しき頃、人に
(気分の悪い頃、ある人に)

744 あらざらむ この世の外の 思ひ出に 今一度の 逢ふこともがな
[後拾遺集恋三・八代集秀逸]
(もう生きてはいられないでしょう あの世への思い出に もう一度あ なたに逢うことができたら)
 ※百人一首に挙げられているが、わたしにはそれほどいい歌とは思えない。もっといい歌を選べばいいのにと思う。


 七月七日、人のもとに
 (七月七日、ある人のところへ)

745 たなばたに 劣るものかは ものをのみ 思ひぞわたる 鵲
(かささぎ)の橋
(一年に一度の逢瀬の七夕に劣るものですか あなたが来てくださらな いから わたしも待ちわびて悲しい思いばかりしています)
 ※鵲の橋― 陰暦七月七日の夜、牽牛・織女の両星が天の川で逢うとき、かささぎが 翼を並べてかけ渡すという想像上の橋。


 ものへ行くとて、人に
(よそへ行くときに、あの人に)

746 いづ方へ 行くとばかりは 言ひてまし 問ふべき人の ありと思はば
[後拾遺集雑二]
(どこへ行くということだけは言うでしょう わたしことを気にして尋 ねてくれる人がいると思ったら)


 又、人に
(また、ある人に)

747 我のみや 思ひおこせむ あぢきなく 人は行方も 知らぬものゆゑ
[詞花集恋下]
(わたしだけがあなたのことを心配して思い出すなんてつまらない あ なたはわたしがどこへ行ったって 気にもしてくださらないから)


 親など言ふ事ありければ、しのびて姉妹どもなど、昔ありしやうにて物語する、あはれにおぼゆれば
 (親からうるさく言われたことがあるので、親に隠れて姉妹たちと、 昔のように話をするのが、じぶんながら悲しく思えるので)

748 いにしへの ありしながらに ある人も 心のなしに ものぞ悲しき
(昔のままに幸せに暮らしている人たちも 気のせいか悲しく思われる)

 男のもとより「消えぬ水の泡かな」と言ひたるに
 (男から「あなたは消えない水の泡なのか〔浮気はやまないね〕」と 言ってきたので)

749 吉野川 おのがみの泡に あらねども 岩うつ波は いかがくだくる
(吉野川は じぶんでは泡ではないけれど 岩を打つ波はどうして砕けて泡になるでしょう〔わたしは浮気者ではないけれど 岩打つ波のよう に 他人がわたしを浮気者にしているのよ〕)

 又、人に
(また、ある人に)

750 詠
(なが)むれば 思ひ知らるる 世の中の 憂きもあはれも 知る人ぞ知る
(物思いに沈んでいると 思い知らされます 世の中の辛さも哀れも  世の中を知っているあなただからわかっていただけるのです)
 ※「君な らで 誰にか見せむ 梅の花 色をも香をも 知る人ぞ知る/あなた以 外に誰に見せたらいいのだろう 梅の花を 色も香りも ものの美しさ を知っているあなただからわかっていただけるのです[古今集・紀友則(きのとものり)]」 をふまえる。

 人の翌朝の返事に
(後朝の文の返事に)

751 おきて行く 人の心も しら露の いままで消えぬ 事をこそ思へ
(わたしを置いて帰っていくあなたの心はわからないけれど 今まで死 なないでいるのが不思議に思われます)

 物に詣でて籠りたる局のかたはらなる人の、「語らはむ」など言ふに、明日は出でなむとて、かく言ふ
 (お寺に参詣して籠っている部屋のそばにいた人が、「仲良くしよう」 などと言うので、明日はここを出ようというときに、このように詠んだ)

752 尋ねずは 待つにも耐へじ 同じくは 今日暮れぬ間の 命ともがな
(あなたが訪ねてこなかったら 待つことに耐えられないでしょう 同 じことなら 今日 日が暮れないうちに死んでしまいたい)

 絵に、花浪といふ所を書きたるに
 (絵に、花浪といふ所が書いてあるところに)

753 与謝の海の 海士のあまたの まてがたに 折りや取りけむ 浪の花なみ
[夫木抄雑十七]
(与謝の海の大勢の海人たちが忙しく浪の花を折り取ったからだろうか  ここを花浪〔花無み〕というのは)
 ※あまのまてがた〔海人の両手肩〕 ―海人が干潟で馬蛤貝(まてがい)を取る意とも,海人が製塩のため,両手・両肩を 用いて潮水を汲み入れる意ともいう。


 橋立に、馬に乗りたる人ある所に
 
(天の橋立の絵で、馬に乗っている人のところに)

754 駒ならむ 人放れたり 行方なく 舟流したる あまの橋立
[夫木抄雑五]
(馬ばかりか人まで離れている 行方もなく舟まで流している 天の橋 立の絵)
 ※絵の構図に対する不満。

 筑紫なりける女、京なりける男に「必ず逢はむ」と頼めて、「他人
(ことびと)語らひたり」と聞きて、男の言ひやる
 (筑紫の女が、京の男に「必ず結婚しましょう」とあてにさせておい て、「他の男と仲良くしている」と聞いて、京の男が送った)

755 頼むとて 頼みがたきは この世かな 忌垣
(いがき)の松に 波は越ゆとも
(あてにしていたって あてにできないのが男女の仲 神聖な社の垣の 松を波が越えても結婚すると約束していても〔神かけて誓っていても〕)
 ※「君をおきて あだし心を 我がもたば 末の松山 浪も越えなむ/ あなたを忘れて わたしが浮気をしたら あの波の越えるはずのない 「末の松山」を 波も越えてしまうだろう[古今集東歌・読人しらず] をふまえる。


 八月晦日、人のもとに、萩につけて
 (八月末日、ある人のところへ、萩につけて)

756 限りあらむ 仲ははかなく なりぬとも 露けき萩の 上をだに問へ
[後拾遺集秋上]
(愛には限りがあるから 仲が絶えることになってしまっても 涙に濡 れたわたしのことを思い出して せめてお便りでもください)

 人の返事に
(ある人への返事に)

757 いつとなく さのみ露けき 花の上を 何かは風に 知らせしもせむ
(いつとなく このように泣いてばかりいるわたしの身の上を どうし てあなたに知らせたりするでしょう)

 法輪に籠りたるに、かたはらなる局より、菓物を扇におこせたるに
(法輪寺に籠っていたときに、そばの部屋から、菓物を扇にのせてく ださったので)

758 いかばかり 勤むることも なきものを 此はたが為に 拾ふこのみぞ
[新拾遺集釈教]
(どれほども仏前の修行を勤めることもないのに これは 誰のために 拾った木の実でしょう)


 「思はずに心うき事ありければせむ、心もゆかぬ」と、親だつ人の言ひたるに
  (思いがけなく情けないことがあったので、気も晴れないと、親で ある人が言ったので)

759 慰めに 見つるに来ずは 尽きもせず 憂き身を のみや 見てやみぬべし
(これまでお会いするのを慰めにしていたのに 来てくださらないと  親に捨てられた不幸な身の上とばかり思って 終わってしまうでしょう)

 大和より来たる人の、「外ながらはえなむ通るまじき」と言ひたるに
 
(大和から来た人が、「あなたの家を素通りできない」と言ったので)

760 秋霧は たちかくすとも 妹が住む 奈良の都の 道は忘れじ
(秋霧が立って隠しても あなたの妻が住んでいらっしゃる奈良の都の 道はお忘れにならないでしょう)

 人に頼めて、思ふに、あはれなれば言ふ
 
(人に愛を誓って、考えてみると、なんだか心細いので言う)

761 頼めても はかなくのみぞ 思ほゆる いつをいつとも 知らぬ命を
[万代集恋二]
(あなたをあてにしても 心細い気ばかりします いつとも知れない命 ですから)


 宵にものに行きて、暁方に帰りて、物語などして通る人に
 
(宵によそへ行って、明け方にそこから帰って、わたしのところに来 て話をする人に)

762 たれとなく 月は見つるを 今朝はまづ 思ひおこせよ ここもかしこも
(だれも昨夜の月は見たのですから 今朝はまず思い出してください  わたしのこともあの方のことも)

 つらき事なきにしもあらぬ人の、あぢきなく怨みたる に
 
(わたしに辛くすることがないわけでもない人が、困ったことにわたしを恨んできたので)

763 わが為に 人のうきかと つらからば 何事にかは つけて偲ばむ
(わたしのせいにして あなたがひどいことをなさると思いますが こ れからも薄情なことをなさるなら 何事につけても あなたを偲ぶこと はないでしょう)

 なま心憂しと思ふ人、大方に来たるに
 (なんとなく不快に思っている人が、普通の用事でやって来たので)

764 憂きを知る 心なりせば 世の中の 在りけりとのみ 見て止みなまし
(相手のつれなさを見分ける心があったなら 〈まだ生きていたのね〉 と見るだけですんだでしょうに)

 「契りしをなむ頼む」と言ひたるに
 (「愛を誓ってくれたのを信頼して」と言ってきたので)

765 人をこそ 思ひと出でめ 身の憂さに つけてばかりは 忘れやはする
(あなたはわたしのことなんかいつも忘れていて なにかのときに思い 出すでしょうが わたしはあなたに放っておかれて 辛い思いばかりし ているので忘れることがあるでしょうか)

 九月ばかりに、人「おそく開く」とて、帰りぬるに
 (九月頃に、ある人が「なかなか戸を開けてくれない」と言って、帰 ってしまったので)

766 秋の夜も あけでやは止
(や)む 来(き)と来(き)なば 待てかし槇(まき)の とばかりをだに[後拾遺集雑二]
(秋の夜長でも 明けないことがあるでしょうか あなただって来たの なら 戸が開くまでちょっとくらい待てばよいのに)
 ※槇のとばかりを だに―「槇の戸」に副詞の「とばかり」をかける。


 「参りたりしかど、人のおはすと聞きしかば、帰りにし」と言ひたる人に
(「お伺いしたのに、他の人がいらっしゃると聞いたので、帰ったのです」と言ってきた人に)

767 厭へども 限りありける 身にしあれば 在るにもあらで 在るを在りとや
(死にたくても 人の命には定めがあるので 在る甲斐もないわたしで も生きているのに あなたは「在り〔ほか他の人がいる〕」とおっしゃ るのですか)

 物思ふ頃、山寺にて。帰るとて
 (悩んでいる頃、山寺で。帰るときに)

768 なにしかは 又は来て見む いとどしく 物思ひ増さ る 秋山寺に
[後拾遺集秋上]
(どうしてまた来ることがあるだろう 気が紛れることもなく いっそ う物思いの増す秋の山寺に)


 「いみじうもの思はむ」と契りたりし人の、「他人語らひたり」と言ひ付けて、音せぬに
 
(「深く愛そう」と契った人が、「ほかの人と関係している」と言っ て、便りをよこさないので)

769 言ひしをぞ 頼むやさらば 人ごとに 怨みば問ふも 有りぬべけれど
(そんなことをおっしゃるなら あんなに深く契ったのを信じていらっ しゃるか疑わしい 人の噂を聞いての恨みは まずほんとうかどうか尋 ねるものですが)

  ただ宵の間に人の来て、疾(と)く帰りぬる翌朝(つとめて)
 (まだ夜が更けない頃に人が来て、すぐに帰ってしまった翌朝)

770 やすらはで 立つに立ちうき 槇の戸を さしも思はぬ 人もありけむ
[後拾遺集雑二]
(すぐに立ち去るのは忍びないわたしの居間の戸口なのに そうは思わ ない人もいたのですね)

 雪のいといたう降りて、消え方に、初めて、人の「思ふ事の積りぬること」など言ひたるに
 (雪がとてもたくさん降って、消える頃になって、やっとあの人が、 「この雪のように、思うことが深く積もったことです」などと言ってきたので)

771 いつしかと 譬ふる雪も 消えぬるに 上の空にも 思ほゆるかな
(あなたがごじぶんの思いの深さに喩えられた雪も 消えてしまったの で あなたのおっしゃることもあてにならない)

 神祭る日、人々来て、柏のあるを取りて、「歌書きて」と責むれば
 (賀茂神社の祭りの日に、人々がやって来て、柏の葉のあるのを取っ て、「これに歌を描いて」とせがむので)

772 神山の まさきの葛くる 人ぞまづ 八平手
(やひらで)の 数はかくなる[夫木抄雑十六]
(神山の神事に用いる葛を繰る人が、第一に八平手の数を数えるそうで す〔ここへ来たお方が一番に歌を書かなくては〕)
 ※八平手―「八」数 が多いこと。「平手」は、柏の葉を竹針にさして円盤状にした神饌〔神 に供える飲食物の総称〕を盛る器。
 ※「かく」に「書く」をかけた。

 はかなうて 絶えにし 男のもとより、あはれなること言ひたる返事に
 (はかない関係で絶えてしまった男から、しみじみとしたことを言っ てきた返事に)

773 頼むべき 方もなけれど 同じ世に あるはあるぞと 思ひてぞ経
(ふ)[玉葉集恋五]
(もうあなたとよりを戻す方法もないけれど あなたがこの同じ世に生きていらっしゃる間は わたしも生きていられると思って暮らしていま す)

 ただにある男の、「とかくあらむには、必ず来て見む」と言ひたるが、その程なるに、遅く来ければ
 
(ただの男友だちが、「なにかがあった時には、必ず来てお世話しま しょう」と言ったのに、その時になって、なかなかやって来ないので)

774 いたづらに 物をぞ思ふ 待つ程の 命も知らず 今日や今日やと
(無駄なことに思い悩んでいたようです 待っている間に死んでしまう かもしれないのに 今日いらっしゃるか今日いらっしゃるかと)

 同じ頃、「問ふべし」と思ふに、音せぬに
 
(同じ頃、「便りをくれるはず」と思うのに、なにも言ってこないので)

775 行末
(ゆくすえ)と 契りし事は 違ふとも この頃ばかり 問ふ人もがな[玉葉集恋三]
(「将来も」と約束なさったことは その通りにならなくても この心 細くてたまらない時だけは訪れてくださる人がいればいいのに)

 「とかくあらむには問はむ」と言ひし人の、音づれで止みにしかば、程経てかくと言ひやる
 
(なにかあった時には訪ねよう)と言った人が、便りもくれないので、 しばらく経ってからこのように言った)

776 契りしは 飛鳥の淵の 水なれや いづらこのせに 問ふ人もなし
(約束してくださったのは 飛鳥の淵の水だったのでしょうか どうし てなのだろう この大事に時に訪れる人もいない)
 ※飛鳥川―古来、淵 瀬の定まらないことで知られ、世の無常にたとえて歌に詠まれた。
 ※「世 の中は何か常なる 飛鳥川 昨日の淵ぞ 今日は瀬になる/この世の中 で不変なものは何一つない 飛鳥川は昨日淵であった所が今日は瀬にな っている「古今集雑下・読人しらず]」


 同じ人、常に此方にも久しう見えねば、かく言ふ
 
(同じ人が、いつもわたしがいるここへ長らく来ないので、こう言っ た)

777 我ゆゑに 人の仲さへ 絶
(た)ゆめれば その報いさへ 恐ろしきかな
(わたしのせいで ほかの人との仲まで疎遠になるようなので その女 の人の恨みの報いまでが恐ろしい)

 二月晦日
(つごもり)がたに、人々来て物語などして、「花の散りにける、さうざうし」など言ふに
 (二月末頃に、人々がやって来て話などしてね「花が散ったのが残念 だ」などと言うので)

778 いたづらに 帰らむことを 思ふかな 花の折にぞ 告ぐべかりける
[正集二四四]
(むなしくお帰りになったのはお気の毒 花盛りのときにお知らせすれ ばよかった)


779 おぼろけに 惜しみし花の 散りにける 枝にさへこそ めは留まりけれ
[正集二一二]
(あれほど惜しんだ梅も散ってしまった 芽ばかり残っている枝を思わず見てしまう)


 これを聞きて、人、「桜は今咲きなむ。散りにける花をば何か思ふ」と言ひけるに
 (これを聞いて、ある人が、「桜がもうすぐ咲くでしょう。散ってし まった花なんて思わなくてもいいのに」と言ったので)

780 まさざまに 桜も咲かば 見には見む 心に梅の 香をばしのびて
[正集二一三]
(梅よりももっときれいに桜も咲くでしょう 見るには見ても 心の中では梅の香りを懐かしんでいるでしょう)


 ものへ行く人に、扇ただ一つ、取らすとて
 
(よそへ行く人に、扇をただ一つ、さし上げるときに)

781 二つなき 心はみには 見えじとて しるしばかりに 添ふる扇ぞ
(またとないわたしの愛情は 目で見ても見えないと思って 二つとて ない心のしるしとして添える扇です)

 また

782 立ち返り 都の方へ 急がずは いつ逢ふことの あらむとすらむ
(すぐに引き返し 都へ急いで帰ってくださらないなら いつ逢うこと ができるというのでしょうか)

 思へども、「思はず」とのみ怨むる人に
 
(思っているのに、「思ってくれない」といつも恨む人に)

783 真菰草
(まこもぐさ) まことに我は 思へども さもあさましき 淀の沢水(さわみず)[続集二七七]
(ほんとうにわたしは思っているのに 「思っていない」だなんて あ なたってあきれてしまうほど浅いのね)
 ※真菰草―「まことに」にかか る枕詞。
 ※淀の沢水―真菰草の縁語

 雨のいたう降る日、「同じ心にながむ」と言ひたる人に
 
(雨がひどく降る日、「雨をあなたと同じ気持で眺めている」と言っ てきた人に)

784 人にだに 訪
(と)ふぞあやしき いかばかり ながめつづくる 我とこそ見れ
(人にまでそんなことを聞くなんて気がしれない どれほどわたしが深 い物思いをし続けていると見ていられるの 人に言えないほど物思いに 沈んでいるわたしなのに)

 たちながら、人のものなどいひて、かへりぬる翌朝
 
(人が来て、立ったまま話などして、すぐ帰った翌朝に)

785 涙さへ 出でにし方を 眺めつつ 心にもあらぬ 月を見しかな
[詞花集恋下・後葉集恋三]
(涙まで出てきて あなたが出て行ったほうを眺めながら 見たくもな い月を見ていたわ)


 帰されて、なま妬う思ひけむ、「昨夜は悔しかりけむかし」など言ひたる人に
 
(追い帰されて、なんとなく妬ましく思ったのか、「昨夜は後悔した だろう」などと言ってきた人に)

786 帰るべき 跡だに見えず 茂
(しげ)ければ 入りぬる人は 惑ふ山路を
(帰っていく足元さえ見えないほど木立が茂っているので わたしの所 へ来た人は道に迷うわ あなたこそ後悔してるのでは)
 ※山路―恋の道 を暗に示した。

 ものへ行く人に、枕箱取らすとて
 
(よそへ行く人に、枕箱を贈るときに)

787 忘らるな 浦島の子が 玉くしげ あけてうらみむ かひはなくとも
(忘れられないで 浦島の子の玉くしげのような枕箱 開けて恨むほど の甲斐のない物でも〔意訳/忘れないで使ってください 開けたら中は 空だから恨まれるかもしれないけれど〕)
 ※枕箱―① 箱形の木枕。箱枕。 ② 枕を入れておく箱。ふつう五個または十個を入れる。


 挿櫛
(さしぐし)の箱に書きて(挿櫛の箱に書いて)
 ※挿櫛―女の髪の飾り に挿す櫛。

788 さまざまに かみをぞ祈る 挿櫛の さし離るるが 心細さに
[夫木抄雑十四]
(いろいろなことを神に祈っています あなたと遠くなってしまうのが 心細くて)


 三月晦日がたに、散り果てがたなる枝につけて、人に
 
(三月の末頃に、ほとんど散ってしまった桜の枝につけて、人に)

789 散りにしは 見にもや来ると 桜花 風にもあてで 惜しみしものを
(散ってしまった あなたが見に来るのではないかと思って 桜の花  風にもあてないで大切にしていたのに)

 なま心憂かりける人の、もとへ行くに
 
(なんとなく嫌だと思う人が、よそへ行くときに)

790 在るほどの 憂きをみるだに 憂きものを 辛き心は とどめでや行く
(一緒に暮らしていた頃の ひどいことをなさったのを見るのも辛かっ たのに その薄情な心は残して行かれるのですか)

 住吉に詣
(ま)でたりける人、いと程経て、「いかが」など言ひたるに
 (住吉神社に参詣した人が、ずいぶん経ってから、「どうしている」 などと言ってきたので)

791 忘れ草 摘む程とこそ 思ひしか おぼつかなくて ながらへつれば
[正集二四三]
(忘れ草を摘んでわたしのことを忘れてしまったのかと思ったわ 待ち 遠しいほど時が過ぎたので)

 津の国なる人、「たびたび文やりしは見ぬか」と言ひたるに
 (摂津の国にいる人が、「何度も手紙を送ったが見ていないのか」 と言ってきたので)

792 難波人
(なにわびと) なにはの事を 書けりけむ ただこの度(たび)ぞ みつの浜松
(難波人のあなた どんなことをお書きになったのでしょう あなたの お手紙を見るのは今度が初めてです)

 四月ばかり、人来て。夜更けて
 
(四月頃、あの人が来て、夜が更けてから)

793 夏の夜を 明かしも果てで 行く月を 見に来むとだに 思ひおこせよ
(夏の短い夜が明けないうちに沈んでいく月〔あなた〕 明日の夜 月が昇ったら せめて月を見に行こうとだけでも思い出してください)

 「など出でて行く」とて、まづ戸をおしたつれば、女
 (「どうして逃げる」と言って、入ってくるなり戸を押して閉めたの で、女は)

794 かくばかり 堪へがたく憂き 槇の戸を さして行く方 ありげなるかな
(こんなにも苦しくて辛いのに 槇の戸を閉めて逢うなんて 目指して いく女の所がありそうに見える)
 ※「大空に 群れたるたづの さしな がら 思ふ心の ありげなるかな/大空に群れ飛んでいる鶴は 無心で あるはずなのに あたかもなにかしら思う心がありそうに見える[拾遺 集賀・伊勢]」をふまえる。


 梅の花散りて、口惜しがり人の、また四月二十余日の 程に来たるに
 
(梅の花が散って、悔しがる人が、また四月二十日過ぎに来たので)

795 今日もまた 何かは来つる 一重だに 散りも残らず 八重の山吹
[正集二四六]
(今日もなんのために来たのだろう 一輪だって散り残っていない八重 の山吹)


 「折り枯らしたる枝は置かずや」と言ひたれば
 
(でも、折って枯らした枝があるじゃない)と言ったので)

796 さてのみは 止
(や)まじと思へ 枝をさへ 折り枯らしてぞ ゐでの山吹
(そういつも花を見そこねてばかりいないようにしようと思ってくださ い わたしは花を見るだけでは物足りないので 枝まで折って枯れるま で見ています 山吹を)

 「語らふ人多かり」など言はれける女の、子生みたりける。「たれか親」と言ひたりければ、程経て、「いかが定めたる」と人の言ひければ
 
(「恋人が多い」などと言われていた女が、子どもを産んだそうだ。「だれが父親なのだろう」と言われていて、しばらく経ってから、「父親はだれに決めました」と人から言われたので)
 ※わざと伝承形式の表現をしている。和泉の子には、小式部内侍と石倉宮がいるが、二人共父親ははっきりしているから、こういうことがほかにあったのだろう。


797 この世には いかが定めむ 自ら 昔を問はむ 人に問へかし
(この子の父親をすぐには決められません そのうちに 昔の恋を思い 出して わたしの行方を尋ねる人が自然と出てきますから その人に聞 いてください)

 「来む」と頼めて、見えずなりにける翌朝
 (「行く」とあてにさせて、結局来なかった翌朝)

798 水鶏
(くいな)だに 叩く音せば 槇の戸を 心やりにも あけて見てまし[風雅集恋四]
(水鶏の叩く音でもしたら 槇の戸を気晴らしに開けてみたのに まっ たく音沙汰がないとは)

 「語らふ友達、二三人来合ひたり」と聞くに、言ひ遣 る
 (「仲良くしている人たちが、二、三人来て話し合っている」と聞いて、送った)

799 語らはば 劣らじものを 何事を 言ふとも言ふと 言ひ交すらむ
(わたしだって仲間に入れてくだされば 話し相手として劣らないのに  なにを話題にして 熱心に話し合っていらっしゃるのでしょう)

 暗き夜、時鳥待つ心
(暗い夜、ほととぎすが鳴くのを待つ心を)

800 暗き夜は 見れども見えず 時鳥 いづくばかりに 鳴きて来ぬらむ
(闇夜ではいくら見ても姿は見えない ほととぎすは今どのあたりに来 て鳴いているのだろう)

 橘の下にて
(橘の下で)

801 ここにして 待ち試みむ 時鳥 花橘の 香を憎しとや
(ここでほととぎすを待ってみよう それともほととぎすは花橘を嫌っ て寄ってこないだろうか)

 時鳥の声を、山辺に尋ねに行くを聞きて
 (ほととぎすの声を、山のあたりに聞きに行くのを聞いて)

802 時鳥 聞きつと聞かば その山の 麓に我は 家 居
(いえい)しつべし
(はととぎすの初音を聞いたと聞いたら その山の麓に住むかもしれな い)

 物忌にて こもりゐたる人のもとより、「言づてや らむ。時鳥の声、聞け」と言ひたるに
 
(物忌で籠っている人から、「ほととぎすに伝言するから、ほととぎ すが鳴いたら、聞いて」と言ってきたので)

803 心して 聞くべかりけり 時鳥 その一声に かよひけりやと
(注意して聞けばよかったわ さっき聞いたほととぎすの一声があなた の声と似ていたかどうか)

 「必ず来む」と頼めし男に、その日
 
(「必ず行く」とあてにさせた男に、その日のうちに)

804 暮れぬ間の 命ともがな 寝
(ね)ぬる夜は 忘れにけりと 明日こずは言へ
(日が暮れないうちに死んでしまいそう もし今夜来ないなら、明日「昨 夜は寝てしまって忘れてた」とても言って)

 けさうする人の来て、物など言ひたる程に、他人の来ぬれば、これかれ立ち別るる程に、扇を「かたみに」と取りかへてけり。翌朝、初めの人に言ひ遣る
 (恋人が来て、話などしているうちに、ほかの人が来たので、あわて て二人が帰るときに、扇を「形見に」と思って取り替えておいた。翌朝、はじめの人に贈った歌)

805 語らはむ 人もなかりつ 取り代ふと 思ひしはは や 扇なりけり
[正集二一八]
(親しく語り合う人なんか来なかった あなたは別の恋人を迎えると思ってお帰りになったけれど 取り替えたのは扇だけです)


 男、「これはなどか捨てつる。取りに賜へ。取り代へ無くは悪しかりなむ」とて、おこせたる
 
(男が「この扇をどうして捨てたのです。取りに誰かを寄越せばいい のに。扇がないと困るでしょう」と言って、扇が送ってきたので)

806 人もなく 鳥もなからむ 島にては この蝙蝠
(かわほり)も 君も尋ねむ[夫木抄雑九]
(もしわたしが 人も住んでない 鳥もいない島に住んでいたら こん な蝙蝠〔扇〕も それからあなたも探すことでしょう)

 雨いといたう降り、怨めしきことやありけむ、「身を知る」など言ひたりければ
(雨がものすごく降っている時に、恨めしいことでもあったのだろう か、「身を知る」などと言ってきたので)
 ※「かずかずに 思ひ思はず とひがたみ 身をしる雨は ふりぞまされる/いろいろと あなたがわたしを思っているのか思っていないのか尋ねにくいので じぶんの身の程を知る悲しみの雨がひどく降っています[伊勢物語一〇七・古今集恋四・在原業平]


807 うかる身の あめの下にも ふればなほ 人は身をさへ 知らせてしかな
(辛いことの多いわたしが 雨の降り続く嫌な世の中に生きていて「身を知る」などとおっしゃると いっそう辛さが思い知らされます)

 五月ばかり 清水に籠りて、傍の局を語らひて、いへ とて、御前に居たるに言ひおこせたる。雨うち降る程 なり
 (五月頃、清水寺に参詣して、そばの部屋の人と仲良くなって、わた しが寺を出るときに、その人が仏前にいたので送った。雨が降っている時である)

808 やがてこそ かき曇りぬれ 時鳥 なき別れつる 晨明
(しののめ)の空
(ほととぎすのように泣く泣くお別れすると 二人の心を知っているか のように 夜明けの空はそのまま曇ってしまった)

 男、「思ひ知りなむと思ひしに、つれなきこと」など言ひたれば
 (男が、「しばらく行かなかったら、身にしみてわかるだろうと思っていたのに、冷淡だな」などと言ってきたので)

809 あはれをば 知らぬならねど いかがせむ ただ思へかし こりずまにやは
(恋のあわれを知らないわけではないけれど しかたがないの まあ  考えてください どうして性懲りもなく 元に戻れるでしょうか)

 月いと明き夜、人のもとより、「その人とも分きて待たじかし」と言ひたるに
(月のとても明るい夜、ある人から、「訪ねたいと思うが、特にわたしだけを待ってもいないだろうね」と言ってきたので)

810 宵ごとに 君をこそ待て 他人
(ことびと) ※以下欠文。
(宵が来るたびに あなただけを待っているの ほかの人は)

 人の文のあるを見て、六月ばかり
 (来なくなった人の手紙があるのを見て、六月頃)

811 庭のまま 生ふる草葉を 分け来たる 人も見えぬに 跡こそありけれ
(庭一面に生い茂った草をかきわけて来る人もいないのに 筆の跡ばかりある)

 「今は外に」と聞く人のもとに、夕暮に言ひ遣る
 (「夫は今はほかの女の所へ」と聞いた女の人に、夕暮れに送った)

812 夕暮は 人の上さへ 歎かれぬ 待たれし頃に 思ひ合はせて
[玉葉集恋五・万代集恋五]
(夕暮れは 他人の身の上のことまで嘆かないでいられない わたしが 夫を待っていた頃のことをあてはめて考えると)


 七月一日、人に
(七月一日、ある人に)

813 今宵より たれを待たまし いつしかと 萩の葉風は 吹かむとすらむ
(今夜から誰を待ったらいいのだろう 早くもあなたはわたしに秋〔飽 き〕風をお立てになるでしょうから)

 秋、花どもの咲きたるに、山菅の咲きたるを見て
 
(秋、いろいろな花が咲いている中に、山菅が咲いているのを見て)
 ※山菅―やぶらんの古名。ユリ科の多年草。紫色の小花を穂状につける。

814 音きけば 人の物思ひ やますげを 心見がほに 咲ける花かな
[夫木抄雑十]
(山菅を吹く風の音を聞くと 物思いが止まないけれど 人の心をため すような顔つきで咲いている花だなあ)

 人のもとに、その夜
(人のところに、その夜)

815 ただにしも 星合
(ほしあい)の空を 眺めじな 天の河風 寒 く吹くなり
(恋人に逢おうとしないで 牽牛・織女の二つの星が出会う空を眺め明 かすことはしないでしょうね 天の河原を風が肌寒く吹いています)
 星 合ひ―七夕の夜、牽牛・織女の二つの星が会うこと。


 いとつれづれなる夕暮に、端に臥して、前なる前栽どもを「ただに見るよりは」とて、ものに画きつけたれば、いとあやしうこそ見ゆれ。さばれ、人やは見る小き松に
 
(ひどく物寂しい夕暮れに、端近な所に横になって、前庭の植木を「ただ見ているよりは」と思って歌に詠んで、紙に描くと、とても変に見える。まあいい、人が見るわけではないから、絵に描いた小さな松を)

816 後々
(のちのち)も 松ばかりこそ 偲ばめと 怨むるよりも 頼もしきかな
(わたしが亡くなった後々までも 待つだけはわたしを偲んでくれると 思うと 松の長寿を恨むよりも むしろ頼もしく思われる)  

 竹

817 ありし人 あらば来なまし 風吹けば 上うちそよぐ 竹のよごとに
(亡くなった恋人がもし生きていたら毎夜訪れてくれたでしょうに 風 が吹けば竹の上葉がそよくように)  

 柏

818 柏木は 宿にほり植ゑむ 下草
(したくさ)を かりに人来(く)る 名のみなりけり
(柏の木は掘り取ってきて家の庭に植えたい でも柏の木は下草を刈り に来る〔かりそめに人が訪ねてくる〕という評判だけの木です)
 ※「宿 にほり植ゑむ」は「宿にほり植ゑじ」の誤りか。「植ゑじ」なら、「柏 の木は掘り取ってきて家の庭には植えない だってかりそめに人が訪ね てくるという評判だけの木だから」となる。

 萩

819 今咲かば 人も来て見む 秋萩を 下葉の色は 我のみぞ見る
(今咲けば あの人も珍しがって来て見るでしょう 秋萩の下葉から枯 れてゆく色はわたしだけが見る)

 山吹、あやしう咲きたる所なり
 
(山吹が狂い咲きしている所である)
 ※狂い咲き―①季節外れに花が 咲くこと。返り咲き。②(比喩的に)盛りを過ぎたものが、ある一時期、勢いを盛りかえすこと。

820 蛙
(かわず)鳴く 井手(いで)にならへる 山吹は 虫の声する 秋も咲きけり
(蛙が鳴く井手にならって咲くわたしの家の山吹は 春だけでなく 虫 が鳴く秋まで咲いている)
 ※井手―山吹の名所。


 まゆみ、色づきたり
(まゆみが色づいている)

821 木々よりも まだきまゆみの 色づくは 秋にいる日に 露や置くらむ
[雲葉集秋下・夫木抄秋六]
(ほかの木よりも まゆみが早く色づくのは 秋になった日の露がまゆ みに置くからだろうか) 鶯(おう)実(じつ)
 ※スイカズラ科の落葉小低木。ウグイスカグラの別称。開花 は四 ~五月頃、結実は六月頃


822 木伝
(こづた)ひし 梅をばおきて これだにも 鶯の木と ひとく言ふらむ
(春の頃 枝から枝へ移った梅の木をさしおいて こんな木まで どう して「うぐいすの木」と人は言うのだろう)
 ※「ひとく言ふらむ」は「ひ とし言ふらむ」の誤りか。


 軒の蜘蛛の巣(い)
(軒の蜘蛛の巣)

823 思はじを 荒れたる宿に かきくらす 蜘蛛のいがきに 風したまらば
[夫木抄雑九]
(物思いをしないでしょうに 荒れはてた家に蜘蛛が作った巣に風がた まってくれたら〔風が吹き込まないなら〕)


 七月七日、「織女、待ち遠に思ふらむ」と、人の言ひたるに
 
(七月七日、「織女は待ち遠しく思っているだろう」と、人が言ってきたので)

824 彦星は 思ひもすらむ なかなかに 秋は今宵の なからましかば
[正集二五〇]
(彦星は物思いに沈んでいるでしょう 別れた後でこんな淋しい思いを するなら かえって秋に昨日という日がなかったらよかったのにと)


 この頃、もの言ふ声を立ち聞きて、人の「聞えむ」など言ひたるに、
 
(この頃、わたしが人と話している声を立ち聞きして、ある人が「お話ししたい」と言ってきたので)

825 萩の上に つゆ吹き添へし かりが音を 上の空にも 聞きてけるかな
(萩の上に露を添えたような ほんのかり〔雁〕そめにしたわたしの声 を いい加減にお聞ききになったのではないかしら)

 「無き事負ひて歎く」と聞きて、「我を天児
(あまがつ)にせよ」と言ひたるに
 (わたしがありもしないことを言われて嘆いていると聞いて、「わた しを天児にしなさい」と言ってきたので)
 ※天児―幼児の災難を除くために,形代(かたしろ)として凶事を移し負わせるための木偶(でく)人形。


826 天児に つくとも尽きじ 憂き事は しなどの風ぞ 吹きも払はむ
(わたしの汚名はいくら天児につけたとしても尽きないでしょう 嫌なことは科戸の風が吹き払ってくださるでしょう)
 ※しなどの風―風の神、 科戸辺命(しなとべのみこと)から激しい風の意。


 物へ詣でて帰るに、火屋と言ふものを作るを、あはれと思ひて、帰りての夜、月を見る
 
(参詣して帰るときに、河原に焼き場を作るのを、悲しく思って、帰ってから夜、月を見る)

827 あはれこの 月こそ曇れ 昼見つる 火屋の煙は 今や立つらむ
[正集一六〇]
(悲しいことに月まで曇った 昼間見た焼き場の煙が今立ち昇ったのだ ろうか)


 幼きちごの病みけるを、あはれと思ふべき人の聞きて、「いかが」と言ひたる
 
(幼い乳児が病んでいるのを、かわいそうだと思うはずの人が聞いて、「どんな様子だ」と言ってきた)

828 いかばかり思 ひおくとも 見えざりし 露にいろへる 撫子の花
(どれほども心にかけてくださっているとも見えなかったのに お見舞 いをいただいて 色艶がよくなった撫子の花〔あの子も元気になりまし た〕)

 「今よりは千代ぞ経む」と言ひたるに
 
(「これからは千年も生きるだろう」と言ってきたので」)

829 千代経
(ふ)べき 小松と聞けば 今よりは ただ朝夕の くさと頼まぬ
(千年も生きるわが子と聞いたので これからは朝夕の心の慰めとして わたしも生きていきます)

 「ぬれぎぬをのみ着ること。今は、はらへ捨ててむ」と人に言ひて後、いかなる事かありけむ、「なほこりずまのわたりなりけり」と言ひたるに
 (「濡れ衣ばかり着ている。もう恋愛はお祓いして捨てます」と人に言ってから、どんなことがあったのだろう、「やはり性懲りもなく恋愛しているね」と言ってきたので)

830 重ねつつ 人の着すれば ぬれぎぬを いとほしとだに 思ひおこせよ
(重ね重ね人が着せる濡れ衣を せめてかわいそうだとでも思ってくだ さい)

 「この頃、袖のつゆけき」など言ひたる人に
 
(この頃、あなたが恋しくて、袖が濡れてしめっぽい)などと言って きた人に)

831 秋はなほ 思ふことなき 萩の葉も 末たわむまで 露は置きけり
[詞花集雑上]
(秋はやはりしめっぽいものよ 思うこともない萩の葉も 葉末がたわ むほど露が置いているもの)


 人に「下崩れたる」と言ひたるに、「そなたなむ疑がはしき」と言ひたるに
 (人に「内心ではほかの女を思っている」と言ったら、「あなたこそ疑わしい」と言ったので)

832 そなたより 波高くとも 今はよに わがかたきのの 松は越させじ
(あなたのおっしゃる男の誘惑が あなたの彼女の誘惑より激しくても  これからはあなたを裏切るようなことは絶対にさせない)
 ※「わがかた きのの」は「かたしき」の誤写だろう
 ※「君をおきて あだし心を わ がもたば 末の松山 浪もこえなむ/あなたをさしおいて ほかの人を 思う気持ちをわたしが持つなら あの末の松山を波も越えてしまうでし ょう[古今集東歌・読人しらず]」をふまえる。

 「うしろめたな心あるを、わが心添へて見てしかな」と言ひたるに
 (「浮気であてにならない性格だから、わたしが注意して見ていたい」と言うので)

833 ひきかへて 心のうちは なりぬとも こころみな らば こころみてまし
(わたしがうって変わってまじめになっても わたしの心を見ようとな さるなら わたしも試しにあなたの心を見ることにしましょう)

 はりまの聖のもとに
(播磨の聖のところへ)

834 冥きより 冥き道にぞ 入りぬべき はるかに照らせ 山の端の月
[正集一五 〇]
(煩悩の闇に迷っていて さらに深い闇に入っていきそうです どうか 導師となって わたしを真理の世界へ導いてください)
 ※播磨の聖―播 磨国書写山円教寺の性(しょう)空(くう)上人。


835 船よせむ 岸のしるべも 知らずして えも漕ぎよ らぬ 播磨潟かな
(わたしを案内してくれる人もいないので いままで性(しょう)空(くう)上人の教え を受けないでいます)

 時雨いたう降る日、はやう見し人に
 
(時雨がひどく降る日、以前逢ったことのある人に)

836 隙
(ひま)もなく 時雨心地(ごこち)は ふりがたく おぼゆるものは 昔なりけり
(絶え間なく時雨が降り わたしの気持ちもいつも沈んで涙をこぼし  忘れがたく思い出されるのは昔のことです)

 去年の春、石山に詣でたりしに、山中にとまりて休み などせしを、又の年の秋、前をわたるに、「さぞかし」と思ふにあはれにて、問はすれば、人なし。薄ぞ情なげにすくみて立てるに、書きて結びつく。
 
(去年の春、石山寺に参詣した時、山の中の家に留まって休んだりしたが、翌年の秋、この家の前を通るときに、「ああ、ここだな」と思うとしみじみとした気がして、尋ねさせると、誰もいない。すすきだけが風情もなく枯れかけて立っているのに、書いて結びつけた)

837 過ぎゆけど 招く尾花も なかりけり あはれなり しは 花の折かな
[夫木抄秋二]
(通りすぎて行くのに 招いてくれる尾花〔すすき〕もない ここが情 趣深かったのは 桜の頃) みちのくにの守にて発つを聞きて (あの人が陸奥守として任地に赴くのを聞いて)

838 もろともに たたましものを みちのくの ころもの関を よそに聞くかな
[詞花集別・玄玄集]
(別れていなかったら 一緒に旅立ったでしょうに 陸奥国の「衣の関」 も 「衣」という名に反して わが身から遠いものとして聞くことです)

 「梅、桜、いづれおもしろし」と人の言ふに
 
(「梅と桜では、どちらが趣深い」と人が言うので)

839 桜より 色はさこそは 深からめ 香
(か)さへ殊(こと)なり 紅(くれない)の梅
(梅よ それも紅梅 桜と違って色はあんなに深いし 素晴らしい香り がするもの)
 ※このように紅梅が好きな和泉式部とは違って、紫式部は 『源氏物語』において、女主人公の紫の上を桜になぞらえ、頭中将の娘 の弘徽殿女御を紅梅になぞらえていることからわかるように、桜を紅梅 より上位においている。
 ※二項対立―和泉式部・清少納言対紫式部


 さりにけるをとこの、遠き所へ行くを、「いかが思ふ」と言ひたれば
 
(わたしを捨てた夫が遠い国〔陸奥の国〕へ赴任するのを、「聞いてどう思いますか」と言う人に)

840 別れても 同じ都に ありしかば いとこの旅の 心ちやはせし
[正集一八三・千載集離別・続詞花集離別・赤染衛門集]
(別れても同じ都にいるのなら 今度のような思いはしたでしょうか)

 雨のいといたう降る頃
(雨があまりにもひどく降る頃)

841 いかにせむ あめの下こそ 住み憂けれ ふれば袖のみ 間なく濡れつつ
[正集一五九・新勅撰集雑二]
(どうしよう 雨の降る日は家の中でも住みにくい〔この世の中は辛い ことばかり〕いつも袖がじめじめして〔生きているといつも涙がこぼれ るばかり〕)
 ※あめ―天に雨をかける。ふれ―経れに振れをかける。


 権中納言の屏風の歌、桜咲きたる家に客人多かり
 (権中納言さまの屏風用に詠んだ歌、桜が咲いている家にお客さまが 大勢いる)

842 植ゑし植ゑば かかれとぞかし 桜花 見にとてこそは 人の来つらめ
(同じ桜を植えるならこれくらいというので こんなにたくさん植えた のでしょうね これを見るためにこんなに大勢のお客さまもいらっしゃ ったのでしょう)

843 春毎
(ごと)の 花の盛りを 音に聞く 人の来(き)ゐては 長居せぬなし[正集一八六]
(毎春 花の盛りが評判と聞いてやって来て 長居をしない人はいない)

 桜狩にあまた行く人ある山を過ぐ
 
(桜の花見に大勢行く人がいる山を過ぎて)

844 ある限り 心をとめて 過ぐるかな 花も見知らぬ 駒にまかせて
[正集一八七]
(誰もが花に惹かれながらも通り過ぎてゆく 花の美しさもわからない馬が歩くのにまかせて)


 山の霞、花を隠す
(山の霞が、花を隠す)

845 はなばなと 人に見えなむ 立ち曇る 霞のうちに 風もこそ吹け
[正集一八八]
(華やかな美しさを見せてほしい 霞で見えないうちに 風が吹いて花 を散らすかもしれない)

 撫子多かる家を、眺めてゐたり
 
(撫子の花の多い家を、眺めていた)

846 咲きしより 見つつ日頃に なりぬれど なほ常夏に しくものぞなき
[正集一八九]
(咲いたときから見てきて何日もなるが やはり常夏〔撫子〕ほど素敵な花はない)


 松に藤かかりたる所、人々多くよりて見る
 (松に藤がかかっているところを、人々が大勢近寄って見る)

847 ふぢなみの 高くも松に かかるかな 末の波こす なごりなるべし
[正集一九〇]
(藤が松の高い枝にかかってまるで波のよう 末の松山を越えた波の名 残なのかしら)

848 ことは藤 散らで千年を 過ぐさなむ 松の常磐に 来つつ見るべく
(同じことなら藤も松のように千年も散らないでほしい わたしたちが いつ来ても見ることができるように)

 遠き山を一人行く
(遠い山を一人で行く)

849 来し方は 八重の白雲 隔ててき いとど山路の はるかなるかな
[正集一九一・新勅撰集旅]
(越えてきた方角は幾重にも白雲が隔てているし これから行く山道は遥かに遠い)

 人の家に琴弾き、笛吹きて、あそびしたり
 (人の家で琴を弾き、笛を吹き、合奏している)

850 弾く人の 耳さへ寒き 秋風に 吹き合せたる 笛の声かな
[正集一九三・夫木抄雑十四]
(弾く人の耳さえ寒い秋風に 盤渉調に調子を合わせて吹いている笛の音)
 ※秋風楽―雅楽。唐楽。盤渉調の中曲。


851 笛の音は 紅葉を吹くに あらねども 響きに枝も 動くべきかな
[夫木抄雑十四]
(笛を吹いているので 風が紅葉を吹くのとは違って 枝が動くわけで はないが あまりにも美しい音色なので あの虞公の故事のように枝も 動くかもしれない)
 ※中国の漢代に、美声で知られた魯の虞公が歌うと、 梁(柱の上に掛ける横木の塵までが動いたという故事による。劉向の「七略別録」にある。


 旅人、山を来る道に橋あり。朽ち破れたれば、わたりわづらふ
 
(旅人が山を登ってくると橋がある。腐って壊れているので、渡れな いので困っている)

852 しは朽ちて よるべき道も なかりけり 峰よりわたる 雲ならずして
[正集一九五]
(橋が腐っていて そこを通らないで行ける道もない 峰から峰へ渡ることのできる雲以外は)
 ※正集一九五には、「橋朽ちて」とあり「しは朽ちて」は誤写だろう。


 松の木に、蔦の紅葉かかりたり
 
(松の木に、蔦の紅葉がかかっている)

853 もみぢする 蔦しかかれば 自ら 松もあだなる 名ぞ立ちぬべき
[正集一九二]
(紅葉した蔦がからむと しぜんと松まで赤く見えて 移り気な噂が立つだろう)

 人もなき山辺に、紅葉ふりしけり
 (人もいない山辺に、紅葉が散って一面に積もっている)

854 散り散らず 見る人もなき 山里の もみぢは闇の 錦なりけり
[正集一九四]
(散ったのか散っていないのか見る人もいない山里の紅葉は 暗闇で錦 〔絹織物〕を着ているようなもので 紅葉していても甲斐がない)


 浜づらに家ある所あり。あま人も見えず
 
(浜辺のところに家がある。海人も見えない)

855 いづかたの 風に障りて あま人の あまの苫屋を あらし果つらむ
[正集一九六]
(どこから吹いてくる風によって 海士人の浜の苫屋はすっかり荒れてしまったのだろう)
 ※苫屋―苫で屋根を葺いた粗末な家。

 雪いみじう降りたるに、鷹据ゑたる人あり
 (雪がひどく降っているのに 鷹を肘にとまらせている人がいる)

856 空に立つ 鳥だに見えぬ 雪もよに すずろに鷹を 据ゑてけるかな
[正集一九七]
(空に飛び立つ鳥さえ見えない雪の激しく降るときに あてもないのに 鷹を肘にとまらせたりして)

 正月子の日に

857 岩の上の 種にまかせて 見るほどに 今日も小松を 引く人もなし
(岩の上の種が自然に芽を出すように じっと見ていても 今日子の日 も わたしのために小松を引いてくれる〔わたしの心を引く〕人もいない)

 いとはかなき所にて、人にもの言ひて
 (ほんのちょっとした所で、あの人と逢って)

858 うつつこそ はかなかりけり 夢をだに いでこそ人は 見ると言ふなれ
(はかないはずの夢よりも かえって現実のほうがはかない だからこ そ人は せめて夢でも見ると言うのです)

 花山院歌合。七月七日
(花山院歌合わせ。七月七日)

859 天の原 今宵ながめぬ 人ぞなき 恋の心を 知るも知らぬも
[正集一三一]
(天の川を今夜眺めない人はいない 恋心を知っている人も知らない人 も)    

 風

860 秋吹くは いかなる風の 色なれば 身にしむばかり あはれなるらむ
[正集一三二・詞花葉秋・古来風躰抄]
(秋に吹く風はどんな色なのだろう 身にしむほど人恋しい)    

 虫

861 鳴く虫の 一つ声にも 聞きえぬは 心心に 物や悲しき
[正集一三六・詞花集秋・後葉集秋上]
(虫の鳴き声が同じように聞こえないのは あの虫たちもそれぞれに別の悲しみで鳴いているからだろうか)  


 月

862 曇りなき 月とは見えで 塵もゐぬ 鏡に向ふ ここちこそすれ
[正集一三三]
(曇りがちな空の月とは見えないで 塵ひとつない鏡と向かい合ってい るような気がする)


 白露

863 玉と見て 取れば消えぬる 白露を おきながらこそ 見るべかりけれ
[正集一二四・続詞花集秋下]
(玉だと思って取ったら消えた白露を こんなことなら草の葉に置いた まま見ればよかった)  

 雁

864 物思へば 雲居に見ゆる 雁も 耳に近くも 聞ゆなるかな
[正集一三七]
(物思いに沈んでいると はるか遠くに見える雁の鳴き声も 耳の近く で鳴いているように聞こえる)  


 霧

865 朝霧に 行方も見えず わが乗れる 駒さへ道の 空に立ちつつ
[正集一三五]
(秋霧で行き先も見えないで わたしの乗っている馬も道の途中で宙に 浮いているよう)  


 萩

866 折る毎に あたらものをと おぼゆれど 鹿立つ野辺の 萩の花ずり
[正集一三八・夫木抄秋二]
(折って見るたびに惜しいと思うのは 鹿が暴れている野辺の萩の花)

 女郎花

867 女郎花 咲ける盛りの 野辺に出でて 妹に心を 置かれぬる哉
[正集一三九]
(女郎花が盛りに咲いている野辺に出かけて〔美しい女性が大勢いる ところへ行って〕妻と気まずくなってしまった)


 人のかへりごとに
(ある人への返事に)

868 世の常の 事とも更に 思ほえず 始めてものを 思ふあしたは
[日記・新勅撰集恋三]
(世間並みの恋だなんて少しも思えません はじめて恋のせつなさを知った今朝は)

 夕暮に聞えさする
(夕方に申し上げた)

869 待たましも かばかりこそは あらましか 思ひもかけぬ 今日の夕暮
[日記・古本説話集・世継物語―宇治大納言物 語―・千載集]
(もしお越しを待つとしたら このように辛いのでしょうか 後朝の今日なのに 夕暮れの訪問を思いもなさらなかったとは)


 「鶏の声にはかられて、急ぎ出でて、憎かりつれば殺しつ」とて、羽に文をつけて賜へれば
 
(「鶏が早く鳴くから、もう夜明けなのかと騙されて、急いで帰ったので、憎らしかったので殺してやりました」 とお書きになっていて、鶏の羽根に手紙をつけてくださったので)

870 いかがとは 我こそ思へ 朝な朝な なほ聞かせつる 鶏の殺せば
[日記]
(どうしようかとわたしも思っていました 毎朝朝が来ると夜明けを告げて 二人の仲を鶏が引き裂くのですから)
 ※日記では、「「いかにとは われこそ思へ 朝な朝な 鳴き聞かせつる 鳥のつらさは(どんなに辛いかはわたしこそ知っています 毎朝毎朝 あなたのお越しがなく むなしく夜を明かしたときに鳴いて知らせる鶏の声を聞く辛さは)」となっている。

 月明き夜、あるやうあり。
 
(月の明るい夜、あるわけがあって)

871 一夜
(ひとよ)見し 月ぞと思へど ながむれば 心はゆかず 目は空にして[日記]
(あの夜見た月だと思っても 眺めていると心は晴れず 目もうつろです)
 ※日記では、「ひと夜見し 月ぞと思へば ながむれど 心もゆかず 目は空にして(あの夜あなたと一緒に見た月だと思って眺めていますが 心は晴れず 目もうつろです あなたがいらっしゃらないから)」となっている。


 人のかへりごとに
(ある人への返事に)

872 君をこそ 末の松とは 思ひしか ひとしなみには たれかこゆべき
[日記]
(あなたこそ浮気なお方と思っています あなたと同じように誰が心変わりなどするものですか)
 ※日記は、「思ひしか」が「聞きわたれ」となっている。

 人に
(ある人に)

873 あふことは とまれかくまれ 歎かじを 怨み絶えせぬ 仲となりせば
[日記]
(お逢いすることが絶えたとしても嘆きませんが あなたと恨みが絶えないような仲になったら 嘆かないではいられないでしょう)
 ※日記では、「とまれかくまれ」が「とまれかうまれ」、「仲となりせば」が「仲となりなば」となっている。


 月明き夜、人に
(月の明るい夜、ある人に)

874 試みに 雨も降らなむ 門過ぎて 空行く月の 影やとまると[日記]
(ためしに雨でも降ってくれればいいのに わたしの家の門を通り過ぎてゆく月のようなあなたが 雨宿りしてくださるかもしれないから)
 ※日記では、「門過ぎて」が「宿すぎて」となっている。 

 例のかへりごとに
(いつもの返事に)

875 袖のうらに ただわがやくと 潮垂れて 船流したる あまとこそなれ[日記]
(袖の浦でひたすら塩焼きしているうちに舟を流してしまった海人のよ うに わたしも涙で袖を濡らしているうちにあなたを失ってしまった)

 七月七日
(七月七日に)

876 詠むらむ 空をだに見ず 織女に あまるばかりの わが身と思へば
[日記・夫木抄秋一]
(あなたが眺めている空さえ見る気になれないわ 年に一度の七夕なのに 不幸ばかりのわたしだと)
 ※日記では、「ながむらむ 空をだに見ず 棚機(たなばた)に 忌(い)まるばかりの わが身と思へば(あなたが眺めている空さえ見る気になれないわ 年に一度の七夕なのに あなたから嫌われていると思うと)」となっている。


 人に
(ある人に)

877 ねざめねば 聞かぬなるらむ 荻風に 吹くらむものを 秋の夜ごとに
[日記]
(物思いで夜中に目覚めたりなさらないから お聞きにならないのでしょうか あなたをお招きする荻風が 秋の夜ごと吹かないことがあるでしょうか)
 ※日記では、「寢覚めねば 聞かぬなるらむ 荻風は 吹かざらめやは秋の夜な夜な」となっている。


878 くれぐれと 秋は日頃の ふるままに 思ひしぐれぬ あやしかりしも
[日記]
(悲しみに沈んで 秋の何日かが過ぎてゆくにつれて 泣いてしまいま した 歌にあるように秋の夕暮れは不思議なほど人恋しくて)
 ※日記で は、「くれぐれと 秋の日ごろの ふるままに 思ひ知られぬ あやしか りしも(悲しみに沈んで 秋の何日かが過ぎてゆくにつれて よくわか りました 歌にあるように秋の夕暮れは不思議なほど人恋しい)」となっ ている。
 ※「いつとても 恋しからずは あらねども 秋の夕べは あ やしかりけり/いつといって恋しくないときはありませんが 秋の夕暮 は不思議と人恋しいのです[古今集・読人しらず]」をふまえる。


 石山にこもりたるに、尋ねて宣はせたる御かへり
 
(石山寺に籠っていたところ、探しておっしゃってきたお返事)

879 あふみぢは 忘れぬめりと 見しものを 関うちこえて 問ふ人やたれ
[日記・正集二二二・万代集恋三]
(近江にいるわたしをお忘れのようだと思っていましたけれど 逢坂の関を越えてお便りになさったのはどなたでしょう)


 「いつか帰る」とあれば
(「いつ帰ってくる」とあったので)

880 山ながら うくはうくとも 都へは 何かうち出の 浜も見るべき
[日記・正集二二三]
(山にいて辛いことがあったとしても いつここを出て打出の浜〔琵琶湖畔〕を通って都へ帰ることがあるでしょうか)

881 関山の せきとめられぬ 涙こそ あふみの湖と ながれ出づらめ
[日記・正集二二三]
(あなたとのことを嘆いて堰き止められないわたしの涙が 近江の湖の水となって流れ出ることでしょう)

882 試みに おのが心も 試みむ いざ都へと 来て誘ひみよ
[日記・正集二三〇]
(わたしの山籠りの決意がどのくらいか試してみましょう あなたも本 気なら ここへ来て都に帰ろうと誘ってみてください)


 出でて聞えさす
(山を出て申し上げた)

883 山を出でて くらき道にを たづね来し 今一度の 逢ふ事により
[日記]
(山を出て 悩みの多い俗世に帰ってきました もう一度あなたにお逢いするために)
 ※日記は、「くらき道にを たづね来し」が「暗き道にぞ たどり来(こ)し」となっている。


 風吹き、ものあはれなる夕暮に
(風が吹き、なんとなく悲しい夕暮れに)

884 秋風は 気色
(けしき)吹くだに 悲しきに かき曇る日は 言ふ方ぞなき[日記]
(秋風は ほんのわずか吹くだけでも悲しくなるのに 空が一面に曇る日は 心まで閉ざされたようで なんとも言いようがありません)


 うとうとしううち曇るものから、雨の気色ばかり降るは、せむ方なくて
 
(空はどんよりと曇っているのに、ただほんの少しだけ雨がぱらぱらと降るのは、どうしようもなくわびしく思われて)
 ※「うとうとしう」は、日記では「ことごとしう」。


885 秋のうちに 朽ち果てぬべし ことわりの 時雨に袖を たれに借らまし
[日記]
(こんなに涙を流していたら 秋のうちにわたしの袖は涙でぼろぼろになるだろう 冬になると必ず降る時雨のときは 誰の袖を借りたらいいのだろう)
 ※日記は、「秋のうちは 朽ちはてぬべし ことわりの 時雨にたれが 袖はからまし」となっている。


886 消えぬべき 露のわが身は もののみぞ あゆふくさはに 悲しかりける
[夫木抄十三]
(今にも消えそうな露のようなわが身が危うく思われ 草葉になぞらえ るじぶんが悲しくてならない)

 つゆまどろまで嘆きあかすに、雁の声を聞きて
 (うとうとすることもできないで嘆いて夜を明かすときに、雁の声を 聞いて)

887 まどろまで あはれ幾日
(いくか)に なりぬらむ ただかりが音を 聞くわざにして[日記・続集三九七]
(うとうと眠ることもしないで ああ 何日が経ったのだろう ただ雁の声を聞くだけで)
 ※日記では、「まどろまで あはれ幾夜に なりぬらむ ただ雁がねを 聞くわざにして」となっている。


 九月ばかり、ありあけに
(九月頃、有明月のときに)

888 われならぬ 人もさぞ見む 長月の ありあけの月に  しかじあはれは
[日記・続後撰集秋下・万代集秋下]
(わたし以外の人もきっとこう思って見るでしょう しみじみとした情趣は九月の有明の月に及ぶものはないと)

889 よそにても 同じ心に ありあけの 月を見るやと たれに問はまし
[日記・続千載集恋三・万代集恋四・雲葉集秋中]
(どこかほかの所でも わたしと同じ気持で有明の月を見ていますかと  いったいどなたに尋ねたらいいのかしら)

 人恋しきに
(あの人が恋しいので)

890 惜しまれぬ 涙にかけて とまらなむ 心もゆかぬ 秋はゆくとも
[日記]
(別れを惜しむあまり流す わたしの涙を考えて ここに留まってください 鬱陶しい秋は去っても あなたが去るのは耐えられない)
 ※日記では、「惜しまるる 涙にかげは とまらなむ 心も知らず 秋は行くとも(別れが惜しまれるわたしの涙に あなたの面影が残ってほしい 秋が去るようにあなたがわたしから去っていっても)」となっている。


891 君をおきて いづち行くらむ 我だにも 憂き世の中に しひてこそ経
(ふ)[日記]
(あなたを残して その方はどこへ行くのでしょう わたしでさえ あ なたとの辛い仲をやっと生きていますのに)


 人のかへりごとに
(ある人への返事に)

892 あさのまに 今は乾
(ひ)ぬらむ ゆめばかり ぬると見えつる 手枕の袖[日記]
(朝のうちにもう乾いてしまったでしょう ほんのわずか濡れたように見えたあなたの手枕の袖は)
 ※日記では「あさのまに 今は乾ぬらむ」「今朝の間に いまは消ぬらむ」となっている。


 同じ人のかへりごとに
(同じ人への返事に)

893 道芝の 露とおきゐる 人により わが手枕の 袖 も乾かず
[日記・万代集恋三]
(道の芝草の露に濡れて起きているあなたのせいで わたしの手枕の袖も涙で乾かない)
参考文献
●和泉式部集全釈[正集篇]佐伯梅友・村上治・小松登美著 笠間書院
●和泉式部集 和泉式部続集 清水文雄校註 岩波文庫
●日本古典全書 和泉式部集 小野小町集 窪田空穂校註 朝日新聞社
●全訳古語辞典 第三版【小型版】宮腰賢・桜井満・石井正己・小田勝 編 旺文社
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