アナクロニズムを解決して作品を重層的にし
さまざまな時代性をだす。
 『リア王』を読むと、まずはじめにぶつかる疑問がアナクロニズム(時代錯誤)だ。つまり『リア王』は、古代の物語のはずなのに、中世やエリザベス朝の現実を反映した箇所が目につく。
 たとえばリーガンがいう「王の名付けた子が、エドガーが父親の命を?」などがそれだ。王が騎士の名づけ親になつたり、騎士の洗礼に代父として立ち会うのは中世キリスト教の慣習にほかならない。
 だから上演するばあい、時代設定を古代にすると、このアナクロニズムのためにつじつまがあわなくなる。その逆に中世やエリザベス朝に設定しても同じ結果をまねく。どちらか一方を選ぶかぎりアナクロニズムの落とし穴にはまってしまうほかない。
 かつてピーター・ブルックは、このアナクロニズムを、「リア王は不条理劇だ」ということで解決したが、わたしは矛盾を矛盾として表現することにした。つまりこの矛盾は、現在の視点からエリザベス朝、中世、古代、というように遠近法で照らしだせばいいのではないかと考えた。
 そうすれば、送り手はシェイクスピア本来の魅力である〈豊饒な面白さ〉をあますところなく表現できるので、作品が重層的になるし、観客はこのさまざまな時代性をもって表現されたものを、たえず現在と比較しながら楽しむことができる。
三澤憲治