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『紫式部集』
※この歌集は紫式部晩年の自選である。
 早くから幼友達だった人に、何年かたって出会ったが、ほんの少しばかりの時間で、七月十日ごろに月と先を争うように帰ってしまったので  

1 めぐりあひて 見しやそれとも わかぬまに 雲がくれにし よはの月かな
(やっとめぐり逢えたのに あなたと見分けられないまま帰ってしまわれ 雲に隠れてしまった月のように心残り)

 
※十日ごろの月は夜中に沈む。国司の任期は四年。四年の間に友だちは見違えるようになっていた。  

 その幼友達は、また遠い所
(親の任地)へ行ってしまう。秋の終わり(九月末日)が来て、まだ夜の明けない頃に虫の声があわれ。

2 鳴きよわる まがきの虫も とめがたき 秋の別れや かなしかるらむ
(鳴き弱った垣根の虫も秋を止められないように わたしもあなたが行くのを止められない 秋の別れって なんて悲しいの)

 「箏
(そう)の琴をしばらく借りたい」と言ってきた人が、「行って直接習いたい」とある返事に

3 露しげき よもぎが中の 虫の音(ね)を おぼろけにてや 人の尋ねむ
(露いっぱいの蓬の中の虫の音〔演奏〕を いいかげんな気持ちで だれが聞きに〔習いに〕くるのでしょうか)

 
※式部は箏の琴の名手。ここでは謙遜している。

 方違
(かたたが)えにやって来た人が、わからないことを言って帰ってしまった朝早くに、朝顔の花を贈ろうと思って

4 おぼつかな それかあらぬか あけぐれの そらおぼれする 朝顔の花
(よくわからないわ 夕べの方がちがう方なのか 夜明け前にそらとぼけて帰られた朝の顔では)  

 返歌は、筆跡を見分けることができなかったのだろうか

5 いづれぞと 色わくほどに 朝顔の あるかなきかに なるぞわびしき
(姉妹のどっちから贈られた花かと、筆跡を見わけていたら、朝顔があるのかないのかわからないほどしおれてしまってせつない)

 筑紫へ行く人の娘が

6 西の海を おもひやりつつ 月みれば ただに泣かるる ころにもあるかな
(これから行く遠い西の海を思いながら月を見ると ただ泣けてくるこのごろ)  

 
※父が九州の国司か太宰府の役人に赴任するため。   

 返歌に

7 西へ行く 月のたよりに たまづさの かきたえめやは 雲のかよひぢ
(西へ行く月の便りに乗せて 手紙は欠かさないわよ 雲の道を通ってね)

 はるか遠い任国に行こうか、行くまいかと、迷っていた人が、山里から紅葉を折って寄越した

8 露ふかく おく山里の もみぢ葉に かよへる袖の 色をみせばや
(露に濡れた奥山里のもみじの紅葉のように 涙に染まった袖を見せたいの)

 返歌

9 あらし吹く 遠(とお)山里の もみぢ葉は つゆもとまらむ ことのかたさよ
(嵐が吹く遠い山里のもみじの葉は少しの間も止まっていないように 都に留まることは難しいわね)  

 また、その人が

10 もみぢ葉を さそふ嵐は はやけれど 木(こ)のしたならで 行く心かは
(もみじの葉を散らせる嵐は速いけれど 木の下でない所に行く気になるものか)  

 もの思いに悩んでいた人の嘆き訴えていた返事に、霜月
(十一月)ころに

11 霜こほり とぢたるころの 水くきは えもかきやらぬ ここちのみして
(霜が凍てつき 流れをとざしているようなわたしの筆では 慰めも書けない気ばかりして)  

 返歌

12 ゆかずとも なほかきつめよ 霜こほり 水のそこにて 思ひながさむ
(筆が進まなくても やはり便りを書いてね 凍てついた霜のような澱んだ気持ちも流せるから)    

 賀茂神社に参詣した時に、「ほととぎすが鳴いてほしい」という夜明けに、なだらかな森の梢が美しく見えた。  

13 ほととぎす 声まつほどは 片岡の 森のしづくに 立ちやぬれまし
(ほととぎすが鳴くまでは なだらかな森の雫に濡れてみようかしら)  

 三月の一日、賀茂川の河原にいた時に、隣の牛車に、法師が紙の冠をつけて陰陽博士のようにしているのが憎らしく

14 はらへどの 神のかざりの みてぐらに うたてもまがふ 耳はさみかな
(祓戸の神にお供えする御幣に見違えるほどの紙冠を耳にはさんだりして)

 
※法師は髪もないのに紙を頭にのせてるなんて。  

 わたしは姉が亡くなり、あの人は妹を亡くして、互いに会って、これからは亡くなった姉と妹のかわりになろうねと誓い合った。こっちは手紙の上書に姉君と書き、あの人は中の君と書いて文通していたが、それぞれが遠いところへ行くことになり、かげながら別れを惜しんで  

15 北へ行く 雁(かり)のつばさに ことづてよ 雲のうはがき かきたえずして  
(北へ行く雁の翼にことづけて 雁が雲の上をかくように 手紙は絶やさないで)

 返歌は西の海へ行った人

16 行きめぐり たれも都に かへる山 いつはたと聞く ほどのはるけさ
(だれもがいつかは都に帰るというけれど 今度はいつと聞きたくなるほど はるか遠い先のこと)

 
※かへる山 越前国(福井県)の鹿蒜山に、都に帰るの意をかける。
 ※いつはた 越前国の五幡に、いつまたの意をかける。
 ※作者は越前へ、姉になった人は九州へ。
   

 津の国
(大阪府)というところから手紙をよこした  

17 難波潟
(なにわがた) むれたる鳥の もろともに 立ち居るものと 思はましかば
(難波の干潟に群れている水鳥のように あなたと一緒に暮らしていると思えたら)    

 その返事  

 
※歌一首分が空白。    

 筑紫の肥前国というところから手紙をよこしたのを、わたしはとても遠いところ
(父の任国、越前国)で見た。その返事に  

18 あひみむと 思ふ心は 松浦
(まつら)なる 鏡の神や 空に見るらむ  
(わたしの逢いたいと思う心は そちらの松浦の鏡の神様が空からごらんになってるわ)  

 
※鏡の神 肥前国東松浦鏡村(佐賀県唐津市鏡)鏡神社に鎮座する神。  

 返歌は、翌年
(長徳三年・九九七年)に持って来た

19 行きめぐり あふを松浦
(まつら)の 鏡には 誰をかけつつ 祈るとかしる 
(めぐりめぐってまた逢えるのを松浦の神様に だれのことを思って祈ってるのかわかってるでしょ)    

 琵琶湖の、三尾
(みお)が崎という所で、網を引いているのを見て    

20 三尾の海に 網引く民の てまもなく 立ち居につけて 都恋しも
(三尾の海で網を引いてる漁民が 休まず働いているのを見ると 都が恋しくてならない)  

 また、磯の浜に、鶴がそれぞれに鳴くのを

21 磯がくれ おなじ心に たづぞ鳴く なが思ひ出づる 人やたれぞも
(磯のものかげでわたしと同じように鶴が鳴いている 思い出してるのはだれ

 夕立ちがきそうで、空が曇って稲妻が光るので  

22 かきくもり 夕立つ波の あらければ 浮きたる舟ぞ しづ心なき  
(暗くなって夕立がきそうに波が荒くなったので 浮いている舟も心が揺れてる)    

 塩津山という道の草木がうっそうと茂ってるので、人足がみすぼらしい身なりで「やはり難儀な道だな」と言うのを聞いて  

23 知りぬらむ ゆききにならす 塩津山 よにふる道は からきものぞと  
(わかるでしょ 通い慣れた塩津山でも越えるのは辛いように 生きていくのは辛いって)  

 湖で、奥津嶋
(おいつしま)神社がある洲崎に向かっていくとき、わらわべの浦という入り海がきれいなので、思いつくままに

24 おいつ島 島守
(も)る神や いさむらむ 波も騒がぬ わらはべの浦
(おいつ島を守る神様が諌めたのだろう 波も静かなわらはべの浦)

 
※おいつ島に「老い」を、わらはべの浦に「童」。童なのに静かだねという意味。

 暦に、初雪降ると書いてある日、近くに見える日野岳
(ひのたけ)という山の雪が、とても深々と積もって見えたので、  

25 ここにかく 日野の杉むら 埋
(うず)む雪 小塩(おしお)の松に 今日やまがへる
(ここ越前では日野岳の杉林を埋めるほどの雪 都の小塩山の松にきょう降ってるのかしら)    

 返歌

 
※作者に身近に仕えていた侍女のものだろう。

26 小塩山 松の上葉
(うわば)に 今日やさは 峯のうす雪 花と見ゆらむ
(小塩山の松の上葉に 今日はおっしゃるように初雪が降って 峯の薄雪は花が咲いたようでしょう)  

 降り積もって、うんざりするほどの雪をかき捨てて、山のように積み上げたのを、人々が登って、「雪が嫌いでも、ここへ出てごらんください」と言うので

27 ふるさとに かへるの山の それならば 心やゆくと ゆきも見てまし
(都に帰るときに見える鹿蒜山のそれなら 気も晴れようかと雪も見るのだが)

 年が変わって、「唐人
(からびと)を見に行こう」と言っていた人が、「春は解けるものだと、どうやって知らせたらいい」と言ったので

28 春なれど 白嶺
(しらね)のみゆき いやつもり 解くべきほどの いつとなきかな
(春になったけれど 白山の雪はまだ積もっていて 解けるのはいつのことか)

 ※作者が越前に下った前年の長徳元年(九九五年)九月に、宋人七十余人若狭国に漂着し、越前国に移されていた。
 ※28から31は藤原宣孝との結婚前の贈答である。
 

 近江守の娘に言い寄っていると噂がある男が、「ふた心はない」と、たえず言うので、うるさくて

29 みづうみに 友よぶ千鳥 ことならば 八十
(やそ)の湊(みなと)に 声絶えなせそ
(湖で友を呼ぶ千鳥よ いっそのこと あちこちの船着場で声をかけたら)  

 歌絵に、海人
(あま)が塩を焼いている絵を描いて、木を切って積み上げた薪が描いてあるそばに歌を書いて、返事してやる  

30 よもの海に 塩焼く海人の 心から やくとはかかる なげきをやつむ  
(あちこちの海で 塩を焼く海人のように じぶんからいろんな人に言い寄っては嘆いてるんじゃないの)    

 手紙に、朱というものをぽとぽととたらして、「涙の色を」と書いてきた人への返事  

31 くれなゐの 涙ぞいとど うとまるる うつる心の 色に見ゆれば  
(紅の涙がますます疎ましい 移り気の色に見えるから)

 ※朱の色は変色しやすい。  


 もともと妻のいる人だった。  
 手紙を他人に見せたと聞いて、「今まで出した手紙を全部返してくださらないなら、もう返事はしない」と、人づてに言ったら、「ぜんぶ返すよ」と、ひどく怨んだのは、正月十日ごろだった。  

32 閉ぢたりし 上の薄氷
(うすらひ) 解けながら さは絶えねとや 山の下水  
(閉ざされていた谷川の薄氷も解けたというのに ふたりの仲はおしまいと言うの 山の流れが絶えるように)  

 わたしの歌になだめられて、かなり暗くなったころに、寄こした。

33 東風
(こちかぜ)に 解くるばかりを 底見ゆる 石間(いしま)の水は 絶えば絶えなむ
(東風で解けるくらいの氷なら 底が見える石間の浅い流れのように ふたりの仲が絶えるなら絶えればいい)  

 「おまえにはもう何も言わない」と、腹を立てているので、笑って、返した

34 言ひ絶えば さこそは絶えめ なにかその みはらの池を つつみしもせむ
(なにも言わないというなら 終わってもいいの。あなたの腹立ちを おさえることなんてできないもの)    

 夜中ごろに、また  

35 たけからぬ 人かずなみは わきかへり みはらの池に 立てどかひなし  
(立派でなく 人並みでないものは 腹を立ててもしょうがないね)    

 桜を瓶
(かめ)に挿して見ていたら、すぐに散ってしまったので、桃の花を見て

36 折りて見ば 近まさりせよ 桃の花 思ひぐまなき 桜惜しまじ  
(折って見るのだから 近くで見ばえがしてよ桃の花 わたしの気持ちも知らないで散ってしまう桜なんかに未練はない)  

 返歌

37 ももといふ 名もあるものを 時の間に 散る桜には 思ひおとさじ
(百という名もあるのだから あっという間に散ってしまう桜より軽くは見ないよ)

 花の散るころに、梨の花も桜の花も、夕暮れの荒々しい風で散ってゆくときに、見分けがつかない色なので

38 花といはば いづれかにほひ なしと見む 散りかふ色の ことならなくに
(花という以上 どちらが美しくない梨の花というのだろう 散り乱れる色の違いもないのに)

 
※一般的に賞玩されない梨の花の美しさを認める個性がうかがえる。  

 遠いところへ行っていた人が亡くなったのを、その親兄弟が帰ってきて、悲しいことを言ったので  

39 いづかたの 雲路
(くもじ)と聞かば 尋ねまし つらはなれたる 雁がゆくへを
(どちらの雲路と聞いたのなら訪ねていくのに 列から離れてしまった雁の行方を)    

 
※亡くなったのは紫式部と姉妹の約束をしていた女友達。   

 去年の夏より薄墨色の喪服を着ていたわたしに、女院
(東三条院詮子)が崩御なさった翌春、ひどく霞がかった夕暮れに、ある人が使いをよこした

40 雲の上の もの思ふ春は 墨染
(すみぞめ)に 霞む空さへ あはれなるかな
(帝が悲嘆にくれている春は 薄墨色に霞んでいる空までも悲しく感じられる)

  ※夫宣孝は長保三年(一〇〇一年)四月二十五日に亡くなり、その喪中のこと。
 ※東三条院は一条天皇の母で、長保四年の春は帝にとって母の喪中であり、天下諒闇であった。    

 返歌

41 なにかこの ほどなき袖を ぬらすらむ 霞の衣 なべて着る世に
(どうして私ごときものが夫の死を悲しんでいられましょう 喪服を国中の人が着ている時に)  

 亡くなった夫の娘が、親の筆跡で書きつけてあったものを見て、言ってきた。

42 夕霧に み島がくれし 鴛鴦
(おし)の子の 跡を見る見る まどはるるかな
(夕霧の島影に隠れて 鴛鴦の子が跡を見て途方にくれているように 筆跡を見ながら悲嘆にくれている)  

 同じ人が、「荒れたわが家の桜の花が美しい」と言って、折って寄越したので  

43 散る花を 嘆きし人は 木
(こ)のもとの さびしきことや かねて知りけむ
(散る花を嘆いていた人は 散った後の木が寂しいことを前から知っていたのでしょうか)  

 「心配がたえない」と、亡くなった人が言っていたのを思い出したのである

 
※「咲けば散る咲かねば恋し山桜思ひたえせぬ花のうへかな」拾遺集 巻一春、中務  

 絵に、物の怪が憑いた女の醜い姿を描いた背後に、鬼になった先妻を、小法師が縛っている姿を描いて、夫は経を読んで、物の怪を退散させようとしているところを見て

44 亡き人に かごとをかけて わづらふも おのが心の 鬼にやはあらぬ
(亡き先妻にかこつけて患っているのも 自分自身の疑心暗鬼という鬼のせいではないのか)  

 返歌

45 ことわりや 君が心の 闇
(やみ)なれば 鬼の影とは しるく見ゆらむ
(ごもっとも あなたの心が闇だから 疑心暗鬼の鬼の影だとはっきりわかるのでしょう)

 
※作者の侍女の歌、夫没後。  

 絵に、梅の花を見ようと、女が、妻戸を押し開けて、二、三人座っていて、他の人々は皆寝ている様子を描いている中に、盛りの過ぎた女房が、頬杖をついて眺めている図のあるところ

46 春の夜の 闇のまどひに 色ならぬ 心に花の 香をぞしめつる
(春の夜の闇にまぎれて色は見えないが 心には花の香りを染めたことだ)

 同じ絵に、嵯峨野で花を見る女の車がある。もの慣れた童女が、萩の花に近寄って、折ったところを  

47 さを鹿の しかなはせる 萩なれや 立ち寄るからに おのれ折れ伏す  
(雄鹿がいつも慣らしている萩なのだろうか 童女が近寄ると自然と折れ曲がる)

 夫の死後、この世のはかなさを嘆いていたころ、陸奥)国
(みちのくに)の名所が描いてある絵を見て、塩釜を  

48 見し人の けぶりとなりし 夕べより 名ぞむつましき 塩釜の浦  
(連れ添った人が煙となった夕べから 名に親しさが感じられる塩釜の浦)

 門を叩きあぐねて帰っていった人が、翌朝    

49 世とともに あらき風吹 西の海も 磯べに 波も寄せずとや見し
(いつも荒い風が吹く西の海も 磯辺に波の寄せないのを見ただろうか)  

 と恨み言をいった返事に

50 かへりては 思ひしりぬや 岩かどに 浮きて寄りける 岸のあだ波
(帰っておわかりになった 岩角に浮わついて打ち寄せた岸のあだ波を)

 年が明けて、「門
(喪中)は開きましたか」と言ったので

51 たが里の 春のたよりに 鶯の 霞に閉づる 宿を訪(と)ふらむ
(どなたの里の春の便りに鴬が 霞に閉じた喪中の家を訪ねるのでしょう)    

 同じように、喪に服して物思いにふけっていると聞く人を、人に言づけて見舞った。写本に破れてあとかたがないと  八重山吹を折って、ある所に献上したところ、一重の花の散り残っていたのを贈ってくださったので

52 をりからを ひとへにめづる 花の色は 薄きを見つつ 薄きとも見ず
(時節に応じてひたすら愛でる花の色は 薄い色を見ても 薄いとは感じません)

 世の中が疫病で騒いでいたころ、朝顔を、同じ所に献上するので

53 消えぬまの 身をも知る知る 朝顔の 露とあらそふ 世を嘆くかな
(消えない間の身とは知りながら 朝顔が露と競うような この世のはかなさを嘆く)    

 世の中を無常だと思っている人の、幼い子が病気になったので、唐竹
(からたけ)というものを花瓶に挿した女房が祈っているのを見て  

54 若竹の おひゆくすゑを 祈るかな この世をうしと いとふものから
(若竹が成長してゆく末を祈っている わたしはこの世を厭わしく思っているのに)

 ※幼い子(紫式部の一人娘)  
 ※唐竹(漢竹でまじないに用いる)    


 わが身が思うようにならないと嘆くことが、だんだんといつものことになり、さらに激しくなっていくのを思って  

55 数ならぬ 心に身をば まかせねど 身にしたがふは 心なりけり
(数にも入らないわたしの願いは思うようにはいかないが 身の上の変化に従うのは心である)

56 心だに いかなる身にか かなふらむ 思ひ知れども 思ひ知られず  
(心だけでも どんな身の上になったら満足するだろう思い通りにはならないとわかっているけれど わかりたくない)    

 弥生
(三月)ごろ、宮の弁のおもと(中宮女房)が、「いつ参内なさるの」などと書いて  

57 うきことを 思ひみだれて 青柳
(あおやぎ)の いとひさしくも なりにけるかな
(いやなことを思い悩まれて 里下がりのずいぶん長くなったこと)    

 返歌 
写本にない。    

 こんなに思い悩んでくじけそうなわたしなのに、「ずいぶん上﨟ぶっている」と人が言っているのを聞いて  

58 わりなしや 人こそ人と いはざらめ みづから身をや 思ひ捨つべき  
(しかたない あの人たちは人並みとは言わないだろうが じぶんからじぶんを捨てることなんてできるだろうか)    

 薬玉
(くすだま)をよこしたときに  

59 しのびつる ねぞあらはるる あやめ草 いはぬにくちて やみぬべければ
(隠れていた根をあらわした菖蒲 このように言わなければ里に居続けていらっしゃるので)  

 
※薬玉 菖蒲や蓬(よもぎ)を五色の糸で貫き玉にしたものらしい。五月五日に邪気を払い、息災を願う。    

 返歌  

60 今日はかく 引きけるものを あやめ草 わがみがくれに ぬれわたりつつ
(今日はこのように贈ってくださった菖蒲 わたしは水底に隠れて涙に濡れている)  

 土御門院で、遣水の上のほうの渡殿の簀子にいて、欄干に寄りかかって見て

61 影見ても うきわが涙 おちそひて かごとがましき 滝の音かな
(遣水に映る姿を見ても つらいわたしの涙が落ちて 恨んでいるような滝の音)

 長い間訪れてくれない人
(夫)を思いだしたとき

62 忘るるは うき世のつねと 思ふにも 身をやるかたの なきぞわびぬる
(忘れるのは憂き世の常だと思うけれど 身のやり場がなくて泣くせつなさ)

 返歌 
破れてない

63 たが里も 訪
(と)ひもや来ると ほととぎす 心のかぎり 待ちぞわびにし
(だれの里も訪ねてくるほととぎす 一心に待っていたが来なかった)  

 小少将の君が書かれた私信が物の中にまぎれているのを見つけて、加賀の少納言へ

64 暮れぬ間の 身をば思はで 人の世の あはれを知るぞ かつはかなしき
(日が暮れない間の命だとは考えないで 人の命のはかなさを知ることは悲しい)

65 たれか世に ながらへて見む 書きとめし 跡は消えせぬ 形見なれども  
(だれが生きて見るのでしょう 書きとめた筆跡は消えない形見だけれど)  

 返歌  

66 亡き人を しのぶることも いつまでぞ 今日のあはれは 明日のわが身を
(亡くなった人を偲ぶのもいつまで 今日の無常は明日のわが身)    

 宮中で水鶏
(くいな)が鳴くのを、七八日(旧暦六月)の夕月夜に、小少将の君が

67 天
(あま)の戸の 月の通ひ路(じ) ささねども いかなるかたに たたく水鶏ぞ
(宮中の通路は閉ざしてないのに だれにむかって戸を叩いてるの水鶏は)

 返歌

68 槙
(まき)の戸も ささでやすらふ 月影に 何をあかずと たたく水鶏ぞ
(槙の戸も閉ざさないでいる夕月に なにが飽きないでたたき続けてるの水鶏は)

  朝霧の美しいころ、中宮の御前の花が咲き乱れている中に、女郎花
(おみなえし)がいっそう盛りに見える。そのとき、殿(道長)が出てきてごらんになる。一枝折らせて、几帳越しに、「これをそのまま返すな」と言って、くださった。

69 女郎花 さかりの色を 見るからに 露のわきける 身こそしらるれ
(女郎花の盛りの色を見ると 露もわけへだてをするじぶんの醜さを知る)  

 と書いたのを、すぐに

70 白露は わきてもおかじ 女郎花 心からにや 色の染むらむ
(白露はわけへだてはしない 女郎花は自分から色を染めたのだ)  

 都へ帰ろうとして、鹿蒜山(かえるやま)
(越前国)を越えるのに、呼坂(よびさか)とかいうところの険しい山道に、輿(こし)も通りかねるのを、恐ろしいと思っていたら、猿が木の葉の中からとてもたくさん出てきたので

71 ましもなほ 遠方人
(おちかたびと)の 声かはせ われ越しわぶる たにの呼坂
(猿たちよ 遠くにいる人として声を掛け合え わたしが越えるのに難儀してるこの呼坂で)  

 琵琶湖で、伊吹山の雪がとても白く見えるのを

72 名に高き 越
(こし)の白山(しらやま) ゆきなれて 伊吹の嶽(たけ)を なにとこそ見ね
(名高い加賀の白山の雪を見なれたので 伊吹山の雪などなにほどでもない)

 卒塔婆
(そとば)の古くなったのが、倒れて人に踏まれていたのを

73 心あてに あなかたじけな 苔
(こけ)むせる 仏の御(み)顔 そとは見えねど
(見当をつけて見ると ああ、もったいない 苔が生え 仏の顔だとはわからない)

74 けぢかくて たれも心は 見えにけむ ことはへだてぬ ちぎりともがな
(親しくなってお互いに心は見えたでしょう できるならへだてのない仲になりたい)

  ※宣孝の求婚  


 返歌

75 へだてじと ならひしほどに 夏衣 薄き心を まづ知られぬる
(「へだてじ」と思っているのもわからないで 「へだてぬちぎり」とは 心の薄さがわかったわ)

 ※夏衣 薄きの枕詞。長徳四年(九九八)の夏のことと思われる。 


76 峯寒み 岩間氷れる 谷水の ゆくすゑしもぞ 深くなるらむ
(峯が寒くて岩間の氷っている谷川の流れも 行く末は深くなるでしょう)  

 若宮の御産屋
(うぶや)、誕生五日目の夜、月の光までが格別に澄んでいた渡殿の橋に、上達部、殿をはじめとして、酔い乱れて騒がれる。杯がまわってきたときにさし出した

77 めづらしき 光さしそふ さかづきは もちながらこそ 千世をめぐらめ
(清新な光がさしたような盃は 欠けることなく千年もめぐるでしょう)  

 つぎの夜、月が雲もなく美しいので、若い人たちが舟に乗って遊ぶのを見る。中島の松の根元を舟がめぐるところが、情趣深く見えるので

78 曇りなく 千歳
(ちとせ)にすめる 水の面(おも)に 宿れる月の 影ものどけし
(濁りなく千年も澄んでいる水の面に映っている月の姿も穏やか)  

 五十日の祝いの夜、殿が「歌を詠め」とおっしゃって、遠慮していたが

79 いかにいかが 数へやるべき 八千歳の あまり久しき 君が御代をば
(いったいどうやって数えたらよいのでしょう 八千歳の長きにわたって続く皇子の寿命を)    

 殿の御歌  

80 あしたづの よはひしあらば 君が代の 千歳の数も 数へとりてむ
(鶴のような寿命があったなら 若君の千の歳も数えることができるのに)  

 時々返事をしていた後は、もう書かなくなったので

81 をりをりに かくとは見えて ささがにの いかに思へば 絶ゆるなるらむ
(そのたびに返事があったのに 蜘蛛の巣のよう どうして途絶えたのかな)  

 返事は、九月末日になった。

82 霜枯れの あさぢにまがふ ささがにの いかなるをりに かくと見ゆらむ
(霜で枯れた浅茅にまぎれこんでいる蜘蛛が どんなときに巣をつくるというの ※寡婦のわたしがどんな時に返事を書くというの)  

 なんのときだったか、来なかった言いわけをした夫への返事に

83 入るかたは さやかなりける 月影を うはのそらにも 待ちし宵かな
(行く所はわかっていたあなたを それでもうわの空で待っていた夕べ) ※入るかた(女の所)  

 返歌  

84 さして行く 山の端
(は)もみな かき曇り 心も空に 消えし月影  
(行こうとした山の端もすっかり曇っていたので 心も虚しく消えてしまったよ ※行こうとしても あなたの機嫌がよくなかったので 行けなかったのだよ)

 また、同じ気持ちを、九月、月の明るい夜  

85 おほかたの 秋のあはれを 思ひやれ 月に心は あくがれぬとも
(世に言う秋の悲しみを思ってみてください 月に心は奪われていても ※今夜の月のように美しい人に心は奪われていても)  

 六月ごろ、撫子の花を見て

86 垣ほ荒れ さびしさまさる とこなつに 露おきそはむ 秋までは見じ
(垣が荒れて寂しさがつのった撫子に 露がくわわる秋までは生きて見ることはない)    

 「悩みごとでもあるの」と、ある人がたずねた返事を、九月末日に  

87 花すすき 葉分けの露や なににかく 枯れ行く野べに 消えとまるらむ  
(すすきの穂 下葉に宿る露が どうして枯れていく野辺に生きながらえているの)

 病気をしているころだった。「貝沼の池という所があるそうよ」と、人が不思議な歌語りをするのを聞いて、「試みに詠んでみよう」と  

88 世にふるに なぞかひ沼の いけらじと 思ひぞ沈む そこは知らねど
(世に生きていてなんの甲斐があるの 死んでしまいたい その池は知らないけれど)    

 今度は、気持ちよさそうに詠もうと思って  

89 心ゆく 水のけしきは 今日ぞ見る こや世にかへる かひ沼の池
(心が晴れ晴れとする池の景色を今日見た これが生きる甲斐があるとという貝沼の池)    

 ※86~89は夫の死後、病気になった頃の歌である。  


 侍従の宰相
(藤原実成)が献上した五節の舞姫の控え室は、中宮さま(彰子)の御前にとても近いので、弘徽殿女御の右京(女房)が、先夜はっきりと目立っていたことなどを、女房たちが噂して、日蔭の鬘(ひかげのかずら)を贈る。顔を隠すための扇などを添えて

90 おほかりし 豊
(とよ)の宮人 さしわけて しるき日かげを あはれとぞ見し
(大勢いた豊明節会の人々の中で ひときわ目立っていた日陰のあなたを感慨深く見た)  

 初めて宮仕えして宮中のあたりを見ると、感慨深いので

91 身のうさは 心のうちに したひきて いま九重
(ここのえ)ぞ 思ひ乱るる
(辛い思いは心の中に忍び寄ってきて いま宮中で心が乱れる)  

 まだ、まったくの新参のころに、実家に帰った後、わずかに話し合った人に

92 閉ぢたりし 岩間の氷 うち解けば をだえの水も 影見えじやは
(閉じていた岩間の氷が解けたなら 途絶えていた水にわたしの影もうつるわね)

 返歌

93 みやまべの 花吹きまがふ 谷風に 結びし水も 解けざらめやは
(山辺の花を吹き散らす谷の風に 氷っていた水も溶けないことはないわ)  

 正月十日ごろ、「春の歌を献上せよ」とあったので、まだ出仕しないでいた実家で

94 みよしのは 春のけしきに 霞めども 結ぼほれたる 雪の下草
(吉野山は春らしく霞んでいるけれど わたしは凍りついたままの雪の下草)

 ※91~94は初めて宮仕えに出たころの歌で、57の前に入るべきのもの。


 少将・中将と呼び名のある人たちが、同じ廂の間に住んでいて、わたしが少将の君と毎晩のように逢って話し合うのを聞いて、隣の中将が

95 三笠山 おなじ麓を さしわきて 霞に谷の へだつなるかな
(三笠山の同じ麓なのに区別して 霞に谷がへだてられている 中将も少将も同じ近衛府の仲間なのに あなたにわけへだてをされた)  

 返歌

96 さしこえて 入ることかたみ 三笠山 霞ふきとく 風をこそ待て
(谷を越えて入っていくことが難しいので 三笠山の霞を吹き散らしてくれる風を待ってるの)    

 紅梅を折って、実家から献上しようと  

97 むもれ木の 下にやつるる 梅の花 香をだに散らせ 雲の上まで
(埋もれ木のように目立たず咲いている梅の花 薫りだけでも散らしてね 宮中まで)  

 四月に八重に咲いた桜の花を、宮中で見て

98 九重
(ここのえ)に にほふを見れば 桜狩(さくらがり) かさねてきたる 春のさかりか
(宮中で美しく咲いているのを見ると 桜見物がふたたびやってきた春の盛りよ)

 賀茂神社の祭の日まで散り残っていたのを、勅使の近衛少将
(道長の次男、頼宗)の挿頭(かざし)に与えられるというので、葉に結びつけた

99 神代には ありもやしけむ 山桜 今日のかざしに 折れるためしは
(神代にはあっただろうか 山桜を今日の祭の挿頭のために折り取った例など)

 正月三日、宮中から退出して、実家が、ほんのわずかの間に、すっかり塵が積もり、荒れ放題になっていたのを、不吉な言葉を慎むこともできずに

100 あらためて 今日しもものの かなしきは 身のうさやまた さまかはりぬる
(新年になった今日 なんだか悲しいのは じぶんの嘆きが様変わりしたからか)

 
※夫の死後、式部の嘆きはつのったが、宮仕えに出て、以前とは違う嘆きが加わったのである。  

 五節のころに出仕しないのを、「残念です」と、弁の宰相の君
(豊子)がおっしゃったので

101 めづらしと 君し思はば きて見えむ 摺
(す)れる衣の ほど過ぎぬとも
(素晴しいと思われるなら摺衣を着てみせましょう 時期は過ぎたとしても)  

 返歌

102 さらば君 山藍
(やまい)のころも 過ぎぬとも 恋しきほどに きても見えなむ
(それならあなた 山藍の摺衣の時期は過ぎたとして 逢いたいと思っているので 着てみせてください)  

 あの人が寄越した  

103 うちしのび 嘆きあかせば しののめの ほがらかにだに 夢を見ぬかな
(ひそかに想い嘆いているうちに夜を明かしたので あなたを夢に見ることもできなかった)    

 七月一日ごろ、曙のころ。返歌  

104 しののめの 空霧りわたり いつしかと 秋のけしきに 世はなりにけり  
(夜明けの空は霧がたちこめ いつのまに秋の景色になってしまった)  

 七月七日  

105 おほかたを 思へばゆゆし 天の川 今日の逢ふ瀬は うらやまれけり  
(ふつうに考えるといまわしいが 天の川の年に一度の逢う瀬がうらやましい)

 返歌  

106 天の川 逢ふ瀬は雲の よそに見て 絶えぬちぎりし 世々にあせずは
(天の川の逢う瀬は雲の彼方のよそのことにして 切れないふたりの仲が末永く変わらないのであれば)    

 門の前を通りかかり、「普段のままが見たい」と言ったので、書いて返した

107 なほざりの たよりに訪はむ 人ごとに うちとけてしも 見えじとぞ思ふ
(いい加減な通りすがりに声をかけたぐらいで 普段のままなんか見られないわよ)  

 月を見ていた翌朝、夫がなんと言ってきたのだったか

108 よこめをも ゆめいひしは 誰なれや 秋の月にも いかでかは見し
(浮気は絶対しないと言ったのはだれ 秋の月をどのようにごらんなった ※ほかの女と月見したでしょ)

109 なにばかり 心づくしに ながめねど 見しにくれぬる 秋の月影
(これといって心を傾けて眺めていたわけではないが 見ているうちに涙で曇ってしまった秋の月)  

 帝が相撲
(すまい)をごらんになる日、宮中で

110 たづきなき 旅の空なる すまひをば 雨もよにとふ 人もあらじな
(よるべない旅の空のようなわたしの住まいを 雨の中訪ねて来る人もいないよね)

 ※毎年七月の末に、諸国から集めた力士の相撲を宮中で天皇が見る。 
 ※雨で相撲が延期になり、夜わびしさに友を求めたもの。
 ※一条天皇の在位中に相撲が雨で中止になったのは、寛弘四年八月十八日の臨時相撲のとき。  


 返歌

111 いどむ人 あまた聞こゆる ももしきの すまひうしとは 思ひしるやは
(相撲を競う人がたくさんいるという宮中の住みづらいのはわかった)  

 雨が降って、その日は帝の御覧が中止になった。あれこれとつまらい公事だった。  

 初雪が降った夕暮れに、ある人が

112 恋しくて ありふるほどの 初雪は 消えぬるかとぞ うたがはれける
(恋しくて月日を過ごしたので 初雪も消えてしまうのではないかと心配になる)

 返歌

113 ふればかく うさのみまさる 世を知らで 荒れたる庭に 積る初雪
(生きていれば辛いばかりの世の中とは知らないで 荒れた庭に積もる初雪)

114 いづくとも 身をやるかたの 知られねば うしと見つつも ながらふるかな
(どこへ身をおいたらいいのかもわからないで 辛いと思いながらも生きている)

 日記歌

 
※古本にのみある。『紫式部日記』の中の歌。  

 法華経三十講の五巻は、五月五日だった。きょうその日にあたった提婆品を思うに、釈尊に法華経を説いた仙人
(阿私仙「提婆達多」)よりも、土御門殿の行事のために、釈尊は拾っておかれたのかと、思われて

115 妙
(たえ)なりや 今日は五月(さつき)の 五日とて いつつの巻に あへる御法も
(まさに霊妙 きょうは五月五日で 法華経も第五巻の提婆品)

 
※法華経八巻二十八品。これに開経と結経の二巻を加えた三十の経巻を一日に一巻ずつ、または二巻ずつ講じる。寛弘五年四月二十三日から五月二十二日まで土御門邸で行われた時のこと。
 ※法華経第五巻は、提婆多品・勧持品・安楽行品・従地湧出品からなる。法華経の中でも提婆品が最も尊ばれた。
 ※釈尊は法華経を得るために、木の実を採り、水をくみ、薪をひろうなどして阿私仙に仕えた。  


 池の水が、御堂の下で、篝火と御灯明とが光りあって、昼よりも鮮明なのを見て、物思いが少なければ、風情もありそうなときなのにと、ちょっとじぶんのことを思っただけで、つい涙ぐんでしまった。

116 かがり火の 影もさわがぬ 池水に 幾千代
(いくちよ)すまむ 法(のり)の光ぞ
(篝火を静かに映す池の水に 幾千年も清らかに澄んでいるのだろうか 仏法の光は)  

 表向きの歌を詠んで言い紛らわしたのを、大納言の君
(中宮女房、源扶義の女)

117 澄める池の 底まで照らす かがり火に まばゆきまでも うきわが身かな
(澄みきった池の底まで照らす篝火が 恥ずかしいほどに映しだす不幸せなわが身)  

 五月五日、ふたりで眺め明かして、明るくなったので部屋に入った。とても長い菖蒲の根を包んで贈られてきた。小少将の君が

118 なべて世の うきになかるる あやめ草 今日までかかる ねはいかが見る
(すべて世の辛さに泣けて 菖蒲草の今日まで残った根をどのように見るの)

  ※菖蒲の根。五月五日には菖蒲の長い根を紙に包んで贈りあう風習があった。  


 返歌

119 なにごとと あやめはわかで 今日もなほ たもとにあまる ねこそ絶えせね
(なんのことだか条理はわからないで 今日もまた 根が袂にあまるように 泣く音が絶えない)  

 九月九日、菊の着せ綿を、「これは、殿の北の方が、『よく老いを取り除きなさい』とおっしゃった」とあるので

120 菊の露 わかゆばかりに 袖ふれて 花のあるじに 千代はゆづらむ
(菊の露は若返る程度に袖をぬぐって この花の主人に千年の寿命はお譲りしましょう)  

 水鳥たちが悩むこともなく遊んでいるのを見て  

121 水鳥を 水の上とや よそに見む われも浮きたる 世を過ぐしつつ
(水鳥を水の上だからと他人事とは思えない わたしも浮ついた日々を過ごしてる)    

 小少将の君が書いてよこした返事を、時雨がさっときて暗くなったので、使いもせかす。「空模様で気持ちも落ちつかない」ので、腰折れ歌を書きそえた。折り返し紫色に濃く染めた雲紙に  

 
※腰折れ歌は、歌の第三句(腰の句)と第四句の続きの悪い歌。じぶんの歌を卑下していう。  

122 雲間
(くもま)なく ながむる空も かきくらし いかにしのぶる 時雨(しぐれ)なるらむ
(雲の切れ目もないほど眺める空を曇らすのは どれほどこらえていた時雨でしょう)  

 返歌

123 ことわりの 時雨の空は 雲間あれど ながむる袖ぞ かわくよもなき  
(季節柄降る時雨の空は雲の切れ目もあるけれど あなたを思うわたしの袖はかわくひまもない)  

 大納言の君
(道長の妻倫子の姪、源扶義の娘廉子)が、毎夜中宮さまの近くにお休みになって、お話をなさったのが恋しく思われるのも、環境になれてしまう心なのだろうか

124 うきねせし 水の上のみ 恋しくて 鴨の上毛
(うわげ)に さへぞおとらぬ
(仮寝した宮中が恋しくて ひとり実家にいる寂しさは 鴨の上毛の露の冷たさに劣らない)    

 返歌

125 うち払ふ 友なきころの ねざめには つがひし鴛鴦
(おし)ぞ よはに恋しき
(鴛鴦が互いの露を払うように 友もなく夜中に目が覚めると いつも一緒にいたあなたのことが恋しくてならない)    

 師走の二十九日に実家から宮中に参上し、はじめてわたしが宮中へ参上したのも今宵だと思いだしてみると、今ではすっかり慣れてしまっているのも、いやな身の上だと思われる。夜はたいそう更けた。一緒にいる若い女房たちが、「宮中はやっぱり違うわね。実家にいたら、もう寝ている。寝つかれないほど女房の局をたずねる男たちの沓音のしょっちょうすること」と、どきどきして言っているのを聞いて

126 年暮れて わがよふけゆく 風の音に 心のうちの すさまじきかな
(今年も暮れて わたしも老いてゆく 風の音に心が荒れて寂しい)  

 『源氏物語』が、中宮さまのところにあるのを、殿がごらんになって、いつもの冗談を言い出されたついでに、梅の実の下に敷かれている紙に書かれた

127 すきものと 名にし立てれば 見る人の をらで過ぐるは あらじとぞ思ふ
(浮気者と評判がたっているので、おまえを見る人で口説かないですます人はいないと思う)      

 と、歌をくださったので

128 人にまだ をられぬものを 誰かこの すきものぞとは 口ならしけむ    
(だれにもまだ口説かれたこともないのに だれがわたしを浮気者などと言いふらしたのでしょう)    

 渡り廊下にある部屋に寝た夜、部屋の戸をたたいている人がいると聞いたが、恐ろしいので返事もしないで夜を明かした翌朝

129 夜もすがら 水鶏
(くいな)よりけに なくなくも 槇(まき)の戸口に たたきわびつる    
(昨夜は水鶏以上に泣く泣く槙の戸口で 夜通したたき続けたよ)  

 返歌    

130 ただならじ とばかりたたく 水鶏ゆゑ あけてはいかに くやしからまし
(熱心に戸をたたかれたのだから 戸を開けたらどんなに後悔したことでしょう)

 題知らず     

131 世の中を なに嘆かまし 山桜 花見るほどの 心なりせば
(世の中をどうして嘆くことがあろう 山桜を見ているときのような気持ちなら)
 
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