『源氏物語』参考文献
『長恨歌』現代語訳
『古事記』現代語訳
『源氏物語玉の小櫛』現代語訳
『和泉式部日記』現代語訳
『和泉式部集〔正集〕』現代語訳
『和泉式部集〔続集〕』現代語訳
『赤染衛門集』現代語訳
『清少納言集』現代語訳
『藤三位集』現代語訳
『蜻蛉日記』現代語訳
『枕草子』現代語訳
『赤染衛門集』
 秋、法輪(ほうりん)に詣で、嵯峨野の花をかしかりしを見て
 
(秋、法輪寺に参詣して、嵯峨野の花が美しく咲いたのを見て)

1 秋の野の 花見る程
(ほど)の 心をば 行くとやいはんとまるとやいはん[詞花集秋・後葉集・和歌口伝]
(秋の野の花を見ている時の気持ちを 心ゆくと言うのでしょうか 心とまると言うのでしょうか 「ゆく」と「とまる」は正反対の言葉なのに)


 つとめて帰るに、空いみじう霧りわたるに、蜩
(ひぐらし)の鳴きしに
 (翌朝帰る道で、空一面に霧がひどくたちこめているところに、ひぐらしが鳴いたので)

2 いとどしく 霧ふる空に ひぐらしの 鳴くやをぐらの わたり成
(なる)らん
(ものすごく霧が降っている空で ひぐらしの鳴き声がするのは 小倉山のあたりだろうか)

 中関白殿の、蔵人の少将と聞
(きこえ)し頃、はらからのもとにおはして、「内の御物忌に籠(こも)るなり、月の入(い)らぬ先に」とて出給(いでだまい)にし後(のち)も、月ののどかにありしかば、つとめて奉(たてまつ)れりしに代(か)はりて
(中の関白殿が、蔵人の少将と申し上げた頃、妹の所へ行かれて、「今夜は宮中の御物忌に籠ります。月が沈まないうちに帰らなければ」と言って出られた後も、月がいつまでも照っていたので、翌朝手紙をさし上げた妹に代わって)

3 入
(いり)ぬとて 人のいそぎし 月影は 出(いで)ての後(のち)も 久しくぞ見し[後拾遺集雑一・袋草紙]
(月が沈むと言って あなたが急がれたその月の光を お帰りになった後もずっと見ていました)


 同じ人、頼めておはせずなりにしつとめて奉れる
 (同じ人が、来るとあてにさせて いらっしゃらなかった翌朝さし上げる)

4 やすらはで 寝
(ね)なまし物を 小夜更(ふけ)て かたぶく迄(まで)の 月を見し哉(かな)[後拾遺集恋二・馬内侍集]
(ためらわないで寝てしまえばよかったのに 約束通り夜更けまで起きていて 西の空に沈むまで月を見ていました)  


 同じ人、わりなき裳
(も)の腰を解き取り給(たま)ひて、返し給(たまう)とて
 
(同じ人が、取られては困る下裳の紐をほどいて取られて、お返しになる時)

5 幾度
(いくたび)の 人の解きけん 下紐を まれにむすびて  哀(あわれ)とぞ思ふ[新千載集恋四]
(ほかの人が何度も解いただろう下紐だが たまに契りを結んで愛しいと思う)


 返し、代
(か)はりて(返事、妹に代わって)

6 幾度か 人も解くべき 下紐の 結ぶに死ぬる 心地する身を 
(何度もほかの人が下紐を解いたりするものですか もしほかの人と契りを結んだら 死ぬほど辛い気がするわたしですから)  

 八講する寺にて、大江為基
(おおえのためもと)
 
(八講する寺で、大江為基)

7 おぼつかな 君知るらめや 足曳
(あしびき)の 山下水の むすぶ心を
(不安だわ あなたはご存じですか わたしがあなたのせいで人知れず悶々としている心を)  

 返し
(返歌)

8 けふ聞
(きく)を 衣の裏の 玉にしき たちはなるをも 香をば尋(たずね)
(今日聞いたあなたのお気持ちを 衣の裏の宝珠のように大切にして お別れしてもあなたを忘れません)
 ※香をば尋ん―「五月待つ 花橘の 香をかげば 昔の人の 袖の香ぞする (五月を待って花橘の香をかぐと 昔の恋人の袖のにおいがして懐かしい)[古今集夏・読人しらず]」を引く。  


 亦、為基
(また、為基)

9 昔をも かけて忘れぬ 物なれば 保
(たも)つに玉の 数(かず)やまさらん
(昔のことを決して忘れないなら 玉を掛けて持ち続けていると その数は増えるでしょう〔恋心も持ち続けていたらまさるでしょう〕)  

 返し
(返歌)

10 数まさる 玉とはかけじ 頂
(いただき)の 一つの玉も わろき物かは
(あなたは玉の数が増えるとおっしゃるけれど 頂きの一つの玉だって悪いとは思えません〔恋心は一つで充分です〕)  

 「今よりは」など言ひしかど、おともせで五月も過
(すぎ)ぬ、六月ついたち頃に橘に付けて
(「これからは親しく付き合いましょう」などと言ったけれど、お便りもなく五月も過ぎてしまった。六月一日頃に橘に手紙をつけて)

11 待ちくらし 五月の程も 過
(すぎ)にけり 花橘は いかがなりにし
(あなたのお便りを待ち続けて五月も過ぎてしまった 以前橘に手紙をつけて「この香りからわたしを忘れないで」とおっしゃった気持ちは どうなってしまったのでしょうか)  

 七月七日、説法をさすと聞てやりし
 
(七月七日、為基が僧に説法をさせると聞いて送った)

12 たまさかに 浮き木寄
(よ)りける 天の川 亀の棲み家を 告げずや有(ある)べき
(亀が天の川の中で たまたま浮木にめぐり会うように 会いがたいあなたに会う機会があったのに わたしに亀の住み家〔説法の機会〕を告げないことがあるでしょうか)
 ※仏に値いたてまつることを得ること難きこと、優曇波羅の華の如く、又、一眼の亀の、浮木の孔に値うが如ければなり(仏の出現に会うことはウドンバラの花のように得がたく、大海にある軛の穴に亀が首を入れるようなもの)[法華経・妙荘厳王本事品]」を引く。  


 同じ人わづらひし頃、薬王品
(やくおうほん)を手づから書きて「これ形見に見よ、苦しきを念じてなむ書きつる、後の世に必ず導け」と言ひたりしに
(同じ人が病気になった頃、「薬王品」をじぶん自身で書いて「これを形見に見てください。苦しいのを我慢して書いた。あなたがこれを読んで、わたしを来世で必ず導いてください」と言ってきたので)
 ※「薬王品」―『法華経』巻七「薬王菩薩本事品」のこと。

13 此世
(このよ)より 後の世までと 契りつる 契りは先の 世にもしてけり
(わたしとあなたはこの世はもちろん後の世までと契ったのですが その契りは前世からすでにしたものです)  

 返し、為基
(返歌、為基)

14 程
(ほど)遠き 此世をさして いにしへに 誰(たれ)ことづてして まづ契(ちぎり)けん
(前世からはほど遠い現世をさして 昔 誰が言葉にして真っ先に約束なさったのでしょう)
 ※病身の為基と夫・子持ちの赤染とのやりとり。  


 此人三河になりて下りしに、扇してやりしに、洲浜に書き付けし
 
(この人が三河守になって任国に下った時に、扇を新調して贈ったが、洲浜に書きつけて)
 洲浜―海岸の形に似せて作った台の上に、その時節の趣向を凝らした草木・花鳥などを置き、晴れの席の飾りとするもの。後世の島台・州浜台。


15 惜しむべき 三川
(みかわ)と思へど しかすがの わたりと聞(きく)は ただならぬ哉(かな)[拾遺集(抄)・別]
(お別れを惜しむべき身であろうか いやそうではないと思うものの 三河守となって任国に下り しかすがの渡し場を渡られると聞くと普通ではいられない)
 

 そことも言はでさし置かせたれば、絵師どもを呼びて見せければ、「其人の書かせし」と言ひければ、かく言ひける
 (どこそこの人とも言わないで使いの者に置かせたので、絵師たちを呼んで見せたところ、「その人〔赤染〕が書かせた」と言ったので、このように詠んできた歌)

16 惜しぬまに ただにもあらぬ 心して 別れをわぶる 人を知らなむ
(わたしとの別れを残念とも思わないあなたに平静な心ではいられなくて あなたとの別れを歎くわたしを知ってほしい)  

 とあるに、なほ知らず顔にて、その頃初めて通ふ人ありと聞きしかば、言ひし
(と書いてきたのに、わたしは知らないふりをして、その頃初めて通って行く女がいると聞いたので、言った)

17 ただならぬ 別
(わかれ)をわぶる 心をば 惜しまぬよその 人も知れとや
(つらい別れを歎くあなたと新しい女性との心を 別れを残念とも思わない無関係なわたしにもわかってほしいと言うのですか)  

 下るべき程も近うなりぬるを、「いかで対面せむ」と言ふを、さもあらねば、下るとて
 
(為基が任国に下る時も近づいてきたので、「なんとかして逢いたい」と言うが、わたしが対面もしないので、任国へ下るときに送ってきた)

18 人知れず 袖は濡れつつ 別るとも 絶えじとぞ思ふ 八橋の水
(あなたにお逢いできないで 人知れず流す涙で袖を濡らしながら別れても あなたを思う心は八橋の水が流れ止まないように絶えないでしょう)  

 返し
(返歌)

19 八橋の 蜘蛛手の水の 別れなば とひわたりつる ことや待たれん
(八橋の水が蜘蛛の巣の糸のように別れているけれど そのようにあなたとお別れしてしまったら あなたがわたしのことを尋ねるのを わたしは待つことができるでしょうか)  

 国より言ひたる
(任国から言ってきた歌)

20 都にて あひ見ざりしを つらしとは 遠き別の 後ぞ知りける
(都で逢ってくれなかったあなたの態度を辛いことだと 遠く離れた後で思い知りました)    

 返し
(返歌)

21 逢
(あい)みても 別(わかれ)の後の つらさをば ただ我のみや 思ひ知らまし
(あなたともしお逢いしても お別れした後の辛さは わたしだけが思い知ったでしょう)  

 老いたる人のわづらひし頃、同じ人とぶらいに来て物語し明かして帰りて、二日ばかりありて「昨夜もまゐらんとせしかど、乱り心地わりなくてなん」とて
 
(年老いた人が病気だった頃、同じ人がお見舞いに来て、語り明かして帰り、二日ほど経って、「昨夜も来ようと思ったが、気分がひどく悪かったので」と言って)

22 詠
(ながむ)らん 事を思ひて 寝(ね)ぬる夜の 月は心も 空にてぞ見し
(物思いにふけっているだろうあなたのことを思って寝た夜は 月も心も上の空で見ていました)  

 返し
(返歌)

23 君が見し 有明の空に あらねども ひとり詠
(ながむ)る 月は経(へ)にけり
(心も上の空でごらんになった有明の空でないけれど わたしも物思いにふけって空を眺めているうちに 月がめぐっていきました)   

 ほど経て月の明きに来たるに、方違へおはせしかば、便なうて、帰してつとめやりし
 (しばらく経って、月の明るい夜に訪ねて来たけれど、方違えの人が来ていらっしゃったので、都合が悪く帰ってもらって、翌朝送った歌)

24 帰りけん 空はいかにぞ 月影の 宿を過しも 哀
(あわれ)とぞ見し
(帰っていかれた時の気持ちはどんなだったでしょう 月の光が家に留まりもしないで 虚しく過ぎていくように あなたがお帰りになったのをお気の毒に思いました)  

 返し
(返歌)

25 有明の 月や我身と 思ふまで 見しに悲しく 成
(なり)し空哉(かな)
(有明の月がわたしの身の上であろうかと思うまで ずっと眺めているうちに 悲しくなってしまった空の様子です)  


 時雨いたう降る日、同じ人
(時雨がひどく降る日、同じ人が)

26 神無月 今は目なれて 告
(つ)げにとも 時雨(しぐ)るるだにも 空に知らなん
(神無月に時雨が降るのは見慣れているので 今さら言いませんが せめてわたしが今日の空のように涙にくれているとだけでも知ってほしい)  

 返し
(返歌)

27 よとともに 詠
(ながむ)る空の けしきにて 時雨(しぐ)るる程も 知りぬべき哉(かな)
(いつも一人で眺めている空の様子ですから あなたが流していらっしゃる涙のほどもよくわかっています)  

 文の返事をせねば、同じ人
 
(手紙の返事をしないので、同じ人が)

28 忍べども 慰
(なぐさ)む方も なきよりは 厭(いと)ふも知らぬ 身とならばなれ
(あなたの冷たいのを耐え忍んでも 慰める方法がないよりは あなたが嫌っていることも知らないような〔疎遠な〕身になるなら なったほうがいい)  

 返し
(返歌)

29 厭
(いと)ふべき うき世をだにも 厭(いと)はねば 人をばさしも 思はざりけり
(嫌だと思う辛い世の中でさえも 捨てられないのですから あなたをそのように嫌だとは思っていません)  

 「かくてのみ過
(すぎ)ぬべかめる事、乱り心地も今はにや」とおぼゆるとて
 
(「このように逢えない状態で時が過ぎるなんて。気分がすぐれず命も終わるのではないか」と思われて)

30 程をだに 人の告げなん 消えぬとも 世に経ましかば 今日ぞと思は 
(逢ってくださるその日だけでも告げてください 死んだとしても もし生きていたら 今日こそあなたとお逢いできたと思うでしょう)    

 返し
(返歌)

31 定めなき 此世の程を 告ぐる共
(とも) 後の世までも 猶(なお)(たの)めかし
(無常のこの世だから お逢いする日を約束してもあてにならないかもしれませんが 来世でもやはりあてにしていてください)  

 同じ人のもとに葵をやりたりしを、年経て、祭りの日おこせて
 
(同じ人のところへ以前葵を贈っていたのを、数年経って、賀茂祭の日に送ってきて)

32a 年ごとに 昔は遠く なりゆけど
(葵をいただいた年は 年ごとに昔のことになって遠ざかっていきますが)  

 と言ひたりしに
(と言ってきたので)

32b あふひは今日の 心地こそすれ
(葵をさし上げた日は 今日のような気がします)  

 此人
(このひと)、摂津国とられたりしを問ひたりしかば、「世にあり経んと思はぬ身に侍れば、かかる事も嘆かしうもあらぬを、母の思ひ嘆かるるを見るなんただならぬ」など、哀れなる事どもを書きて
 
(この人が、摂津守を免官されたのを見舞ったところ、「この世に生きながらえようとも思わないわたしですから、こういうことも残念にも思いませんが、母が悲しんでいらっしゃるのを見るのが辛くて」などと、しみじみと気の毒なことなどを書いて)

33 吉野山 月の影だに かはらずは ありし有明に よそへても見ん
(吉野山のような所に世を逃れていても 月の光さえ変わらないなら 以前あなたを訪ねて その帰りに見た有明の月になぞらえて見ましょう)  

 返し
(返歌)

34 ありし夜の 有明の月は くもらめや 吉野の山に 入果てぬとも
(以前に見た有明の月は曇るでしょうか たとえ吉野山に籠ってしまわれても)

  亦ほど経て、あれより
 (また時が経って、あちら〔為基〕から)

35 あり果てぬ 身だに心に かなはずは 思ひの外の 世にも経る哉
[続拾遺集雑中・続詞花集]
(いつまでも生きていることのできない身であるのに それさえ思い通りにいかないものですから 望みもしない辛い俗世に生きていくことです)  


 とあるを見るに、三河の守なりしほどのありさま、父の左大弁のおぼえのほどなど思ひ出づるに、いと哀れにて
 (と書いてきたのを見ると、三河守であった頃の様子や、父の左大弁の期待のほどなどを思い出すと、とてもお気の毒で)

36 心にも かなはぬ事は ありやせし 思ひの外の よこそつらけれ
(お心にかなわないことがあったのでしょうか 思い通りにならない憂き世が悲しいことです)  

 わづらひしに、「君よりも」と言ひたりしに、書き付けておこせたる
 (〔為基が〕病気になった時に、「あなたよりも」と言ったところ、その手紙に書いて送ってきた)

37 昔より うき世に心 とまらぬに 君より物を 思ふべきかな
(昔から憂き世に心が惹かれることはありませんが あなたよりも物思いが深くなりそうです)  

 返し
(返歌)

38 うき世には 何に心の 止まるらん 思ひ離れぬ 身ともこそなれ
(この辛い憂き世の何に心が惹かれるのでしょう あなたのせいでこの世に執着する身になりそうです)  

 わづらふ事重くなりまさりて、つねもえおとづれで言ひたる
 
(病気がますます重くなって、日頃も訪れることかできないで言ってきた)

39 程経
(へ)つつ おぼつかなきが 悲しきは 今消えぬとも 誰か告ぐべき
(長く患っていて心配で悲しく思うことは 今わたしが死んでも誰があなたに告げてくれるだろうかということです)  

 と思ふなん哀れなるとある返事に
 
(と思うのが、しみじみと悲しいと書いてきた返事に)

40 有
(あり)てだに おぼつかなきは 有物(あるもの)を 消えなんのちの 世は如何(いかに)せん
(この世に生きていてさえ心配なことはあるものなのに この世からあなたが消えてしまったらどうしたらいいのでしょうか)  

 また程へて、「あやしき乱り心地の、なほ今は限りと思ふにも、きこえぬはおぼつかなければ」など哀れなる事どもを書きて
 
(また、しばらく経って、「ひどく病気が重いので、やはりこれで最後と思うと、申し上げないのは気がかりなので」などと、悲しいことをいろいろ書いて)

41 程遠き 死出
(しで)の山路に まじりなば おぼつかなさも 増(まさ)りこそせめ
(遠い道のりの死出の山路に入ったなら 不安もきっと増すでしょう)  

 返し
(返歌)

42 かばかりも あらじと思へば 死出の山 越
(こえ)なん計(ばかり) 悲しきはなし
(あなたがいなくなったら わたしもほんの少しもこの世にいたくないと思いますので 死出の山を越えることくらい悲しいことはありません)  

 「なほ心地おこたらず、死ぬべきなめり、必ず導き給へ」とて
 
(「相変わらず病気がよくならない。死ぬでしょう。必ず彼岸へ導いてください」とあって)

43 今はとて うき世をよそに 見るまでも 花橘は 頼みておかん
(今はこれまでと 辛いこの世をよその世界と見るときまでも 昔 花橘に歌を結びつけて送ってくださった あなたの心を頼みにしておきましょう)  

 返し
(返歌)

44 頼むべき 色変らめや 橘の ただかばかりの 契りなりとも
(頼みとしていらつしゃる花橘の色は変わるでしょうか 変わりません ただ橘の香りのようにはかない この程度の浅い約束であっても)  

 心にもあらぬ事出きて、久しうおとづれで言ひける
 
(予想外のことが起きて、長い間便りもくれないで言ってきた)

45 跡たえて 忘
(わすれ)(は)つるを つらし共 思はぬほどに なりにける哉(かな)
(つきあいが絶えて あなたがわたしを忘れてしまったことを辛いとも思わないくらい 疎遠になってしまった)  

 返し
(返歌)

46 つらしとも 思はぬ人や 忘るらん 忘れぬわれは 猶つらきかな
(つきあいが絶えたのを辛いとも思わないあなたは わたしのことを忘れてしまったでしょうが 忘れられないわたしは やはりあなたを冷たい方だと思います)  

 この人の類なる人なば、よろづかくれなし、「まめやかになりにたる事の嬉しきこと」とて
 (この人は夫といとこ同士なので、すべて隠すことができない。「あなたが落ち着いだ生活に入られたのが嬉しい」と言って)

47 なほざりの 心も今は たえ果てて 我をとはねど あはれとぞ聞
(きく)
(かりそめの恋心もなくなってしまって 手紙もくれないけれど 〈ああ よかったな〉と結婚のことを聞いています)  

 返し
(返歌)

48 我ははや 忘
(わすれ)(は)てにき なおざりの 心はたえぬ 人こそありけれ
(わたしはもう忘れてしまいました かりそめの恋心はあなたのほうにあったのでしょう わたしはいい加減な気持ちではなかったのです)  

 親のなくなりたる頃、雨の降りたりし日とふとて
 (〔為基の〕親が亡くなった頃、雨が降っていた日にお悔やみをすると言って)

49 人の世は なしと聞
(きく)こそ 悲しけれ ふるもあはれに 見ゆる雨かな
(お父上が亡くなったと聞くのは悲しいです 降る雨を見ても 寂しく過ごしていらっしゃるあなたがかわいそうでならない)  

 返し
(返歌)

50 あま雲と つゐになるべき 世間
(よのなか)は 降(ふる)と見ゆるも 今日ぞ悲しき
(空の雲と最後にはなる人の世とは思ってはいても 雨の降る今日はしみじみと悲しい)

51 春日野に 今日の若菜を 摘むとても 猶(なお)御吉野(みよしの)の 山ぞ悲しき
(春日野で今日の若菜を摘むにしても やはりあなたがいらっしゃる吉野の山を思うと 悲しくてならない)  

 返し(返歌)

52 小夜更(ふけ)て ひとり帰(かえり)し 袖よりも 今日の若菜は 露けかりけり
(夜が更けて あなたのところから一人帰ったときに涙で濡らした袖よりも 今日の若菜を見ると いっそう涙に濡れています)  

 物へ行きし道に、雨の降りしかば、蓑を借りて返すとて
 (ある所に行った途中、雨が降ったので箕を借りて、それを返すときに)

53 三笠山 ふもとの露の つゆけさに かり心みし 野辺の蓑草
(三笠山のふもとの露があまりに湿っぽかったので 試みに刈ってみました 野辺の箕草を〔箕を借りて あなたのご親切を知りました〕)  

 「文やるを『仮名の返事は今これより』とのみ言ふを、いかがは経べき」と、のたまへりし人に代はりて
 (「手紙を送ったところ『仮名の返事はこれから書きます』とだけ言ってきて、どうして待つことができるでしょう、ませません」とおっしゃった人に代わって)

54 偽(いつわり)に 昨日(きのう)(たの)めし 今日の日を 暮れなば明日を またや待べき
(嘘をついて 昨日あてにさせた今日なのに 今日が暮れたら また明日を待たなければならないのでしょうか)  

 初瀬に詣でて、道にふかをさ川といふ川浅かりしかば
 (初瀬に参詣したとき、途中「ふかおさ川」という川が浅かったので)

55 ささら浪 空のかげさへ かくれぬに ふかをさ川と なにながれけん
さざ波が立って 空の影さえ隠れない この清冽な浅い川なのに どうして「ふかおさ川〔深さでは一番の川〕」などと名がついて 知られてきたのだろう)  

 おなじみちに、はづかしげなるをとこの、いきあひたりしかば、わりなき心地して
 (同じ初瀬に参詣する道中に、こちらが気恥ずかしく思っている男と出会ったので、どうにもやりきれない気がして)

56 うき影を 行(ゆき)かふ人に 初瀬(はつせ)河 くやしき道に たちにける哉
(辛いわたしの姿を行き来する人に見られて恥ずかしい 後悔してしまう初瀬詣でに出かけたことだ)  

 思ひかけたる人、数珠をおこせて
 (わたしに想いを寄せている人が、数珠を送ってきて)

57 恋わびて 忍びにいづる 涙こそ 手に貫ける 玉と見えけん[匡衡集]
(恋に悩んで 人知れず落ちる涙が 手に通した数珠のように見えたことです〔わたしの想いを知っていただきたくて 数珠を送ります〕)  


 返し(返歌)

58 ちづらなる 涙の玉も 聞(きこ)ゆるを 手に貫(つらぬ)ける 数はいくらぞ
(千個つながった涙の玉も 世間では珍しくないのに あなたの数珠の玉の数はいくつですか)  

 「さがなき人思(おもい)かけけり」と聞くに、やがて言へり ]
 (「よくない男が恋してるとか」と聞いて、すぐに言ってきた」)

59 あら浪の うち寄らぬまに 住の江の 岸の松影(まつかげ) いかにしてみん[匡衡集]
(荒波が打ち寄せないうちに 住の江の岸の松の姿を なんとかして見たいものです)  

 返し(返歌)

60 住の江の 岸のむら松 陰遠(とお)み 浪寄するかを 人は見きやは[匡衡集]
(住の江に群生している松は その姿を遠方から見るので 波が寄せるかどうかを あなたは見たのですか 見てはいないでしょう)  


 同じ人(同じ人が)

61 岩代の 松にかかれる 露の命 絶えもこそすれ 結びとどめよ[匡衡集]
(岩代の松にかかっている露のようにはかないわたしの命が 消えてしまいそうです つなぎとめてください)  

 返し(返歌)

62 結びても 絶えんを松の はばかりに かけばにで見る 露の命ぞ
(露なら結んでも消えるものを まして松の葉くらいにかけるというのでは なおさらはかない露の命ですね つなぎとめられません)  

 苺(いちご)を檜破籠(ひわりご)に入)いれて、同人(おなじひと)
 (苺を檜破籠に入れて、同じ人が)

63 紅の 袖匂ふまで 貫(ぬ)ける玉 なにのもるとも 数へかねつつ[匡衡集]
(紅色が袖に映えるほど 外に通して見える玉はなんなのでしょう 檜破籠の中に入っているから なにが盛ってあるとも 一つ一つ数えることもできません)  

 返し(返歌)

64 もりつらん 物はことににて 紅の 袖にはなにの 玉か数へん
(盛ってあるものはそれはそれとして 法華経の宝珠の白玉ならともかく 紅色の袖でなんの数を数えたらいいのでしょう〔紅涙で染まったのではなく もともと紅色をした袖でしょう)  

 ある公達(きんだち)、庭を刈りて見すとて
 (ある公達が、庭を刈って見せると言って)

65 今すこし 木繁(こしげ)き森の あたりには 人頼(だの)めにて 雨漏らしけり
(もう少し木の繁った森のあたりでは 雨宿りができるように 人をあてにさせるけれど 刈りすぎて雨が漏ってしまった)  

 返し(返歌)

66 来(こ)ずは来(こ)ず 木繁き杜(もり)の 下なれば 雨宿りする 人も有(ある)らん
(〔繁っていても〕来ない人は来ないのです 木々が繁っている森の下ですから 雨宿りをする人もいるでしょう)  

 大原の少将入道、童(わらわ)におはせし頃、秋、白き扇をおこせ給ふて
 (大原の少将入道が、まだ子どもでいらっしゃった頃、秋、白い扇をお寄こしになって)

67 白露の 置きてし秋の 色変へて 朽ち葉にいかで 深く染めまし
(露が置いて白くなった色に飽きたので 朽葉色に深く染めてほしい)  

 黄朽(きく)ち葉(ば)にして奉(たてまつ)るとて
 (黄朽葉色に染めてさし上げるときに)

68 秋の色の 朽ち葉も知らず 白露の 置くにまかせて 心みやせん
(秋の色が朽葉色であることも知りません 白露の置くままに試しにしてみたらいかがですか〔露で紅葉のように色が変わるかもしれません〕)  

 思ひかけたる人の鮒(ふな)をおこせて
 (わたしに恋した人〔大江匡衡〕が、鮒をよこして)

69 様(さま)かえて 世を心みん 飛鳥川 恋路にえつる ふな人ぞこれ[匡衡集]
(鮒に姿を変えて あなたとの仲を試してみましょう 飛鳥川の泥沼のように深入りした恋の道で得た水先案内人が この鮒なのです)  

 返し(返歌)

70 飛鳥川(あすかがわ) 淵こそ瀬には なると聞け 恋さへ鮒に なりにける哉
(飛鳥川の深い淵が浅い瀬になるとは聞いていますが 鯉までが鮒になってしまうなんて)  

 久しうおともせで、師走晦に、大江為基
 (長い間便りもなく、十二月末日に、大江為基が)

71 頼(たのみ)つつ とふを待(まつ)まに 春来(き)なば 我が忘(わす)るるに 成(なり)もこそすれ
(あなたがお便りをくださると信頼して待っている間に 春が来たなら わたしのほうが忘れたことになってしまうところでした)  

 返し(返歌)

72 春来(き)なば 忘るる数や まさるまし 年(とし)こそせめて 嬉しかりけれ
(春が来たら あなたがお忘れになる人の数も増えるのではないでしょうか 年内にお便りをくださったのが とても嬉しいです)  

 はやう住みし所に頭(かしら)洗ひに行きて
 (昔住んでいた所に頭を洗いに行って)

73 ふる里の 板井(いたい)の中は すみながら 我みづからぞ あくがれにける
(故郷の板で囲んだ井戸の中は澄んでいながら わたし自身が外へ彷徨いでてしまった)

 方違へに来たる人の、宿直物を出だしたれば、つとめて言ひたる
 (方違えに来た人が、宿直物〔夜寝るための寝具〕をさし出したところ、翌朝言ってきた)

74 夜宿(よやど)りの 朝(あした)の原の 女郎花 移り香(が)にてや 人はとがめん[匡衡集]
(一夜の宿を借りて 翌朝この宿直物を返しますが あなたの移り香がして人が咎めるのではないでしょうか)  


 返し(返歌)

75 宿かせば 床(とこ)さへあやな 女郎花 いかで移れる 香とか答へん
(宿をお貸ししただけなのに 床さえも困った移り香がして 人から聞かれたらどうして移った香と答えましょう)  

 雨の降る夜、局に人のありしつとめて、大原少将入道の撫子にさして
 (雨の降る夜、局に人がいた翌朝、大原少将入道が撫子に手紙をつけて)

76 撫子の 紅(くれない)深き 花の色に 今宵の雨に こさやまされる
(撫子の花の濃い紅の色に 昨夜の雨でその色の深みが増したのではないでしょうか)  

 御返し(返歌)

77 雨水に 色はかへれど 紅の こさもまさらず 撫子の花
(雨水に濡れて色が褪せたけれど 撫子の花の紅が濃くなったわけではありません)  

 風をいたう吹く夜ほかにありて、つとめて瞿麦(とこなつ)にさして
 (風がひどく吹く夜〔匡衡が〕よそに行っていて、翌朝常夏に手紙をつけて)

78 霜や置く 風にや靡く とこなつの 夜の上こそ とはまほしけれ[匡衡集]
(霜は置いていないだろうか 風になびいていないだろうか あなたの昨夜の様子を尋ねたい)
 ※とこなつ―撫子の異名に、寝床の「床」をかける。
 ※夜の上―昨夜の赤染の様子。  


 返し(返歌)

79 風に折れ 霜に枯(か)るとぞ とこなつの 我よの事は 誰か知るべき
(風で折れたり 霜で枯れたりしても わたしのことなど誰が知るでしょう〔寝所でのわたしのことなど誰も知るわけがありません〕)  

 秋わづらひしをとひに来たるを疑ひて、同人
 (秋、病気になったのを見舞いに来た人を疑って、同じ人〔匡衡〕が)

80 かりにくる 人にとこよを 見せければ よを秋風に 思ひなるかな[匡衡集]
(たまに来る人に床を見せたので あなたとの関係に秋風が吹いたように思います)  


 返し(返歌)

81 秋風は 雁より先に 吹(ふき)にしを いとど雲居(くもい)に ならばならなん
(雁が飛んで来るより先に秋風が吹いていたので〔あなたがわたしに飽きたのは見舞いに来た人が来る以前からですから〕いっそう離れていかれるなら 離れていかれてもかまいません)  

 津の国に行きて言ひたる
 (摂津の国へ行って、〔匡衡が〕言ってきた)

82 恋しきに なにはの事も 思ほえず 誰(たれ)住吉の 松といひけん[後拾遺集恋三・匡衡集]
(あなたが恋しくてなにもほかのことが考えられません 誰が難波は住むのによい所と言ったのでしょう)  


 返し(返歌)

83 名を聞(きく)に 長居しぬべし 住吉の 松とはとまる 人やいひけん
(住吉〔住みよい〕という名を聞くと あなたが長く滞在しそうですね 住吉の松〔住みよい所で待つ〕とはわたしでなく そこに滞在している人がおっしゃったのではないですか)  

 「おほやけ所にては、えまゐらじ」なる言ひて
 (「宮仕えの所には、とても行けません」などと言って)

84 住の江に 羽うち交(かわ)す 芦鴨(あしがも)の ひとりにならん ほどの秋風[匡衡集]
(住の江で羽を交わして〔仲間と仲良く〕生活している葦辺の鴨が 里に下がって一人になるまで会うことができません)  


 返し(返歌)

85 羽交す 程(ほど)もまれなる 芦鴨の うき寝ながらん 思ひ出でやせん
(羽を交わすのも稀な葦鴨の「浮き寝」のような辛い仲ではあったけれど 思い出したりするでしょうか)
 ※「浮き寝せし 水の上のみ 恋しくて 鴨の上毛に さへぞおとらぬ(中宮さまとの夜が恋しくて ひとり実家にいる寂しさは 鴨の上毛の露の冷たさに劣らないのです)[紫式部日記]」  


 思ひ疑ふにやがてやる
 (ほかの人との仲を疑って、すぐに言ってきた)

86 かたかりし 岩にねざせる 松の上に はかなき露な 結び置かせそ[匡衡集]
(固かった岩にやっと根を下ろした松の上に〔やっと関係を持ったあなたとの間なのに〕つまらない露など結び置かせないでください〔ほかの男と関係しないでください〕)  

 返し(返歌)

87 種蒔きて おくぞさびしき 岩の上に ねざしてのみや 待たんとすらん
(種を蒔いてそのままにしておくなんて寂しいですね 岩の上に根を下ろしただけのあなたを いつまでも待とうとするのでしょうか)  

 亦言ひたる(また言ってきた)

88 虫の血を つぶして身には 付けずとも 思ひそめつる 色な違(たが)へそ[匡衡集]
(虫の血を体につけなくても わたしのことを思い初めて染めた 燃えるような赤い色を違えないでください)
 ※虫の血―イモリの血を女の手につけて、貞操を守らせた中国の俗信。
 

 返し(返歌)

89 虫ならぬ 心をだにも つぶさでは 何に付けてか 思ひそむべき[匡衡集]
(虫ではなくても 心だけでも砕かなければ 何によって思い 染めることができるでしょうか)  

 「ゆめゆめ千引(ちびき)の石にてを」と言ひたりしに
 (「千引の石のように決して動いたりしないでください」と言ってきたので)

90 待つとせし 程(ほど)に石とは 成(なり)にしを 又は千引(ちびき)に 見せわかてとや[匡衡集]
(あなたを待っているうちに石になってしまったのに さらに「千引の石だと見せてわからせてくれ」と言うのですか)
 ※千引の石―千人で引かないと動かせない重い岩。「最後には妻のイザナミの命自身が追いかけて来られた。イザナキの命は、千人の力がなければ動かすことのできない巨大な岩を黄泉ひら坂に引っ張ってきて塞ぎ、その岩を間にはさんで二神が向かい合われた時に、イザナミの命は、「愛しいわたしの夫、あなたがこんなことをなさるなら、わたしはあなたの国の人々を、一日に千人絞め殺すでしょう」 とおっしゃった。するとイザナキの命は、「愛しいわたしの妻、あなたがそんなことをするなら、わたしは一日に千五百の産屋(うぶや)を建てよう」とおっしゃった。[古事記]


 返し(返歌)

91 松山の 石は動かぬ けしきにて 思ひかけつる 浪に越さるれ[匡衡集]
(松山の石は動かない様子でいて 思いをかけていた浪〔ほかの男〕に越されたけれど)  


 つねにあふ事もかたければ
 (いつも逢うことも難しいので)

92 我(わが)恋は さかさまにこそ なりにけれ 昔を今になして思へば[匡衡集]
(わたしの恋は逆になってしまった 昔逢っていたときのことを 今と比べて思うと)  

 返し(返歌)

93 つらき今を 恋し昔に 返しては 思ひ出だにも なくやなりなん
(辛い今を恋しい思い出のある昔に逆にさせたら 思い出さえもなくなってしまうのではないでしょうか)  

 恨べき事やありけん、「今日を限りにてまたはまゐらじ」とて住(い)ぬるが、昼つ方おとづれたるにやりし
 (恨むべきことがあったのでしょうか、「今日を最後にして、二度と来ない」と言って出て行ったが、昼頃訪ねてきたので送った)

94 明日ならば 忘らるる身に 成(なり)ぬべし 今日を過ごさぬ 命とも哉[後拾遺集恋二・匡衡集]
(明日になったら忘れられる身になってしまうでしょう 今日が過ぎない間の命であってほしい)  

 返し(返歌)

95 おくれゐて 何か明日まで 世にも経ん 今日を我が日に まづやなさまし[匡衡集]
(あなたに死におくれて どうして明日までこの世に生きていられよう今日をわたしの最後の日にまずしてみよう)  


 さて日頃おともせぬを、これよりはなにしにかはおどろかさむ、ほど経て相撲草(すまいぐさ)にさして
 (普段便りも寄こさないのに、こちらからどうして手紙が出せるだろう。何日か経って、すまい草に手紙を挿して)

96 相撲草 倒るるかたは 成(なり)ぬるか 心強(こわ)しと かつは見えつつ[匡衡集]
(すまい草は倒れることになってしまったのか〔ほかの男になびいてしまったのか〕わたしには強情にしていながら)
 ※相撲草―植物オグルマの別名、ヒルガオの異名とも。  


 返し(返歌)

97 何にかは 心もとらむ 相撲草 思ひ移るに かたこそあらめ[匡衡集]
(どうしてわたしが相撲をとるように 人の機嫌をとったりするでしょう 思いが移るのはなにか理由があるからでしょう)  


 ことに思はぬ女のもとに、物忌みにさしこめられて言ひたる
 (特別に愛してもいない女の所に行って、物忌で帰ることもではないで送ってきた)

98 身はここに 心はそらに 飛ぶ鳥の こにこもりたる 心地こそすれ[匡衡集]
(体はここにいても心が落ち着かず 空を自由に飛ぶ鳥が籠に閉じ込められている気がします)  


 返し(返歌)

99 空にのみ ならへる鳥の 心にも なほもこのめに さはるとぞ見る[匡衡集]
(空を自由に飛びなれている鳥の心にも やはり籠の網目はままならないのですね〔女は手に負えないのですね〕)  


 今は絶えにたりといふ所にありと聞(きき)てやる、三輪(みわ)の山のわたりにや
(今は関係がなくなったいう女の所にいると聞いて送った。女の家は三輪山の近くだろうか)

100 我宿は 松にしるしも なかりけり 杉むらならば たづねきなまし[金葉集恋下・匡衡集・麗花集・後十五番歌合・奥儀抄・今昔物語集]
(わたしの家の松には印もなかったので 待っていてもその効果はなかったのですね これがあの三輪山の杉の木立なら 訪ねて来てくださったでしょうに)


 返し(返歌)

101 人をまつ 山路分
(わ)かれず 見えしかば 思まどふに 踏みすぎにけり[匡衡集]
(あなたが待っているとはわからなかったので 思い迷って山路を彷徨っているうちに 道がわからなくなり行き過ぎてしまいました)  


 人の車にて殿にまゐりしを見て、同人
 (ほかの男の車を借りて殿に出仕したのを見て、同じ人が)

102 門
(かど)の外(と)の 車にのりて 出しかば 思ひに胸の うちぞこがるる[匡衡集]
(門の外の車に乗ってあなたが出かけて行ったので 物思いの火で胸の中は焼け焦げています)  


 返し
(返歌)

103 門の外の 車にはなほ のりぬべし 思ひうちに 入らぬ身なれば
(門の外の車にはやはり乗るでしょう あなたの想いの中にいれていただけないわたしですから)  

 兵衛佐
(ひょうえのすけ)なる人を、思ひ疑ひて言ひたる
 
(兵衛の佐である人を、〔匡衡が〕疑って送ってきた)

104 柏木は けしきの森に なりにけり なおきを今は やらまし[匡衡集]
(兵衛の佐が恋しているそぶりを露わに見せているそうですね わたしの嘆きをどう晴らしたらいいのだろう)
 ※柏木―兵衛府の官人の異称。  


 返し
(返歌)

105 柏木や ならはのいかに なるとてか 杜のけしきの 気色たつらん
[匡衡集]
(柏木の葉がどのように色づいたからといって 森の様子が色めきたつのでしょう〔兵衛佐である人がなにをしたといって あなたは騒いでいるのですか〕)
 ※「ならは」は「かしは」の異名。  

 竹なる霜のとけて下草の露と見えしに
 (竹の葉に置いた霜がとけて、下草の露と見えたので)

106 竹の葉に 結べる霜の とけぬれば もとの露とも 成にける哉
[続古今集冬・続詞花集・匡衡集]
(竹の葉に凍りついていた霜が解けてしまったので 元々の根元の露となってしまった)  


 返し、同じ人
(返歌、同じ人)

107 笹結び とけて露とは なりぬれど もとに落つれば 霜とこそ見れ
[匡衡集]
(竹の葉に結んだ霜が解けて露となったけれど 根元に落ちるとやはり霜〔下〕と見えます)  


 同じ頃、物行くほどに、方違へに人の来たりしかば、宿直物を出だして他に渡りてつとめてやりし
 
(同じ頃、ある所へ行こうとしていると、方違えに人が来たので、夜具を出して与えておいてよそへ行った翌朝送った)

108 ひとり寝の 鴛鴦の上毛の 霜よりも おきては我ぞ 思ひやりつる
(独り寝をしている鴛鴦の上毛に置いた霜よりも わたしは起きたままあなたのことを思っていました)  

 返し
(返歌)

109 小莚
(さむしろ)に 染めし羽衣(はごろも)敷きつ共 上毛(うわげ)の霜は 誰か払はん
(寝具に染めた羽衣を敷いたとしても 独り寝では上毛の霜を誰が払ってくれるでしょう〔あなたが隣にいないのでとても寒く 眠れませんでした)  

 恨むべきことやありけん、装束せさせし人の久しくおともせぬに、し具して帯に結び付けてやりし
 
(恨むことがあったのだろうか、装束を縫わせた人〔匡衡〕が長く便りも寄こさないので、きちんと仕上げて帯に結んで遣わした)

110 結
(むすぶ)とも 解くともなくて 中絶(た)ゆる 縹(はなだ)の帯の 恋はいかがする[匡衡集]
(二人の関係を結ぶとも解くとも言わないで 中途半端なままの 縹の帯のように移ろいやすい恋をどうしたらいいのでしょうか)  

 返し、扇など具したればにや
 
(返歌、扇などを添えておいたからだろうか)

111 結べとか 解
(とく)とか帯(おび)の ゆふかたを まつにあふぎの 風ぞ涼しき[匡衡集]
(「結ぶ」とか「解く」とか帯の結び方を話そうと 夕方を待っている間扇の風がとても涼しいです〔涼しくなる夕方を待って逢いに行きますが 暑い時に扇を送ってくださって嬉しい〕)  


 亦返し
(また、返歌)

112 とくとまた 扇の風の いそがぬに そらを我なに 結び目やなぞ
(速く速くとわたしは逢うことを急ぎはしないけれど この虚しい気持ちを何に結びつけたらいいのでしょう)  

 世のつねなに事をいひて「法師にやなりなましと思へども、思捨てぬこと」と言ひて
 
(この世が無常であることを言って、〈法師になってしまおう〉と思うけれども、世を捨てないでいます)と言って)

113 世間を みなむなしとは 知りながら うき身の君に さはるべき哉
[匡衡集]
(この世をすべて虚しいと知りながら 辛いことの多いわたしが あなたがいるために出家できないでいます)  

 返し
(返歌)

114 我もなし 人もむなしと 思ひなば なにか此世の さはりなるべき
[続後撰集・釈教・続詞花集]
(じぶんも ほかの人もあてにできないと思ったなら なにがこの世の妨げになるのでしょうか)  

 恐ろしき目みて他にある頃、そら事を人の告げられば
 (恐ろしいことを体験してよそにいる頃、事実と違うことを人が告げたので)

115 玉ぼこの 道のそらにて 消
(きえ)にせば うき事ありと 誰か告げまし[匡衡集]
(よそで もしわたしが死んだりしたら 辛いことがあったと誰が告げてくれるだろう)  


 返し
(返歌)

116 告げつらん 人のまことに あらずとも うき身のとがに 成
(なり)こそはせめ
(告げた人の言うことが事実でないにしても 必ず辛いことの多い自分自身の罪となるでしょう)  

 笋
(たかうな)を幼き人におこせて
 (筍を幼い子に寄こして)

117 親のため 昔の人は 抜きけるを たけのこにより 見るもめずらし
[匡衡集]
(親のために昔の人は抜いたという筍ですが 子のために抜いたのを見るのは珍しいことです)
 ※たかうな―筍の古称。


 返し
(返歌)

118 霜を分けて 抜くこそ親の ためならめ こは盛
(さか)りなる ためとこそ聞け[匡衡集]
(霜の中から筍を抜くのは親のためでしょうが これはこの子が盛んに伸びてゆくために抜くと聞いています)  


 京極殿の池に、篝火ともして、人々小舟に乗りて遊ぶ、蔵人為資が楫取りしたるにやる
 
(京極殿の池で、篝火を灯して、女房たちが小舟に乗って遊んでいる。蔵人為資が楫取りをしていたので送った)
 ※京極殿―藤原道長の邸宅。赤染めはここに伺候している。

119 浪さはぐ 風にまかせて 行く舟の ほかげに見ゆる 楫取りや誰
(波が立ち 風のままに進んでいく舟の 篝火の火に照らしだされて見える舵取りはどなたでしょうか)  

 返し
(返歌)

120 思へども いはねの浦を こぐ程は 磯のなのりそ せられざりける
(思っていても口に出さないという名がある岩根の浦を漕ぐときは 磯の名を言わないように わたしの名を申し上げるわけにはいきません)  

 同殿の池水に、業遠が筏の形作りて浮かしたりしを見て
 
(同じ京極殿の池で、業遠が筏の模型を作って浮かばせていたのを見て)
 ※業遠―高階業遠。赤染衛門の娘と結婚。九六五~一〇一〇、平安時代中期の官吏。康保二年生まれ。越中守、丹波守などを歴任、藤原道長につかえ、「無双」の臣といわれた。寛弘二年、羅城門、豊楽院造営の宣旨をうけた。寛弘七年四月十日死去。四十六歳。


121 君が御代 ながれてすめる 水の面に 千年をさして みゆる筏士
(いかだし)
(わが殿のご時世が長く続くように 流れ澄んでいるこの池の水面に棹をさし 千年先を目指しているように見える筏師)
 ※筏師―いかだを操って、川を下るのを生業とする人。いかだ乗り。ここでは、業遠を筏師に見立てている。  


 正月に業遠が卯杖して台盤所に入たりしに
 
(正月に業遠が卯杖を献上して、台盤所に差し入れてあったので)

122 いかなりし 杖のさがりの 日陰とも 誰
(た)が言霊(ことだま)と 見えも分かれず
(どのような杖に下がった日蔭の蔓なのか 誰が奏した「卯杖ほがい」なのか見分けることができませんでした)
 ※卯杖祝(うづえほがい)―正月上卯の日,朝廷に卯杖を奉る際に奏上する寿詞(よごと)。うづえのことぶき。  


 返し、業遠
(返歌、業遠)

123 分
(わ)きてこそ 思かけさす 山の端に 我言霊の 杖も切りしか
(特別に想いをかけ 日が射す山の端で わたしがお祝いの言葉と共にさし上げたこの日蔭の蔓も杖も切ったのですが〔わたしに心を尽くさせるあなたのために 特別に卯杖を伐ってさし上げたのですが〕)  

 殿の上の春日に詣らせ給ひし道にて、伊与守兼資が女の花を折りて
(殿〔藤原道長〕の北の方〔倫子〕が、春日神社にお参りの途中、伊与守兼資の娘が花を折って)

124 手もたゆく 折
(おり)てこきつる 梅花(うめのはな) 物見(ものみ)知れらば ともに見むとて
(手も疲れるほど折ってきました梅の花です これを美しいと思ってくださるなら ご一緒に見ようと思いまして)  

 返し
(返歌)

125 山がくれ 匂へる花の 色よりも 折りける人の 心をぞ見る
(山に隠れてよい香りを放っている美しい梅の花の色あいよりも 折ってきた人の気持をくみます)  

 殿に侍従といひし人に業遠が物言ひて後、遠き程に下りておとづれざりしかば、いと遠うて業遠に言ひし
 
(殿〔藤原道長〕に仕えて侍従と言っていた人に、業遠が契りを結んだ後、遠い所に下って、都に帰ってから訪れなかったので、ひどく疎遠になって、業遠に送った)
 ※侍従といひし人―江侍従・大江匡衡の娘。母赤染衛門。


126 来て鳴かば あはれならまし 鶯の 花によそなる 春もありけり
(娘の所に来てくれたなら喜ぶでしょうに うぐいすが花に寄りつかない春もあるのですね)  

 六条の源中将と経房
(つねふさ)の中将と花見んと契(ちぎり)て、にはかに源中将は御獄精進(みたけしょうじん)して、「『いかにぞ花見には歩き給ふや』と言ひたるを、いかが言ふべき」とありしに代はりて
 
(六条の源中将と経房の中将とが、花見に行こうと約束して、急に源中将は御獄精進をして、「『どうです 花見に歩いていらっしゃいますか』と経房の中将に言ってきたので、どう返事をしたらいいのだろう」と言われたのに代わって)

127 我はまだ 思ひも立たず 花桜 君やみたけの  山も越ゆらん
(わたしはまだ花見を思い立っていません あなたは御嶽の山も越えて 吉野の花を見ていらっしゃるのでしょうか)  

 御前の花盛りなる頃、御物忌にて他に渡らせ給へる頃、折りてまゐらせし
 (お部屋の前に輪の桜が満開の頃、お仕えしている北の方が物忌でよそにお移りになっていらっしゃるときに、花の枝を折ってさし上げた歌)

128 折こそ あれ匂ふ盛りに あくがれて 帰りて花の 散
(ちる)を恨むる[万代集]
(桜が満開のちょうどその時に よそへお出かけになって お帰りになったら花が散るのをお恨みになりますね)  


 一条殿桜御覧じに渡らせ給しに、悩む事ありて御供にまゐらざりしかば、帰らせ給て、散りたる花を包みて賜はせたりしに
 
(一条殿の桜をごらんに、北の方がお出かけになったときに、体の具合が悪くてお供をして行かなかったので、お帰りになって、散っていた花びらを包んでくださったときに)

129 誘はれぬ 身にだに嘆く 桜花 散るを見つらん 人はいかにぞ
(お供しなかったわたしでさえ散った花びらを見て嘆きますのに 桜の散るところをごらんになったあなた様はどんなお気持ちだったでしょう)  

 「帥殿に親しき人のゆかりしは、えまゐるまじ」となんあると聞きしかば、里にあるはる、上の御前の仰せ事にて「花の盛りなるを見せまほしくなんある」と仰せられたりしに、まゐらせたる
 
(「帥殿〔藤原伊周〕に親しい人の縁者だった者は、到底出仕できないだろう」という噂を聞いたので、じぶんの家に籠もっていた春、北の方のお言葉で「満開の桜を見たいものです」とおっしゃったので、さし上げた歌)

130 もろともに 見るよもありし 花桜 人伝てに聞
(きく) 春ぞ悲しき[続後撰集雑上]
(ご一緒に拝見することもあった花桜ですのに 人づてに花の便りを聞く春は悲しいことです)  

 さてまゐりたれば、庭に積りたるをかき集めて、「雪まゐらせむ」とて入れたりしに
 (そうしてお邸に参りますと、庭に積もった花びらをかき集めて、「雪をあげよう」とおっしゃって、さし出されたので)

131 雪をこそ 花とは見しか うちかへし 花も雪かと 見ゆる春哉
(かな)
(雪を昔は花と見たものなのに 反対に桜の花びらも雪のように見える春です)


 春、月明き夜、公達あまたまゐりて遊ぶに、内より「御物忌に籠り給へ」とて来たれば、「難き物を」とて、道方の弁
 
(春、月の明るい夜に、公達が大勢〔道長邸に〕参上して、管弦の遊びをしているところへ、内裏から「御物忌にお籠りください」と言ってきたので、「面倒だな」と言って、道方の弁が)

132a 出づる空 なき春の夜の月
(霞が立ち込めて光る姿を出す所もない春の夜の月〔内裏の物忌なんて 出かける気がしないなの意〕)  

 とありしに
(と言ったので)

132 b ふるさとに待つらん人を思ひつつ
(家で待っている恋人を気にかけながら)
 ※道方の句に赤染が上句をつけた。  


 桜多かる山寺に、見んと思ひて詣でたるに、みな散りにけり、その夜の月の明かりしに
 (桜が多い山寺に、花見をしようと思ってお参りしたところ、みな散ってしまっていた。その夜の月が明るかったので)

133 花の色は 散るをだにこそ 散
(ちり)にけり なぐさめに見ん 春の夜の月
(美しい桜の花は 散るところさえ見ないで散ってしまった 慰めに見よう 春の夜の月を)  

 五月朔日頃、夕暮れに時鳥の鳴くを、殿の御前、「をかしきほどかな、歌詠め」と仰せられしに
 (五月一日頃、夕暮れにほととぎすが鳴くのをお聞きになって、殿〔道長〕が、「風情のある時だな、歌を詠め」とおっしゃったので)

134 めづらしく 今日聞く声を 郭公 遠山里は 耳なれぬらん
(珍しいことに今日ほととぎすの初音を聞きましたが 都から遠い山里では もう聞き慣れていることでしょう)

 五月五日、右大将殿より、菖蒲合せしたる扇に薬玉を置きて、「これが勝ち負け定めさせ給へ」とありしに、殿は左大臣におはしましかば
 
(五月五日、右大将殿から、菖蒲の根合せをしたときの扇に薬玉を置いて、「これの勝ち負けを、決めてください」と書いてあったので、殿〔道長〕は左大臣でいらっしゃったから)

135 左
(ひだり)にや 袂に玉も 結(むす)ぶらん 右は菖蒲(あやめ)の 根こそ浅けれ
(左の袂に〔勝ったしるしの〕薬玉を結ぼう 右の菖蒲の根は短いようだ)  

 殿の御前、物語作らせ給ひて、五月五日、菖蒲草を手まさぐりにして、け近う見るをむなつしをとて
 (殿〔道長〕が、物語をお作らせになって、五月五日、菖蒲草をもてあそびながら、「身近に感じる女なのになあ」とおっしゃって)

136 我宿の つまとはみれど 菖蒲草 ねも見ぬ程に 今日は来
(き)きけり
(あやめを挿すわたしの家の軒の端(つま)と同じように わたしの妻だと思っているのに 一緒に寝ないで 〔あやめ葺く〕今日が来てしまったなあ)  

 「これが返しせよ」と仰せられしかば
 
(「この返歌をしなさい」とおっしゃったので)

137 菖蒲葺く 宿のつまとも 知らざり つねをば袂の 玉をこそ見れ
(あやめを葺くこの家の端とは知りませんでした 〔一緒に寝るなんてとんでもない〕あやめの根は薬玉につけて 袖にかけるものと思っていましたが)
 ※菖蒲葺く―あやめを軒の端に挿す。  け近うなりて暁に、男 (親しい間柄になって、夜明け前に男が)


138 こぐからに しばしとつつむ 物ながら 鴫
(しぎ)のはがきの つらき今朝哉
(こんなふうになつたので しばらくはと 人目を憚るけれど これからあなたに逢えない夜を数えるのかと思うと 別れの辛い今朝だなあ)
 ※家集では男からの歌であるが、[新古今集恋三]では赤染衛門の歌となっている。


 「心から しばしとつつむ ものからに 鴫のはねがき つらき今朝かな
 (じぶんの心から もうしばらくと思って 人目を気にして逢わないでいるものの 逢わない夜の数が数えられて 辛い今朝だなあ)  

 返し
(返歌)

139 百羽(ももは)がき かくなる鴫の 手もたゆく いかなる数を かかむとすらん
(百回も羽ばたくという暁の鴫のように 手もだるくなるほどいったいどんな数を数えようとなさるのですか〔幾夜逢わない夜を過ごそうとなさるのですか〕)  

 かかる事きこえて、すげなうもてなされて、もの嘆かしげにて、女
 
(こうしうことを申し上げて、冷たくあしらわれ、なんとなく嘆かわしく、女が)

140 いかに寝て 見えしなるらん 暁の 夢より後は 物をこそ思へ
(どんなふうに寝たので夢に見えたのでしょうか 暁の夢が覚めた後は 物思いにふけってばかりいます)
 ※「新古今集恋五」では、「いかに寝て 見えしなるらん うたた寝の 夢よりのちは ものをこそ思へ(どのように寝て あなたと逢った夢が見えたのでしょうか うたた寝に見えたあの夢から後は ずっと物思いをしています)」となっている。


 女院の姫君ときこえさせし頃、石名
(いしな)(と)りの石召(め)すをまゐらせしとて
 (女院〔藤原彰子〕がまだ姫君と申し上げていた頃、石名取りの石をお求めになるときにさし上げたというわけで)

141 すべらぎの しりへの庭の 石ぞこは ひとふ心あり あゆかさで取れ
[玄玄集]
(天皇の後宮の庭の石ですよ これは拾う気持ちがあります 動かさないでお取りください)
 ※彰子が必ず入内するという気持ちを込めた歌。  


 御障子
(みそうじ)の絵に、前裁植ゑさせて男女の見たる所、殿の御前の
 (襖障子の絵に、前栽を植えさせて男や女が見ている場面、殿がお詠みになった)

142 掘り植
(う)うる 草葉に虫の 音(ね)を添へて 千代の秋まで 声を聞かせん
(掘って植えた草葉に さらに虫の音まで添えて 千年先の秋まで声を聞かせたいものだ)  

 とて、また「詠め」と仰せられしに
 
(とおっしゃって、また「歌を詠め」とおっしゃったので)

143 花を見て 野辺に心を やりつれば 宿にて千代の 秋は経
(へ)ぬべし
(美しい花を見て 花が生えていた野原に思いを馳せ 気が晴れましたので この邸で千年の秋をも過ごしてしまいそうです)

 殿の上法輪に詣でさせ給へりしに、月のいと明かりしに、すかたの弁
 (殿の北の方が法輪寺にお参りなさったときに、月がとても明るかったので、すかたの弁が詠んだ)

144 西へ行
(ゆく) 月を慕ひて 来(こ)し程に 深き山にも 入りにける哉
 
(西方浄土のある西へ行く月を慕って来るうちに 山深く入り込んでしまったことです)  

 「女房、この月を見給ふらんや」とありしに
 
(「女房はこの月を見ていらっしゃるだろうか」と言われたので)

145 をちに見し 山の此方
(こなた)に 見る時も 月には飽かん 夜もなかりけり
(遠くで見ていた西山のこちら側で見る時も 月はどれだけ見ても 見飽きるという夜は何時の世にもないものですね)

 済政
(なりまさ)、経房(つねふさ)の中将など、笛など吹き合はせて、「豊浦(とよら)の寺の〔催馬楽・葛城〕」と、口すさび給へる、所柄にやいとをかし、「今宵のやうなる夜またありなんや、いみじき夜のさまかな」と、相方(すけかた)弁  
 (済政、経房の中将など、笛などを合奏して、「豊浦(とよら)の寺の」と、口ずさんでいらっしゃるのが、場所柄のせいでしょうか、とても趣がある。「今夜のような夜が二度とあるだろうか、ほんとうに素晴らしい夜だ」と、相方弁が)
 ※相方弁―源相方。


146 忘られん 身をば思はず 小倉山 今宵の月を 思ひ出でなむ
(わたしは忘れられてもいいけれど 小倉山の今夜の月を思い出してほしいものです)  とありしに(とあったので)

147 君をこそ まづはしのばめ 小倉山 月にぞ月も恋しかるべき
(あなたをこそまず懐かしく思うでしょう ご一緒に眺めた小倉山の月だからこそ 月も恋しく思い出すことでしょう)  

 程へてわたくしに詣でたりしに、かの君もとに通ふ人の詣でたりしに、付けてやりし
(しばらく経って個人的に法輪寺に参詣したときに、相方弁の所へ行き来する人が参詣していたので、ことづけた歌)

148 君は来て 思ひや出でし 月みれば 面かげさへぞ 添ふ心地する
(あなたはここに来て思い出したでしょうか 月を見ていると あなたの面影までが添う気持ちがします)  

 返し、相方
(返歌、相方)

149 行
(ゆき)帰り 見るたびごとに 恋しくて 月なき時も 思出(おもいで)ぞせし
(西山に行ったり帰ったりして 月を見るたびに あの夜のことが恋しくて 月がないときも思い出していました)  

 九月晦日、業遠が言ひたりし
 
(九月末日に、業遠が言ってきた)

150 今日をなほ 同じ心に 惜しまなむ 秋果てぬとは 誰も思はじ
(今日が去っていくのを やはりわたしと同じ気持で惜しんでほしいものです そうしたら秋が終り愛情もさめてしまったとはお互いに思わないでしょう)
 ※業遠―赤染の娘江侍従の夫。  


 返し
(返歌)

151 暮(くれ)はつる 秋の一日を とどめてん いくとなかさの 心ならまし
(暮れてしまう秋の一日を留めてしまいましょう どのくらい日長ののんびりした気持ちがするでしょう)
 ※底本・類は「いくとなかさ」とするが、桂の「いくらながひ」で訳した。
   

 同
(おなじ)人丹後に通(かよい)し頃、橋立の砂子(すなご)を得(え)させたりしに
 
(同じ人が丹後の国に通っていた頃、橋立の砂を持ってきてくれたので)

152 行
(ゆ)き帰る 道のたよりに うしろめた 浜の真砂の 数や知(しり)にし
(丹後の国に行ったり来たりする道のついでに 天の橋立の白砂を数えつくして わたしのことなど忘れてしまわれたのかと心配です)  

 十月に、前女院の菊合に
 
(十月に、前女院〔東三条院藤原詮子〕が催された菊合に)

153 露よりも 玉の台
(うてな)に 菊の花 移ろひてこそ 色まさりけれ
(九月九日の重陽の節句の頃よりも この美しい御殿にお移りになった十月の菊のほうが色が変わって美しさが増したことです)  

 庚申
(こうしん)の夜、菊を
 (庚申の夜、菊を詠んで)
 
※庚申待ち―道教で、庚申の夜に寝ると、人の体内に住む三匹の虫が天に昇り、その人の罪科を天帝に告げるというので、庚申の日の夜、一晩中寝ないで過ごすこと。

154 月影の 霜にや菊は うつるらん 夜こそ色の 照り増
(まさり)けれ
(霜のように白い月の光にあたって 白菊は色が移るのだろうか 夜こそ花の色がいっそう照り輝いて見えます)  

 同題を、人に代はりて
(同じ題を、人に代わって)

155 おきて見る 菊の葉分
(はわ)きの 露の上に 金(こがね)の波の 影ぞうつれる
(起きて見ると 菊の葉と葉の間に置いている露の上に 金色の波の月の光が映っています)  

 紅葉見に歩きしに、ひとり見るに飽かず覚えしかば
 
(紅葉を見に歩いたけれど、一人で見るのは惜しく、物足りない気がしたので)

156 誰にかは 告げにやるべき もみぢ葉を 思ふばかりに 見む人も哉
(誰に告げたらいいのだろう この美しい紅葉を心ゆくまで一緒に見る人がいてほしい)

 十月に賀茂に詣でたりしに、他の紅葉葉みな散りにけるに、中の御社のがまだ散らでありしに
 
(十月に賀茂神社に参詣したところ、ほかの紅葉はみんな散ってしまったのに、中賀茂の御社のがまだ散らないで残っていたので)

157 しめの内
(うち)の 風だによらぬ 紅葉哉 神の心は かしこかりけり
(神社の境内には風さえも寄りつかない紅葉があるのですね 神の心はありがたいものです)  

 元輔が昔住みける家のかた原に、清少納言住し頃、雪のつみしく降りて、隔ての垣もなく倒れて見わたされしに
 (元輔が昔住んでいた家のすぐ近くに、清少納言が住んていた頃、雪がひどく降って、隔ての垣も倒れてなくなり、見渡すことができたので)
 ※「つみしく」―類「いみじく」
 ※元輔―清原元輔。清少納言の父。


158 跡もなく 雪ふるさとの 荒れたるを いづれ昔の 垣根とか見る
[新古今集雑上]
(足跡も見えないほど雪が降って お父上が住んでいらっしゃった痕跡もないほど荒れてしまった家で どれを昔の垣根と見たらいいのでしょう)
 ※「新古今集雑上」では、「跡もなく 雪ふる里は 荒れにけり いづれ昔の 垣根なるらん(跡もわからないほどに 雪の降るあなたの故郷は荒れてしまったことです どこが昔の垣根の跡なのでしょうか)」となっている。  


 おほやけ所に、内にも外にもあまたゐて物語して、「今宵よりは思ひきこえむ、明日文奉らむ」と言ひし人に、程経て、誰とはなくて言はせし
 (お仕えしている殿の御殿で、家の中にも外にも大勢人が座って話をしていて、「今夜からあなたをお慕いしましょう。明日、手紙をさしあげよう」と言った人に、何日か経って、誰からとも言わないで、こう伝えさせた)

159 明日よりはと 宵に頼めし 言の葉を 明ても待
(まち)し 今日も恨(うら)めし
(明日からはと 夜にあてにさせたあなたのお言葉を 夜が明けてからもずっと待っていました 今もあなたを恨めしく思っています)  

 人を思ひかけたるを、女もその心をえて物越しに声を変へて答へをしてつとめてやるにかかりて
 (ある人を想っている男が、その男の妻が浮気を察して、物越しに声を変えて別人のように返事をして、翌朝歌を送るのに代わって)

160 我は君 君は我とも 知らざりき 誰と名のりて 誰をとひしぞ
(わたしはあなたとも あなたはわたしとも知らなかった いったい誰の名を名乗って 誰を訪ねたのですか)  

 讃岐の守
(かみ)伊祐(これすけ)が妻の、よき鬘(かつら)持たりと聞(きき)て、「借りて」と言ひしかば「『睦まじう語らふなめり、かかる事までに言ふは』と、妻なむ言ふ」と言ひしに
 
(讃岐の守伊祐の妻が、よい鬘を持ていると聞いて、「借りてください」と言ったところ「『あなたと赤染は親しくつきあっているでしょう。こんなことまで言うなんて』と、妻が言うのだ」と言ったので)
 ※讃岐の守伊祐―藤原伊祐。


161 疑ふを 苦しと思はば 玉かづら かみをかけても 誓ふ計
(ばかり)
(北の方がお疑いになるのが辛いので わたしは美しい鬘の髪に 神かけて潔白を誓うばかりです)  

 返し、伊祐
(返歌、伊祐)

162 思ふ事 なきにもあらず 玉かづら かみをばかけじ いな煩
(わずら)はし
(思いあたることがないわけでもない だからわたしは神かけて誓ったりはしない いやもう煩わしいことです)  

 久しう音せぬ人に、瓜に書きて
 
(長い間便りをくれない人に、瓜に歌を書いて)

163 問へと思ふ 人のおとせで 瓜生
(うりゅう)山 久しくなるは つらきわざかな
(お便りをほしいと思うあなたは音沙汰がなく お目にかからないで時が経つのは辛いことです)  

 せき君といひし人の傍らの局なるに、「経読み」給へ」と言ひしかば、「暗し、火を灯させ給へ」と言ひしかば、油をやるとて
 (〔ある寺で〕清義君と言っていた人がそばの部屋でしたが、「経をお読みなさい」と言うと、「暗い、火を灯させてください」と言ったので、油をあげるというので)

164 消えぬべき 法
(のり)の末には なりぬらん 身をともしてぞ 聞(きく)べかりける[新拾遺集・釈教]
(法の光がまさに消える末法の時代になったのでしょう わが身を焼くような覚悟で仏の教えを聞かなければなりません)
 ※「法(のり)の末」―永承七年〔一〇五二〕から末法に入るとされた。
 ※「身をともしてぞ」―『法華経』薬王菩薩本事品で、。薬王菩薩が自らの体を燃やしたことをふまえる。  


 ある寺に八講聞きしに、傍の局に、男亡くなりたる女のいみじう泣く気配のせしかば
(ある寺で八講を聞いたときに、そばの部屋で、夫の亡くなった女が激しく泣く気配がしたので)
 ※八講―法華八講の略。


165 袖上
(そでのうえ)に かからじほどけき たまならば 衣の裏も 濡れやしぬらん
(袖の上に このように湿っぽい涙の玉を置くなら 仏の与えてくださった衣の裏の玉も濡れてしまうでしょう〔そんなに泣いていては 仏の救いも効きめがないでしょう〕)  

 殿に、花桜といふ物語を人のまゐらせたる、包み紙に書いたる
 
(殿に、『花桜』という物語を人がさし上げた。その包み紙に書いてあった歌)

166 かきつむる 心もあるを 花桜 あだなる風に 散らさずも哉
(桜の花びらをかき集めようという気がありますから つまらない風で散らさないでほしい〔心を込めて書いた『花桜』という物語です どうか散逸させないでほしい〕)  

 「返しよせ」と、仰せられしかば
 
(「返事をするように」と、〔殿が〕おっしゃったので)

167 見る程
(ほど)は あだにだにせず 花桜 よに散らんだに 惜しとこそ思へ
(拝見するときは疎かにしません そればかりか『花桜』の物語が世間に広まるのが惜しいくらいです)  

 祭りの日、ある公達の、葵に橘をならして言ひたりし
 (賀茂祭の日、ある公達が、葵に橘の実をつけてよこした歌)

168 a いにしへの 花橘を たづぬれば
(昔の花橘を尋ねたところ)「五月待つ 花橘の 香をかげば 昔の人の 袖の香ぞする (五月を待って花橘の香をかぐと 昔の恋人の袖のにおいがして懐かしい)[古今集夏・読人しらず]」を引く。  

 とありしに (とあったので)

168 b 今日あふひにも なりにけるかな
(今日は 葵にもその実がなったのですね)  

 尾張へ下りしに、七月朔日頃にてわりなう暑かりしかば、逢坂の関にて、清水のもとに涼むとて
 (尾張へ下向したところ、七月一日の頃で、どうしようもなく暑かったので、逢坂の関で、清水のほとりで涼を求めて)

169 越
(こえ)(は)てば 都も遠く なりぬべし 関の夕風 しばし涼(すず)まむ
(逢坂の関を超えてしまうと 都も遠くなってしまうにちがいない この関の夕風に しばらく涼んでいよう)  

 大津に泊まりたるに、網引かせて見せんとて、まだ暗きより降り立ちたる男子どものあはれに見えしに
 
(大津に宿泊したところ、「地引網を引かせてお見せしましょう」と言って、まだ暗いうちから湖の中に入っていった漁師たちが、気の毒に思われたので)

170 朝朗
(あさぼらけ) おろせる網の 網見れば くるしげに引く わざにありける
(朝 ほのぼのと明るくなったころ 湖に入れた地引網の引き綱を見ると 苦しそうに引く漁法だとわかる)  

 それより舟に乗りぬ、袋懸(ふくろかけ)といふ所にて
 (大津から舟に乗って、袋懸という所で)

171 いにしへに 思ひ入りけん 便(たより)なき 山のふくろの あはれなる哉
(昔 どんな思いをして山に入ったのだろう 拠り所もないこのような山の深い所にいらっしゃる観音様のことがしみじみと思われる)  

 七日、愛知川
(えちがわ)といふ所に行き着きぬ、岸に仮屋作りて降りたるに、ようさり月いと明(あこ)う浪音高(たこ)うてをかしきに、人は寝たるにひとり目覚めて
 (七日、愛知川といふ所に到着した。川岸に仮屋を設けて、下船したが、夜、月がとても明るく、波音も高くて趣があったので、ほかの人は寝たがわたし一人目が冴えて)

172 彦星は 天の河原
(かわら)に 舟出しぬ 旅の空には 誰を待(また)まし
(彦星は舟を出したけれど わたしは旅の途中で誰を待ったらいいのかしら)

 又の日、あざぶといふ所に泊まる、その夜、風いたう吹き、雨いみじう降りて漏らしぬ所なし、頼光が所なりけり、壁に書き付けし
 (翌日、朝妻という所に泊まった。その夜、風が激しく吹き、雨もひどく降って、いたるところで雨漏りがした。頼光が所有する家だった。壁に書いた歌)
 ※頼光―源頼光。美濃守。


173 草枕 露をだにこそ 思ひしか 誰がふるやとぞ 雨もとまらぬ
(旅では露に濡れることだけを心配していたのに 誰の古屋というのか雨も降り止まらない〔泊まれない〕)
 ※「止まらぬ」と「泊まらぬ」の掛詞。  


 水増さりてそこに二三日ある程に、氷魚(ひお)を得て来たる人あり、「この頃はいかであるぞ」と問ふめれば、「水増さりてはかくなむ侍」と言へば
 
(増水して、そこに二、三日滞在している間に、氷魚を捕って持って来てくれた人がいた。「今頃どうして氷魚が捕れるです」と尋ねたようだが、「増水すると捕れるのです」と言うので)

174 網代かと 見ゆる入江の 水深
(ふか)み ひをふる旅の 道にもある哉(かな)
(網代をかけたかと見えるほど入江の水が深いので 出発できないで日を送る旅の道中です)  

 それより杭瀬河
(くいせがわ)といふ所に泊まりて、夜鵜飼(うか)ふを見て
 (そこから杭瀬河といふ所に泊まって、夜、鵜飼をするのを見て)

175 夕闇の 鵜舟
(うぶね)にともす 篝火(かがりび)を 水なる月の 影かとぞ見る
(夕闇の鵜舟にかかげる篝火を 水に映った月の光と見る)  

 又、馬津
(うまつ)といふ所に泊まる夜、仮屋(かりや)にしばし下りて涼むに、小舟に男二人ばかり乗りて、漕ぎ渡るを、「何するぞ」と問へば、「冷やかなるをもゐ汲(く)みに沖へまかるぞ」と言ふ
 (また、馬津という所に泊まった夜、仮屋にしばらく下りて涼んでいると、小舟に男が二人ほど乗って、漕いで行くのを、「何をするのですか」と尋ねると、「冷たい飲水を汲もうと沖のほうへ行くのです」と言った)

176 奥中
(おきなか)の 水はいとどや ぬるからん ことはまなるを 人のくめかし
(沖の水は一段とぬるいでしょうから 同じことなら 井の中の水を汲みなさい)

 「京出でて九日にこそなりにけれ」と言ひて、守(かみ)
 
(「都を立って九日になってしまった」と言って、守が)
 ※守―尾張国守。匡衡。


177 a 宮古出でて今日九日になりにけり
(都を出て今日は九日になってしまった)  

 とありしかば(とあったので)

177 b とをかの国に いたりにしかな
(十日の国に到着しましたね)  

 国にて、春、熱田の宮といふ所に詣でて、道に鶯のいたう鳴くものをとはすれば、「なかのもりとなむ申す」と言ふに
 (任国で、春、熱田の宮といふ所に参詣して、その途中、うぐいすがたいそう鳴く森を尋ねさせると、「中の杜と申します」と言うので)

178 鶯の 声する程は いそがれず まだみちなかの 物といへども
(うぐいすの鳴き声がする間は 先を急ぐ気になりません 道中半ばの杜といっても〔中の杜でうぐいすの鳴き声を聞いて行きましょう〕)  

 詣で着きて見れば、いと神さびおもしろき所の様なり、遊びして奉
(たてまつ)るに、風にたぐひて、物の音どもいとどをかし
 (熱田の宮に着いて見ると、とても神々しい厳かで趣きのある所である。神前で管弦を奏して奉納しているのが、風と一緒になって、楽器の奏でる音色がひときわ美しい)

179 笛の音に 神の心や たよるらん もりのこ風も 吹
(ふき)まさる也(なり)
(笛の音に神さまの心が乗り移っているのだろうか 森の中を渡る風も一段と増して吹いているように聞こえる)


 其比、国人腹立つことありて、「田も作らじ、種取りあげ干してん」と言ふと聞きて、また、真清田
(ますだ)の御社(みやしろ)といふ所に詣(もう)でたりしに、神に申させし
 (その当時、尾張の国の農夫が腹が立つことがあって、「田も作らない、種も取って干してしまおう」と言っていると聞いて、また、真清田の御社という所に参詣したので、神さまに申し上げさせた歌)

180 賤
(しず)の男の 種干すといふ 春の田を つくりますだの 神にまかせん
(農夫たちが種を干すと言っていますが 春の田をお作りになる真清田の神さまにお任せしましょう)  

 かくてのち、田みな作りてきとぞ
 
(このようなことがあった後、田をみな耕したということです)

 和泉式部と道貞と、仲違ひて、帥の宮にまゐると聞きてやりし
 (和泉式部と道貞とがうまくいかなくなって、和泉式部が帥の宮にのところへ参上すると聞いて、遣わした歌)

181 うつろはで しばし信太
(しのだ)の 森を見よ 帰りもぞする 葛のうら風
(帥の宮さまのところへなど行かないで しばらく辛抱してあの人の様子を見ていらっしゃい 帰ってくるかもしれない 葛の葉が風に翻るように) 

  返し、式部
(返歌、和泉式部)

182 秋風は すごく吹くとも 葛の葉の うらみがほには 見えじとぞ思
(おもう)[新古今集雑下・続詞花集恋下・和泉式部正集三六五]
(あの人がわたしに飽きて辛くあたっても 恨んでいるような顔はみせないようにしようと思うの)  


 道貞陸奥国
(みちのくに)になりぬと聞(きき)て、和泉式部にやりし
 (「道貞が陸奥守になった」と聞いて、和泉式部に送った歌)

183 行人
(ゆくひと)も とまるもいかに 思ふらん 別(わかれ)て後(のち)の またの別れは[後拾遺集離別・和泉式部集正集一八二]
(旅立つ人も 都に残る人も どのように思っているのでしょう 離縁した後にまた離ればなれになるのを)  


 返し、式部
(返歌、和泉式部)

184 別ても 同じ都に ありしかば いとこのたびの  心地やはせし
[千載集離別・続詞花集離別・和泉式部集正集一八三・ 八四〇]
(別れても同じ都にいるのなら 今度のような思いはしたでしょうか)  

 道貞下
(くだ)るとて、道なれば、尾張に来て、物語りなどして、かく遥かにまかる事の心細き事など言ひて帰りぬるに、さるべき物などやる
 (道貞が陸奥国へ下向する時の通り道なので、尾張へ来て話などして、「このように遠く都を離れるのは心細い」などと言って帰ったときに、それ相応の品などを与えて)

185 ここをただ 行
(ゆく)かたのとは 思はなん これよりみちの おくとほく共(とも)
(尾張を行く道の終りと思ってください これから先の道が遠いといっても)  


 返し、道貞
(返歌、道貞)

186 いざさらば 鳴海
(なるみ)の浦に 家居(いえい)せん いと遥かなる 末の松とも
(それなら鳴海の浦に住みましょう ずっと遠くの末の松山が待っているとしても)  

 一条院にさぶらひし左京の命婦、和泉の守の妻にて下るが言ひたる
 
(一条院〔一条天皇〕にお仕えしていた左京の命婦で、和泉の守の妻となって任国へ下る人が言ってきた)

187 都路の 心もしるく しをりして 君だにあると 思ふ道哉
(都へ通じる道にはっきりと道しるべをして あなたでさえ遠い尾張にいらっしゃるのだからと思って行く道です)  

 返し
(返歌)

188 しをるとも 誰か思ひし 山道に 君しも跡を 尋
(たずね)けるかな
(道しるべをしたとしても誰が思ったでしょうか この山道に あなたが跡を尋ねて手紙をくださるなんて)  

 又、これより、「いかで自ら」など言ひて
 
(また、こちらから、「なんとかして直接お会いしたい」などと言って)

189 あはじてふ 道にだにこそ あふと聞
(きく) ただにて過ぎん 人のつらさよ
(会わないという名の淡路でさえも 人に会うと聞いています それなのに わたしに会いもしないで直接行こうとなさるあなたは 薄情な方です)  

 返し、命婦
(返歌、命婦)

190 山をだに 思ひ隔
(へだ)てぬ 道なれば これより過ぎん 心地やはする
(山でさえ二人の気持ちを隔てない道ですから ここから黙って過ぎてゆく気持ちがするでしょうか)  

 秋の野を歩きし嵯峨野にも劣らず見えしかば
 
(〔尾張の〕秋の野を歩いてみたが、嵯峨野にも劣らないほど素晴らしかったので)

191 花の色は 都の野辺に あらね共
(ども) いづこも秋の さがにざりける
(都の野原ではないけれど 花の色はどこも同じ秋の風情です)  

 又、薄のみ多かる野にていたう招きしに
 
(また、薄ばかり多い野原で、穂がしきりに招いたので)

192 いづかたに 行とまらまし 花薄 遠にも招く 近かとも見ゆ
(どこに行って休んだらいいのだろう 花薄が遠くでも招いているし 近くにも見えるから)  

 野近き所に夜泊りたるに、虫のいたう鳴きしに
 (野に近い所に夜泊まったところ、虫がしきりに鳴いているので)

193 一夜だに 明
(あか)しわびぬる 秋の夜に なくなく過す 虫ぞ悲しき
(一夜でさえ明かしかねている秋の夜なのに 鳴きながら過ごす虫は悲しいことです)  

 挙周
(たかちか)、雅致(まさむね)が女に物言ひ初(そ)めて、ほどもなう御獄に詣でて帰りては京にしてしばしもなくて下りたりしかば、いみじくてやらせし
 
(挙周が雅致の娘とつきあい始めて、まもなく御獄に参詣して、帰ってからは、京にしばらくもいないで地方へ下って行ったので、気の毒に思って送らせた歌)
 ※挙周―大江挙周、母は赤染。
 ※雅致が女―大江雅致の娘、和泉式部の妹。


194 心にも あらでぞ嘆く 吉野山 君をみたけの 程なかりしを
(吉野山の御嶽詣ででやむを得ず会えなくて嘆いています あなたを見てまだ間もなかったのに)  

 また後に(また後で)

195 出
(いで)てこし 道のまにまに 花薄 招く宿のみ かへりみぞせし
(あなたの所から帰って来た道のあちこちで花薄が招いていたので あなたが招いている家の方ばかり振り返って見ました)

 返し、姉の和泉式部
(返歌、姉の和泉式部)

196 とまるべき 心ならねば 花薄 ただ秋行
(ゆく)と またせぞみし
(あなたはわたしの所に留まる気持ちがないので ただ過ぎてゆく秋とともに わたしに飽きていくのだなあと 成り行きにまかせて見ています)

 もとありける所美作
(みまさか)になりて行く、ともにまかるとて京へ行くを「本意(ほい)なうや思ふ」と言ひし女房に
 
(以前一緒に住んでいた所の人が、美作の役人になって行く。その人と一緒に任国へ下ると言って京へ行くのを「〔わたしが京に帰るのを〕残念に思いますか」と言った女房に)

197 契りけん 昔はここの なかなれば 久米の佐良山
(さらやま) さらに恨みん
(あなた方が夫婦の約束をした昔は 我が家にはなくてはならなかったのですから 二人で久米の佐良山 に行ってしまったら いっそう恨みます)  

 又、女房の男の京へ上りたるに、文をおこせたるに言はせし
 
(また、女房の夫が京へ上って、手紙をくれたのに、返事をさせた歌)

198 いづくまで 思
(おもい)か出(いだ)し 今はとて 忘れゆきけん 道ぞゆかしき
(どこまでわたしのことを思い出してくださったのでしょう 今はこれまでと言って わたしを忘れて京へ行ってしまった道が知りたいものです)  

 同国にて、又、女房の人に物言ひたるつとめて、「関越えて」など言ひたる返しに代はりて
 (同じ尾張の国で、また女房がある人と親しくなった翌朝、後朝の手紙に「関越えて」などと書いてあった返事をするのに代わって)

199 行
(ゆき)ちがふ 関のこなたぞ 嘆かしき いかになるみの 浦ぞと思へば
(あなたと行き違って逢えないで関のこちら側にいるわたしは嘆かわしい どうなっていく身の上なのだろうと思うと)  

 三河
(みかわ)の守(かみ)輔公(すけただ)下る道にて、しばしゐて、若き人の方に扇おこせて
 
(三河の守輔公が任国へ下る途中で、しばらく滞在して、若い人のところに扇を寄こして)

200 あふきかと 猶
(なお)(たの)みてぞ 人知(しれ)ず 心をよせて 君にまかする
(〈逢ってくれるきがあるのかなあ〉と それでもあてにして 密かに心を寄せ あなたがその気になるのを待っています)

 返し、代はりて
(返歌、代わって)

201 あだ人の 行く手にならす あふぎかな 風たつべくも あらぬところに
(浮気な人が 行く先々で使いならす扇ですね 風が立つはずもない所に送ったりして)  

 任果てて上りしが哀れにて
 
(任期が終わって京へ上ることになったのが感慨深く)

202 心だに とまらぬ仮りの 宿されど 今はと思ふは あはれなりけり
(体はもちろん 心さえも留まらない仮の宿だけれど いよいよお別れだと思うと感慨深い)  

 尾張より上りて殿にまゐりたりしに、弁内侍まゐりあひて、所の物語などしてまかでてつとめて
 (尾張の国から上京して殿のお邸に伺ったところ、弁内侍と出会って、在所の話などをして退出して翌朝)

203 昔のと 今のといるる おほかるを まづ何事を 我語りけん
(昔の話も今の話も たくさんありますが 真っ先に何をわたしは話したらいいのでしょう)
 ※「いるる」―桂「とはば」  


 返し、弁内侍
(返歌、弁内侍)

204 ふる事も 新しくのみ 思ほえて 今は昔も 聞や分かれじ
(古い話もあなたから聞くと新しいことのようにばかり思われて 今は昔のことも今のことも区別することができません)  

 挙周
(たかちか)が蔵人望みしになくて、内記になりしかば、左衛門の命婦のもとに「奏せよ」とおぼしくて
 
(挙周が蔵人に任ぜられるのを望んでいたのに、なれなくて内記になったので、左衛門の命婦のところに、「天皇に奏上していただきたい」と思って)

205 我が嘆く 心の内を 記
(しる)しても 見すべき人の なきぞ悲しき
(わたしが嘆いている心の中を書き記しても あなた以外に見せる人がいないのが悲しいことです)  

 さて蔵人になりて暇
(いとま)なうて、え出(い)でざりしがおぼつかなくて、装束やりしついでに
 (そして挙周が蔵人に任ぜられて宮中の役目が忙しく暇がなくて、里に帰って来れないのが気がかりで、装束を遣わしたついでに)

206 何事を 思はむとこそ 思ひしか 見ぬも苦しき 思ひなりけり
(〔あなたが蔵人になったら〕何を思い悩むことがあるだろうと思っていたのに 宮中から下がれないで あなたに会えないのは苦しい物思いです)

 白馬
(あおうまの)日、式部丞にてわたりしを見て、又の日雅致が女の言ひたりし、さりての後なれば
 
(白馬の節会の日、挙周が式部丞として通り過ぎていくのを見て、次の日、雅致の娘が寄越した歌、挙周が彼女から去った後だったのて)

207 いづくにか めの止りけん 行き過
(すぐ)る おほよそ人と かつは見ながら  
(わたしはどこに目がとまったのでしょう なんとなくやはりあなたを見ていました わたしとは関係ない人と一方では見ながら)

 返し、代はりて
(返歌、挙周に代わって)

208 行
(ゆき)(すぐ)る ほどを誰(た)そとや 休(やす)らひし おほよそ人の 哀(あわれ)(なり)しに
(わたしが通り過ぎるときにあなたは誰だと思って佇んでいられたのだろう あなたが関係ないと言われるわたしは わたしは感傷にふけっていたのですが)

 其人、斎院長官かふ君といふ人に逢ひぬと聞
(きき)て 高周(たかちか)に代はりてやりし
 (その女が、斎院長官のこうきみと言う人と結婚したと聞いて、挙周の代りに送った歌)
 ※「高周」―「挙周」の宛字。


209 ちはやぶる 神のかみとや 思ふらん 人は人とも さかぬ所に
(斎院長官を最上の夫と思っていらっしゃるでしょう 挙周のような普通の人は人とも思われない所で)  
 
  返し、姉の和泉式部
(返歌、姉の和泉式部)

210 そのかみの 人をも人と 思はねば さしはなれたる しめの榊葉
(さかきば)
(昔の夫の挙周を愛情ある人とは思わなかったので 俗界を隔たった注連(しめ)の内の人と結婚したのです)  


 司召しにもれて、むつかしく思ふに、桜の花を見て
 (夫の匡衡が任官できなくて憂鬱な気がする時に、桜の花が咲いているのを見て)  

211 思ふ事 春とも身には 思はぬに 時知り顔に 咲ける花哉
[風雅集雑上]
(憂鬱な気分が晴れるとは思われないのに 春はめぐってきて さも時節を知っているかのように咲いてる花だ)  


 同じ春、花見に歩きて
(同じ春、花見に出かけて)

212 我宿の なげきは春も 知られねば 出てぞ花の 盛りとも見る
(司召しにもれてわが家では春が来たのもわからないので 外に出てみて初めて花の盛りを知ったことです)  

 あまりなるべしと聞く人にずをおこせて、一条院左京命婦
 (「尼になるらしい」と聞く人に数珠を寄こして、一条院左京命婦から)
 ※「ず」―桂「ずず」

213 浦山
(うらやま)し いかなる人か 我が覚めぬ 夢幻(まぼろし)の 世を背(そむ)くらん
(羨ましいことです どういう人が わたしが解脱できない夢幻のこの世を背いて出家なさるのでしょう)  

 得たる人に代はりて
(数珠をもらった人に代わって)

214 貫
(つらぬ)ける 玉の光を 頼むとも 暗くまどはむ 道ぞ悲しき
(糸で貫かれた百八個の玉の光に頼っても やはりなかなか悟りを得られず 無明の道に惑うのは悲しいことです)  

 七月七日、「女
(め)にやらん」と挙周(たかちか)が言ひしに代はりて
 (七月七日、「女に送ろう」と挙周が言ったのに代わって)

215 浦山し 今日を待出て 七夕の いかなる心地 して暮すらむ
(羨ましい 一年に一度逢うという今日を待って 織女はどんな気持ちで日が暮れるのを待っているのだろう)  

 早う住みし所に今住む人、「他
(ほか)へなむ往(い)ぬべきを、さらぬ先に、越(こし)にていかで対面せん、ふる里のみ雪はなほあらんなむよかるべき」と言ひしに
 (以前住んでいた所に今住んでいる人が、「よそへ行くことになっていますが、その前に越でなんとかしてお会いしたい、以前住んでいた所の雪はやはりある方がいいでしょう」と言ったので)

216 忘れにし 昔やさらに 恋られん 世にふるさとの み雪せりとも
(忘れてしまった昔がさらに恋しく思われることでしょう 以前住んでいた所に雪が降っていたとしても)  

 人のもとにときどき来る男のをかしげなる瓜持てきて得(え)させたるを、「いかに言はまし」と言ひしに代はりて
 
(ある人の所に時々来る男が可愛らしい瓜を持ってきて与えたのを、「どう言ったらいいのでしょう」と言った人に代わって)

217 つらげなる けしきと見るに 瓜生山 ならし顔にも うちいたるかな
(冷たい様子だと思われるのに 瓜を持ってきたりして 突然なれなれしい顔でやってくるのですね)  

 人の女の幼きを懸想しけるに、「まだ手も書かず」とて、返り事もせぬに「やはむ」と挙周言ひしに代はりて
 
(ある人の娘で幼いのを恋したが、「まだ字も書きません」と言って、返事もしないのに「手紙を送ろう」と挙周が言ったときに代作して)

218 和歌の浦の 潮間
(しおま)に遊ぶ 浜千鳥 ふみもさふらん 跡な惜しみそ
(和歌の浦の引き潮の浜辺で遊んでいる浜千鳥の足跡のように 幼い子の書き散らしたものでもいいからください 惜しまないで)  

 「大人になるほどを、しばしまて」と親の言ひたるにやらせし
 (「大人になるまでの間、しばらく待ちなさい」と親が言ったので、挙周に送らせた歌)

219 高砂の 松とてひとり 過すとも 我を越すべき 浪もこそあれ
(大人になるのを待って独身で過ごしても わたしを越してあなたをさらってしまう波があるのではないでしょうか〔わたしをさしおいてあなたと結婚する男がいたら困ります〕)  

 又、荻にさして、同人に
(また、荻にさして、同じ人に)

220 風そよぐ 荻の上葉の 露よりも 頼もしげなき 世を頼
(たのむ)
(風に揺れる荻の上葉に置いた露よりも あてにできそうもない関係をあてにしています)  

 又
(また、同じ人に)

221 丸寝
(まろね)する 夜半の白露 おきかへり めだにも見えで 明かす比(ころ)
(着物を着たまま寝て夜中に起き上がり 夢でさえあなたに逢えないで 夜を明かすこの頃です)  

 亦、同人に、夕暮れに
(また、同じ人に、夕暮れに)

222 夕暮は 蜘蛛のいとなむ 巣がきかな 宿もなき身の 心細さに
(夕暮れは蜘蛛でさえ糸で巣を作るのに わたしには決まった宿もなく不安でならない)  

 又、十月ばかりやらんと言ひしに
 
(また、十月頃に、挙周が手紙を送りたいと言ったので)

223 霜枯れの 野辺に朝吹く 風の音の 身にしむばかり 物をこそ思へ
[新拾遺集恋二・続詞花集]
(霜枯れの野原に朝吹く風の音が身にしむように 辛い思いをしています)


 挙周が明順
(あきのぶ)が女に物言ひ初めて、新蔵人にて暇(いとま)なくて、「え行かぬにやらん」と言ひしに代はりて
 
(挙周が明順の娘に通い始めて、新任の蔵人なので暇がなく、「通って行けないので手紙を」と言ったのに代わって)

224 暁の 鴫
(しぎ)の羽(はね)がきに 目を覚めて かくらん数を 思ひこそやれ
(わたしが通っていかない夜は 目を覚まして 何度も寝返りを打っていらしゃるでしょう お気の毒に思います)  

 返し、中将の尼
(返歌、中将の尼)

225 夢にだに 見ぬ夜の数や 積るらん 鴫(しぎ)の羽がき 手こそたゆけれ
(眠ることができないで 夢でさえあなたを見ない夜が続くのでしょうか 寝返りを打って苦しいことです)  

 同人に雪のふる日やらんといひしに
 
(同じ人に雪の降る日、挙周が手紙を送ろうと言ったので)

226 御吉野の 山の初雪 詠
(ながむ)らん 春日の里も 思ひこそやれ
(あなたは吉野山の初雪を眺めていらっしゃるでしょう わたしはあなたのいる春日の里を思いやっています)  

 返し、中将尼
(返歌、中将の尼)

227 詠めやる 山辺も見えず 思ふより 松の木葉や 雪かへすらん
(眺めても雪が山辺を隠してなにも見えないので わたしは思うより あなたの訪れを待っているのに その思いを雪が隠してしまっているのでしょうか)  

 此人をここに迎へて住みしを、はかなしごゑしてむつかしき事どもなどありしに、その比、初瀬に詣でたりしに、紅葉を折らせ見せんと思ひしに、かう腹立ちにしが物に挿して置きたりしかば、枯れたりしを見て
 (この人をここに迎えて住んでいたが、ある時ちょっとしたことを恨んで面倒なことなどがあったのだが、ちょうどその頃、長谷寺に参詣して、紅葉を折らせて持って帰って見せようと思ったのに、このように腹を立てていたので、物に挿して置いていたところ、枯れてしまったのを見て)

228 つとにとて 折りし紅葉は 枯れにけり 嵐のいたく 吹しまぎれに
(土産にと折って持って帰った紅葉は枯れてしまった 嵐がひどく吹いたのに紛れて)  

 春になりて他へわたりにしに、その前の梅の咲きたりしを折りてやりし
 
(春になってこの女がよそへ移り住んだ時に、女が住んでいた前の庭の梅の花が咲いたのを折って送った歌)

229 いかばかり ほどかは経
(へ)まし 咲く花の 散らんまでだに 待てば待てかし
(挙周の心が帰ってくるまでどれほどの時間がかかるでしょう せめて梅の花が散るまでの間お待ちください)  

 稚児をばこしに迎へて置きたるに、駒の形を作りておこせて
 
(幼い子をじぶんの家に迎えて住まわせていたところ、〔母方から〕馬の形をした玩具を作って寄こして)

230 我が野辺に なつかぬ駒と 思ふには 手馴れにけるを 慰めにせん
(わたしの野原になじめない馬だと思うときには 以前思い通りになっていたことを慰めとしましょう〔しょせんこの子は手放さなければならないと思うと 今まで馴染んでいた思い出を慰めにして諦めるほかありません〕)  

 返し
(返歌)

231 その駒は 我に草かふ 程こそあれ 君がもとには いかにはやれば
(その馬は あなたのところでどう暴れるからといって わたしのところで飼うようになったのでしょう)  

 この人、異男
(ことおとこ)のもとにやりける文をもて違へて来たりしに、挙周に書き付けさせし
 (この女が、別の男に出した手紙を、間違ってわたしのところに持ってきてしまっので、挙周に書かせた歌)

232 誰とまた ふみ通ふらん うき橋の うかりしよりも うき心哉
(誰とまた手紙を交わしているのでしょうかわたしに辛い思いをさせた時よりももっとひどい心です)  

 知りたる人の賀茂に詣であひて、よき道をしつつ隠るるが、御前にては、供の人を隠していたるを知りにけりと知らんと思ひて
 (知り合いの人が賀茂神社の参詣で一緒になって、わたしを避けてまわり道をして隠れて来たが、神前で従者を隠していたのを「知っていました」と知ってもらおうと思って)

233 ただならず よきあししつる ことこそあれ おもて並ぶる 今日は嬉しな
(普通とは違ってわたしを避けていらっしゃったけれど お顔を合わせることができた今日は嬉しいことです)  

 同御社に籠りたりしに、暮るれば烏どもの、かしましかりしかば
 (同じ賀茂神社に参籠していたときに、日が暮れると、烏が何羽もうるさく鳴いたので)

234 夕暮は 梢の床
(とこ)や まがふらん これかかれかと 鳴く烏かな
(夕暮れは梢のねぐらも暗くてわからなくなるのだろうか ここかあそこかと鳴く烏だな)  

 月の明かりしに
(月が明るかったので)

235 天照らす 神の光や 添はるらん 杜の木の間に  月ぞさけやき
(天で輝く神のご威光が加わっているのだろうか ここ賀茂神社では 森の木々の間に洩れる月の光が清らかだ)  

 正月に長谷寺に詣でし道にて、子日なり、知る人松 引きなどして、美濃を望みしかば
 (正月に長谷寺に参詣した途中で、子の日だった。夫が人小松を引いたりして、美濃国任官を望んだので)

236 思事
(おもうこと) みなみちすがら 子日(ねのひ)して 美濃のを山の 松を引きみん
(願い事がみな叶うように 道中で 子の日の小松を引いて 美濃のお山の松を引き当てましょう)  

 鞍馬に詣でしに、貴船に幣奉らせしほどに、いと暗う なりしかば
 
(鞍馬山に参詣した時、貴船神社に御幣を奉納させていた間に、ひどく暗くなったので)

237 ともとどむ かたに見えず 暗部山
(くらぶやま) きふねの宮 に とまりしぬべし
(供の者を泊める場所さえ暗くてわからない暗部山なので 貴船神社に泊まってしまいそうです)

 尾張になりて、珍しげなう、もの憂き心地して、十月 に下りしに、関山の紅葉の袖に散りかかりし
 (尾張守になったが、珍しいこともなく、気が晴れない気がして、十月に下向した所、逢坂の関の山で紅葉が袖に散ってきた)

238 あぢきなく 袂にかかる 紅葉哉(かな) 錦を着ても  行かじと思
(おもふ)
(嫌なことに袂に降りかかってくる紅葉だ 錦を着ても 〔尾張などには〕行かないと思っているのに)  

 女の、大津まで来て、「しばしはここにあるべし」と聞 きて帰りぬるに、「今宵なほ舟出だしてむ」とて、よもす がら漕ぎ行くに、かうとも知らじかしと思ふに哀れにて、 いも寝られぬに、雁の鳴くを
 
(娘が、大津まで見送りに来て、「しばらくはここに滞在 するようだ」と聞いて都へ帰ってしまったが、「今夜、やはり船出してし まおう」ということになって、一晩中漕いで行くので、〈あの子はこんな ことになったとも知らないでいるだろう〉と思うとかわいそうで、とて も寝られないのに、雁が鳴くので)

239 雁も漕ぐ 舟は雲居に なりぬとも 都の人は  知らずやあるらん
(雁も櫓音にあわせて鳴いている 舟は遥か遠い所に行ってしまっても都の娘は知らないでいるだろうか)  

 「すくなかみといふ所になりにけり」と、楫取り言ふ を聞て
 (「すくなかみという所に来てしまった」と、船頭が言うのを聞いて)
 ※ 「すくなかみ」―不明。


240 ちはやぶる すくなかみてふ 神代より かみか へことは いふにや有らん
(「すくなかみ」という神さまがいらっしゃった時から 神の交替などということがあるだろうか)  

 又、車にて行く道に、川に落ち入りたるさぶらひのあ るに、「歌詠みて取らせむ」と女房どもの言ひしに
 
(また、車で行く途中、川に落ちてしまった家人がいるのを、「歌を詠んで与えよう」と女房たちが言ったので)

241 深からぬ 水のそこにや 沈むべき 浅しや人も いかにみつらん
(深くもない川の底に沈むことがあるだろうか 浅はかなことで 人もどのように見たでしょうか)  

 返し、左近大夫頼忠といひし者也
(返歌、左近大夫頼忠と言った者)

242 おり立ちて 君につかふる 今日なれば ふちせ も知らず まどふ成べし
(懸命にあなたに様にお仕えする今日なので 川の深い所も浅い所もわからないで 落ちてしまいました)  

 国に行き着きたりしに、初雪の降りしに、守
 
(任国に到着したところ、初雪が降ったので、守〔匡衡〕)

243 初雪と 思ほえぬかな このたびは なほふる里 を 思ひ出でつつ
(初めて行く所の初雪とは思われない 今度の旅は やはり雪が降っていた故郷〔都〕を思い出して)  

 返し
(返歌)

244 めづらしき ことはふりずぞ 思ほゆる ゆきか へりみる 所なれども
(珍しいことは新鮮な感じがするものです 行き帰りに見る所であっても)  

 送りに来たりし人々京へ帰るを見て、留まりにし人の、 おぼつかのうおぼゆるに、うら山しければ、雪降し日な り
 (送りに来ていた人たちが京へもどるのを見て、京に残してきた人が不 安に思われて、帰れる人が羨ましくて。それは雪が降った日のことである)

245 行
(ゆき)帰る 人に心を 添へたらば 我がふる里は  見ても来なまし
(行って帰ってくる人に わたしの心を託したなら わたしの故郷を見て来てくれたに違いないだろうに〔でもあの人たちは尾張には帰って来ないのだから なにも託せない〕)  

 三河守菅原の為理
(ためよし)下るとて、早うはらからに住みし人 なれば、「昔の人あらましかば近きほどにてよからまし」 など言ひて帰りて、宇佐の使ひに行きたりければ、丁子 えむなどさまざま包みておこせて
 (三河守の菅原為理が、三河国へ下向するときに立ち寄って、この人は ずっと前わたしの姉妹と住んだことのある人なので、「故人が生きていた ら、三河と終りは近いのでよかったのに」などし話して帰って行き、為 理はその頃宇佐の使ひで豊前に行って来た後だったので、丁子や衣被な ど、いろいろな香を土産に包んで寄こして)

246 唐国
(からくに)の 物のしるしの くさぐさを 大和心(やまとごころ)に  ともしとやみむ
(唐の国の品をほんの気持ちだけお包みしましたが 大和心に乏しいとごらんになるのでしょうか)  
 
 返し(返歌)

247 はじめから 山と心に せばくとも をはりまで やは かたくみゆべき
(唐の物だからといって大和心に乏しいなどと どうして見ることがあるでしょう)

 又の年の春、丹波になり替はりて上りぬ、殿の三十講 にまゐりたるに、道雅の君の、哀れなる色にて、局の前 にわたり給ひしに聞えし
 (次の年の春、尾張守から丹波守に変わって上京した。殿の三十講に参上したところ、道雅の君が、悲しい喪服姿で部屋の前にいらっしゃったのでさし上げた)

248 墨染
(すみぞめ)の 袂になると 聞きしよりも 見しにぞ藤 の 色は悲しき
(父上が亡くなられて墨染の袂になったと聞いた時よりも 目のあたりに喪服姿を拝見しますと いっそう悲しく思われます)  

 秋雨のいみじく降る日、萩の花に付けて人にやりし
 
(秋、雨が激しく降る日、萩の花につけてある人に送った)

249 妻乞ひに 鹿はしからん 秋萩を 雨さへしをる  惜しき此
(ころ)
(妻を恋い慕って鳴く鹿がからみついた秋萩を  雨までもたわませる残念なこの頃です)  

 朝顔の花を見むとて、妻戸を開けたれば、露いみじう 置きたるを
 (朝顔の花を見ようと、妻戸を開けてみると、露がいっぱい置いていたので)

250 朝顔の とくゆかしさに おきたれば 我より先 に 露はゐにけり
(朝顔の花を早く見たいと起きたところ わたしより先に露が置いていた)  

 大覚寺の滝殿を見て
(大覚寺の滝殿を見て)

251 あせにける いまだにかかり 滝つ瀬の はやく来てこそ 見るべかりけれ
(滝の勢いが衰えた今でさえ このように見事な景観です 盛んだった頃にもっと早く来て見るべきだった)  

 十月に紅葉のいと濃き、移ろひたる菊とを包みて、人
 
(十月に紅葉のとても赤いのと、霜にあたって紫色に変わった菊とを包んで、ある人が)

252 秋果てて 今は限りの 紅葉とは 移ろふ菊と いづれまされり
(秋が終わって これが最後の紅葉と 色が変わった菊と どちらの美しさが優っているでしょう)  

 返し
(返歌)

253 紅葉ばの 散るをも思ふ 菊ならで 見るべき花の なきも嘆かし
(紅葉が散るのも惜しいし 菊以外に見るべき花がないのも嘆かわしい どちらも秋の名残として惜しまれます)  

 初瀬に詣でしに、奈良に泊りたる夜、月のあかかりしに
 
(長谷寺に参詣した時に、奈良に泊まった夜、月が明るかったので)

254 いくよへて 荒れし都の 御垣根
(みかきね)ぞ 三笠の山の 月は変はらで
(幾代経て荒れてしまった平城京の御垣根でしょう 三笠の山に照る月だけは昔と変わらないで)  

 春、門の方を見出
(い)だしたれば、実成(さねなり)の兵衛督降りて立ち給へるを、思ひがけぬ心地(ここち)して、「梅の立枝や」と書きて奉りたりしかば、「うち笑みてなむおはしぬる」とありし後(のち)、ほどへて殿に帰(かえり)入りたりしかば、弁内侍まゐりあひて、「兵衛督なん『かかる事のありしを、その歌を知らざりしかば物も言はでなむやみにし、後に人に問ひてなん聞きし、さばかりの恥なんなかりし、あふことあらばかくなんわぶるとだに語れ』となむのたまひし」と言ふを、殿の御前聞かせ給(たまい)て、いみじく笑はせ給ひき、さてまかでて二日ばかりありて、師走の内に節分(せちぶん)したりし朝に、弁内侍に「一夜の御物語りこそ思ひ出でらるれ」とて
 (春の頃、部屋から門の方を見ていると、実成の兵衛督が車から降りて立っていらっしゃるので、思いがけない気がして、「梅の立枝や」と書いてさし上げたところ、「微笑んでいらっしゃいました」と手紙の使者が言っていたが、その後月日が経って殿のお邸に帰って来ると、弁内侍がやって来て出会い、「兵衛督が『こういうことがあったのを、その歌を知らなかったので、なにも話さないで終わった。後で人に尋ねてわかった。あれほど恥をかいたことはない。赤染に会うことがあったら、このように辛く思っているとだけでも伝えてくれ』とおっしゃいました」と言うのを、殿〔道長〕がお聞きになって、たいそうお笑いになった。そんなことがあって退出して二日ばかり経って、十二月中に節分をした翌朝、弁内侍に「あの夜のお話が思い出されます」と言って)
 ※「梅の立枝や」―「わが宿の 梅の立ち枝や 見えつらむ 思ひのほかに 君が来ませる(わたしの家の梅の枝が見えたのだろうか 思いがけなくあなたが来てくれた)[拾遺集春・平兼盛]」。赤染はこの本歌の下二句を暗示したのだが、実成は本歌を知らなく対応できなかったので、しょげているのである。当時、貴族社会では有名な歌や詩を知らないのは恥とされた。


255 たよりあらば 来ても見よとや かすめまし 今朝春めける 梅の立枝
(たちえ)
(ついでがあったら 来てくださいとでもほのめかそうかしら 今朝春らしくなった梅の立枝を見にいらっしゃいと)  

 殿の御前御覧じて、身づから仰せられたる
 
(殿がごらんになって、直接ご自身で詠んでくださった歌)

256 春ごとに 来ても見よと いふけしき あらば霞を 分けて花も尋ねん
(春ごとに来て見てくださいという考えがあるなら 霞をわけて花も訪ねよう)

 たち返りまゐらす
(折り返しお返事をさし上げる)

257 まことにや たづぬる折は ありけると 待ち心みむ 花の散るまで
(ほんとうに訪ねてくださったのだと 思う時が来るまでお待ちいたしましょう 花が散るまで)  

 夜更くるままに月の隈なう澄みゆくを、みな人は寝たるにひとり眺めて
 
(夜が更けるにつれて月が影もなく澄んでいくのを、周りの人は皆寝ているのに、一人眺めて)

258 みつるより かばかり明き 月はなし これをおどろく 人のあれかし
(今まで見た月でこれほど明るい月はない これを目を覚まして見る人がいてほしい)  

 をかしき餌袋
(えぶくろ)を、人のがりやりしを、道雅の君の道にあひて取り給(たまい)てければ、蓋(ふた)を奉(たてまつ)るとて
 
(体裁よく詰めあわせた餌袋を、ある人にあげたのを、道雅の君が道で会って取ってしまわれたので、その蓋をさし上げるというので)
 ※餌袋―携帯用の弁当箱、または袋。


259 失
(う)せぬとも みはなきならじ ふたついみは 君が取りつる なこそ惜しけれ
(中身は召し上がっても餌袋は残っているでしょうから 蓋をさし上げましょう あなたが取られたという評判がとても残念です)  

 鞍馬にて、月の明かりしに
(鞍馬寺で、月が明るかったので)

260 鞍馬山
(くらまやま) 月の光の 明ければ いかなりし夜の 名にかとぞ見る
(鞍馬山は月の光が明るいので どういう夜に暗い山という名がついたのだろうと見ています)  

 仏法僧と鳴く鳥を聞きて
(仏法僧と鳴く鳥の声を聞いて)
 ※「仏法僧と鳴く鳥」―コノハズクのこと。鳴き声からこの名がついた。仏教を構成する三要素、仏・法・僧の三宝のこと。


261 三
(み)つながら たもてる鳥の 声聞けば 我身一つの 罪ぞ悲しき
(仏法僧と三宝をそなえている鳥の鳴き声を聞くと わが身一つの罪が思われて悲しくてならない)  

 播磨より来たる人の、針をおこせて言ひたる
 
(播磨から上京した人が、針をよこして言った歌)

262 山をくる 人も昔は あるものを 小(ちい)さき針をと 思はざらなん
(〔針を握ってお生まれになった性(しょう)空(くう)上人の徳を慕って〕山路を播磨の 書写山まで来る人もあったのですから 小さい針をくれたなどと思わな いでください)
 ※和泉式部がこの聖人に詠んだ「冥きより 冥き道にぞ 入りぬべき はるかに照らせ 山の端の月[正集一五〇](煩悩の闇に 迷っていて さらに深い闇に入っていきそうです どうか導師となって  わたしを真理の世界へ導いてください)は有名。
 ※播磨の聖―播磨国書 写山円教寺の性空(しょうくう)上人。


 返し
(返歌)

263 雲居より くだれる糸を すげつべし 海の底な る 針を得つれば
(〔性空上人にご縁のある針に〕天上から降りてくる極楽浄土の糸を通しましょう 播磨の海の底で作られて針を頂いたので)  

 一条院の御葬送は七月八日のぞありし、見しにいと哀 れにて
 (一条院〔一条天皇〕の御葬送は、七月八日にありました。お送り申し上げて、とても悲しかったので)

264 今宵こそ 七夕つ女も 嘆くらん 今朝の別れは  つねのことにて
(今夜こそ織女も天皇の崩御を悲しんで歎くでしょう それに比べれば牽牛との今朝の別れは毎年のことで)  

 冬になりて、物へ行く道に一条院に人もなければ、車 を引き入れて見れば、前裁の霜枯れたるもよろづ哀れな り、火焚(ひた)き屋を見て
 (冬になって、ある所へ行く途中、一条院に人影もないので、車を引き 入れて見ると、前裁の霜枯れているのをはじめ、すべてにおいて悲しい。 火焚き屋を見て)
 ※「火焚き屋」―篝火をたいて夜警をする所。


265 消えにける 衛士
(えじ)の焚く火の あとを見て 煙となりし 君ぞ悲しき
(消えてしまった衛士のたく火の跡を見ていると 煙となられた一条天皇のことが思い出され 悲しくてならない)  

 物へ詣でし道に、川に影の映りたりしを見て
 (ある所へ参詣の途中、川に影が映っていたのを見て)

266 河水に しづめる影を かつみても うくこそも のは 思ひ知らるれ
(河の水に沈んでいる影を見ながらも 実に辛いことだと思い知らされます)

 地獄絵に、秤に人をかけたるを見て
 
(地獄絵に、人を秤にかけているのを見て)

267 罪はよに 重き物ぞと 聞
(きき)しかど いとばかりは  思はざりしを
(罪はこの世で非常に重いものだとは聞いていたけれど これほどとは思っていなかった)  

 丹波守亡くなりて、七日の誦経にすとて装束ども取り 出でたるに、睦月に着たりしかば、練り襲の下襲の鮮やかなりしに
 (丹波守〔匡衡〕が亡くなって、七日忌の誦経にお布施にしようとして故人の装束を取り出してみると、正月に着ていたので、練襲の下襲の色が鮮やかだったので)

268 重
(かさね)てし 衣の色の 紅は 涙にしめる 袖もなり けり
(重ね着をしていた衣服の色は 悲しみのあまり涙に染みて紅の袖となった)

 夜深き月を眺むるに、虫の声のして、人はみな寝静まりたるに、定基僧都の母の言ひたる
 (夜更けの月を眺めていると、虫の声がして、人が皆寝静まっているときに、定基僧都の母が詠んだ)

269 雲居にて 詠
(ながむ)るだにも 有(ある)物を 袖に宿れる 月を見るらん
(宮中で眺めてもしみじみとさせられる月なのに 今は喪服の袖の涙に映った月を見ていらっしゃることでしょう)  

 返し
(返歌)

270 有明の 月は袂に ながれつつ 悲しき頃の 虫の声かな
[金葉集秋・続古今集秋下・後葉集]
(有明の月は袂に流れるように映り わたしは自然と涙が流れて悲しいこの頃 いっそう悲しみをつのらせる虫の声です)  


 雁の鳴くを
(雁が鳴くのを聞いて)

271 別
(わかれ)ても かへる秋だに ありといはば かりのよながら 嬉しからまし
(秋になると帰って来る雁のように 別れても帰って来る時があるなら 仮りそめのこの世でも嬉しいだろうに)  

 その頃、針を人の「よければやるなり」と言ひたりしに
 (その頃、ある人が針を「よいのだからあげます」と言ったので)

272 あしよしの 針目もわかず 今はただ 藤の衣は とぢてこそきれ
(縫い目が良いのか悪いのかもわからず 今はもう喪服は悲しみを閉じ込めて着ています)  

 霧いみじく立ちたるつとめて、人の言ひたる
 
(霧がひどく立ち込めている早朝、ある人が詠んだ歌)

273 詠
(ながむ)べき 方だにもなき 秋霧に あはればかりや 紛れざるらん
(どこを見たらいいのかわからない一面の秋霧にも 悲しさだけは紛れることがないのでしょうか)  

 返し
(返歌)

274 涙のみ きりふたがれる ころなれば 心の空の 晴るるよもなし
(涙ばかりが出て 霧が立ち込めたように 目の前が真っ暗なこの頃ですから 気持ちが晴れることもないのです)  

 前なる桜の木、紅葉したるに
(庭先の桜が紅葉したので)

275 涙のみ 時雨る宿の 梢には ほかより先に 紅葉しにけり
(涙ばかりが時雨のように降るわたしの家の梢では よそより先に紅葉したことです)  

 十月に、屋の上に木の葉の散り積みたるを、風の吹き散らししを見て
 
(十月になって、屋の上に木の葉が散り積もっているのを、風が吹いて散らしたのを見て)

276 つまなくて あれゆく閨の 上とてや 木の葉をかぜの 吹き散らすらん
(夫がいなくなって荒れ果てていく寝室の屋根だからというので 木の葉を風が吹いて散らすのだろうか)  

 白き杖のをかしき、せんざいの杖と書き付けたりけるを見て
 (白い杖で見事なのを、「千載の杖」と書いてあったのを見て)

277 ひとりして いかなる道に 惑ふらん 千年の杖も 身にそはずして
(亡くなった夫は一人でどのような道に迷っているだろう 千年の坂も越えるという杖も身につけていなくて)

 「梅の花も咲きにけり、桜もみな咲きけしきになりてけり」と、人の言ふを聞きて
 
(「梅の花も咲いた、桜もみな咲きそうになった」と人が言うのを聞いて)

278 君とこそ 春来る事も 待れしか 梅も桜も 誰とかは見ん
(あなたがいたからこそ春が来るのを待ち遠しく思われたのです 梅も桜も誰と見るというのでしょう)  

 花を見て
(花を見て)

279 去年
(こぞ)の春 散りにし花は 咲きにけり あはれ別れの かからましかば[詞花集雑下・玄玄集]
(去年の春散ってしまった花は今年も咲いた ああ 死別もこのようであったなら)  


 同じ頃、花をおこせて言ひたる
 (同じ頃、ある人が桜の花を贈ってきて詠んできた歌)

280 我宿の 桜の咲きて 散るを見ば 物思ふ人も 慰みなまし
(私の家の桜が咲いてやがて散るのを見てくだされば 世の中はこのようなものだと思って 物思いに沈んでいらっしゃるあなたも心が慰められるでしょう)

 返し
(返歌)

281 散
(ちる)花の つねなき世とは 見えぬれど なほぞ昔の 春は恋しき
(美しく咲いても散る桜の花のように この世は無常なものだとわかっていますが それでもやはり夫と一緒にいた春が恋しく思われます)  

 美作三位(みまさかのさんみ)、花に付けて
 
(美作三位が、花につけて)

282 花の色も 宿も昔に たがはじを 変はれる物は 衣(ころも)なりけり
(花の美しさも住まいも以前と変わらないのに 変わってしまったものは衣なのですね)  

 返し
(返歌)

283 花にだに 心もかけず 主
(あるじ)なき 宿は昔の 心地やはする
(花にさえ心をとめません 主のいなくなった家が昔通りの気持ちがするでしょうか)  

 五月五日、同三位
(五月五日、同じく美作三位が)

284 墨染の 袂はいとど 恋路にて 菖蒲
(あやめ)の草の ねやしげるらん[後拾遺集哀傷]
(墨染の袂は恋しく思う涙でたいそう濡れて 泥沼のようになって あやめの根が繁ってしまうでしょう)  


 返し
(返歌)

285 菖蒲草
(あやめぐさ) 今日の袂の 玉とては 涙をかくる ねのみなりけり
(今日は袂にかけるあやめ草の薬玉の代りに 涙をかけて声をあげて泣くばかりです)  

 同日、定基僧都の母
(同じ日、定基僧都の母)

286 詠
(なが)めつつ 今日墨染の 袂には あやめにあへぬ ねやかかるらん
(追憶にふけっていらっしゃる喪服の袂には あやめではなく 悲しみに泣く涙がかかっているのでしょうか)  

 返し
(返歌)

287 いつとても ねのみかかれる 袂には 今日のあやめは わかれざりけり
(いつも声をあげて泣いて 涙ばかりがかかっている袂なので 今日があやめの根をかける日だとは気づきませんでした)  

 月の明き夜
(月の明るい夜)

288 五月雨の 空だにすめる 月影に 涙の雨は 晴るるよもなし
[新古今集雑上]
(五月雨の空でさえ澄んだ月の光があるものを 故人を偲んで流す涙の雨は晴れる時がありません)  


 時鳥を聞
(きき)(ほととぎすの鳴く声ろを聞いて)

289 別
(わかれ)にし 人はいかなる ほととぎす 死出(しで)の山路の 物語りせよ
(この世を去った人はどんな所にいるのでしょう ほととぎすよ あの世の話を聞かせて)  

 秋、石山に詣でて、鹿の声を聞
(きき)
 (秋、石山寺に参詣して、鹿の声を聞いて)  

290 妻こふる 声ぞ悲しき 別れては しかはいかな る 心地かはせし
(妻を求めて鳴く鹿の声は悲しい 別れた後 鹿はどんな気持ちがしたのでしょうか)  

 又つとめて帰るに、山影なる草の朝日のさしたるに、 なほ消えであるを、哀れなりし折のこと思ひ出られて
 (また、早朝に帰る時に、山影にある草の露が、朝日が射しているのに、 そのまま消えないでいるのを見て、夫が亡くなった悲しい時のことが思 い出されて)

291 朝日さす 山下露の 消ゆるまも 見し程(ほど)よりは  久しかりけり
[続後拾遺集哀傷・続詞花集]
(朝日がさして山の木陰の露が消える短い時間も 夫と一緒に暮らした時間よりも長いと感じる)  


 山科
(やましな)のわたりに、家のいたく荒れたるを、「おとどに後 れてこのふたとせにかうなりにたる」と人云を聞て
 (山科のあたりに、家がひどく荒廃しているのを、「主人に死なれて、こ の二年の間にこんなふうになったのです」と人の言うのを聞いて)

292 ひとりこそ あれゆくとこは 嘆きつれ 主
(ぬし)をき宿は またも有(あり)けり[後拾遺集哀傷]
(じぶんだけが夫の死後 さびれてゆく寝室を嘆いていると思っていたが 主人を亡くした家はここにもあったのだ)
 ※「主(ぬし)をき」―桂「主なき」。


 物より帰るに、待ち取りいそぎし人もなきが哀れなれ ば
 
(外出先から帰っても、わたしを待っていて準備してくれた夫もいないのが寂しいので)

293 ふる里を 見ればもののみ 悲しきに 家を出で ぬる 身とやならまし
(わが家を見ると悲しくなるばかりなので 出家の身となってしまおうかしら)

 同じ頃、初瀬に詣でて、夜泊りたる所に、草を結ひて 枕の料とて得させたり、もろともに詣でたりし旅の有様 思ひ出られて
 (同じ頃、初瀬に参詣して、夜泊まった所で、草を結んで枕の材料にす るようにと言ってくれた。かつて夫と一緒に参詣した時の様子が思い出 されて)

294 ありしよの たびはたびとも あらざりき ひと り露けき 草枕かな
[新古今集羇旅]
(夫が生きていた頃の旅は 旅というほどのものではなかった 今度こそ一人で涙に濡れるたびになってしまった)  


 雁の行き帰り鳴くに
(雁が行ったり来たりして鳴くので)

295 あはれなる たびの空とや 思ふらん かりやを 過ぎず なく声のする
(雁もかわいそうな旅だと思っているのだろうか 旅の仮屋を通り過ぎ ないで雁の鳴く声がする)  

 道にていと苦しければ、野に臥して
 
(道中ひどく苦しかったので、野に横になって)

296 浪もなき 野辺の露とや 消えなまし 煙とだに も 誰かなすべき
(はかない野辺の露のように消えてしまうのだろうか 野垂れ死にでは 誰が荼毘の煙として弔ってくれるだろう)
 ※「浪もなき」―桂「はかも なき」。  


 「きどのといふ所に宿らむ」と言ふを、「誰ぞ」と 問ひて問へば言はせし
 
(「木殿という所で宿をとりましょう」と言うのを、「誰だろう」と思っ て尋ねるので、人をして言わせた歌)
 ※「木殿」―「きのまろどの」に 同じ。


297 名告
(なの)りせば 人知りぬべし 名告(なの)らずは 木の丸 殿を いかで過ぎまし[後拾遺集雑四]
(名乗ったら人はわたしを知ってしまうでしょう でも名乗らなかった ら 昔から名乗りながら通って行った『木のまろ殿』を通り過ぎること ができるでしょうか)
 ※神楽歌・朝倉「朝倉や 木の丸殿にや 吾が居 れば 吾が居れば 名乗りをしつつや 行くは誰」をふまえる。  


 石上
(いそのかみ)にて(石上で)

298 行
(ゆ)くとては とはれもめなれぬ 石上 たよりに ふるる 名こそ有(あり)けれ
(初瀬詣でに行くのは わたしも目慣れてしまった 石上は 名高い所 ですが わたしもついでに寄らせていただきます)
 ※「とはれもめなれ ぬ」―桂「われもめなれぬ」  


 帰るに、「宇治のわたりに先ざき宿りし所の汚らはしき ことあり」と言ひしに
 
(帰る途中、「宇治の近辺の以前宿泊した所で忌むべきことができた」 と言ったので)

299 日をへても 昔見なれし 網代木
(あじろぎ)に 寄せじとな せそ 宇治の川波
(日数が経っても 昔見慣れた網代木だから 近づけないようにはしないでほしい 宇治の川波)  

 雪いみじく降りたりしに、石山に涅槃会に詣でしに、 打出の浜にていと深く積もりたりしに
 
(雪がひどく降った時に、石山寺の涅槃会に参詣したが、打出の浜で雪がとても深く積もっていたので)
 ※「涅槃会」―釈迦入滅の二月十五日に行われる追悼の法会。


300 関越えて あふみちとこそ 思ひつれ ゆきの白 浜 ここはいづこぞ 
(逢坂の関を超えたら 近江路に出会うと思っていたけれど 雪で一面 真っ白な浜辺は ここがどこなのかもわからない)

 その日、禅林寺僧正にきこえし
 (涅槃会の当日、禅林寺僧正に申し上げた歌)

301 別れけん 昔の今日を いづくにて さかさも知 らで 我過(すぐ)しけん
(今日はお釈迦様が入滅された日ですが わたしはその時どこにいて  そうとも知らないで 今までどうして暮らしてきたのでしょう)  

 僧正、御返し(僧正、御返歌)

302 まれにても 今日にしあへば 過しけん 罪は春 べの 雪に消ぬべし
(稀でも 今日の涅槃会に詣でたのだから 過去の罪は 春先の雪のよ うにきっと消えるでしょう)  

 又、尼寺にて涅槃経説くを聞(きき)て
 (また、尼寺で涅槃経を説教するのを聞いて)

303 今はとて 説きける法(のり)の 悲しさは けふりうれ たる 心地こそすれ[新後拾遺集釈教]
(臨終にあたって説法されたお釈迦様の教えが悲しいのは ほんとうに 今日入滅なさったような気がしてならないからです)
 ※「けふりうれた る」―桂「けふわかれたる」。
 

 梅の花に付けて、定基僧都の母
 (梅の花につけて、定基僧都の母)

304 よそへても 見まくほしきを 春かけて 待ちこ し梅の 匂ひ薫れる[万代集]
(花が散るのを無情なこの世になぞらえてみたいと思いますが それに しても冬から春になるまで咲くのを待ち続けた梅の花が芳しい匂いを放 っています)  


 返し(返歌)

305 見てもかつ あはれなるかな 梅の花 春にはま たや あはんとすらん[秋風集]
(美しいと見ても一方では悲しくてならない 梅の花にも 春になれば  また会えるとは限らないのですから)  

 また、僧都の母(また、僧都の母)

306 もしもまた 春にあらずは 梅の花 誰見よとか は 咲くべかるらん
(もし再び春に会わないというなら 梅の花も誰に見てもらおうとして 咲けばいいのでしょう)
 ※「春にあらずは」―桂「はるにあはずは」。  


 また、これより返し(また、こちらから返歌)

307 忍ぶべき 人なき身こそ 悲しけれ 花をあはれ と 誰か見ざらん[続千載集雑上・万代集]
(花を愛でる相手がいないのが悲しいのです 花を愛すべきものと誰が 見ないことがあるでしょう)  

 梅の花にかざして人のおこせたりしに、香の悪かりし かば
 (梅の花を鯛に挿して、ある人が寄越したが、変な臭いがしていたので)
 ※「梅の花にかざして」―桂「梅の花を鯛にかざして」


308 春ごとに さくらたひとぞ 聞きしかど 梅をか ざせる 香ぞつきにける[続詞花集]
(春ごとに咲く桜のような色の桜鯛という名は聞いていましたが 梅を かざしている香りがついていました)  


 五月五日、語らふ人のもとより薬玉おこすとて
 (五月五日、親しくしている人から薬玉を寄越すと言って)

309 いつとても こひぬにはなし 今日はいとど か くとばかりの あやめにも見よ
(いつだってあなたを恋しく思わないときはありません 今日五月五日はひとしおです これほどお慕いしている気持ちを このあやめで察してください)  

 返し、とうじみの根にしたるが、ことに長からねば
 (返歌、灯心をあやめの根にしたのが、格別長くもないので)

310 同じくは 長く引けかし あやめ草 根をかへて さへ 短(みじか)きやなぞ
(同じことならあやめ草の長いのを引いてほしいものです 灯心を根に 代用してさえも短いのはどうしてですか)

 六月晦、庚申なりしに (六月末日が、庚申だったので)

311 よもすがら おきける露の 涼しきは 秋の隣や  近く成(なる)らん
(一晩中起きていて あたり一面に置いた露が涼しく感じられるのは 夏の隣である秋が近くなったからだろうか)  

 蟬のも抜け見て(せみの抜け殻を見て)

312 消えて後(のち) われこころみる わざもがな かむりしからの あはれなるかと
(死んだ後 じぶんで試してみる方法がほしい わたしのかぶっていた 亡骸が このように虚しい感慨を誘うものかと)
 ※「かむりしからの」 ―桂「こはむしからの」。  


 秋の初めに瞿麦(とこなつ)に付けて、定基僧都母
 (秋の初めに撫子の花につけて、定基僧都の母が)

313 とこなつの 花をのみ見て 今日までに 秋をも 知らで 過しける哉
(夏の間 撫子の花ばかり 今日まで飽きもしないで見て 秋が来たの も知らないで過ごしたことです)  

 返し(返歌)

314 花はさへ とこなつにのみ 匂はなん 人の心に  秋を知らせじ
(花はそれでは 常夏という名前の通り いつまでも変わらない夏の花 と咲き匂ってほしい 人の心に秋が来ることを知らせないように)
 ※「花 はさへ」―桂「花はさは」  


 石山に詣でしに、関山の杉のわづかに見ゆるを、「近く なりぬや」と問へば、「杉のあなたいと遥かに侍る」と言 ひしに
 (石山寺に参詣したときに、逢坂山の杉がちらりと見えるので、「石山寺 が近くなりましたか」と尋ねると、「杉の向こう、まだずっと遠くです」 と言ったので)

315 すぎすぎて いくらばかりか すぎてゆく あま ねき門(かど)の しるしきえなん
(杉の生えている所を過ぎて どのくらい過ぎてゆくのだろうか 仏の 慈悲によって早く石山寺に着きたい)  

 関山にてしばし休むとて、尾張にたびたび下りし有様 思ひ出づるに、心細げにてあるが哀れなれば
(関山でしばらく休むといって休憩していると、尾張にたびたび下向し たときの様子を思い出すと、今度の旅は供もわずかで、心細いのが悲し いので)

316 昔見し 関の関守 それならず 我と知らすな  後の名のため
(昔見た関の関守は今の人とは違う わたしを大江匡衡の妻と知らせな いでください 後々の名誉のために)  

 日頃籠りたるに、夜、谷に猿の鳴きしを
 (数日参籠していると、夜、谷で猿が鳴いたので)

317 便(たより)なき 旅とは我ぞ 思ひつる 木を離れたる  猿も鳴(なく)なり
(心細い旅だとは思っていたが 木を離れた猿も心細さに鳴いている)  

 帰(かえる)べきほど近くなりて、蛙の鳴きしに
 (帰る日が近くなって、蛙が鳴いたので)

318 かへるべき 程の近きを 惜しむかと かはづの 声の あはれなるかな
(帰る日が近いのを惜しむかのように 蛙の声が名残惜しそうに聞こえ る)

 帰る道に、葦多かる所に水鳥さまざまに遊ぶ
 (帰る道で、葦がたくさん生えている所に水鳥がさまざまに遊んでい る)

319 水鳥は 鴛鴦(おし)もたかべも 通(かよ)ひけり 葦鴨(あしがも)のみは  すまぬなるべし
(水鳥は鴛鴦もたかべも行き来している 葦鴨だけは葦が多いのにここ に住まないようだ)  

 方塞(かたふた)りければ泊りて帰る、瀬田橋の下を舟にて過ぐと て
 (帰る方角が、その日塞がっていたので、泊まって帰る。翌日、瀬田橋 の下を舟で過ぎるというので)

320 宮古人(みやこびと) 待つほど過ぎて 思ふらん 瀬田のはし 舟 今ぞ漕ぎ行(ゆく)
(都にいる人は待ち迎える時が過ぎて心配しているでしょう 瀬田の橋 の下を今漕いでいくところです)

 「尼にならばもろともに」とせし人に、さも言はでな りにたりしかば言ひたる
 (「尼になるなら一緒に」と約束した人に、なにも言わないで出家してし まったので、言った歌)

321 もろともに きむやましやと いざなひて 法の衣を 思ひたてかし
(一緒に法衣を着ましょうか それとも別々になさいますかと わたし を誘ってから 出家を決心してほしかった)
 ※「きむやましや」―桂「き むやきじやと」。  


 返し(返歌)

322 人をこそ まづは先にと 思ひしか 後るるばか り 悲しきはなし
(あなたが先に出家なさると重つていましたが 後れるほど悲しいこと はありません)  

 橋造りたる聖の、河原にて橋の会すべしと聞きて行き たれば、「制ありとて清水にてなんする」と言ひしかば、 うち詣づとて
 (「橋を架けた高僧が、河原で橋の渡り初めの法要をするはずです」と聞 いて行ったところ、「制止の命が出て清水寺で行う」と言ったので、そこ へ詣でるというので)

323 けふをこそ 嬉しきはしと 思ひつれ 渡し果てずは いかさまにせん
(今日こそ嬉しい橋の供養で 此岸から彼岸に渡していただくとおもつ ていたのに 渡し終わらず 恵みを受けられなかったらどうしたらいい のだろう)  

 さうで着きたればみなこと始まりて、花など散らすほ どなりしに
 (お参りしに清水寺に着いてみると、橋供養の法会の儀式が始まって いて、散華(さんげ)をしている時だったので)
 ※「さうで」―桂「まうで」。※ 散華―仏を供養するために花をまき散らすこと。


324 春ごとに 桜咲くやと 待つよりは 仏に散らす  花をこそ見め
(春ごとに桜がいつ咲くのか待つよりは 仏に撒き散らす花をこそ見ま しょう)

 女院に啓すべきことありてまゐりたりしに、一条院御 こと仰せられ出て、匡衡(まさひら)が御文つかうまつりしほどの事 ども仰せられて、いみじく泣かせ給しかば、悲しくおぼ えて罷(まか)でてつとめまゐらせし
 (女院に申し上げなければならないことがあって参上したところ、 女院が一条院のことを話し出されて、匡衡が願文などをお作りしたことなどをおっしゃって、たいそうお泣きになったので、悲しく思われて、退出して翌朝さし上げた歌)

325 つねよりも また濡れそひし 袂哉 昔をかけて  落ちし涙に
(いつもよりもまたいっそう濡れた袂です 昔のことをいろいろ思い出 して落ちた涙によって)  

 御返し(ご返歌)

326 うつつとも 思ひわかれで 過るよに 見し世の 夢を 何語りけん[千載集哀傷・続詞花集]
(夢なのか現実なのか区別できないで過ごしていますのに かつて経験した夢のようなはかないことをどうしてお話ししたのでしょう)  


 正月に司召し始まる夜、同じ院に、雪いみじう降りし にまゐりて、たかきかが事啓して罷でてまゐらせし
 (正月に司召しが始まる夜、同じ女院に、雪がひどく降ったときに参上 して、息子挙周(たかちか)の任官のことをお願いして、退出してさし上げた歌)
 ※ 「たかきか」―類「たかちか」。挙周のこと。

327 思へただ かたのの雪を 払ひつつ 消えぬさき にと 急)ぐ心を[今昔物語集]
(どうかただ思いやってください 頭に振りかかる雪を払いのけながら  わたしの命が消えない前にと急いでお願いします心を)
 ※「かたのの雪 を」―類「かしらの雪を」  


 「和泉を」と申しに、なりて後のつとめてぞ、御返し は賜はせたりし
 (「和泉国の国守に」と申したのですが、その和泉守になった後の翌朝、 女院からご返歌を賜った)

328 払ひける しるしもありて みゆる哉 雪間を分て 出づるいづみの
(頭に振りかかる雪を払って願われたしるしがあったと見えますね 雪 をかきわけて湧き出る泉 その和泉守になられたとは)  

 と仰せられたる御返しに (とおっしゃったお返事に)

329 人よりも 分(わき)て嬉しき いづみかな 雪げの水の  まさるなるべし
(ほかの人よりも格別に嬉しい豊かな泉です 雪どけの水がまさるので しょう〔女院さまのお心配りが人よりもまさっていたのでしょう〕)  

 夢語らぬ日といふもののありしを、書き写しておきし ついでに
 (夢を話さない日があったのを、匡衡が書き写しておいた、そのついでに)

330 夢にだに 見えずなりなん 後よりは これや形 見に ならんとすらん
(亡くなった夫を夢でさえ見なくなってしまうなら その後からはこの 書き写していたものが形見となるでしょう)  

 桜の花を折らせて、定基僧都の母
 (桜の花を人に折らせて、それに手紙をつけて定基僧都の母が)

331 つれづれと 物思ふ事も 忘れけん 幾世もあら じ 花を見る間は
(寂しく物思いにふけることも美しい花を見て忘れていまいます それ にしても花を見るのはもう何年もないでしょう)
 ※「忘れけん」―桂「忘 れけり」  


 返し、人のいと多く亡くなりにし頃にて
 (返歌、人が大勢亡くなった頃だったので)

332 見るままに いとど物のみ 悲しけれ 散り行く 花に 世をたとへつつ
(花を見るといっそう悲しくなるばかりです 散ってゆく花にこの世の 無情を例えながら)  

 ある寺に鐘鋳(かねい)しがいみじう恐ろしげに見えしを
 (ある寺で鐘を鋳造していたのがとても怖そうに見えたのを)

333 後の世を かねてみるこそ 悲しけれ かかるほ のおに いるにや有らん
(死後の世界を前もって見るのは悲しい このような炎の中に死んだ後 には入るのでしょうか)  

 五月ばかり草の繁き中に山吹の咲きたりしを
 (五月の頃、生い茂った草の中に山吹が咲いていたのを見て)

334 我宿は 八重葎(やえむぐら)かと 見しほどに 八重山吹の  花ぞ匂へる
(わたしの家は八重葎に閉ざされていると見ていたら その中で八重山 吹の花が咲き匂っている)  

 「まだ手も書かず」と言はせたれば、「ただ鳥の跡を見 む」と言ひたるに
 (「まだ文字も書きません」と人を介して言わせたところ、「なんでもい いからただ書いたものが見たい」と言ったので)
 ※この文章の前に類では「むすめのもとに、よりきよが文おこせたりけるに((娘のところへよ りきよが手紙を寄越したので)」がある。


335 浦なれぬ 千鳥の跡は ありもせじ 空にかける を 人は見よかし
(海辺の砂浜に慣れていない千鳥の足跡はないでしょう 空を飛んでい るのをあなたはごらんください)  

 又、同じ人(また、同じ人が)

336 沖つ嶋 玉藻刈り舟 浦風に 静心なき 物をこ そ思へ
(沖の島で海草を刈る舟が 海を吹く風に不安な思いがするように 落 ち着かないで物思いをすることです)  

 返し(返歌)

337 玉藻刈る 沖つ嶋人 こち風に いたくもわびし  浦なれぬらん
(海草を刈る沖の島の人は 東から吹く風をそんなに辛く思わないでし ょう 海辺に慣れているから)  

 「つねに返事もせぬは思ひ絶えなんと思ふに、とどま らぬ涙」とやうに言ひたる返し
 (「いつも返事がないから、あきらめようと思うが、とめどなく流れる涙 です」というように言ってきた返事)
 ※「せぬは」―類「せねば」。


338 とどまらぬ 涙ばかりぞ あはれなる 思ひ絶えなん 人は人にて
(とめどなく流れる涙だけはお気の毒に思います あきらめようとおっ しゃる人は それはそれとして)  

 「さかしらなり」と言ひたれば、又の日
 (「利口ぶって」と男が言ったので、次の日に)

339 さかしらの 嬉しかりしを 同じくは よきさしいでの ありと聞かばや
(「利口ぶって」と言われて嬉しいですが 同じことならよいおせっかいがいると言っていただきたいものです)  

 返し(返歌)

340 よからばぞ よきさまかとも 厭ふべき 引き立 てもなき 心地こそすれ
(よいおせっかいなら嬉しいことだと思い どうして嫌うことがあるで しょう あなたにはわたしを引き立ててくれる気持ちもないように思わ れます)  

 夜ごとに簀子に居明かすを見、入るることもなければ、 帰りてつとめて
 (夜ごとに簀子に座って夜を明かす男を気にかけて見ることもないので、 家に帰って翌朝早く寄越した)

341 起きて伏し 伏しては泣きぞ 明かしつる あは れやすくや 人は寝つらん
(起きては横になり 横になっては泣いて 夜を明かしました あなた はきっと安らかにおやすみになったことでしょう)  

 返し(返歌)

342 帰(かえり)つる 程はいぬると 見えつるを いつの間に かは 起きて伏しつる
(お帰りになった時は行っておやすみになると見えたのですが いつの 間に起きて来て横になっていたのですか)  

 風吹雨降る夜、例の簀子に居明かして帰りつとめて
 (風が吹き雨が降る夜、例の簀子に座って夜を明かして帰り、翌朝)

343 わたつみに 夜半ともいはず 世を過す 蜑(あま)の小 舟も かくはこがれじ
(海で昼もなく夜もなく時を過ごしている海人の小舟も わたしほど舟 を漕がないでしょう〔わたしほど思い焦がれてはいないでしょう〕)  

 返し(返歌)

344 こがるらん 小舟も波に 沈むとて あま夜の風 の 吹もきえつる
(思い焦がれているあなたの小舟も 一晩中海にいては沈むからというので 雨夜の風が吹いてお帰りになったのでしょう)  

 け近(ぢか)くなりて文おこする返事を胸病みてせねば
 (親しく付き合うようになって、手紙を寄越すその返事を、胸を病ん でしないので)

345 胸ひしげ 嘆く嘆きも あり経(ふ)れば あく心地す る 物と知らなん
(胸がつぶれて歎くその嘆きも 時が経つと 飽きる気持ちがするもの と知ってほしい)  

 返し、例の代はりて (返歌、いつものように代わって)

346 程もなく あくと聞くこそ ゆゆしけれ とても かくても なげかしのよや
(逢いはじめてまもなく 飽きると聞くなんて不吉です とにかく嘆か わしいわたしたちの仲ですね)  

 かくてありつきて後、何事に怨(え)ずるにか、夜夜(よるよる)のみ来 て、あか月にいととく帰るに、少し日高くなりて出でぬ るつとめて、箱の蓋に、果物を入(いれ)ておこせて「今朝はい と明くなりつればはしたなくおぼえつること」と言ひけ れば、その蓋に書き付けてやりし
 (こうして結婚して、その後なにを恨んでいるのか、夜だけ来て、暁に とても早く帰るが、少し日が高くなって出て行ったその日の朝早く、箱 の蓋に果物を入れて寄こして「今朝はずいぶん明るくなってしまったの で、きまり悪い思いをした」と言ってきたので、その蓋に書いて送った)

347 あけばなど 悔しきことか 浦島の こはいつよ りの 心づかひに
(夜が明けるとどうして悔やむのですか 玉手箱を開けた浦島の子のよ うに それにしてもこの箱はいつからの心遣いなんでしょうか)  

「小鷹狩りしになむ行く」とて、太刀取りにおこせた りしに、結び付けさせし
(「小鷹狩りをしに行く」と言って、太刀を取りに人を寄越したので、そ の太刀に結び付けさせた歌)

348 かりにぞと いはぬ先より 頼まれず たちどま るべき 心ならねば[千載集恋五・続詞花集]
(狩りに行くと言われない前からあてにできない ここに立ち止まるは ずの気持ちではないから)  


 この人の車を借りて嵯峨野に花見に出でける人の、返 すとて色色の花を挿しておこせたるを「いかが言ふべき」 と言ひしに代はりて
 (この人〔赤染の娘〕の車を借りて、嵯峨野の秋の草花を見に出かけた 人が、返すと言って、さまざまな色の花を車に挿して寄越したので「ど う返事しようか」と言った人に代わって)

349 花の色は 行(ゆ)きて見すぐも 秋の野の 折りくる まをぞ 待つべかりける
(花の色はわざわざ見に行かないでも 秋の嵯峨野の花を折ってくる間  その車をよかったですね〔ここにいてもお花見ができてありがたいです〕)  

 同じ人のもとに、すゑのりが来たるを見て言はせし、 八月十五夜の事也
 (同じ人のところに、季範が来ているのを見て娘に言わせた歌。八月十 五日の夜のことです)
 ※「すゑのり」―源季範か。


350 君ならぬ 人来たりせば 問ひてまし 今宵の月 は ことに見ゆべき
(あなたでない人が来たのなら 尋ねて見たいものです 今夜の月は特 別に見えますかと〔今夜は中秋の名月で わたしも別人のように素晴ら しく見えますか 人違いでここにいらっしゃったのでしょう〕)

 法輪に籠りたりしに、あか月に蔀(しとみ)を押し上(あ)ぐる人の 「鹿のいと近くもありけるかな」と言ひしに
 (法輪寺に参籠していた時、明け方に蔀戸を押し上げる人が「鹿がずい ぶん近くにいたのだな」と言ったので)

351 朝ぼらけ 蔀を上ぐと 見えつるは かせぎの近 く 立てるなりけり
(夜明けに蔀を上げると見えたのは 鹿が近くに立っていた)
 ※「かせ ぎ」―鹿の異称。  


 雨降り、もの心細かりしに (雨が降り、なんとなく心細かったので)

352 さらでだに とふ人もなき 山里に 雨にや言(こと)を  つてんとすらん
(ただでさえ訪れる人もいない山里で どうして雨などに言伝てをしよ うとするのでしょう)  

 大井河に舟の漕ぎ渡るを見て (大堰川に舟が漕ぎ渡るのを見て)

353 雨やまぬ かげをば渡る 高瀬舟 をちたか人の 来るかとぞ待つ
(雨がやまないで影のように見える中を渡ってくる高瀬舟 遠い所から 誰かが来るのかと待っています)  

 くつは虫の近く鳴きしに (くつわ虫が近くで鳴いたので)

354 秋の野を 分(わけ)てばかりは 誰か来(こ)ん くつはの声 の 近くする哉
(秋の野を踏み分けてまで誰が来るのだろう 轡の鳴る音が近くにしている)
 ※「くつは」―くつわ虫に、馬の口に取り付ける鉄製の馬具「轡」をかけた。
 ※和泉式部もくつわ虫を「わが背子は 駒に任せて 来にけりと 聞きに聞かする 轡(くつわ)虫(むし)かな[和泉式部集続集243・万代集秋下](がちゃがちゃと馬の轡そっくりの音でむやみに聞かせてくれるから あの人が馬の進むのにまかせて来たのだと思った)」と詠んでいる。
〈和泉の歌は歌になっているけれど、赤染の歌は歌になっていない〉
 とわたしには思えてならない。概して赤染の歌は、詞書をそのまま歌にしただけが多く、和泉のように、詞書から突然の飛躍といったものがない。ここまで三五四首を現代語訳したが、残念ながら秀歌と思える歌は見当たらない。  

 ある公達のおはして、「嵯峨野に花見つるついでに来つる、そこ寝なんこころざしといふたよりとはな思ひそ」とのたまひしに
 (ある公達がいらっしゃって、「嵯峨野に花を見たついでに来ました。あなたの所に泊まろうという気持ちとは思わないでください」とおっしゃったので)

355 便(たより)にも 来ずはいかがは 待たれまし 花見つるとも いふぞ嬉しき
(ついででも来てくださらなかったら どうしてお待ちする気になれる でしょう 花を見て来たと正直におっしゃったのが嬉しい)  

 月の明き夜、大井河白く見えわたりけるに
 (月の明るい夜、大井川が一面に白く見渡されたので)

356 大井河 白く照らせる 月を見て 黄金の池を 思ひこそやれ
(大井川を白く照らしている月を見て 極楽にあるといわれる黄金の池 もこうではないかと思いやられます)  

 野分したるあしたに、幼き人を「いかに」とも言はぬ男にやる人に代はりて
(野分が吹いた翌朝に、幼い人を「どうでしたか」とも言って寄こさない薄情な男親に、手紙を送る人に代わって)
 ※野分―秋に吹く激しい風。台風。


357 あらく吹く 風はいかにと 宮木野の こ萩が上を 露も問へかし
(荒く吹く風に どうでしたかと 宮城野の小萩〔幼い子〕のことを少 しでも尋ねてきてください)  

 法輪に籠りたりしに、風のいみじう吹きしに
 (法輪寺に参籠していた時に、風が激しく吹いたので)

358 山おろしの 風の声のみ 激しくて 井堰(いぜき)の水は もれどもられず
(山から吹き下ろす風の その音ばかり激しくて 川の水は堰を越えて 漏れているけれど わたしは寝られない)
 ※「もられず」―類「寝られ ず」。  


 檀林寺の鐘の土の下に聞ゆるを「いかなるぞ」と問へば、「鐘堂もなくなりて御堂の隅に掛けたれば、かう聞ゆるぞ」と言ひしに、后のおぼしおき哀れにて
 (檀林寺の鐘の音が、地面の下で聞こえるので、「どうしてなの」と尋ねると、「鐘堂もなくなって、御堂の隅に掛けてあるので、こんなふうに聞こえるのです」と言ったので、〈檀林寺を建てられた檀林皇后の思われたことはこうではなかつただろう〉とお気の毒で)
 ※「后」―嵯峨天皇の皇后、橘嘉智子。檀林寺を創建し、橘氏の子弟教育のために学館院を建てた。


359 ありしにも あらずなりゆく 鐘の音 つき果て むこそ 哀なるべき
(創建当時のままではなくなっていく鐘の音が 尽き果ててしまう時は 悲しいことでしょう)  

 入相の声に、もの心細かりしかば
 (入相の鐘の音が聞こえて、なんとなく心細かったので)
 ※「入相の鐘」―暮れ方につく寺の鐘。また、その音。


360 はかなくて くるる入相の 声聞(きけ)ば 我が世つくとは おぼえやはする
(虚しくて 一日が暮れる時の入相の鐘の音を聞くと わたしの命もこ れで尽きると思われてしまう)

 いく山より帰りしに、粟田山にて 日暮れて「まつ持たる者遅れにけり」とて止まりたるに、月も今に出でぬ程にて
 (石山寺から帰ったときに、粟田山で日が暮れて「松明を持っている者が遅れてしまった」というので休憩していた時、月もまだ昇らない頃で)
 ※「いく山」―類「石山」。


361 足曳(あしひき)の 山路は暗く 成(なり)ぬとも 月をまつにて 越えむとぞ思ふ
(山路は暗くなってしまっても 月の出を待って それを松明にして山 を越えようと思います)

 大将殿に女のさぶらひし時、「尼に」とて海藻を賜はらせたりしに
 (大将殿〔藤原教通〕に娘が伺候していた時、「尼に」と言って海藻を頂戴したので)

362 わたつみの 年経るあまの 身なれども かかる嬉しき めぞ見ざりける
(海に年を重ねる海人の身ではありますが これほど見事な海藻は見たことがありません)  

 御心かれがれにならせ給へりし比(ころ)、「嵯峨野に、花見になん行く」とのたまはせたりしに、女に代はりて
 (大将殿のお気持ちがだんだん遠のいてしまわれた頃、「嵯峨野に花見に出かける」とおっしゃったので、娘に代わって)

363 忘れゆく 心の秋の つらければ 我こそさがの 花をだに見む
(わたしを忘れていかれるあなたの心変わりが辛いので わたしは〔飽きに通じる〕秋の花で名高い嵯峨野の花さえも見ません)  

 同じ人の久しく訪れ給はざりしに、例の代はりてきこえさせし
 (同じ人が長い間お訪ねくださらなかったので、いつものように娘に代わって申し上げさせた歌)

364 忘れなば 我も忘るる わざもがな 我が心さへ つらくも有哉
(あなたがわたしを忘れたなら わたしもあなたを忘れる方法がほしい いつまでも忘れられないわたしの心まで情けなく思われます)  

 御返し(ご返歌)

365 片時も 忘れぬ物を おしなべて 忘るといふや 誰が身なるらん
(ほんのわずかな間もわたしはあなたを忘れないのに 普通の人と同じように忘れるなどと言うのは誰のことでしょうか)  

 とのたませたれば、また (とおっしゃったので、また)

366 人をのみ 忘れざるらん 心にて 昔をだにも 思ひ出よかし
(わたし以外の女性を忘れないでいらっしゃる心で せめて昔の仲がよかっただけでも思い出してください)  

 同じ人久しく訪れ給はで、「など恨みぬ」とのたまはらせたりしに
 (同じ人が長い間訪ねて来られないで、「どうしてわたしを恨まないのか」とおっしゃったので)

367 恨むとも 今は見えじと 思ふこそ せめてつらさの あまりなりけれ[後拾遺集恋二]
(もう今は恨んでいるとは見られない と思うことが 辛抱の限界というものです〔苦しみの極みには 恨めしくても あえて恨めしい顔など見せないものです〕)


 また、頼めたまて程(ほど)経(へ)て
 (また、あてにさせておいて、しばらくしてから)

368 頼めつつ 来ぬ夜は経(ふ)とも 久方の つまおば人の 待つといへかし[新勅撰集恋五]
(あてにさせておきながら来ない夜が続いても 月を待つように あなたは待っていますと言ってください)
 ※「久方のつま」―類「久方のつき」。  


 御返し、代はりて (お返事を、娘に代わって) 

369 今はなど 待つとだにやは いはれける 頼むる事は つきもせね共
(今さらどうして待っていますなどと言えるでしょう あなたが訪れをあてにさせることが尽きないとしても)  

 同じ人、ある所の五節のかしづきにおぼし移りたりしに、例の代はりてきこえさせし
 (同じ人が、ある所の五節の介添え役の侍女に心移りをなさったので、いつものように娘に代わって申し上げさせた歌)

370 天照らす 豊(とよ)の日かげに 面(おも)馴れて 山ゐの衣 いづれめづらし
(天に光り輝く豊のひかげに慣れ親しんで どの山藍の衣を一番素晴らしいと思われますか〔五節の舞姫には見慣れて こんどはその介添え役のどなたをご寵愛ですか〕)  

 その殿の姫君の御乳母、ちよはといふによしみちが物を言ひ初めてのつとめて、やる人に代はりて
 (その殿の姫君の乳母で、「ちよは」という名前の人に、義通が恋し始めたその翌朝、手紙を送る人に代わって)
 ※「よしみち」―橘義通。


371 よもすがら ちよは誰とか 契りつる 我がためにこそ 短かりけれ
(一晩中 千代の契りを どなたと約束なさっていたのでしょう わたしとはほんの短い仲でしたね) 

 同じ大将殿絶え給ひて後、つにこしさぶらひの来て、か殿のおぼし出でて仰せらるる事など語るを聞くに、めづらしく覚えて
 (同じ大将殿が通って来られなくなった後で、いつも使いで来ていた供の者が来訪して、「殿があなたのことを思い出されてお話しなされます」などと言うのを聞いて、珍しいことだと感じて)

372 思ひだに かけぬに声の 聞ゆれば さらに昔の 心地こそすれ
(思いがけなくお噂を聞いて 一段と昔そのままの気持ちがしました)  

 稚児を人に取らせておぼつかなげに思ひたる人、五月五日薬玉をやるに代はりて
 (幼い子を人に引き取らせて心配に思っていた人が、五月五日に薬玉を先方に送る時に、その人に代わって)

373 いかさまに 生ひ成りぬらん 菖蒲草 みぬまはねの みたえぬ袖哉
(あの子はどんな様子に成長していることでしょう 子どもを見ない間中 泣き声が絶えることなく 涙で濡らす袖です)  

 女(むすめ)の方(かた)に、夜更(ふけ)て門(かど)叩く人のありしを、開けねばつとめて、男
 (娘の住んでいる所で、夜更けに門を叩く人がいたのを、門を開けてやらなかったので、翌朝、その男が)

374 さらで待つ 人をば知らで 八重葎 心かどなく 叩きける 〔以下白〕
(誰かを待っていらっしゃるとも知らないで 八重葎の家の門を気もきかないで叩いたことです)
 ※「叩きける」―桂「叩きけるかな」。※「さらで待つ」―桂「さして待つ」。
 

 返し、代はりて(返歌、娘に代わって)

375 八重葎 さしはへてやは 来たりけむ かどあくからに 憎くも有哉
(八重葎のわたしの家を特に目指していらっしゃったのでしょうか 門を開けたらすぐに飽きられ 後で憎らしくなりますから)  

 あるやん事なき人、この門より車を引き入れて、傍(かたわ)らなる人の家に、中垣のあきたる所よりおはせしに、きこえし
 (ある高貴な身分のお方が、この門から車を中に入れて、隣接する人の家に、境にしている垣根の開いている所から入っていかれたので、申し上げた)

376 人をとふ たよりとは見て 濡れ衣 きたるかとこそ 嬉しかりけれ
(隣の人をお訪ねになったついでとは見ないで 濡れ衣にしろ 通ってくださった門だと思うと光栄です)  

 兼経の中将、花に付けて人に
 (兼経の中将が、花につけて、人に)

377 いとまなみ 山辺の桜 見るほどに 春はあだなる 名ぞ立(たち)ぬべき[秋風集]
(暇がなく ただ山辺の桜を見ているうちに あなたを訪ねることもしないで 春は浮気な評判が立ってしまいそうです)
 ※この歌はおそらく和泉式部の「花にのみ 心をかけて おのづから 人はあだなる 名ぞ立ちぬべき(春は花にばかり惹かれて歩くから 浮気な評判が立ってしまいそう)[和泉式部集正集5・続後撰集春中]」を下敷きにしているのだろう。  


 返し、代はりて(返歌、人に代わって)

378 心こそ 野にも山にも あくがれめ 花につけては 思ひ出よかし
(心だけはのにも山にも浮かれ出て行ってしまうでしょうが せめて桜の花にかこつけて思い出してください)  

 同じ人、雪の降りてほどなく消(きえ)たるつとめて
 (同じ人に、雪が降ってまもなく消えてしまった翌朝)

379 道ぶりの 便(たより)ばかりは 待ちもせむ とけては見えじ 雪の下草
(なにかのついでの手紙くらいは待つでしょうが うちとけて逢うことはないでしょう 雪の下草のように)
 ※この歌は、通常兼経の中将の歌となっているが、わたしは赤染の代作と理解した。詞書の「同じ人」を、赤染衛門集全釈では「同じ人が」と、「が」にしているが、わたしは「同じ人に」と「に」にした。そのほうが詞書と歌が一致する。


 あるやん事なき人の、忍びて物のたまひて、ほど経て訪れ給へりける返事に代はりて
 (ある高貴な身分のお方が、密かに思いを寄せてくださって、しばらくして訪れてくださつた時の後朝の手紙の返事に、人に代わって)

380 人にだに 語らざらなん うたた寝の 夢ばかりにて 絶えぬとならば
(他の人には話さないでください 仮寝の夢ほどの契りのままに途絶えてしまうというなら)  

 同じさまなる人、夏、薄氷(うすごおり)などありける返し、代はりて
 (同じ様子の人が、夏、薄氷などをくれた時の返事を人に代わって)

381 人だにも まだしらぬまの 薄氷 見わかぬ程に 消えぬとぞ思ふ[詞花集雑上]
(ほかの人さえまだ知らない薄氷のような薄いわたしたちの仲も 人に知られないまま終わってほしいと思います)  

 「怨じたる事あり」などや聞給へらん、女のもとに、朝任(ともただ)の宰相
 (「恨んでいることがある」などと聞かれたのだろうか、娘のところへ、朝任の宰相が)

382 わたの原 立つ白浪の いかなれば なごり久しく 見ゆるなるらん
(海原に立つ白波は どういうわけで その余波がいつまでも残って見えるのでしょう〔いつまで怒っていらっしゃるのですか〕)  

 返し、かはりて(返歌、娘に代わって)

383 風はただ 思はぬ方に 吹しかど わたのはら立つ 浪もなかりき
(風はただ思ってもいない方向に吹いたけれど 海原に立つ波もありません〔別に恨んではいません〕)  

 四月ばかりに、向へなる人の子、家に公信中納言おはすと聞きし夜、卯の花に付けて車に挿させし
 (四月頃、向かいの家の子どもが、「家に公信中納言様がいらっしゃっています」と言うのを聞いた夜、卯の花につけて車に挿させた歌)
 ※「公信中納言」―藤原公信。


384 卯の花の かげにしのべど 郭公人(ほととぎす) と語らふ 声さへぞ聞く
(卯の花の花影に隠れていても ほととぎすよ 誰かと話をする声までも聞こえますよ)  

 隆家の中納言のおぼしける女に、男の忍びて文やりたりけるを聞つけて、「使ひを捕へて打ちなどして文をば取りて破り捨てられたり」と聞きて、女のもとにつかはしし
 (隆家の中納言が愛していらっしゃった女に、ほかの男が密かに手紙を送ったのを中納言が聞いて、「使いをつかまえて叩いたりして手紙を取り上げて破り捨てられた」と聞いて、女のところへ遣わした歌)

385 いかなりし 逢瀬なりけん 天の川 ふみたがへても 騒ぎけるかな
(どのようなお二人の仲なのでしょう 天の川に波が立ち騒ぐように 手紙の持って行く所が違っていただけで大騒ぎになるなんて)  

 返し、中納言(返し、中納言)

386 そら事よ ふみたがへず 天川(あまのがわ) さしかづきてぞ 肩打たれにし
(嘘です 手紙は間違えていません 手紙を届けたごほうびの品をいただいて肩をたたかれただけです)  

 又これより(また、こちらから)

387 なみなみの ことにもあらず 天川 さてはたせとも かくぞ打たまし
(普通のことではないのですね それなら夫であってもこのようにたたくのでしょうか)  

 撫子の薄になりたるを見て
 (撫子が咲いていた所に薄が生えているのを見て)

388 生ひ変はる こや撫子の 花薄 招(まね)かば人も 行(ゆ)きて見つべし
(これは撫子が生え変わって花薄になったのですね 薄が招いたら 人も必ず行って見るでしょう)  

 鞍馬にて衣の滝といふ所を (鞍馬で衣の滝という所を)

389 秋ごとに 丹葉(もみじ)の錦(にしき) きてみるを 衣の滝と いふにぞ有(あり)ける
(秋が来るたびに 紅葉の錦を着ているように見えるから 衣の滝と言うのでしょう)  

 菊を植ゑて花咲くべき程に、遠く往(い)にし人を思ひ出て
 (菊を植えて花が咲きそうな頃に、遠くへ去って行った人を思い出して)

390 移ろはん 事をだに見で きくの花 行くらん道の 露をこそ思へ
(菊の花が咲き 美しく色変わりするのも見ないで聞くだけで遠くへ行かれた その道中に置く露を思いやっています)  

 夜時雨のいと荒らかに降るに、待つ人有ける人に言ひし
 (夜、時雨が非常に激しく降る時に、待っている人がいた女の人に言った歌)

391 いとどしく めだにもあはじ ひとり寝に おどろくばかり 降る時雨哉[新拾遺集冬]
(ますます眠れないことでしょう 独り寝でびっくりして目を覚ますほど激しく降る時雨ですね)  

 夜深き月の入るまで眺めて
 (明け方近く月が西の山に入るまで物思いにふけって眺めて)

392 見ればただ 我世かとこそ 思ほゆれ 西へ傾(かたぶ)く 山の端の月
(見ているとまったくわたしの人生ではないかと思われます 西に傾いていく山の端にかかっている月 そのようにわたしの命ももういくらもない)  

 人のかうぶりする所に、人に代はりて
 (ある人が叙爵するところに、人に代わって遣わした歌)
 ※「かうぶりする」―五位に叙せられること。叙爵。


393 位山(くらいやま) 高くあふげば 万代の 空の上にぞ 見え上(のぼ)る哉
(これから昇進していかれる位階を見上げますと 千年も万年も変わらない空の上まで登って行かれるのが見えます)  

 ある尼の袈裟の下ろし問ひたりしにやるとて
 (ある尼が「袈裟のおさがりがありませんか」と言ってきた時に与えるというので)

394 導かん ほとけのいでん あしたまで これはかせふの 衣とを知れ
(わたしたちを導いてくださる弥勒仏がこの世に現れる時まで これは迦葉の着る衣だと思ってください)
 ※「かせふの衣」―迦葉(かしょう)の衣。迦葉は釈迦十大弟子の一人。  


 若き人の尼になると聞てやりし (若い人が尼になると聞いて送った)

395 うき世とは かつ見ながらも 背(そむ)かぬに いかばかりにて 思ひ立(たち)けむ
(辛い世の中と一方ではわかっていながら出家できないのに どれほどの辛いことがあって出家を決意なさったのでしょう)  

 暦(こよみ)(え)させたりける人の、心変はりにければ、師走の晦(つごもり)に返しやるに、人に代はりて
 (暦をくれた人が心変わりしたので、十二月末日に暦を返す時に、返す人に代わって)

396 忘らるる 程も知らでや 過(すぐ)さまし これに月日の さすなかりせば
(あなたに忘れられる頃も知らないで過ごすことでしょう この暦に月日の数が記されていなかったら)  

 「忘れにたる人の、つねに前より渡るを、いかに言はん」と言ひし人に代はりて
 (「わたしを忘れてしまった人が、いつもわたしの家の前を通って女の所に行くのを、どう言ったらいいのでしょう」と言った人に代わって)

397 今はかく よそのよそこそ 涙川 渡ると見るに 濡るる袖かな
(今はこのようにあなたはまったくの他人になってしまい あなたがほかの女の所へ通って行くのを見るたびに 涙で濡れるわたしの袖です)

 時どきわたる所に、良い碁盤のあまたあるを一つ乞ふに、惜しみしかば、出でたる間に取りて帰たるを「いかでか消息なくては」と言ひたりしに
 (時々訪れる所に、良い碁盤がたくさんあるのを一つくださいと言ったのに、惜しんでくれないので、主人が出かけている間に取って帰ったところ、主人が「どうしてことわりもなく」と言ったので)

398 盗むとも こは憎からぬ ことと知れ 乞ふには知らず いかにかはせむ
(盗んだとしても このことは憎らしくないと思ってほしい くださいと言っても知らない顔をなさるのだから 盗むよりほかにどうしたらいいのでしょう)  

 初瀬に詣でし道に、泊りたる家の松の木に、杖をつかせたりしを見て
 (長谷寺に参詣に行く途中で、泊まった家の松の木に、支えの杖があてがってあったのを見て)

399 老いにける 我が身はなにに からまし 松も千歳の 杖はつきけり
(老いてしまったわたしは何に寄りかかったらいいのだろう 松も千年の命を支える杖わついている)  

 範永(のりなが)が母の、春頃糸を乞ひたりしを、穢(けが)らひたることありし頃、「今この程過して」と言ひて後忘れて、七月七日思(おもい)出てやるとて
(範永の母が、春頃、糸をくださいと言ったのを、不浄なことがあった頃なので、「この時期が過ぎてから」と言って忘れていて、七月七日に思い出して送るというので)
 ※「範永の母」―藤原永頼女。和歌六人党の一人。


400 なにをして 柳のまゆを 忘れけん 今日七夕の 糸に引くまで
(どうして春に柳の繭を忘れたのでしょう 今日織女が機織りに糸を引く日まで)

 同じ人久しくおとせで、物語絵のをかしきをおこせたりしに
 (同じ人が長い間便りもなく、物語絵で趣向のおもしろいのを送ってきた時に)

401 ゑみながら なほこそつらき 君なれや かきたえてやは おとせざるべき
(笑いながら絵を見ても やはり冷たい方だと思います こんなに長い間便りをしないでよいのでしょうか)  

 この人の国に多田といふ所にかうとも言はでいにけるを聞てやりし
 (この人が所有している国の多田という所に、「行きます」とも言わないで行ったのを聞いて送った)
 ※「多田」―摂津国。


402 今とだに いはんはいとや かたかりし ただに行きけん 人のつらさよ
(今から行くとだけでも言うのが難しかったのでしょうか 黙ってひたすら行ってしまった人の仕打ちが辛いことです)  

 六月二(ふたつ)ありし年の後六月七日、多田の源賢法眼(げんけんほうげん)の言ひたりし
 (六月が二回あった年の後の六月七日に、多田の源賢法眼が詠んだ歌)※「六月が二ありし年」―閏六月があった年。長和四年〔一〇一五〕。
 ※「多田の源賢法眼」―源満仲の子。比叡山延暦寺に入り、源信に学んだ。長和元年元慶寺別当、のち法眼。和歌は「後拾遺和歌集」に二首のせられている。


403 つねならば 今日いそがまし 七夕の 天の羽衣 うるふべき哉
(普通の年なら牽牛と織女は今日準備をすることでしょう でも今年は六月が二回ある閏年なので 七夕の着ている衣は涙で濡れることでしょう)  

 返し(返歌)

404 七夕の 待つに月日の そふよりは あまり七日の あらばあれかし
(七夕が待っている時に月日が加わるよりは 七月に閏七日があるならあってほしい)  

 四月朔日まで散らぬ桜のありしを、道明阿闍梨にやりし
 (四月一日まで散らない桜があったのを、道明(どうみょう)阿闍梨に送った時の歌)
 ※「道明阿闍梨」―道命阿闍梨。平安時代中期の僧・歌人。父は藤原道綱。母は源近広の娘。阿闍梨、天王寺別当。


405 まだ散らぬ 花に心を 慰めて 春過ぬとも 思はざりけり[続千載集夏]
(まだ散らない桜で心を慰めて 春が過ぎたとも思わないでいました)  

 返し、阿闍梨(返歌、阿闍梨)

406 春はさは 花より外の ことやなき 野辺の霞の 立ちもこそ聞け
(春はそれなら 花よりほかのことはないのですか 野辺の霞が聞いたら大変です)
 ※「野辺の霞」―霞は桜と共に春を代表する景物。  


 またこれより(また、こちらから)

407 惜しめども 立ちやはとまる 春霞 根ざし残れる 花を思はん
(名残を惜しんでも立ち止まるでしょうか 春霞は やはりわたしは土に根が残っている花を愛することにしましょう)  

 五月朔日頃、阿闍梨(五月一日の頃、道命阿闍梨から)

408 郭公(ほととぎす) 待つほどとこそ 思ひつれ 聞(き)きての後も 寝られざりけり
(寝られないのは ほととぎすの初音を待つ間だと思っていましたが 聞いた後も寝られません)  

 返し(返歌)

409 まことにぞ うちだに伏(ふ)さで 明かしつる 山時鳥(ほととぎす) 鳴くや鳴くやと
(ほんとうにわたしも横にもならないで夜を明かしました 山ほととぎすが今鳴くか今鳴くかと思って)  

 同じ比(ころ)、山寺に籠りたりと聞しにやりし
 (同じ頃、〔道命阿闍梨が〕山寺に籠っていると聞いたので送った)

410 山深く 鳴くらん声を 郭公 聞くにまさりて 思ひこそやれ
(山奥ではほととぎすが鳴いているでしょうが 都で聞く声にも増して山奥で鳴くほととぎすはどんなだろうと思いやっています)  

 朝顔夕顔植ゑて見し頃(朝顔と夕顔を植えて見ていた頃)

411 昼間こそ 慰むかたは なかりけれ 朝夕顔の 花もなき間は
(昼間は慰めようがない 朝顔も夕顔の花もない間は)  

 秋の夜、一人泣き明して(秋の夜、一人泣いて夜を明かして)
 ※「泣き明して」―桂「おきあかして」。


412 もろ友に おきゐる夜半の 露なくは 誰とか秋の 夜を明(あか)さまし[詞花集恋下]
(わたしと一緒に起きてくれている夜中の露がないのなら いったい誰と秋の夜長を明かすでしょう)  


 「『人のいたく思(おもう)は罪深くなるものを、かうおぼゆること』と言ひたる人に、いかに答へん」と言ひしに代はりて
 (「『人が相手を強く思うのは罪が深くなるものなのに、こんなに思われてしかたがない』と言ってきた人に、どう返事をしたらいいのか」と言った人に代わって)

413 深からぬ 心のしまは なにならし 誠を言はぬ 罪はありとも
(深くもない心では 罪深くなるといってもそれほどのことでもないでしょう ほんとうのことを言わない罪はあるにしても)
 ※「心のしまはむ」―類「心のしふは」。  


 四月一日、鞍馬に詣でたりしに鶯の鳴きしを
 (四月一日、鞍馬寺に参詣したところ、鶯が鳴いたので)

414 鶯の 耳馴れにたる 声よりは 山時鳥 今日ね鳴けかし
(鶯の聞き慣れた声よりは ほととぎすよ 夏になった今日こそ鳴いてほしい)
 ※うぐいすは春の、ほととぎすは夏の鳥である。  


 久しく訪れぬ人の来て、前近き荻に結び付けていにけるを、つとめて見てやりし人に代はりて
 (長い間訪れない人が来て、部屋の前の荻に手紙を結びつけて帰っていったのを、翌朝見て、男手紙をやった人に代わって)
 桂本 かきたえて をぎの葉かぜの おとはせで なにてすさびに かうむすぶらん (あなたのお便りがすっかり絶えて 荻の葉風が音を立てないように訪れもしないで どうして今頃手なぐさみに このように手紙を結んだのでしょう)


 八月十五夜

415 今宵こそ 世にある人は ゆかしけれ いづこもかくや 月を見るらん
(中秋の名月の今夜は この世の人がどうしているか知りたいものです どこの人もこんなふうに月を見ているのでしょうか)

 祇陀林(ぎだりん)に、八講聞きしに殿のせむじ詣であひて、葵に書きておこせたりし、その歌は忘られにし返し
 (祇陀林寺に、法華八講を聞きに行ったところ、殿の宣旨が来ていたのに出会って、葵に歌を書いて寄越したが、その歌は忘れたけれと、返歌は)

416 蓮(はちす)葉の つゆをばおきて そのかみに 人にあふひも 嬉(うれ)しかりけり
(極楽浄土のことはさておいて その当時の懐かしい人にお会いできたのは嬉しい)  

 津の国に通ふ男の、女のもとに「今なむ行く」と言ひて後も、まだありと聞し人に代はりて
 (摂津国に通う男が、妻のところへ「今すぐ摂津国に行く」と言った後も、まだ京にいるという噂を聞いた妻に代わって)

417 ありてやは おとせざるべき 津の国の いまぞ生田の 杜(もり)といひしは[後拾遺集雑五]
(京にいて訪ねて来ないことがあるでしょうか 津の国に今行くとおっしゃったのは嘘だったんですか)  


 花見に俗聖の堂の庭に、花いみじう散り積(つも)りて、人影も見えず、聖の払ひつくろひし思出(おもいで)きて
 (花見に俗聖の堂の庭に行ったところ、花びらがたくさん散り積もって、人影も見えない。かつて聖が塵を払ってきれいに手入れしていらっしゃったのが思い出されて)
 ※「俗聖」―髪を剃らないで俗体で修行する人。


418 声を聞(きき)し 主(ぬし)なき宿の 庭桜 ちり積るとも 誰か払はん
(昔声を聞いた主人の亡くなったこの家の庭の桜は 散り積もっても誰が払うのでしょうか)
 ※「声を聞し」―桂「植ゑおきし」。  


 五十日(いか)の程なる稚児に、薬玉をやるとて
 (五十日の祝の乳児に、薬玉を送るといって)

419 生ひたたむ 程ぞゆかしき 菖蒲草 ふたばよりこそ 玉と見えけれ
(成長した姿を見るのが楽しみです この子は小さいうちから玉のように美しく見えます)  

 花盛りに雨いみじく降りし頃、御前の花いかならんと思ひて殿にまゐらせし
 (花の盛りに雨がひどく降った頃、〈お部屋の前の桜はどうかしら〉と思って殿〔道長〕にさし上げた歌)

420 散りや過ぎ 雨にや移る 桜花 見る間の色を 誰に問はまし
(散りやすい桜は 雨で色が褪めるのではないでしょうか わたしが見るまでの花の色を誰に尋ねましょう)  

 殿の御前、御返し(殿のご返歌)

421 まだ散らで 雨に匂へる 花笠を 人にはといで きても見よかし
(まだ散らないで 雨に咲き匂っている桜の花を ほかの人には聞かないで わたしの所へ来て見なさい)  

 たち帰まゐらせし(折り返しさし上げた歌)

422 さしはへて 君にも問はぬ 花笠を いかでか雨の ふりてきつらむ
(遠慮してわざわざあなた様にお尋ねしなかった花の様子を 笠があるのにどうして雨が漏れてお聞きになったのでしょう)  

 また仰せられたる(また仰せになった歌)

423 いはねども 耳馴れにたる 春雨に 花のことばは ふりにこそふれ
(雨には花を見に来るようにとは言わないが 春雨に花を組み合わせた言葉は言い古されているので 遠慮なくどんどん降ってくるのです〔早く見にいらっしゃい〕)  

 花見に歩きしに、山の井といふ寺の桜の二木あるを、もろともなる人
 (花見に出歩いたところ、山の井という寺の桜が二木あるのを、一緒に行った人が)

424a 山の井の 二木の桜 咲にけり
(山の井の二木の桜が咲きました)  

 と言ひしに(と言ったので)

424 b みきと語らん 来ぬ人のため
(「三本見た」と話しましょう まだ花見に来ない人のために)  

 またいみじく散る所に、庭のまもなくをかしく見えしに
 (またひどき桜の花が散る所で、その庭の隙間もないほど花びらが散って見事に見えたので)

425 踏めば惜し 踏まずは行かん 方もなし 散り積む庭の 花桜哉[千載集春下]
(花びらを踏むのは惜しいし 踏まなければ通れない 散っては積もる花桜の庭)  

 殿にさぶらひし女房を語らひしに、久しうおともせざりしに
 (殿にお仕えした女房と親しく交際したが、長い間手紙も寄こさなかったので)

426 契(ちぎり)こし 心の程を 見つるかな せめて命の 長きあまりに[続後撰集恋五・秋風集]
(信頼してつきあってきたあなたの心のほどを思い知りました 無理に長生きしたせいで)  

 法華経の心を詠みし(法華経の趣意を詠んだ歌)  

 序品(じょほん) 
 ※法華経二十八品のうちの第一品

427 いにしへの 妙なる法を 説きければ 今の光も さがとこそ見れ
(昔 不思議なほど優れた教えを仏は説かれたので 今 眉間から放たれる光も瑞相をあらわすものと見受けられます)
 ※「妙なる法」―仏が『無量義経』を説いたこと。  


 方便品(ほうべんぼん) 
 ※法華経二十八品のうちの第二品

428 説きおかで 入りおなしかは 二(ふた)つなく 三(み)つなき法を 誰
広めまし
(仏が教えを説かれないで入滅なさったなら 「ただ一乗の法のみあって 二乗も三乗もない」という教えを誰が広めることができるだろう)

  譬喩品(ひゆほん) 
 ※法華経二十八品のうちの第三品


429 燃ゆる火の 家を出でてぞ 悟りぬる 三つの車は 一つなりけり
(火災で燃えている家を出てみて悟った 三乗方便は 結局は一乗真実を開示したものであった)  

 信解品(しんげほん) 
 ※法華経二十八品のうちの第四品


430 親とだに 知らで惑ふが 悲しさに この宝をも 譲りつる哉
(親とさえわからないで困窮している子の様子が悲しくて 一切の財宝を譲ってしまった)  

 薬草喩品(やくそうゆほん) 
 ※法華経二十八品のうちの第五品


431 法の雨は 草木も向(むけ)て そそげども おのがじしこそ うけまさりけれ
(法の雨は 雨が草木にもれなく降り注ぐように 衆生にもれなく降り注ぐのだが 衆生それぞれの性根に応じてその悟りもより深くなる)
 ※「うそまさりけれ」―底本「うそまさりけれ」。  


 授記品(じゅきほん) 
 ※法華経二十八品のうちの第六品


432 つぎつぎの 仏に多く 仕へてぞ 蓮(はちす)をひらく 身とは成(なる)べき
(次から次へと多くの諸仏に供養してこそ 悟りを得る身〔仏〕になるだろう)  

 化城喩品(けじょうゆほん) 
 ※法華経二十八品のうちの第七品


433 こしらへて 仮の宿りに 休めずは 先の道にや 猶惑はまし[後拾遺集釈教]
(幻の城を作り その仮の宿で疲れを癒やすことがないなら やはり先の道に迷っていることだろうか)  

 五百品(ごびゃくほん) 
 ※法華経二十八品のうちの第八品


434 衣なる 玉ともかけて 知らざりき 夢覚めてそ 嬉しかりけれ[後拾遺集釈教・童蒙抄]
(衣服の裏に縫いつけてある宝珠の存在をまったく知りませんでした 夢から覚めて 初めて成仏の宝珠を見て嬉しく思います)  


 人記品(にんきほん) 
 ※法華経二十八品のうちの第九品


435 諸共(もろとも)に 悟りをひらく 是(これ)こそは 昔契(ちぎり)し しるしなりけれ
(一緒に悟りを開く このことはかつて仏と阿難が等しく空王仏において 同時に菩提心を発したことの証である)  

 法師品(ほっしほん) 
 ※法華経二十八品のうちの第十品


436 すみがたき 心し室(むろ)に とまらねば 法説く事ぞ まれらなるべき
(清浄でない心があって その心が如来の大慈悲に留まらなければ を説くことはかなわないだろう〔心を澄まして仏の慈悲にあずかってこそ この経典を説くことが可能である〕)  

 宝塔品(ほうとうほん) 
 ※法華経二十八品のうちの第十一品


437 大空に 宝の塔の 現れて 法のためにぞ さほは分(わけ)ける
(大空に宝塔が出現したのは 『法華経』のために 仏が分身の諸仏を化現(けげん)したものだ)  

 提婆品(だいばほん) 
 ※法華経二十八品のうちの第十二品


438 わたつみの 宮を出でたる 程もなく 障(さわ)りのほかに なりにける哉
(海中の宮を出るとまもなく 竜女はなんの生涯もなく悟りを得たことだ)  

 勧持品(かんじほん) 
 ※法華経二十八品のうちの第十三品


439 身にかへて 法を惜しまん 人にこそ 忍びがたきを 忍びてはみめ
(命にかえて仏の教えを奉ずるために どんなに耐え難いことも耐え忍んでいこう)  

 安楽行品(あんらくぎょうほん) 
 ※法華経二十八品のうちの第十四品


440 名をあげて 褒めもそしらじ 法をただ 多くも説かじ 少なくもなし
(仏の教えを説くには 特にほかの人を褒めもせず 悪口も言わない ただこの教えを過不足なく世の中にはっきり示そう)  

 涌出品(ゆじゅつほん) 
 ※法華経二十八品のうちの第十五品


441 いかでかは 子よりも親の 若(わか)からん 老ひては若く なるにや有らん
(どうして子どもより親が若くあることがあるだろうか 老いて若くなることがあるだろうか)

 寿量品(じゅりょうほん) 
 ※法華経二十八品のうちの第十六品


442 ありながら 死ぬる気色は 子のために とめし薬を すかすなりけり
(父が生きていながら死んだふりをみせたのは 子どものために 子どもが飲まない薬を飲ませるためだった)  

 分別品(ぶんべつほん) 
 ※法華経二十八品のうちの第十七品


443 仏にて 得たるこふすを 数(かぞ)へずは ちり計(ばかり)だに 知らずあらまし
(経にいう「如来として得た寿命の長さ」を数えてみなければ ほんのわずかでさえ仏の功徳を知ることはないだろう)

 随喜品(ずいきほん) 
 ※法華経二十八品のうちの第十八品


444 世間(よのなか)に 見てし宝を 得んよりは 法を聞くべき ことは増(まさ)れり
(この世の中に満ちている財宝を得るよりは 『法華経』を聞いて喜びの心が生じたときの功徳のほうがずっと優れている)  

 功徳品(くどくほん) 
 ※法華経二十八品のうちの第十九品


445 保(たも)ち難(がた)き 法を書き読む 報いには 身ぞ澄(す)み清き 鏡(かがみ)(なり)ける
(なかなか受持することのできない『法家経』を書写したり読む果報は その身が清浄になり 清い鏡そのものとなる)  

 不軽品(ふきょうほん) 
 ※法華経二十八品のうちの第二十品


446 見る人を つねに軽(かろ)めぬ 心こそ つひに仏の 身には成(なり)ぬれ
(常不軽菩薩は 出会う比丘たち四衆をいつも礼拝して軽蔑しなかったために ついに成仏することを得た)  

 神力品(じんりきほん) 
 ※法華経二十八品のうちの第二十一品


447 空までに いたれる舌の 誠をば 法を保たん 人ぞ知るべき
(梵天まで至った舌相のあらわす真実は 『法華経』を護持する人だけが知ることができる)  

 属累品(ぞくるいほん) 
 ※法華経二十八品のうちの第二十二品


448 流れても あだにすほどぞ かき撫づる 得(う)ること難(かた)き 法を説けとて
(お釈迦様は その教えが世に広まってもいい加減にしてはいけないと求道者たちの頭を撫でられた 「この上なく完全な悟りを説け」とおっしゃって)  

 薬王品(やくおうほん) 
 ※法華経二十八品のうちの第二十三品


449 ともしつる 我が身ひとつの 光にて あまたの国を 照らしつる哉[秋風集]
(薬王菩薩は 自らに火をつけたじぶんの体一つの明かりによって 数多くの国々に光明をもたらした)  


 妙音品(みょうおんほん) 
 ※法華経二十八品のうちの第二十四品


450 ここにのみ ありとやは見る いづくにも 妙(たえ)なる声に 法をこそ説け[風雅集釈教]
(華(け)徳(とく)菩薩よ あなたは妙音菩薩がここにばかりいると見るのですか 妙音菩薩はいたる所でなんとも言えない声で衆生のために『法華経』を説いているのです)  


 観音品(かんおんほん) 
 ※法華経二十八品のうちの第二十五品


451 身を分(わけ)て あまねく法を 説く中に まだわたされぬ 我が身悲しな
(観世音菩薩はじぶんの体を三十三にわけて 一切衆生のために広く仏の教えを説かれたのに それでもなおまだ得度できないでいるわたしは情けない)

 陀羅尼品(だらにほん) 
 ※法華経二十八品のうちの第二十六品


452 法まもる 誓ひを深く 立てつれば 末の世までも あせじとぞ思(おもう)
(『法華経』を護持する誓いを深くたてたので その誓は後々の世まで薄らぐことはないと思う)  

 厳王品(ごんおうほん) 
 ※法華経二十八品のうちの第二十七品


453 仏には あふこと難(かた)き ゆずるとて 子を許してぞ 親もすすめし
(仏には会うことがなかなかできないから 子に出家させることを許し 親も仏門にはいったのである)  

 普賢品(ふげんほん) 
 ※法華経二十八品のうちの第二十八品


454 行末(ゆくすえ)の 法を広めに 来たりける 誓ひを聞くが あはれなる哉
(末の世にも仏の教えを広めようと 普賢菩薩は仏のところへ来たという その普賢菩薩の誓いを聞くと ああ ありがたいと感嘆させられる)

 維摩経十喩(ゆいまぎょうじゅうゆ)  

 この身は集まれるあはの如し
 (この身は寄り集まった水の泡のようなもの)

455 うきながら 身にはたとへん 水の泡の ためしにとしは 消えぬべき哉
(辛いことだが この身を喩えるなら 水の泡のようなものだ 水の泡を試しにすくえば消えてしまうように この身もはかない)  

 水の泡の如し(〔この身は〕水の泡のようなもの)

456 雨降れば 水に浮かべる うたかたの 久しからぬは 我身なりけり[続古今集釈教・秋風集]
(雨が降ると 水に浮かんだ泡が消えてなくなるように 長くないのはわたしの体だ)  

 炎の如し(〔この身は〕炎のようなもの)

457 夏の夜の 火影に惑ふ 鹿見れば ただみづからの ことに有ける
(夏の夜に灯火の光に迷い出てくる鹿を見ると それは煩悩の愛欲に迷っている自分のことなのだ)  

 芭蕉葉の如し(〔この身は〕芭蕉葉のようなもの)

458 秋風に くたへる草の 葉を見てぞ 身の堅からぬ ことは知らるる[万代集]
(秋風に吹かれて破れる芭蕉の葉を見ると この身が堅固ではないことを知らされる)  


 幻の如し(〔この身は〕幻のようなもの)

補 まことにも あらぬこころの なせる身は なにまぼろしの ありとたのまじ
(正しくない心に支配される身は幻のようなもので どうしてあてにすることができるだろう)
 ※底本、島、類は詞書のみあって歌を欠くので、桂によって補う。  


 夢のごとし(〔この身は〕夢のようなもの)

459 夢や夢 うつつや夢と 分(わか)ぬ哉 いかなる世にか 覚めんとすらん[新古今集釈教・続詞花集]
(夢はそのまま夢なのか 現実が夢なのか区別がつかない どのような時になったら その夢から覚めようとするのだろうか)  


 影の如し(〔この身は〕影のようなもの)

460 水に浮かぶ 影はなかにも あらねども それはありとは 頼むべきかは
(水に浮かんでいる影は実体がないけれど それをあるように信じてよいのだろうか いや信じてはならない)  

 響きの如し(〔この身は〕こだまのようなもの)

461 いつまでか 声も聞こえむ 山彦の よろづにつけて 物ぞ悲しき
(いつまでもその音がこだまして聞こえるというのだろうか はかなく消えてしまうこだまのように どんなことにおいてもこの身は悲しい)  

 浮かべる雲の如し(〔この身は〕空ん浮かんでいる雲のようなもの)

462 行(ゆく)へなく 空にただよふ 浮き雲に 煙(けぶり)をそへん 程ぞ悲しき[続後撰集雑下]
(あてもなく空に漂っている浮雲に 亡き人の火葬の煙が加わっているときはたまらなく悲しい)  


 稲妻の如し(〔この身は〕稲妻のようなもの)

463 稲妻の ひとりとどまる 程みれば 我が身計(ばかり)の 物にぞありける
(稲妻がほんの一瞬光るのを見ると わたしが短命であることをあらわしている)  

 語らひし人の久しくおとせざりしに
 (親しく交わった人が長い間便りを寄こさないので)

464 心にも あらずうき身の 命かな 絶えなば絶ゆる 程を見ましや[秋風集]
(望みとは違う辛いわたしの命 死んでしまったなら あなたとの仲が切れるときを見なくてすんだのに)  


 ある寺に八講せしに、日頃局並びにて言ひ初めたる人、つねに文おこせなどしてありしが、「秋の恋しき事」など言ひたるに
 (ある寺で法華八講があったときに、毎日部屋が隣同士で話し始めた人が、いつも手紙を寄越したりしていたが、「秋が恋しいですね」などと言ってきた返事に)

465 誠にぞ 西に心を かけしより 秋を忘れぬ 身と成(なり)ぬべき
(ほんとうに西方浄土に心を向けてから 西に関係のある秋が忘れられない身となってしまうようですね)
 ※陰陽五行説で秋は西にあたる。


 同じ人の講する所にまかりあひて帰(かえる)に、あの人の車に遅れにしを、またのる「しばし待ちつけたりし」と恨みたりしに
(同じ人が八講をする所でわたしと同席して帰る時に、あの人が車に乗り遅れたのを、次の日「ちょっとの間も待ってくれなかった」と恨んだので)

466 めぐりけん 程ぞ悲しき 遅れては 一人や六の 道に惑ひし
(車輪がまわるように六道をめぐったことが悲しいです 車に遅れた後で一人で六道を彷徨い歩いたことでしょうか)  

 ある所の女房の、「思はん」と契りしかど、絶えて、「昔は忘れにき、今より」と言ひたりしに
(ある所の女房が、「親しくしましょう」と約束したが、音信が絶えて、「昔のことは忘れました。これから親しくしましょう」と言ってきたので)

467 今よりと いふ行末も いかがあらん 昔契りし 物忘れせば[続後撰集恋五]
(今からとおっしゃっても将来もどうでしょうか 昔約束したのを忘れたように忘れたりなさるなら)  


 またさやうなる人に(また同じような人に)

468 忘れじと かたみに言ひし 言の葉を 誰がそらごとに なしてよからん
(忘れないとお互いに誓い合った言葉を 誰が嘘の言葉にしていいのでしょうか)  

 定基僧都の母、家造りて「渡らむにはまづ消息せん、池のをかしきも見せむ」と契しかど、おともせで渡りにけりと聞きて、七月七日にやりし
 (定基僧都の母が、家を新築して「引っ越すときにはまずあなたにお知らせしましょう。趣向を凝らした池もお見せしましょう」と約束していたが、なにも言わないで引っ越したと聞いて、七月七日に送った)

469 天の河 今日や今日やと 待たれば はやくわたりて 君はすむとか
(天の川の牽牛と織女のように あなたが引っ越されるのを今日か今日かと待っていたら もうあなたは引っ越されて住んでいらっしゃるとか)  

 正月七日、稲荷のわたりに住む人、すぎと言ふ者申しわたる、若菜をおこせたりしに
 (正月七日、稲荷の付近に住む人が、すぎと言う者が使いとしてやって来て、若菜を寄越したときに)

470 春日野の 若菜かとこそ 思ひしに 稲荷の山の すぎも摘みけり
(春日野で摘んだ若菜と思っていましたら 稲荷山の杉も摘んだのですね)

 同じ子の日なりしに(同じ正月七日が子の日にあたったときに)

471 いづれにか まづ手かけまし 子の日野に 若菜も今日は 摘むべかりけり
(松と若菜とどちらにまず手をかけましょうか 今日は子の日ですが野原で若菜も摘む日でした)  

 子の日しに行きたる人の、小松に青海苔(あおのり)を結び付けて、「これをや海松(うみまつ)と言ふ覧(らん)」と言ひたりしに
 (子の日の行事をしに行った人が、小松に青海苔を結びつけて、「これを海松と言うのでしょうか」と言ったので)

472 松山に 波のかけたる ものみれば あやうかりける 子の日なりけり
(松山を波が超えたような小松に結びつけた青海苔を見ると 不安に思われる子の日です)  

 三月卅日に花の散るを
 (春の最後の三月三十日に桜の花が散るのを)

473 惜しむにし 花の散らずは 今日もただ 春行くとこそ よそに見ましか
(惜しんだら桜の花が散らないなら 三月の終わりの今日もただ春が行ってしまうとよそごととして見ることができるでしょうが)  

 山寺にて逆修せしに卌九日になる日
 (山寺で逆修した時に四十九日になる日)
 ※逆修―生前にじぶんの死後の冥福のために仏事をすること。予(よ)修(しゅ)。逆善。逆修善。


474 思(おもう)にぞ 悲しかりける 我ならで 今日をば誰か とふべかりける
(考えると悲しくなる わたしではなく わたしの死後誰が今日の日を訪ねてくれるだろう)  

 思ひかけたる人の言ひ絶えて、年経て、「文やらん」と言ひし人に代はりて
 (恋をした人が相手と関係が切れて、年月が経ってから、「手紙をやりたい」と言ったのに代わって)

475 年経(へ)ぬる 思ひとだにも 思へかし 今に忘れぬ 心長さを
(長い年月恋し続けた恋とだけでも思ってほしい いまだにあなたのことを忘れない心の長さを)  

 師走に月の明き夜、きぎに雪の降りかかりたるを
 (十二月の月の明るい夜、木々に雪が降りかかっているので)

476 月影は 花の色かと 見ゆれども まだふる年の 雪にざりける
(月の光は花の色のように見えるけれども まだ旧年中に降る雪であった)

 正月七日、若菜人にやるとて
 (正月七日、若菜を人に送るというので)

477 春日野の 今日七草の これならで 君をとふ日は いつぞともなし
(春日野で摘んだ今日の七草をあげる時以外に あなたを訪れる日はいつになるかわかりません)  

 蓮(はちす)の蕾みたるを身にて、茄(なすび)の恐ろしげに節(ふし)付きたるを顔にして、法師の形を作りて、人のおこせたりしに
 (蓮の花の蕾を体にして、茄の恐ろしそうに節ができているのを顔にして、法師の形を作って人が寄越したので)

478 極楽の 蓮と身をば なすひまで 憂きは此世の かほにざりける
(極楽の蓮にこの身をなす日まで 憂鬱なのはこの世に生きている時の醜い顔です)  

 さも言ひつべき人の安芸の守になりしに、使ふべきようありて榑(くれ)を乞ひたりしに、ただ少しの下し文をしたりしかば、書き付けて返しし
 (当然そのように言ってもいい人で、安芸の守になった人に、使うことがあって、材木をくださいと頼んだところ、ただ少しの木材の調達を命ずる文書を下役人に出したので、それに次の歌を書いて返した)

479 なかなかに 我が名ぞ惜しき 杣川(そまがわ)の 少なき榑(くれ)の 下し文かな
(あなたに頼んだわたしの名がかえって不名誉になりそうな 杣川に下ろす材木の少ない命令文ですね)
 ※杣川―伐り出した材木を下ろす川のこと。  


 人に忘られたる人の、 五月五日枕の上に菖蒲を人の置きたるを見て
 (男に忘れられた人が、 五月五日、枕元に菖蒲を人が置いたのを見て)

480 乾く間も なき一人寝の 手枕に 菖蒲のねをや いとどそふべき[続拾遺集恋四]
(涙で乾く間もない独り寝の手枕に あやめの根をおいていっそう泣き声をそえていいものでしょうか)  


 返し(返歌)

481 ふたり寝し 年かはるまで あやめ草 とはぬを我も あはれとぞ見る
(二人で一緒に寝た年が変わるまで あなたを男が訪ねてくれないのを わたしも気の毒に思います)  

 秋、蜘蛛のいをいみじくかきたるを見て
 (秋、蜘蛛の巣をひどくかけているのを見て)

482 我宿の 主も今は 嘆くまじ くもの八重垣 ひくもなく見ゆ
(わたしの家が荒れ果てていくのも今は嘆かないようにしよう 蜘蛛の家は盛んで 幾重にも巣を隙間もなくかけているのが見える〔蜘蛛が巣をかけているのだから あの人もきっと来てくれるでしょう〕)  

 春、ためよしが来て物語りなどして、平仲が花の雫に濡るると見しと詠みたるとなむ咎と見て語りて帰りて後、久しくおとせざりしに
 (春にためよしが来て世間話などして、平仲が「花の雫に濡るると見し」と詠んでいるのを欠点だと言って帰った後、長い間音沙汰がなかったので)
 ※「ためよし」―橘為義か。
 ※「平仲」―平貞文。桓武天皇の玄孫。右近衛中将・平好風の次男。官位は従五位上・左兵衛佐。中古三十六歌仙の一人。一般に平中(へいちゅう)と呼ばれた。


483 春なれど 花の雫や 見えざりし なみだをかけて いふ人もなし
(春でも花の雫は見えなかったのではないでしょうか あなたのことを涙混じりに言う人もいません)  

 親亡くなりたりし僧を問ひたりしに、言ひたる
 (親を亡くした僧を見舞ったところ、言った歌)

484 いかにぞと とふにぞいとど 紅の 涙の色の 数はまされる
(あなたがわたしのことをどうしているかと見舞ってくださると いっそう紅涙が多くなることです)  

 とありし返しに(と言ってきた返事に)

485 墨染の 色はつねにて くれなゐの 涙やしほの 数はまされる
(墨染の衣の色はお変わりないでしょうが 紅の涙がいっそう濃く染めることでしょう)  

 雪のいたく降りたるに、法輪に詣でて、つとめて帰るに、雪に大井川の水増さりにけるとて、男ども衣脱ぎて「腰にこそ立ちけれ」と聞きて
 (雪のひどく降っている中を、法輪寺に参詣して、翌朝帰る時に、雪で大井川の水嵩が増したと言って、下仕えの男たちが着物を脱いで川を渡ったが「腰まで水につかった」と言うのを聞いて)

486 かち人の 渡るを見れば 雪深み おほゐの川も こしにぞ有ける
(徒歩の人が川を渡るのを見ると 雪が深いので腰まで水に浸かり 大井川も雪の多い越の国のようだ)  

 「三千仏に花奉るといふ題を詠みて」と人の言ひしに
 (「三世の三千仏に花を奉る、といふ題で歌を詠んでください」とある人が言ったので)

487 惜しむには 心も穢る 同じくは 仏に散らす 花となしてむ
(花に執着してたら心も穢れます 同じことなら仏にあげる散華にしましょう)

 二月に鞍馬に詣でしに、岩間の水の、白く湧き返りたるが雪のやうに見えしに
 (二月に鞍馬寺に参詣した時、岩間を流れる水の白く湧きかえっているのが雪のように見えたので)

488 消え果てぬ 雪かとぞ見る 谷川の 岩間をわける 水の白浪[玉葉集雑二・万代集]
(消えないで残っている雪かと見えます 谷川が岩の間をわけて流れる白波を)  


 つとめて帰るに、雉子(きじ)の隠れ所もなきを見て
 (翌朝帰る途中、〔人に気づいて〕雉が隠れる所もないのを見て)

489 身を隠す かたなきものは 我ならで または焼け野の きぎすなりけり[玉葉集雑一・万代集]
(身を隠す方法がないのは わたしばかりか焼け野の雉もいたのね)  


 人に驚きて、いとはなやかに鳴きしに
 (人に驚いて、突然大きな声でけたたましく鳴いたので)

490 みかりする 人もこそ聞け 春の野に 誰が来ると見て きぎす鳴くらん
(狩りをする人が聞いたら大変だ 春の野に誰が来ると見て雉は鳴くのだろう)

 梅の花を折りて幼き人のすひつつにさしたるを
 (梅の花を折って、幼い子が炉に挿しているのを)

491 うしろめた 風吹かずとも 埋み火の あたりの花は 散りやまさらん
(心配だわ 風が吹かなくても 埋み火の辺の花は 熱気でどんどん散るのではないかしら)  

 同じ頃、法輪に詣でたりしに、花はまだ咲かぬに、雨の雫の花の散ると見えしに
 (同じ頃、法輪寺に参詣したところ、桜の花はまだ咲かないのに、雨の雫がまるで花が散るように見えたので)

492 つねはただ 散るだに惜しき 山桜 ふりにふるとも 見ゆる雨かな
(いつもはただ散ってさえ惜しい山桜なのに とめどもなく散るように見える 雨の雫)  

 花見に歩きて(桜の花を見に歩いて)

493 花にだに あはで宿こそ 思ひしか 今は命に まかせてをみむ[新千載集雑上・万代集]
(今年の桜さえも見ないで終わってしまうかと思っていたけれど 元気になった今は命のあるのにまかせて花を眺めよう)  


 いみじう散りまがふを(桜の花がひどく散り乱れるのを)

494 惜しみにと 来つる心も 有物(あるもの)を 見るさへにしも 散る桜かな
(花を見にわざわざ来たその心も知らないで 見ているうちに散っていく桜)

 庭に積る花を風の吹き散らすを
 (庭に積る花びらを風が吹いて散らすので)

495 散りてだに よるべき物を 桜花 庭をさもはく 風の心よ
(咲いているときはもちろん 散ってさえも見ようというのに 庭をそのように掃いてしまうなんて 風流のわからない風)  

 菊の花をかしき所ありとて往(い)ぬる人の、遅う帰るに言ひやる
 (「菊の花の見事な所がある」と言って見に行った人が、遅く帰って来たので送った)

496 きくにだに 心はうつる 花の色を 見に行く人は かへりしもせじ[後拾遺集秋下]
(美しい菊の噂を聞くだけでも心が花の方に移るのだから 見に行った人はあまりの素晴らしさに帰ろうともしないでしょう)  

 春、花見し山寺を見れば、庭に紅葉の散り積りたるを
 (春、花を見た山寺を今見ると、庭に紅葉が散り積っているので)

497 花散りし 庭に紅葉の 積れるを いづれ増りて 惜しと見えけん
(桜の花が散った庭に今は紅葉が積もっているけれど 桜と紅葉とどちらが美しく素晴らしく見えたのでしょう)  

 ある寺の斎屋(ゆや)の前に、柴と言ふものを多く置きたる中に、紅葉の混じりたりしを
 (ある寺の斎屋の前に、薪にする木をたくさん置いてある中に、紅葉が混じっていたので)
 ※「斎屋」―寺社に参籠するときなどに、斎戒沐浴のためにこもる建物。


498 青柴に まぜて刈りけん もみぢ葉は もえぬ計(ばかり)の 色もかひなし
(青柴と一緒に刈ったらしい紅葉の葉は燃えてしまいそうな赤い色も 薪にするから甲斐もない)  

 人のもとより、暗きほどに氷魚おこせたるに
 (ある人のところから、暗くなった頃、氷魚を寄越したので)

499 網代木に よるとは聞(きき)し 物なれど ひをくらすとは 今日こそは見れ[秋風集]
(氷魚は夜の間に網代木に寄ると聞いていたけれど 夜になって届けられるなんて 今日はじめて見ました)  


 物へ行く道に、川に男どもの降り立ちて、棹して水をかきゆるがせば、浪の立つやうに見ゆるを、「何わざするぞ」と問はせば、「魚堰くなり」と言ひしに
(ある所へ行く道に、川に男たちが降り立って、棹で水を掻き動かすと、波の立つようにやうに見えるので、「何をしているのですか」と尋ねさせると、「魚を捕るために流れを止めているのです」と言ったので)

500 白浪の 寄するみぎはと 見えつるは 魚の命の たつにぞありける
(白波が寄せる水際と見えたのは 波が立つのではなく 魚の命を経つのだった)

 山寺に籠りたるに、かる野の中に火の見ゆるを、「亡き人のことする」と人の言ひしに
 (山寺に籠っている時に、かる野の中に火が見えるのを、「亡くなった人を火葬にしているのです」と人が言ったので)
 ※「かる野」―軽野では滋賀県愛知郡で女性が山寺に籠るには遠すぎる。桂本の詞書では「野のはるかなるに」となっている。


501 心細(こころぼそ) 誰か煙と なるならん 遥かに見ゆる 野辺のともし火
(心細いことです 誰が煙となるのでしょうか 遥かに見える野辺の焼く火は)  

 草の中に蝶の死にたるを見て
 (草の中に蝶が死んでいるのを見て)

502 憂き世には 長らへじとぞ 思へども 死ぬてふ計 悲しきはなし
(辛いこの世にはいつまでも生きられないと思うけれども 死ぬということくらい悲しいことはない)  

 いみじう世のはかなき頃、久しくおとせぬ人に
 (ひどく世の無常を感じている頃、長い間便りを寄こさない人に)

503 消えもあへず はかなき比(ころ)の 露ばかり ありやなしやと 人の問(と)へかし[後拾遺集雑三]
(消え果てることもなく はかなく生きている露のようなわたしを 元気でいるかどうかだけでもお尋ねください)  


 遠きほどに男の行きたる人、九月ばかりに風のいたく吹(ふく)夕暮れに言ひたる
 (遠い所に夫が行っている人が、九月頃、風がひどく吹く夕暮れに言ってきた歌)

504 待つ人の うちくる駒は おともせで 風の声のみ 荒き宿哉
(待っている夫の乗ってくる馬は 蹄の音もしないで 風の音ばかり激しい家です)  

 返し(返歌)

505 荒く吹(ふく) 風を心に 恨(うらみ)つつ ひとりぬるらん 袖ぞ悲しき
(荒々しく吹く風を 心の中で恨みながら 独り寝の涙で濡らしている袖を思うと悲しいことです)  

 同じ頃、法輪に籠りたるに、風のいたく吹しに、寝も寝らで
 (同じ頃、法輪寺に参籠していた時に、風が激しく吹いたので、寝られないで)

506 山おろしに 風の声のみ 激しくて 井堰の水は もれど寝られず
(山から吹き下ろす風の その音ばかり激しくて 川の水は堰を越えて 漏れているけれど わたしは寝られない)
 ※「もられず」―類「寝られ ず」。  


 十月ばかりに、はづかしき今参りのある頃、物憑きて恐ろしげなる声せし人のありしかば、はづかしうてかく言ひし
 (十月頃のこと、こちらが気後れするような新参の女房が来た頃、物の怪が憑いて恐ろしそうな声をあげた人がいたので、きまりが悪くてこう言った)

507 霜枯れの 虫も音弱く なくころに なにの声とか 人のきくらん
(霜にあって枯れる草木に宿る虫もか細く鳴くこの頃 あんな声を出して あの声をなんの声とお聞きになることでしょう)  

 挙周(たかちか)が稚児の、五十日のものをさせせられたりしに
 (挙周の乳児の、五十日の祝いをさせられた時に)

508 常盤山 こ高き松を はじめにて 枝さしそはれ 千代のはるばる
(常盤山の小高い松をはじめとして その松に枝が次々と増えていくように祈っています 千年もの春ごとに)  

 時々来る男の、「淵は瀬になる」と言ひたるに言はせし
 (時々通って来る男が、「淵は瀬になる」と言っていたので、女に言わせた歌)
 ※「淵は瀬になる」―「飛鳥川 淵は瀬となる 世なりとも 思ひそめてむ 人は忘れじ(たとえ飛鳥川の淵が瀬になるような変わりやすい世の中であっても 思いはじめたなら その人のことを忘れない)[古今集恋四・読人しらず]」


509 淵やさは 瀬にはなりける 飛鳥川 浅きを深く なす世なりせば[後拾遺集恋二]
(淵はそんなふうに瀬になるものなの 飛鳥川の浅い瀬も深い淵となるように あなたとの仲も深くなるならと期待していたのに)  


 年頃思(おもい)かけたりけれど、え言ひ出でありける人の、けしき見せて後に、男
 (数年来思いをかけていたけれど、口では言えないでいた人が、その思いを伝えた後で、その男が)

510 忍草(しのぶぐさ) 忍びし折も 有(あり)にしを あかぬは人の 心なりけり
(忍草のように 人知れず悶々とした時もあったのに 思いを伝えてもなお満たされないように思うのは それが人の恋心というものですね)  

 女に代はりて、返し(女に代わって、返歌)

511 今更に なにかはつゆの もりつらん 忍の草の さてもやみなで
(いまさら どうして少しばかりの思いを漏らしたのでしょう 人知れず恋して そのままにしてしまわないで)  

 祇陀林(ぎだりん)にありし聖(ひじり)の、竹の枝に、蜂の巣くひたるをおこせて、釈迦仏の宣ふなりとて
 (祇陀林寺にいた聖が、竹の枝に蜂の巣が巣食っているのを寄こして、「本尊の釈迦仏の仰せの歌です」と言って)

512 我(わが)宿の みぎはに生(お)ふる なよ竹の はちすとみゆる 折も有(あり)けり
(わたしの家の水辺に生えているなよ竹が 蓮に見える時もあるのです)  

 とありし返し(とあった返歌)

513 末のよは 竹も蓮に なりければ 仏にうとき 身とも思はじ
(末世では竹も蓮となったのですから わたしも仏に疎遠な身とも思わないことにしましょう)  

 同寺に五月に水増さりて、「流れぬべし、釈迦仏横川に渡し奉らん」と聖の言ひしに
 (同じ祇陀林寺寺で五月に増水があって、「お堂も流れてしまうだろう。お釈迦さまの横川にお渡し申し上げよう」と聖が言ったので)

514 濁(にご)りなき よかはの水に 君すまば こなたの岸は いかが渡らん
(穢のない横川にあなた様が住み移られるなら 此岸にいるわたしはどのようにして濁世(じょくせ)を渡りましょう)  

 花見しに、皆散りにければ口惜しうて、庭なるをかき集めて
 (花見をしたところ、全部散ってしまっていたので残念で、庭に散っていたのをかき集めて)

515 花をこそ 散らぬ先にと たづねつれ ゆきを分ても かへりぬる哉[玉葉集春下]
(花を散らないうちに見に来たのに 雪を踏み分けて帰ることになってしまった)  


 久しくおとせぬ人に、荻に付けてやりし
 (長い間手紙も暮れない人に、荻につけて送った)

516 おとづれぬ 人の心の 秋や猶 いかなる荻の 葉かはそよめて
(手紙もくださらないのは わたしに飽きていらっしゃるようですが それでもどんな荻の葉なのか そよそよと音を立てます あなたは秋が来てもなにもおっしゃらないのね)  

 筑前の守道済(みちなり)が、国にて亡くなりぬと聞きて、罷り申に来たりしが思ひ出られて
(筑前の守道済が、任国で亡くなったと聞いて、任地へ行く時に挨拶に来たことが思い出されて)

517 帰るべき 程を頼めし 別れこそ 今は限りの たびには有けれ[風雅集雑下]
(帰って来る時を期待させて行ったあの時の別れが 今生の別れだったのだ)

  女(むすめ)の亡くなりしに服すとて
 (娘が亡くなったので喪に服すというので)

518 我がために 着よと思ひし 藤衣 身にかへてこそ 悲しかりけれ[風雅集雑下]
(わたしが亡くなったら着てほしいと思っていた喪服なのに 反対にわたしが着ることになって悲しくてならない)  

 同じ頃、源大納言失せさせ給へりしに、御女(むすめ)の美作(みまさか)三位に聞えし
 (娘を亡くしたのと同じ頃、源大納言がお亡くなりになったので、ご息女の美作三位にさし上げた歌)
 ※「源大納言」―桂「傅大納言」源道綱。


519 親のため 落つる涙や いかならん こは世に知らず 悲しかりけり
(亡きお父上を偲んで泣かれる涙はどれほどでしょう わたしは子に先立たれましたが この世にまたとないほど悲しいことでした)  

 年頃使ひし人の、常陸へ下るとて、住みし方(かた)の前に菊の植ゑおきしが、花咲きたるを、いまだかくとも知らじかしと思ふに、悲しければ
 (長年使っていた人が、常陸国へ下向するといって、住んでいた所の前に菊を植えておいたのが、花が咲いたのを見て、〈いまだに菊が咲いたことも娘が亡くなったことも知らないだろう〉と思うと、悲しくて)

520 東路(あずまじ)の 人知るらめや 植ゑおきし 菊の露だに なく消ぬとも
(東国へ行った人は知っているだろうか 植えていった菊は花が咲いたのに 娘は菊が露さえ宿さないように亡くなったことを)  

 風吹くに、木の葉の散りしを (風が吹いて、木の葉が散ったのを)

521 散りまがふ 紅葉をみても ねをぞ泣く 我木枯らしの 風のつらさに
(風に吹かれて散り乱れる紅葉を見ても 声を上げて泣いてしまう わが子を亡くすという木枯らしのような辛さに)  

 ふたの年の秋、住みし方の前裁色色(いろいろ)に咲きみだれたるに、義忠(のりただ)が来て哀れなる事など言ひて
 (その翌年の秋、亡くなった娘が住んでいた所の庭先の植え込みが色とりどりに咲き乱れているときに、義忠が来てしみじみとした話などして)
 ※「義忠」―藤原義忠。


522 植ゑおきし 人は露より あだなれど 花の昔の 秋に変らぬ[続詞花集]
(庭先に花を植えておいた人は 露よりもはかない命だったけれど 花は昔の秋そのままに咲いている)  

 と言ひしに(と言ったので)

523 朝夕に 我が撫子の 枯れしより 垣ほの露は 秋もわかれず
(朝も夕も撫でるように可愛がっていたわが子が亡くなってからというもの 今が秋かどうかもわからないで涙にくれています)  

 大原少将入道わづらひ給ひしに、詣(もう)でて近きほどにあるに、月の明かりしに
 (大原少将入道が、病気になられたので、お見舞いに伺って、その近くに宿をとっていた時、月が明るかったので)

524 炭窯(すみがま)の 煙は空に かよへども 大原山(おおはらやま)の 月ぞさやけき
(炭を焼く窯の煙は立ち昇っているが 大原山の月は煌々と輝いている)  

 「重くなりまさり給ふ」とありしに、物のみ哀れなるに雉の立ち居せしに
 (「だんだん重態になられる」ということだったので、なんとも悲しい思いでいると、雉があちこち動いていて)

525 山深く すまふ雉子(きぎす)の ほろほろと たちゐにつけて 物ぞ悲しき
(山深い所に住む雉がほろほろ鳴いている様子を見ると 涙がほろほろとこぼれて悲しくてならない)

 失せ給ひしかば、命長きも心細くおぼえて
 (お亡くなりになったので、じぶんの寿命が長いのも寂しいような気がして)

526 いとへども あまりうき身の ながらへて 人に後(おく)るる 数も積りぬ[新拾遺集哀傷]
(嫌だと思ってもわが憂き身は長く生き過ぎて 人に先ただれる数も多くなった)  


 御忌(いみ)に籠りたる僧どもの料に、引きぼしして奉れしに
 (大原少々入どのの喪に籠っている僧たちの食料としてひきぼしを作ってさし上げた時に)
 ※「引きぼし」―海藻を干して作った食物。


527 ひきほして 袂かはくと 思へども 涙ぞまさる みるめ絶えては
(ひきぼしを召し上がっていただければ 大原少将入道が亡くなられて涙で濡れた袂も乾くと思われましたが もうお目にかかることができないと思うといっそう涙が流れます)  

 天王寺に詣でしに、長柄(ながら)の橋を過ぐとて
 (天王寺に参詣した時に、長柄の橋を通り過ぎるというので)

528 我計(ばかり) ながらの橋は 朽(く)ちにけり なにはのことも ふるる悲しき[後拾遺集雑四]
(わたしばかりが長く生きて 長柄の橋は朽ちてしまった 難波のこともどんなことも見たり聞いたり触れたりするのが悲しい)  


 住吉にて(住吉神社にて)

529 末の世は あせもしぬらん 住吉の まつそのかみを 見たらましかば
(末世ではきっと衰えているだろう 住吉神社のできた当時の様子を千年の齢を保っている松が見ていたとしたら)  

 西大門にて、月のいと明かりしに (西大門で、月がとても明るかったので)

530 ここにして 光を待たん 極楽に 向ふと聞きし 門(かど)に来(き)にけり
(ここで阿弥陀仏のご来迎の光を待とう 西方極楽浄土に向き合っていると聞いた門にやって来た)  

 聖霊院に夜更て詣でたりしに、みあかしの明く見えしに
 (聖霊院に夜が更けてから参詣したところ、仏前の灯明が明るく見えたので)

531 世を照らす 法のともしび なかりせば 仏の道を いかで知らまし
(世の中を照らす法の灯火がなかったなら 仏道をどうやって知ることができるだろう)  

 舎利おがみ奉るとて(舎利を拝み申し上げる時に)
 ※「舎利」―釈迦の骨。

532 分(わ)かちけん 昔にあらぬ 涙こそ なほざりながら 悲しかりけれ[続拾遺集釈教]
(釈迦が入滅なさって その舎利を分けたという昔の人が流した涙ほどでなくても やはり舎利を拝み奉ると悲しい)  


 亀井を見て
533 こふを経て すくふ心の 深ければ 亀井の水は たゆるよもあらじ
(極めて長い時間を経ても仏が衆生を救う心は深いので そのように水の深い亀井の水は乾く時もないだろう)  

 太子のぬかづき給ふとて、ひたぶるにあて給ひける石を見て
 (聖徳太子が額ずかれるというので、額にあてられた石を見て)

534 たちゐける あとを見るこそ 悲しけれ いしやその世に あへらましかば
(聖徳太子が立ったり座ったりなさった跡の石を見ると悲しくてならない ああ その素晴らしい時に居合わせていたらよかったのに)  

 塔の露盤(ろばん)の黄金(こがね)、太子塗り給ひて、「この光失せん折仏法も失すべし」と誓ひ給ひけるが、曇りて見えしに
 (五重塔の露盤の金を聖徳太子が塗られて、「この金の光沢がなくなる時に、仏法もなくなるだろう」と誓われたが、それが曇って見えたので)
 ※「塔の露盤」―仏塔の相輪のいちばん下にある四角い盤。


535 磨きけん 黄金の色も 曇りつつ 法の光も 消えぬべき哉
(聖徳太子が磨かれただろう金の色も曇って 仏法の光も消えてしまいそうだ)

 念仏すとて起き明かすあか月に、鴫(しぎ)の鳴くを聞きて
 (念仏をするというので、寝ないで夜を明かした明け方に、鴫が鳴くのを聞いて)

536 夜もすがら 我取る数の 乱るるを 鴫の羽がき かきやつくらん
(一晩中わたしが数珠をとって念仏を唱えるその数が乱れるのを 鴫が羽がきをして書きつけるのだろうか)  

 帰るに風のいと荒くて、いしべといふ所に泊りて日頃あるに、雁の鳴きしを
 (天王寺から帰る時に風がとても激しくて、いしべという所に泊まって何日か過ごしていると、雁が鳴いたので)

537 浪間まつ 舟は泊りに やすらへど 風にはへては 雁ぞ聞(きこ)ゆる
(荒れる波が静まるのを待つ舟は港に留まっているけれど 激しい風に乗って雁の声が聞こえる)  

 水鳥の多く浮かびたる所を見て (水鳥がたくさん浮かんでいる所を見て)

538 水鳥の 浮きて憂き世を 過すだに いくせのせぜを 心みるらん
(水鳥が水に浮かんで辛い日々を過ごすうちに いくつの瀬々を体験するだろう)  

 ともなりしさぶらひの、あの寺にて俄に亡くなりにしに、帰るに声もせぬが哀れにて
(天王寺にわたしの供をしてきた侍が、あの寺で急に亡くなったのだが、上京する時にその侍の声もしないのが子しみじみと悲しくて)

539 いでてこし 日やは限りと 思ひけん 帰るにかはる 玉だにもなし
(都を出てきた日が最後と思っていたのだろうか わたしたちは帰るのに 代わりの魂さえない)  

 夜にとく車に乗りて京に入(いる)(ほど)
 (夜に早く車に乗って京に入るときに)

540 貝拾ふ 浦は何とも 見えねども 都のかたみ 嬉しかりけり
(貝を拾う難波の浦はなんとも思われないが 都のほうが嬉しいことだ)  

 挙周が和泉果てて上るままに、いと重うわづらひしに、「住吉のし給ふ」と人の言ひしがみてぐら奉られしに書き付けし
 (挙周が和泉守の任期が終わって上京するとすぐに、ひどく思い病気になったが、「これは住吉の神がなさること」とある人が言ったので、みてぐらを奉ったのに書いた歌)
 ※「みてぐら」―幣・神に捧げるもの。


541 頼みては 久しくありぬ 住吉の まづこのたびは しるしなん見せてよ
(ご信心してから長い年月が経っています 住吉の神さま まずこのたびの病気を治してくださいますよう ご霊験をお見せください)

542 千世(ちよ)(へ)よと まだみどりごに 有(あり)しより ただ住吉の 松を祈りき
(挙周が千年も長生きするようにと まだ乳児の頃からただ住吉の神さまにお祈りしています)

543 代(か)はらむと 祈る命は 惜しからで 別(わか)ると思はん 程ぞ悲しき
(息子に代わってじぶんをと住吉の神さまに祈るじぶんの命は惜しくなく 息子と別れると思うときのことが悲しい)  

 奉りての夜、人の夢に、髭いと白き翁、このみてぐらを三ながら取ると見て、おこたりにき
 (献上した夜、ある人の夢に、髭のとても白い老人が、このみてぐらを三つとも納めたと見て、挙周の病気が治った)  

 五十日(いか)のほどなる稚児を父の迎ふるに、やる人に代はりて
 (生後五十日のほどの乳児を父が迎えるのに、渡す人に代わって)

544 別れとも 知らず顔なる 面影に 恋しとだにも 思はずも哉(かな)
(母との別れとも気づいていない子どもの面影に耐え切れないで 恋しいとだけでも思わないことにします)  

 産(うぶ)衣をとどめたりけるを、「まつりにするものななり」とて乞ひたりければ、やるに代はりて
 (母の手元に産衣を留めておいたのを、「お守りにするものだそうだ」と父が求めてきたので、遣わすのに代わって)

545 みるほどの まもりと思へど みを衣 うたに形見の なきぞ悲しき
(産着だけでもわたしのお守りになると思っていたけれど 形見と思うこれさえ亡くなってしまうのは悲しい)  

 その稚児の父なりなりて、妹のもとにあるを迎へければ、「捨てはなちてしものは、なにしにかやうに」と言ひたる返り事に代はりて
 (その乳児の父が亡くなって、妹のところに預けられたのを母が迎えようとしたら、妹が「一度手放したものをどうして引き取ろうとするのか」と言ったその返事に代わって)

546 撫子は 同じ垣根と 思ひしを つゆさへ消えん 物とやは見し
(愛するわが子は同じように愛する父のところだからと渡しただけで手放してはいない 父までが亡くなってしまうと思っただろうか 思いはしない)  

 山里に行きたりしに、送りの人々帰りて、二三日音せざりしかば、心細う覚えて
 (山里に行ったところ、送ってきた人々が帰って、二、三日音沙汰がなかったので、心細くなって)

547 送りおきて 人も見えねば いにしへの 柴の舟とも 思ほゆる哉
(わたしを送ってきて誰も訪ねてこないので なかなかやって来ない昔の柴舟のような気がする)  

 出づべき程近く、蛙の鳴きしを (帰る日が近くなって、蛙が鳴いたので)

548 帰べき 程のちかきを 惜しむかと かはづの声の あはれなる哉
(帰る日が近いのを惜しむかのように 蛙の声が名残惜しそうに聞こえ る)  

 「王昭君が胡の国に行き着きての思ひ詠みて」と人の言ひしに
 (「王昭君が胡の国に行き着いた時の心情を詠んでください」と人が言ったので)
 ※「王昭君」―中国前漢の元帝の官女。元帝は絵師に官女の似顔絵をかかせ、その美しさによって召した。女たちは競って絵師に賄賂を贈ったが、王昭君は美しかったので贈らなかった。それによって醜く描かれ、匈奴(きょうど)との和親のために選ばれて呼韓邪単于(こかんやぜんう)に嫁すことになった。彼女は泣く泣く胡の国に送られ、この地で没した。

549 歎(なげき)こし 道の露にも まさりけり なれにし里を 恋ふる涙は[後拾遺集雑三・俊頼髄脳]
(嘆きながら来たその道のあたりの露にもまさっている 行き着いて住み慣れた故郷を恋う涙は)  

 内侍督殿の、御葬送のつとめて (内侍の殿のご葬送の翌朝)

550 もえつらん よるの煙の さびしさに 今朝うき雲の 立つをこそ見れ
(亡骸を火葬した夜の煙を見て寂しかったが 今朝はその空に悲しい浮雲が立っています)  

 皇太后宮失せさせ給ひて、四十九日の御仏の料の玉とて人人召ししに、まゐらすとて
(皇太后宮がお亡くなりになって、四十九日の法事の仏の料の玉といって、人々にお召しになったので、さし上げるといって)

551 別れにし 玉はかへるに かたければ 涙ののみぞ 袖にかかれる[栄花物語]
(お別れした魂はこの世に帰るのが難しいので 涙の玉だけが袖にかかっています)


 入道殿おはしまさで後、御堂に詣でたりしに、いとさかさかしく池の浮き草繁かりしに
 (入道殿〔藤原道長〕がお亡くなりになった後、御堂に詣でたが、すっかり淋しくなり池の浮き草も繁ったままになっていたので)

552 古(いにしえ)の 壁にだにこそ ありと聞け 池に映(うつ)れる影も見えなん
(昔 兼輔中納言は 北の方が生前書かれた筆の跡を見て 亡き人を偲ばれたと聞きますが 道長殿もこの池に顔が映って もう一度お目にかかりたい)

 兼房の君、春待つ心の歌詠みて、「これ定めよ」とありしに、正月一日きこえし
(兼房の君が、「春待つ心」の歌を詠んで、「これを批評してください」と言ってきたので、正月一日に申し上げた)
 ※「兼房の君」―藤原兼房。

553 いつしかと 霞(かす)める空の けしきかな 春待つ人は いかが見るらん[万代集]
(いつのまにか霞んで早くも春の空の様子ですね 「春を待つ心」の人はどう見るのでしょうか)  


 梅の造り花に、誠のを取り混ぜたるを見て
 (梅の造花に、本物の取り混ぜてあるのを見て)

554 いづれとか 分くべかるらん 梅の花 香をだにつくる 人のありせば
(どちらが本物か見分けられるだろうか 梅の造花に香りさえつける人があったなら)  

 人のもとより、桜の枝をいと大きに折りておこせたりしに
 (ある人の所から、桜の枝をとても大きく折って寄こしたので)

555 我ために 折れる心は 嬉しくて 花惜しまずと 見ゆる枝かな
(わたしのためにこんなに大きく折ってくださったお心が嬉しくて 花を惜しみなくくださるお気持ちのわかる枝です)  

 桜多かる山寺見んとて詣でたりしかど、散りにけり、その夜、月の明かりしに
  (桜が多い山寺に、花見をしようと思ってお参りしたところ、みな散ってしまっていた。その夜の月が明るかったので)

556 花の色は 散るをだに見で 散にけり なぐさめに見ん 春の夜の月
(美しい桜の花は 散るところさえ見ないで散ってしまった 慰めに見よう 春の夜の月を)  

 「四条中納言の、『ここに花のなき折、をかしき花見えばおこせよ』となんありし」と言ふ人のありしかば、「花を伝えよ」とてやりし
 (「四条中納言が、『私の家に花が咲いていない時、美しい花を見たら送ったください』とおっしゃっていました」と言う人がいたので、「花の便りを伝えてほしい」と、花に添えて送った)
 ※「四条中納言」―藤原定頼。

557 桜さへ 盛りになべて なりぬとも 花なき宿は 知らずや有(ある)らん[定頼集]
(桜まで満開になっても 花のないあなたの家では知らないでいらっしゃるでしょうか)  


 返し、中納言(返歌、中納言)

558 我宿に 劣らぬ花は ありやとも 今はたずねじ なき名立ちけり[定頼集]
(わたしの家に劣らない美しい花がありますか とももはや尋ねない わたしの家には花がないという不名誉な評判が立ってしまった)  

 さて後、人、春尽きたる、花のをかしきに付けてきこえし
 (そんなことがあって後、わたしは、春が終わっても美しく咲いている花につけて、定頼に申し上げた)

559 山隠(がく)れ 人はたづねず 桜花 春さへ過(すぎ)ぬ 誰に見せまし[続拾遺集夏・雲葉集]
(桜花は山奥に隠れて咲いているので あなたは訪れず 春さえ過ぎていきました これを誰に見せましょう)  


 小さき桜を植ゑたりしに、年経て花の咲きたりしに
 (小さい桜を植えておいたのが、何年か経って花が咲いていたので)

560 植ゑおかば 人も見よとぞ 思ひしを 花咲くまでも あれば有けり
(植えておいたら わたしが死んだ後で 人も見てほしいと思ったが 花が咲くまで生きれば生きられるもの)  

 人のもとより蓮の浮き葉に露を置きて、蟬の死にたるを入ておこせて
 (ある人の所から、蓮の浮き葉に露をのせて、蟬の死んだのを入れて寄こして)

561 何事の うきぞうき葉に 空蝉の 泪(なみだ)はつゆと おきて消ける
(なにが悲しいのだろう 浮き葉に蝉の涙は露となって 蝉は死んでしまった)

 とてありし折しも、子供の、生きたる蟬に緒を付けて遊ぶを取りて、おき替へてやるとて
 (と言って歌をよこしたその時、子供が生きている蟬に紐をつけて遊ぶのを取って、死んだ蝉と置き換えるというので)

562 空蝉の つゆの命の 消(け)ぬべきを たまたま結び 留(とど)めつる哉
(蝉のはかない命は死んだはずなのに 偶然この世につなぎ留めている)  

 語らふ人の七月八日の夜、物語りしてあか月に帰りしに、つとめておくりし
 (親しい人が七月八日の夜に訪ねてきて、話をして夜明け前に帰ったので、その朝早く送った)

563 七夕の 昨日別れし 空よりも 明(あ)くるは今朝(けさ)ぞ わりなかりける
(七夕のきのう別れた空の様子より 一夜明けた今朝のほうが淋しくて耐えがたい)  

 前裁を植ゑしに、くづれたるを見て、いにし人、「おのが家の花のをかしきを見せばや、残らずなりぬめりしこそいとほしけれ」と言ひたるに、色色の花を見てやるとて
 (前裁を植えたが、虫に食われたのを見て去って行った人が、「わたしの家の端の美しいのを見せたいもの。残らず食われたようで残念」と言ったので、残っているさまざまな色の花を見て送るというので)

564 我宿を せめて見たれば 秋の野の 花てふ花は 秋にしもあらず
(わたしの家の残った花をあえて眺めていると 秋の野の花という花は必ずしも飽きるほど満足するというわけにはいかない)  

 人の家売るを見に行きて、帰りてともかうも言はねば、あれより、「見劣りしたるか、おともせぬは」と言ひたるにやる、草深く、萩多かりし所なり
 (ある人が家を売るのを見に行って、帰ってから家を買うとも買わないとも言わなかったので、先方から、「見劣りしましたか、あいさつがないのは」と言ってきたのに送る。草深く、萩の多い所だった)

565 繁かりし 萩の藪(やぶ)こそ 恋しけれ しかばかりだに 我宿はなし
(萩のいっぱい繁っていたお庭の藪が恋しいことです それほどの風流さえもわたしの家にはありません)  

 物へ詣づる道に、相撲草(すまいぐさ)の花のいと多かるを、「仏に奉らん」と言へば、「我が折覧」と争ふを見て
 (物詣での道に、相撲草(すまいぐさ)の花がとてもたくさん咲いているのを、「仏に供えましょう」と言うと、供の者たちが「わたしが折ろう」と争うのを見て)

566 行(ゆく)道の 左右(ひだりみぎ)なる 相撲草 かた分けてこそ とるべかりけれ
(行く道の左右に生えている相撲草だから 両方に分かれて摘むのがよいでしょう)  

 殿の上の八幡より帰らせ給ふとて、門の前過ぎさせ給ふに、風いたう吹しに、庭の尾花いたく招きしを折りて、追ひてまゐらせし
 (殿の北の方〔倫子〕が石清水八幡からお帰りになるというので、門の前をお通りになる時、風がひどく吹いたので、庭の尾花がさかんに招いたのを折って、追いかけてつし上げた歌)

567 我宿の 庭の尾花の 折りかへり 招く時にも 見でや過ぬる
(わたしの家の庭の尾花〔ススキ〕が折れ返ってお招きしている時にもごらんにならないで お通り過ぎになるのでしょうか)  

 後の九月晦の日、兼綱の中将 (閏九月の末日、兼綱の中将が)

568 長月の 日数まされる 年だにも あかぬは秋の 別れなりけり[秋風集]
(九月が二度ある秋の長い年でさえも 名残りがつきないのは秋の別れです)

 返し(返歌)

569 秋のただ 日数(ひかず)はそばで 今日にかく 別れぬ年の 有(ある)世なりせば[秋風集]
(秋の日数がただ増すのではなく 今日という秋の終わりにこのように別れない年がある世の中であったらいいのに)  


 「紅葉見に、戸無瀬に行かん」と契し人の、おともせざりしかば
 (「紅葉見物に、戸無瀬に行きましょうと約束した人が、なんとも言ってこなかったので)

570 うしろめた とくといそがで 紅葉葉は となせの滝の 落ちもこそすれ
(心配です 早くしないと紅葉の葉は 戸無瀬の滝のように落ちてしまうかもしれません)  

 女院左近の命婦に、義忠すみしを、姪の少納言の内侍に移りたりと聞て、義忠にやりし
 (女院の左近の命婦のところに、義忠が住んでいたが、「姪の少納言の内侍のほうに心移りしてしまった」と聞いて、義忠に送った)

571 まことにや おば捨て山の 月はみな よにさらしなの あたりと思ふに[後拾遺集雑四]
(本当のことでしょうか 姥捨山の月はだいたい更級のあたりに照ると思っていたのですが)  

 夜更くるまで月を見て (夜が更けるまで月を見て)

572 物思はぬ 人もやこよひ 詠(ながむ)らん 寝られぬまま に 月を見る哉[千載集雑上・続詞花集・古来風躰抄]
(なんの悩みのない人も今夜この月を眺めているだろうか 悩みのあるわたしは寝られないで月を見ていることだ)  


 「月夜よりは、曇り、雨降らん夜は必ずまゐらん」と契りける人の、雨いみじう降りける夜、見えずなりにければ、つとめて「やらん」と言ひし代はりて 
 (「月夜よりは、むしろ曇って、雨が降るような夜には必ず伺いましょう」と約束した人が、雨が激しく降った夜、とうとう来なかつたので、翌朝「手紙を送ろう」と言う人に代わって) 

573 くもるとも あらじと思し 空ごとの あらはればかり 降りし雨哉
(曇っても来ないだろうと思っていたけれど その嘘が露見してしまうほど降っている雨)  

 成衡(なりひら)が男子、産ませたりしに、産衣縫ふ程に覚えし
 (成衡が男の子を持ったので、その産衣を縫うときに心に浮かんだ歌)
 ※「成衡」―大江挙周。


574 雲の上に 上(のぼ)らんまでも 見てし哉(がな) 鶴の毛(け)衣 年経(ふ)とならば
(禁中に殿上する時までも見たいもの 鶴が千年の命を保つなら それにあやかって)  

 七日夜(お七夜に)

575 千代を祈る 心の内)の 涼しきは 絶えせぬ家の 風にざりける
(千年の長寿を祈る心が心地良いのは 絶えることないわが家の家風が続くと思うからです)  

 挙周(たかちか)が 殿上して、草深き庭にて拝みしに
 (挙周が殿上して、草深い庭で拝舞した時に)

576 草分(わけ)て たちゐる袖の 嬉しさに たえず泪(なみだ)の 露ぞおぼるる
(初めて殿上を許されて拝舞する姿を見て 嬉しさにとめどなく涙がこぼれます)  

 これを聞て、兼綱(かねつな)の君の言ひたる
 (この歌を聞いて、兼綱の君が寄こした歌)

577 こぼるらん 涙の露も ことわりや たえず吹くらん 家の風には
(嬉し涙をこぼされるのももっともです 絶えることなく家風が興隆していかれるのですから)  

 返し(返歌)

578 吹(ふき)まさる 家の風だに 絶えせずは つゆこぼるとも さらにおけかし
(いちだんと盛んになるこの家の名声が絶えないというなら この涙にさらに嬉し涙を添えてください)  

 和泉果てて後、三河になりての年、石清水の祭の使ひせしを見に出でて
 (挙周が和泉守の任を終えて、三河守になった年に、石清水の祭の使いを課せられたのを見物に出かけて)

579 色深く かざしのふぢも 見ゆる哉 嬉しきせぜの 涙そはりて
(冠に挿している藤の花も色濃く見える 嬉しい折々の涙が加わって)  

 五節(ごせち)の料とて女院より菊襲(きくがさね)の汗衫(かざみ)を、「ようと思ふものながら人に縫はすな」とて賜はせたりし、縫ひてまゐらすとて
 (五節の用度品として女院〔彰子〕から菊襲の汗衫を、「面倒だとは思うけれど、ほかの人に縫わせないで、あなたの手で縫って」と言われて賜ったものを縫って献上する時に)

580 色色(いろいろ)に 匂へる菊に 手をかけて 露にわかるる 心地こそすれ
(いろいろな色あいの菊襲を縫ってみて もうこういうことをさせていただくのも これきりのような寂しい気がしました)  

 道命阿闍梨亡くなりて後、法輪に詣でたりしに、住みし坊の桜の咲たりしを見て
 (道命阿闍梨が亡くなって、その後、法輪寺に参詣したところ、阿闍梨が住んだ坊の桜が咲いていたのを見て)

581 誰見よと 猶匂ふらん 桜花 散るを惜しみし 人もなき世に
(誰に見てくれと思って今なお美しく咲いているのだろう 桜花は 花が散るのを残念がった人ももういないこの世に)  

 兼綱(かねつな)の君、妻(め)亡くなりて、忌過ぎてのほどに言ひたる
 (兼綱の君が、妻が亡くなって、忌みが過ぎる頃に言っていた歌)

582 問はぬかな 別(わかれ)て後の 悲しきは 忘るる程に なりやしぬらん
(もう訪れてもくれないのですか 死別の後の悲しさは 忌みが過ぎて忘れる頃になっているのでしょうか)  

 かへし(返歌)

583 いかにとも いはぬ涙の むせかへり 心に嘆く 程を見せばや[秋風集]
(「その後はいかがですか」ともお見舞いもしないで涙にむせてばかりいますが あなたの奥方を偲んで 心に歎くことがどれほど深いか見ていただきたい)


  前斎院の御葬送に、その夜、かかることを筑紫へ下りにし御乳母の孫は知らじかしと思しに哀れにて、その人を知りたる人にやりし
 (前斎院のご葬送の時、その夜、〈こういうことを筑紫へ下向した乳母の孫は知らないな〉と思うとかわいそうな気がして、その孫を知っている人に送った)
 ※「前斎院」―選子内親王。


584 燃え果(は)つる 煙を知らで 竈山(かまどやま) よその空なる 雲と見ゆらん
(燃えてしまった火葬の煙を知らないで 竈山のある筑紫にいる人はなんの関係もない異郷の空に浮かぶ雲と見ているだろう)  

 女院の尼にならせ給ひし日 (女院〔彰子〕が尼におなりになった日)

585 嘆かじと かねて心を せしかども 今日になるこそ 悲しかりけれ
(ご出家を嘆かないとかねてから心の準備をしていたけれど 今日になったのが悲しくてならない)  

 又の日、弁内侍のもとに (次の日、弁内侍のところへ)
 ※「弁内侍」―彰子出家に伴い翌日出家した女房の一人。


586 導かむ かげにつけては 嬉しきを 猶悲しきは なにの心ぞ
(お導きくださるご出家の姿を拝見すると嬉しいのに やはり悲しいと思うのはどういうわけなんでしょう)  

 横川の覚超僧都出でておはせしに、四条中納言経習ひにおはしたりしに、聞えし
 (横川の覚超僧都が都へ出ていらっしゃったので、四条中納言がお経を習いにいらっしゃった、それで申し上げた)

587 行方(ゆくえ)もなく こそ物は 悲しけれ いかで南を 尋(たずね)(き)つらん
(わたしはどこへとやり場もなく悲しいのですが あなたはどうして「南」を訪ねていらっしゃったのでしょうか)  

 返し、中納言(返歌、中納言)

588 しるべをば 南にとふと 見ゆれども 心は西に かくと知らなん
(お導きを「南」に求めて尋ねるように見えるでしょうが 心は西方浄土を欣求(ごんぐ)しているとわかっていただきたい)  

 秋よりわづらひて、十月ついたち頃によみしくなりて見れば、庭草も霜枯れて、薄の花ども爽やかになりにけるを、知らぬも哀れにて
 (秋から病気になって、十月のはじめ頃によくなって見ると、庭の草も霜にあって枯れて、薄の花などがさっぱりしたのも知らないでいたのも寂しく思われて)

589 過(すぎ)にける 秋ぞ悲しき 時雨つつ 一人や死出(しで)の 山を越えまし
(過ぎてしまった秋が悲しく思われる 時雨の季節となったが もしあのままだったら 時雨の中を涙がちに一人で冥土の山を越えただろう)  

 なほ心地苦しうて、夜一夜悩み明して、外を見出したれば、下草の露の、いとほのかなるが、朝日にあたりて頼もしげなく見えしに
 (やはり気分が苦しくて、一晩中悩み明して、外を見ると、下草の露のほんのかすかなのが朝日にあたって、はかなそうに見えたので)

590 下草の あるかなきかに 置く露の 消(き)ゆとも誰か 知るべかりける
(下草のあるのかないのかわからないように置く露が消えたとしても だれがそんなことに気づくだろうか)  

 挙周住む方に立蔀(たてじとみ)などせさするを見て、「こなたにもせさせよ」と言ひしついでに
 (挙周の住む所に立蔀など作らせるのを見て、「わたしのほうにも作らせるように」と言ったついでに)

591 またも又 またきかたおば 作るめり あれはあれたる 宿にあれとや
(あなたのほうは何度もよい場所に作っているようですね わたしは荒れた家にいろとでも言うのですか)  

 「通ふ女のもとに薫き物乞ひたる、おこすとて、『くゆる煙』などやうに言ひたる返しして」と言ひしに
 (「通う女のところに薫物を求めたところ、それを寄こすのに、『あなたとの仲を後悔しています』などというよなことを言っている。返事をしてほしい」と挙周が言ったので)

592 薫き物の くゆるばかりの ことやなぞ 煙にあかぬ 心なりけり
(薫物がくすぶる程度の仲をどうして後悔するのですか わたしの心は煙では足りないで燃え上がっているのに)  

 五月五日、内大臣殿の若君の、菖蒲のいと長きを賜はせたりしに、挙周に代はりて
 (五月五日、内大臣殿の若君が、菖蒲の根のとても長いのをくださったので、挙周に代わって)

593 長き根も いつかは見まし 菖蒲草 君が引くこそ 嬉しかりけれ
(菖蒲の長い根にあやかっていつか長寿を見るでしょうか あなたが菖蒲の根を引いてくださったのが嬉しいです)  

 同じ日、菖蒲に付けて、兼房の君の
 (同じ日〔五月五日〕、菖蒲につけて、兼房の君が)

594 かきたえて とはぬに見えぬ 菖蒲草 いかなることの うきにか有らん
(お訪ねしなくなってお姿をお見かけすることはありませんが どんなことが辛いと思っていらっしゃるのでしょう)  

 返し(返歌)

595 菖蒲草 思はぬ方に ねをさすは けしかかこぬに おふるなりけり
(菖蒲草が思ってもいない方に根ざすのは よくない隠れ沼にでも生えたのですね)  

 十月に有明の月のいみじく明きに、俄にかき時雨れ、まだうち明りつつ哀れなるを、ひとり眺めて
 (十月に有明の月がたいそう明るいのに、急に時雨が降って、また明るくなったたりしてしみじみとした風情なのを、一人で眺めて)

596 神無月 有明の空の 時雨るるも また我ならぬ 人や見るらん[詞花集雑上・後葉集]
(神無月の有明の空が時雨れるのをわたし以外に見ているだろうか)

 挙周が忙しき事ありとて久しう見えざりしかば、おぼつかなうおぼえて
 (挙周が「忙しい用事があって」と言って長い間顔を見せなかつたので、心配に思われて)

597 あひぬべき この世にだにも 見がたくて 長く別れん 後ぞ悲しき
(いつも会えるはずのこの世でも会うのが容易でなく 永遠に別れる死後こそ悲しくてならない)  

 鷹司殿の上の御賀、関白殿のせさせ給へとて御屏風の歌召ししに 臨時客
  (鷹司殿の上〔倫子〕の七十賀のお祝いを関白殿〔藤原頼通〕がなさるということで、屏風の歌を召し出されたので。臨時客)
 ※「臨時客」―正月二日に摂関家で行われた私的な宴会。


598 紫も 袖を連ねて きたる哉 春たつ事は これぞ嬉しき[後拾遺集春上・栄花物語]
(〔臨時客が〕紫色の正装姿で列をなして参上してきた 春を迎えると この姿が見られるので嬉しい)  

 子日(ねのひ)

599 万代(よろずよ)の ためしに君が 引かるれば 子日(ねのひ)の松も うらやみやせん[金葉集春・詞花集春・後葉集]
(あなたの寿命が万年の例にあげられますので 子の日の松も羨ましがるのではないでしょうか)  

 花見

600 春ごとに 惜しめど散るが つらければ 花の心を うらみにぞ行く
(毎年 春のたびに花を愛しく思っても散るのが辛いので 花見とは花の心を恨むために行くのです)

 山家卯花

601 山里の 卯の花隠れ 郭公 うしろめたきを しかや鳴くらん[袋草子] 
  (山里の卯の花に隠れて鳴くほととぎす 不安なことがあってそんなふうに鳴くのだろうか)  

 菖蒲(あやめ)

602 五月雨の いつか過(すぎ)ても 菖蒲草 軒の雫ぞ 玉と見えけり
(五月雨の頃がいつの間にか過ぎても 軒から落ちる雨だれは薬玉のように見えた)  

 常夏(とこなつ)

603 庭の面に 唐の錦を おる物は なほ床夏の 花にざりける[栄花物語・左経記・高陽院水閣歌合・童蒙抄・袋草子] 
(庭一面に唐錦を織ったように見えるのは やはり唐なでしこだったのだ)  


 恋

604 つれもなき 人もあはれと 言ひてまし 恋する程を 知らせだにせば[後拾遺集恋一]
(冷たい人であっても ああ かわいそう と言ってくれるだろう わたしがどんなに恋しがっているか その深い思いを知らせさえすれば)  


 祝ひ(祝い)

605 数知らぬ 春の真砂(まさご)の 年を経(へ)て 君が数へむ 世をぞ見るべき
(無数の浜の砂が何年も経っているように 何年もかかって あなたはその無数の砂を数えきる世にお会いになるでしょう)  

 遠く行人に扇を取らすとて (遠くへ行く人に扇を与える時に)

606 手にならす 扇の風を そへたらば あゆく草葉に つけて忘るな
(わたしの手に馴染んだ扇を身につけたら 風に揺らぐ草葉を見るにつけても わたしを忘れないでください)  

 女(むすめ)の風いたう吹きし日、物に詣でしに
 (娘が風のひどく吹いた日に物詣でをしたので)

607 風にだに あてじとこそは 思ひしか 吹くにさはらで 行(ゆく)が悲しさ
(風にさえあてさせないと思ったのに こんなに吹くのを気にしないで出かけるとは悲しい)  

 六月に桜井の聖のもとに行(ゆき)たりしに、鶯鳴きしを
 (六月に桜井の聖の所に行った時に、鶯が鳴いたのを)

608 春めける 声に聞ゆる 鶯は まださくら井の 里に住めばか
(〔六月なのに〕春らしい声で鳴く鶯は まだ桜が咲いているという桜居の里に住んでいるのかしら)  

 もろともなる人、淀川を見て、恨めしき人の西の国へ往にしを思にや、ここより舟には乗るかといふけしきの心苦しうて
 (一緒に行った人が、淀川を見て、恨めしく思う男が西の国へ去ったのを思うのだろうか「ここから舟に乗るのでしょうか」と尋ねる様子が気の毒で)

609 是(これ)よりや 舟に乗りしと よど川の 声はつれなく こがるめるかな
(「ここから舟に乗ったのですか」とためらいながら尋ねる声は なんでもないようにちとりつくろっているれど 心の中は恋焦がれているようだ)  

 春より秋になるまで、月日の行くへも知らぬに、虫の声を仄に聞て
 (春から秋になるまで、月日が過ぎてゆくのも知らないでいて、虫の声をかすかに聞いて)

610 過ぎ変はる ほども知らぬに 仄(ほのか)にも 秋とは虫の 声にてぞ聞く
(過ぎてゆく季節も知らないで わずかに今が秋とは虫の声で知る)  

 同じ頃、雁の鳴くを聞きて (同じ頃、雁が鳴くのを聞いて)

611 起きもゐぬ 我がとこよこそ 悲しけれ 春帰(かえ)りにし 雁もなくなり[後拾遺集秋上・袖中抄]
(起きてもいないわたしの病床こそ悲しい 春に北へ飛んでいった雁も 秋にまた帰って来て鳴いている)  


 尼になりたる人にやりし (尼になってしまった人に送った)

612 いにしへの 雁の数にも 後れにき 此世にもまた 先立ちぬとか
(昔亡くなった人たちにもわたしは取り残されてしまった 生きているこの世でもまた あなたはわたしに先立って出家してしまわれたのですか)  

 高陽院(かやのいん)殿の文殿(ふどの)にて、紅葉を見て
 (高陽院殿の書斎で、紅葉を見て)

613 秋いけど のどけき宿の 紅葉かな 風だにあらく 吹ぬなるべし
(秋は過ぎてものどかな書庫の紅葉だ 風さえも荒々しく吹いたりしないだろう)

 関白殿に集ども集めさせ給ふとて、「ここにもあらん、まゐらせよ」と仰せられたれば、みな忘れにけるを、ただおぼゆる限り書き出でて、まゐらする奥に
 (関白殿が家の集などを収集なさるということで、「あなたのところにも家集があるだろう。奉れ」とおっしゃったが、すっかり忘れてしまったのを、ただ記憶にあるだけ書き出して、その終わりに書いた歌)
 ※「関白殿」―藤原頼通。


614 是ならで 思ふ事のみ 数なきを かき集めても 君に見せばや 
(ここに書きだした以外に胸に思うことだけは数限りなくありますが とりあえずこのようにかき集めてあなた様にごらんにいれます)
※訳者後記―『赤染衛門集』六一四首の中に、残念ながらわたしの琴線に触れる秀歌といえる歌はありませんでした。和泉式部の歌は難解だが心に迫るものを感じたのですが・・・。赤染の歌を読んでいくうちに気づいたのは、赤染の歌には代作が多いから、歌が真に迫らないのではないかということです。百人一首には、家集四の「やすらはで 寝なまし物を 小夜更て かたぶく迄の 月を見し哉」があげられていますが、この歌も当たり前のことを詠っただけで秀歌とはいえません。
参考文献
●和歌文学大系20 赤染衛門集 武田早苗校注 明治書院
●赤染衛門集全釈 私家集全釈叢書1 関根慶子・阿部俊子・林マリ ヤ・北村杏子・田中恭子共著 
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