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『藤三位集』 |
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殿上の賭弓(のりゆみ)侍りし年、人に
(宮中の賭弓があった年、ある人に)
※「賭弓」―平安時代の宮中の年中行事の一つ。陰暦一月十八日に弓場殿で、左右の近衛府・兵衛府の舎人たちが、天皇の前で弓の技を競い合う。
1 あづさ弓 こころいるまに 山里の 花見にはゆく 人もあらじな
(賭弓に熱中しているから 山里に花見に行く人もいないだろう)
高陽院の梅を折りて、かのわたりよりたまはせけるに
(高陽院の梅を折って、あの人のところ〔頼通〕から贈られてきたので)
2 いとどしく 春は心の 空なるに また花の香は 身にぞしみける[新勅撰集春上]
(ただでさえ春は心がうわの空なのに 贈ってくださった梅の花の香が身にしみて いっそう浮き浮きした気持ちになります)
御返し(ご返歌)
3 そこならば たづね来なまし 梅花 まだ身にしまぬ 匂ひとぞ見る[新勅撰集春上]
(お便りの通りなら訪ねてくださっただろうに 訪ねてこないのは梅の花の匂いがまだ身にしみてないと思われます)
ほととぎすを聞きて、人のもとに
(ほととぎすの声を聞いて、ある人に)
※「人」―藤原定頼。
4 いく声か 君は聞きつる ほととぎす 寝(い)もねぬわれは 数も知られず[玉葉集夏]
(「何度あなたはほととぎすの声を聞いたのでしょうか あなたを待って寝ないでいたわたしは 何度も聞いて その数もわかりません」)
返し(返歌)
5 二夜(ふたよ))三夜(みよ) 待たせ待たせて 郭公(ほととぎす) ほのかにのみぞ わが宿は鳴く
(わたしの家では二夜も三夜も待たせたあげくに かすかに一声しか 鳴かなかった 待ち続けたわたしのほうが思いは深いです)
山里に侍(はべり)しころ、人に
(山里にいた頃、ある人に)
6 あけてくる 人だにぞなき 柴の戸を 峰の嵐の 吹きたてしより
(柴の戸を開けて来る人もいない 嵐が吹きはじめて戸を閉じてしまってから)
返し(返歌)
7 山風の 吹きのみたつる 柴の戸は あけても待たぬ ほどぞ知らるる
(山の風が吹いただけなのに 戸を開けて待っていてくれない その程度の愛情だとわかります)
かた近き荻(おぎ)の末を、馬に乗りながら結びてゆく人なんあると聞きて、つとめて
(門の近くの荻の草の葉の端を、馬に乗りながら結んでいく人がいるらしいと聞いて、翌朝)
※「かた近き」―「門近き」の誤り。
8 なほざりに 穂末を結ぶ 荻の葉の おともせでなど 人のゆきけん[新千載集秋上]
(いい加減な気持ちで荻の穂先を結ぶなんて 訪れもしないで どうして行ってしまうのでしょう)
返し(返歌)
9 ゆきがてに 結びし 物を 荻の葉の 君こそおとも せでは寝にしか
(通り過ぎがたいから荻の葉を結んだのに あなたこそ便りもくれないで寝ていたのでは)
白き菊にさして、おなじ人に
(白い菊に挿して、同じ人〔藤原定頼〕に)
10 つらからん かたこそあらめ 君ならで 誰にか見せむ 白菊の花[後拾遺集秋下]
(薄情なことをされることもあるけれど あなた以外に誰に見せるでしょう 見せる人はいません この白菊の花を)
返し(返歌)
11 初霜に まがふまがきの 白菊を うつろふ色と 思ひなすらん
(初霜と見間違えるほどの 籬の白菊を 心変わりするわたしと思っていらっしゃるのですか)
御堂の月見に、人々まかりたりけるに
(お仏堂の月見に、人々がやって来たので)
12 山の端も 名のみなりける 見る人の 心にぞ入る 冬の夜の月[後拾遺集冬]
(月の入る山の端と言っても それは名ばかりだった 月が山の端に入った後も 見る人の心にこそ入る 冬の夜の美しい月)
秋の夜の月、女院の菊合に
(秋の夜の月、女院〔彰子〕の菊合わせで)
※「女院の菊合」―長元五年〔一〇三二〕十月十八日に行われた上東門院彰子主催の菊合わせ。
13 うすく濃く うつろふ色も置く霜に みな白菊と 見えわたるかな[玉葉集秋下]
(薄く濃く色が変わっている菊も 霜が降りてみな一面に白菊が咲いているように見える)
14 ゆふかげの 風に乱るる むら菊は なびくかたにぞ 色を変へける
(夕陽の光の中 風に乱れて群がって咲いている菊は なびしく方向に色を変えている)
高陽院歌合に、桜を (高陽院の歌合わせで、桜を)
15 吹く風ぞ 思へばつらき 桜花 心と散れる 春しなければ[後拾遺集春下]
(吹く風は考えてみれば薄情なもの 桜の花はじぶんでちろうとして散った春はないもの)
はじめて、人の (はじめて、ある人〔藤原定頼〕が)
16 うづもるる 雪の下草 いかにして つまこもれりと 人に知れせむ[風雅集恋一]
(埋もれている雪の下草のように ひそかに恋しているのに どうやって人に知らせたらいいのでしょう)
返し(返歌)
17 垂氷(たるひ)する 峰のあらしも もえぬるを まだ若草の つゆやこもれる
(つらら下がっている峰の蕨も芽を出したというのに 若草のつまのように あなたがまだ引きこもっていらっしゃるとは)
※「あらしも」―わらびも。「若草のつゆ」―若草のつまの誤写か。
おなじ人に、梅にさして
(同じ人が、梅に挿して)
※「おなじ人に」―「おなじ人の」の誤写か。
18 見ぬ人に よそへてぞ見る 梅の花 散りなむ後の なぐさめぞなき[新古今集春上]
(逢えないあなたになぞらえてみる梅の花が散ってしまったら その後慰めとなるものがありません)
返事に(返歌)
19 春ごとに 心をしむる 花の色に 誰(た)がなほざりの 袖か触れつる[新古今集春上]
(春が来るたびに わたしが惹かれる梅の花に 誰がいい加減な気持ちで袖を触れたのでしょうか)
女院、内裏におはしまししころ、黒戸にたち恋あかして、人
(女院〔彰子〕が、内裏にいらっしゃる頃、黒戸に立って恋し続けて、ある人が)
※「黒戸」―宮中の清涼殿の北、滝口の西にあった部屋。※「人」―源朝任。
20 知るらめや 真屋の殿戸の あくるまで 雨そそきして 立ちぬれぬとは[新後拾遺集恋二]
(あなたは知らないでしょう 御殿の戸が開くまで 雨だれに濡れて立って明かしたとは)
※「東屋の 真屋のあまりの その雨そそき 我立ち濡れぬ(東屋の軒先の 真屋の軒先の その雨だれで 待っているわたしは濡れてしまった さあ家の戸を開けてくれ[催馬楽])」をふまえる。
返り事(返歌)
21 いとほしと なににかけけん 雨そそき 真屋のとかをに 濡(ぬ)ると聞く聞く
(お気の毒だと どうして思わないことがあるでしょう 真屋の殿戸で雨だれに濡れたと聞きながら)
※「とかをに」―「殿戸に」の誤写か。
返事いたうこふ人に
(返事をひどく催促する人に)
22 浦風の たよりばかりに けしき立(たつ) 波に千鳥の 跡も知られず
※風のたより―世間の噂。※千鳥の跡―手紙の意。
※「知られず」―「知らせじ」の誤りか。
※参考「ふみつかはす女の返り事をせざりければよめる/満つ潮の ひるまだになき 浦なれや かよふ千鳥の あともみえぬは(満ちた潮が引くときもない浦なのだろうか 通う千鳥の足跡も見えないのは〔あなたのせいで涙がとまらない 送った手紙も返事がないままで〕)[後拾遺集恋一・大中臣輔親(おおなかとみのすけちか)]」
後朱雀院の宮と申しころ、梨壷の南面の菊御覧ずるに、月いとおもしろし
(後朱雀院が東宮であった頃、昭陽舎の南面の庭の菊をごらんになると、月がとても趣深いので)
23 いづれをか 分きて折らまし 月影に 霜おきそふる 白菊の花[新勅撰集秋下]
(どれを特別に折ったらいいのか迷ってしまう 月の光にさらに霜が降りた白菊の花の)
またのこ、しきぶ卿の参り給て
(翌日、民部卿がやって来られて)
※「またのこ」―「またの日」の誤写か。
※「しきぶ卿」―「民部卿」の誤りか。
24 月影に 折りまどはるる 白菊は うつろふ色や くもるなるらん[新勅撰集秋下]
(月の光で紫色に変わったのだろうか どれを折っていいかのか迷ってしまう白菊)
あるところの人に、文かよすに、上わたりもらすと聞きて
(ある所の人に、手紙を送り届けたのに、宮中で手紙の内容を漏らしたと聞いて)
※「文かよす」―「文通はす」で、「は」が脱字。
25 つゆだにも もらまじと思ふ 言の葉を 峰の嵐に まかすべしやは[新続古今集恋一]
(ほんの一言も漏らさないと思う言葉を 宮中のうわさ話にしていいのでしょうか)
※「もらまじ」―「漏らさじ」の誤りか。
かたらふ人の、おくれては、えながらふまじとあるに
(恋人が、「死に遅れたら、とても生きていられない」と言ったので)
26 人の世の ふたたび死ぬる ものならば 思ひけりやと こころみてまし[詞花集雑上]
(もし人が二度死ぬことができるなら 一度死んで恋人がほんとうに思っているかどうか試してみるのに)
子の日に人々出でて、松も引かで帰りぬと聞きて
(子の日に人々が野に出かけて、小松も引かないで帰って来たと聞いて)
27 小松原(こまつばら) 人も見すてて 帰りぬる ためしにのみや 今日は引かれん
(小松原の小松を人も見捨てて帰ってしまった 引かれなかった例にだけ今日は引かれるのでしょうか)
故院、若宮と申しころ、うゑの松を人の子につかはして
(故院〔後冷泉院〕が、幼くていらっしゃった頃、卯杖の松を臣下の子にお与えになって)
28 相生の 小塩(おしお)の山の 小松原 いまよの千代の かげを待たなん[新古今集賀]
(二本並んで生えている小塩山の小松原の小松が 今から千年後に木陰を茂らせることを期待してください)
牡蠣(かき)の殻といふ隠し題を
(牡蠣の殻を隠し題にして)
※「隠し題」―意味と無関係に文字の連なりとして、ある題を歌に詠みこむ。
29 榊葉は もみぢもせじを 神垣の からくれなゐに 見ゆる今朝かな[千載集雑下・物名]
(紅葉しない榊が 朝焼けと朱の玉垣に映えて 紅葉したように見える今朝)
※「神垣のからくれなゐ」に「牡蠣の殻」を詠みこむ。
秋つかた、乳母のもとに、宿直物つかはししに
(秋の頃、乳母のところに、衣服や夜具を送る時に)
30 あらき風 ふせぎし君が 袖よりは これはいとこそ 薄く見えけれ
(世間の荒い風を防いでくれたあなたの愛情に比べて この夜具はほんとうに薄いことでしょう)
返し(返歌)
31 あらき風 今はわれこそ 防がるれ この木のもとの 陰にかくれて
(木の下陰に隠れるように 今ではわたしこそなたのお陰をこうむっています)
かたらふ人のおとせぬに
(恋人が長い間来ないので)
32 うたがひし 命ばかりは ありながら 契(ちぎ)りし中 の 絶えもゆくかな[千載集恋五]
(命は生きながらえているのに 約束した仲は絶えていくのでしょうか)
返し、少納言(返歌、少納言)
33 言(こと)の葉は いさやいかにぞ 世の中に ありてもなしと 思ふ身なれば
(言葉では さあ どう言ったらいいのだろう 生きていながら あなたと疎遠になって 死んだも同然のわたしなのだから)
年いたく老ひたる祖父のものしたる、とぶらひに
(ひどく年老いた祖父が訪問した、その慰めに)
※「祖父」―藤原為時。
34 残りなき 木の葉を見つつ なぐさめよ 常ならぬこそ 世の常のこと
(あますところなく木の葉を見ながら慰めてください 永久不変でないのがこの世のならいですから)
返し(返歌)
35 ながらへば 世の常なさを またや見ん 残る涙も あらじと思へば
(生きながらえると この世の無情を思い知ることにまた会うのだろうか 残る涙もないと思うのに)
後(のち)の度(たび)、筑紫にまかりしに、門司の関の波の荒う立てば
(後に、太宰大弍の夫〔高階成章〕を訪ねて下向した時に、門司の関の波が荒く立っていたので)
36 ゆきとても おもなれにける 舟路に 関の白波 こころして越せ
(これから向かう舟路に 荒く波立っている門司の関の白波を気をつけて越してほしいものです)
筑紫にて、早蕨(さわらび)といふ題を
(筑紫にて、早蕨といふ題を)
37 かまど山 ふりつむ雪も むら消えて 今さわらびも 萌えやしぬらむ
(降り積もった雪も まだらに消え残って 今はもう早蕨も芽を出してくるのだろうか)
さまざまの題を人人詠みしに、水鶏(くいな)を
(さまざまの題を人々が詠んだ時に、水鶏を)
38 夜もすがら たたく水鶏は 真木の戸を すむ月影や さして入らん
(一晩中 戸を叩く水鶏に 錠を鎖してある真木の戸も開いて 月の光が射して入るかもしれない)
※「たたく水鶏は」―「たたく水鶏に」。
※「おしなべて たたく水鶏に おどろかば うはの空なる 月もこそ入れ(水鶏が鳴いたとそのたびに戸を開けていたら 浮気な男も入ってくるかもしれないよ)『源氏物語・澪標』」をふまえる。
露(つゆ)
39 秋風は 吹きかヘすとも 白露の 乱れて置かぬ 草の葉ぞなき[新古今集秋上]
(秋風が吹き返しても 白露が散乱して置いていない草の葉はない)
※『新古今集』は「吹きかヘすとも」が「吹き結べども」になっている。
萩(はぎ)
40 消(き)ゆるだに 惜しげに見ゆる 秋萩の 露吹き落とす こがらしの風[続古今集秋上]
(はかなく消えることさえ惜しく見える露の置いた秋萩なのに その露を吹き払う木枯らしの風)
薄(すすき)
41 そよめけば 待つ人かとぞ しの薄(すすき) 夜ごとに我を おどろかすかな
(さやさやと音がして恋人が来たのではないかと思ってしまう 夜のたびにわたしを驚かす薄の葉音)
刈萱(かるかや)
42 みだれたる 名をのみぞたつ 刈萱の 置く白露を ぬれぎぬにして[続千載集雑体・誹諧歌]
(乱れた評判だけが立ってしまう 根も葉もない噂によって)
寝覚(ねざめ)
43 はるかなる もろこしまでも 行(ゆく)ものは 秋の寝覚の 心なりけり[千載集秋下]
(遥か遠く唐土までも行くもの それは秋の夜中に目が覚めた時の心 その寂しさは果てしない)
水鳥(みずとり)
44 はかなくも くだくる池の 氷かな ゐる水鳥の 羽風(はかぜ)ばかりに[続後拾遺集冬]
(あっけなく砕け散ってしまった池の氷 水鳥が羽を動かしただけの風によって)
氷(こおり)
45 声さへも 絶えにけるかな 水上の 滝の糸すぢ とどこほりつつ
(流れだけでなく滝の水の音までも消えてしまったのか 水の流れが凍って滞りながら)
春霞(はるがすみ)
46 春の来る 道のしるべに 立ものは 峰よりわたる 霞なりけり
(春がやってくる道の案内に立つものは 峰から越えてくる霞だった)
風(かぜ)
47 吹きよれば 結びし水も うちとけて 風は氷の つまにぞありける
(風が吹けば 凍っていた水も解けるから 風は氷の妻なのだろうか)
若菜(わかな)
48 ゆく人は いざ野辺にとも さそはねど 若菜も年も 多くこそつめ
(若菜を摘みにいく人は さあ野辺に一緒に とも誘わないけれど 若菜も多く摘んで 長生きしなさい)
梅(うめ)
49 袂(たもと)だに 匂はざりせば 梅の花 ひきかくしても 折るべきものを[続千載集雑体・誹諧歌]
(移り香が匂わないなら 梅の花を袂に引っ込めて隠してでも折るものを)
野火(のび)
※「野火」―春のはじめに野山の枯れ草を焼く。
50 よくとただ つくる思ひに もえわたる 我身ぞ春の 山辺ならまし
(よく燃えよとひたすら火をつける野火のように 恋の思いが燃えるわたしは 春の山辺なのだろうか)
照射(ともし)
※「照射」―夏山の狩りのこと。夜、火串に松明を灯して、火を目当てに近寄ってくる鹿を射る。
51 ほととぎす 声を待つとや ともしたる 鹿さへ目をば あはせざるらん
(人だけでなく鹿までも ほととぎすの鳴き声を聞こうとして 目を開けて起きているのだろう)
菖蒲(あやめ)
52 かりそめに 軒のつまなる あやめ草 ひとりふるやの 名立(なだて)なるかな
(一時的に軒先にさしたあやめ草 一人暮らす古い家だから 評判になるかも)
※「軒のつまなる あやめ草」―「つま」は端に夫〔妻〕をかける。
ほととぎす
53 寝(ね)がたくも 待たすめるかな ほととぎす なきぬべくのみ 思ほゆるかな
(寝つかれないほど待たせるつもりらしい ほととぎす 恋人を待ちかねて わたしは今にも泣き出しそうな思いです)
花橘(はなたちばな)
54 五月やみ 色は見えねど たちばなの 香こそはまづは 人に知らるれ
(五月雨の頃の暗闇で 色は見えないけれど 花橘の香りこそは真っ先に人にわかる)
女郎花(おみなえし)
55 あだ名立つ ことぞはかなき 女郎花 霧のまがきに 立(たち)かくるれど
(色恋の噂が立つのが頼りなのか 女郎花 霧の垣根に隠れていても)
※「人の見る ことやくるしき 女郎花 秋霧にのみ 立ちかくるらむ(人に見られることが辛いのだろうか 女郎花は秋の霧に隠れてばかりいる)[古今集・壬生忠岑(みぶのただみね)]」をふまえる。
虫(むし)
56 あなかまや しのびあはずは 我しもぞ 虫に劣らぬ 音は泣きぬべき
(ああ うるさい 耐え忍ぶことができないのは わたしも同じ 虫に劣らない声をあげて泣いてしまいそう)
鹿(しか)
57 からくして まどろみぬべき あか月に うら悲しげの 鹿の鳴く音(ね)や
(やっと眠れそうになった夜明け前に なんとなく悲しそうな 鹿の鳴き声)
幼き子、亡くなしたる人に (幼い子を亡くした人に)
58 別れけん なごりの袖も かはかぬに 置きや添ふらん 秋の白露[新古今集哀傷]
(お子さまと死に別れた悲しみの涙に濡れた袖もまだ乾かないのに さらに置き添うのでしょうか 秋の白露が)
※新古今集は「別れけむ なごりの袖も 乾かぬに 置きやそふらむ秋の夕露」となっている。
返し(返歌)
59 置き添ふる 露とともには 消えもせで 涙にのみも 浮きしづむかな[新古今集哀傷・読人しらず]
(置き添える露と一緒に消えもしないで 涙にばかり浮いたり沈んだりしています)
すだれも動かさじといひける人の、さしもあらねば、うちの人入りにける、つとめて、おこせける。頭の源中将
(「簾も動かさない」と言った人が、簾の中に入ってこようとしたので、わたしは奥に入った、翌朝、送ってきた、頭の源中将が)
60 なべてやと 思ふばかりに もろともに 入佐(いるさ)の山の 心地のみして
(普通のことだと思うばかりに 一緒に入佐の山にいる気ばかりして)
返し(返歌)
61 言ひそめし 色も変はりぬ 山あらき いかがいさめし 手な触れそとは
(はじめて言い寄ったときと態度も変わってしまった どのように諌めたらいいのでしょう 手で触れないでとは)
※「山あらき」―「やまあららぎ」の「ら」が脱字。※「やまあららぎ」―コブシの古名。「婦と我といるさの山の山あららぎ手な取り触れそや[催馬楽・婦と我]」や、「わが背子が 入佐の山の 山あららぎ 手な取り触れそ 香も優るがに(いとしい夫が分け入るいるさの山に生えている山あららぎ、それを手にとって触れないで 嫌な匂いがつくから)[古今和歌六帖・大伴良女]」をふまえる。
おなじ人、高陽院の花見に行(ゆく)道(みち)より
(同じ人が、高陽院の花見に行く途中で)
62 思ふこと ことなる我を 春はただ 花に心を つくるとや見る
(物思いがひどいわたしは 春はただ 花に心を寄せて上の空の状態です)
返し(返歌)
63 誰もなほ 花のさかりは 散りぬべき 嘆きのほかの 嘆きやはする[新勅撰集春下]
(誰も花の盛りの頃は 花が散る嘆きのほかは 嘆きはしないでしょうに)
※追加(後拾遺集からの抜粋)
待たぬ夜も 待つ夜も聞きつ ほととぎす 花たちばなの 匂ふあたりは[後拾遺集二〇二]
(思う人が来るかと待っていた夜も あきらめて待たなかった夜も ほととぎすの声を聞いた 花橘の香りが漂うあたりで)
有馬山 ゐなの笹原 風ふけば いでそよ人を 忘れやはする[後拾遺集七〇九・百人一首]
(有馬山のふもとの猪名の笹原は風が吹けばそよそよと葉が鳴る そうよ あなたから音信があればわたしもお答えします 忘れたりするものですか) |
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※編集後記 『源氏物語』の「宇治十帖」は、紫式部の娘の藤三位〔大弍三位〕が書いたと言われ、そういう説もあるが、この六十三首のおおらかで清々しい歌を詠めば、その信憑性はないことがわかる。『源氏物語』のすさまじい肉迫力と、骨身をけずるような描写力は、藤三位からはうかがえない。
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参考文献
●和歌文学大系20 藤三位集 中周子校注 明治書院
●紫式部集 付大弍三位集・藤原惟規集 南波浩校注 岩波文庫 |
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