1840年 | 天保11年 | アヘン戦争(イギリスはアヘン貿易を引き続き確保するため、中国に対して戦争を起こした) | ||||||||||
1842年 | 天保13年 | 南京条約調印、アヘン戦争終わる。最初の不平等条約。 | ||||||||||
1843年 | 天保14年 | 「南京条約の」付属文書として「五港通商章程」と「五港通商付随善後条項(虎門条約)」を結んだ。これにならって、ほかの列強も次々と清政府に迫って不平等条約に調印させた。 | ||||||||||
1857年 | 安政4年 | 第二次アヘン戦争(イギリス・フランスはまたも連合して中国に戦争をしかけた) | ||||||||||
1860年 | 万延1年 | 清政府、イギリス・アメリカ・フランス・ロシアと「北京条約」調印(不平等条約)19世紀の70年代以降、世界の主要資本主義は帝国主義段階へ入った。列強は、商品市場・原料産地・資本輸出先を獲得するため中国に進出した。 | ||||||||||
1874年 | 明治7年 | 日本、台湾に出兵。 | ||||||||||
1884年 | 明治17年 | フランスは中国に戦争をしかけ、完全な勝利をおさめることができなかったが、腐敗した清政府に「中仏条約」を結ばせ、雲南、広西、広東の中越境界に通商地を開設することを認めさせた。 | ||||||||||
1894年 | 明治27年 | 日清戦争始まる。中国ではこの戦争を甲午中日戦争と呼んでいる。日清戦争後、イギリス、ロシア、日本、フランス、ドイツなどが在華権益を奪い、中国分割に拍車をかけた。 | ||||||||||
1895年 | 明治28年 | 日清講和条約、日清戦争は日本が「抑圧される国」から「抑圧する国」に転じる起点となり、広大な植民地・半植民地を有する東方の植民地帝国となった。 | ||||||||||
1898年 | 明治31年 | ドイツが膠州湾、ロシアが旅順、フランスが広州湾、イギリスが九竜・威海衛を租借。日本は台湾を占領するほかに、福建省をその勢力範囲に入れた。山東で義 和団が蜂起。 |
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1900年 | 明治33年 | イギリス・ロシア・日本・アメリカ・ドイツ・フランス・イタリア・オーストリアの八ヵ国連合軍、北京入城。 | ||||||||||
1901年 | 明治34年 | 辛丑条約@清政府は諸外国に謝罪し、不当な行為をした官吏を懲罰すること。A賠償金、銀4億5000万両を40年以内に分割払いし、元利は合計10億両近くとすること。B北京の東交民巷を外国公使館区とし、そこにおける派兵を許し、中国人の居住を許さないことなど。 | ||||||||||
1903年 | 明治36年 | この年の輸入総額は銀貨で4億8000余万元、輸出総額は銀貨で3億6000余万元、1億1000万元の入超であった。1895-1900年の借款額は銀4億5100余万両、これは中国の年間財政収入の約5倍半に相当した。 | ||||||||||
1904年 | 明治37年 | 日露戦争始まる。 | ||||||||||
1908年 | 明治41年 | 光緒帝没し、滞儀即位一宣統帝)。翌日、西太后没す。 | ||||||||||
1911年 | 明治44年 | 辛亥革命、清朝の反動支配を覆しはしたが、中国はやはり半植民地・半封建社会におかれたままだった。 | ||||||||||
1912年 | 明治44年 大正1年 |
孫文、南京で中華民国臨時大総統に就任。溥儀退位、清朝滅ぶ。 | ||||||||||
1914年 | 大正3年 | 第一次世界大戦始まる。 | ||||||||||
1915年 | 大正4年 | 日本、中国に「二十一ヵ条」要求。袁世凱、日本の最後通牒を承認。中国ではこの日が国恥記念日となる。 | ||||||||||
1919年 | 大正8年 | ベルサイユ講和条約、ドイツの山東省における全部の利権を日本に譲り渡すことを決めた。このことを知った中国人民は激しい怒りを燃やし、反帝愛国の「五・四運動」がおこった。 | ||||||||||
1922年 | 大正11年 | 中国の民族資本が設立した紡績工場は54上海では中国資本の製粉工場22、栄氏兄弟のメリケン粉工場は1920年に21に増え、製粉機は300を超えた。当時栄氏兄弟は「製粉王」と坪ばれた。 | ||||||||||
1925年 | 大正14年 | 上海の紡績工場で中国人工員スト。 | ||||||||||
1929年 | 昭和4年 | 10月24日「暗黒の木曜日」ニューヨーク株式市場の大暴落、経済恐慌始まる。 | ||||||||||